はやし浩司

学校恐怖症
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はやし浩司

学校恐怖症(不登校児)

子どもの恐怖症を考える法(恐怖症を軽く考えるな!)

子どもが恐怖症になるとき

●まさに九死に一生
 先日私は、交通事故で、あやうく死にかけた。九死に一生とは、まさにあのこと。今、こうして
文を書いているのが、不思議なくらいだ。が、それはそれとして、そのあと、妙な現象が現れ
た。夜、自転車に乗っていたのだが、すれ違う自動車が、すべて私に向かって走ってくるように
感じた。私は少し走っては自転車からおり、少し走ってはまた、自転車からおりた。こわかった
……。恐怖症である。子どもはふとしたきっかけで、この恐怖症になりやすい。たとえば以前、
『学校の怪談』というドラマがはやったことがある。そのとき「小学校へ行きたくない」と言う園児
が続出した。あるいは私の住む家の近くの湖で水死体があがったことがある。その直後から、
その近くの小学校でも、「こわいから学校へ行きたくない」という子どもが続出した。これは単な
る恐怖心だが、それが高じて、精神面、身体面に影響が出ることがある。それが恐怖症だが、
この恐怖症は子どものばあい、何に対して恐怖心をいだくかによって、ふつう、次の三つに分
けて考える。

@対人(集団)恐怖症……子ども、特に幼児のばあい、新しい人の出会いや環境に、ある程度
の警戒心をもつことは、むしろ正常な反応とみる。知恵の発達がおくれぎみの子どもや、注意
力が欠如している子どもほど、周囲に対して、無警戒、無頓着で、はじめて行ったような場所で
も、わがもの顔で騒いだりする。が、反対にその警戒心が、一定の限度を超えると、人前に出
ると、声が出なくなる(失語症)、顔が赤くなる(赤面症)、冷や汗をかく、幼稚園や学校がこわく
て行けなくなる(学校恐怖症)などの症状が表れる。さらに症状がこじれると、外出できない、人
と会えない、人と話せないなどの症状が表れることもある。

A場面恐怖症……その場面になると、極度の緊張状態になることをいう。エレベーターに乗れ
ない(閉所恐怖症)、鉄棒に登れない(高所恐怖症)などがある。これはある子ども(小一男児)
のケースだが、毎朝学校へ行く時刻になると、いつもメソメソし始めるという。親から相談があ
ったので調べてみると、原因はどうやら学校へ行くとちゅうにある、トンネルらしいということが
わかった。その子どもは閉所恐怖症だった。実は私も子どものころ、暗いトイレでは、こわくて
用を足すことができなかった。それと関係があるかどうかは知らないが、今でも窮屈なトンネル
などに入ったりすると、ぞっとするような恐怖感を覚える。

Bそのほかの恐怖症……動物や虫をこわがる(動物恐怖症)、死や幽霊、お化けをこわがる、
先のとがったものをこわがる(先端恐怖症)などもある。動物のお面をかぶって見せただけで、
ワーッと泣き出す「お面恐怖症」の子どもは、一五人に一人はいる(年中児)。ただ子どものば
あい、恐怖症といってもばくぜんとしたものであり、問いただしてもなかなか原因がわからない
ことが多い。また症状も、そのとき出るというよりも、その前後に出ることが多い。これも私のこ
とだが、私は三〇歳になる少し前、羽田空港で飛行機事故を経験した。そのためそれ以来、
ひどい飛行機恐怖症になってしまった。何とか飛行機には乗ることはできるが、いつも現地で
はひどい不眠症になってしまう。「生きて帰れるだろうか」という不安が不眠症の原因になる。ま
た一度恐怖症になると、その恐怖症はそのつど姿を変えていろいろな症状となって表れる。高
所恐怖症になったり、閉所恐怖症になったりする。脳の中にそういう思考回路ができるためと
考えるとわかりやすい。私のケースでは、幼いころの閉所恐怖症が飛行機恐怖症になり、そし
て今回の自動車恐怖症となったと考えられる。

●忘れるのが一番
 子ども自身の力でコントロールできないから、恐怖症という。そのため説教したり、叱っても意
味がない。一般に「心」の問題は、一年単位、二年単位で考える。子どもの立場で、子どもの
視点で、子どもの心を考える。無理な誘導や強引な押しつけは、タブー。無理をすればするほ
ど、逆効果。ますます子どもはものごとをこわがるようになる。いわば心が熱を出したと思い、
できるだけそのことを忘れさせるような環境を用意する。症状だけをみると、神経症と区別が
つきにくい。私のばあいも、その事故から数日間は、車の速度が五〇キロ前後を超えると、目
が回るような状態になってしまった。「気のせいだ」とはわかっていても、あとで見ると、手のひ
らがびっしょりと汗をかいていた。が、少しずつ自分をスピードに慣れさせ、何度も自分に、「こ
わくない」と言いきかせることで、克服することができた。いや、今でもときどき、あのときの模
様を思い出すと、夜中でも興奮状態になってしまう。恐怖症というのはそういうもので、自分の
理性や道理ではどうにもならない。そういう前提で、子どもの恐怖症には対処する。

(付記)
●不登校と怠学
不登校は広い意味で、恐怖症(対人恐怖症など)の一つと考えられているが、恐怖症とは区別
する。この不登校のうち、行為障害に近い不登校を怠学という。うつ病の一つと考える学者も
いる。不安障害(不安神経症)が、その根底にあって、不登校の原因となると考えるとわかりや
すい。


子どもの不登校を防ぐ法(前兆を見落とすな!)
子どもが学校恐怖症になるとき
●四つの段階論
 同じ不登校といっても、症状や様子はさまざま(※)。私の二男はひどい花粉症で、睡眠不足
からか、毎年春先になると不登校を繰り返した。が、その中でも恐怖症の症状を見せるケース
を、「学校恐怖症」(A・M・ジョンソン)、行為障害に近い不登校を「怠学(truancy)」といって区
別している。これらの不登校は、症状と経過から、次の三つの段階に分けて考える(長崎大・
中根允文氏)。心気的時期、登校時パニック時期、自閉的時期。もう少しわかりやすくすると、
次のようになる。

@前兆期……登校時刻の前になると、腹痛、頭痛、脚痛、倦怠感、吐き気、気分の悪さを訴え
る。症状は午前中に重く、午後に軽快し、夜になると、「明日は学校へ行く」などと、明るい声で
答えたりする。これを症状の日内変動という。理由を聞くと、「A君がいじめる」などと言ったりす
る。そこでA君を排除すると、今度は「B君がいじめる」と言い出したりする。理由となる原因(タ
ーゲット)が、そのつど移動するのが特徴。

Aパニック期……攻撃的に登校を拒否する。親が無理に車に乗せようとしたりすると、狂った
ように暴れ、それに抵抗する。が、親があきらめ、「もう今日は休んでもいい」などと言ったりす
ると、一転、症状が消滅する。ある母親は、こう言った。「学校から帰ってくる車の中では、鼻歌
まで歌っていました」と。
B自閉期……自分のカラに
こもる。特定の仲間とは遊んだりするが、心の中はいつも緊張状態にあり、ささいなことで激怒
したり、暴れたりする(感情障害)。この段階で回避性障害(人と会うことを避ける)、不安障害
(非現実的な不安感をもつ。おののく)の症状を示すこともある。こうした状態が、数か月から
数年続く。

C回復期……断続的に外の世界と接触をもつようになり、登校できるようになる。週に一日〜
二日、月に一週〜二週登校できるようになり、序々にその期間が長くなる。

●前兆をいかにとらえるか
 要はいかに@の前兆期をとらえ、この段階で適切な措置をとるかということ。たいていの親は
ひととおり病院通いをしたあと、「気のせい」と片づけて、無理をする。この無理が症状を悪化さ
せ、Aのパニック期を招く。この段階でも、もし親が無理をせず、「そうね、誰だって学校へ行き
たくないときもあるわよ」と言えば、その後の症状は軽くすむ。一般にこの恐怖症も含めて、子
どもの心の問題は、今の状態をより悪くしないことだけを考える。なおそうと無理をすればする
ほど、症状はこじれる。悪化する。 

(付記)
※……不登校の態様は、一般に、この日本では、@学校生活起因型、A遊び非行型、B無気
力型、C不安など情緒混乱型、D意図的拒否型、E複合型に区分して考えられている。
 またその原因については、@学校生活起因型(友人や教師との関係、学業不振、部活動な
ど不適応、学校の決まりなどの問題、進級・転入問題など)、A家庭生活起因型(生活環境の
変化、親子関係、家庭内不和)、B本人起因型(病気など)に区分して考えられている(「日本
教育新聞社」まとめ)。

●学校恐怖症は対人障害の一つ 
 こうした恐怖症ははやい子どもで、満四〜五歳から表れる。乳幼児期は、主に泣き叫ぶ、睡
眠障害などの心身症状が主体だが、小学低学年にかけてこれに対人障害による症状が加わ
るようになる(西ドイツ、G・ニッセンほか)。集団や人ごみをこわがるなどの対人恐怖症もこの
時期に表れる。ここでいう学校恐怖症はあくまでもその一つと考える。

(参考)
●ジョンソンの「学校恐怖症」
「登校拒否」という言葉は、イギリスのI・T・ブロードウィンが、一九三二年に最初に使い、一九
四一年にアメリカのA・M・ジョンソンが、「学校恐怖症」と命名したことに始まる。ジョンソンは、
「学校恐怖症」を、(1)心気的時期、(2)登校時のパニック時期(3)自閉期の三期に分けて、
学校恐怖症を考えた。私はそれをさらに四期に分け、次のようにした。
症状

第一期・不調期登校時刻になると、身体的不調を訴える。頭痛や腹痛、脚痛、吐き気、気分の
悪さ、朝寝坊、寝ぼけ、疲れ、倦怠感など。午前中は症状が重く、午後は軽くなり、夕方になる
と静かに収まってくる。床につく前に親が、「明日は学校へ行くの?」と聞くと、明るい声で「行く」
と答えたりする。この段階で、親が学校へ行きたがらない理由を聞くと、「A君がいじめるから」
とか言ったりする。そこでA君を排除すると、今度は「B君がいじめるから」と言い出したりする。
ターゲット(原因とする人や理由)がそのつど移動するのが特徴である。

第二期・パニック期登校時刻になるとパニック状態になり、はげしく抵抗したり、泣き叫んだり
する。親が無理に学校へ連れていこうとすると、狂人のように暴れたりする。しかしいったん学
校へ行かなくてもよいとわかると、一転して今度は別人のように静かで穏やかな表情を見せ
る。あまりの変わりように、たいていの親は、「これが同じ子どもか?」と思うことが多い。

第三期・自閉期親が学校へ行かせるのをあきらめ、子どももそれに慣れてくると、子どもは自
分の世界に閉じこもるようになる。暴力、暴言などの攻撃的態度は減り、見た目には穏やかな
状態になり、落ちつく。ただ心の緊張感は残り、親の不用意な言葉などで、突発的に激怒した
り、暴れたりすることはある。気を許した友人とは、限られた場所では遊ぶものの、その範囲
や遊びは限定される。この状態で症状は数か月から数年という単位で、一進一退を繰り返す。

第四期・回復期少しずつ友人との交際を始めたり、外へ遊びに行くようになる。数日学校行っ
ては休むというようなことを、断続的に繰り返したあと、やがて登校できるようになる。

●学校恐怖症の対処のしかた
 第一期で注意しなければならないのは、本文の中でも書いたが、たいていの親はこの段階
で、「わがまま」とか「気のせい」とか決めつけ、その前兆症状を見落としてしまうことである。あ
るいは子どもの言う理由(ターゲット)に振り回され、もっと奥底にある子どもの(心の問題)を見
落としてしまう。しかしこのタイプの子どもが不登校児になるのは、第二期の対処のまずさによ
ることが多い。ある母親はトイレの中に逃げ込んだ息子(小一児)を外へ出すため、ドライバー
でドアをはずした。そして泣き叫んで暴れる子どもを無理やり車に乗せると、そのまま学校へ
連れていった。その母親は「このまま不登校児になったらたいへん」という恐怖心から、子ども
をはげしく叱り続けた。が、こうした衝撃は、たった一度でも、それが大きければ大きいほど、
子どもの心に取り返しがつかないほど大きなキズを残す。もしこの段階で、親が、「そうね、誰
だって学校へ行きたくないときもあるわね。今日は休んで好きなことをしたら」と言ったら、症状
はそれほど重くならなくてすむかもしれない。

 また第三期においても、鉄則は、ただ一つ。なおそうと思わないこと。私がある母親に、「三
か月間は何も言ってはいけません。何もしてはいけません。子どもがしたいようにさせなさい」
と言ったときのこと。母親は一度はそれに納得したようだった。しかし一週間もたたないうちに
電話がかかってきて、「今日、学校へ連れていってみましたが、やっぱりダメでした」と。親にす
れば一か月どころか、一週間でも長い。気持ちはわかるが、こういうことを繰り返しているうち
に、症状はますますこじれる。

 第三期に入ったら、@学校は行かねばならないところという呪縛から、親自身が抜けること。
A前にも書いたように、今の状態をより悪くしなことだけを考えて、子どもの様子をみる。B最
低でも三か月は何も言わない、何もしないこと。子どもが退屈をもてあまし、身をもてあますま
で、何も言わない、何もしないこと。C生活態度(部屋や服装)が乱れて、だらしなくなっても、
何も言わない、何もしないこと。特に子どもが引きこもる様子を見せたら、そうする。よく子ども
が部屋にいない間に、子どもの部屋の掃除をする親もいるが、こうした行為も避ける。
 要は子どものリズムで考えるということ。あるいは子どもの視点で、子どもの立場で考えるこ
と。そういう謙虚な姿勢が、このタイプの子どもの不登校を未然に防ぎ、立ちなおりを早くする。

●不登校は不利なことばかりではない
 一方、こうした不登校児について、不登校を経験した子どもたち側からの調査もなされてい
る。文部科学省がした「不登校に関する実態調査」(二〇〇一年)によれば、「中学で不登校児
だったものの、成人後に『マイナスではなかった』と振り返っている人が、四割もいる」という(不
登校はマイナスではないと答えた人、三九%、マイナスだったと答えた人、二四%)。そして学
校へ行かなくなった理由として、
友人関係     ……四五%
教師との関係   ……二一%
クラブ・部活動  ……一七%
転向などでなじめず……一四%と、その多くが、学校生活の問題をあげている。  

***************************************

子どもの不登校について……

四国のSさんからのメールより。(Sさんの了解を得て、ここに転載します。)

Q:小学5年生のときトイレで滑って汚いと思うようになり、何とか頑張って6年生にな
りましたが、3学期の終わりごろより不登校にな
りそれからは学校に関係する全てのこと(人や物・・・)あらゆるものに恐怖があ
り、中1の5月に強迫神経症の不潔恐怖症だと診断されました。性格は幼い頃より何で
も自分の納得のいくようにしなければ気が済まず、親が手を出すのを嫌う子供でし
た。保育園では園の下の子供の世話が良くでき、全く手のかからない子供でした。小
学1年生になって自分の納得のゆく字がかけなくてノートが破れても破れても書き直
すという子供でした。
病気になってから本人が苦しくて家庭の中で暴れたこともありましたが、今では家族
がこの病気を勉強し、子供に寄り添いながら支えていこうと決めていますので、症状
の為のパニックが起きても本人なりにコントロールをしていっています。九州の行動
療法の専門病院で3ヶ月入院治療をしたこともあります。強迫行為の方は良くなりま
したが強迫観念のほうは変わりませんでした。むしろ今のところは前よりも学校に関
するものを毛嫌いしているようです。家族としては子供の興味のあることや、楽しい
と思える時間を協力出来るようにと生活しています。これからはどのようなことに気
をつけていけばいいのか教えていただきたいです。
                        高知県のMより

A:メール、ありがとうございました。

いくつか気になるところがあります。
「何とかがんばって、6年生になりました」……この段階で、
何か、お子さんの側から見て、無理をなさいませんでしたか?
強制したり、威圧したりなど。症状からみて、「強迫神経症」ということですが、
それが転じて、「学校恐怖症」ではないかと思われます。このタイプの
恐怖症は、いろいろ姿を変えて表われてきますので、お子さんの心を全体として
考えないと、お子さんの心をつかめなくなります。学校恐怖症については、
ここに私が書いた原稿を添付しておきます。どうか参考にしてください。

私の印象では、つまりいただいたメールの範囲では、おうちの方が「なおそう」と
あれこれ努力なさっても、かえって逆効果だと思います。「心の風邪」は、そんな
ことでなおるはずもないし、またなおそうと思えば思うほど、(親側に「それは悪いことだ」
という意識があり、子ども側に「悪いことをしている」という意識がある限り)
かえって症状がこじれます。この問題だけは、少なくとも1年単位で子どもをみな
ければなりません。「去年とくらべてどうか」とです。


こう書くと、多分「それではうちの子はダメになる」と思われるかもしれませんが、
そう思うのは、親の勝手な価値基準によるもので、子ども自身の価値基準ではない
ことに注意してください。遠い原因としては、スキンシップ不足、愛情不足、
子どもの側からみて安心できない家庭環境が、乳幼児期にあったものと思われます。
あるいは下の子どもがいたりして、愛情不足を感じていたのかも。さらにその原因
はといえば、あなたがた自身の子ども時代の問題が疑われます。つまりこの問題は
もっと根が深いということ。言いかえると、今のお子さんの症状だけをみて、あれこれ
なおそうと判断しても、あまり意味がないということです。

大切なことは、あなたやあなたの妻(夫)よりも、お子さん自身のほうが
悩み苦しんでいるということ。それをまず理解してあげることです。この問題
だけは、より症状が重くなって、以前の症状が軽かったということを繰り返しながら、
そして何かを子どもに対してすればするほど、裏目、裏目に出て悪くなっていきます。
今は不登校程度ですが、こじらせると、拒食症や行為障害、引きこもり、あるいは家庭内
暴力へとつながっていきます。ご注意ください。

ではどうするか。いいですか、私もこう書くのはつらいですが、
「あきらめなさい」。風邪で熱を出している子どもに向かって、「泳げ」とは
いえないでしょう。そういうあきらめをもつことです。そして重要なことは
何も言わない、何も指示しない、無視する……ということで、あなたのお子さんが
あなたの目の前で、のんびりとくつろげるようになればしめたものです。また
そういう状態をつくります。今の状態であれこれお子さんに対してすればするほど
泥沼の悪循環に入りますから、くれぐれもご注意ください。
「がんばれ」ではなく、「気を楽にね」という言い方で、接します。

以上が私からあなたへのアドバイスですが、これはあくまでも一つの意見に
すぎません。今、あなたの愛情はお子さんに試されています。あとはCA,MG
の多い食生活にこころがけ、濃厚なスキンシップをお子さんに与えます。
お子さんが望むようであれば、(少し年齢的に難しいかもしれませんが)、
手つなぎ、抱く、一緒に長湯に入る、一緒に寝るなどの方法を試してみて
ください。

またアメリカでは、ホームスクーラーが200万人を超えました。
日本独特の受験制度や、学歴意識ともどうかあなたの心の中で
戦ってください。「学校なんかくそくらえ」(尾崎豊「卒業」)と思うことも
どこかで大切なことです。
また何かあれば連絡ください。
今日はこれで失礼します。

これに対して、Sさんより、以下のようなメールが届きました。不登校で苦しんでいる親やお子さ
んに一度は読んでいただきたい内容です。Sさんの了解を得て、ここに紹介します。

私達は夫婦と子供二人の家族です。兄が高校2年、その妹が学校恐怖症の娘です。「何とか
がんばって、6年生になりました」・・というのは娘が医者に話した言葉で、こんなことをしたらお
かしいと思える行動をしている自分。とても苦しかったけれどそのことを相談した友達にもわか
ってもらえず、親に話してもわかってもらえないと思い話さずに一人で何とか6年生まできた・・・
ということだとおもいます。

小学6年生の終わり不登校になり始めた頃より母親として、「この子は学校に行こうとすること
で苦しいのだから、本人が行きたいと思えるようになるまであせらず待とう」と言う気持ちに切り
替えました。娘は何でも良く相談してくれる方なのですが、私が誰かに相談した?って聞くとそ
のとき一番仲の良かった「A子ちゃんに相談したけど分かってもらえなかった)と言いました。娘
の同級生は8名です。女の子はそのうち5名で、家が近所なのでA子ちゃんとは特に仲良くして
いました。しかし、4年生のときにA子ちゃんに仲間はずれにされ「今日も挨拶をしても無視をさ
れた・・・でも私は一人でも大丈夫だよ」と言う日が続き、ある時私が「A子ちゃんのお母さんは
いじめていることを知っているのかなあ、今こんなことが起きてるよってことを知らせてあげても
いいかなあ?」と娘に話すと「話してほしいと」言われ娘の横で電話をかけました。お母さんは
全く自分の子供がいじめをしていることなどしらず驚いていましたが、そのあと親子でよく話し
合い親の愛情不足だったこと、子供さん自身母親に甘えたかったことなどがわかり、それから
は以前のようにいじめもなく本当に仲良く6年まで来ました。

その頃よく娘は深夜になるまで宿題をしていました「頭のいいA子ちゃんはテスト勉強が10分で
100点を取れるのに私は2時関しても90点ぐらいしか取れん」と言って私がそんなに頑張らない
で「60点でも70点もすごいじゃないの」と言っても聞く子ではなかったので「シンデレラになるま
でには寝なさいよ」という毎日でした。勉強をしなさいと言う親ではなかったのでれぞれのやり
方に任せていました。ただ子供がピアノがやりたい、公文に行きたいと言えば協力をして送り
迎えはしました。
 
中学は入学式は行きませんでしたが次の日は行きたいというのでバス通学で行きましたが帰
宅するなり着ていたものを全部着替え、教科書は庭に放り出したままシャワーへ直行でした。
あの日から制服も教科書もそのままです。家族がそれに触ると汚いものが伝染してしまうと言
う観念になっているので、娘の症状を理解しながら共感する気持ちで生活しています。それか
らは強迫神経症と診断していただいた医者と臨床心理士さんに週に一度の割でお会いし薬も
飲み外来を続けていきました。娘にとって医者とカウンセラーの女の先生との関係はとてもよ
く、料理が好きな娘はよくお菓子を作っては持って行っていました。この一〜二年の間には引
きこもりや家庭内暴力、自傷行為とさまざまな困難を経験してきました。その中でいつも私達
が思ったことは「一番苦しいのは娘なんだ」と言うことです。その思いがあったからここまでこれ
たよう気がします。

娘も去年の春の病院の帰りに「こんなに桜がきれいだったことを私は今まで気づかなかっ
た・・・」と話、ほんの少し筒ですが娘の心にゆとりが出てきたことを感謝したものです。このころ
には興味のある勉強もしたくなり、担当の先生からファックスで流してもらうと言う形をとってい
ました。学校の方には医者が刺激を与えないようにと言ってくださっており、またわからないこと
は母親に聞くようにと言ってくれていたので私が娘の今の状況を担任に連絡し、学校の方もこ
ういう例がないと言うことで(普通の不登校とは違う学校恐怖と言う意味で)静かに見守ると言う
形になっています。 

九州の病院へ入院した時は強迫神経症の治療の中に行動療法という治療法がありそれを行
っている病院はどこどこで・・・という話を医者が言ってくれたので娘の希望もあり、(今より良く
なれればと言う気持ちが強かったのかも)外来に行くことに・・・親と子と医者での時間をかけて
のカウンセリングがあり、病棟(子供の閉鎖病棟)も見学させてもらうと娘が「私は普通になりた
いから入院して直したい」といいました。

医者に「あなたの普通とはどんなことですか」と聞かれた娘は「普通にお母さんの手料理が食
べられて、(病気になって母親の作るものが食べられなくなっていた)普通に歯磨きして(苦しい
ほど磨いていた)普通に勉強して、普通に友達と遊べて・・・」ということを言っていました。それ
から9月の5日に入院し、入院中は毎日の母親への電話と、家族との手紙のやり取り、月に一
度か二度の面会とを続けました。何回目かの手紙に「私は生まれ変わっても自分でいたいし、
お母さんとお父さんの子でいたいよ。ありがとう」と書いてきてくれました。

娘は私達が愛していることを受け止めているようです。苦しいことも多かった入院生活ですが
親の知らないところで本当に良く頑張ったと思います.1月七日に退院してきましたその間自宅
へは11月に10日間、12月に3週間と外泊をしています。11月の時には自宅へ入るなり「部屋
へ入ることは苦しいと思っていたけどそうでもなかった」と言い家族と一緒の部屋で過ごせまし
た。12月の時は母親の料理も食べられ(1年半ぶりに)、湯船にも疲れるようになり、歯磨きも
そんなに時間がかからなくなり、おしゃれもするようになり、と出来なかったことが症状を気にし
ながらでも出来るようになってきました。本人も・・・しても大丈夫だよねえと前向きになっていま
す。この病気になり母親をとても頼りにしますし体で甘えてきます。不安が大きいときは抱きし
めて!といって来ますし、娘のベッドで寝たり私の布団へ着たりしていちゃいちゃしています。

兄とはけんかもするけど仲がいいですね。会話のある兄妹だと思います。お父さんが仕事で帰
ってきたとき仕事着のままで部屋に上がるので(仕方のないことなのですが)服があそこに触っ
た、ここに触った、汚れた、手を洗って、というふうに主人が帰宅する頃には娘は風呂から出て
いるので自分はきれい・・・というようなことで怒り出します。以前はパニックになっていましたが
そこまでゆくことはなくなりました。

主人の仕事用の車を以前近くにすむ主人の弟が使い、それを見た娘がパニックになったこと
がありました。娘は弟の二人の子供と小学校が同じだったので弟の子供は学校で汚れてい
る。弟も学校に行ったりするから汚れていると言う感覚があります。弟のことも汚いと言って寄
り付きません。貸した車を毎日使用する主人は娘にとって不潔と思う観念が働くので主人には
上記のような態度をとることが多く、私としてはいい空気になるよう心を使って娘と接します。
 
先生の言うように去年と比べてどうかと言うスタンスで私達のものさしもあります。1ミリでも良く
なっていければと言う気持ちになっています。私達にとって生きると言うことの意味を娘から教
えられているところです。原因が親の子供時代の問題に関わってくることもある・・・これはドキ
ッとしました。私は5人兄弟でそれぞれが家庭をもち、貧しい家でしたが今でも仲はとてもいい
です。私の親が仲が良かったことと、子供好きだったこと、仕事熱心だったこと、その背中を見
ながら育った5人は幸せでした。主人の方は母親が母性がなかった為に生まれてからすぐに祖
母に育てられたと言うことです。下の弟や妹も主に祖父や祖母に育てられたと言うことです。主
人の父親は戦時中祖母に満州に連れて行かれとても苦労をしたらしく、だれかれとなく言葉の
暴力で支配しようとするところがあります。お酒も好きで昼間から飲んでいます。しかしお金の
苦労はしたことはないそうです。私達とはスープの冷めない距離で暮らしていますが今は問題
なく暮らしています。
 
長くなってすみません。書かなくていいことまで書いたような気が
します。最後に学校恐怖症の原稿をありがとうございました。以前このHPを知ったときにコピー
させていただきましたのでじっくり読ませていただきます。CA、MG,の多い食品に心がけ、娘も
私も好きな尾崎豊の「卒業」を聴きながらこれからも自然体で頑張っていこうと思っています。
また何か気になったことがあればアンサ−下さればうれしいです。


        
(今後、不登校の問題を、このコーナーで、さらに深く追究します。)