はやし浩司
子どもに性教育を語る法(男女の差別を撤廃せよ!) 子どもに性教育を語るとき ●性の解放とは偏見からの解放 若いころ、いろいろな人の通訳として、全国を回った。その中でも特に印象に残っているの が、ベッテルグレン女史という女性だった。スウェーデン性教育協会の会長をしていた。そのベ ッテルグレン女史はこう言った。「フリーセックスとは、自由にセックスをすることではない。フリ ーセックスとは、性にまつわる偏見や誤解、差別から、男女を解放することだ」「特に女性であ るからという理由だけで、不利益を受けてはならない」と。それからほぼ三〇年。日本もやっと ベッテルグレン女史が言ったことを理解できる国になった。 話は変わるが、先日、女房の友人(四八歳)が私の家に来て、こう言った。「うちのダンナなん か、冷蔵庫から牛乳を出して飲んでも、その牛乳をまた冷蔵庫にしまうことすらしないんだわ サ。だから牛乳なんて、すぐ腐ってしまうわサ」と。話を聞くと、そのダンナ様は結婚してこのか た、トイレ掃除はおろか、トイレットペーパーすら取り替えたことがないという。私が、「ペーパー がないときはどうするのですか?」と聞くと、「何でも『オーイ』で、すんでしまうわサ」と。 ●家事をしない男たち 国立社会保障人口問題研究所の調査によると、「家事は全然しない」という夫が、まだ五 〇%以上もいるという(二〇〇〇年)(※)。年代別の調査ではないのでわからないが、五〇歳 以上の男性について言うなら、ほとんどの男性が家事をしていないのでは……? この年代の 男性は、いまだに「男は仕事、女は家事」という偏見を根強くもっている。男ばかりではない。私 も子どものころ台所に立っただけで、よく母から、「男はこんなところへ来るもんじゃない」と叱ら れた。こうしたものの考え方は今でも残っていて、女性自らが、こうした偏見に手を貸している。 が、その偏見も今、急速に音をたてて崩れ始めている。私が九九年に浜松市内でした調査で は、二〇代、三〇代の若い夫婦についてみれば、「家事をよく手伝う」「ときどき手伝う」という 夫が、六五%にまでふえている。欧米並みになるのは、時間の問題と言ってもよい。 ●男も昔はみんな、女だった? 実は私も、先に述べたような環境で育ったため、生まれながらにして、「男は……、女は… …」というものの考え方を日常的にしていた。高校を卒業するまで洗濯や料理など、したことが ない。たとえば私が小学生のころは、男が女と一緒に遊ぶことすら考えられなかった。遊べば 遊んだで、「女たらし」とバカにされた。そのせいか私の記憶の中にも、女の子と遊んだ思い出 がまったく、ない。が、その後、いろいろな経験で、私がまちがっていたことを思い知らされた。 が、決定的に私を変えたのは、次のような事実を知ったときだ。つまり人間は、男も女も、母親 の胎内では一度、皆、女だったという事実だ。つまりある時期までは人間は皆、女で、発育の 過程でその女から分離する形で、男は男になっていくと。このことは何人ものドクターに確かめ たが、どのドクターも、「知らなかったのですか?」と笑った。正確には、「妊娠後数か月までは 男女の区別はなく、それ以後、胎児は男女にそれぞれ分化していく」ということらしい。このこと を女房に話すと、女房は「あなたは単純ね」と笑ったが、以後、女性を見る目が、一八〇度変 わった。「ああ、ぼくも昔は女だったのだ」と。と同時に、偏見も誤解も消えた。言いかえると、 「男だから」「女だから」という考え方そのものが、まちがっている。「男らしく」「女らしく」という考 え方も、まちがっている。ベッテルグレン女史は、それを言った。 (参考) ※……国立社会保障人口問題研究所の調査によると、「掃除、洗濯、炊事の家事をまったくし ない」と答えた夫は、いずれも五〇%以上であったという。 部屋の掃除をまったくしない夫 ……五六・〇% 洗濯をまったくしない夫 ……六一・二% 炊事をまったくしない夫 ……五三・五% 育児で子どもの食事の世話をまったくしない夫 ……三〇・二% 育児で子どもを寝かしつけない夫(まったくしない)……三九・三% 育児で子どものおむつがえをまったくしない夫 ……三四・〇% (全国の配偶者のいる女性約一四〇〇〇人について、一九九八年に調査) これに対して、「夫も家事や育児を平等に負担すべきだ」と答えた女性は、七六・七%いる が、その反面、「反対だ」と答えた女性も二三・三%もいる。男性側の意識改革だけではなく、 女性側の意識改革も必要なようだ。ちなみに「結婚後、夫は外で働き、妻は主婦業に専念す べきだ」と答えた女性は、半数以上の五二・三%もいる(同調査)。 こうした現状の中、夫に不満をもつ妻もふえている。厚生省の国立問題研究所が発表した 「第二回、全国家庭動向調査」(一九九八年)によると、「家事、育児で夫に満足している」と答 えた妻は、五一・七%しかいない。この数値は、前回一九九三年のときよりも、約一〇ポイント も低くなっている(九三年度は、六〇・六%)。「(夫の家事や育児を)もともと期待していない」と 答えた妻も、五二・五%もいた。 日本の教育を見なおす法(教育を自由化せよ!) 日本の教育が遅れるとき ●英語教育はムダ? D氏(六五歳・私立小学校理事長)はこう言った。「まだ日本語もよくわからない子どもに、英 語を教える必要はない」と。つまり小学校での英語教育は、ムダ、と。しかしこの論法が通るな ら、こうも言える。「日本もまだよく旅行していないのに、外国旅行をするのはムダ」「地球のこと もよくわかっていないのに、火星に探査機を送るのはムダ」と。私がそう言うと、D氏は、「国語 の時間をさいてまで英語を教える必要はない。しっかりとした日本語が身についてから、英語 の勉強をすればいい」と。 ●多様な未来に順応できるようにするのが教育 オーストラリアの多くのグラマースクールでは、中一レベルで、生徒たちは、たとえば外国語 にしても、ドイツ語、フランス語、中国語、インドネシア語、それに日本語の中から選択できるよ うになっている。事情はイギリスも同じで、在日イギリス大使館S・ジャック氏も次のように述べ ている。「(教育の目的は)多様な未来に対応できる子どもたちを育てること(※)」(長野県経営 者協会会合の席)と。オーストラリアのほか、ドイツやカナダでも、学外クラブが発達していて、 子どもたちは学校が終わると、中国語クラブや日本語クラブへ通っている。こういう時代に、 「英語を教える必要はない」とは! 英語を知ることは、外国を知ることになる。外国を知ることは、結局は、この日本を知ること になる。D氏はこうも言った。「中国では、ウソばかり教えている。日本軍は南京で一〇万人し か中国人を殺していないのに、三〇万人も殺したと教えている」と。私が「一〇万人でも問題で しょう。一万人でも問題です」と言うと、「中国にせよ韓国にせよ、日本が占領したから発展でき た。鉄道も道路も、みんな、日本が作ってやった」「日本が占領しなかったら、今ごろは欧米の 占領下にあって、ひどい目にあっているはず」と食ってかかってきた。 ●文法学者が作った体系 日本の英語教育は、将来英語の文法学者になるには、すぐれた体系をもっている。数学も 国語もそうだ。将来その道の学者になるには、すぐれた体系をもっている。理由は簡単。もとも とその道の学者が作った体系だからだ。だからおもしろくない。だから役に立たない。こういう 教育を「教育」と思い込まされている日本人はかわいそうだ。子どもたちはもっとかわいそう だ。たとえば英語という科目にしても、大切なことは、文字や言葉を使って、いかにして自分の 意思を相手に正確に伝えるか、だ。それを動詞だの、三人称単数だの、そんなことばかりにこ だわるから、子どもはますます英語嫌いになる。ちなみに中学一年の入学時には、ほとんどの 子どもが「英語、好き」と答える。が、一年の終わりには、ほとんどの子どもが、「英語、嫌い」と 答える。数学だって、無罪ではない。
あの一次方程式や二次法的式にしても、それほど大切なものなのだろうか。さらに進んで、
ベクトルや複素数、さらには微分や積分が、それほど大切なものなのだろうか。仮に大切なも のだとしても、そういうものが、実生活でどれほど役に立つというのだろうか。日本の教育の柱 は、「皆が一〇〇点だと困る。差がつかないから。しかし皆が〇点だともっと困る。差がわから ないから」になっている。もしそうでないと言うのなら、なぜ中学一年で一次方程式を学び、三 年で二次方程式を学ぶのか。また学ばねばならないのか、それを説明できる人はいるだろう か。仮に必要だとしても、高校三年になってから、学んだとしても、遅くはない。ちなみにあのオ ーストラリアでは、中学一年で、二桁かける二桁の掛け算を学んでいる。(日本では小学三年 で、三桁かける二桁の掛け算まで学ぶ。) ●日本はすばらしい国? さて冒頭のD氏はさらにこう言った。「あなたは日本のどこに、一体不満なのですか。日本は いい国ではないですか。犯罪も少ないし。どうしてそれを変えなければならないのですか」と。 私は何も日本が悪いと言っているのではない。「改善すべき点はいくらでもある」と言っている に過ぎない。また日本の欧米化がすべてよいと言っているのでもない。しかし世界には世界の 常識というものがある。もし日本が世界で通用する国をめざすとするなら、日本はその常識に 合わせるしかない。「ワレワレ意識」(CNN)に日本人が固執する限り、日本はいつまでたって も、国際社会から受け入れられることはない。私はそれを言っているだけだ。 ●教育を自由化せよ さて冒頭の話。英語教育がムダとか、ムダでないという議論そのものが、意味がない。こうい う議論そのものが、学校万能主義、学校絶対主義の上にのっている。早くから英語を教えたい 親がいる。早くから教えたくない親もいる。早くから英語を学びたい子どもがいる。早くから英語 を学びたくない子どももいる。早くから教えるべきだという人もいるし、そうでない人もいる。要 は、それぞれの自由にすればよい。オーストラリアやドイツ、カナダのようにクラブ制にすれば よい。またそれができる環境をつくればよい。「はじめに学校ありき」ではなく、「はじめに子ども ありき」という発想で考える。それがこれからの教育のあるべき姿ではないのか。 (参考) ※……ブレア首相は、教育改革を最優先事項として、選挙に当選した。それについて在日イギ リス大使館のS・ジャック公使は、次のように述べている(長野県経営者協会会合の席)。「イギ リスでは、一九九〇年代半ば、教育水準がほかの国の水準に達しておらず、その結果、国家 の誇りが失われた認識があった。このことが教育改革への挑戦の原動力となった」「さらに、現 代社会はIT(情報技術)革命、産業再編成、地球的規模の相互関連性の促進、社会的価値の 変化に直面しているが、これも教育改革への挑戦的動機の一つとなった。つまり子どもたちが 急激に変化する世界で生活し、仕事に取り組むうえで求められる要求に対応できる教育制度 が必要と考えたからである」と。そして「当初は教師や教職員組合の抵抗にあったが、国民か らの支持を得て、少しずつ理解を得ることができた」とも。イギリスでの教育改革は、サッチャ ー首相の時代から、もう丸四年になろうとしている(二〇〇一年一一月)。 日本の民主主義を考える法(官僚社会を解体せよ!) 日本の社会が不公平になるとき ●日本は民主主義国家? Yさん(四〇歳女性)は、最近二〇年来の友人と絶交した。その友人がYさんにこう言ったか らだ。「こういう時代になってみると、夫が公務員で本当によかったです」と。たったそれだけの ことだが、なぜYさんが絶交したか。あなたにはその理由がわかるだろうか。 ●外郭団体だけで一八〇〇! 平安の昔から、日本は官僚主義国家。日本が民主主義国家だと思っているのは、恐らく日 本人だけ。三〇年前だが、オーストラリアの大学で使うテキストには、「日本は官僚主義国家」 となっていた。「君主(天皇)官僚主義国家」となっているのもあった。このことは前にも書いた が、現在の今でも、全国四七都道府県のうち、二七〜九の府県の知事は、元中央官僚。七〜 九の県では副知事も元中央官僚(二〇〇〇年)。さらに国会議員や大都市の市長の多くも、元 中央官僚。いや、官僚が政治家になってはいけないというのではない。
問題は、こうした官僚支配体制が、日本の社会をがんじがらめにし、それがまた日本の社会
を硬直化させているということ。たとえばよく政府は、「日本の公務員の数は、欧米と比べても、 それほど多くない」と言う。が、これはウソ。国家公務員と地方公務員の数だけをみれば確か にそうだが、日本にはこのほか、公団、公社、政府系金融機関、電気ガスなどの独占的営利 事業団体がある。これらの職員の数だけでも、「日本人のうち七〜八人に一人が、官族」だそ うだ(徳岡孝夫氏)。が、まだある。公務員のいわゆる天下り先機関として機能する、協会、組 合、施設、社団、財団、センター、研究所、下請け機関がある。この組織は全国の津々浦々、 市町村の「村」レベルまで完成している。あの旧文部省だけでも、こうした外郭団体が、一八〇 〇近くもある。
こうした団体が日本の社会そのものを、がんじがらめにしている。そのためこの日本では、何
をするにも許可や認可、それに資格がいる。息苦しいほどまでの管理国家と言ってもよい。そ こで構造改革……ということになるが、これがまた容易ではない。平安の昔から、官僚が日本 を支配するという構図そのものが、すでにできあがっている。「日本は新しいタイプの社会主義 国家」と言う学者もいる。こうした団体で働く職員は、この不況もどこ吹く風。まさに権利の王 国。完全な終身雇用制度に守られ、満額の退職金に月額三〇〜三五万円近い年金を手にし ている。「よい仕事をするためには、身分の保証が必要」(N組合、二〇〇一年度大会決議採 択)と豪語している労働組合すらある。こういう日本の現状の中で、行政改革だの構造改革だ のを口にするほうが、おかしい。実際、こうした団体の職員数は、今の今も、ふえ続けている。 ●不公平社会の是正こそ先決 この日本、公的な保護を受ける人は徹底的に受ける。そうでない人はまったくと言ってよいほ ど、受けない。こうした社会から受ける不公平感は相当なもので、それがYさんを激怒させた。 Yさんはこう言った。「私たちは明日の生活をどうしようと、あちこちを走り回っているのです。そ ういうときそういうことを言われると、本当に頭にきます」と。が、それではすまない。その不公 平感が結局は、学歴社会の温床になっている。いくら親に受験競争の弊害を説いたところで、 意味がない。親は親で、「そうは言っても現実は現実ですから……」と言う。現に今、大学生の 人気職種ナンバーワンは、公務員(財団法人日本青少年研究所二〇〇一年調査)。ちょっとし た(失礼!)公務員採用試験でも倍率が、一〇倍から数一〇倍になる。なぜそうなのかというと ころにメスを入れない限り、日本の教育に明日はない。 進学塾を考える法(有害環境を取り除け!) 親が進学塾を求めるとき ●文部行政の塾つぶし 地域にもよるが、この静岡県では、小さな塾はほとんどつぶれた。今は中規模塾が淘汰されつ つある。残ったのは大手の進学塾だけ。しかしそれこそ文部行政の思うツボ。文部行政の塾 つぶしは、最終局面を迎えたといっても過言ではない。中教審は、九九年の終わり、国に対し て答申を出した。その答申を受けて、マスコミ各社は、「中教審が学習塾を容認」と報道した が、これはまちがい。答申はこうなっている。いわく、「体験活動を支援する態勢をつくる」(第 三章第三節)「子どもたちを取り巻く有害環境の改善に、地域社会で取り組む」(同第五節)と。 全体を裏から読むと、「体験活動に協力しない有害環境(=進学塾)は、地域社会(=PTA)の 協力を得ながら、つぶす」となる。「容認どころか、塾の完全否定ととらえたほうがよい」(学外 研・木田橋)と。 進学塾が企業化して久しい。ある進学塾の経営者はこう言った。「一色刷りの案内書では、 生徒は集まりません。三色、四色にしないとね」と。また別の経営者は、「経営の秘訣は掃除に ある」と言っている。そのため「毎日午前中の数時間を掃除にあてている」(月刊「私塾界」)と。 またある経営コンサルタントは、「説明会は公的な会館を借りて、大規模にやるほど、効率が よい」(教材新聞)と書いている。 ●現実とのイタチごっこ こうした現状はともかくも、有害環境(?)はなくならない。いくら文部行政が逆立ちしても、 だ。理由は簡単。進学塾があるから、有害環境があるからではない。進学塾を求める親や子 どもがいるからだ。つまりなぜ親や子どもたちが進学塾を求めるか、その深層部分までメスを 入れないと、進学塾はなくならない。言いかえると、社会にはびこる学歴社会や身分制度、不 公平感がなくならない限り、進学塾はなくならない。この日本。公的な保護を受ける人は徹底 的に受ける。そうでない人はほとんどと言ってよいほど、受けない。不況などどこ吹く風。人生 の入り口で、受験競争をうまくくぐり抜けたというだけで、生涯、特権に守られ、権限と管轄の中 で、のんびりと暮らしている人はいくらでもいる。そういう現状を一方で放置しておいて、塾だけ をターゲットにしても意味がない。現に今、ボランティア活動が内申点に加味されるようになって から、そのボランティア活動を教える進学塾まで現れた。こうしたイタチごっこは、これから先、 いつまでも続く。 子どもと平和を考える法(自分の中の敵と戦え!) 子どもに平和を語るとき ●私の伯父は七三一部隊の教授だった 平和教育について一言……。 私の伯父は関東軍第七三一部隊の教授だった。残虐非道な生体実験をした、あの細菌兵器 研究部隊である。そのことがある本で暴露されたとき、伯母はその本を私に見せながら、人目 もはばからず、大声で泣いた。「父ちゃん(伯父)が死んでいて、よかったア」と。伯父はその少 し前、脳内出血で死んでいた。 ●「貴様ア! 何抜かすかア!」 ドイツのナチスは、千百万人のユダヤ人絶滅計画をたて、あのアウシュビッツの強制収容所 だけで、四百万人のユダヤ人を殺した。そういう事実を見て、多くの日本人は、「私たち日本人 はそういうことをしない」と言う。しかし本当にそうか? ゲーテやシラー、さらにはベートーベン まで生んだドイツですら狂った。この日本も狂った。狂って、同じようなことをした。それがあの 七三一部隊である。が、伯父は私が知る限り、どこまでも穏やかでやさしい人だった。囲碁の し方を教えてくれた。漁業組合の長もしていたので、よく鵜飼の舟にも乗せてくれた。
いや、一度だけ、こんなことがあった。ある夜、伯父と一緒に夕食を食べていたときのこと。
伯父が新聞の切り抜きを見せてくれた。見ると、伯父がたった一人で中国軍と戦い、三〇名の 満州兵を殺したという記事だった。当時としてもたいへんな武勲で、そのため伯父は国から勲 章をもらった。記事はそのときのものだった。が、私が「おじさん、人を殺した話など自慢しては ダメだ」と言うと、伯父は突然激怒して、「貴様ア! 何抜かすかア!」と叫んで、私を殴った。 その夜私は、泣きながら家に帰った。 ●敵は私たち自身の中に もしどこかの国と戦争をすることになっても、敵はその国ではない。その国の人たちでもな い。敵は、戦争そのものである。あの伯父にしても、私にとっては父のような存在だった。家も 近かった。いつだったか私は私の血の中に伯父の血が流れているのを知り、自分の胸をかき むしったことがある。時代が少し違えば、私がその教授になっていたかもしれない。いや、戦争 が伯父のような人間を作った。伯父を変えた。繰り返すが伯父は、どこまでも穏やかでやさし い人だった。倒れたときも、中学校で剣道の指導をしていた。伯父だって、戦争の犠牲者なの だ。戦争という魔物に狂わされた被害者なのだ。つまり戦争には、そういう魔性がある。その魔 性を知ること。その魔性を教えること。そしてその魔性と戦うこと。敵は私たちの中にいる。そ れを忘れて、平和教育は語れない。 (付記) ●戦争の責任論 日本政府は戦後、一貫して自らの戦争責任を認めていない。責任論ということになると、その 責任は、天皇まで行きついてしまう。象徴天皇を憲法にいだく日本としては、これは誠にまず い。そこで戦後、政府は、たとえば「一億総ざんげ」という言葉を使って、その責任を国民に押 しつけた。戦争責任は時の政府にではなく、国民にあるとしたわけである。が、それでは「日本 はますます国際社会から孤立し、近隣諸国との友好関係は維持できなくなってしまう」(小泉総 理大臣)ということになる。そこで、二〇〇一年の八月、小泉総理大臣は、「先の大戦で、わが 国は、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた」(第五六回全国 戦没者追悼式)と述べ、戦後はじめて日本政府は、「わが国」という言葉を使って、その戦争責 任(加害主体)は「政府」にあることを認めた。が、しかし戦後、六〇年近くもたってからというの では、あまりにも遅すぎる。 (付記) ●杉原千畝副領事のビザ発給事件 C この「平和教育を語るとき」の原稿と同時に書いたのが、次の「杉原千畝副領事のビザ発給 事件」である。新聞のコラムとして、どちらを掲載するかで、最後の最後まで迷った原稿でもあ る。 ●正義の人賞 「一九四〇年、カウナス(当時のリトアニアの首都)領事館の杉原千畝副領事は、ナチスの迫 害から逃れるために日本の通過を求めたユダヤ人六〇〇〇人に対して、ビザ(査証)を発給し た。これに対して一九八五年、イスラエル政府から、ユダヤ建国に尽くした外国人に与えられ る勲章、『諸国民の中の正義の人賞(ヤド・バシェム賞)』を授与された」(郵政省発行20世紀 デザイン切手第9集より)。 ●たたえること自体、偽善 ナチス・ドイツは、ヨーロッパ全土で、一一〇〇万人のユダヤ人虐殺を計画。結果、アウシュ ビッツの「ユダヤ人絶滅工場」だけでも、ソ連軍による解放時までに、約四〇〇万人ものユダ ヤ人が虐殺されたとされる。杉原千畝副領事によるビザ発給事件は、そういう過程の中で起き たものだが、日本人はこの事件を、戦時中を飾る美談としてたたえる。郵政省発行の記念切 手にもなったことからも、それがわかる。が、しかし、この事件をたたえること自体、日本にとっ ては偽善そのものと言ってよい。 ●杉原副領事のしたことは、越権行為? 当時日本とドイツは、日独防共協定(一九三六年)、日独伊防共協定(三七年)を結んだあ と、日独伊三国同盟(四〇年)まで結んでいる。こうした流れからもわかるように、杉原副領事 のした行為は、まさに越権行為。日本政府への背信行為であるのみならず、軍事同盟の協定 違反の疑いすらある。杉原副領事のした行為を正当化するということは、当時の日本政府は まちがっていたと言うに等しい。その「まちがっていた」という部分を取りあげないで、今になっ て杉原副領事を善人としてたたえるのは、まさに偽善。いやこう書くからといって、私は杉原副 領事のした行為がまちがっていたというのではない。問題は、その先と言ったらとよいのか、そ の中味である。当時の日本といえば、ドイツ以上にドイツ的だった。しかも今になっても、その 体質はほとんど変わっていない。どこかで日本があの戦争を反省したとか、あるいは戦争責任 を誰かに追及したというのであれば、話はわかる。そうした事実がまったくないまま、杉原副領 事のした行為をたたえるというのは、「私たち日本人と戦争をした日本人は、別の人種です」と 言うのと同じくらい、おかしなことなのだ。 ●日本はだいじょうぶか? そこでこんな仮定をしてみよう。もし仮に、だ。仮にこの日本に、百万単位の外国人不法入国 者がやってくるようになったとしよう。そしてそれらの不法入国者が、もちまえの勤勉さで、日本 の経済を動かすまでになったとしよう。さらに不法入国者が不法入国者を呼び、日本の人口の 何割かを占めるようになったとしよう。そしてあなたの隣に住み、あなたよりリッチな生活をし始 めたとしよう。もうそのころになると、日本の経済も、彼らを無視するわけにいかない。が、彼ら は日本に同化せず、彼らの国の言葉を話し、彼らの宗教を信じ、さらに税金もしっかりと払わ ないとする。そのとき、だ。もしそうなったら、あなたならどうする? あなた自身のこととして考 えてみてほしい。あなたはそれでも平静でいられるだろうか。ヒットラーが政権を取ったころのド イツは、まさにそういう状況だった。つまり私が言いたいことは、あのゲーテやシラー、さらには ベートーベンまで生んだドイツですら、狂った。この日本が狂わないという保証はどこにもない。 現に二〇〇〇年の夏、東京都の石原都知事は、「第三国発言」をして、物議をかもした。そし て具体的に自衛隊を使った、総合(治安)防災訓練までしている(二〇〇〇年九月)。石原都知 事のような文化人ですら、そうなのだ。いわんやわれわれをや。 ●「日本の発展はこれ以上望めない」 ついでながら石原都知事の発言を受けて、アメリカのCNNは、次のように報道している。「日 本人に『ワレワレ』意識があるうちは、日本の発展はこれ以上望めない」と。日本が杉原副知 事をたたえるのは、あくまでも結果論。どうもすっきりしない。石原都知事の発言は、「私たち日 本人も、外国で迫害されても文句は言いませんよ」と言っているのに等しい。 ついでに一言。恐らくこの一〇数年のうちに、日本と中国の立場は逆転する。そうなればなっ たで、今度は日本人が中国へ出稼ぎに行かねばならない。そういうことも念頭に置いて、この 杉原千畝副領事によるビザ発給事件を考える必要があるのではないだろうか。 自己中心的な人たち 自己中心性の強い人は、自分を中心に世界が回っていると錯覚する。自分だけが、唯一の 人間であり、もっとも尊い存在だと錯覚する。そしてこのタイプの人は、他人をも客観的にみる ことができないから、相手がまちがっていると思い込むと、その相手を徹底的に攻撃したり排 斥したりする。 子どもはある時期、この自己中心的なものの考え方をする。ある男の子(小一)は、こう言っ た。「ぼくが前を向いているときは、うしろの景色は消えてなくなる。しかしうしろを向いたとき、 またうしろの景色が現れる」と。そこで私が、「君が前を向いていても、うしろの景色はちゃんと あるよ。ぼくが見ているからまちがいない」と言うと、「それはおかしい。先生だって、消えてなく なっているはずだ」と。そこでさらに「でも、声はするだろ」と言うと、「それは声だけだ。姿はない はずだ」と。 こうした幼稚な自己中心性は、実はおとなにもよく観察される。確たる統計があるわけではな いが、老人になればなるほど、この自己中心性が強くなるのでは。こんな女性(七〇歳)がい る。その女性は、郷里の田舎町から外の町へ引っ越していく人を、ことごとく「逃げていった」と いうような言い方で、軽蔑するのだ。実のところ私にもそう言ったので、私はあきれて、それ以 上、何も言えなくなってしまった。その女性にしてみれば、その町こそが、世界の中心なのだ。 その町から引っ越していく人は、皆、負け犬(ルーザー)なのだ。 「私はすばらしい人間だ」と思うのは、自尊心だが、その返す刀で、「相手は自分より劣ってい る」と思うのは自己中心性の表れ。「私は私」という生き方を貫くのは、個人主義だが、その生 き方を相手に押しつけたり、「相手の生き方には価値がない」と思うのは、自己中心性の表 れ。その自己中心性のあるなしは、たとえばものの話し方をみればわかる。たいていは極端な ものの言い方をする。先日もある女性(三五歳)が私のところにやってきて、こう言った。何か のことで、その女性は、二〇年来とやらの友人と喧嘩をしたらしい。「あの人とは絶交しました。 あんな人が、デザイン会社をやっているなんて、信じられません。高校時代は、美術にせよ、 作文にせよ、クラスでも最低の成績だったのです。メールもときどききていましたが、文章もヘ タくそで、読むに耐えないものばかり。あんな女性が今、娘の学校のPTAの副会長をしている というからお笑いです」と。 さらにこの自己中心性が強くなった状態が、カルトである。一度私もあるカルト教団をある本 の中で批判したことがあるのだが、以後、執拗な攻撃にさらされた。「はやしは地獄へ落ちる」 とか、「あの夫婦は離婚状態だ」とか、まあ、とんでもないことをさんざんと言われた。彼らにし てみれば、自分や自分たちの世界が絶対であり、それ以外の人や世界は、無価値ということ になる。そして彼らの世界を批判する私のような人間を、「悪魔の手先」として否定する。 ……と書いて、この問題は、結局は自分自身の問題でもある。ここにも書いたように、老人に なればなるほど、この自己中心性が強くなる(?)。言い換えると、老人になればなるほど、自 分の中の自己中心性を見抜き、それと戦わねばならない。で、そこで考える。その方法はある のか、と。またどうすれば、それと戦うことができるか、と。 (自己中心性の発見) もともと私のように「評論」をするものは、自己中心性が強いのでは。自己中心性があるか ら、評論できるということにもなる。一本、スジを通すということは、そういうことになる。そこで一 つの尺度だが、自分の意見が批判されたとき、どのように反応するかで、自己中心性がわか るのではないかということ。自己中心性の強い人は、自分の意見が批判されるのを許さない。 そうでない人は、批判されても、「そういう意見もあるのかな」というふうに、相手の意見を受け 入れることができる。あるいは批判されても、即座に相手のレベルを見抜き、それが取るに足 りないものであれば、無視することができる。要するに、相手や相手の生き方をどの程度容認 することができるかで、自己中心性を知ることができる。 (自己中心性との戦い) で、自分の中にそういう自己中心性を発見したら、どうやってそういう自分と戦うか。「まあ、 いいや」と居直なおることもできるが、しかし自己中心的になればなるほど、結局はどこかゆが んだ世界へ入ってしまう。居なおるのは、たいへん危険なことでもある。そこで一つの方法は、 できるだけいろいろな人と接し、いろいろな情報を得ることなのだが、どうもそれだけでは足り ないような気がする。それはあくまでも外部からの刺激に過ぎない。大切なことは、いかに大き く、広いポケットを自分の心の中に用意するかだ。これがないと、せっかくの情報が、自分の体 の中にしみ込んでこない……? そこでこれはあくまでも私のばあいだが、私はこうしている。 まずものを考えても、これが絶対だとは思わないようにしている。仮に「1足す1は、2」と言っ たところで、心のどこかで「そうかな?」と思うようにしている。(だからといって、「1足す1は、 3」という人を容認するわけではないが……。)実際のところ、「これは正しい」と思って書いた自 分の文であっても、数年を経て読んでみると、「おかしい」と思うことはよくある。そういう意味で も、ものを書くのは大切なことかもしれない。つまりそういう形で、自分を絶対化しないことにこ ころがけている。 つぎに悪意をもって私を批判する人は別として、他人の批判はすなおに受け入れる。あるい は批判されても、それがどんなものであれ、それから感ずる不愉快さが心の中から消えるま で、「文」の中でその批判と戦う。そういう意味では、その「個人」は相手にしない。相手にして も、ほとんど意味はない。形としては相手を無視する。相手は相手だし、私はその相手に対し て、その相手のまちがいを指摘してあげなければならない責任はない。先日もメールで、「先祖 を否定するような教育者はまちがっている。あちこちの学校で講演する資格はない」と言ってき た女性(四〇歳くらい)がいた。こうしたケースでも、その女性など相手にしても意味はない。そ の人はその人だ。その人はその人の人生観でもって、そう言う。またそれなりに価値ある意見 ならともかくも、そもそもレベルが低すぎる。乾電池のつなぎ方も知らない子どもが、発光ダイ オードの色の悪さを問題にするようなものだ。だから無視する。しかしこの時点で大切なこと は、そういう人もいるということを、心の中で受け入れるということだ。世の中、賢い人ばかりで はない。親鸞も言っているように、愚かな人を導くところに、法の意味がある。 |