はやし浩司

子育て随筆(1301〜1500)

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はやし浩司

子育て随筆(1301〜1500)

子育て随筆byはやし浩司(301)

●豊かさとは、何か?

 生活の豊かさを測る尺度は、決して、一つではない。

 もちろん収入は、多ければ、多いほどよい。お金の嫌いな人はいない。私も嫌いではない。

 しかし収入だけで、豊かさは、測れない。

 自由な時間は、どれだけあるか?
 家族と過ごせる時間は、どれだけあるか?
 住んでいる環境は、どうだ?
 友だちの数はどうだ?
 人間関係は、どうだ、など。

 健康の度合いも、豊かさの一つということになる。しかし本当の豊かさは、「心」で決まる。

 心が平穏であるか。満足しているか。やさしく、思いやりがあるか。過去を悔やむこともなけ
れば、未来を不安に思うこともない。夢や希望があり、目標もある。毎日、前向きに生き生き
と、過ごすことができる。そういった状態を、心の豊かさという。

 もちろん、心の貧しい人もいる。このときも、収入とは、関係ない。億万長者でも、心の貧しい
人は、いくらでもいる。もちろんお金がなければ、苦労する。不幸になることもある。しかしお金
で、豊かさは買えない。

 中学生たちに聞いてみた。「君たちの夢は何か?」と。多くの中学生は、「お金持ちになりた
い」「有名になりたい」と言う。

 しかしそのお金で、何をするか。その未来像が、見えてこない。また有名になるとしても、それ
はあくまでも結果。そこに至る、現実が見えてこない。

 手っ取り早く、豊かになるためには、自分の住む世界を、ぐんと小さくすればよい。あるいは
何かの宗教に身を寄せ、その世界に安住するという方法もある。この世界、広く生きようと思え
ば思うほど、人との摩擦(まさつ)も大きくなる。ひとりで生きようと思えば思うほど、障害も大き
くなる。

そこで私は、気がついた。豊かさは、求めるものではなく、その人の生きザマの中から、結果と
して生まれるもの、と。少し話が、飛躍してしまったかもしれないが、こういうことだ。

 私の知人に、長野県の山奥で、床屋を営んでいる人がいる。今年、六〇歳を超えた。彼は父
親の仕事を引き継いで、床屋を始めたわけだが、もし人生の成功者という人がいるとするな
ら、彼のような人をいうのではないか。

 釣り名人で、そのあたりでは、「釣り聖」と呼ばれている。床屋という職業もあって、村長も、助
役も、村の有力者たちも、みな、彼の前では、頭をさげる。もちろん村一番の情報通。もし彼を
敵に回したら、村議会の議員にすら、なれない。

 今は、その人は、日本画にこっていて、毎日、その日本画に没頭している。「個展を開いたら
……」とすすめると、うれしそうに笑っていた。

 一方、過去の肩書きや地位にぶらさがり、その亡霊から、逃れられない人もいる。退職した
あとも、プリプリといばっている。「仕事がない」と言うから、「貿易の知識を利用して、中国の物
産でも売ってみたら」と提案すると、こう言った。「そんな恥ずかしいことは、できない」と。(商売
することを、「恥ずかしい」と言うのだ!)

 私のまわりには、いろいろな人がいる。みな、違った方法で、豊かさを求め、幸福になろうとし
ている。もちろん、私も、そうだ。しかし豊かさというのは、求めたところで、向こうからやってくる
ものではない。しかし生きザマさえ、しっかりしていれば、向こうからやってくる。

 大切なことは、その生きザマを、どう確立するかということ。が、ここで誤解してはいけないの
は、その豊かさというのは、虹のかなたの、その向こうにあるのではないということ。あなたの
すぐそばにあって、あなたに見つけてもらうのを、息をひそめて待っている。

 土地を売って大金を手に入れたからとか、あるいは大企業の部長になったからとか、著名な
タレントになったからとか、そういうことで、ここでいう「豊かさ」を手に入れることは、ない。豊か
さというのは、あくまでも、「心」の問題。名誉、地位、財産、肩書きとは、まったく、関係がない。

 大切なことは、できるだけ早い時期にそれに気づき、そうしたものに、心が毒されないように
すること。毒されれば毒されるほど、心の豊かさは、あなたから遠ざかる。

 ……と、大上段に構えて、「豊かさ」について、書いてみた。「何を偉そうに……」と思う人も、
いるかもしれない。もしそうなら、許してほしい。私自身も、こうして自分なりに、結論らしきもの
を出しておかないと、前に進めない。頭のてっぺんから、足の爪の先まで、現代社会がもつ矛
盾に、毒されている。

このつづきは、一度頭を冷やしたあとに、考えてみたい。
(031030)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


子育て随筆byはやし浩司(302)

【近況】

●電子マガジンの解約

 いくつか電子マガジンを購読している。しかしその中には、解約したくても、解約できないもの
がある。

 ふつう電子マガジンには、解約コーナーがある。たとえばE−マガや、メルマガは、マガジン
の末尾に、そういうコーナーをもうけてある。マガジンの購読を解約したい人は、ここをクリック
すればよい。あとは自分のアドレスを、そこに書き込めばよい。

 しかし解約できないマガジンには、それがない。ないばかりか、メールで、何度連絡しても、配
信してくる。Kマガジンという、電子マガジンがそうだった。「育児マガジン」ということで、購読を
始めたが、実際は、育児用品の販売が目的だった。

 それで解約しようとしたのだが、そのつど、IDナンバーとか、パスワードの入力を求めてくる。
しかし、だ。そんなのは、とっくの昔に忘れてしまった! で、しかたないので、そのつど、こまめ
に削除を繰り返していたが、そのうち、腹がたってきた。

 で、最後の手段として、その会社に電話を入れた。(大阪の会社だったから、電話料金だっ
て、高いぞ!)で、やっと、解約に応じてくれた。

 今から思うと、それが手ではなかったかと思う。つまり簡単に解約できないしくみになっていた
のではないか。

 どうか、みなさんも、お気をつけください!


●深夜の物売り

 このところ二晩つづけて、深夜にもの売りがやってくる。隣のT市ナンバーの軽トラックだが、
それが大音響で、こう怒鳴る。

 「焼きイモ〜、焼きイモ〜。一本、三〇〇円だヨ〜ン。ワラビ餅〜、ワラビ餅〜。早く来ない
と、行ちゃうヨ〜」と。

 昨夜もやってきた。時計を見ると、午後一〇時三五分。

 がまんするにも、限度がある。道路に飛び出してみたが、音はすれども、姿が見えない。かな
り遠くの道路にいるらしい。(私は、左の耳の聴力を、完全になくしている。それで音の方向が
よくわからないこともある。)

 で、しかたないので、一一〇番通報。

 すると電話に出た、女性が私の住所を聞いたあと、こう言った。「今、数件、あなたの近所か
ら、同じような苦情が届いています。すぐパトカーを回します」と。

 私だけではなかった……。

 いくら商売でも、これは公害ではないのか。午後一〇時を過ぎれば、もう床についている人
も、多い。で、やっと浜松市でも、条例で、この種のもの売りは、規制されることになった(〇三
年)。「やっと」だ。

 だいたいにおいて、T市ナンバーというのも、気に入らない。地元で商売できないから、この
浜松市へやってきて、商売をする。安眠を妨害する。一度、会社の名前を調べようと思って、
そのトラックを近くで見てみたが、会社名らしきものは、何も書いてなかった。つまりモグリの軽
トラック?

 大切なことは、みなで、こういうもの売りからは、ものを買わないことだ。へたに買ってやり、
「おいしいですね」と、おだてるから、彼らはズに乗る。そして迷惑と感じたら、たとえ一〇時前
でも、警察に通報することだ。地域によっては、条例で規制されている。つまり違法! 犯罪!

 それにしても、このところ、不況のせいもあるのか、この種のもの売りが多くなった。日曜日と
もなると、ひっきりなしに、やってくる。

 竿(さお)売り、オートバイ回収業、ワラビ餅売り、焼きイモ売り、さらにはどこかの宗教団体
の街宣車などなど。彼らも必死なのだろうが、しかしだからといって、他人に迷惑をかけてよい
というわけではない。

 そう、日本人は、昔から、騒音には甘い。本当に甘い。これは狭い国土で、ひしめきあいなが
ら生きてきたせいではないか。そんなことまで、考えてしまう。


●金XX入門

 飛鳥新社から刊行された、「金XX入門」(李友情著)を、読む。以前、飛鳥新社から、何冊
か、本を出してもらったことがある。それで、親しみも、あった。

 コミック形式で書かれているため、読むというより、マンガのように「見る」ことができる。(マン
ガも、「マンガを読む」というように、「読む」という言葉を使うが……。)

 で、結果。私はますます金XXが、嫌いになった。何というか、人間が本来的にもつ、おぞまし
さを、見せつけられたような思いだった。

 しかし、だ。

 その金XXが、私たちと、どこが違うかといえば、どこも違わない? 私やあなただって、金XX
と同じ立場に置かれたら、今の金XXと、同じことをしているかもしれない。そういう意味で、「権
力」というのは、恐ろしい。人間そのものを、狂わす。

 K国の体制に、きわめて批判的な本だから、当然のことながら、そこに書かれている金XX
は、極悪人そのもの。小心者で、独裁意欲が強く、スケベで、わがまま。まさにいいところなし
の男として、描かれている。実際、そのとおりの男なのだろう。ワイフも、数日前に、こう言っ
た。「写真を見ると、ぞっとする」と。金XXは、実に、醜悪な顔をしている!

 で、その「金XX入門」だが、それを読むと、金XXが、政敵をたくみに粛清(殺害)しながら、今
の権力の座についた様子が、よくわかる。いつか金XXは、二〇万人近い人たちを殺している
と言った人がいるが、あながち、まちがってはいないと思う。

金XXは、東洋に生まれた、まさにヒットラー以上の独裁者。そう言い切っても、過言ではない。


●浜名湖・花博 

 2004年の春から、浜名湖の北にある、村櫛(むらくし)地区で、花の博覧会が開かれる。先
日、ワイフと近くまで行ってみた。

 工事は、半分ほど完成したというところか。庭園や会場が、姿を現し始めた。聞くところによ
ると、前売り券も、予定の七〇%以上も売れ、「まずまずの売れ行き」(市の広報部)とのこと。

 その浜松市には、フラワーパークや、フルーツパークなどがある。知らない人も多いかもしれ
ないが、この浜名湖周辺は、全国でも、もっとも、気候が温暖なところ。一年中、緑が青々とし
ているのは、鹿児島県の一部と、この浜名湖周辺だけだそうだ。緑の種類も、豊富。このあた
りを、照葉(しょうよう)樹林帯と呼ぶ学者もいる。このあたりでは、花木の生産もさかんである。

 が、疑問がないわけではない。

 この浜松市は、HONDAやSUZUKIをはじめとして、YAMAHA、ROLANDなどの国際的企
業の本拠地となっている。しかしそれでも不況の嵐を、モロにかぶっている。ほかの地方より
は、まだよい。それでも、大半の一般庶民は、まさに青息吐息。

 どうせ税金を有効に使うなら、もう少し、実利的な博覧会にできなかったものか。

 たとえば、私は、若いころ、園芸にこった。家の隣に、四〇坪の畑もつくったことがある。木も
たくさん、植えた。しかしそれらはどれも、果実のなる木であった。

 ビワ、イチジク、ザクロ、栗、フェイジョア、キーウィ、クルミ、カリンなど。「食糧危機がくる」と
叫ばれていた時期でもある。一本だけ、ヤマモモの木を植えたが、それは、花だけを楽しむ、
「花モモ」と呼ばれる木だった。あとでその木を植えたことを、後悔した。

 一般庶民と、役人の違いと言えば、生活感のある、なしではないか。役人のやることには、そ
の生活感がない。わかりやすく言えば、一般庶民は、生活で四苦八苦しているのに、庭に、実
のならない花ばかり植えている。浜名湖・花博は、その延長線上にある。そんな感じさえする。

 たとえば私なら、先端工業博覧会を開く。あるいは一〇〇年後未来博覧会を開く。情報革命
博覧会でもよい。今の日本には、「実がならないような」博覧会を開く、余裕は、ないはずなの
だが……。

 それに、博覧会場をゾロゾロと、群集とともに歩いて、それで本当に、心がなごむことになる
のだろうかという疑問も、ないわけではない。どこか、ピントがズレているような気がする。

 否定的なことばかり書いたが、しかし国の財政が危機的な状況にある今、こうしたお金は、い
ったい、どこから出てくるのだろうか? このところ税金の重みを、ズシリズシリと感ずるように
なった。

 今では、小さな消防署ですら、鉄筋コンクリートのしゃれた建物になっている。近くに交番もで
きたが、一年中冷暖房されている。真夏でも、真冬でも、ドアや窓は、閉まったまま。役人の世
界だけが、一般庶民からどんどんと遊離している。私は、花博の工事現場を見ながら、「これで
いいのかなあ?」と思った。


●新しい試み

 R社の無料ホームページ・コーナーで、新しいホームページを開いた。

 このホームページに、今、発行しているマガジンを、載せてみた。こうすれば、今のマガジン
を、カラフルなマガジンに変身させることができる。写真も、掲載することができる。

 目下、試行錯誤中だが、これがなかなか、おもしろい。興味のある方は、

http://plaza.rakuSNn.co.jp/hhayashi/

 を、クリックしてみてほしい。

 みなさんの中で、もし、「私もホームページを……」と考えている人がいたら、このコーナーを
利用するとよいのでは……。

 本家のホームページも開設しているが、こちらは、25Mバイトという、巨大なサイトになってし
まった。そのため、更新もままならない状態になっている。たとえばソフトをたちあげ、更新し、
そして保存が終わるまで、ふつうでも、三〜四時間もかかってしまう。

 が、R社のホームページは、簡便で、使いやすい。これからは、そのつど頻繁に更新が必要
なページは、こちらを使うつもりでいる。

 しかしこの世界、まさに日進月歩。おもしろいというより、こわくなるときがある。私のばあいだ
けでも、生活のパターンが変わってしまった。今では、もう、インターネットなしの生活は、考え
られない。

 地図を調べるのも、インターネット。
 天気予報を知るのも、インターネット。
 ニュースも、インターネット。
 あらゆる情報が、居ながらにして、手に入る。
 おかげで、テレビを見る時間は、ぐんと減った。図書館がよいも、なくなった。証券取引も、今
では、すべてインターネットを介して、している。

 が、私のばあい、何よりも変わったのは、本を出そうという意欲が、ほとんど、なくなってしま
ったこと。「紙に印刷する」という行為そのものが、ムダに思えてきたこと。

 やがていつか、子どもたちが学ぶ学校のテキストには、こう書かれるにちがいない。

 「一九九〇年ごろから始まった世界の情報革命は、それまでの人間の生活を一変させてしま
った」と。

 私たちは、まさにその情報革命の、まっただ中にいる。その証人の一人として、今の変化を、
しっかりとここに記録しておきたい。
(031031)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(303)
 
●幼稚園

 「幼児教育」というと、「幼稚教育」と考えている人は、多い。実は、幼稚園や保育園の現場に
いる先生の中にも、そう考えている人が多い。「幼児教育なんて、だれにでもできる」と。

 しかしこれは、まちがい。大きな、まちがい。

 幼児教育は、大学教育より、奥が深い。それに重要。決して、安易に考えてはいけない。つ
まり、それなりの覚悟と、専門知識が必要である。

 昨日、兵庫県に住んでいるSNさん(母親)から、こんなメールをもらった。

++++++++++++++++

今年の春、A幼稚園から、今のB幼稚園に移りました。
現在、うちの子は、年中児です。

そのB幼稚園の先生から、毎日のように電話がかかってきました。

「お宅の子は、静かに座って、私(=先生)の話が聞けない。家でもしっかりと、しつけてほしい」
と、です。

うちの子が左利きであることについても、「親のあなたが、だらしないから、こうなった」と言われ
ました。

その先生は、年齢は、三八歳。独身です。「私は幼稚園と結婚した」を、口グセにしているよう
な先生です。

前のA幼稚園では、そんなことはなかったので、困っています。

で、子どもに話を聞くと、「となりの子どもが、スプーンを落としたので、拾ってあげた。それを見
ていて、先生が、『どうしてちゃんと座っていられないの!』と、ぼくを叱った」と、言います。子ど
もの言い分を、先生が、まったく聞いていないような気がします。

夏休みが終わってから、うちの子が幼稚園へ行くのをいやがるようになりました。
理由を聞くと、「給食を食べるのがいやだ」と。

そこで先生に相談すると、「お宅の子は、給食をいつまでもノロノロと食べています。それで全
部、食べ終わるまで、ひとりで食べさせています」とのこと。

先生は、「本人のため」ということを、さかんに言いますが、うちでは、好き嫌いもなく、ふつうに
食事をしています。

で、ときどき休むようになったのですが、その先生から、多いときで、一日に、三回ほど、電話
がかかってきます。

「こんなことでは、小学校へ入ってから不登校児になる」と、です。「落ちこぼれになってしまう」
「ダメ人間になってしまう」「このままでは、みんなから、おくれてしまう」と、おどされたこともあり
ます。

で、最近、こんなことがありました。

となりの席の子どもの誕生日プレゼントにと、うちの子が、コンビニで買った小さな人形を、紙
に包んで幼稚園へもっていきました。手紙も添えました。しかしそれを先生が目ざとく見つけ
て、取りあげてしまったのです。

うちの子が泣きながら、「返してほしい」と訴えると、「あんたは、この幼稚園の規則を知らない
の。おもちゃは、もってきてはダメということになっているのよ」と。私にも、「ちゃんと、幼稚園の
規則を守らせてほしい」というような電話が、かかってきました。

幼稚園の先生は、「このままでは、不登校児になる」と、さかんに言っていますが、そうなったと
しても、その原因は、その先生自身にあるような気がします。

また、私が、C幼稚園へ、幼稚園をかえたいと話しているのを、ほかの親から聞いたらしく、「C
幼稚園へは、入園できないようにしてやる。幼稚園協会のほうで、そういう勝手なことは、でき
ないしくみになっている」と、その親に言ったそうです。

園長にも相談しようと思ったのですが、園長は、ほとんど幼稚園にはいません。幼稚園にいる
時間より、銀行にいる時間のほうが、長いとうわさされるような人です。経営第一主義で、いつ
もスリーピースのスーツを着ています。

こういうときは、どうしたらいいでしょうか。このところ、夜も眠られない状態がつづいています。
何か、いいアドバイスをよろしくお願いします。

++++++++++++++++

 いまどき、こういう幼稚園教師がいること自体、驚きである。頭の中に、「幼稚園児はこうある
べきだ」という設計図をもっている。そしてその設計図に、幼児を、無理に、当てはめようとす
る。

 幼稚園とは、行かねばならないところ。
 その幼稚園へ行けない子どもは、落ちこぼれ。
 幼児教育は、小学校へ入学するために、するもの、と。

 実は、幼児教育で、いちばん避けなければならないのは、こういう設計図である。それなりの
学識や経験のある教師が、ハバ広い世界で考えた設計図なら、よい。しかしその学識や知識
もないまま、そして幼児の心理を無視したまま、独断と偏見を、親や子どもに、押しつけてしま
う。

 私が幼児教育の世界に入ったとき、一番、驚いたのは、まさにこの点である。はっきり言え
ば、あまりのレベルの低さに、驚いた!

 「目は、黒ですよ! 髪の毛も、黒ですよ! お顔は、肌色で塗ってね」と教えていた教師が
いた。

 「あの親は、(子どものことで)、私にさんざん、苦労をさせておきながら、盆のつけ届け一つ
よこさない」と、職員室で、大声で怒っていた教師がいた。

 自閉傾向がある子どもを、「根気があるいい子」と、ほめていた教師がいた。

 私に「先生、ハツゴ(発語)障害って、何かねえ?」と、持ち前のダミ声で、質問してきた教師
がいた。その先生は、「ハツゴ」のことを、「初子(=はじめての子ども)」と、誤解していた。

 分離不安で泣き叫ぶ子どもの親に向かって、「親が甘やかして育てると、子どもはそうなる」
と、叱っていた教師がいた。その教師は、園児が一日でも、幼稚園を休むと、「おくれるから、
泣いても、幼稚園でつれてくるように」と、いつも電話ばかりしていた。

 小学校の入試が近づいてきたとき、子どもに「私は合格します」と、何度も、復唱させていた
教師がいた。

 従順で、仮面をかぶったような、おとなしい子どもほど、「できのいい子」とほめていた教師が
いた。

 ガンガンと、低俗な音楽(?)をかけながら、「音楽鑑賞」と、いばっていた教師がいた、など。

 教師だけではない。園長自身も、「?」の人がいた。ある幼稚園の園長は、おかしな宗教を信
じていて、「動物を飼うと、火事になるからダメ」「今年は、東南の方向に住む人から、先生を雇
う」「ハ行で始まる名前の子どもは、できが悪い」などと、平気で口にしていた。

 しかしそれから三五年。本当に幼児教育のレベルは、あがったのか? 改善されたのか? 
教師の質は、向上したのか?

 もちろん研究に熱心な幼稚園や、園長も多い。しかしその一方で、いまだに、このSNさんの
子どもが通っているような幼稚園も、あるには、ある。少なくなったとはいえ、ないわけではな
い。

【SNさんへ……】

 無理をして、同じ幼稚園にいることはありません。そういう幼稚園からは、早く、去ることで
す。

 幼児教育は、その子どもの一生を左右するほど、重要なものです。あなたがひとり、がんば
ったくらいで、その先生の指導方法が変わるとは、思われません。だったら、去ることです。

 とても残念ですが、今、その先生と、あなたの子どもの相性は、最悪の状態と思われます。あ
なたの子どもは、何かを学ぶ前に、あなたの子どもは、学ぶことからさえ、逃げてしまうように
なるかもしれません。そうなれば、それこそ、大失敗というものです。

 私は、幼稚園という場で、かえって伸びる芽をつまれてしまった子どもを、数多く見てきていま
す。ほとんどの親は、「伸びる」ことを考えて幼稚園へ、子どもを送りますが、かえって逆効果に
なる子どもも、いるということです。園や園長の方針が、いくら崇高なものであっても、子どもに
直接影響を与えるのは、現場の先生です。

 ここでいう不登校児にしても、先生が原因と思われるケースも、私は直接、見てきました。ま
た幼児教育をしている先生が、みな、子どもが好きな先生ばかりとは、限りません。よい先生
ばかりとは、限りません。先生自身が、その意識がないまま、子どもを不登校児に追い込んで
いるケースは、いくらでもあります。

 こうしたケースでは、直接、園長に訴えるという方法もありますが、現実問題として、園長の目
は、現場まで届かないのが、ふつうです。

 こういう言い方は、女性のあなたにはたいへん失礼な言い方になるかもしれませんが、そこ
はどうしても、「女の世界」です。一般の世界とは、かなり違った世界だということです。そう言え
ば、わかっていただけると思いますが……。

私も、ちょっとしたことが原因で、実に陰湿きわまりない、いやがらせや、いじめを、同僚の教
師たちから受けたことが、たびたびありました。私という、おとなにならともかく、そうした行為
を、幼稚園児に繰りかえしていた教師もいました。

 幼稚園の教師というと、高邁な人格者を想像しがちですが、中には、そうでない人もいるとい
うことです。残念ですが、率直に言って、これは事実です。

 だったら、サービスの悪いレストランをかえるように、値段の高いデパートをかえるように、幼
稚園も、かえればよいのです。「教育機関」という幻想に、しばられる理由など、どこにもありま
せん。おかしな義理にしばられる必要も、ありません。

 また、幼稚園どうしの連絡網は、ほとんど、ありません。(とくに私立幼稚園どうしの連絡網
は、ありません。うわべはともかくも、幼稚園どうしは、たいへん仲が悪いのがふつうです。)だ
から、そのB幼稚園をやめたからといって、B幼稚園から、つぎのC幼稚園へ連絡が入るという
ことは、ありません。……ありえません。またそのあと、小学校の入学に、何か、さしさわりがあ
るということも、絶対に、ありません。……ありえません。

 いやですね、こういうおどしは……。

 幼児教育は、親がします。親が主体です。この姿勢だけは、しっかりと守ってください。その
上での、幼児教育であり、幼稚園なのです。「家庭で、できないことは、幼稚園でしてもらう。し
かし家庭でできることは、家庭でする」という姿勢です。

 いわんや、SNさんのように、子どもに、マイナスの面が見られるようになったら、無理をして
行かせる理由など、まったくありません。病院へ行って、かえって新しい病気をもらってくるよう
なものです。もっと、親として、主体的に行動してみたら、どうでしょうか。

 この時期の子どもは、まだ、人間関係をうまく調整することはできません。ですから先生と子
どもの相性が悪いと感じたら、思いきって、子どもをその先生から遠ざけます。それは子どもの
心を守るために、むしろ必要な行為と考えてください。

 もちろんだからといって、幼稚園での幼児教育を、否定しているのではありません。ここにも
書いたように、「家庭ではできないこと」、たとえば集団における、集団活動や、社会性などは、
幼稚園という場を通して、子どもは、身につけます。

 しかし本来の役目は、より専門的な幼児教育を実践することです。それについては、私も何
度も書いてきましたので、ここでは省略しますが、中には、そういう意識のない先生も、いると
いうことです。

 あなたには信じられないような話かもしれませんが、一つ、こんな事実を、暴露しましょう。数
年前、その先生はなくなりましたので……。

 私が幼児教育の世界に入ったとき、私は知らなかったのですが、裏で、私を推薦してくれた
女の先生(当時、四五歳くらい)がいました。当時の園長に、「林先生は、いい先生だ」と言って
くれたのです。

 それについては、たいへん感謝していますが、そのあと、何かにつけて、その先生は、私に
恩を売りつけ、金品を、要求してきました。

 私がその先生のうちに、遊び呼ばれたときのことです。「あんたね、だれのおかげで、今、先
生していられると思うの? それなりのちゃんとしたものをもって、礼に来るべきよ」と。

そのときは何だろうと思って、そのまま終わりましたが、あとで別の先生に、「それなりのも
の?」と、聞くと、その先生は、こう教えてくれました。「一〇万円※が、相場でしょうねえ」と。

 そういう世界です。信じられますか? 

 一方、こうした教師の指導に、頭を悩ませている園長(経営者)も、多いです。本当に多いで
す。どこの幼稚園でも、そうではないでしょうか。

 実に不愉快な話をしましたが、一つの参考意見として、このメールを、お考えください。もちろ
ん、そうでない先生も、それ以上にたくさん、います。そうでない幼稚園も、それ以上に、たくさ
ん、あります。そういう先生がいることを信じて、C幼稚園へ移動なさることを、私は、お勧めし
ます。
(031031)

※……この時代、市議会議員などに何か相談するにしても、一〇万円という謝礼が相場でし
た。学校区の変更、転校の手続きなど。同じように、就職の口利き代も、一〇万円というのが、
相場でした。

幼稚園の教師というのは、縁故採用が多かったので、こういう口利きが、日常的になされてい
たようです。たった三五年前ですが、日本はまだ、そういう時代だったのですね。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(304)

その後の、孫論

 二男夫婦が、アメリカへもどって、二週間になる。もちろん孫も、もどった。この間、大きな心
境の変化は、ない。どこかほっとしたような気分は、そのままだ。

 しかし今朝、その二男が、子どものころの夢を見た。幼稚園の年長児くらいではなかったか。
心のやさしい子どもだった。幼稚園でも、いつもほかの子どもが乗った三輪車を、うしろから押
していた。

 ある朝、私が、「たまには、だれかに押してもらったら……」と声をかけると、「ぼくは、このほ
うが楽しい……」と。

 こうした生活態度は、高校を卒業するまでつづいた。頼まれれば、いやと言えない性分だっ
た。いつも、何かのことで、他人のために動いていた。内容は、忘れたが、そういうやさしさが、
心に伝わってくるような夢だった。

 さて、孫についてだが、今でも、あまりかわいさが、わからない。世間の人が、「お孫さんは、
かわいいでしょう」と言えば言うほど、「?」と、私は思ってしまう。それには、こんな事件があっ
た。

 孫の誠司を、私の書斎へ連れてきたときのこと。私の書斎は、二階の一部屋にある。そのと
き私は、誠司のために、何かの絵を描いていた。その瞬間、本当に、瞬間だった。ふと横を見
ると、誠司が階段の踊り場のところに立っているではないか。

 私はとっさに飛び跳ねると、誠司に抱きついた。あと数秒、あるいは、ほんの一、二秒、気が
つくのが遅れていたら……。私は、心底、ゾーッとした。本当に、ゾーッとした。
 
 私はそのまま誠司を抱きかかえ、一階の食堂にいた、二男夫婦に、誠司を手渡した。本当
に、間一髪だった。冷や汗をかいた。が、その話は、しなかった。で、そのときから、誠司の世
話をするのが、恐ろしくなった。

 「自分の子どもなら、ここまで神経をつかわないだろう」と、以前、コラムの中で書いたが、そ
のときからは、本当に神経をつかった。今、ほっとしている気持ちは、そういうところから生まれ
ているのかもしれない。

 で、今は、誠司には、あまり会いたいという気持ちはない。どうせ会えないという気持ちも、あ
る。二男は自分から去っていった、恋人のようなものかもしれない。が、さらに分析すると、お
かしな現象が起きているのを知った。

 今、私の教室に、Kさんという母親が、年長児の女の子をつれて、通ってきている。そのKさ
んが、ちょうど同じころ、つまり誠司が生まれたのと同じころ、下の子どもを産んだ。私はいつ
も、そのKさんの下の子を見ながら、「うちの孫も……」と考えていた。

 そのせいかどうかは知らないが、どういうわけか、そのKさんの下の子どものほうが、かわい
く思える。先週も、その下の子をみかけたとき、思わず抱きたくなった。心理学の世界にも、
「転移」※という言葉がある。少し意味が違うかもしれないが、誠司に対する思いが、そのKさ
んの下の子に転移してしまったためかもしれない。

 もっとも、だからといって、誠司に対する愛情がないわけではない。もし、誠司に何かあれ
ば、命をかけて……というほど、大げさではないにしても、それに近い形で、誠司を守るだろう
と思う。そういう意識はある。しかし今の段階では、やはりほっとしている。このまま何ごともな
ければ、何もないままで終わってほしいと願っている。

 しかしやはり、「距離」というのは、恐ろしいものだ。いくらそういう時代ではないといっても、日
本とアメリカでは、遠すぎる。何かあっても、すぐ飛んでいける距離ではない。反対に、飛んでき
てくれる距離でもない。そういう「思い」が、親子の絆(きずな)そのものを、薄くしてしまっている
のかもしれない。

 先日も、ワイフにこう言った。

 「昔は、養子にやると言ったが、二男は、その養子以上に、他人の子どもになったような気分
だ。自分の子であって、もう自分の子ではないような、ほとんど他人に近い他人のようにさえ見
える」と。

 関係だけではない。二男は、私がもっている感情とは、まったく異質の感情も、もち始めてい
る。食べ物の嗜好まで、変わってきている。それに、二男は、クリスチャンになってしまった。私
という人間を理解しようとする前に、私そのものを、否定し始めている。

 何かにつけて、嫁さんの父親(アメリカ人)とくらべて、「パパは、ここがおかしい」「あそこがお
かしい」と言う。私は、日本人だ。アメリカ人ではない。思わず、「そんなにアメリカ人の父親が
いいのなら、向こうの父親を、真の父親と思え」とさえ、言いそうになったこともある。

 ……こうした思いが、複雑に心の中で、ウズを巻く。しかし、そこは、『許して、忘れる』。さっそ
く、今朝、二男のホームページに、書き込みをした。

 「いつでも、また、来たくなったら、日本へ来い。いっしょに、またおいしいものを、食べよう。
奥さんや、誠司に、よろしく」と。

 親として、祖父として、この先、私の心境がどう変化してくか、実のところ、私にも、まったくわ
からない。しかしあとは、自然の成り行きに任せるしかない。飾ることもないし、無理をすること
もない。どこまでいっても、私は私なのだ。

 このつづきは、またいつか……。
(031031)

※転移……幼いころ、いつか、ある特定の人にもっていた感情を、自分を治療する治療者に
向けることを転移という。精神分析の世界では、こうした転移をうまく利用して、患者の内面世
界を外に引き出し、治療にあたるという。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩

 
子育て随筆byはやし浩司(305)

男は純情

 「男と女は、違う」と、ワイフは言う。「女は、男より、打算的で、ドライ」と。

 私の恩師のT教授の、奥さんは、T教授が五〇歳くらいのときに、なくなっている。それから約
30年。T教授は、八〇歳を過ぎたが、独身のまま。最近になって、T教授は、こうメールで書い
てきた。

 「あの世へ行ったら、死んだワイフに、こう言ってやりますよ。『長い間、待たせたね。ごめん
ね』と」と。

 この話を、私のワイフに言うと、私のワイフは、こう言った。

 「どうして、男って、そうも、オメデタイの?」と。話を聞くと、こう言った。

 「私なら、あの世で、三〇年も待っていないわよ。さっさと、再婚するわよ」と。

 ナルホド!

 そこで私は、こんなエピソードを、ワイフに話した。

 私が高校生のときのこと。街の中を自転車で走っていると、Iさんという女の子が、声をかけて
きた。「電車に乗り遅れるから、駅まで、乗せてってエ!」と。

 Iさんは、同じ、コーラス部の女の子だった。好きではなかったが、好意は感じていた。彼女の
クラスでも、一番人気の美人だった。

 私はIさんを、うしろの荷台に乗せると、そのまま駅まで走った。

 そのときのこと。Iさんが、私の体に手を回した。胸のふくらみも、感じた。私はIさんに、強烈な
「女」を感じた。同時に、私は、Iさんが、私に好意をもっていると、思った。

 しかしそう思ったのは、私だけだった。

 それから一〇年近くしたあと、同窓会でIさんに会った。横にすわってしばらく話してみたが、I
さんは、そのときのことを、まったく覚えていなかった。もちろん私のことも、まったく気にしてい
なかった。

 そのことをワイフに話すと、「女って、そういうものよ」と笑った。

私「しかし、ぼくの体に手を回したよ。それに胸も押しつけてきたよ」
ワ「あんたを、男と意識しなかったからよ」
私「そんなバカな。ぼくは、ムラムラと感じたよ」
ワ「しかし、女は、そういうことでは、感じないわ」
私「男が、チンチンをこすりつけるようなものだよ」
ワ「あら、気持ち悪い。ヘンタイよ。男が、そんなことすれば……」
私「少しは、ぼくに気があったのかもしれない」
ワ「そうじゃないと思うわ。そのIさんね、そういうことが平気でできる、ただの遊び人だったの
よ。きっと……。あんただけではなく、いつも、いろいろな男と、そうしていたのよ。だから、あん
たのこと、忘れたのよ」
私「でも、ぼくには、そうでなかった。ずっとあの日のことを、考えていた」
ワ「だから、男は、純情なのよ」
私「女には、そういうことはないのか?」
ワ「ないでしょうね。もっとも、初恋の人とか、そういう人は別だけど……」と。

 そう言えば、私も、大学時代に好きだった女性を、記憶の中から消すのに、それから一〇年
近くもかかった。今でも、ときどき、夢に出てくる。しかしそう思っているのは、私だけ? その彼
女は、とっくの昔に、私のことを忘れている。少なくとも、ワイフは、そう言う。

 で、T教授への返事には、ワイフの言った言葉は書かなかった。そんなことを書いたら、T教
授は、ショックを受けて、本当に寝込んでしまうかもしれない。だから、こう書いた。

 「先生、きっと奥さんは、あの世でちゃんと待っていてくれますよ。あわてないで、ゆっくり行っ
てくださいよ」と。
(031031)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


子育て随筆byはやし浩司(306)

性的エネルギー

 フロイトは、人間の生きる力(=リピドー)の原点は、性的エネルギーであると、説いた。(ユン
グは、これを否定したが……。念のため。)

 このことと、直接関係あるかどうかは知らないが、昔、こんな話を聞いたことがある。

 あのコカコーラは、最初、売れ行きがあまりよくなかった。そこでビンの形を、それまでのズン
胴から、女体の形に似せたという。胸と尻の丸みを、ビンに表現した。とたん、売れ行きが爆発
的に伸び、今のコカコーラになったという。

 同じように、ビデオも、インターネットも、当初、その爆発の原動力となったのは、「スケベ心」
だったという。そう言えば、携帯電話も、電子マガジンも、出会い系とか何とか、やはりスケベ
心が原動力になって、普及した?

 東洋では、そしてこの日本では、スケベであることを、恥じる傾向が強い。仮にそうであって
も、それを隠そうとする。しかし人間というのは、ほかの動物たちと同じように、基本的には、異
性との関係で生きている。つまりスケベだということ。

 人間は、この数一〇万年もの間、哲学や道徳のために生きてきたのではない。種族を後世
へ伝えるために生きてきた。「生き残りたい」という思いが、つまりは、スケベの原点になってい
る。だから、基本的には、人間は、すべてスケベである。スケベでない人間はいないし、もしス
ケベでないなら、その人は、どこかおかしいと考えてよい。

 問題は、そのスケベの中身。

 ただ単なる肉欲的なスケベも、スケベなら、高邁な精神性をともなった、スケベもある。昔、産
婦人科医をしている友人に、こんなことを聞いたことがある。

 「君は、いつも女性の体をみているわけだから、ふつうの男とは、女性に対して違った感情を
もっているのではないか。たとえばぼくたちは、女性の白い太ももを見たりすると、ゾクゾクと感
じたりするが、君には、そういうことはないだろうな」と。

 すると彼は、こう言った。「そうだろうな。そういう意味での、興味はない。ぼくたちが女性に求
めるのは、体ではなく、心だ」と。

 その友人には、おかしなことだが、愛人がいた。一説によると、同じドクターの中でも、一番愛
人をもっているのが、産婦人科医だそうだ。で、その友人に言わせると、「体を求めるためでは
なく、心を求めるために、女性と不倫をする」と。私には理解しがたい論理だが、彼は、そう言
った。

 たぶん、その友人がもつスケベ心は、ここでいう高邁な精神性をともなったスケベかもしれな
い。

 が、今度は、反対の立場で、私は、別の友人に、逆のことを言われた。彼は大学の同窓生で
ある。

 「林君は、毎日、若い母親たちと会っている。しかも子どもを介して、かなり近い立場で会って
いる。林君は、女性に対して、ぼくたちとは、違った感情をもっているのではないか」と。

 たしかに、それはある。しかし私は、こう答えた。

 「いつも、おいしそうな料理だけを、見せつけられているようなものだ。見るだけで、食べては
いけない。ただ見るだけだ。だからいつの間にか、感覚がマヒしてしまい、相手を母親と意識し
たとたん、『女』を感じなくなってしまった」と。

 私はいつも、母親たちの前では、「先生」である。ひょっとしたら中には、私を、牧師か僧侶の
ように思っている人もいるかもしれない。そういう視線を、反対の立場で感ずることがある。

 だからいつしか私は、そういう親たちの期待(?)に答えるようになった。しかしこうした仮面
(まさに仮面だが……)をかぶることは、かなり神経をすり減らす。疲れる。ときどき、その重圧
感を、うっとおしく思うこともある。

 では、私にとっての性的エネルギー(リピドー)は、何かということになる。

 私は、それはひょっとしたら、若いころの、不完全燃焼ではないかと思うようになった。私は若
いころは、勉強ばかりしていた。大学時代は、同級生は、全員、男。まったく女気のない世界だ
った。その前の高校時代は、さらに悲惨だった。私は、まさに欲求不満のかたまりのような人
間だった。

 だから心のどこかで、いつも、チクショーと思っている。その思いは、いまだに消えない。そし
てそれが、回りまわって、今の私の原動力になっている? そう言えばあの今東光氏も、昔、
私にそう話してくれたことがある。彼もまた、若いころは、修行、修行の連続で、青春時代がな
かったと、こぼしていた。

 何はともあれ、私たちは、いつも、異性を意識しながら生きている。男がかっこうを気にした
り、女が化粧をしたりするのも、原点は、そこにある。そしてそういう原点から、それぞれが、つ
ぎのステップへと進む。あらゆる文化は、そうして生まれた。哲学にせよ、道徳にせよ、あくまで
も、その結果として生まれたに過ぎない。

 さあ、世の男性諸君よ。女性諸君よ。スケベであることを、恥じることはない。むしろ、誇るべ
きことである。もし、心も体も、健康なら、あなたは、当然、スケベである。もしあなたがスケベで
ないなら、心や体が病んでいるか、さもなければ、死んでいるかのどちらかである。

 あとはそのスケベ心を、うまく昇華すればよい!
(031101)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


子育て随筆byはやし浩司(307)

山荘にて、11月1日

 今日は、大きな木を二本、切るために、家からノコギリをもってきた。しかし山荘に着くと、ワ
イフが、こう言った。

 「今日は、やめたほうがいいわ。ハチがいっぱい、飛んでるから……」と。

 見ると、足長バチが、玄関先だけでも、四〜五匹も飛んでいた。秋のハチは、攻撃的になっ
ている。ハチの巣をさがしてみたが、わからなかった。こういうときは、作業は中止。

 で、昼食をとって、ビデオを見る。ケビン・コスナーの、『コーリング』。オカルト映画だったが、
できは、★(★一つ)。長〜イ、前置きだけの映画を見たような感じだった。電車に乗って、「い
つ走り出すのだろう」と思っているうちに、目的地へ着いてしまったような感じ。どこかもの足り
ない映画だった。ケビン・コスナーのファンであっただけに、少し、がっかり。

 で、そのあと、ワイフと、散歩。あたりは、めっきり秋らしくなっていた。携帯電話で、景色の写
真をとる。(その写真は、今度から、マガジンでも、配信できるようになった。↓をクリックしてみ
てほしい。)

■(秋の山の景色と、散歩の途中で見つけた、野花)■(試行中)

 気温は、夕方だったが、二五度もあった。どうりで暑いはず。ハチが飛んでいるはず。遠くで
ハンターの犬が、ワンワンとほえているのが聞こえる。あとは、野鳥の声と、やさしい風の音。
ユラユラとカーテンが、揺れている。のどかな昼さがりだ。

 今日の景色は、春がすみのように、全体が白いモヤで包まれている。あとで見てみないとわ
からないが、多分、写真もぼんやりとしたものになっていることだろう。いつかワイフが、同じよ
うな景色を見たとき、白内障になったみたいと言ったが、たぶん、それに近い写真になっている
と思う。

 今、時刻は、午後三時五分。ひんやりとした風が窓から入ってきた。こうしてぼんやりとパソコ
ンをたたいていると、睡魔が静かな波のように打ち寄せてくるのが、わかる。ときどき、はっと
我にかえって、キーボードをたたく。しかしこの気力も、いつまでつづくことやら……。

(この間、一〇分程度……)

 やはり眠くなった。横に、ボンボンベッドが置いてある。ここらで一眠りすることにする。そうい
えば、今朝は、朝五時に起きた。そして八時ごろ、電子マガジンの一一月八日号の配信予約
を入れた。昼寝をしていなかった。道理で、眠いはず……。

 では、またあとで……。
(031101)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(308)

【今週の幼児教室から……】

●すなおな子ども 
 
 年長児たちに、幽霊の絵を見せる。見せながら、「幽霊の書いた字を見たい?」と聞く。子ど
もたちは、「見たい、見たい」と言う。

 そこで私は、「そんな言い方ではだめだ。見たかったら、大声で、見・た・い!、と叫びなさい」
と教える。

 すると、子どもたちが、大声で、「見たい、見たい!」と叫ぶ。
 
 その状態で、ボヨヨン線で書いた、文字を見せる。「これは何と書いてあるかな?」と聞くと、
「こんばんは、だ!」と。

 私は、「こんばんは、ではない。こ〜ん〜ば〜ん〜は〜、だ」と教える。子どもたちは、たがい
にふざけあいながら、「こ〜ん〜ば〜ん〜は〜」と、声をふるわせながら、言う。

 いつもは、ここでレッスンは、ほかのテーマに移るのだが、ここでハプニングが起きた。

 Mさん(女児)が、こう言った。「どうして、幽霊は、そんな言い方をするの?」と。

私「それはね、うらみがあるからだよ」
M「うらみって?」
私「つまりね、捨てられた、女の焼きもちだよ」
M「焼きもちって?」
私「あら、君は、焼きもちを知らないの?」
M「知らない」

私「じゃあ、焼きもちって、どんなものか、教えてあげよう。いいかな。よく見ているんだよ」
M「うん……」

 そこで別の席にすわっていた、Kさんに向って、私は、「Kさん、ぼくね、あなたの好きだよ。今
度、いっしょに、遊園地へ行こうか」と声をかけてみた。Kさんは、キョトンとしている。

 再びMさんのほうを見ながら、

私「Mさん、今、どんな感じがした。ぼくがKさんに、好きと言ったとき、どんな感じがした? くや
しいと思った?」
M「うん、思った、思った。くやしいと思った」
私「それが、焼きもちだよ」
M「わかった、わかった。くやしかった」

私「さあ、そういう気持をこめて、もう一度、言ってみてごらん。こ〜ん〜ば〜ん〜は〜、と」
子どもたち「こ〜ん〜ば〜ん〜は〜」と。

 こういうレッスンができるのも、全参観授業だからだ。Mさんの母親も、Kさんの母親も、それ
を見ていた母親たちも、みな、笑った。

 すなおな子どもは、心を隠さない。心の中を、そのまま外に表現する。Mさんは、「くやしかっ
た」と、それを認めた。Mさんのような子どもを、すなおな子どもという。心がわかりやすく、その
ためその心をつかみやすい。何を考えているか、外からよくわかる。だから、教える側にして
も、たいへん教えやすい。

 私は私の指導の中で、いつも、子どもを、Mさんのような子どもにすることを、目ざしている。
(031101)

【追記】

 今週は、「文字」の学習をした。この時期は、子どもが、どんな文字を書いても、ほめる。ただ
ひたすら、ほめる。

 その中に、一人、R君(年中男児)がいた。R君は、ほかに何も問題はなかったが、どういうわ
けか、文字には興味を示さなかった。だから、まだ自分の名前すら、よく書けなかった。

 このタイプの子どもの指導では、とにかく文字は楽しいということだけを教える。またそれを徹
底して印象づける。

 が、その日、R君は、たどたどしい書き方だったが、何とか読めるひらがなで、自分の名前を
書いてみせた。私はすかさず、その書いた紙を空にあげ、みなの前で、ほめた。そしてみなに
手をたたかせた。

 R君は、よほどうれしかったのだろう。帰りの車の中で、母親にこう言ったという。「今日、ぼく
がほめられたことを、パパにちゃんと、話してよ」と。

 それから一週間、R君は、毎日、自分から進んで文字の書き方を、練習したという。

 子どもを伸ばすということは、子ども自身がもつ力を利用して、子ども自身が自ら、伸びるよう
にしむけること。これは幼児教育のイロハだが、R君は、まさにその正しさを、証明してくれた。

 ついでながら、どんな文字でも、子ども自身は、自分の書いた文字は、「じょうずな文字」と思
っている。自分の書いた文字の、じょうずへたを、この時期、客観的に判断できる子どもは、い
ない。

 だから子どもが、どんな文字を書いても、ほめる。そういう前向きな働きかけが、子どもを伸
ばす。

 さらについでながら、この時期、文字に対して、恐怖感を覚えている子どもは、約二〇%はい
る。家庭での無理な指導が、そういう子どもにする。また一度、そういう恐怖感を覚えてしまう
と、文字嫌い→国語嫌いと進み、その影響は、あらゆる科目に現れてくる。神経質な指導や、
こまごまとした指導は、控えめに。くれぐれも、注意してほしい。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(309)

生きることは、夢

 今朝、こんな、おかしな夢を見た。

 どこかの会場に、講演で、でかけた。夕刻七時から、ということになっていた。

 が、着いてみると、すでに講演は、終わっていた。そんなはずはない。会場へ入ると、うしろ
のほうで、一〇人近い人が、あと片づけをしていた。

私「林というものですが……。ここで、今夜、講演をすることになっています……」
人「ああ、今夜は、よかったですよ。ありがとうございました」
私「よかったって……? まだ何も、話していませんが……」
人「あら、先生も、冗談がお好きですこと……。もう先生の講演は、終わりました」
私「はあ……? 終わった?」
人「終わりました。もう時刻は、九時です」

 すると、その横にいた人が、ビデオをとっていたらしく、そのビデオを見せてくれた。小さな画
面だがそれを見ると、何と、私がしゃべっているではないか!

 たしかに私だ。私がしゃべっている!

人「ねえ、ちゃんと、うつっているでしょ!」
私「これ、私ですか? 本当に私ですか?」
人「そうですよ。先生ですよ。先生が、講演をしてくれました……。ありがとうございました」と。

 今、私は、その夢のことを考えている。考えながら、何が「今」で、何が「今」でないかを考えて
いる。少しわかりにくい話になるかもしれないが、こんなふうに、考えている。

++++++++++++++

 私のような現実主義者には、過去も、未来も、夢のようなもの。あるいは夢と、どこがどうちが
うというのか。生きていること自体、「今」という時をのぞけば、まさに夢のようなもの。

 あなたの子どもは、一〇年前、二〇年前には、どこにいた?
 三〇年前、四〇年前には、どこにいた?

 今は、死んだ、あの人を思いやってみればよい。
 あの人は、今、どこにいる? どこに消えた?

 あなた自身は、どうか?
 あなたは、どこにいた?
 そして死んだら、どこに行く?

 この世界、この宇宙、すべてが、今、ここにあるのは、
 あなたが、今、ここにいるからではないのか?

 もし、あなたが死ねば、あなたは、どうやって、
 この世界、この宇宙を、知ることができるのか?

 あなたが死ねば、同時に、この世界、この宇宙は、消える。
 あとかたもなく、消える。
 そして無限の闇、無限の時の流れの中へと、
あなたは、消えていく。

 あの世があるのか、ないのか、
 本当のところは、私にもわからない。

 しかし、あれば、もうけもの。
 あればいいなとは、思うが、しかし、
 そんなあやふやなものを期待して、
 「今」を、犠牲にすることもできない。

 私にとっては、「今」がすべてなのだ。
 この今の中で、懸命に生きる。
 それがすべてなのだ。

 私は過去に、たくさんの講演をしてきた。
 無数の人たちに、話をしてきた。

 しかし、それはすべて、私にとっては、夢。
 あるいは夢の中の講演と、どこがどうちがうというのか?
 
 これからも、体力と、気力がつづくかぎり、
 そして依頼があるかぎり、講演をする。

 しかしそれはすべて、夢。
 あるいは夢の中の講演と、どこがどうちがうというのか?

 私たちは、「夢」の中から目覚め、「今」を生き、そしてまた「夢」の中へともどっていく。ひょっ
としたら、長く見える人生かもしれないが、この宇宙という尺度からみれば、瞬間の、そのまた
瞬間にすぎない。

 あるいはひょっとしたら、地球が、宇宙の中心にあると思う人もいるかもしれない。が、この地
球は、実際には、気が遠くなるほど、広大な宇宙の片隅にある、チリのようなもの。この宇宙に
は、中田島砂丘(浜松市の南にある砂丘。日本の三大砂丘のひとつ)の砂粒の数と同じくらい
の数の、太陽のような星があるという。地球は、その一粒の、そのまわりを回っている、チリの
ようなものでしかない。

 もちろんだからといって、生きることがつまらないとか、その地球に住む、人間がつまらないと
か、そんなことを言っているのではない。

 ただ、あのS・ホーキング博士は、こんなことを言っている。「私たちのまわりには、この宇宙
と同じ宇宙が、そこにも、ここにも、これまた無数に存在する」と。

 私には理解できない世界だが、一次元(点の世界)、二次元(線の世界)、三次元(空間の世
界)、四次元(時間の世界)……と、広げていくと、現在では、一〇次元、一一次元の世界ま
で、理論上は、存在するという。ホーキング博士は、そういった世界の話をしているらしい。

 私たちは、四次元の世界で、「今」を生きている。しかしひょっとしたら、その「今」の向こうに、
さらに別の「今」があるかもしれない。さらにその向こうにも……。さらにその向こうにも……。

 今、それがわからないからといって、その向こうにある「今」まで否定してはいけない。人間
は、あまりにも無知だし、まだ知らないことも、山のようにある。だからひょっとしたら、あの世は
あるかもしれない。ないと断言することは、だれにも、できない。

 しかし……。

いつかニュートンが言ったように、私たちは、大海を目の前にして、海辺で遊ぶ子どものような
ものかもしれない。目の前に、大海があるのに、その大海があることにさえ、気づかないでいる
……?

+++++++++++++++++

 私はその夢の中で、講演をしたのだろうか。あるいはしなかったのだろうか。もともと夢の中
の世界のことだから、私は、講演など、していない。となると、私が、過去にしてきた、講演は、
どうなるのか。……どう考えたら、よいのか。

 過去も「夢」としてしまうと、私は、講演など、していなかったことになる。しかし夢の中で、ビデ
オを見せられたように、記録は、残っている。実際、ビデオをとった人もいる。見せてくれた人も
いる。

 同じように考えていくと、仕事をしたことは、どうなのか。家族と、旅行したことは、どうなの
か。無数の人たちに会ってきたことは、どうなのか。さらに、過去に生きてきたことは、どうなの
か。

 すべてが、夢なのか。あるいは夢だったのか。もしそうなら、今、私がここに生きていることさ
え、夢ということになってしまう! あああ! どうしたらよいのか。何が、なんだか、さっぱり、
わけがわからなくなってしまった。超難解な、数学の問題を前にして、頭の中が、まっ白になっ
たような気分だ。

 途中で投げ出すようで申しわけないが、この問題は、ここまで。今日は、頭の調子も、あまり
よくない。自分でも、わけがわからなくなってしまった。

 ただ言えることは、今朝、いろいろと考えさせられる夢を見たこと。その夢について、考えて
みたこと。このつづきは、またの機会に……。ごめん!

 (実のところ、先ほどから、お隣さんが、またまた宝石の研磨を始めた。ギリギリ、ガリガリとう
るさくてしかたない。どうして日本人は、こうまで騒音に無頓着なのか? これから居間へ行っ
て、お茶でも飲んでくる。)
(031102)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
 
子育て随筆byはやし浩司(310)

掛川城へ行く

 今日は日曜日。「どこかへ行こうか?」と声をかけると、ワイフが、「うん」と言った。そこであ
れこれ迷ったあと、掛川市へ掛川城を見に行くことにした。

 車で市内まで。そこで私の駐車場に車を置き、電車で、掛川市に向う。旅費は、片道、四八
〇円(一人分)。時間は、三〇分ほど。

 昼ごろ、到着。そのまま掛川城へ歩き始める。日曜日だというのに、閑散とした商店街。空腹
をこらえながら、歩く。今朝は、朝食を抜いた。このところ、やや太り気味。が、それにしても、
空腹だった。二人で歩きながら、話すのは、食事のことばかり。

 「ソバにしようか?」
 「寿司にしようか?」
 「定食にしようか?」と。

 城の下まで行く。そしてあの急な石段を見て、思わず、こう叫ぶ。「腹が減って、フラフラだ。
食事を先にしよう!」と。ワイフは、すぐ同意した。

 そこで少しもどって、Yという食堂に入る。昼時というのに、客は、私たちだけ。何となく、心細
くなる。で、私は、サシミ定食。ワイフは、天ぷら定食を注文する。値段は、一二〇〇円。「高
い」と思った。

 が、食べ終わったところで、睡魔。私は、おなかがふくれると、眠くなる。しかし眠るわけには
いかない。眠気を押し殺して、また通りに出る。

 掛川城のまわりも、そして中も、急な階段と石段ばかり。結構、ハードな運動になった。ワイフ
は、さかんに掛川城の歴史を調べていたが、私には、あまり興味がなかった。徳川家康だろう
が、織田信長だろうが、そんな名前だけの歴史に、どれほどの意味があるというのか。

 私は内心で、「この城を攻撃するには、どこから、どのような武器を使えばよいか」を考えてい
た。「最近の機関銃、一〇丁もあれば、こんな城、一日でつぶせる」とも。小さな城にしては、堀
が深く、大きいと思った。「この堀を越えるには、どうしたらいいのか」とも。

 が、そのあと、こんなことも考えた。「こんな城、落としたところで、それがどうだというのか。三
〇〇年後、四〇〇年後の連中が、『はやし浩司が攻落した』と記録にとどめたところで、それが
どうしたというのか」と。

 帰りは、隣接の美術館へ寄った。数は少なかったが、結構、よい作品が並んでいた。「さすが
だな……」と思いつつ、見て回ったが、私は、その中の一枚が、とくに気にいった。ワイフも、
「あら、この絵、あなたの描き方と、そっくり」と言った。

 私はその絵に見とれた。携帯電話で写真もとった。どこにも、「写真撮影をするな」とは、書い
てなかった。

 「この絵は、不思議な絵だ。見ていると、広い空間の中に吸い込まれていくような感じがする」
と、私。しばし、呆然と、その絵の前に立つ。一枚の絵に、これほどまでに感激したのは、最近
では、ないことだった。

 「ぼくも、画家になったら、こういう絵をめざしただろうな」と言うと、ワイフも、うなずいてくれ
た。

 そのあとは、城主が住んだという、御殿を見学した。美術館の南側にあった。私は、トイレを
さがしたが、どこにも見つからなかった。見落としたのかもしれない。どういうわけか、私は、昔
のトイレに、興味がある。

 「お殿様たちは、どこでしていたのかね?」
 「トイレでしょ」
 「でも、そのトイレがない……」
 「どこか、見えないところよ」と。

 帰りは、逆のコースで、歩いてきた。途中、葛湯(くずゆ)を売っている店に立ち寄った。掛川
市は、その葛湯で知られている。もちろん、掛川茶の産地としても、よく知られているが……。

 店の女性に、「一個、九〇円のものが、どうして六個で、六〇〇円なのですか」と声をかける
と、「包装代がかかるからです」と。

 この「?」が、一〇個くらいつく返答に、私たちは笑ってしまった。もちろん私たちは、バラで六
個、買った。代金は、五四〇円!

 結構、楽しい、旅だった。ワイフが、「今度は、富士宮へ、焼きそばを食べに行こう」と言っ
た。今度は、私が、同意した。
(031102)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
 
子育て随筆byはやし浩司(311)

アホな日本人

 中国のどこかの大学で、日本人の留学生たちが、裸踊りをしたという。それでそのあと、連
日、それに対する抗議のデモがつづき、昨日は、とうとう、日本料理店まで、襲撃されるという
事件にまで、発展してしまった。

 こういう事件を見ていると、日本人は、どこまでバカなのかと思う。アホなのかと思う。「日本
人は、退化している。ケータイ電話をもった、サル」と酷評している人もいる。事実、その裸踊り
をした連中は、サルに近い。いや、サルだって、そんなアホなことはしない。

 理由の第一。いかに日本人が、アジア諸国で嫌われているか、それがまったく、わかってい
ない。またなぜ嫌われているか、それも、まったく、わかっていない。

 相手の文化への理解もなければ、畏敬(いけい)の念すら、ない。あのね、日本のサルたち
よ、中国には、五五〇〇年の歴史があるのよ。中国から日本を見れば、日本は、ただの島
国。しかも戦争中、日本軍は、百万人単位の、中国人を殺している。

 以前、書いた、私の原稿(中日新聞掲載済み)を、紹介しよう。

+++++++++++++++++

処刑になったタン君

●日本人にまちがえられたタン君

 私の一番仲のよかった友人に、タン君というのがいた。マレ−シアン中国人で、経済学部に
籍をおいていた。最初、彼は私とはまったく口をきこうとしなかった。ずっとあとになって理由を
聞くと、「ぼくの祖父は、日本兵に殺されたからだ」と教えてくれた。

そのタン君。ある日私にこう言った。「日本は中国の属国だ」と。そこで私が猛烈に反発する
と、「じゃ、お前の名前を、日本語で書いてみろ」と。私が「林浩司」と漢字で書くと、「それ見ろ、
中国語じゃないか」と笑った。

そう、彼はマレーシア国籍をもっていたが、自分では決してマレーシア人とは言わなかった。
「ぼくは中国人だ」といつも言っていた。マレー語もほとんど話さなかった。話さないばかりか、
マレー人そのものを、どこかで軽蔑していた。

 日本人が中国人にまちがえられると、たいていの日本人は怒る。しかし中国人が日本人にま
ちがえられると、もっと怒る。タン君は、自分が日本人にまちがえられるのを、何よりも嫌った。
街を歩いているときもそうだった。「お前も日本人か」と聞かれたとき、タン君は、地面を足で蹴
飛ばしながら、「ノー(違う)!」と叫んでいた。

 そのタン君には一人のガ−ルフレンドがいた。しかし彼は決して、彼女を私に紹介しようとし
なかった。一度ベッドの中で一緒にいるところを見かけたが、すぐ毛布で顔を隠してしまった。
が、やがて卒業式が近づいてきた。

タン君は成績上位者に与えられる、名誉学士号(オナー・ディグリー)を取得していた。そのタン
君が、ある日、中華街のレストランで、こう話してくれた。「ヒロシ、ぼくのジェニ−は……」と。喉
の奥から絞り出すような声だった。「ジェニ−は四二歳だ。人妻だ。しかも子どもがいる。今、
夫から訴えられている」と。そう言い終わったとき、彼は緊張のあまり、手をブルブルと震わし
た。

●赤軍に、そして処刑

 そのタン君と私は、たまたま東大から来ていた田丸謙二教授の部屋で、よく徹夜した。教授
の部屋は広く、それにいつも食べ物が豊富にあった。

田丸教授は、『東大闘争』で疲れたとかで、休暇をもらってメルボルン大学へ来ていた。教授は
その後、東大の総長特別補佐、つまり副総長になられたが、タン君がマレ−シアで処刑された
と聞いたときには、ユネスコの国内委員会の委員もしていた。

この話は確認がとれていないので、もし世界のどこかでタン君が生きているとしたら、それはそ
れですばらしいことだと思う。しかし私に届いた情報にまちがいがなければ、タン君は、マレ−
シアで、一九八〇年ごろ処刑されている。タン君は大学を卒業すると同時に、ジェニ−とクアラ
ルンプ−ルへ駆け落ちし、そこで兄を手伝ってビジネスを始めた。

しばらくは音信があったが、あるときからプツリと途絶えてしまった。何度か電話をしてみたが、
いつも別の人が出て、英語そのものが通じなかった。で、これから先は、偶然、見つけた新聞
記事によるものだ。

その後、タン君は、マレ−シアでは非合法組織である赤軍に身を投じ、逮捕、投獄され、そして
処刑されてしまった。遺骨は今、兄の手でシンガポ−ルの墓地に埋葬されているという。田丸
教授にその話をすると、教授は、「私なら(ユネスコを通して)何とかできたのに……」と、さかん
にくやしがっておられた。

そうそう私は彼に、で会ってからというもの、「私は日本人だ」と言うのをやめた。「私はアジア
人だ」と言うようになった。その心は今も私の心の中で生きている。

+++++++++++++++++

 バラエティ番組に代表される、低俗、軽薄テレビ文化。見るからにノータリンな、タレントたち
が、ギャーギャーと、意味もないことをペラペラとしゃべりながら、騒いでいる。

 ああいう番組を、おもしろいと思って制作する、テレビ局。そしてああいう番組を、おもしろいと
思って見る、視聴者。その間には、一片の知性もなければ、理性もない。しあしそれにしても、
よくもまあ、ああまでアホヅラのタレントたちばかりが、そろいに、そろったものだ。

 ……と書いても、本当のところは、意味がない。私はこうした日本人が生まれる背景には、ゆ
がんだ日本の教育があると思っている。

 日本の教育の最大の欠陥は、自分で考える子どもを、育てていないこと。すべてが、この問
題に、行き着く。

 たとえば、いまだに、計算力がある子どもは、算数の力があると思いこんでいる親は、多い。
漢字をよく知っているから、国語力があると思いこんでいる親は、多い。よくしゃべり、ものをよ
く知っているから、頭がよいと思いこんでいる親は、多い。

 さらに勉強がよくできるから、人格がすぐれていると思い込んでいる親は、多い。

 しかしこれらは、すべてウソ! まったくのウソ!

 人間は、考えるから人間なのだ。そしてその人間の価値は、まさに考えることで、決まる。

 日本人よ、日本の親たちよ、どうして、こんな簡単なことがわからないのか?

 少し前だが、こんな原稿を書いたことがある。

+++++++++++++++++

アメリカの大学生

 たいていの日本人は、日本の大学生も、アメリカの大学生も、それほど違わないと思ってい
る。また教育のレベルも、それほど違わないと思っている。しかしそれはウソ。恩師の田丸先
生(東大元教授)も、つぎのように書いている。

 「アメリカで教授の部屋の前に質問、討論する為に並んで待っている学生達を見ると、質問
がほとんどないわが国の大学生と比較して、これは単に風土の違いで済む話ではないと、愕
然とする」と。

 こうした違いをふまえて、さらに「ノーベル化学賞を受けられた野依良治教授が言われてい
る。『日米の学位取得者のレベルの違いは相撲で言えば、三役と十両の違いである』と」とも
(〇二年八月)。もちろん日本の学生が十両、アメリカの学生が三役ということになる。

 私の二男も〇一年の五月に、アメリカの州立大学を学位を取って卒業したが、その二男がそ
の少し前、日本に帰国してこう言った。

「日本の大学生はアルバイトばかりしているが、アメリカでは考えられない」と。アメリカの州立
大学では、どこでも、毎週週末に、その週に学んだことの試験がある。そしてそれが集合され
てそのままその学生の成績となる。そういうしくみが確立されている。

そのため教える側の教官も必死なら、学ぶ側の学生も必死。学科どころか、学部のスクラップ
アンドビュルド(廃止と創設)は、日常茶飯事。教官にしても、へたな教え方をしていれば、即、
クビということになる。

 ここまで日本の大学教育がだらしなくなった原因については、田丸先生は、「教授の怠慢」を
第一にあげる。それについては私は門外漢なので、コメントできないが、結果としてみると、驚
きを超えて、あきれてしまう。

私の三男にしても、国立大学の工学部に進学したが、こう言っている。「勉強しているのは、理
科系の学部の学生だけ。文科系の学部の連中は、勉強のベの字もしていない。とくにひどい
のが、教育学部と経済学部」と。理由を聞くと、こう言った。「理科系の学部は、多くても三〇〜
四〇人が一クラスになっているが、文科系の学部では、三〇〇〜四〇〇人が一クラスがふつ
う。ていねいな教育など、もとから期待するほうがおかしい」と。

 日本の教育は、文部省(現在の文部科学省)による中央管制のもと、権利の王国の中で、安
閑としすぎた。競争原理はともかくも、まったく危機感のない状態で、言葉は悪いが、のんべん
だらりと生きのびてきた。

とくに大学教育では、教官たちは、「そこに人がいるから人事」(田丸先生)の中で、まさにトコ
ロ天方式で、人事を順送りにしてきた。何年かすれば、助手は講師になり、講師は助教授にな
り、そして教授へ、と。それはちょうど、水槽の中にかわれた熱帯魚のような世界と言ってもよ
い。温度は調整され、酸素もエサも自動的に与えられてきた。田丸先生は、さらにこう書いてい
る。

 「私の友人のノーベル賞候補者は、活発な研究の傍(かたわ)ら、講義前には三回はくり返し
練習をするそうである」と。

 日本に、そういう教授はいるだろうか。

 グチばかり言っていてはいけないが、いまだに文部科学省が、自分の権限と管轄にしがみつ
き、その範囲で教育改革をしようといている。もうそろそろ日本人も、そのおかしさに気づくべき
ときにきているのではないのか。

明治の昔から、日本人は、そういうのが教育と思い込んでいる。あるいは思い込まされてい
る。その結果、日本は、日本の教育はどうなった? いまだに大本営発表しか聞かされていな
いから、欧米の現状をほとんど知らないでいる。中には、いまだに日本の教育は、世界でも最
高水準にあると思い込んでいる人も多い。

 日本の教育は、今からでも遅くないから、自由化すべきである。具体的に、アメリカの常識を
ここに書いておく。

(1)アメリカの大学には、入学金だの、施設費だの、寄付金はいっさいない。
(2)アメリカの大学生は、入学後、学科、学部の変更は自由である。
(3)アメリカの大学生は、より高度な教育を求めて、大学間の移動を自由にしている。つまり大
学の転籍は自由である。
(4)奨学金制度、借金制度が確立していて、アメリカの大学生は、自分で稼いで、自分で勉強
するという意識が徹底している。
(5)毎週週末に試験があり、それが集合されて、その学生の成績となる。
(6)魅力のない学科、学部はどんどん廃止され、そのためクビになる教官も多い。教える教官
も必死である。教官の身分や地位は、保証されていない。
(7)成績が悪ければ、学生はどんどん落第させられる。

 日本もそういう大学を、三〇年前にはめざすべきだった。私もオーストラリアの大学でそれを
知ったとき、(まだ当時は日本は高度成長期のまっただ中にいたから、だれも関心を払わなか
ったが)、たいへんなショックを受けた。

ここに「今からでも遅くない」と一応、書いたが、正直に言えば、「遅すぎた」。今から改革して
も、その成果が出るのは、二〇年後? あるいは三〇年後? そのころ日本はアジアの中で
も、マイナーな国の一つとして、完全に埋もれてしまっていることだろう。

田丸先生は、ロンドン大学の名誉教授の森嶋通夫氏のつぎのような言葉を引用している。

「人生で一番大切な人間のキャラクターと思想を形成するハイテイーンエイジを入試のための
勉強に使い果たす教育は人間を創る教育ではない。今の日本の教育に一番欠けているのは
議論から学ぶ教育である。日本の教育は世界で一番教え過ぎの教育である。自分で考え自分
で判断するという訓練がもっとも欠如している。自分で考え、横並びでない自己判断のできる
人間を育てる教育をしなければ、二〇五〇年の日本は本当にだめになる」と。 

問題は、そのあと日本は再生するかどうかだが、私はそれも無理だと思う。悲観的なことばか
り書いたが、日本人は、そういう現状認識すらしていない。とても残念なことだが……。

++++++++++++++++++++

 中国で今、起きていることは、まさに残念としか、言いようがない。しかしこういう事件が起き
たからといって、日本人が、それで利口になるとは、とても思われない。 
 
 では、私たちは、どうしたらよいのか。

 それについて、少し、話がそれるが、こんな原稿を書いたこともある。裸踊りは、何も、今に
始まったことではないのだ。

+++++++++++++++++++
 
ハレンチ番組

 〇二年の一一月三日、M大学で、民主党の鳩山由紀夫代表が講演をしていたときのこと。
一時間ほどしたところで、聴衆の中から、突然、「コーラスを捧げたい」と申し出があり、その連
中が、二曲歌を歌ったという。

で、大学側が調べたところ、このコーラスはNテレビのバラエティー番組製作の一環と判明し、
スタッフは「取材」と称して会場に入っていたことがわかった。

この事件に対して、大学側は、学部長名で日本テレビに抗議するとともに、陳謝と放送の中止
を求めることを決定した。また、事態を知らずに巻き込まれた民主党の鳩山代表も、「視聴率
稼ぎのために、人の心をズタズタにする行為を平気で行うことに断固抗議してまいりたい」と 放
送中止を求めたという(TBS・inews より)。

 カメラがうしろにあれば何をしてもよいという傲慢さ。これは今のテレビ界がもつ、共通の傲
慢さと言ってよい。先日もこんな番組があった。

 二人のお笑いタレントが、地方を旅し、突然、その家にあがりこみ、昼食や夕食をその家の
家人にもらって食べるという番組であった。

私が見たときは、その家の妻が、夫のために用意しておいた昼食を、一人のタレントが、何だ
かんだと理由をつけて食べるところであった。一見、ほほえましい番組に見えたが、私はその
番組を見ているうちに、何とも言われない不快感に襲われた。

もしあなたが、個人の立場でそんなことをすれば、即、その家から追い出されるであろう。警察
に逮捕されるかもしれない。あるいは地方のテレビ局が、無名のタレントを連れて、東京へ行
ったら、東京の人は、同じように、その地方の人を迎えてくれるとでもいうのだろうか。

 こうした傲慢さの背景にあるのは、地方の人の、都会コンプレックス。それにマスコミコンプレ
ックスがある。この浜松市でも、東京からきたというだけで、何でもありがたがる傾向がある。

たとえば同じ講演でも、中央からきた講師だと、「東京から来た」というだけで、一回、三〇〜五
〇万円が相場。テレビなどで少し名の通った講師だと、一〇〇万円プラス旅費と宿泊費が相
場。タレントの世界には、「中央で有名になって、地方で稼げ」が、合言葉になっている!

 今回のM大学でのハレンチ事件は、こうした流れの中で起きた。あの低俗きわまりない連中
と、それを指揮する同じように低俗なプロデューサーとディレクター。こういう連中が一体となっ
て、起きた。

が、ここで忘れてならないのは、こうしたテレビ番組が、若者や子どもたちに与える影響は、想
像以上のものだということ。いくら学校という場で、良識を学んでも、そんなものは、こうした番
組の前では、ひとたまりもない。むしろ学校教育そのものが、逆に破壊されることだってある。

 こうしたテレビ局に、倫理や道徳を求めても、ムダ? もともとそういう人たちが、番組を作っ
ているのではない。また、本来なら、勇気ある有識者が、もっとこうしたマスコミのあり方を批判
してもよいはずなのだが、それはしない。批判すれば、テレビ界から追放されてしまう。テレビ
界から追放されたら、(あるいは嫌われたら)、「地方で稼ぐ」ということができなくなってしまう。

 もっと、みなさん、いっしょに賢くなろう。賢くなって、もっともっと中央に背を向けよう。そしても
っと中央を批判し、本物とニセモノを見分ける目をもとう。私たちはともすれば、中央から流さ
れてくる情報を、ただ一方的に受け止めるだけ。そして中央の意のままに、あやつられるだ
け。こんなことをしていたら、地方は、いつまでたっても、「地方、地方」とバカにされるだけ。

 M大学は、学長名で、Nテレビ局に抗議したというが、ひょっとしたらM大学にせよ、「テレビ
取材」ということで、飛びついたのではないか。シッポを振ったのではないか。今の大学に、こ
れは私立大学全般に言えることだが、こうしたハレンチ行為に抗議するだけの良識があると
は、とても思えない。だいたいにおいて大学教育が、そうした良識を育てるしくみになっていな
い。

 私はこの事件を聞いたとき、「またか……」と思った。今まで何度となく、この種の事件が起き
るたびに、テレビ局へ抗議をしてきた。しかしすべてがムダだった。たとえば七、八年前、イス
ラム教徒のトルコに行き、素っ裸になって踊ったお笑いタレントがいた。

体育館に集まった聴衆の中には、女性や子どももいた。結局、その番組は放映されなかった
が、日本そのものが、世界の人に笑われた。私もテレビ局に電話で抗議したあと、文書でも抗
議した。で、そのタレントは、しばらくはなりを潜めていたが、今度はパプア・ニューギニアに住
む裸族のレポーターとして、再び、番組に登場していた。彼はその番組の中で、チンチンの先
に大きな、筒をつけ、誇らしげに笑っていたが、それはまさにトルコの事件を、逆手にとったよ
うな番組だった。

 こういう番組を見ると、私たちは低俗タレントのほうばかりを責めるが、本当に責められるべ
きは、その上のディレクターであり、プロデューサーなのだ。あるいはテレビ局本体なのかもし
れない。

しかしさらに責められるべきは、そういう番組に対して批判力をもたない、私たち自身なのかも
しれない。テレビ局は、そしてマスコミは、何かあると報道の自由を盾にとって、もっともらしい
ことを言うが、しかしこんな番組のために、報道の自由があるわけではない。私たちはもう一
度、「報道がどうあるべきか」という原点に立ち返って、現在のテレビ界の姿勢をながめてみる
必要がある。

●こういうハレンチ番組を見たら、テレビ局へどんどんと抗議の電話をしよう。テレビ局によっ
ては、苦情処理センターを置いているところが多い。中には、常時留守番電話になっているの
もあるが、遠慮せず、抗議しよう。伝言を残そう。私たちは子どもたちのために、戦うのだ!

++++++++++++++++++

 ちなみに、今、平均的な高校生について言えば、学校で授業を受ける実質的な時間より、テ
レビを見ている時間のほうが、長い。中学生より、高校生のほうが、家での勉強時間が短く、
大学生ともなると、さらに短い。

 なぜこんなアホな現象が、この日本で、起きているのか。その部分まで、今、メスを入れない
と、これからの日本人は、ますますアホになっていく。そして同じような事件を、世界各地で起こ
し、評判を落としていく。今回の中国での事件は、こうした流れの中で起きた。
(031102)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(312)

●子どもの情緒不安

静岡県Y市の、YNさん(母親)から、子どもの情緒不安についての相談をもらった。よく誤解さ
れるが、情緒が不安定だから、情緒不安というのではない。心の緊張感がとれない状態を、情
緒不安という。

心が緊張しているときに、不安や心配が入り込むと、その不安や緊張を解消しようと、子ども
の心は、一挙に不安定になる。情緒が不安定になるのは、あくまでも、その結果でしかない。

だから子どもが情緒不安症状を示したら、何が、どう作用し、そしてなぜ、心が緊張状態になる
かを、知る。たいていは、愛情問題がからんでいるとみるが、恐怖症、神経症など、何かの大
きなショックが原因で、心が緊張状態になることもある。

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こんにちは。五歳の娘についての相談です。

今年四月に年中で家の目の前にある幼稚園に入園し、二か月ほどは楽しそうに通っていて、
新しい友達もしょっちゅう家に誘うなどして、順調にみえました。

が、ある日いつものように園まで送ると、先生を見たとたん泣き出し、「帰る」と、おお泣きし、そ
の日から園内ではすごく情緒不安定になり、先生の話によれば、なんでもないのに泣き出した
り、人がわ〜っと集まると泣き出し、一日中先生と手をつないでいて、給食も自分の席では座
れず、先生のそばにいないと、不安で不安でしょうがないようです。  

娘に理由を聞くと、イロイロ言うのですが、「誰々が怖いから」「牛乳が飲めないから」「折り紙が
できないから」と、聞くたびに理由が変わります。

毎日、幼稚園行きたくないとか、やめるとか言っていたのですが、無理をして連れて行っていま
した。
 
一度体育参観で様子を見たときは、ショックでした。まず、顔つきがいつもと全く違うのです。

終始オドオドした目つきで、先生と少し手が離れだけで、明らかにビクビクした目つきになり、
泣きはらした真っ赤な目で、その場にいるだけで必死な様子でした。
 
娘は不器用なほうだし、遊具で遊ぶのも(鉄棒など)苦手なのですが、今までは、少し、できた
だけで、親が褒めていたので、娘は多分幼稚園に入るまで、自分が周りに比べて、何でも出来
るほうだと思っていたと思うのですが、それが違うと分かり、イヤになってしまったのかな?、と
も思いました。

夏休みの間に、鉄棒で前周りができるようになり、二学期はそれをきっかけに幼稚園の鉄棒を
楽しみに、通っていたのですが、一〇月中気管支炎になり、何日か休んだのを多分きっかけと
して、また不安定になってきました。

朝行く時は大丈夫だけど、園について、私と別れる頃になると泣き出し、クラスの子に誘われ
ても返事もできず、ひきつった顔をしています。

ここ何日かは、また行きたくないと言い出しました。
 
一度夏休み明けに、心配していたのに、損したな〜と思ってしまうほど、あっさり幼稚園でくつ
ろいだ様子で通えていたので、一学期の時のように「ガンバレガンバレ」と無理に通わせたほう
がいいのか、無理させずしばらく気のすむまで休ませた方がいいのか、悩んでいます。
 
はやし先生のページを読んで思い当たったのですが、幼稚園に入るか入らないか……という
時期から、昼寝をしたがらなくなり、理由を聞くと「怖い夢をみるから」というのです。最近も言い
ます。悪夢を見ているということですよね? 寝ている時まで不安な気持ちなのでしょうか?
 
二歳半の弟がいます。私にべったりで、上の娘を抱っこしてなだめていると、怒って割り込んで
きます。上の娘は体が学年で一番大きく重いので、つい背中に乗られると、「重いからやめて」
と言ってしまったり、聞き分けがいいので、何でも我慢させてしまっていたのかもしれないと、後
悔することが、たくさんあります。
 
でも私は、娘のこれからの事を前向きに、どうしたら娘にとって一番いいのかを考えたいので
す。きびしく具体的なアドバイスをお願いします!

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まず、子どもの情緒不安について、以前、
書いた原稿(発表済み)を、参考にしてほしい。

(1)情緒不安
(2)欲求不満
(3)分離不安
(4)基底不安

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(1)子どもの心が不安定になるとき 

●情緒が不安定な子ども

 子どもの成長は、次の四つをみる。@精神の完成度、A情緒の安定度、B知育の発達度、
それにC運動能力。このうち情緒の安定度は、子どもが肉体的に疲れていると思われるとき
をみて、判断する。運動会や遠足のあと、など。

そういうときでも、ぐずり、ふさぎ込み、不機嫌、無口(以上、マイナス型)、あるいは、暴言、暴
力、イライラ、激怒(以上、プラス型)がなければ、情緒が安定した子どもとみる。子どもは、肉
体的に疲れたときは、「疲れた」とは言わない。「眠い」と言う。子どもが「疲れた」というときは、
神経的な疲れを疑う。子どもはこの神経的な疲れにたいへん弱い。それこそ日中、五〜一〇
分、神経をつかっただけで、ヘトヘトに疲れてしまう。

●情緒不安とは……?

 外部の刺激に左右され、そのたびに精神的に動揺することを情緒不安という。二〜四歳の
第一反抗期、思春期の第二反抗期に、とくに子どもは動揺しやすくなる。

 その情緒が不安定な子どもは、神経がたえず緊張状態にあることが知られている。気を許さ
ない、気を抜かない、周囲に気をつかう、他人の目を気にする、よい子ぶるなど。その緊張状
態の中に、不安が入り込むと、その不安を解消しようと、一挙に緊張感が高まり、情緒が不安
定になる。

症状が進むと、周囲に溶け込めず、引きこもったり、怠学、不登校を起こしたり(マイナス型)、
反対に攻撃的、暴力的になり、突発的に興奮して暴れたりする(プラス型)。

表情にだまされてはいけない。柔和な表情をしながら、不安定な子どもはいくらでもいる。この
タイプの子どもは、ささいなことがきっかけで、激変する。母親が、「ピアノのレッスンをしよう
ね」と言っただけで、激怒し、母親に包丁を投げつけた子ども(年長女児)がいた。また集団的
な非行行動をとったり、慢性的な下痢、腹痛、体の不調を訴えることもある。

●原因の多くは異常な体験

 原因としては、乳幼児期の何らかの異常な体験が引き金になることが多い。たとえば親自身
の情緒不安のほか、親の放任的態度、無教養で無責任な子育て、神経質な子育て、家庭騒
動、家庭不和、何らかの恐怖体験など。

ある子ども(五歳男児)は、たった一度だが、祖父にはげしく叱られたのが原因で、自閉傾向
(人と心が通い合わない状態)を示すようになった。また別の子ども(三歳男児)は、母親が入
院している間、祖母に預けられたことが原因で、分離不安(親の姿が見えないと混乱状態にな
る)になってしまった。

 ふつう子どもの情緒不安は、神経症による症状をともなうことが多い。ここにあげた体の不調
のほか、たとえば夜驚、夢中遊行、かん黙、自閉、吃音(どもり)、髪いじり、指しゃぶり、チッ
ク、爪かみ、物かみ、疑惑症(臭いかぎ、手洗いぐせ)、かみつき、歯ぎしり、強迫傾向、潔癖
症、嫌悪症、対人恐怖症、虚言、収集癖、無関心、無感動、緩慢行動、夜尿症、頻尿症など。

●原因は、家庭に!

 子どもの情緒が不安定になると、たいていの親は原因さがしを、外の世界に求める。しかし
まず反省すべきは、家庭である。

強度の過干渉(子どもにガミガミと押しつける)、過関心(子どもの側からみて神経質で、気が
抜けない環境)、家庭不和(不安定な家庭環境、愛情不足、家庭崩壊、暴力、虐待)、威圧的
な家庭環境など。夫婦喧嘩もある一定のワク内でなされているなら、子どもにはそれほど大き
な影響を与えない。が、そのワクを越えると、大きな影響を与える。子どもは愛情の変化には、
とくに敏感に反応する。

 子どもが小学生になったら、家庭は、「体を休め、疲れた心をいやす、いこいの場」でなけれ
ばならない。アメリカの随筆家のソロー(一八一七〜六二)も、『ビロードのクッションの上より、
カボチャの頭』と書いている。

人というのは、高価なビロードのクッションの上に座るよりも、カボチャの頭の上に座ったほう
が気が休まるという意味だが、多くの母親にはそれがわからない。わからないまま、家庭を「し
つけの場」と位置づける。学校という「しごきの場」で、いいかげん疲れてきた子どもに対して、
家の中でも「勉強しなさい」と子どもを追いまくる。「宿題は終わったの」「テストは何点だった
の」「こんなことでは、いい高校へ入れない」と。これでは子どもの心は休まらない。

●子どもの情緒を安定させるために

 子どもの情緒が不安定になったら、スキンシップをより濃厚にし、温かい語りかけを大切にす
る。叱ったり、冷たく突き放すのは、かえって情緒を不安定にする。一番よい方法は、子どもが
ひとりで誰にも干渉されず、のんびりとくつろげるような時間と場所をもてるようにすること。親
があれこれ気をつかうのは、かえって逆効果。

 ほかにカルシウムやマグネシウム分の多い食生活に心がける。とくにカルシウムは天然の
精神安定剤と呼ばれている。戦前までは、日本では精神安定剤として使われていた。錠剤で
与えるという方法もあるが、牛乳や煮干など、食品として与えるほうがよいことは言うまでもな
い。

なお情緒というのは一度不安定になると、その症状は数か月から数年単位で推移する。親が
あせって何とかしようと思えば思うほど、ふつう子どもの情緒は不安定になる。また一度不安
定になった心は、そんなに簡単にはなおらない。今の状態をより悪くしないことだけを考えなが
ら、子どものリズムに合わせた生活に心がける。

 (参考)

●子どもの神経症について
心理的な要因が原因で、精神的、身体的な面で起こる機能的障害を、神経症という。子どもの
神経症は、精神面、身体面、行動面の三つの分野に分けて考える。

@精神面の神経症……精神面で起こる神経症には、恐怖症(ものごとを恐れる)、強迫症状
(周囲の者には理解できないものに対して、おののく、こわがる)、不安症状(理由もなく悩
む)、抑うつ感(ふさぎ込む)など。混乱してわけのわからないことを言ってグズグズしたり、反
対に大声をあげて、突発的に叫んだり、暴れたりすることもある。

A身体面の神経症……夜驚症(夜中に狂人的な声をはりあげて混乱状態になる)、夜尿症、
頻尿症(頻繁にトイレへ行く)、睡眠障害(寝ない、早朝覚醒、寝言)、嘔吐、下痢、便秘、発
熱、喘息、頭痛、腹痛、チック、遺尿(その意識がないまま漏らす)など。一般的には精神面で
の神経症に先立って、身体面での神経症が起こることが多く、身体面での神経症を黄信号とと
らえて警戒する。

B行動面の神経症……神経症が慢性化したりすると、さまざまな不適応症状となって行動面
に表れてくる。不登校もその一つということになるが、その前の段階として、無気力、怠学、無
関心、無感動、食欲不振、引きこもり、拒食などが断続的に起こるようになる。パンツ一枚で出
歩くなど、生活習慣がだらしなくなることもある。

++++++++++++++++++

(2)子どもが欲求不満になるとき

●欲求不満の三タイプ

 子どもは自分の欲求が満たされないと、欲求不満を起こす。この欲求不満に対する反応は、
ふつう、次の三つに分けて考える。

@攻撃・暴力タイプ

 欲求不満やストレスが、日常的にたまると、子どもは攻撃的になる。心はいつも緊張状態に
あり、ささいなことでカッとなって、暴れたり叫んだりする。私が「このグラフは正確でないから、
かきなおしてほしい」と話しかけただけで、ギャーと叫んで私に飛びかかってきた小学生(小四
男児)がいた。

あるいは私が、「今日は元気?」と声をかけて肩をたたいた瞬間、「このヘンタイ野郎!」と私を
足げりにした女の子(小五)もいた。こうした攻撃性は、表に出るタイプ(喧嘩する、暴力を振る
う、暴言を吐く)と、裏に隠れてするタイプ(弱い者をいじめる、動物を虐待する)に分けて考え
る。

A退行・依存タイプ

 ぐずったり、赤ちゃんぽくなったり(退行性)、あるいは誰かに依存しようとする(依存性)。こ
のタイプの子どもは、理由もなくグズグズしたり、甘えたりする。母親がそれを叱れば叱るほ
ど、症状が悪化するのが特徴で、そのため親が子どもをもてあますケースが多い。

B固着・執着タイプ

 ある特定の「物」にこだわったり(固着性)、あるいはささいなことを気にして、悶々と悩んだり
する(執着性)。ある男の子(年長児)は、毛布の切れ端をいつも大切に持ち歩いていた。最近
多く見られるのが、おとなになりたがらない子どもたち。赤ちゃんがえりならぬ、幼児がえりを起
こす。

ある男の子(小五)は、幼児期に読んでいたマンガの本をボロボロになっても、まだ大切そうに
カバンの中に入れていた。そこで私が、「これは何?」と声をかけると、その子どもはこう言っ
た。「どうチェ、読んでは、ダメだというんでチョ。読んでは、ダメだというんでチョ」と。子どもの
未来を日常的におどしたり、上の兄や姉のはげしい受験勉強を見て育ったりすると、子どもは
幼児がえりを起こしやすくなる。

 またある特定のものに依存するのは、心にたまった欲求不満をまぎらわすためにする行為と
考えるとわかりやすい。これを代償行為というが、よく知られている代償行為に、指しゃぶり、
爪かみ、髪いじりなどがある。別のところで何らかの快感を覚えることで、自分の欲求不満を
解消しようとする。

●欲求不満は愛情不足

 子どもがこうした欲求不満症状を示したら、まず親子の愛情問題を疑ってみる。子どもという
のは、親や家族の絶対的な愛情の中で、心をはぐくむ。ここでいう「絶対的」というのは、「疑い
をいだかない」という意味。

その愛情に「ゆらぎ」を感じたとき、子どもの心は不安定になる。ある子ども(小一男児)はそれ
までは両親の間で、川の字になって寝ていた。が、小学校に入ったということで、別の部屋で寝
るようになった。とたん、ここでいう欲求不満症状を示した。その子どものケースでは、目つき
が鋭くなるなどの、いわゆるツッパリ症状が出てきた。

子どもなりに、親の愛がどこかでゆらいだのを感じたのかもしれない。母親は「そんなことで…
…」と言ったが、再び川の字になって寝るようになったら、症状はウソのように消えた。

●濃厚なスキンシップが有効

 一般的には、子どもの欲求不満には、スキンシップが、たいへん効果的である。ぐずったり、
わけのわからないことをネチネチと言いだしたら、思いきって子どもを抱いてみる。最初は抵抗
するような様子を見せるかもしれないが、やがて静かに落ちつく。あとはカルシウム分、マグネ
シウム分の多い食生活に心がける。

 なおスキンシップについてだが、日本人は、国際的な基準からしても、そのスキンシップその
ものの量が、たいへん少ない。欧米人のばあいは、親子でも日常的にベタベタしている。よく
「子どもを抱くと、子どもに抱きグセがつかないか?」と心配する人がいるが、日本人のばあ
い、その心配はまずない。

そのスキンシップには、不思議な力がある。魔法の力といってもよい。子どもの欲求不満症状
が見られたら、スキンシップを濃厚にしてみる。それでたいていの問題は解決する。

+++++++++++++++++++++

(3)子どもが分離不安になるとき

●親子のきずなに感動した!?     

 ある女性週刊誌の子育てコラム欄に、こんな手記が載っていた。日本でもよく知られたコラム
ニストの書いたものだが、いわく、「うちの娘(三歳)をはじめて幼稚園へ連れていったときのこ
と。娘ははげしく泣きじゃくり、私との別れに抵抗した。私はそれを見て、親子の絆の深さに感
動した」と。

そのコラムニストは、ワーワーと泣き叫ぶ子どもを見て、「親子の絆の深さ」に感動したと言うの
だ。とんでもない! ほかにもあれこれ症状が書かれていたが、それはまさしく分離不安の症
状。「別れをつらがって泣く子どもの姿」では、ない。

●分離不安は不安発作

 分離不安。親の姿が見えなくなると、発作的に混乱して、泣き叫んだり暴れたりする。大声を
あげて泣き叫ぶタイプ(プラス型)と、思考そのものが混乱状態になり、オドオドするタイプ(マイ
ナス型)に分けて考える。

似たようなタイプの子どもに、単独では行動ができない子ども(孤立恐怖)もいるが、それはと
もかくも、分離不安の子どもは多い。四〜六歳児についていうなら、一五〜二〇人に一人くら
いの割合で経験する。親が子どもの見える範囲内にいるうちは、静かに落ちついている。が、
親の姿が見えなくなったとたん、ギャーッと、ものすごい声をはりあげて、そのあとを追いかけ
たりする。

●過去に何らかの事件

 原因は……、というより、分離不安の子どもをみていくと、必ずといってよいほど、そのきっか
けとなった事件が、過去にあるのがわかる。はげしい家庭内騒動、離婚騒動など。母親が病
気で入院したことや、置き去り、迷子を経験して、分離不安になった子どももいる。

さらには育児拒否、冷淡、無視、親の暴力、下の子どもが生まれたことが引き金となった例も
ある。子どもの側からみて、「捨てられるのでは……」という被害妄想が、分離不安の原因と考
えるとわかりやすい。

無意識下で起こる現象であるため、叱ったりしても意味がない。表面的な症状だけを見て、「集
団生活になれていないため」とか、「わがまま」とか考える人もいるが、無理をすればかえって
症状をこじらせてしまう。いや、実際には無理に引き離せば混乱状態になるものの、しばらくす
るとやがて静かに収まることが多い。しかしそれで分離不安がなおるのではない。「もぐる」の
である。一度キズついた心は、そんなに簡単になおらない。この分離不安についても、そのつ
ど繰り返し症状が表れる。

●鉄則は無理をしない

 こうした症状が出てきたら、鉄則はただ一つ。無理をしない。その場ではやさしくていねいに
説得を繰り返す。まさに根気との勝負ということになるが、これが難しい。現場で、そういう親子
を観察すると、たいてい親のほうが短気で、顔をしかめて子どもを叱ったり、怒ったりしている
のがわかる。「いいかげんにしなさい」「私はもう行きますからね!」と。

こういう親子のリズムの乱れが、症状を悪化させる。子どもはますます強く被害妄想をもつよう
になる。分離不安を神経症の一つに分類している学者も多い(牧田清志氏ほか)。

 分離不安は四〜五歳をピークとして、症状は急速に収まっていく。しかしここに書いたよう
に、一度キズついた心は、簡単にはなおらない。ある母親はこう言った。「今でも、夫の帰宅が
予定より遅くなっただけで、言いようのない不安発作に襲われます」と。姿や形を変えて、おと
なになってからも症状が表れることがある。

(付記)

●分離不安は小児うつ病?

子どもは離乳期に入ると、母親から身体的に分離し始め、父親や周囲の者との心理的つなが
りを求めるようになる。自我の芽生え、自立心、道徳的善悪の意識などがこの時期に始まる。
そしてさらに三歳前後になると、母親から心理的にも分離しようとするが、この時期に、母子の
間に問題があると、この心理的分離がスムーズにいかず、分離不安を起こすと考えられてい
る(クラウスほか)。小児うつ病の一形態と考える学者も多い。症状がこじれると、慢性的な発
熱、情緒不安症状、さらには神経症による諸症状を示すこともある。

++++++++++++++++++++++

(4)基底不安

心を許さない子ども

 無視、冷淡、親の拒否的態度は、子どもに深刻な影響を与える。乳幼児期に、心のさらけ出
しができないため、親のみならず、他人と良好な人間関係を結べなくなる。子どもは、絶対的な
信頼関係のある親子関係の中で、心をはぐくむことができる。「絶対的な信頼関係」というの
は、どんなことをしても、また何をしても、許されるという信頼関係である。親に対して疑いをい
だかない安心感をいう。

 この信頼関係が欠落すると、子どもは絶対的な安心感を得られなくなり、不安を基底とした
心理状態になる。これを「基底不安」というが、その不安を解消しようと、子どもはさまざまな方
法で、心を防衛する。@服従的態度(ヘラヘラとへつらう)、A攻撃的態度(威圧したり、暴力で
相手を屈服させる)、B回避的行動(引きこもる)、C依存的行動(同情を求める)などがある。
これを「防衛機制」という。

 このタイプの子どもは、孤独と不安を繰りかえしながら、そのつど相手を求めたり、拒絶した
りする。まさに「近づけば遠ざかり、遠ざかれば近づく」の人間関係をつくる。本人はそれでよい
としても、困惑するのは、周囲の人たちである。あるときはベタベタと近づいてきたかと思うと、
つぎに会うと、一転、冷酷な態度をとったりする。親しみと憎しみ、依存と拒絶、密着と離反、親
切と不親切が、同居しているように感ずることもある。

 が、悲劇はつづく。

 他者とのつながりがうまく結べない分だけ、独善的、独断的な行動が多くなる。一見すると主
体的な生き方に見えるかもしれないが、その主体そのものがない。私の印象に残っている女
の子(中二)に、Bさんという子どもがいた。

 Bさんは、がんばり屋だった。能力的には、それほどでもなかったが、そのため勉強も、よくで
きた。親は、そんなBさんを、よくほめた。先生も、ほめた。とくに気になったのは、融通(ゆうづ
う)がきかなかったこと。ジョークを言っても、通じない。このタイプの子どもは、自分だけのカラ
に閉じこもりやすく、がんこになりやすい。

 そのBさんが、ここに書いた、決して心を許さないタイプの子どもだった。そのときまでに、す
でに私のところへ五、六年、通っていたが、いつも心を風呂敷で包んだような感じがした。俗に
いう「いい子」ではあったが、何を考えているか、よくわからなかった。

 決して勉強が好きというわけではなかった。しかしBさんにとっての勉強は、まさに自己主張
の道具だった。(勉強ができる)=(優秀であるという証明)=(みなにチヤホヤされる)というよ
うに、である。ここにも書いたように、一見、主体性があるようで、どこにもない。Bさんは、いつ
も自分の評価を他人の目の中でしていた。

 もうおわかりかと思う。このBさんが、とっていた一連の行為は、自分の心の中の不安を解消
するためであった。勉強という手段を用いて、他人に対して優位に立つことにより、自分にとっ
て居心地のよい世界を、まわりに作るためであった。先にあげた防衛機制の中の、A攻撃的
態度の一つということになる。

 Bさんは、勉強がよくできる分だけ、孤独だった。友だちもいなかった。しかも自分より目立つ
仲間は、すべてライバルだった。Bさんの前で、ほかの子どもをほめたりすると、嫉妬心から
か、Bさんは、よく顔をしかめた。が、そのBさんが、ある日、とうとう勉強でつまずいてしまっ
た。最初は「勉強がわからない」と、よくこぼした。つぎに数か月先のテストのことを心配したり
した。親はBさんに頼まれるまま、進学塾をもう一つふやし、家庭教師もつけた。しかしそうす
ればするほど、Bさんの勉強は空回りをし始めた。

 とたん、Bさんは、プツンしてしまった。ふつうの燃え尽き症候群と違うのは、無気力症状は出
てこないこと。別の形で、攻撃的になるということ。Bさんのケースでは、そのまま、本当にあっ
という間に、非行の道へ入ってしまった。髪の毛を染め、ツメにマニキュアをし、そしてあやしげ
な下着を身につけるようになった。と、同時に、私の教室をやめた。しばらくしてから、ほかの
子どもたちに、Bさんが、学校でも札つきのワルになったという話を聞いた。

 Bさんを知る、ほかの母親たちは、こう言う。「えっ? あのBさんが、ですか?」と。実のとこ
ろ、この私ですら、その変化に驚いたほどである。授業中でも、先生を汚い言葉で罵倒(ばと
う)して、部屋から出て行くこともあるという。

 ……では、どうするかということではない。あなたの子どもは、だいじょうぶかということ。あな
たの子どもは、乳幼児のとき(二〜四歳の第一反抗期)から、あなたに対して、好き勝手なこと
をしていただろうか。わがままというのではない。言いたいことを言い、したいことをしたかとい
うこと。もしそうなら、それでよし。しかし乳幼児のとき、どこかおとなしく、仮面をかぶり、手がか
からない子どもだったとしたら、ここでいう「心を許せない子ども」を疑ってみたらよい。そして今
は、その「いい子」かもしれないが、そのうちそうでなくなるかもしれないと、警戒をしたほうがよ
い。

 心の問題は、簡単にはなおらない。なおらないが、警戒するだけでも、仮に問題が起きたとき
でも、原因がわかっているから、対処しやすいはず。またあなたの子どもが〇〜二歳であるな
ら、これからの反抗期を、うまく通り過ぎることを考える。この時期は、子どもの心を形成すると
いう意味で、きわめて重要な時期である。

++++++++++++++++++++++

【YNさんへ】

 いただいたメールの範囲内で判断するかぎり、下の子どもが生まれたあたりから、欲求不満
が慢性的に累積し、それが不安の原因になっているように思われます。症状としては、集団恐
怖症、対人恐怖症などが疑われますが、もう一歩進んで、小児神経症もしくは、小児うつ病(ド
クターによっては、小児うつ病はないと主張する人もいます)なども、どこかで考えながら、対処
しなければならないと思います。もちろんこれは最悪のばあいです。

 一つ、疑われるのは、その先生との関係です。どこかで大きなショックを、子どもに与えた可
能性も否定できません。先生が、強く叱ったとか、など。「先生を見ておお泣きした」、しかし「そ
の先生のそばを離れない」という、どこか矛盾した行動は、子どもの世界では、よく見られる現
象です。

 たとえばイヤなもの、嫌いなものを、逆に受け入れることによって、表面的には、好きになっ
たようなフリをする。心の中に、まったく正反対の感情を移入するわけです。これを「反動形成」
といいますが、よく知られた例としては、下の弟や妹に対して、表面的には、いい兄や姉を演じ
て見せるケースがあります。

 それ以前の問題としては、基底不安も疑われます。つまりは、YNさんという母親と、その子ど
もの関係です。全幅の信頼関係が、結ばれていたかという問題ですが、これについては、いた
だいたメールの範囲では、よくわかりません。ここでは、そうした信頼関係については、問題な
いという前提で考えます。

 YNさんは、子どもの悪夢について心配していますが、私の調査でも、約五〇%の子ども(年
長児)が、ほとんど毎日、こわい夢を見ていることがわかっています。ただYNさんのお子さんの
ように、「こわい夢を見るから、昼寝をするのがいや」というケースは、珍しく、それだけ、心が
緊張(不安)状態にあるとみます。

 ふつう子どもが悪夢を見るようになったら、(またそう感じたら)、スキンシップを濃厚にし、添
い寝などをしてやります。「気のせい」「わがまま」と突き放せば、かえって子どもの情緒は不安
定になりますから、注意してください。

 ついでに、このタイプの子どもに、「がんばれ!」式の励ましは、タブーですから、ご注くださ
い。言うべきことは、「あなたは、よくがんばっている」式の、ねぎらいの言葉です。これについ
ては、またいつか電子マガジンのほうでとりあげて考えてみます。

 「夏休みあけに症状が軽減した」ということですので、症状は、それほど、こじれていないと判
断できます。しかしながら、この種の問題は、「以前のほうが、まだ症状が軽かった……」という
ことを繰りかえしながら、悪化することがありますので、これも、ご注意ください。

 とくに注意しなければならないのが、小児神経症です。ほかに、身体的な変調を訴えていな
いかを、観察してみてください。腹痛、頭痛、夜尿、爪かみなど。(あとで、原稿を添付しておき
ます。)

 もしこうした症状があわせて見られたら、とにかく家庭では、心を休ませることだけを考えて対
処します。「暖かい無視」という言葉が、最近よく使われますが、子どもを、暖かい愛情で包み
ながら、子ども自身がひとりで、のんびりとくつろげる環境を用意してあげます。

 が、それでも症状が悪化するようであれば、私は、無理をして幼稚園へ行かせる必要はない
と思います。それはYNさんが、ご自分で、判断してください。

 とりあえずしてみることは、

(1)濃厚なスキンシップの復活……下の子が生まれると同時に、上の子どもへの接触が半減
したと考えられます。親からみれば、「平等」ということになりますが、上の子には、そうではな
いということです。これについては、たびたび電子マガジンでとりあげてきましたので、ここで
は、省略します。添い寝、手つなぎ、だっこ、いっしょの入浴など、子どもの心から緊張感がと
れるまで、つづけます。

(2)食事面での対処……不安定に感じたら、CA、MGの多い食生活に切りかえます。要する
には、海産物主体の食生活にするということです。甘い食品、肉類、リン酸食品などは、ひかえ
ます。

(3)なおそうと思わないこと……この種の問題は、「なおそう」とは思わないこと。「今の状態
を、より悪くしないこと」だけを考えて対処します。親は、どうしても、今の状態だけをみて、「最
悪」と考えがちですが、この種の問題には、その下に、さらに二番底、三番底があるということ
です。じゅうぶん、ご注意ください。

(4)半年単位で様子をみる……そのつどの症状の変化に、一喜一憂してはいけません。もう
少し長いスパンで、子どもの心の変化を観察しながら、判断します。できれば「半年前はどうだ
った……」「一年前はどうだった……」というように、です。そのつどの変化に振り回されている
と、子どもの心の状態がわからなくなります。ほとんどの親は、「少しよくなった……」と言って
は、つぎの無理をする。そして症状をこじらせ、悪化させていきます。

 いただいたメールだけでは、お子さんが、どういう状態なのか、よくわかりません。かといっ
て、私の立場では、診断することもできません。ここに書いたことは、あくまでも、参考意見とし
て、お考えください。あとは、あなた自身が、判断してください。

 このあたりが、私が今、あなたにアドバイスできる限界かと思いますので、今日は、このあた
りで失礼します。また何か、あれば、メールをください。
(031103)
 
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【参考】子どもの神経症(中日新聞発表済み)

子どもの神経症

 心理的な要因が原因で、精神的、身体的な面で起こる機能的障害を、神経症という。脳の機
能が変調したために起こる症状と考えると、わかりやすい。ふつう子どもの神経症は、@精神
面、A身体面、B行動面の三つの分野に分けて考える。そこであなたの子どもをチェック。次
の症状の中で思い当たる症状(太字)があれば、丸(○)をつけてみてほしい。

 精神面の神経症……精神面で起こる神経症には、恐怖症(ものごとを恐れる。高所恐怖症、
赤面恐怖症、閉所恐怖症、対人恐怖症など)、強迫症状(ささいなことを気にして、こわがる)、
不安症状(理由もなく思い悩む)、抑うつ症状(ふさぎ込んだり、落ち込んだりする)、不安発作
(心配なことがあると過剰に反応する)など。混乱してわけのわからないことを言ったり、グズグ
ズするタイプと、大声をあげて暴れるタイプに分けて考える。ほかに感情面での神経症として、
赤ちゃんがえり、幼児退行(しぐさが幼稚っぽくなる)、かんしゃく、拒否症、嫌悪症(動物嫌悪、
人物嫌悪など)、嫉妬、激怒などがある。

 身体面の神経症……夜驚症(夜中に突然暴れ、混乱状態になる)、夢中遊行(ねぼけてフラ
フラとさまよい歩く)、夜尿症、頻尿症(頻繁にトイレへ行く)、遺尿(その意識がないまま尿もら
す)、睡眠障害(寝つかない、早朝起床、寝言、悪夢)、嘔吐、下痢、原因不明の慢性的な疾患
(発熱、ぜん息、頭痛、腹痛、便秘、ものもらい、眼病など)、貧乏ゆすり、口臭、脱毛症、じん
ましん、アレルギー、自家中毒(数日おきに嘔吐を繰り返す)、口乾、チックなど。指しゃぶり、
爪かみ、髪いじり、歯ぎしり、唇をなめる、つば吐き、ものいじり、ものをなめる、手洗いグセ
(潔癖症)、臭いかぎ(疑惑症)、緘黙、吃音(どもる)、あがり症、失語症、無表情、無感動、涙
もろい、ため息なども、これに含まれる。一般的には精神面での神経症に先だって、身体面で
の神経症が現われることが多い。

 行動面の神経症……神経症が行動面におよぶと、さまざまな不適応症状となって現われる。
不登校もその一つだが、その前の段階として、無気力、怠学、無関心、無感動、食欲不振、過
食、拒食、異食、小食、偏食、好き嫌い、引きこもり、拒食などが断続的に起こることが多い。
生活習慣が極端にだらしなくなることもある。忘れ物をしたり、乱れた服装で出歩いたりするな
ど。ほかに反抗、盗み、破壊的行為、残虐性、帰宅拒否、虚言、収集クセ、かみつき、緩慢行
動(のろい)、行動拒否、自慰、早熟、肛門刺激、異物挿入、火遊び、散らかし、いじわる、いじ
めなど。

こうして書き出したら、キリがない。要するに心と身体は、密接に関連しあっているということ。
「うちの子どもは、どこかふつうでない」と感じたら、この神経症を疑ってみる。ただし一言。こう
した症状が現われたからといって、子どもを叱ってはいけない。叱っても意味がないばかりか、
叱れば叱るほど、逆効果。神経症は、ますますひどくなる。原因は、過関心、過干渉、過剰期
待など、いろいろある。

 さて診断。丸の数が、一〇個以上……あなたの子どもの心はボロボロ。家庭環境を猛省す
る必要がある。九〜五個……赤信号。子どもの心はかなりキズついている。四〜一個……注
意信号。見た目の症状が軽いからといって、油断してはならない。

+++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司※


子育て随筆byはやし浩司(313)

ネット・アディクション(嗜好)

 自分の意思ではコントロールできなくなったような、とくに強い嗜好性を、アディクション(嗜好)
という。わかりやすく言えば、きわめて強度な、依存性のこと。

 たとえば、アルコール依存症、パチンコ依存症、タバコ依存症などがある。最近では、携帯電
話依存症というのもある。

 トイレに入るとき、部屋の中に携帯電話を忘れ、用を足すのをあと回しにして、その携帯電話
を取りに行った子ども(高校生)がいた。「トイレの中で、携帯電話をしたかったの?」と聞くと、
「別に……」と。

 その話を、ある母親にすると、その母親も、こう言った。「実は、うちもそうなんです。お弁当を
忘れても、取りに戻らないような息子が、携帯電話を忘れたときは、取りに戻ってきます」と。
「先日は、一時間目をサボって、取りに戻ってきました」とも。

 このタイプの子ども(おとなも)には、携帯電話は、必需品以上の必需品。片時も身から離す
ことができない。できないばかりか、身近になければないで、麻薬をやめたときに似た、禁断症
状が生ずる。イライラして、何も、手につかなくなってしまう。

 さらに、ネット依存症というのもある。正確には、「ネット・アディクション」という。

 私は、実は、パソコン通信が始まったころ、そのパソコン通信にハマってしまったことがある。
今から、もう二〇年近くも、前のこと。今のインターネットによく似ていたが、文字情報だけをや
り取りする、簡単なものだった。

 最初は、カタカナだけを送受信できた。が、パソコンに単語辞書を登録すると、今度は、ひら
がなや、限られた数の漢字の情報を、送受信することができるようになった。

 当時は、こうした進歩を、まさに自分の肌で感じながら、一歩ずつ、自分のものとすることが
できた。それが楽しかった。それに、まだパソコン通信をやっている人が少なく、たがいに連絡
をとりあっているうちに、友だちになり、手紙を交換したりするようになったこともある。

 この人口六〇万人の都市ですら、パソコン通信をしている人は、一〇人もいなかったのでは
ないか? あるいはもっと少なかった? 大手電気メーカーの支店へそのつどでかけ、あれこ
れ教えてもらいながら、それをした。何しろ、N社のパソコンでも、四〇〜五〇万円近くもした時
代である。
 
 が、気がついてみると、明けても暮れても、パソコン通信のことばかり。やがて自分にブレー
キをかけるようになったが、しかしそうは簡単なことではなかった。私は、まさにパソコン通信中
毒といった状態になってしまった。

 が、幸いなことに、その前後に、世間に、ワープロ専用機が出回るようになった。私が最初
に、買ったのは、S社の「書院」という機種だった。値段は、二四万円。当時としては、破格に安
いワープロ専用機だった。やがて私の関心は、パソコン通信から、ワープロ専用機へと移って
いった。

 あとはとっかえ、ひっかえ……。半年ごとに新しいワープロ専用機を買いつづけ、一時は、一
〇台近いワープロ専用機が、家の中にころがっていたことがある。

 結果的に、パソコン通信から遠ざかったが、それにかわって登場したのが、インターネットで
ある。しかし私は、すぐには、手を出さなかった。そのこわさを、知っていたからである。が、こ
れは結果的には、まずかった。つまり、乗り遅れた!

 さて、今の私は、どうか?

 ワープロ専用機は、パソコンになった。そのパソコンで、インターネットもできる。(パソコン通
信)+(ワープロ専用機)=(現在のパソコン)ということになる。おかげで、というか、当然という
か、私は、またまたパソコンにハマってしまった。

 まず朝起きると、パソコンに電源を入れる。仕事から帰ってきても、電源を入れる。そしてま
ず、メールをチェック。自分のサイトや、掲示板をチェック。そしてお茶を飲んだりしたあと、今
度は、ワープロとして使い始める。

 しかし私のばあい、パソコンが好きというより(好きだが……)、考えることが楽しい。つまりパ
ソコンは、そのための道具にすぎない。……と、自分勝手な弁解をしているが、依存症とは、
違うと思う。

 インターネットについては、なくてもかまわないと思っている。現に今、必要な人とは、連絡を
とりあってはいるが、あくまでも、その範囲。ワープロについては、ここに書いたとおりである。

 また私は、もともと機械いじりが好きだった。今でもよく覚えているのが、TK−BSというたし
か、T社製のパソコン。マシン語でパチパチとプログラムを打ち込みながら、操作するというパ
ソコンだった。

 つぎに買ったのが、コモドール社製のPET2000。そのあとは、N社製のパソコンへと移って
いった。6000シリーズ、8000シリーズ。そして9000シリーズから、98シリーズへ、と。ワー
プロにせよ、インターネットにせよ、その過程の中から生まれたにすぎない。

 とは言え、私が、パソコン依存症であることには、まちがい、ない。基準があるわけではない
が、一日、五回以上、メールをのぞくようなら、ここでいうネット・アディクションとみてよいそう
だ。(私なんか、一日、一〇回以上、のぞいているぞ! ワープロで文を書いているとき、ふと、
息抜きしたくなったようなとき、のぞいている。)

 ただ私のばあい、ハマりすぎると、頭痛が始まる。それが便利なブレーキとして働く。あのパ
ソコン通信にハマった時代からそうだった。だから、いつもどこかで、自分にブレーキをかけな
がら、パソコンに向っている。たとえば一時間ほど、ワープロとして使ったら、二〇〜三〇分
は、お茶を飲んだり、本を読んだりして、休憩する。だいたい、その前に、頭が、どこか重くな
る。

 ……などなど。書いている内容が、くだらなくなったから、この話は、ここまで。要するに、ハマ
りすぎないように、注意しようということ。もっとも、私のばあい、もう手遅れだと思うが……。今
もこうしてパチパチと文字を入力しているが、頭の中のモヤモヤをたたき出したときの爽快感
は、なにものにも、かえがたい。それがわかっているから、どうしても、やめられない。ホント!
(031104)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
 

子育て随筆byはやし浩司(314)
 
【Fさんからの質問に答えて……】

 Fさんから、「音読と、黙読は、どちらがよいですか?」という質問をもらった。当然、黙読がよ
いに決まっている。それについて書いた原稿を、二作、ここに添付する。

+++++++++++++++++++

●音読と黙読は違う

 小学三年生くらいになると、読解力のあるなしが、はっきりしてくる。たとえば算数の文章題。
読解力のない子どもは、問題を読みきれない、読みまちがえる、など。あちこちの数字を集め
て、めちゃめちゃな式を書いたりする。親は「どうしてうちの子は、問題をよく読まないのでしょ
う」とか、「そそっかしくて困ります」とか言うが、ことはそんな簡単なことではない。

 話は少しそれるが、音読と、黙読とでは、脳の中でも使う部分がまったく違う。音読は、一度
自分の声で文章を読み、その音を聞いて文の内容を理解する。つまり左脳がそれをつかさど
る。

一方黙読は文字を図形として認識し、その図形の意味を判断して文の内容を理解する。つま
り右脳がそれをつかさどる。音読ができるから黙読ができるとは限らない。ちなみに文字を覚
えたての幼児は、黙読では文を読むことができない。そんなわけで子どもが文字をある程度読
むことができるようになったら、黙読の練習をさせるとよい。方法は、「口をとじて本を読んでご
らん」と指示する。

ある研究団体の調査によれば、黙読にすると、小学校の低学年児で、約三〇%程度、読解力
が落ちることが」わかっている(国立国語研究所)。

 ではどうするか。もしあなたの子どもの読解力が心配なら、方法は二つある。一つは、あえて
音読をさせてみる。たとえば先の文章題でも、「声を出して問題を読んでごらん」と言って、問題
を声を出させて読ませてみる。読んだ段階で、たいていの子どもは、「わかった!」と言って、
問題を解くことができる。が、それでも効果があまりないときは、こうする。

問題そのものを、別の紙に書き写させる。子どもは文字(問題)を一度文字で書くことによっ
て、文字の内容を「音」ではなく、「形」として認識するようになる。少し時間はかかるが、黙読が
苦手な子どもには、もっとも効果的な方法である。

 読解力は、すべての科目に影響を与える。文章の読解力を訓練しただけで、国語はもちろん
のこと、算数や理科、社会の成績があがったということはよくある。決して軽くみてはいけない。
(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)

++++++++++++++++++++++

子どもの国語力が決まるとき

●幼児期に、どう指導したらいいの?

 以前……と言っても、もう二〇年近くも前のことだが、私は国語力が基本的に劣っていると思
われる子どもたちに集まってもらい、その子どもたちがほかの子どもたちと、どこがどう違うか
を調べたことがある。結果、次の三つの特徴があるのがわかった。

@使う言葉がだらしない……ある男の子(小二)は、「ぼくジャン、行くジャン、学校ジャン」とい
うような話し方をしていた。「ジャン」を取ると、「ぼく、行く、学校」となる。たまたま『戦国自衛隊』
という映画を見てきた中学生がいたので、「どんな映画だった?」と聞くと、その子どもはこう言
った。「先生、スゴイ、スゴイ! バババ……戦車……バンバン。ヘリコプター、バリバリ」と。何
度か聞きなおしてみたが、映画の内容は、まったくわからなかった。

A使う言葉の数が少ない……ある女の子(小四)は、家の中でも「ウン、ダメ、ウウン」だけで
会話が終わるとか。何を聞いても、「まあまあ」と言う、など。母「学校はどうだったの?」、娘「ま
あまあ」、母「テストはどうだったの?」、娘「まあまあ」と。

B正しい言葉で話せない……そこでいろいろと正しい言い方で話させようとしてみたが、どの
子どもも外国語でも話すかのように、照れてしまった。それはちょうど日本語を習う外国人のよ
うにたどたどしかった。私「山の上に、白い雲がありますと、言ってごらん」、子「山ア……、上に
イ〜、白い……へへへへ」と。

 原因はすぐわかった。たまたま子どもを迎えにきていた母親がいたので、その母親にそのこ
とを告げると、その母親はこう言った。「ダメネエ、うちの子ったら、ダメネエ。ホントにモウ、ダ
メネエ、ダメネエ」と。原因は母親だった!

●国語能力は幼児期に決まる

 子どもの国語能力は、家庭環境で決まる。なかんずく母親の言葉能力によって決まる。毎
日、「帽子、帽子、ハンカチ、ハンカチ! バス、バス、ほらバス!」というような話し方をしてい
て、どうして子どもに国語能力が身につくというのだろうか。こういうケースでは、たとえめんどう
でも、「帽子をかぶりましたか。ハンカチを持っていますか。もうすぐバスが来ます」と言ってあ
げねばならない。……と書くと、決まってこう言う親がいる。「うちの子はだいじょうぶ。毎晩、本
を読んであげているから」と。

 言葉というのは、自分で使ってみて、はじめて身につく。毎日、ドイツ語の放送を聞いている
からといって、ドイツ語が話せるようにはならない。また年中児ともなると、それこそ立て板に水
のように、本をスラスラと読む子どもが現れる。しかしたいていは文字を音にかえているだけ。
内容はまったく理解していない。

なお文字を覚えたての子どもは、黙読では文を理解できない。一度文字を音にかえ、その音を
自分の耳で聞いて、その音で理解する。音読は左脳がつかさどる。一方黙読は文字を「形」と
して認識するため、一度右脳を経由する。音読と黙読とでは、脳の中でも使う部分が違う。そ
んなわけである程度文字を読めるようになったら、黙読の練習をするとよい。具体的には「口
を閉じて読んでごらん」と、口を閉じさせて本を読ませる。

●幼児教育は大学教育より奥が深い

 今回はたいへん実用的なことを書いたが、幼児教育はそれだけ大切だということをわかって
もらいたいために、書いた。相手が幼児だから、幼稚なことを教えるのが幼児教育だと思って
いる人は多い。私が「幼稚園児を教えています」と言ったときのこと。ある男(五四歳)はこう言
った。「そんなの誰にだってできるでしょう」と。

しかし、この国語力も含めて、あらゆる「力」の基本と方向性は、幼児期に決まる。そういう意
味では、幼児教育は大学教育より重要だし、奥が深い。それを少しはわかってほしかった。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(315)

●ハチ

 縁側の前の空き地で、スズメバチが、死んだ虫の幼虫を食べていた。よく見ると、幼虫の死
骸の、やわらかい部分を食いちぎって、それをどこかへ運んでいるようだった。

 口の部分で、肉片をくわえると、そのまま一直線にどこかへ飛んでいく。そしてしばらく待って
いると、またやってきて、同じ行動を繰りかえす。

 私の中に、いたずら心が生まれた。そのハチがいない間に、幼虫を別の場所に、動かしてみ
ようと思った。そう思いながら、その幼虫を、五〇センチくらい離れたところにあった、石の陰
(かげ)に、隠してみた。

 しばらくすると、ハチがもどってきた。そしてそのときのこと。そのハチが、「アレッ!」というよ
うなしぐさをしながら、あたりを見まわし始めた。そのしぐさが、人間のしぐさに、あまりにもよく
似ていたので、私は思わず、笑ってしまった。

 首をクルクル回しながら、ときに、かしげながら、あたりをさがした。が、やがてすぐその幼虫
を見つけた。時間にすれば、一〇〜二〇秒くらいではなかったか。意外と、早かった。

 で、前と同じように、ハチは、その幼虫にまたがり、肉片を食いちぎり始めた。

 そしてしばらくすると、その肉片をもって、どこかへ飛んでいった。私は、つぎにそのハチが、
どのような行動をするか興味があった。で、そのまま、そこで待ってみた。

 が、だ。ハチの頭のよさに驚いたのは、そのあとのことだった。そのハチは、まったく迷った
ふうでもなく、一直線に、その幼虫の死骸のあるところへ、飛んできたのだ。つまりハチは、そ
の幼虫の死骸のある場所を、たった一度で、記憶してしまったことになる!

 あの小さな頭の中に、車のカーナビゲーターのようなシステムが、組み込まれている!、……
と、私は思った。ハチの行き先を目で追ってみたが、軽く数一〇〇メートルは飛んで行った。そ
の先のことはわからないが、ひょっとしたら、巣は、一キロくらいは、離れたところにあったかも
しれない。

 私たちは、こうした生物には、それほどの知的能力は、ないと思いがちである。しかし実際に
は、私たちが想像する以上の能力がある? 虫の中でも、とくに、ハチには、特別の能力があ
る?

 こんなこともあった。

 数年前、私は庭木を剪定(せんてい)しているとき、スズメバチに指先を刺されたことがある。
そのときも、そのスズメバチは、何の迷いもなく、一直線に、やってきて、私の手を刺した。服
の上や、ハサミではなく、白い手袋をはめた、私の手に、だ。

 「ハチは、私のどこをそう刺せばいいか、あらかじめ、知っていたみたいだ」と、あとで、ワイフ
に、そう話した。

 そんなこともあって、私は、ハチにだけは、気を許さない。それに今度スズメバチに刺された
ら、私は、ショック死するかもしれない。だから、かわいそうだとは思うが、殺せる範囲に飛んで
きたハチは、その場で、殺すか、殺虫剤をかけるようにしている。情け容赦は、無用。

 さらに一五年ほど前には、洗濯物の中に隠れていたスズメバチに刺されたこともある。知ら
ないで、そのシャツを着て、肩の下を刺された。そのときも、上半身が赤く腫れあがるほど、ひ
どいめにあった。

 しかしハチも、毒をもっていなければ、こうまで人間に嫌われることもなかっただろう。ヘタに
毒をもっているから、警戒され、そして殺される。しかしここで大きな疑問にぶつかる。では、な
ぜ、ハチには毒があるのか?

 もしハチが、サソリの大きさだったら、ハチに刺されたら、大きな馬ですら、その場で死んでし
まうだろう。だから進化の過程で、ハチは、今の大きさのハチになった。

 同じように、もし蚊が、ハチの大きさだったら、蚊に刺されたら、人間も、その場で死んでしま
うだろう。だから進化の過程で、蚊は、今の大きさの蚊になった。

 ハチのもつ毒は、しかし、たいへん危険な毒である。そこで進化の過程で、ハチには、一つの
重大な制約が課せられた。それは、「刺したときは、自分も死ぬ」という制約である。

 もしこの制約がなければ、ハチは、蚊のように、無差別に、人を刺すかもしれない。ハチは、
そのとき無敵になるが、同時に、へたをすれば、あらゆる生物を絶滅させてしまうことになる。
だから、「刺したときは、自分も死ぬ」と。

 そこでさらに、その進化の過程で、ハチには、特殊な能力が加わった。「刺してよいときと、そ
うでないときを判断する」という能力である。つまり、「知恵」、もしくは、「考える能力」が、そなわ
った。でないと、今度は、ハチ自身が、絶滅してしまうことになる。

 ……だから、ハチは頭がよくなった。順に考えていくと、そうなる。

 そこで、では、私たち人間は、どうかという問題。

 人間には、ほかの動物たちにはない「脳」がある。大脳新・新皮質部などがそれだが、この部
分だけが、特異に発達している。人間が、知的生物と言われるゆえんは、ここにある。ここでい
う問題というのは、なぜ、この部分だけが発達したかということ。

 何か、進化の過程で、理由があるのだろうか。

私は、ハチが行ったり来たりするのを見ながら、そんなことを考えた。その間、約一〇分ほど
……。

 しかしどう考えても、私には、その理由が、思いつかない。頭がよくなったことで、むしろ人間
は、ほかの生物にとっては、脅威となっている。現に今、人間は、毎年、数万種から、数十万
種もの生物を、絶滅させているという。

 あえて言うなら、人間ほど、ひ弱い生き物も、いない。体は、うじ虫を大きくしたように、水ぶく
れをして、ブヨブヨ。運動能力にしても、人間より劣っている動物をさがすほうが、むずかしい。
そういう生き物だからこそ、知的能力で、それをカバーしたとも考えられる。しかし、それは、あ
くまでも、結果論。

 それを説明するために、人間は、たまたま直立歩行したからだとか。そのため、脳の発達が
うながされたためだとか、一般的には、そう説明されている。しかし、この説明は、どこか、こじ
つけ的でもある。もしこんな論理が正しいとするなら、水の中の生き物、たとえば魚類は、重力
を感じない分だけ、脳の発達がうながされたはずではないか。

 どうして人間だけが……?

 今も、あのハチが、幼虫をさがしているしぐさが、忘れられない。頭を左右にクリクリと振って
いた。「おかしいな?」「ここにあったはずだが?」と、私には、ハチがそう思っているように感じ
た。きっとハチにすれば、私のように、老齢に近いハチだったのかもしれない。私も、最近、同
じようなしぐさを、よくする。だから、笑った。

 私は、やがてその場を離れた。同時に、ハチのことは、忘れた。
(031104)

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子育て随筆byはやし浩司(316)

【今週のBW教室から……】

 この話は、あまり同業者には、したくない。私も、結構、意地悪なところがある。とくに、同業
者には、意地悪。

 しかし、今、私は、こんなことをしている。

 教室のうしろに、幅1・5メートル、長さ2メートル程度の、大きな白いテーブルを置いている。
高さは、年長児たちが立って、ちょうど作業しやすい程度。

 このテーブルの上に、毎月、テーマを決めて、何かのおもちゃを並べている。私はこれを、勝
手に「テーブル遊び」と呼んでいる。

 たとえば、積み木。たとえば、ドミノ。たとえば、ブロック。たとえば、鉄道模型というように。今
月は、いろいろなパズルやゲームを置いている。毎月、予算を、二万円と決めている。

 で、早く来た子どもは、このテーブルのまわりで、遊び始める。最初は、子どもたちを待たせ
ておくために考えたが、この遊びには、それ以上の効果があることがわかった。勉強だけだ
と、ともすれば、孤立しやすい人間関係が、このテーブル遊びを通して、「和」につながってい
く。

 昔は、こうした子どもどうしの「和」は、たとえば砂場などでつくられた。しかし今は、その砂場
がない。あっても、動物の糞などで、汚れている。で、どこの幼稚園でも、保育園でも、不衛生
ということで、この砂場遊びは、敬遠されている。

 が、テーブル遊びには、それにかわる力がある。たとえば先月は、ドミノを数百個買ってき
て、テーブルの上に置いてみた。そのときも、やがて、いつの間にか、子どもたちの間に、一つ
のルールが生まれた。

 それぞれがそれぞれのユニットをつくる。そして最後にそのユニットどうしをつなげる、と。そ
の前に、どちらの方向から、ドミノを倒していくかも、決める。そして全体がつながったとき、だ
れが倒すかを、じゃんけんで決める、など。

 たまに失敗して、相手のドミノを倒しても、不思議と、まったくけんかは、起きない。他人の失
敗は、つぎの自分の失敗ということを、子どもたちは、よく知っている。遊びには、そういった、
ルールを教える力がある。

 今月は、パズルやゲームを置いてみたが、それにも、また別のルールが生まれつつある。順
番にする。交代でする。簡単な方法で、勝ち負けを決める、など。

 私はそうした子どもたちの変化を観察しながら、こう考えるようになった。「ひょっとしたら、こう
した教育のほうこそが、本物の教育ではないか」と。

 こう言いきるのは、少し乱暴かもしれないが、その可能性は大きい。もう少しくわしく、このテ
ーブル遊びを観察してみたい。
(031104)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(317)

【近況報告】

●HTML言語

 R天の無料ホームページ・コーナーを利用して、新しいホームページを開いた。しかしこのホ
ームページは、HTML言語を使って、自分でプログラムすることになっている。

 さっそく、本を買ってきて、そのHTML言語に挑戦する。が、なかなかうまく、いかない。当然
だ。

 で、調べてみると、……などなどと、いろいろ原因がわかった。この間、約三〇分。表をつく
り、その表の中に、リンク先を書いた。

「はやし浩司」をクリックすると、私のホームページに、リンクできるようにした。それができるよ
うになったとき、思わず、声をあげた。「やったア!」と。これがあるから、パソコンは、やめられ
ない。

 市販のソフトを使えば簡単にできることでも、自分でやってみると、そうはいかない。興味の
ある方は、R天の私のサイトを訪問してみてほしい。まだ初歩の段階だが、これから、どんどん
と改良していくつもり。

 そういう意味では、パソコンというのは、実におもしろい。一つのことができるようになると、あ
とは、つぎつぎと、飛躍的に、いろいろなことができるようになる。しかし最初の突破口を開くま
でが、たいへん。このことは、読者のみなさんが、すでに経験しているとおり。

 で、昨日その本を買ってきた直後は、自信をなくしかけていたが、こうしてできるようになって
みると、「ナンダ!」と思ってしまう。これを繰り返しながら、いろいろとできるようになる。大切な
ことは、最初の段階で、ビビらないこと。あきらめないこと。逃げないこと。ぶつかっていくこと。

 ……とまあ、あまり偉そうなことは言えない。私とて、やっと、表が描けるようになっただけ。自
分のホームページと、リンクできるようになっただけ。それこそ、「ナンダ、それくらいのこと
で!」と笑っている人も、多いはず。

 これからも、よろしく!

●日本の景気

 オーストラリアの友人が、日本の経済について、ときどき、メールで、聞いてくる。彼は、ある
大学の東洋学部で、教授をしている。私には、それなりの利用価値があるらしい。が、そのた
め、私とて、いいかげんな返答ができない。

 「株価があがっているというが、日本の景気はよくなっているとみてよいのか?」(一〇月末)
と、その友人。

 こういうとき、すでに彼は、日本の膨大なデータをもっているとみてよい。私が改めて、資料な
ど送っても、意味がない。そこで私がすべきことは、一庶民としての実感を話すこと。できるだ
け、客観的に、話すこと。

 「公務員と、一般庶民の、二極化が進んでいる。『生活が楽になった』と喜ぶ公務員。『生活
がきびしくなった』とこぼす一般庶民。この意識の違いは、一〇年程前から始まったが、ここへ
きて、ますますひどくなったようだ。

 もう一つ、おかしなことは、局部的に、ごくかぎられた人の間で、バブル現象が起きているとい
うこと。今日もメガネをなおしに、近くのメガネ屋へ行ったが、そこでこんな話を聞いた。大半の
人は、レンズつきで、数万円以内のメガネを買うのに対して、その一方で、フレームだけで、一
五万円とか二〇万円のものを買っていく人もいる、と。

 そんなわけで平均すれば、それほど日本の経済は、悪化していないように見えるかもしれな
いが、一般庶民の生活は、確実に苦しくなっている。

ただ、今のところは、一般庶民は、最後の貯金を、取り崩して生活している。何とかもちこたえ
ているが、それはしかし、もう時間の問題。貯金が底をついたとき、日本の経済は、奈落の底
へと、まっしぐらに落ちていく。

君も知っているように、日本人の貯蓄率(家計貯蓄率)は、とうとう七%を切ってしまった。〇一
年に、フランスやドイツを下回るようになり、もうすぐアメリカよりも、低くなるだろうと予測されて
いる。

それまでに、日本の経済がもちなおせばよいが、実のところ、その可能性は、ほとんど、ない。
その足をひっぱっているのが、五〇〇万人とも言われる、公務員たちである。

 一人ひとりの公務員の人に責任があるわけではない。ないが、その数が、あまりにも多すぎ
る。が、公務員の数は、これだけではない。このほか、準公務員と言われる人たちが、この日
本にはいる。公団、公社、政府系金融機関の職員など。さらに電気ガスなどの、独占的営利事
業団体の職員もいる。さらに公務員のための、無数の天下り機関が無数にあって、そこにも、
無数の職員がいる。全体としてみると、その数は減るどころか、ふえている!

そしてこれまたおかしなことだが、公的な機関の建物ばかりが、めちゃめちゃ、豪華。今では田
舎の消防署まで、冷暖房完備の鉄筋コンクリートが当たり前。これから先、その維持費が、莫
大な負担となって、日本の財政を圧迫する。

現に今、数億円とか、数一〇億円もかけてつくった、国の体育館や保養所が、数万円とか、数
一〇万円とか、信じられない値段で、地方自治体に売り飛ばされている。が、そのあとの維持
費を考えると、それでも、買い手がつかないというのが、現状である。

 国も含めて、地方自治体の年間予算の、二〇〜二五%が、土木建設費などという国は、世
界広しといえども、そうはない。日本だけではないか。今度君も、日本へくるとわかると思うが、
日本中の野原や山々は、白いコンクリートでおおわれてしまった。こうした異様な光景を、日本
人は、異様とも思っていない。

 今の日本は、末期のガン患者が、カンフル剤と、生命維持装置で、何とか生きながらえてい
るような状態とみてよい。

 日本が、再生するためには、君たちが指摘するように、行政改革と、規制緩和。それに官僚
政治の是正である。しかし現実は、ほとんど一歩も、前進していない。むしろ日本の進んでいる
方向は、逆を向いている。

 が、何よりも不可解なのは、こうした現実を前にしても、日本人のほとんどに、その危機感が
ないこと。それはたとえて言うなら、父親が、億単位の借金をかかえているにもかかわらず、ノ
ー天気な気分で遊びまくっているドラ息子のようなものだ。「何とかなる」「そんなはずはない」と
いう、甘い期待ばかりが、この日本では、先行している。

 私がこういうことを指摘しても、ほとんどの日本人は、こう言う。「林君、君の意見は、よくわか
った。しかし私に何ができるのか。何もできないではないか。だったら、この問題は、どうしよう
も、ないではないか」と。

 今や日本人は、あの野ネズミの大集団のように、海に向かって大行進している。君も知って
いるだろう。あの野ネズミだ。最後は、南氷洋の海に入って、みな、死ぬ。私ひとりが、「そちら
へ行ったら、あぶないぞ!」と叫んだところで、どうにもならない。今の日本の現状は、そんなも
のだ。

 日本から、外資系企業が、どんどんと逃げ出している。今や、アジアの経済の中心は、シン
ガポールに移ってしまった。アジアといえば、もう中国。日本の影は、ますます薄くなってしまっ
た。

実のところ、こうした現実を、まだ日本人は、受け入れていない。かろうじて日本を支えている
のは、海外資産だ。しかしその、ため込んだドルも、暴落の一歩手前。ドルが暴落したら、いっ
たい、日本は、どうするのだろう。……どうなるのだろう。

 だからおかしなことに、日本の政府は、日本の円を防衛するというより、アメリカのドルの防
衛ばかりしている。ドルの価値がさがったら、それこそ、たいへんだからね。

 一生懸命働いて、貯金して、せっこらせっこらと、ドルを買い支えてきた。しかしそのドルの値
打ちが、どんどんとさがっている! 同じ日本人でありながら、私は、君以上に、日本人がわか
らない。何を考えているか、わからないというのではない。どうして考えないのか、それがわか
らない。本当に、日本人は、バカになってしまったのだろうか。

 否定的なことばかり書いたが、日本の経済は、今や、八方ふさがり。日本の経済学者で、ど
うすれば、日本の経済は再生できるかを考えている学者はいない。いかにじょうずに崩壊させ
るか。そしてそのあと、その混乱を、いかに収束させるか。そればかりが話題になっている。

 たしかに君が指摘するように、株価は上昇している。しかしこれは当然ではないか。あのバブ
ル経済のころより、さらに低金利。超低金利。銀行の預金金利が、〇・〇〇二%なんて、君は
信じられるか。一〇〇〇万円預けて、一年間の利息が、たったの二〇〇円だぞ!
 
 株価があがったことが、問題ではない。これほどまでに、お金をばらまいているのに、たった
これだけしか株価があがらないことのほうが、問題なのだ。つまり日本の経済は、それほどま
でに病んでいるということ。元気がないということ。

 「君は、どう思うか?」と君は聞くが、本当のところ、それを聞きたいのは、私のほうだ。「君
は、日本の経済を、どう思うか?」と。
(031105)

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日本人は、ネズミなのだろうか?
以前、書いた原稿(中日新聞発表ずみ)を
掲載します。

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たった一匹のネズミを求めて

●牧場を襲った無数のネズミ

 私は休暇になると、決まって、アデレ−ド市の近くにある友人の牧場へ行って、そこでいつも
一、二週間を過ごした。「近く」といっても、数百キロは、離れている。広大な牧場で、彼の牧場
だけでも浜松市の市街地より広い。その牧場でのこと。

ある朝起きてみると、牧場全体が、さざ波がさざめくように、波うっていた! 見ると、おびただ
しい数のネズミ、またネズミ。……と言っても、畳一枚ぐらいの広さに、一匹いるかいないかと
いう程度。しかも、それぞれのネズミに個性があった。農機具の間で遊んでいるのもいたし、干
し草の間を出入りしているのもいた。あのパイドパイパ−の物語に出てくるネズミは、一列に並
んで、皆、一方向を向いているが、そういうことはなかった。

 が、友人も彼の両親も、平然としたもの。私が「農薬で駆除したら」と提案すると、「そんなこと
をすれば、自然のライフサイクルをこわすことになるから……」と。農薬は羊の健康にも悪い影
響を与える。

こういうときのために、オーストラリアでは州による手厚い保障制度が発達している。そこで私
たちはネズミ退治をすることにした。方法は、こうだ。

まずドラム缶の中に水を入れ、その上に板切れを渡す。次に中央に腐ったチーズを置いてお
く。こうすると両側から無数のネズミがやってきて、中央でぶつかり、そのままポトンポトンと、
水の中に落ちた。が、何と言っても数が多い。私と友人は、そのネズミの死骸をスコップで、そ
れこそ絶え間なく、すくい出さねばならなかった。
 
が、三日目の朝。起きてみると、今度は、ネズミたちはすっかり姿を消していた。友人に理由を
聞くと、「土の中で眠っている間に伝染病で死んだか、あるいは集団で海へ向かったかのどち
らかだ」と。

伝染病で死んだというのはわかるが、集団で移動したという話は、即座には信じられなかっ
た。移動したといっても、いつ誰が、そう命令したのか。ネズミには、どれも個性があった。そこ
で私はスコップを取り出し、穴という穴を、次々と掘り返してみた。が、ネズミはおろか、その死
骸もなかった。一匹ぐらい、いてもよさそうなものだと、あちこちをさがしたが、一匹もいなかっ
た。ネズミたちは、ある「力」によって、集団で移動していった。

●人間にも脳の同調作用?

 私の研究テ−マの一つは、『戦前の日本人の法意識』。なぜに日本人は一億一丸となって、
戦争に向かったか。また向かってしまったのかというテ−マだった。が、たまたまその研究がデ
ッドロックに乗りあげていた時期でもあった。あの全体主義は、心理学や社会学では説明でき
なかった。

そんな中、このネズミの事件は、私に大きな衝撃を与えた。そこで私は、人間にも、ネズミに作
用したような「力」が作用するのではないかと考えるようになった。わかりやすく言えば、脳の同
調作用のようなものだ。最近でもクロ−ン技術で生まれた二頭の牛が、壁で隔てられた別々の
部屋で、同じような行動をすることが知られている。そういう「力」があると考えると、戦前の日
本人の、あの集団性が理解できる。……できた。

 この研究論文をまとめたとき、私の頭にもう一つの、考えが浮かんだ。それは私自身のこと
だが、「一匹のネズミになってやろう」という考えだった。「一匹ぐらい、まったくちがった生き方
をする人間がいてもよいではないか。皆が集団移動をしても、私だけ別の方角に歩いてみる。
私は、あえて、それになってやろう」と。

日本ではちょうどそのころ、三島由紀夫が割腹自殺をしていた。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


子育て随筆byはやし浩司(318)

反動形成、PART2

●私と主人も……

 教室で、そこにいた母親たちに、反動形成の話をした。

 「相手を嫌いだと思っていても、その相手と離れることができないとわかると、その人は、その
相手を、無理にでも、好きと思うようになる。仮面をかぶるとか、ごまかすということではなく、心
が、勝手に、自分の中に、別の人格をつくってしまう。こういった現象を、反動形成といいます」
と。

 すると一人の母親が、こう言った。「私と主人の関係ですわ」と。

 もちろん冗談で、その人はそう言った。が、私は、この言葉を聞いて、はっとした。なるほど。
考えてみれば、私たちの心は、ひょっとしたら、その反動形成のかたまりではないか、と。

 たとえば仕事。本当は、自分にとっては、いやな仕事かもしれない。しかしやらざるをえない。
逃げるわけには、いかない。そこで、いつか、自分で、その仕事は、楽しいと思い込むようにな
る。よい仕事と、思い込むようになる。だれかに、「あなたの仕事は、楽しいですか?」と聞かれ
たりすると、「ええ。この仕事が、みなさんの生活改善につながっていると思うと、楽しいです」
と。

 たとえば勉強。中学生でも、中に、「勉強は楽しい」と言う子どもがいる。そういう子どもを、よ
く観察してみると、本当に楽しんで勉強しているというよりは、どこか、不自然なところがあるの
が、わかる。

●N君のケース

 N君(中二男子)という子どもがいた。彼は、それなりによい成績をとっていた。が、彼にとっ
て、勉強というのは、自分のわがままを通すための道具にすぎなかった。「宿題がある」「テスト
が近い」と言えば、家事は、すべて免除された。それだけではない。

 彼のばあいは、もう少し巧妙で、親に「うちの子はやればできるはず」と思わせることによっ
て、まさにしたい放題のことをしていた。しかし、N君には、それだけの力はなかった。

 そこである日、私は、彼にこう言った。「君の力は、君が一番、よく知っているはずではない
か。だったら、正直に、お母さんに話してみたら」と。

 しかし、N君は、それを言わなかった。言えば言ったで、自分の立場をなくしてしまうからだ。
だから本当のN君は、勉強が嫌いだったにもかかわらず、私がN君に、「勉強は楽しいか?」と
聞いたりすると、「好きだよ」と答えていたりした。

 嫌いなものを、好きと思い込むことによって、自分の心がキズついたり、不愉快に思ったりす
るのを避けようとする。よく知られた例としては、上の兄や姉が、下の弟や妹に、やさしくした
り、よい兄や姉を演ずるケースがある。本来なら「殺したい」と思うほど、憎んでいるのかもしれ
ないが、それを表に出せば、自分の立場がなくなってしまう。親からは、「いいお兄ちゃんだね」
「やさしいお姉ちゃんだね」と言われている。……言われたい。また言われることによって、自
分の立場を守りたい。

 そこでこのタイプの兄(姉)は、いつのまにか、よい兄(姉)になってしまう。

●別人格

 しかし反動形成は、反動形成。心の中の別人格。こうした状態が長くつづけば、心は、確実
にゆがむ。それから受けるストレス(心的ひずみ)は、相当なもので、ばあいによっては、慢性
的な疾患の原因ともなる。

 私の印象では、こうした子ども、(おとなもそうだが……)、つまり反動形成で、心をごまかして
いる子どもは、どこかヘラヘラしているように感ずる。ヘラヘラしながら、自分をごまかしてい
る? 自分を隠している?

 ……と考えていくと、実は、これは私たち自身の問題であることがわかる。

 その母親が、「私と主人の関係ですわ」と言ったとき、私は、ふと、「私のワイフがそうかもし
れない」と思った。

 本来のワイフは、私を嫌っている。しかし、それを口にすることはできない。またそう思えば、
(あるいはそれを意識すれば)、毎日は、それこそ地獄のような日々になってしまう。そこで、ワ
イフは、一応、私を好きなフリをしている?

 しかしそれはここにも書いたように、「フリ」を超えた「フリ」である。自分の心の中に、別人格
をつくってしまう。心当たりが、ないわけではない。

 たとえばふだんは、それなりに、うまくいっている。しかし何かのことで、口論が始まり、意見
が衝突すると、その別人格が、姿を現す。たとえばワイフのばあい、……

(この先は、ここには書けない。ワイフから、削除するように命令された。)

 そこでワイフの機嫌のよいとき、恐る恐る、聞いてみた。

私「本当のお前は、ぼくを、嫌っているのかもしれないよ」
ワ「そんなこと、考えたこと、ないわ。好きとか嫌いとか、そんなことはね」
私「それがおかしい……。お前は、ぼくがいなくても、さみしくないか?」
ワ「別に……。いつもいっしょに、いるから……」
私「本当は嫌いなのかもしれないが、無理をして、ぼくとつきあっているうちに、自分の心をごま
かすようになった」
ワ「そうね。そう言われれば、そういうところもあるわね」
私(ギョッ!)「…………」と。

●本当の自分
 
こうして考えていくと、本当の自分の心というのは、どこにあるのか。また何が本当の自分の心
なのか、わからなくなってしまう。

 私のばあい、たとえば静かな早朝、書斎でひとりで、あれこれ資料を調べたり、パソコンに向
っているとき。あるいは、山荘で、真っ暗になるまで、ひとりでたき火をしているとき。そういうと
きだけ、自分が自分であるように感ずる。

 それ以外のときは、日々の雑音の中で、自分がわからなくなってしまう。正直に告白しよう。

 私はよく、「先生は子ども(幼児)が好きなんですね?」と聞かれる。そういうとき一応、私は「Y
ES」と答える。

 しかし本当のところは、好きとか嫌いとか、そういう対象ではない。それはちょうど、病人の病
気と戦うドクターのようなものではないか。ドクターに、「あなたは、患者(病気)が好きなんです
ね?」と聞いたら、そのドクターは、いったい、何と答えるだろうか。

 ただ私のばあい、子どもが気になってしかたない。だから電車に乗っても、近くに子どもがす
わると、わざわざ席を別のところに、かえる。落ちつかない。あるいは日曜日や、休日などに
は、子どもの声は聞きたくない。やはり気になってしかたない。

 夫婦にも、親子にも、似たようなところがある。さらに「生きること」そのものにも、似たようなと
ころがある。本当の私は、もう生きることをめんどうに思っているのかもしれない。しかし死ぬ
わけにはいかない。だから、生きることを楽しんでいるフリをしているだけ?

 反動形成が、すべて悪いというわけではない。心には、便利な機能があって、そのつど、環
境に適応していく。自分の心をつくりかえていく。またそれがあるから、人間関係も、スムーズ
に進む。もしこの反動形成という機能がなければ、何もかもギクシャクしてしまう。

 しかしできれば、私はいつも、私でいたい。……と思っている。たぶん、あなたもそうだろうと
思う。そのためにも、一度、あなたの中の反動形成を疑ってみたらよい。
(031105)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(319)

孤独な人

 孤独はやってくるものではない。自らつくりだすもの。

 世の中には、人に愛される人がいる。愛されない人もいる。で、そういう愛されない人を見て
いると、その原因は、その人自身にあることがわかる。ほかの、だれでもない。その人自身
だ。

 たとえばAさん(四〇歳、女性)がいる。そのAさんは、下の子どもが小学校に入学すると同時
に、市内に、小さなブティックの店を開いた。やや人通りのすくないところで、経営的には、ちょ
っと「?」と思うような場所であった。

 で、そのAさんが、さかんに、「私の店に来てほしい」と言う。通りで、顔をあわせるたびに、そ
う言う。しかしもともと、私には、その種のファッションには、興味がない。それを言うと、「奥さん
へのプレゼントには、どう?」と。

 私は経営に関するノウハウは、あまりない。ないが、常識的なことについては、知っている。
そのAさんの店について言うなら、こんなアドバイスができる。

(1)駐車場のないハンディを、どうカバーするか。外からの客は、見込めない。となると、通りを
歩く客を、どうつかむかがポイント。

(2)通りの環境からして、個性を売った店にする。つまり客のターゲットをしぼる。私の感じで
は、そのあたりは、オフィス街に勤める男性が多い。そういう男性をターゲットにして、遊び心の
ある衣服を並べる。

(3)「さあ、来い!」式の、お高くとまった経営ではなく、チラシを作って、オフィス街を歩くサラリ
ーマンに渡す、などなど。

 しかしAさんは、そういう努力をまったくしていない。並べてある衣服も、一〇代から四〇代くら
いまでとハバが広い。女性ものがほとんどだが、小物は、男性ものもある。しかしこれでは、見
た目の品数は多くても、一人の客という立場でみると、少ない。

 が、私がAさんを助けないのには、理由がある。Aさんが、その近所でも、嫌われ者だから
だ。

 Aさんの自宅は、その店から、一〇〇メートルほど離れたところにある。マンションに住んでい
る。が、その家賃は、母親(七〇歳くらい)が受け取る、年金を横取りして払っているという。そ
の店の改装資金も、その母親の貯金から出させたという。

 しかもかなり性悪な人らしく、近所とのトラブルは絶えない。「音がうるさい」と言っては、階上
の人とけんかしたり、「自転車の置き方が悪い」と言っては、近所の子どもに怒鳴り散らしたり
するなど。

 私と、夫の父親とは、親しい関係にある。その父親ですら、こう言う。「あの嫁は、きついから
ねエ〜」と。

 この浜松周辺で、「きつい」という言葉は、よい意味では使われない。で、私は、一応、表面的
には、笑顔であいさつくらいはする。しかしそれ以上、そういうAさんとは、深入りはしたくない。
そういう思いが、ブレーキをかける。

 だから、今、Aさんを助ける人はいない。もちろん客になる人もいない。どこかピントはずれな
商売を見ながら、それにアドバイスする人もいない。だいたいにおいて、Aさんは、他人の話を
聞くような人ではない。

わがままで、自分勝手。それにすべてが自己中心的。「うちの商品の価値のわからない人は、
バカ」と思っているようなところさえ、ある。しかしこれでは、先が見えている。 

 数か月もすると、休業が多くなり、このところ、あいている日のほうが、少なくなった。このまま
いけば、やがて閉店? 私はそういうAさんの店を見ながら、冒頭に書いたことを考えた。

 孤独はやってくるものではない。自らつくりだすもの、と。

 店が繁盛したから、孤独でないとか、繁盛しないから、孤独とか、そういうことを言っているの
ではない。Aさんの店が、一つの、ヒントになったということ。つまり孤独な人は、その周辺に、
人間の「和」がない。その和がないから、その人は孤立する。そして孤独になる。

 それにもう一つ、ヒントになったことは、その「和」は、長い時間をかけて、コツコツとつくりあげ
ていくもの。それこそ、一〇年とか、二〇年をかけて……。その人の人間性とも関係ある。こう
した「和」が広がって、その人のまわりに、ぬくもりができる。このぬくもりが、孤独をいやす。

 私は、若いころ、孤独をよく感じた。今も、よく感ずる。しかしそれは私が孤独であるというよ
り、私自身の生きザマに問題があった。……あるということになる。私はここでAさんの店の話
を書いたが、そのAさんの店と、私は、たいへんよく似ている。私のまわりには、「和」がない?
 ……なかった?

 では、どうすればよいのか。

 これもAさんの生き方が、一つのヒントになる。

 私がAさんを評価するとき、私はAさんの周辺から出てくる、Aさんの話を基準にした。

「Aさんね、夫の両親とは、口も聞かないそうよ。夫といっしょに、夫の実家に行っても、自分は
車の中で、ずっと待っているそうよ」
「Aさんね、実の母親に、資金を出さなければ、家を出ていけと言ったそうよ」
「Aさんね、お金にうるさい人で、子ども会の会費も払っていないそうよ」とか、など。

 こうし悪評を聞きながら、私は、Aさんがどういう人かを知る。そしてそのAさんから離れる。

 同じように、私たちが私たちのまわりに「和」をつくろうとするなら、ごく日常的なことから、自
分をつくっていかねばならない。そのほとんどは、他人とのかかわりのないことが多い。しか
し、それがその人の原点となる。

 ウソをつかない。
 正直に、自分をさらけ出して生きる。
 人に迷惑をかけない。
 ルールを守る、など。

 ほとんどの人は、こうした行為を自然な形でできるが、私はそうでない。生まれが、あまりよく
なかった。だから自分の中に巣くっている邪悪な自分と、そのつど戦わねばならない。

 ふと油断すると、平気でウソをついている自分を知る。自分を飾る。迷惑もかけているし、ル
ールも破っている。つまりこんなことを繰りかえしていたら、みなは私から離れていく。離れてい
って、当然。

 しかし私のばあい、それに気づくのが、遅すぎた。もう五六歳になってしまった。今から軌道
修正しても、間にあわない。「和」ができるころには、(あるいはそれまでにできればよいほうだ
が……)、もう私は、死んでいる。わかりやすく言えば、私は、これからも、ずっと、孤独なまま
だということ。

 今もAさんの店は、そこにある。見た感じは、シャレた、今風の店だが、どこかぬくもりがな
い。そのぬくもりのなさが、Aさんの店を孤立させている。しかしそれにいつか、Aさんが、気づく
ときがあるのだろうか。……そんなことを、このところ、よく考える。
(031106)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(320)

【今週のBW教室より】

 子どもたちに、何かの仕事を頼むと、今の子どもたちは、即座に、こう言いかえす。「どうし
て、私がしなければいけないのか!」と。

 「スリッパを並べて帰ってよ」
 「どうしてエ!」
 「ほかの人には、ほかの仕事をしてもらうから……」
 「でも、どうして私がスリッパなのオ?」と。

 だから私も、こうした仕事を頼むのが、つい、おっくうになる。しかし、だ。昨日は、ちがった。
こんなことがあった。

 M君(小五)が、足を骨折した。松葉杖をついて、教室へやってきた。母親が、介護していた。

 で、レッスンが終わったときのこと。私は、矢継ぎ早に、まわりにいた子どもたちに、こう指示
した。

 「S君と、N君、君たちは、体が大きいから、M君を両脇から支えてあげてよ」
 「Nさん、あなたは、M君の松葉杖をもってあげてよ」
 「Y君、君は、M君のバッグをもってあげてよ」と。

 私はいつものように、みなが、反発するものとばかり思っていた。が、昨日は、ちがった。み
な、神妙な顔をして、すなおに、私の指示に従っているではないか。そればかりではない。みな
が、M君に向かって、やさしい言葉すら、投げかけている!

 私はうれしかった。母親も、うれしそうだった。

 内心では、「いざとなったら、やってくれるものだなあ」と思った。と、同時に、少し誤解が解け
た。

 私たちは、何かにつけて、表面的な部分だけを見て、「最近の子どもたちは……」と批判しが
ちである。しかしそうしたものの見方は、正しくない。

 基本的には、子どもたちは、「善」である。そして今の日本の教育には、いろいろ問題はある
が、しかし基本的には、「善」である。私は、M君を支えながら帰る子どもたちを見送りながら、
改めて、それを思い知らされた。

【今週の幼児教室より】

 今週は、「動物」の学習をした。

 「魚」「虫」「鳥」「けもの」を、テーマにした。

 基本的な形、住む場所、食べ物の話など。ついで卵を産むか、産まないか。さわると暖かい
か、そうでないか、など。

 途中、一冊の絵本を見せた。昔、G社でいっしょに仕事をした、友人の鈴木Y氏が、編集、制
作した絵本である。

 私は基本的には、教室では、市販の教材は、使わない。すべて手作りの教材を使っている。
プリントも、毎回、自分で制作し、印刷している。無数の市販教材の編集、制作にかかわってき
たが、そういうものを、生徒に売りつけたことは、一度もない。

 が、その絵本には、特別の思いがある。友人の鈴木Y氏が制作したというより、二〇代のこ
ろ、「幼児の学習」「なかよし学習」という雑誌の仕事を、その鈴木Y氏といっしょに、したからで
ある。当時、この二つの雑誌は、合計で、毎月、四七万部も売れた。

 その鈴木Y氏が、その絵本をつくった。「日本では、最大の絵本だ」と、当時の彼は言ってい
たが、彼は本当に、得意そうだった。で、毎年、その絵本を、子どもたちに、見せることにして
いる。(どこか、こじつけ的だが、自分では、そう思っている。)

 で、「君たちは、何の仲間かな?」と聞いてみた。子どもたちは、すかさず、「ぼくたちは、人間
だ」と。

 わかっていない?

 そこで私が、「だからア〜、君たちは、魚か、虫か、鳥か、けものの仲間か?」と聞いた。する
とまた、子どもたちは、「ぼくたちは、人間だよ」と。

 そこで私が、ガオーガオーと、ほえて、けもののマネをしてみせた。「だろ、先生は、けものの
仲間だよ」と。一応、けもののマネをしてみせたが、子どもには、サルに見えたらしい?

 子どもたちは、「先生は、サルだけど、ぼくはトラだ」「私もトラ」と言い出した。「? ……どうし
て?」「だって、トラ年だもん」と。ナルホド!

 そのレッスンが終わるころ、最後は、こんな質問で、レッスンを、しめくくった。

私「では、鳥と魚は、どこが、どうちがいますか?」
子「鳥は、水の中に入らない。魚は泳ぐ」など。

 この時期、常識的なものの考え方が、身につくようになる。「常識的」というのは、おとなの視
点からみて、「そうだな」と、納得のできる考え方という意味。(それがよいことと決めてかかって
は、いけないが……。)

 しかし、そうでない子どももいる。「けものと、虫はどうちがいますか?」と聞いたりすると、「け
ものの耳は長いけど、虫の羽は、薄い」とか、など。

 しかしこの時期、子どもがどんな意見を言っても、まずほめる。内容よりも、(意見を言った)
ということのほうが、大切。

 で、もう何年も前のことだが、こんなふうに答えた子どもがいた。

私「では、犬と、花はどうちがいますか?」
子「犬にはハナがあるけど、ハナには、ハナがなくて、犬にはハナがないけど、ハナには、ハナ
がない」と。

 「花」と「鼻」のちがい?

 子どもに教えていると、笑いが絶えない。では、このつづきは、また……。
(031106)

【追記】

 たまたま今朝(六日)、「学生新聞・10・2日号」が送られてきた。その原稿を、そのまま紹介
する。この中で、日本人とアジア人について、書いた。「日本人は、アジア人だ」と言った日本の
子どもと、「ぼくたちは、人間だ」と言った、私の教室の子どもは、どこか似ている。これもどこ
かこじつけ的だが、お許しいただきたい。

+++++++++++++++++

ベトナム戦争

●徴兵はクジ引きで

 徴兵は、クジ引きで決まった。そのクジで決まった誕生日の若者が徴兵され、そしてベトナム
へ行った。学生とて、例外ではない。

が、そこは陽気なオーストラリア人。南ベトナムとオーストラリアを往復しながら、ちゃっかりと金
を稼いでいるのもいた。とくに人気商品だったのが、日本製のステレオデッキ。それにカメラ。
サイゴンで買ったときの値段の数倍で、メルボルンで売れた。兵士が持ちこむものには、原則
として関税がかけられなかった。

 そんな中、クリスという男がベトナムから戻ってきた。こう言った。「戦場から帰ってくると、み
んなサイゴンで女を買うんだ」「女を買う?」「そうだ。そしてね、みんな、一晩中、女の乳首を吸
っているんだ」「セックスはしないのか?」「とても、する気にはなれないよ。ただ吸うだけ」「吸っ
てどうするんだ?」「気を休めるのさ」と。
 
●オーストラリア人のベトナム戦争

 ベトナム戦争。日本でみるベトナム戦争と、オーストラリアでみるベトナム戦争は、まるで違っ
ていた。緊張感だけではない。だれもが口では、「ムダな戦争」とは言っていたが、一方で、「自
由と正義を守るのは、ぼくたちの義務」と言っていた。

そういう会話の中で、とくに気になったのは、「無関心」という単語。オーストラリアでは「政治に
無関心」ということは、それだけでも非難の対象になった。地方の田舎町へ行ったときのことだ
が、小さな子どもですら、「あの橋には、○○万ドルも税金を使った」「この図書館には、○○万
ドル使った」と話していた。彼らがいう民主主義というのは、そういう意識の延長線上にあった。

 「日本はなぜ兵士を送らないのか?」「日本は憲法で禁じられている」「しかしこれはアジアの
問題だろ。君たちの問題ではないか!」「……」と。毎日のように私は議論を吹っかけられた。

私が、いくら、ただの留学生だと言っても、彼らは容赦しなかった。ときには数人でやってきて、
怒鳴り散らされたこともある。彼らにしてみれば、私が「日本」なのだ。もっとも彼らがそうする
背景には、「いつ戦場へ送り出されるかわからない」といった恐怖感があった。日本人の私と
は真剣さが違った。

●日本は変わったか?

 それから三四年。世界も変わったが、日本も変わった。しかしその後、日本がアジアを受け
入れるようになったかどうかということになると、それは疑わしい。

先日もテレビ討論会で、一人のアフリカ人が、小学生(六年生くらい)に向かって、「君たちはア
ジア人だろ!」と言ったときのこと。その小学生は、こう言った。「違う。ぼくは日本人だ」と。そ
こで再び、「君たちの肌は黄色いだろ!」と言うと、「黄色ではない。肌色だ!」と。こうした国際
感覚のズレは、まだ残っている。三五年前は、もっとすごかった。

日本人で、自分がアジア人だと思っている人は、まずいなかった。半ば嘲笑的に、「黄色い白
人」と呼ばれていたが、日本人は、それをむしろ誇りに思っていた? しかしアジア人はアジア
人。この事実を受け入れないかぎり、日本はいつまでたっても、アジアの一員にはなれない。

 話はそれたが、ベトナム戦争についても、彼らの論理は明快だ。クリスと会った夜、私は日記
にこう書いた。

「戦争に行く勇気のあるものだけが、平和を口にすることができるという。戦争に行くのがこわ
いから、戦争に反対するというのは、この国では許されない。もっと言えば、この国では、兵士
となって戦争を経験したものだけが、平和を口にすることができる。そうでないものが平和を唱
えると、卑怯者と思われる。戦争と平和は、紙でいえば、表と裏の関係らしい。平和を守るため
に戦争するという、一見、矛盾した論理が、この国では常識になっている。そんなわけで私は、
クリスに、ベトナム戦争反対とは、どうしても言えなかった」と。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(321)

意識のズレ

 アメリカへ行くと、どこでも、「神、神、神……」と、うるさくてしかたない。札の裏側にさえ、「We
 trust in God」(われわれは神の存在を信ずる)と印刷してある。しかし、だ。肝心の彼ら
は、「キリスト教国」とは、思っていない。ためしに、近くにいるアメリカ人に、「君たちの国は、キ
リスト教国か?」と、聞いてみればよい。みな、はっきりと、それを否定する。

 同じように、選挙が近くなると、S学会の人たちが、忙しく動き始める。日本でも最大の宗教
団体である。で、そういうS学会の人たちに、「K党は、S学会の政党か?」と、ためしに聞いて
みるとよい。みな、こう言うはずだ。「K党と、S学会は関係ない。私たちは、政教分離の原則を
守っている」と。

 決して、彼らは、ウソを言っているのではない。からかっているのでもない。本気で、そう思っ
ている。そう思って、そう言う。つまり意識のズレというのは、そういうもの。

 で、こうした意識のズレは、私の生活の、あらゆる部分に入りこんでいる。もちろん子育ての
場、にも。

 母親の過関心と、過干渉で、性格が萎縮してしまったような子どもがいる。ハキがなく、顔も
青白い。しかしそういう母親に向かって、「子育てに神経質になっていませんか?」と声をかけ
ても、ムダ。母親に、その意識がないばかりか、むしろ、自分はできのよい母穂だと思いこんで
いる。そういうケースが、多い。

 以前、私がそれを指摘したときのこと。その子どもも、母親の過関心で、明かに性格が萎縮
していた。が、その母親は、「うちの子は、生まれつき、ああです」と。しかし、生まれたときか
ら、そうだとわかる母親など、いない。産婦人科のドクターだって、わからない。

 問題は、私たち自身のこと。

 私たちも、あらゆる場面で、さまざまな意識をもっている。そういう意識は、当然のことなが
ら、これまたあらゆる方向にズレている。そういう「ズレ」に、いかにして気づき、またそれをなお
していくかということ。それが重要。

 男でも、まったく、家事を手伝わない男がいる。
 父親でも、まったく、育児に参加しない父親がいる。
 さらには、強度のマザコンでありながら、自分では、ふつうだと思いこんでいる、男や女がい
る。(女性でも、マザコンタイプの人はいるぞ!)

 最近でも、ある男性(五〇歳くらい)と、こんな会話をした。たまたま天皇が、この浜松市へや
ってきたときの夜のこと。レストランで夕食を食べていると、私の横にすわった。いつもは世間
話で終わるのだが、その日は、ちがった。たまたま天皇が、国体の開会式のため、浜松市に
やってきていた。

 「日本人は、ああして、ちょうちん行列をする。K国の人たちも、同じような行列をして、金XX
をたたえる。同じようなものですね」と、私がふと、もらすと、その男性は、ムッと不愉快そうな顔
をして、こう言った。

 「日本の天皇陛下と、K国の金XXを、いっしょにしてはいけない。日本の天皇陛下には、万世
一系の、伝統と歴史がある。日本が世界に誇るべきことだよ。金XXは、まだ、たったの二代目
だ」と。

 ナルホド!

 人には、それぞれの考え方がある。もちろん、私にもある。それはそれとして、意識のズレと
いうは、いろいろな場面で現れる。その男性もズレているし、この私もズレている?

 こうしたズレを防ぐ方法があるとすれば、いつもいろいろな人の意見に耳を傾け、自分の中
で消化することだ。あるいは「昇華」でもよい。その点、私は、実に恵まれている。本当に、恵ま
れている。

 毎日、多くの幼児、小学生に接している。平均すれば、毎日、一〇〜二〇人程度の親たち
と、会話もしている。こうした人間関係が、私を、いつも「正常」(?)にする。邪悪な心や、邪念
があると、すぐその場で、たたきつぶされる。……たたきつぶされてしまう。この世界では、ごく
平均的な、かつごく常識的な意見しか、通用しない。

 加えて、子どもたちには、生きるパワーがみなぎっている。体も健康だが、心も健康である。
子どもたちは、まさに、「心のカガミ」ということになる。

 たとえば私がいくら落ちこんでいても、子どもたちは、それを許してくれない。暗い表情をして
いると、かえって、笑われてしまう。「先生、おかしいよ」と。

 さらに一言、つけ加えるなら、こうした世界では、親たちが、「ゆがみ」を感ずると、子どもを、
私に任さない。それは親の立場になってみれば、すぐわかること。思想的に偏向している教師
に、子どもを任すのは、たいへん危険なことでもある。

 だから、私は、自分では、きわめて標準的、常識的だと思っている。思っているだけで、ズレ
がないとは、断言できない。しかしこの「ズレに対する警戒心」は、私が、ものを考えたり、書い
たりするとき、片時も、頭の中から消えることはない。ある意味で、ものを書くというのは、その
ズレとの戦いであるといってもよい。

 言うまでもなく、ズレが大きければ大きいほど、人生の道を、踏みはずすことになる。時間を
ムダにすることになる。これだけは、何としても、避けたい。残りの人生は、ますます短くなって
きている。
(031106)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(322)

我が家の自己紹介

 マガジンで、写真を紹介できるようになったので、私の家の周辺を、紹介したい。

 私がこの地に、移り住んでから、もう二八年目になる。土地を買ったときは、ただの丘。ほと
んど家はなかった。で、すぐ家を建てたが、二階の窓からは、西は浜名湖から、東は、浜松の
駅まで見渡せた。湖西市のほうから、その浜松駅まで、新幹線が、切れることなく、走っていく
のが、見えた。

 が、それから二七年。あたりの様子は、すっかりと変わってしまった。今では、新幹線は、ま
ったく、見えない。東隣の空き地を除いて、住宅が密集した。一応、閑静な、中級(高級ではな
い)住宅地ということになっている。

 この土地は、私が購入したときは、一坪、一〇万円と少しだったが、あのバブル経済のころ
は、一〇〇万円になった。そののち、六〇万円にさがり、今は三〇〜四〇万円くらいで取り引
きされている(らしい)。

 「あのころ売っておけばよかったね」と、ワイフは、よく言う。実際、近所には、うまく売り逃げ
て、大金を手にした人もいる。

 で、私の家の前は、このあたりに代々住む、大地主T家の、墓地になっている。先祖の一人
は、あの賀茂真淵の弟子だったという。由緒ある名家だという。で、ちょうど私の家のあるあた
りには、江戸時代のはじめ、城があったという。長い間、このあたりを調査した人がいるが、結
局、その場所は、わからなかったという。

 しかし、だ。私の家のあるところが、その城跡ではないかと、私は思っている。昔の人は、リ
チギなところあって、方角にしたがって、城を建て、その城を中心に、寺や神社を建てた。そう
いう資料をもとにすると、つまり現存する、神社や寺の位置から推察すると、私の家のあるあ
たりが、「そこ」になる。

 実際、今の土地を整地するとき、井戸の跡が見つかったこともある。ふつうの井戸ではない。
一間四方もある井桁を組んだ、大きな井戸である。私の家は、その上に建てられている。

 また北側は、そのまま丘陵地帯につながっている。問題は、西側だが、少し前までは、谷だ
ったそうだ。新幹線の線路工事をするとき、残土をもってきて、埋めたてたそうだ。だから今
は、平地になっているが、その上にも、今は、ぎっしりと家が建っている。「だいじょうぶなのだ
ろうか?」と思いつつ、もう二七年になる。

 南側にも、家があって、そのため、我が家は、日当たりは、あまりよくない。しかしその分、庭
が広いので、それなりに楽しむことができる。いろいろな果樹を植えた。

 キーウィ、ブドー、モモ、クルミ、フェイジョワ、キンカン、ウメ、栗、カリンなど。少し前までは、
ザクロもあったが、駐車場をつくるとき、切った。

【写真1】庭、自宅のほうから、南側を写した
【写真2】庭、南側から、自宅のほうを写した
【写真3】玄関のほうから、裏のほうを写した
【写真4】自宅全景(庭から見た、我が家)
【写真5】細い通路(古い家の前の通路。南側だが、ほとんど、日が入らない)
【写真6】キーウィの棚。もう二五年になる老木

 以上が、我が家の自己紹介。こんな情報、何の役にもたたないことはよく知っている。たまた
まマガジンで写真を配信できるようになったので、試しにしてみた。どうか許してほしい。
(031106)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


子育て随筆byはやし浩司(323)

●運転手のミス

 少し、ひねくれた意見かもしれないが……

 静岡県吉田町のJR東海の東名高速バスが、停留所を誤って(報道のまま)通過してしまっ
た。それでそのバスの運転手は、四〇〇メートルを逆走(バック)し、停留所にもどり、一人の
客をおろし、別の一人を乗せて、その場を去ったという。 

 このニュースは、NHKの定時ニュースとしても報道された。警察は、実況検分をし、バス会社
は、緊急経営会議を開いて対策を協議するという。しかし……。少し、大げさではないのか? 
たかが、バスの運転手のミスではないのか?

 私が子どものころは、バスは客の要望に応じて、バス停でなくても、バスは、止まってくれた。
ときには、バス停でないところでも、客を、拾って乗せてくれた。どこかいいかげんだったが、そ
ういういいかげんさが、今から思うと、どこか温もりのある思い出として、心にかえってくる。

 これに対して、バス会社は、その運転手は、内部規約に違反したという。乗客をおろし忘れた
ときには、つぎの停留所まで走り、そこで会社に連絡をすることになっていた。しかしその運転
手は、その規約を守らなかった、と。

 そこで考えた。私なら、どうするだろうか、と。

 もし私がおりるはずの客だったら、笑ってすますだろうと思う。「おいおい、ちがうよ。ははは」
と。停留所の客でも、同じだっただろう。私の年代というのは、そういうミスに寛大な世代であ
る。もともと社会というのは、そういうものだという前提で、生きている。社会というのはそういう
ものだと、割り切っている。

 むしろ今のように、ガチガチになった社会のほうが、恐ろしい。たとえば列車にしても、日本
ほど、時刻表に正確に走る国は、そうはない。アメリカの列車など、数時間遅れとか、半日遅
れなど、あたりまえ。しかしだれも、文句を言わない。

 日本では、社会に組み込まれた人間たちが、寸部の狂いもなく、仕事をする。まさに人間が、
精密な歯車のように、仕事をしている。またそうすることが、仕事ということになっている。

 ミスにおおらかであれと言っているのではない。もう少し、社会にゆとりがあってもよいのでは
ないかと言っている。理由がある。

 ガチガチになればなるほど、社会は硬直化する。硬直化すればするほど、民衆がもつダイナ
ミズム(活力)がそがれ、ポテンシャル(可能性)が、つぶされる。今の日本のように、何をする
にも、資格だの、免許だのと、管理されてしまうと、民衆が、身動きがとれなくなってしまう。

 驚くなかれ、今では、地域の観光ガイドをするにも、資格がいる。

 つぎに、日本はともかくも、世界は、そうでないということ。先日も、アメリカの田舎町でタクシ
ーを予約したが、その日は、ダンナさんが、奥さん(=タクシードライバー)のかわりに、ふつう
の乗用車でやってきた。「ワイフは、今日は、ほかを回っているから……」と。

 もちろんメーターなど、ない。料金は、乗る前に、相談して決める。「一人で、二〇ドル。二人
で、四〇ドルでいいか?」と。

 では、そういうアメリカが不便かというと、そういうことはない。みながみな、そういうリズムで
動いている。

 それに私が心配するのは、こうまで人間が、国(官僚)によって管理されてしまうと、いざとな
ったとき、民衆は、臨機応変に行動できなくなってしまうということがある。生きる力そのもの
を、見失ってしまう。

 印象に残っているのは、一〇年ほど前、北九州で、雨不足による断水がつづいたときのこ
と。テレビの画面に向って、「断水は、行政の怠慢だ!」と叫んでいた男性がいた。当時私は、
山荘に水を引くため、四苦八苦していた。だから、思わず、その男性に、こう言ってしまった。
「何を甘ったれたことを!」と。

 何かあったとき、日本の社会は、ガタガタになってしまう。社会に柔軟性がない分だけ、身動
きがとれなくなってしまう。世界を歩いてみるとわかるが、日本は、超の上に、超がつく、超々管
理国家。決められたことを、その範囲の中だけで、おとなしく仕事をしている人には便利な世界
だが、しかしこんな世界を、本当に自由な国というのだろうか。

 繰りかえすが、だからといって、ミスにおおらかであれと言っているのではない。たしかに「J
R」という社会は、たるんでいる。それはわかる。それに、恐らく、つい先日、JRの東名高速バ
スの運転手が、飲酒運転をしていたということもあり、マスコミは神経質になっているのだろうと
思う。しかしその問題と、今回の問題は、本質的に、内容がちがうように思う。

 こういうミスが発見されると、国や会社は、さらにがんじがらめに、バスの運転手をしばりあげ
るだろう。しかしそんなことをすれば、運転手は、ますます萎縮してしまい、自分で何も考えられ
なくなってしまう。また同じような状況になると、パニック状態になってしまう。

 むしろ私たちが考えるべきことは、「こうしたミスは、バスにはつきものです。三〇分や一時間
の遅れは、よくあることです。乗客の私たちも、運転手を信頼しすぎないように、停留所がきた
ら、自分でバスを止めるような覚悟をもとう」ということではないのか。

 いわゆる自己責任という発想だが、それこそが、まさに、「自由」ということになる。だいたい
において、警察にしても、実況検分までしなければならないような、大げさな事件ではあるま
い。

 私はこのミスの報道を聞いたとき、心のどこかで、何とも言われない息苦しさを感じた。その
息苦しさを、少しでも、理解してもらえれば、うれしい。
(031107)

【TBSニュースより】

国交省、近くJR東海バスを監査へ 

 静岡県の東名高速道路で停留所を通り過ぎたJR東海バスの高速バスがバックで逆走した
問題で、国土交通省の中部運輸局は重大な事故につながるおそれがあったとして、近くJR東
海バスを監査する方針です。

 5日午後4時過ぎ、静岡県吉田町の東名高速道路上り線で、インターチェンジ内のバス停に
止まる予定だったJR東海バスの路線バスがインターチェンジを誤って通過しました。
 
 これに気付いた運転手は、本線や高速に乗り入れるための進入路をバックで逆送しました
が、危険なため途中でバスを止め、歩いてきた乗客を迎えに行きました。
 
 JR東海バスによりますと、停留所を通過してしまった場合、本来なら最寄りのサービスエリア
や、次のバス停から会社に連絡する規定になっていたということです。
 
 中部運輸局では、重大な事故につながる恐れがあったとして、運転手への指導が徹底して
いたか、近く関係者から事情を聴くことにしています。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

 
子育て随筆byはやし浩司(324)

自己嫌悪

 うつ病になると、ときどき、はげしい自己嫌悪に襲われる。自分のささいな欠点や失敗を、こ
とさら大げさに問題にして、「自分はダメだ」「自分は生きていても意味がない」などと思う。思う
だけならまだしも、自分を消し去りたい衝動にかられる。

 自殺を試みる人の心理は、こうして説明されるが、代償的自己嫌悪というのもある。私が勝
手にそう呼んでいるだけだが、嫌悪の矛先が、「自分」ではなく、夫や妻、あるいは自分の子ど
もなど、「他者」に、向けられる。

 何かのことで、つまずいたり、失敗したりすると、「すべての原因は、夫(妻)にある」「自分が
こうなったのも、仕事(家庭)がうまくいかないのも、すべて夫(妻)の責任だ」と。

 一度、こういう心理になると、相手の何もかもが、いやになる。そして攻撃的に、相手を責め
たりする。

 このタイプの人は、まさに相手を執拗に責めたてる。クドクド、ガミガミ、ネチネチ、そしてギャ
ーギャーと。

 茨城県に住む、STさん(女性)がそうだ。STさんのメールによると、「こういう状態になると、
離婚どころか、夫を殺したい衝動にかられます」と。

 恐ろしい話だが、脳のCPU(中央演算装置)が狂うと、「死ぬ」「殺す」という言葉が、口から出
てくるようになる。

 だれしも落ちこむと、ある程度の自己嫌悪の念にとらわれる。「落ちこむ」というのは、もとも
と、そういう状態をいう。で、その落ちこんだとき、いかにしてそれを最小限におさえ、いかにし
て自分を、そうした自己嫌悪から回避するか。それが問題である。

 これについては、私もよくわからない。……というのも、私も、よく落ちこむし、ここでいう自己
嫌悪におちいる。そういうときというのは、他者(妻)があれこれ言っても、あまり意味がない。
静かに、そっとしておいてくれるのが一番だと思う。

 自分について言えば、「今は、正常ではない」と、はっきりと、自覚すること。そういうとき、あ
れこれと、決定したり、判断したりするのは、避ける。私も、そうしている。そしてそういうとき
は、ただひたすら、静かに時の流れに、身を任す。

 STさんのばあいは、仕事や子育てで疲れたとき、何かのことで失敗したようなとき、どっと、
そういう気分が、押し寄せてくるという。ふだんは、仲がよい夫婦として、世間でもとおっている
が、そういうとき、思わず、夫に向かって、「私の人生を返して」と言いそうになるという。

 どちらかというと、できちゃった婚に近かったという。それに結婚したのが、二一歳。若かっ
た。そういう思いが、複雑に交錯するらしい。「私の人生を返して」という言葉は、そういうところ
から出てくる(?)。

 人はだれしも、平凡ではいたくないと願う。しかしその平凡から逃れようとすればするほど、社
会の荒波と対峙する。そして無数のストレスをかぶる。それは現代社会がかかえる、宿命のよ
うなものかもしれない。そういう意味では、だれしも、うつ病、あるいはうつ病の予備軍というこ
とになる。「アメリカ人の、三分の一が、うつ病」という説もある。

 いいかえると、いかにして、自己嫌悪と戦うか。それは生活の中の、一つの大切なテーマとい
うことになる。
(031108)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


子育て随筆byはやし浩司(325)

大声

 いかにすれば、大声を出させることができるか。それは幼児教育の、一つの重要な「柱」でも
ある。

 こう書くのも、今、集団の中で、大声を出せない子どもが、年中児で、五人に一人は、いる。
たいていは、心(情意)と、表情が遊離し始めていて、教える側からすると、いわゆる「何を考え
ているか、わからないタイプの子ども」ということになる。

 仮面をかぶるけースも、多い。

 子どもの世界、とくに幼児の世界では、よい子ぶるというのは、決して好ましいことではない。
このタイプの子どもは、(どうすれば、自分が先生に好かれるか)、(どうすれば、みなに、気に
入られるか)だけを考えて行動する。

 もっとも年長児くらいになると、意識的な行動というよりは、無意識的な行動となる。だからふ
つう、先生の受けもよい。「いい子です」と、先生にほめられる子どもは、たいていこのタイプの
子どもとみてよい。

 子どものすなおさをみるときは、その子どもが、自分をさらけ出しているかどうかをみて、判
断する。うれしいときは、うれしそうな顔をする。悲しいときは、悲しそうな顔をする。いやだった
ら、はっきりと「いや」と言う。そして皆が笑うときは、大声で笑う、など。

 こうした(さらけ出し)が基本となって、子どもは、他者(親、兄弟、先生、仲間)と、基本的な信
頼関係を結ぶことができる。が、ここでいう仮面をかぶるようになると、その(さらけ出し)をしな
くなる。つまり、他者と、良好な人間関係を結べなくなる。

 一般的に、他者との信頼関係をうまく結べない子どもは、@攻撃的になる、A服従的になる、
B同情をかうようになる、C依存的になると言われている。

 これについては、たびたび書いてきたので、ここでは省略する。

 その中でも、ここでいうタイプの子どもは、集団の中で、服従的になったり、依存的になったり
しやすい。(反面、家の中では、態度が大きく、粗放化しやすい。俗にいう、『内弁慶、外幽霊』
となりやすい。)

 反対に、ここでいうようなタイプの子どもは、まず大声を出させるところから、指導を始める。
少しでも声を出したら、ほめる。また少しでも声を出したら、ほめる。これを根気よく、繰りかえ
す。

 その中でも、とくに有効なのは、笑わせること。これについても、すでにたびたび書いてきた
ので、ここでは省略する。私は、いつしか、笑わせることは、幼児教育の「真髄」と思うようにな
った。

 さて、あなたの子どもは、だいじょうぶだろうか。

 園や学校の参観日などを利用して、あなたの子どもの姿を見るとよい。このとき、家の中で
の様子と同じように、伸び伸びとしていればよい。心が開放されている子どもは、ハツラツとし
た表情をしている。そうでない子どもは、そうでない。どこか表情が、暗い。あるいは、仮面をか
ぶる。

 さらにひどくなると、親の前でも、心と表情が、遊離し、ちぐはぐになる。いやだと思っているは
ずなのに、ニヤニヤと笑うなど。もしそうなら、家庭教育のあり方を、猛省する。親の過干渉、
過関心、神経質で威圧的な育児姿勢など。

 大声でしゃべり、大声で自己主張をする。一見何でもないことのようだが、それができるだけ
でも、あなたの子どもの心は、まっすぐと伸びていることになる。
(031107)

+++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(326)

夫婦論

●静岡県H市に住んでいる、MTさんからいただいたテーマについて、考えてみる。MTさん
は、このところ、殺伐とした夫婦関係に悩んでいる。「家庭内離婚」という状態だそうだ。ただ
「子ども(高一男子と、中一男子)がいるので、離婚せず、がんばっている」とのこと。

●されど、夫婦……

 結婚した。子どももできた。あれこれと夢中で生きてきたが、ある日、ふと立ち止まったような
とき、こう思う。

 「こんなはずではなかった……」と。

 妻だけではない。夫も、そうだ。「私は、もっと、いい人と結婚すべきだった」という思いが、「こ
んな人と結婚すべきではなかった」という思いに変わる。あるいは「どうして、こんな夫(妻)と結
婚したのだろう」という思いに変わることもある。

 そこでこのタイプの人は、夫であるにせよ、妻であるにせよ、自分の心を守るために、さまざ
まな心理的変化を示すようになる。自分の心を認めるということは、即、自分が不幸になること
を意味する。さりとて、離婚して、再出発する勇気も、元気もない。知力も財力もない。男のば
あい、生活力そのものがないことも、多い。

 しかし安心してほしい。

 大半の夫婦は、そんなもの。電撃に打たれて、熱烈な恋をして、身も心もこがしながら、相思
相愛で結婚する夫婦など、そうは、いない。たいていは、そのときの成りゆき、雰囲気、あるい
はハプニングで結婚する。心はともかくも、たがいに体を求めあって結婚するというケースもあ
る。

 つまり夫婦というのは、そういうもの。たとえば動物の世界でも、生涯にわたって、一夫一妻
をつらぬく動物は、少ない。人間に近いサルについては、ボス猿を中心とした、一夫多妻の生
活を営んでいる。

 だから人間についても、必ずしも、一夫一妻制に、生涯、こだわる必要はないのではないの
か……というふうに、最近、考えるようになった。少なくとも、離婚することを、「悪」と考えるの
は、まちがっている。

 むしろ、たがいに仮面をかぶりながら、自分の心をごまかし、たがいにキズつけあうほうが、
おかしい? まちがっている?

 そこでこのタイプの夫婦は、究極の選択を迫られる。

 離婚するか、もしくは、妥協して、結婚生活をつづけるか。

 しかしここで注意したいのは、幸福感の充実というものは、毎日、持続的にあるものではない
ということ。一か月のうちの、数日。その数日のうちの、数時間、その数時間のうちに、ほんの
数分もあれば、じょうでき。のこりのあとの時間は、その瞬間のためにあるようなもの。日常的
に、幸福の充実感がないからといって、その結婚生活が失敗とは、言えない。

 そこで大切なことは、いかにして、一対一の人間関係を、いかにして充実させるかということ。
夫婦というワクにこだわる必要はない。「夫だから……」とか、「妻だから……」と考える必要も
ない。そのうち、夫婦を超えた、新しい人間関係が生まれる。

 かく言う私たち夫婦も、何度か、危機的な状況を経験している。今も、危機的? 決して安泰
というわけではない。原因の多くは、私のゆがんだ性格。自分でも、それがわかっている。偉そ
うに人前に立って、これまた偉そうなことをしゃべっているが、本当のところ、心の中は、ボロボ
ロ。夫婦関係も、ボロボロ。親子関係も、ボロボロ。

 ただ、この年齢になると、「居なおる」ということを覚える。「どうせこんなもの」という思いや、
「人生、そう長くない」とか、「だれと結婚しても、同じようなもの」という思いが、強くなる。そして
その分、今の私のように、ほかのことでエネルギーを使うようになる。

 これはある種の、現実逃避からもしれない。あるいは、ある種の、ニヒリズムかもしれない。し
かし大切なことは、夫婦にせよ、親子にせよ、あまり過剰に、期待などしないこと。またその幻
想に、とりつかれるのもよくない。「家族はこうあるべき……」「こうでなくては……」と、考える必
要もない。あなたはあなただし、今のあなたの姿が、あなたの姿なのだ。

 で、MTさんのばあい、問題は、二人の息子である。MTさんは、二人の息子のことを考えて、
離婚しないでいるという。しかし年齢的には、すでに、現実を、じゅうぶん受け入れる年齢にな
っている。あるがままの状態を、あるがままに話せばよいのでは……と、思う。

 この事案に似たようなケースだが、一一月七日、こんな相談をもらった。


++++++++++++++++
 
はじめまして。MRと申します。

貴HPを拝見させていただき、ぜひ相談に乗ってもらいたいと
思いましてメールを書いております。

私には小学一年生の娘がおります。

娘が産まれて間もなく離婚をして、六年間母子家庭で育ててき
ました。
最初の四年間は私の実母と3人で暮らしていましたが、私と折り合
いが悪く、別々に暮らすことになりました。

私が小さいころに母が家を出てから、父方の祖父母と父と兄弟三人
とで暮らしていましたが、祖母がとても気が強い人で、兄を溺
愛し、私を認めようとしない人で、とても厳しく育てられました。

そのせいか、私も娘には厳しいしつけをしてきました。

去年、趣味のサークルのバーベキュー大会で知り合った男性を、
娘が気に入った事がきっかけで、私はその方と今年再婚しました。

二月に主人の暮らす佐賀県に引っ越して来たのですが、それか
ら娘の行動がおかしくなりました。

嘘をついたり、過食をしたり、反抗をしたり・・・

主人も厳しい両親の元にそだったので、間違った行動をする娘
に厳しく接してきました。
もちろんちゃんとしている時には、かわいがって遊んだりしてい
ます。

時には手を上げる事もあり、児童虐待の容疑で通報され、今は児
童相談所に通所もしていますが、まったく良くなりません。

最近ではわざと反抗しているので、「中間反抗期」を疑っている
のですが、娘は「この家に居たくない。何も頑張りたくない」と
言います。

学校ではとてもよい子なので、担任の先生からは私たち親が白い目
で見られています。

娘が気に入ったから大丈夫だと思って再婚したのですが、嫌い
になったのでしょうか?

主人と娘が遊んでいる時は、とても楽しそうで本当の親子のよう
です。
主人も早く仲良く生活がしたいと言っていますが、これから先
どうしたら良いのでしょうか?

私達は離婚したほうが良いのでしょうか?
お力をお貸しください。よろしくお願いします。

         佐賀県S市、MRより

++++++++++++++++++++++

 MRさんのケースでは、どこか、親としての気負いを強く感ずる。MRさん自身が指摘している
ように、MRさんは、あまり心豊かな家庭に育っていない。

 一般論として、「きびしい家庭」というのは、基本的に親の愛情の欠落した家庭とみてよい。
愛情が欠落すると、子どものすることなすこと、気になってしかたない。その(気になってしかた
ない部分)が、(きびしさ)となって、子どもにはねかえってくる。

 わかりやすく言うと、MRさんの中には、豊かな親像が入っていない。そのため、そうでない親
より、心豊かな家庭を築くのが、むずかしい立場にある。これはたとえて言うなら、みなより、一
〇メートルとか、二〇メートル、遅れて、一〇〇メートル競争に臨むようなものである。

 メールを読むかぎり、MRさんは、それに気づかないまま、MRさん自身の過去に振りまわさ
れている。わかりやすく言うと、MRさんが、子どもにきびしいのも、そして児童虐待の容疑がか
けられたのも、MRさん自身の責任というよりは、MRさん自身の過去の責任である。もっとい
えば、MRさんの親の責任である。

 ここで重要なことは、だからといって、MRさんが、自分の過去をのろってもしかたないという
こと。重要なことは、自分の過去を冷静にみつめること。自分を知ること。なぜ、今の自分がそ
うなのかを、自分で知ること。

 これはとても勇気のいることである。ほとんどの人は、その勇気がないまま、この問題から逃
げてしまう。そして同じ失敗を、繰りかえす。

 で、MRさんの相談だが、このメールを読むかぎり、離婚しなければならない理由など、どこ
にもない。離婚するかしないかは、夫婦の問題であって、子どもの問題ではない。現に、娘と父
親の関係は、良好である。MRさんと、夫の関係も、このメールを読むかぎり、良好である。

 問題は、MRさんと娘の関係だが、この程度の不協和音は、いまどき、珍しくも何ともない。た
だ年齢が、小学一年生ということだから、本来なら、親子関係(とくに母子関係)は良好でなけ
ればならない。しかしだからといって、つまり良好でないからといって、MRさんは、自分を責め
てはいけない。

 仮に離婚すれば、それで母子関係は、正常になるのだろうか? 今の状況からすれば、悪
化することはあっても、好転することは、考えられない。

 MRさんは、自分が受けた子育てを、そのまま、自分の娘に繰りかえしている。「自分がきび
しい子育てをされたから、娘にもきびしくしている」と。あるいは何か問題があると、すぐ「離婚」
という解決方法につなげてしまう。

 このことからもわかるように、MRさんは、自分の心的外傷(トラウマ)を、そのまま娘に対し
て、繰りかえしている。問題は、そこに気づくこと。そしてその心的外傷が、虐待容疑の理由に
もなっている!

【MRさんへ】

 私は、メールを読むかぎり、離婚しなければならないような理由など、どこにもないと思いま
す。あなたと子ども(娘さん)の関係がギクシャクしていることを除けば、何も、問題はないでは
ないですか。


 あなたは自分の中の問題に振りまわされているだけです。「いい家庭を築こう」「いい親でい
よう」と。が、娘の心がうまくつかめない。「だから、私は母親として失格だ」「妻として失格だ」
「だから、離婚しなければ」とです。

 どうしてそんなに不幸が好きなのですか? あなたはあえて自分から、不幸を追い求めてい
るだけのような気がします。

 幸福というのは、つくるものではなく、残り火の中から、火箸でかき分けるようにして、さがし
て、見つけるものです。が、あなたは、その残り火すら、足で踏んで消している。あえて悲劇の
主人公になろうとしている。

 あなたと子どもの関係がおかしかったら、あなたの子どもは、夫に任せて、あなたはあなたで
好きなことをすればよいのです。どうせ親子というのは、そういうもの。やがてあなたの子ども
が、小学三、四年生(もうすぐですよ……)になれば、親離れしていきます。そういうものです。

 勇気を出して、小さな幸福に、しがみついてください。しがみつくのです。小さいからダメとか、
そういうふうに考えてはいけません。最後の残り火が残っているかぎり、その残り火を、大切
に。決して、自分で、消してはいけません。

 そうしてがんばっているのは、あなただけではない。みんなそうなのです。私もそうだし、あな
たの隣の人もそうなのです。外から見ると、幸福そうに見えますが、それはあくまでも、外見。
みんなそれぞれの問題をかかえて、必死になってがんばっているのです。

 あなたと子どもの関係について言えば、あなたは母親として、つまりは、(へたくそな母親)で
す。しかし、それでいいのです。あなたはやるべきことを、今、懸命にやっている。それでいい
のです。

 大切なことは、前にも書いたように、(へたくそな母親)であることを認め、子どもの前で謙虚
になることです。「私は、こんな母親だけど、ごめんね」とです。あなたが謙虚になれば、あなた
の子どもは、必ず、あなたに心を開きます。

 あとは「許して忘れる」。これだけを心の中で念じながら、子どもと根比べをしてください。負け
ても、負けても、ただひたすら負けるのです。ほら、昔から、日本では、こう言うでしょ。『負ける
が、勝ち』と。それでよいのです。

 今、あなたが「何かに勝とう」と思えば、その先は、離婚しかありません。しかし今、ここで負け
を認めれば、その先には、すばらしい幸福が待っています。約束します。だから勇気を出して、
負けを認めなさい。

 あなたは、失格ママです。ヘタクソママです。
 あなたは、どうしようもないほど、バカな母親です。
 あなたは、妻としても、失格です。
 あなたが、がんばったところで、どうにもなりません。
 あなたの力など、まったく価値がありません。

 さあ、それを勇気を出して、認めなさい。そして子どもや夫の前で、頭をさげる。それでよいの
です。あなたから、今の張りつめた気負いが取れたとき、あなたは、その向こうに、広くて、お
おらかな世界を見るはずです。

 「離婚すべきでしょうか」という質問には、答は、もう一つです。「どこにも、離婚しなければな
らない理由など、ない」です。今ある幸福を、しっかりと握って、もう放してはだめですよ。繰りか
えしますが、勇気を出して、見栄もプライドも、外聞も捨てて、それにしがみつくのです。

 「あなたを、愛している」「みんなを、愛している」「こんな私だけど、いっしょにいて!」とです。

 このつづきは、またあとで考えてみます。

+++++++++++++++++++++++

●夫婦とは……

 ついでながら、夫婦について、考えてみる。

 フランシス・ベーコンは、こう言った。『若い男にとっては、妻は、女主人であり、中年の男にと
っては、友であり、老年の男にとっては、看護婦である』(「結婚と独身生活」)と。

 男の側から見た、夫婦というのは、そういうものかもしれない。では、女の側から見た、夫婦
というのは、どういうものか。最初に思い浮かんだのが、イプセンの「人形の家」で夫婦は、どう
いうものか。それを如実に表したのが、イプセンの『人形の家』である。

 『私はあなたの人形妻になりました。ちょうど父の家で、人形子であったように……』と。

 最初は他人どうしで始まる夫婦だが、何年もいっしょに暮らしていると、1+1=1になってし
まう。たがいにからみあう木のようなもので、一体化してしまう。どこからどこまでが、「私」で、ど
こから先が、「妻」なのか、「夫」なのか、わからなくなってしまう。

 そういう点では、ベーコンも、イプセンも、たがいの間に、一線を引いている。1+1=2の原
則を、貫いている? 夫婦でいながら、どこか他人行儀。それがよいことなのか、悪いことなの
かという議論はさておき、世の中には、(1+1=1夫婦)と、(1+1=2夫婦)がいる。あるい
は、(1+1=1+1夫婦)というのも、いる?

【1+1=1夫婦】

 ショッピングセンターの中でみかける夫婦でも、服装の趣味から、雰囲気、様子までそっくり
の夫婦がいる。ワイフは、「奥さんが、ダンナの衣服をそろえていると、夫婦も、ああなるのよ」
と言うが、そうかもしれない。『似たもの夫婦』とは、よく言ったものだ。

 で、農村へ行くと、この(1+1=1夫婦)に、よくであう。仕事も、生活も、あらゆる面で、夫婦
が、一体化している。原付リアカーで、うしろに奥さんを乗せて、トコトコと走っている夫婦が、そ
の一例である。

 こうした夫婦は、二人に、分けることはできない。どちらか一方が欠けても、仕事も、生活も、
できなくなる。二人の境界が、溶けて混ざりあうように、密着している。

【1+1=2夫婦】

 宇宙飛行士の夫婦に、そういう人がいる。奥さんのMさんは、アメリカで宇宙飛行士として活
躍している。ダンナさんは、日本に残って、「家」を守っている……。

 ダンナさんは、得意になって本まで書いているが、しかしそういう夫婦の形が理想的だとは、
だれも思っていない。だいたいにおいて、「夫婦」と呼んでよいものか、どうか?

 もっとも最近の傾向としては、(1+1=2夫婦)が、標準的になりつつある。概して言えば、サ
ラリーマン家庭では、そうではないか。夫の仕事の中に、(妻の存在)を組みこむということ自
体、無理がある。それで、「夫は夫、妻は妻」となる。

 本来は、やはり(1+1=1夫婦)が自然だとは思うが、社会も変わってきたので、そうばかり
は言っておられない。(1+1=1・5夫婦)とか、(1+1=2夫婦)というのがあっても、しかたな
いということになる。どこかで夫婦としての接点があれば、それでよいということか。

 どちらを選ぶかというよりも、どちらの夫婦になるかということは、生活の「形」が決めること。
あくまでも、成り行き。夫婦というのは、結果として、(1+1=1夫婦)になったり、(1+1=2夫
婦)になったりする。

 たがいに個性的に生きるなら、(1+1=2夫婦)がよいということにもなるが、私のように、も
ともと依存性が強い男には、そういう夫婦は、さみしい気もする。仮に、ワイフが、アメリカへ行
き、そこで宇宙飛行士として活躍し始めたら、それを受入れる前に、別れてしまうだろうと思う。

 その宇宙飛行士にしても、今は花形職業(?)だが、たかが宇宙飛行士ではないのか。明治
のはじめ、東京、新橋間を走る、あのチンチン電車の運転手は、まさに英雄だったという。そう
いうチンチン電車の運転手になるため、妻が、逆単身赴任で、東京に出た。状況的には、それ
と、どこも違わない。このタイプの夫婦は、(1+1=2夫婦)ではなく、(1+1=1+1夫婦)とい
うことになるのかもしれない。

 (私が言いたいのは、宇宙飛行士になるため、夫婦が別々に暮らすというが、それほどまで
の価値が、宇宙飛行士という職業に、あるかということ。)

 夫婦は、同居して、夫婦なのである。守りあい、教えあい、励ましあって、夫婦なのである。セ
ックスだって、重要な要素だ。この大原則は、昔も、今も、変わらない。あるいは、これからは、
(1+1=1+1夫婦)というのも、ごくふつうのことになるのかもしれない。が、それを決めるの
も、やはり成り行き。

 わかりやすく言えば、夫婦に形はない。最初はみな、同じでも、その形は、それぞれが決め
る。大切なことは、それがどんな形であっても、たがいに認めあい、尊重するということ。自分
の形を、決して、他人に押しつけてはいけない。

 ここまでのところをワイフに読んで聞かせたら、ワイフは、こう言った。「ホモの人どうしが、結
婚するということもあるからねエ……」と。

 ナルホド! ワイフの一言が、私の夫婦論を、根底から粉々に、破壊してしまった!

 つきつめれば、一人の人間と、一人の人間が、それぞれに納得すれば、それでよいというこ
とか。「夫婦」という名称にこだわるほうが、おかしいということになる。となると、ここに書いた、
(1+1=1夫婦)も、(1+1=2夫婦)も、そうして考えること自体、無意味ということになる。

 ああああ。

 私が今まで考えてきたことは、無意味ということか。私はときどき、この(1+1=1夫婦)と、
(1+1=2夫婦)の話を、あちこちでしてきたのだが……。

 となると、話は、振り出しにもどってしまう。「夫婦とは、何か?」と。このつづきは、また別の
機会に……。

+++++++++++++++++++++
 
【MRさんよりの返事】

はやし様

早速の返答を、ありがとうございます。

はやし様の言うとおりで、読んでいて、涙が出ました。
私は主人を愛しています。
できれば離婚はしたくないのです。

主人も娘の事で悩んだりはしていますが、私との夫婦関係には何
も問題がないので「幸せだ」と言ってくれています。

私は血の繋がらない親子関係は、難しいと思い込み
主人の親戚たちにも、何とか娘を認めてもらおうと必死でした。

主人の母は主人をとても愛しているので、主人が悩んでいると、私へ
の当たりが強くなります。
「あなたがしっかりしてちょうだい」と・・・。

娘はとても良い子です。
明るくてやさしくて思いやりもあれば、礼儀も正しいです。
娘がずっと欲しがっていたお父さんができたのです。
みんなで仲良く暮らしたいです。

主人には前妻さんとの間に、私の娘より一歳年上の男の子がいます。
まったく面会などはないのですが、その子と比べられるのが
一番イヤで、娘に必要以上に良い子を要求していたのだと反省し
ています。

良い母、良い妻、良い嫁・・・。
頑張りすぎていたのかも知れませんね。

これからは肩の力を抜いて、楽しんで生活したいと思います。

はやし様ありがとうございました。

+++++++++++++++++++++

【MRさんへA】

 参考になるかどうかわかりませんが、
以前書いた原稿を、二作、添付しておきます。
夫婦、孤独、愛について、書いたものです。

+++++++++++++++++++++

●心について

●反動感情
 人は、ときとして、本当の自分の心を隠し、それと正反対の感情をもつことがある。私は、こ
れを勝手に「反動感情」と呼んでいる。心理学の世界に、「反動形成」という言葉がある。反動
形成というのは、自分の心を抑圧すると、その反動から、正反対の自分を演ずるようになるこ
とをいう。

たとえば性的興味を押し殺したような人は、他方で、人前では、まったく性には関心がないよう
に振るまうことがある。性に対して、ある種の罪悪感をもった人が、そうなりやすい。ほかに、た
とえば神経質な人が、外の世界では、おおらかな人間のフリをするのも、それ。その反動形成
に似ているから、「反動感情」とした。

●Aさんのケース
 私がAさん(三四歳女性、当時)に会ったのは、私が四〇歳くらいのことだった。もともとは奈
良県の生まれの人で、夫の転勤とともに、このH市にやってきた。どこかその古都の雰囲気を
感じさせる、静かな人だった。Aさんは、いつもこう言っていた。「私は、夫を愛しています」「娘
を愛しています」と。

 当時、「愛する」という言葉を、ふだんの会話の中で使う人は、それほど多くはなかった。それ
で私の印象に強く残ったのだが、話を聞くと、どうもそうではなかった。つまり私は最初、Aさん
の家庭について、心豊かな、愛に包まれた、すばらしい家族を想像していた。が、そうではなか
ったということ。

 Aさんは、不本意な結婚をした。そしてそのまま、不本意な子どもを産んだ。それがそのとき
六歳になる娘だった。

Aさんには、結婚前に、ほかに好きな人がいたのだが、ささいなことがきっかけで、別れてしま
った。今の夫と結婚したのは、その好きな人を忘れるため? あるいは、その好きな人に、腹
いせをするため? ともかくも、それを感じさせるような、どこか、ゆがんだ結婚だった。

 Aさんは、夫とは、フィーリングが合わなかった。合わなかったというより、「(信仰を始める前
までは)、夫の体臭をかいだだけで、気持ちが悪くなったこともある」(Aさん)という。が、離婚は
しなかった。……できなかった。Aさんの実家と、夫の実家は、同業で、たがいにもちつ、もた
れつの関係にあった。離婚すれば、ともに実家に迷惑がかかる。

 そこでAさんは、キリスト教系宗教団体に入信。そのまま熱心な信者になった。そしてその教
え(?)に従い、「愛する」という言葉を、よく使うようになった?

●反動形成

 たとえばあなたがXさんを、嫌ったとする。そのときXさんと、それほど近い関係でなければ、
あなたは、そのままXさんと距離をおくことで、Xさんを忘れようとする。「いやだ」という感覚を味
わうのは、不愉快なこと。人は、無意識のうちにも、そういう不快感を避けようとする。

 が、そのXさんと、何かの理由で離れることができないときは、一時的には、Xさんに反発する
ものの、やがて、それを受け入れ、反対に、自分の心の中で、反対の感情を作ろうとする。反
対の感情を作ることで、その不快感を克服しようとする。これが私がいう、「反動感情」である。
このばあい、あなたはXさんを、積極的に自分の心の中に入れこもうとする。わかりやすく言え
ば、好きになる。(正確に言えば、好きだというフリをする。)好きになることで、不快感を克服し
ようとする。

 よくある例としては、@相手につくし、服従する方法。A相手に対して敗北を認め、自分を劣
位に置く方法。B自分の弱さを強調し、相手の同情を誘う方法などがある。自分という「主体」
を消すことで、相手に対する感情を消す。そして結果的に、「好き(affection)」という状態をつく
るが、このばあい、「好き」といっても、それはネガティブな好意でしかない。若い男女が、電撃
的に打たれるような恋をしたときに感ずるような、「好き(love)」とは、異質のものである。

 特徴としては、自虐的(自分さえ犠牲になれば、それですむと考える)、厭世的(自分や社会
は、どうなってもよいと考える)な人間関係になる。これに関してよく似たケースに、「ストックホ
ルム症候群」※というのがある。これはたとえば、テロリストの人質になったような人が、そのテ
ロリストといっしょに生活をつづけるうち、そのテロリストに好意をいだくようになり、そのテロリ
ストのために献身的に働き始めるようになることをいう。

 先にあげたAさんのケースでも、Aさんは、口グセのように、「愛しています」と、よく言ったが、
どこか不自然な感じがした。あるいは、Aさんは、そう思いこんでいただけなのかもしれない。A
さんは、夫や子どもに尽くすことで、自らの感情を押し殺してしまっていた?

●偽(にせ)の愛

 Aさんが口にする「愛」は、反動感情でつくられた、いわば偽の愛ということになる。しかし夫
婦はもちろんのこと、親子でも、こうした偽の愛を、本物の愛と信じ込んでいる人は、いくらでも
いる。

 Bさん(四〇歳女性)は、こう言った。夫が、一週間ほど、海外出張で上海へ行くことになった
ときのこと。「飛行機事故で死んでくれれば、補償金がたくさんもらえますね」と。「冗談でし
ょ?」と言うと、ま顔で、「本気です」と。しかしそのBさんにしても、表面的には、仲のよい夫婦
に見えた。たがいにそう演じていただけかもしれない。そこで「じゃあ、どうして離婚しないので
すか?」と聞くと、「私たちは、そういう夫婦です」と。

 親子でも、そうだ。C氏(四五歳男性)は、高校生になる息子と、家の中では、あいさつすらし
なかった。たがいに姿を見ると、それぞれの部屋に姿を、隠してしまった。しかしC氏は、人前
では、よい親子を演じた。演ずるだけではなく、息子が中学生のときは、その学校のPTAの副
会長まで努めた。

 一方、息子は息子で、ある時期まで、父親に好かれようと、懸命に努力した。私がよく覚えて
いるのは、その息子がちょうど中学生になったときのこと。父親に、敬語を使っていたことだ。
父親に電話をしながら、「お父さん、迎えにきてくださいますか」と。

 しかしこうした偽の愛は、長くはつづかない。仮面をかぶればかぶるほど、たがいを疲れさせ
る。問題は、そのどちらかが、その欺瞞(ぎまん)性に気づいたときである。今度は、その反動
として、その絆(きずな)は粉々にこわれる。もっともそこまで進むケースは、少ない。たいてい
は、夫婦であれば、どちらかが先に死ぬまで、その偽の愛はつづく。つづくというより、もちつづ
ける。

 ここまで書いて、ヘンリック・イプセンの「人形の家」を思い出した。娘時代は、親の人形として
生活し、結婚してからは、夫の人形として生活した、ある女性の物語である。その中でも、よく
知られた会話が、夫ヘルメルと、妻ノラの会話。

ヘルメルが、ノラに、「(家事という)神聖な義務を果せ」と迫ったのに対して、ノラはこう答える。
「そんなこともう信じないわ。あたしは、何よりもまず人間よ、あなたと同じくらいにね」(「人形の
家」岩波書店)と。そのノラが、親に感じていた愛、あるいは夫に感じていた愛が、ここでいう反
動感情で作られた愛ではないかということになる。もし、ノラが「愛」のようなものを感じていたと
したら、ということだが……。

 しかしこの問題は、結局は、私たち自身の問題であることがわかる。私たちは今、いろいろな
人とつきあっている。が、そのうちの何割かの人たちは、ひょっとしたら、嫌いで、本当は、つき
あいたくないのかもしれない。無理をしてつきあっているだけなのかもしれない。あるいは「私
はそういうつきあいはしていない」と、自信をもって言える人は、いったい、どれだけいるだろう
か。

 さらにあなたの子どもはどうかという問題もある。あなたの子どもは、あなたという親の前で、
ごく自然な形で、自分をすなおに表現しているだろうか。あるいは反対に、無理によい子ぶって
いないだろうか。そしてそういうあなたの子どもを見て、あなたは「私たちはすばらしい親子関
係を築いている」と、思いこんでいないだろうか。

ひょっとしたら、あなたの子どもは、あなたと良好な関係にあるフリをしているだけかもしれな
い。本当はあなたといっしょに、いたくない。いたくないが、し方がないから、いっしょにいるだ
け、と。もしあなたが、「うちの子は、いい子だ」と思っているなら、その可能性は、ぐんと高くな
る。一度、子どもの心をさぐってみてほしい。
(030314)

¢ストックホルム症候群……スウェーデンの首都、ストックホルムで起きた銀行襲撃事件に由
来する(一九七三年)。その事件で、六日間、犯人が銀行にたてこもるうち、人質となった人た
ちが、その犯人に協力的になった現象を、「ストックホルム症候群」と呼ぶ。のちにその人質と
なった女性は、犯人と結婚までしたという。

¢イプセンの「人形の家」……自己の立場と、出世しか大切にしない夫、ヘルメル。好意でした
ことをののしられてから、ノラは、一人の人間としての自分に気づく。それがここに取りあげた
会話。最後に、ノラは、偽善的な夫に愛想をつかし、ヘルメルと、三人の子どもを残して、家を
出る。

【付記】

 父親に虐待されていた子ども(小二男児)がいた。いつも体中に大きなアザを作っていた。そ
こでその学校の校長が、地元の教育委員会に相談。児童相談所がのり出して、その子どもを
施設へ保護した。

 が、悲しいかな、そこが子ども心。そんな父親でも、施設の中では、「お父さんに会いたい、会
いたい」と泣いていたという。そこで相談員が、「あなたはお父さんのことを好きなの?」と聞く
と、その子どもは、「好き」と答えたという。

 こうした子どもの心理も、反動感情で説明できる。つまり父親の虐待に対して、その子ども
は、本当の自分の感情とは反対の感情をもつことで、与えられた状況に適応しようとした。そ
の子どものばあい、「いやだ」と言って、家を飛びだすわけにもいかない。また父親に嫌われた
ら、生きていくことすらできない。そこでその子どもは、「好きだ」という感情を、自分の中につく
ることで、自分の心を防衛したと考えられる。

+++++++++++++++++++++

●真理と孤独

 キリストや釈迦は、多くの人を救った。しかしキリストや釈迦自身は、どうだったか? 救われ
たか? もっと言えば、孤独ではなかったか?※

 キリストにも釈迦にも、弟子はいた。しかし師と弟子の関係は、あくまでも師と弟子の関係。
師は、あくまでも智慧(ちえ)を与える人。弟子は、あくまでもその智慧を受け取る人。弟子たち
はそれでよいとしても、師であるキリストや釈迦は、どうだったのか? それでよかったのか?

 真理の荒野をひとりで歩くことは、それ自体は、スリリングで楽しい。しかし同時に、それは孤
独な世界でもある。(私が求めている真理など、真理ではないかもしれないが、それでもそう感
ずることがよくある。)とくに、現実の世界に引き戻されたとき、その孤独を強く感ずる。「人生
は……」などと考えていたところへ、幼児がやってきて、「先生、ママがいなア〜イ」と。

 そこで心の調整をしなければならないが、私のばあい、思索の世界から離れたときは、その
反動からか、今度は極端に、バカになる。バカになって、心の緊張感を解く。孤独から離れる。
もしあなたが、私の近くへやってきて、私を知ったら、私のことを、ひょうきんで、おもしろい男だ
と思うだろう。私は子どものみならず、おとなに対しても、笑わせ名人で、いつも周囲の人たち
をゲラゲラ笑わせている。私のワイフですら、「あんたといると、退屈しない」と言っている。昨夜
も寝るまで、ワイフを笑わせてやった。

 が、反対に、そういう外での私しか知らない人は、私の作品を読んだりすると、「これ、本当に
あなたの文ですか?」と聞いたりする。そこまではっきりと言わないまでも、驚く人は多い。「あ
の『はやし浩司』って、あなたのことでしたか?」と言った人もいる。

 が、キリストや釈迦は、そうではない。あるいはひょっとしたら、ひょうきんで、おもしろい人だ
ったかもしれないが、そういう話は、伝わっていない。……となると、やはり、キリストや釈迦
は、どうやって、孤独と戦ったかということになる。ふつうなら……という言い方はしてはいけな
いのだろうが、しかしふつうなら、何らかの形で自分の心をいやさないと、とても孤独には、耐
えられない。

 もっともキリストにせよ、釈迦にせよ、私たちをはるかに超越した世界に住んでいたのだか
ら、孤独ということはなかったかもしれない。……となると、また別の問題が生まれてくる。

 もし、仮に、だ。もし、あなたが、ある惑星に落とされたとする。そしてその惑星は、サルの惑
星で、サルたちが、サルのまま、野蛮な生活をしていたとする。一方、あなたには、知性があ
る。言葉もある。道徳も、倫理もある。もしあなたがそういう世界に落とされたとしたら、あなた
はどうなるだろうか。あなたは神や仏のように祭られるだろう。しかしあなたはその世界がも
つ、孤独に耐えられるだろうか。もう少しわかりやすい例で考えてみよう。

 幼児教育をしていて、ゆいいつ、つまらないと思うのは、いくら幼児と接しても、私と幼児の間
には、人間関係が生まれないということ。この点、大学生や高校生を教える先生は、うらやまし
い。教えながら、人間対人間の関係になる。そこから人間関係が生まれる。が、幼児教育に
は、それがない。で、そういう幼児だけの世界にいると、ときどき、言いようのない孤独感に襲
われるときがある。私が考えていることの、数千分の一も、子どもたちには伝わらない。説明し
てあげようと思うときもあるが、あまりの「へだたり」に、呆然(ぼうぜん)とする。

 つまり、人は、その世界を超越すればするほど、その分だけ、孤独になる? キリストや釈迦
のような「人」であれば、なおさらだ。となると、話は、また振りだしに戻ってしまう。「キリストや
釈迦は、多くの人を救った。しかしキリストや釈迦自身は、どうだったか? 救われたか? も
っと言えば、孤独ではなかったか?」と。

 もちろんキリストや釈迦を、私たちと同列に置くことはできない。本当にそうであったかどうか
は、私にはわからないが、彼らは真理に到達した「人」たちである。もしそうなら、その時点で、
孤独からは解放され、その時点で、さらに真の自由を手に入れていたことになる。あるいは、
キリストや釈迦は、私たちが考えもつかないような世界で、もっと別の考え方をしていたのかも
しれない。

 考えていくと、この問題は、結局は、私自身の問題ということになる。真理などというのは、簡
単に見つかるものではない。恐らく私が、何百年も生き、そして考えつづけたとしても、見つか
らないだろう。もしそうであるとするなら、私はその真理に到達するまで、つまり死ぬまで、その
一方で、この孤独と戦わねばならない。

もちろん、キリストや釈迦のように、真理に到達すれば、あらゆる孤独から解放されるのだろ
う。が、そうでないとしたら、一生、解放されることはない? しかも、だ。皮肉なことに、真理に
近づけば近づくほど、ほかの人たちからの孤立感が大きくなり、そしてその分だけ、孤独感は
ますます強くなる?

 そういう意味で、真理と孤独は、密接に関連している。紙にたとえて言うなら、表と裏の関係と
いってもよい。世界の賢者たちも、この二つの問題で、頭を悩ました。いくつかをひろってみよ
う。

●この世の中で、いちばん強い人間とは、孤独で、ただひとり立つ者なのだ。(イプセン「民衆
の敵」)
●われは孤独である。われは自由である。わらは、われ自らの王である。(カント「断片」)
●つれづれわぶる人は、いかなる心ならむ。まぎるる方なく、ただ一人(ひとり)あるのみこそよ
けれ。(吉田兼好「徒然草」)
●孤独はすぐれた精神の持ち主の運命である。(ショーペンハウエル「幸福のための警句」)
●人はひとりぼっちで死ぬ。だから、ひとりぼっちであるかのごとく行為すべき。(パスカル「パ
ンセ」)

 簡単に「孤独」と言うが、孤独がもつ問題は、そういう意味でも、かぎりなく大きい。人生にお
ける最大のテーマと言ってもよい。そうそうあの佐藤春夫(一八九二〜一九六四、詩人・作家)
は、こう書いている。『神は人間に孤独を与へた。然も同時に人間に孤独ではゐられない性質
も与へた』と。この言葉のもつ意味は、重い。

※マザーテレサの言葉より……

●孤独論

 孤独は、あらゆる人が共通してもつ、人生、最大の問題といってよい。だからもしあなたが
今、孤独だからといって、それを恥じることはない。隠すこともない。大切なことは、その孤独
と、いかにうまく共存するかということ。さあ、あなたも声を出して叫んでみよう。「私はさみしい」
と。マザーテレサは、つぎのように語っている。

 訳はかなりラフにつけたので、必要な方は、原文をもとに、自分で訳してほしい。

When Christ said: "I was hungry and you fed me," he didn't mean only the hunger for bread 
and for food; he also meant the hunger to be loved. Jesus himself experienced this 
loneliness. He came amongst his own and his own received him not, and it hurt him then and 
it has kept on hurting him. The same hunger, the same loneliness, the same having no one to 
be accepted by and to be loved and wanted by. Every human being in that case resembles 
Christ in his loneliness; and that is the hardest part, that's real hunger. 

キリストが言った。「私は空腹だった。あなたが食事を与えてくれた」と。彼は、ただ食物として
のパンを求める空腹を意味したのではなかった。彼は、愛されることの空腹を意味した。キリ
スト自身も、孤独を経験している。つまりだれにも受け入れられず、だれにも愛されず、だれに
も求められないという、孤独を、である。彼自身も、孤独になった。そしてそのことが彼をキズつ
け、それからもキズつけつづけた。どんな人も孤独という点では、キリストに似ている。孤独は、
もっともきびしい、つまりは、真の空腹ということになる。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


子育て随筆byはやし浩司(327)

静岡県浜松市

●独特の言い方

 私がこの浜松に住むようになったときのこと。あるとき、一人の男が、私の言った言葉に対し
て、こう言った。「ウッソー!」と。

 私はこの言葉に、激怒した。「ウソとは、何だ!」と。

 しかしやがて、それが浜松の方言だと知った。この地方では、ほかの地方で、「本当?」と聞
きかえすようなとき、「ウッソー!」と言う。

 が、方言だけではなかった。

 概して言えば、浜松の人は、言葉が、ぶっきらぼう。奥ゆかしさが、ない。たとえば私のワイフ
は、こういうような言い方をする。

 「お茶、飲むの?」と。

 私に、お茶を出すときに、そう言う。こうした言い方、つまり主語を、(あなた)にする言い方
は、この地方、独特の言い方と考えてよい。

 「(あなたは)お茶を飲むのか?」と。

 そこで若いときは、そういう言い方をされると、私もムッときた。何かしら、命令されているよう
な気分になったからだ。あるいは、こうした言い方は、相手に、一度は、頭をさげさせる言い方
といってもよい。

 あるいは、あなたなら、そういう言い方をされたら、何と答えるだろうか。「頼むから飲ませてく
れ」というような言い方で、答えるしかないのでは?

 こういうとき、ていねいな言い方では、「(私は)お茶を出しましょうか?」と、主語を(私)にす
る。が、浜松では、「(あなたは)お茶、飲むのか?」と。

 よく知られた例では、英語でも、ていねいな言い方をするときは、「Shall I……?」「Shall 
we……?」と、「私」もしくは、「私たち」を主語にする。

 「お茶、飲むの?」という言い方は、英語でも、まさに命令文ということになる。「Drink te
a?」と。浜松の人の言い方は、何かにつけて、その命令口調が多い。

●そのルーツ

 もともと浜松という町は、街道の宿場町として発展した。が、それだけではない。浜松の言葉
が独特なのは、この地方が、海に面していることがある。そのことは、近くの舞阪(まえさか)町
や、新居(あらい)町へ行ってみると、わかる。

 これらの町は、昔から、漁師の町として栄えたところである。こうした漁師の町では、言葉が、
実にぶっきらぼう。単語を並べただけのような言い方をする。

 それについて、こんな話をしてくれた老人がいた。

 「少し前、東京から来た客が、二人、朝、怒って、東京へ帰ってしまったというんだね。話を聞
くと、泊まった旅館で、『飯、食うか?』と、旅館の女将(おかみ)に言われたのに、腹をたてたと
いうんだね。しかし前坂町では、そういう言い方が、ふつうなんだよ。『飯、食うか? 食わない
か?』とね」と。

 漁師たちは、舟の上で、大声で怒鳴りあう。波の音や風の音もあるからね。そのとき、できる
だけ、ムダな言い方を省略しようとする。それが独特の言い方に、つながった、と。

 「お茶を出しましょうか」ではなく、「お茶、飲むか?」と。

 こうした言い方が、そのまま浜松にも、入り込んでいる。だから浜松の人は、ここでいうよう
に、ぶっきらぼうな言い方をする。

 もっとも、浜松に生まれ育った人には、それはわからない。自分たちは、標準語を話している
と、思いこんでいる。

●岐阜では……

これに比較して、岐阜のほうでは、心を何枚ものオブラートに包んだような話し方をする。会話
をしていても、何が、本当で、何がウソなのか、わからなくなるときがある。

 たとえば少し田舎のほうへ行くと、昔は、こんな会話をする。

 道でだれかと行きかうと、「ほう、昼飯、食っていかんけエ(うちで、昼食を、食べていきません
か)?」と。

 こうして誘われた人は、たとえ空腹でも、「では、お願いします」などとは言ってはいけない。そ
れはあくまでも、あいさつなのだ。そこで誘われた人は、こう答える。「今、食べてきたでのオ
(食べてきたところです。だから結構です)」と。

 こうした駆け引きは、ものの売買でもある。

 岐阜のほうでは、ものを買うときも、駆け引きを、ごく日常的にする。示された定価で買う人な
ど、まず、いない。「一個で、一〇〇〇円か。じゃあ、二個で、一五〇〇円にしな」と。

 それにひきかえ、この浜松では、駆け引きする人は、絶対にいない。値段の交渉すら、しな
い。「値切る」という言葉すら、ない。

 そうでない地方に住んでいる人には、信じられないような話かもしれないが、これは事実であ
る。だから結婚した当初、ワイフと、よく、このことでもめた。ワイフは、どこへ行っても、ものを、
定価どおりの値段で買ってきた。

 そこで「どうして安くしてもらわなかったのか?」と聞くのだが、そのこと自体、ワイフには、考
えもつかないことだった。

●浜松人の気質

 私が浜松に住むようになって驚いたのは、浜松の人は、ストレートだということ。言葉だけで
はない。ものの考え方が、ストレート。つまり、岐阜でいう、ウラがない。ありのままを、そのまま
口にする。

 そういう意味では、浜松の人は、わかりやすい。「お茶、飲むの?」と聞かれれば、「飲む」と
答えればよい。飲みたくなかったら、「飲まない」と答えれば、よい。ほかの地方の人のように、
「お茶を出しましょうか?」というような、どこかあいまいな言い方は、ここでは、しない。

 しかし私も、この浜松に住んで、三三年になるが、今でも、この言い方に、カチンとくるときが
ある。

ワイフ「仕事、行くの?」
私「何だ、その言い方は?」
ワ「どこが、悪いの?」
私「悪いって、もう少し、ていねいな言い方をしろ」
ワ「どこが、ていねいでないというの?」
私「そういうときは、『今日は、仕事がありますか』とか、そういう言い方をすればいい」
ワ「同じでしょ」と。

 で、ウラがない分、岐阜の人たちのように、ハラのさぐりあいというのを、しない。ものの売買
でするような、駆け引きをしない。値引き交渉もしない。だから、その分、浜松の人は、ウソを
嫌う。たとえば、この地方では、一度、信用をなくすと、以後、それを回復するのは、容易では
ない。実際には、相手にされなくなる。

 私も、だいぶ、それになれてきた。なれてきたというより、いつの間にか、浜松の人と同じよう
なものの考え方をするようになった。と、同時に、岐阜の人たちがもつ、独特の言い方が、より
クリアにわかるようになった。

●岐阜人の気質

実家へ帰ると、母と、よくこんな会話をする。
 
私「今日は、急ぐので、朝食はいらないよ」
母「いいから、いいから、食べていきんさい(食べていきなさい)」
私「でも、食べる時間がない。朝食は、電車の中で食べるからいい」
母「わかった、わかった」と。

 しかしそう言いながら、母は、朝食を用意し始める。そして家を出ようと、バッグを居間に置く
と、また母は、こう言う。「用意したから、食べていきんさい」と。

 岐阜のほうでは、言葉が言葉として、機能しないときがある。再び、「ぼくは食べないと言った
のに……」とたしなめると、「まあ、まあ、そう言わなくてもいいから、食べていきんさい。せっか
く、まわし(用意)したから」と。

 こうした会話は、ごく日常的なもので、親類の人たちとも、よくする。だから会話をしながらも、
結構、神経をつかう。相手の本音をさぐらなければならない。あるいは反対に、こういう地方で
は、ものごとをストレートに言うと、かえって嫌われる。あいまいな言い方のほうが、より、好ま
れる(?)。

 で、こうした気質が、ものの売買のときの、駆け引きにつながる。示された定価など、それを
信ずる人など、いない。買うほうも、売るほうも、そこでタヌキとキツネの化かしあいをする。

買い手「一個で、一〇〇〇円なら、二個で、一五〇〇円にしてよ」
売り手「それは、きついね。まあ、あんたには世話になっているから、二個で、一八〇〇円なら
いいよ。それでうちは、儲けなしだよ」
買「じゃあ、三個で、二〇〇〇円というのは、どう? ほかの店でも、そんなもんだよ」
売「またまた、きびしいねえ。三個で、二〇〇〇円かあ。それじゃ、うちは赤字だよ。でも、あん
たのことだから……。ほかの人には、内緒だよ。じゃあ、三個で、二〇〇〇円だ」
買「ありがとう」と。

 仕入れ値は、一個、五〇〇円。これで、売り手は、五〇〇円の儲けとなる……。

 私は子どものときから、こういう駆け引きを、日常的に見てきた。

●比較してみて……
 
 言葉というのは、その地方の人たちの気質を、正確に反映する。言いかえると、言葉を見れ
ば、その地方の人たちの気質が、よくわかる。

 こうした言葉を頼りに、浜松の人の気質をさぐると、こうなる。

 浜松の人は、岐阜の人よりも、プライドを大切にする。ワイフは、それについて、「岐阜の人
は、プライドをさげてでも、得をしたいと考えるみたい。浜松の人は、プライドをさげるくらいな
ら、損をしたほうがよいと考えるみたい」と言った。

 つまりワイフが言うには、「値切るなどということは、浜松の人はできない。それだけプライド
が高いから。だから損をする。しかし岐阜の人は、平気で、値切る。値切るということは、プライ
ドがないということ。岐阜の人は、プライドをさげてでも、得をしようとする」と。

 そうとばかり言えない面もあるが、まあ、概して言えば、そういうことか。

 で、今の私には、正直言って、浜松のほうが住みやすい。岐阜の人たちのように、あれこれ
気をつかわなくてもよい。浜松の人は、「YES」と言ったら、「YES」なのだ。「NO」と言ったら、
「NO」なのだ。

 こうしたものの考え方は、オーストラリア人と共通している。アメリカ人とも共通している。だか
ら、わかりやすい。

 その一例が、冒頭にあげた言い方である。どこかぶっきらぼうだが、まさにストレート。最初、
よそから浜松へ来た人は、この言い方に驚き、そして戸まどう。

 だから……。

 もともと浜松で、生まれ育った人は、浜松の言い方が、外から来た人には、「きつい言葉」で
あることを、どうか理解してほしい。

 また外から浜松へ来た人は、浜松の人は、ここに書いたような独特の言い方をするので、注
意したほうがよい。

 これは私から、ワイフへのメッセージと考えてもらってよい。つい先ほども、このことで、ワイフ
と口論したところだ。

私「もう少し、別の言い方をしろ!」
ワ「私の言い方の、どこに問題があるの!」と。
(031108)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(328)

●●一人の老人

 その男性は、絶対に、私のマガジンなど読まないから、ここに書く。

 五年ほど前のことだが、ある団体で、講演をした。そのあとのこと。担当者の方に、近くの喫
茶店に招かれて、お茶を飲んでいると、そこへ一人の男性(六〇歳くらい)がやってきた。その
地域で、消防団の世話人をしているということだった。「どうしても、君には、言っておきたいこと
がある」と、最初、そう言った。

 私の講演を、聞いた。そしてあまり私に視線を合わせようともせず、こう言った。

 「私は、若いころ、何冊か本を読んだ。ほら、君も知っているだろう。SSという作家ね。あの
人の本だよ。

 しかしね、あのSSは、毎日、印税で入ったお金を使って、飲んだくれていたそうだ。それを知
ってから、私は、本を読まないことにした。

 だってそうだろ。私が買ってやった本で、酒を飲むんだ。だからね、わしは、それから二〇年
間、一冊も、だれの本も読まなかったよ。

 それに、ものを考える人間が、ワシは大嫌いでね。そんなことして、何になるんだよ。頭デッカ
チになるだけだよ。ワシなんか、何も知らなくても、のんきな生活をしている。ものを考える人間
は、あのダザイ(=太宰治)のように、最後は、自殺だよ、自殺。君も、そのクチではないのか
ね」と。

 私の講演を聞いて、かなり、ショックを受けたらしい。私はその日は、「考えることの重要さ」に
ついて、話した。しかしその男性は、SSを例にとりながら、痛烈に、私を批判した。それはよく
わかった。しかし、私は、まったく、気にしなかった。

 この男性は、かわいそうな人だ。……と、私は、そう思った。

 しかし、世の中には、「学問」を否定する人は、少なくない。どこかで挫折し、心にトラウマ(心
的外傷)をもった人と、考えてよい。個人への反感と、自分のコンプレックスを、「学問の否定」
という形で、置きかえてしまう。あるいは知識そのものを、否定してしまう。

 だいたい、「二〇年間も、本を読まなかった」とは! またそれを自慢するとは! さらに印税
で、作家が酒びたりの生活をしていたことを知り、それに腹をたてるとは!

 もしそんなことを言うなら、テレビなど、見ないこと。モノなど、買わないこと。さらにいろいろな
作家がいるが、みながみな、酒びたりの生活をしているわけではない。現に、私など、一滴の
酒も飲めない。

 私は、講演のあとということで、疲れていた。だからその男性の話を聞きながらも、反論はし
なかった。反論しなければならないような、相手でもなかった。それにそのタイプの人に会うの
は、はじめてではなかった。

 若い人でも、学問や知識を否定する人は、いくらでもいる。しかしそういう人は、たとえて言う
なら、目の前の大海に背を向けながら、かがんで砂の中に、穴を掘っているようなもの。すなお
な気持ちで、目を海のほうに向ければ、そこにすばらしい世界があるのに!

 その男性は、こうも言った。

 「どうせいろいろ知ったところで、タカ(限界)が知れている。だったら、人間は、ムダなことは
知らないまま、死んだほうが、幸せなんだよ」と。

 いったい、その男性は、どういう人生を歩んできたのだろうか。あとで、そばにいた担当者の
方に聞くと、その少し前まで、ある公社でサラリーマンをしていたという。私はそれを聞いて、心
の中で、「先生でなくて、よかった」と思った。そんな先生に教育を受けたら、いったい、子ども
たちは、どうなっていただろう?!

 ……というわけで、この世界にも、いろいろ、ある。みながみな、好意的に、私の話を聞いてく
れるわけではない。中には、その老人のように、痛烈に、私を批判して帰る人もいる。

 しかし、その男性にしても、学問の世界を認めることは、自己否定につながってしまう。何が
恐ろしいかといって、自己否定ほど、恐ろしいものは、ない。だからいまさら、「学問はすばらし
い」とは、口が裂けても、言えまい。

 しかし、だ。私の恩師のT教授のように、五〇歳を過ぎてから中国語を勉強しはじめ、それ以
後、一五回近く、中国へ行っている人もいる。先日は、「とうとう、敦煌(とんこう)へ行ってきまし
た。夢がかないました」と、メールをくれた。

 今でも、T教授は、政府や文部科学省の要請を受けて、世界中の科学者と会っている。そし
ていつも、私には、こう言う。「林君、立ち止まってはだめだよ。いつも、トップクラスの人に会い
なさい。会うだけで、いい刺激になるはずだ」と。

 あえて真理の探求に背を向ける、その男性。いつも真理の探究に燃える、T教授。見た目に
は、よく似ているが、中身はまるで違う。もちろん、だからといって、その男性より、T教授のほ
うが幸福だとか、「上」だとか、そんなことを言っているのではない。

 ひょっとしたら、その男性が言うように、何も知らないで、のんきに生きたほうが、幸せなのか
もしれない。反対に、真理の探究をしたからといって、幸福になれるとは限らない。知識をもっ
たからといって、賢人になれるとも、かぎらない。

 あとは、読者のみなさんの、判断ということになる。「知る」のもよし、「知らない」のも、これま
たよし。ただ、今のところ、私は、その男性は、本当にかわいそうな人だと思う。
(031109)

【追記】

 そう言えば、その男性は、「自殺」に、強く、こだわっていたようだ。「(太宰治のように)、自殺
するヤツは、人生の敗北者だ」というようなことを言っていた。どこかの宗教団体の、熱心な信
者だったかもしれない。このエッセーを書き終わったとき、ふと、そんな疑念が、頭の中を横切
った。
 
 多くの仏教系の宗教団体では、「結果」を、たいへん重要視する。具体的には、「死に際の様
子をみれば、その人の人生がわかる」と説く。たとえばキリスト教についても、「最後は、はりつ
けだった。無残な最期だった。それがキリスト教はまちがっているという証拠だ」というような、
言い方をする。

そういうものの考え方を、その男性のどこかに感じた。これはあくまでも、私の印象だが……。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(329)

【山荘にて……】

 今は、午前五時を、少しまわったところ。まだあたりは、真っ暗。さきほど、庭に出てみたが、
あたりは、水墨画に、シルクのスクリーンをかけたような景色だった。月は、ほぼ満月。しかし、
一一月も、ほぼ中旬だというのに、この暖かさは、どうしたものか?

 まだ三〇年前には、一一月といえば、ときに身を切るような冷たさを感じたもの。が、今朝
は、パジャマ一枚でも、寒くない。

 居間にもどって、冷えたお茶を飲み、この原稿を書きはじめる。気分は、あまりよくない。頭
も、ボーッとしている。それに重い。こたつの上にある、食べ残しのせんべいを、いくつか口に
入れる。

 朝風呂に入りたいが、ワイフは、まだ眠っている。水道を使うと、ポンプの音がうるさい。それ
がワイフの安眠をじゃまする。しかたないので、このまま原稿を書きながら、ワイフが起きるの
を待つ。

 数日前だが、ワイフが、「今年も、あと二か月ね」と言った。

 この一年間で、大きく飛躍した人もいるだろう。反対に、私のように、何をしたか、わからない
まま、一年を終える人もいるだろう。よい機会だから、この一年を、ふりかえってみる。

 仕事は、まあまあというところか。不況風はしかたないとしても、このところ、やや好転してき
た感じ。具体的には、収入は、昨年より、やや微増。もっとも昨年は、仕事そっちのけで、他人
のカウンセリングばかりしていた。

 で、今年の四月から、電話による相談は、すべて断ることにした。それまでは、ほとんど毎
日、そのカウンセリングだけで、午前中はつぶれた。もちろん一円だって、報酬を受け取ったこ
とはない。

 健康も、まあまあというところか。ときどき風邪をひいて、体調を崩すということはあったが、
仕事を休んだのは、半日だけ。大きな病気は、しなかった。ただこのところ、朝起きると、足の
裏が痛い。動き出してしばらくすると、痛みは消えるが、原因がわからない。「老人は、みなそう
だ」と、だれかが言った。

 今年は、一冊も、本を出版しなかった。そのかわり、電子マガジンに、全力を注いだ。とにか
く、一〇〇〇号まで、がんばる。……がんばってみる。その先に何があるかわからないが、と
にかく、がんばってみる。そのあとのことは、そのあとに考えれば、よい。

 ついでに、来年の抱負(ほうふ)。

 二日に一度、マガジンを発行したとしても、来年(〇五年)の終わりに、やっと五〇〇号。まだ
まだ先は、長い。

 来年は、とくに大きな計画はないが、一〇月ごろ、新しいパソコンを買うつもり。「来年の誕生
日(一〇月)にはいいだろ?」とワイフにねだると、「しかたないわねエ〜」と。今年は、あきらめ
た。買わなかった。ワイフが「しかたないわねエ〜」とあきらめたときは、「OK」という意味。

 今度は、いよいよ、自作パソコンに挑戦してみる。「CPUは、PEN4の3GHZで、メモリーは、
1024Mバイトで……」と、いろいろ考えている。超高性能のパソコンを、自分で組みたててみ
たい。ヤルゾー!

 今、窓の外をながめてみたが、まだ真っ暗。

 ふだんは、三〇分で、A四サイズの原稿を、数枚書くが、今朝は、まだ、たったの二枚。少し
のんびり書きすぎたようだ。……といっても、書くことがない。

 せっかくマガジンで写真を送ることができるようになったから、今回は、山荘の中を、紹介しよ
う。しかし、写真をとるとしても、まだ暗すぎる。

 で、今、気になっているのは、小学校における漢字学習が、今度、強化されることになったこ
と。私は、こうした方向性は、時代の流れに、逆行していると思う。「どうして、今、漢字なの
か?」と。

 お気づきの方も多いと思うが、私は、こうして原稿を書いても、小学校で習う当用漢字以外の
漢字は、ほとんど、使わない。「下さい」とか、「出来る」とか、そういう当て字も使わない。むず
かしい表現も、できるだけ避けている。たとえば、「価値観の相違」と書くようなときでも、「価値
観がちがうから……」というような言い方に、改めている。

 将来的には、私ががんばらなくても、漢字の使用は、減っていくだろう。そのことは、江戸時
代の文章と、明治時代の文章。さらに明治時代の文書と、最近の文章を読みくらべてみれば、
わかる。

 とくに最近の若い人たちは、漢字をほとんど、使わない。文章の書き方も変わってきた。そう
した「流れ」を決めるのは、あくまでも、一般大衆なのだ。「お上(かみ)」ではない。また「お上」
であってはいけない。

 外を見ると、ほんのりと明るくなってきた。かえって、先ほどより、寒くなったような感じがす
る。冷たいお茶を飲んだせいかもしれない。一日の中で、今が、一番、静かなとき。すべてのも
のが、動きを止める。やがてくる一日のために、スタートラインに並ぶ。

 息づまる瞬間。だれかかが、ピストルを空に向ける。そしてゆっくりと引き金に指をかける。ま
だか……。まだだ……。もう少し……。

 そのときを、固唾(かたず)をのんで、見守る。まだだ……。もうすぐだ……。

 そのとき、小鳥がさえずった。ピストルの音が鳴った。「ドン!」と。朝だ。一日がやってきた。
今、ピ〜イ、ピ〜イと、第一声をあげて鳴いたのは、ヒヨドリか? ヒヨドリだ。

 みなさん、おはよう。時刻は、午前六時二分。一一月九日の朝が、今、明けた。
(031109)

【追記】
 ヒヨドリの声につられて、コジュケイが、鳴いた。名前はわからないが、チッチッと、ツバメのよ
うな鳴き声も、けたたましく聞こえる。(ツバメではないが……。)今、山荘の外は、小鳥の大合
唱。騒々しいほどの、大合唱。もうすぐカラスも泣きだすはず。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


子育て随筆byはやし浩司(330)

●母系社会

 「漁師の世界では、女性の立場が、男性より、上」と。

 舞阪町(まいさかまち・浜松市の西隣にある、漁で栄えた町)に、生まれ住んだ人が、そう言
った。

 「男は、漁に出る。その間、女は、家を守る。男というのは、いつ海で死ぬかわからない。そ
れで漁師の町では、女の立場が、男より、上になった」と。

 こうしたものの考え方は、この浜松市でも、知ることができる。もっとも浜松市に住んでいる
と、それがわからない。数年前、九州北部の佐賀県K市で講演をさせてもらった。その会場に
向かうとき、県の教育委員会の責任者の方が、こう言った。

 「このあたりは、男尊女卑思想が、きわめて強いところです。実の娘でも、一度、家を出ると、
まったくの他人です。ですから実家へ帰るときも、シーツを持参しないと、実家では泊めてもら
えません」と。

つまり実の娘でも、自分の実家で泊まるときには、シーツをもってこなければならないというの
だ。私が驚いていると、その担当者は、こう言った。「あの村田英雄さんの生まれ故郷ですか
ら」と。

 村田英雄といっても、若い人は知らないかもしれない。数年前になくなった、個性的な演歌歌
手である。まさに見るからに、男尊女卑思想のかたまりのような人だった。その村田英雄の生
まれ故郷だ、と。

 そういうところでは、「女」や「子ども」は、人間とは扱われない。「男」だけが、人間という考え
方をする。そういう九州のようなところから見ると、この浜松は、たしかに、ちがう。

 たとえば我が家では、私の稼ぎは、すべてワイフ様が管理している。この私ですら、「ワイフ
から、お金をもらう」という立場にある。息子たちも、そうで、「ママから、お金をもらう」とは言う
が、「パパから、お金をもらう」とは、絶対に、言わない。

 そこで何人かの母親たちに、それとなく聞いてみた。が、ほぼ、どの家庭でも、みなそうだと
いう。サイフのヒモは、ワイフ様たちが、握っている。

 だからよく、「林さんは、奥さんに、車で送り迎えしてもらって、うらやましいですね」と言われる
と、私は、こう反論することにしている。「ちがいますよ。送り・迎えではなく、配達・回収ですよ」
よ。

 まさに私は、ワイフ様に配達・回収されている。しかしその意識のルーツは、どこにあるかと
いうと、私は、舞阪町という、漁師町の影響ではないかと思っている。

 「漁師の家ではね……」と、その人は言った。「漁師の家ではね、家具を、ほとんど、おかない
もんですよ。いつ、ダンナが死ぬかわからないからね。ダンナが死ねば、妻は、そのまま、どこ
かへ引っ越していかねばならんでしょ。だから家具をおかないんですよ」と。

 もちろん今は、もう、漁で、男が死ぬということは、ほとんど、なくなった。漁船も、大きくなった
し、安全性も確保されるようになった。しかし、風習や、ものの考え方というのは、残る。

 全体としてみると、たしかに浜松の女性は、シンが強いと思う。ほかに女性とは、深いつきあ
いをしたことがないので、本当のところは、よくわからないが、多分、そうではないか。

私のワイフ様なども、ときどき、「こいつは、女の体をした、男だ」と思うときがある。今のワイフ
様に、チンチンがついていても、私は、驚かない。むしろ私のほうが、女性的? ワイフ様も、と
きどき、そう言う。

 以上、浜松の文化論。
(031109)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
  
子育て随筆byはやし浩司(331)

老人論

 老人になればなるほど、それまでの生きザマが集約されてくる。それまでの生き方が、その
まま、表に出てくる。

 が、中に、老人になって、仏様のようになる人がいる。やさしくて、温厚で、柔和。しかしそうい
う人が、本当に仏様かというと、それは疑わしい。

 老人は、明らかに弱者である。体力も気力も弱い。生活力もない。死も、近い。それに、たい
ていの老人は、何らかの持病をかかえている。

 そこで老人は、年をとればとるほど、生きザマが、依存的になる。……ならざるをえない。そ
こで多くの老人は、その過程で、仮面をかぶることを学ぶ。つまり「いい老人」ぶる。

 老人のこうした心理の形成過程は、子どもの成長過程と、よく似ている。

 他人との人間関係をうまく作れない子どもは、おおまかに言って、つぎの四タイプに分けて考
えることができる。

(1)攻撃型……相手や周囲に対して、攻撃的になり、威圧や暴力を繰りかえす。
(2)依存型……だれかにベタベタ甘えることによって、自分にとって、住みやすい環境をつく
る。他人(親や先生)に対して、仮面をかぶり、いい子ぶることが多い。
(3)服従型……集団に属し、子分として、その「長」に、徹底的に服従する。
(4)同情型……弱い自分を演出し、みなの同情をかいながら、行動する。みなが「どうした
の?」と声をかけてくれるのを、待っている。

 実は、老人は、その過程で、ここでいう(2)の依存型と、(4)の同情型をとることが多い。(あ
るいは複合型?)

 ある女性(五五歳)くらいは、息子や娘から電話がかかってくると、決まって、こう言う。「お母
さん(私)も、年をとったからねえ……」と。

 つまり「年をとったから、何とかせよ」と。

 子どもたちの同情を買いながら、子どもたちに依存しようというわけである。

 が、子どもと違う点は、それだけに巧妙であること。作為的であること。さらに長い間、それを
つづけることによって、そうした仮面が、その人の人格として、定着してしまうことがある。

 こうして、結果として、「いい老人」が生まれる。

 ある女性(八〇歳くらい)は、いつも、こう言う。「私も、苦労しましたよ」と。

 しかしその女性は、生涯において、一度も働いたことはない。義理の祖父母が残した財産
と、息子や娘から取りあげた財産で、優雅な生活をしていた。その女性は、五〇歳くらいのとき
夫をなくしているが、以後、まさに遊び放題。が、他人に向かっては、口グセのようん、「苦労し
ましたよ」と。

 が、いくら仮面をかぶっても、本性は、変わらない。気力が残っている間は、その本性を隠す
ことができるが、気力が弱ってくると、その本性が、そのまま外に出てくる。

 それがよい本性であればよいが、邪悪なものであれば、当然、その人の生きザマを、見苦し
くする。こんな話を、市内に住む、Oさん(女性)から聞いた。

 Oさんの近所に、Jさんという女性が住んでいる。そのとき、七五歳をすぎていたが、近所で
は、「仏様」というニックネームで呼ばれていた。が、このところ、様子が、おかしくなってきた。
近所から、いろいろなものを平気で盗んできては、自分のものにしてしまうというのである。

 Oさんも、庭先に出しておいた、植木バチをいくつか盗まれた。で、Jさんの家に行ってみる
と、自分のものがあった。Oさんが、「私のものだから、返してほしい」と言うと、Jさんは、けげ
んそうな顔をして、「覚えていないねえ。おかしいねえ」と、とぼけていたそうである。

 話せば長くなるが、Jさんという女性は、若いころから、そういうタイプの女性だったという。小
ズルくて、ケチ。人に取りいるのが、うまく、口もうまい。自宅の横を、小さな川(幅が、三〜四メ
ートルほど)があるが、いつも、人の目を盗んでは、ゴミをそこへ捨てていた。Oさんは、こう言
う。

 「Jさんは、頭のいい人だから、どうすれば、自分がいい人間に見られ、人に好かれるかを、
いつも計算していたのだと思います」と。つまりそれが、Jさんを、「仏様」にした?

 私はこういう話を聞くたびに、「では、自分はどうなのか?」と考える。Jさんの話を聞いたとき
も、「私とJさんは、よく似ている」と思った。今は、自分の気力で、かろうじて自分の中に潜(ひ
そ)む、邪悪な部分を押さえこんでいるが、気力が弱まれば、いつなんどき、外に出てくるか、
わかったものではない。

 たしかに善人ぶることは、それほど、むずかしいことではない。その気にさえなれば、「仏様」
ぶることだった、むずかしいことではない。そしてその上で、子どもたちに依存したり、みんなの
同情をかうことも、それほど、むずかしいことではない。しかし、今は、そうはなりたくないと思っ
ている。

 ただ、邪悪な部分は、今のうちに、できるだけ、自分の中から、たたき出しておきたいと思う。
気がつくのが遅すぎたが、しかし今、何もしないでいるわけにはいかない。まさに日々の積み
重ねが、月となり、月々の積み重ねが、年となり、人格となる。

 その日々の積み重ねが何かと聞かれれば、今の、この瞬間、瞬間の、自分の生きザマとい
うことになる。

 ウソをつかない。ルールを守る。人に迷惑をかけない。

 そういうきわめて、日常的な、簡単なことで、決まる。それが無数に積み重なって、その人の
人格となる。

 いかにじょうずに老いるかということは、等しく、みなの問題ではないだろうか。あるいはあな
たは、自分の老後に、自信があるだろうか。ありのままの自分をさらけ出しても、私はだいじょ
うぶと、あなたは、思えるだろうか。

 実のところ、私はこのごろ、ふと、ほんの瞬間だが、「もう、いつ死んでもいいや」と思うように
なってきた。もう少し若いころには、死ぬのがこわかったが、このところは、そうでない。

 で、その反面というか、死への恐怖心がやわらいだ分、化けの皮がはがれるというか、自分
という人間の本性が、表に出てくるのが、こわくてならない。今は、偉そうに、人にものを話して
いるが、みんなが私の本性を知ったら、あきれてしまうかもしれない。

 いよいよ私も、「若い老人(Young Old Man)」になった。どうやって自分の人生を、これか
ら集約させていくか。それがこのところ、大きな問題になりつつある。
(031110)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


子育て随筆byはやし浩司(332)

【今週の教室から……】

 私の教室には、何枚かの絵が飾ってある。

 ミロ、マリー・ローランサン、カトランの作品など。しかしどれも、本物である。教室へ来る親た
ちに、「本物ですよ」と声をかける、みな、一様に驚く。「印刷かと思いました」と。

 私は若いころ、絵画にこった。趣味は、周期的に変化するが、そのときは、絵画だった。

 シャガール、ビュッフェの絵画も、そのとき、買った。あるときは、全財産をはたいて、広重の
五三次の版画を買ったこともある。それらのほとんどは、今、倉庫に眠っているが、しかし家の
中でも、ニセモノ(印刷)の絵を飾ったことはない。

 当時は、毎週のように外国へ行っていたから、そこで値段が手ごろな絵を買ったりした。今か
ら三〇年近くも前のことだが、ピカソのリトグラフでさえ、サインなしのものだが、四〇万円前後
で買うことができた。

 で、その絵を、ある知人(A氏)に、そのまま転売した。世話になった人(仕事上のボス)だった
から、五〇万円で売った。

 ところがで、ある。その知人は、その絵を、また別の知人(B氏)に、五〇〇万円で売った。い
きさつは、こうだ。

 ある日、B氏が、A氏のところにやってきて、その絵を見た。そしてB氏が、A氏に、「いくらで
買った?」と聞いた。そのとき、A氏は、五〇万円を意味するつもりで、片手を広げて見せた。
すると、B氏は、それを五〇〇万円と勘ちがいした。

 B氏は、A氏に、「五〇〇万円で、その絵を譲ってくれ」と、しつこく頼んだ。それでA氏は、そ
の絵をB氏に、五〇〇万円で売った。

 日本中が、マネー、マネーと、わきたち始めていたころで、こうした、おかしな売買が、いたる
ところで見られた。「おかしい」というより、「狂った」と書いたほうが、正確かもしれない。そう、
何もかも、狂っていた。

 私は香港へ行くたびに、たとえば、今でいう、「低周波治療機」を買ってきた。上海製だった
が、現地では、三〜四万円だった、が、日本では、それが一四、五万円で、そのまま売れた。
これらの機械は、研究者の間で、ハリ麻酔のための道具として、使われた。

 当時、日本と香港の往復航空運賃が、約一〇万円強だったから、それだけで、運賃分以上
のものが、稼げた。

もっとも、香港や台北では、私が日本人とわかると、今度は、逆に、タクシー代でも何でも、数
倍以上の値段をふっかけられた。だから私は、香港では、決して、日本語を使わなかった。
「日系ハワイ人の、リン(林)」で、通した。だから、安く買うことができた。

 こうしたビジネスは、私が二九歳のとき、飛行機事故※に遭遇するまで、つづけた。こう書い
ても、信じてもらえないかもしれないが、約三か月で、XX〇万円(当時)を、稼いだこともある。

 だから本当のことを書くと、幼稚園での給料や、幼児教室で得る給料など、収入と考えていな
かった。道楽とまではいかなかったが、楽しいから、しただけ。で、その飛行機事故に遭遇して
からは、飛行機に乗れなくなり、私は、幼児教育に専念するようになった。

 話はずいぶんとそれたが、教室に飾ってある絵は、その当時、私があちこちで、買い求めた
絵である。バブル経済のころには、XX万円という値段がついた絵もある。ある母親に、そのこ
とを話すと、その母親は、目を輝かせて、「今度、盗んでいきますわ」と笑っていた。

 そう、このことを書いた以上、教室から、これらの絵画は、ひきさげねばならない。本当にドロ
ボーが入るかもしれない。

(ドロボーのみなさんへ)

 この原稿がマガジンで配信されるころには、もう教室には、これらの絵画は飾ってありませ
ん。ですから、どうか、おいでにならないでください。今、飾ってあるのは、安物の絵(リトグラフ)
ばかりです。
(031111)

※飛行機事故……羽田空港での事故だったが、離陸に失敗し、滑走路を、オーバーラン。フェ
ンスをつきやぶり、あわやというところで、飛行機は停止した。明らかにエンジン・トラブルだっ
た。

私は飛行機がエンジンを全開したところで、その異常音に気づき、「この飛行機、おかしいです
よ!」と、数度、機内で、大声で叫んだ。瞬間のできごとだったが、私は、以後、飛行機に乗ら
れなくなってしまった。

その翌週、イタリアのローマの近くの町まで行く仕事があったが、二日前に、どたん場キャンセ
ル。損害賠償を請求されそうになったが、事情を話したら、相手のスポンサーは、それを理解
してくれた。以後、一〇年以上、飛行機には、一度も乗っていない。

あのとき、機長の判断が、一、二秒、遅れていたら、私は確実に死んでいた。そういう意味で
も、運命というのは、不思議なものだ。今思い出しても、ゾーッとするが……。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(333)

●子育てワンポイントアドバイス2! by はやし浩司

 vol.013【受験競争の魔力】

 受験競争に巻き込まれれば巻き込まれるほど、子どもはもちろんのこと、親
 もその住む世界を小さくする。この世界では、勝った負けたは当たり前。取
 るか、取られるか、蹴落とすか蹴落とされるか……。

教育とは名ばかり。その底流では、ドス黒い人間の欲望がはげしくウズを巻
いている。

ある母親は受験どころか、子ども(中学生)がテスト週間を迎えるたびに病
院通いをしていた。

いわく「テスト中は、お粥しか、のどを通りません」と。

子どもの受験競争が高じて、親どうしがいがみあう例となると、まさに日常
茶飯事。幼稚園という世界でも、珍しくない。現に今、言ったの言わないのが
こじれて、裁判ザタになっているケースすらある(小学校)。さらに息子(中
三)が高校受験に失敗したあと、自殺をはかった母親だっている!

 こうした狂騒は部外者が見ると、バカげているとわかるが、当の本人たちは
 そうでない。それはまさしく命がけ、血みどろの戦い。もっともこうした戦
 いが親の世界だけでとどまっているならまだしも、子どもの世界まで巻き込
 んでしまう。さらに学校という教育の世界まで巻き込んでしまう。

この受験競争だけが原因とは言えないが、そのため心を病む教師はあとを断
たない。
 
東京都の調べによると、東京都に在籍する約六万人の教職員のうち、新規に
 病気休職した人は、九三年度から四年間は毎年二一〇人から二二〇人程度で
 推移していたが、九七年度は、二六一人。さらに九八年度は三五五人にふえ
 ていることがわかった(東京都教育委員会調べ・九九年)。

この病気休職者のうち、精神系疾患者は。九三年度から増加傾向にあること
がわかり、九六年度に一時減ったものの、九七年度は急増し、一三五人にな
ったという。この数字は全休職者の約五二%にあたる。(全国データでは、九
七年度は休職者が四一七一人で、精神系疾患者は、一六一九人。)さらにその
精神系疾患者の内訳を調べてみると、うつ病、うつ状態が約半数をしめていた
という。

 何だかんだといっても、受験が教育の柱になっている。もしこの日本から、
 受験という柱を抜いたら、進学塾はもちろんのこと、学校教育ですら崩壊す
 る。

問題はなぜ受験が教育の柱になっているかだが、それについては別のところ
で考えるとして、結論から先に言えば、受験が子どもや親を大きくする要素
などどこにもない。仮にそれに打ち勝ったとしても、「何とかうまくやった」
というあと味の悪さが残るだけ。

 受験競争は決して教育ではない。そういう前提で、一歩退いてつきあう。そ
 ういう冷静さがあなたの心を守り、あなたの子どもの心を守る。
(「週刊E'news浜松」・11・11日号より転載)

++++++++++++++++++

この原稿で使った資料は、やや古いときのものである。しかし実際には、こうした数字は、まさ
に氷山の一角。今、どこの学校にも、どこの園にも、心を病んでいる教師は、一人や二人は、
必ず、いる。

 多くの人は、「子ども相手の仕事で、どうして?」と思うかもしれないが、問題は、子どもではな
い。親である。

 こんな事件が、あった。

 ある幼稚園でのこと。いつも一人の母親が、門のところに立って、中を見ていた。そこでその
つど、園長や先生が、門のところに行き、「だいじょうぶですから」「任せてください」「お子さん
は、ひとりでもだいじょうぶですから」と、なだめた。

 しかしその母親は、一度は、それに納得するものの、またしばらくすると、門のところにもどっ
てきて、中を見ていた。

 雨の降る日も、そこに立っていたので、見るに見かねて、園長が、その母親を、教室の中ま
で入れることにした。が、その日を境に、今度は、その母親は、毎日、幼稚園へやってきては、
自分の子どもの横に座るようになってしまった。

 園長が理由を聞くと、「うちの子が、幼稚園で、いじめにあっているから」と。

 もちろん、そんな事実はなかった。その母親の思いすごしである。何度も園長は、そのことを
説明したが、その母親は納得しなかった。それからも、毎日、欠かさずやってきて、子どもの横
に座った。

 その母親の心理状態がどうであったかは別にして、この世界には、「妄想性感情」という言葉
がある。感情そのものが、妄想性をもつことをいう。

 たとえば園長が、「だいじょうぶですから、私たちに任せてください」と言ったとする。このとき、
正常な人なら、その言葉どおりに受け取るが、妄想性感情をもった人は、別の意味に取る。

 「本当は、この園長は喜んでいる。ただ遠慮しているだけだ」と。

 あるいは担任の先生が、「ほかの子どもたちにも、いい影響がありません」と言っても、このタ
イプの母親は、やはり、「私に関心があるから、そう言うのだ。私の心をたしかめているだけ
だ」と、取ってしまう。

 その母親も、園長や先生が迷惑がっていることに気づかず、毎日、園へやってきて、子ども
の横に座った。しかしこうなると、その影響は、先生たちに現れる。

 毎朝、その母親が子どもを連れて、門のところに現れると、職員室からは、ため息とも、悲鳴
とも聞こえる声が聞こえるようになった。さらに、その時刻が近づくと、みなが、門の方を見るよ
うになった。

 そしてまず、担任の教師が、おかしくなった。その園でも、ベテランの三五歳の教師だった。
その教師はこう言った。

 「その時間が近づくと、心臓がドキドキするのです。そしてその母親と子どもが、並んでこちら
へ歩いてくるのを見ると、心底、ゾーッとし、身も心も、凍(こお)りついてしまうのです」と。

 やがてその教師は、幼稚園へ通うことすら、できなくなってしまった。「毎朝、足が鉄のように
重く感ずるようになりました」と。

 こうした例は、多い。本当に多い。幼稚園にせよ、学校にせよ、そこで働く教師というのは、い
わば追いつめられた状態と考えてよい。「お宅の子は、教えたくありません」と、逃げることさ
え、できない。一般社会では、「教師を選択する自由」が、問題になっているが、同時に、「生徒
を選択する自由」も、問題とされるべきではないのか。

 この点、私塾やおけいこ塾では、生徒にやめてもらうことができる。しかし、それとて、簡単な
ことではない。

 ふつう、先生のほうから、「もう教えることができません」などと言うと、親は、それに猛烈に反
発する。「どうして、うちの子は、教えてもらえないのですか!」と。

 E'newsに載せてもらった原稿は、そうした現状を客観的に書いたものである。私の意見とし
ては、今のように、教育はもちろんのこと、道徳、倫理、さらには家庭指導まで、何でもかんで
も、学校の先生に、押しつけるのは、おかしいと思う。本来なら、親が家庭ですべき、しつけま
で、学校に押しつける人もいる。

 しかしたった一人か二人の子どもでもてあましている親が、三五人も、一人の先生に押しつ
けて、「ちゃんと、うちの子をみろ!」はない。子育ては重労働だが、教育は、もっと重労働であ
る。どう重労働かは、あなたが今、感じている重労働を、三五倍してみれば、わかるはず。

 私も体の調子のよいときには、参観授業も、それほど疲れない。が、そうでないときは、本当
に、疲れる。たった一時間で、ヘトヘトになることも、珍しくない。まさに、神経をすりへらしての
仕事となる。
(031111)

【追記】

 もう一〇年ほど前のことだが、私の教室でも、同じような経験をしている。

 その母親(Aさん)は、子どもが年長児のときから、小学二年生になるまで、一日も欠かさず
参観にやってきて、子どもの横に座っていた。同じように、何度も、「任せてください」と言ったの
だが、その母親も、私が遠慮していると思ったらしい。

 そこで教室の規約を変えた形で、「一年以上のおいでの方は、参観はときどきということにし
てください」と、全員に伝えた。

 しかしこういう連絡は、そうでない親たちにも、いらぬ動揺を与える。「参観は、もうダメという
ことでしょうか?」という問いあわせがつづいた。しかし私は、一方に、Aさんのような母親がい
ることを、話せなかった。

 で、思いあまって、Aさんに、直接、こう言った。「参観していただいても、意味はないと思いま
すので、これからは参観を断ります」と。

 しかしこの言葉に、Aさんは、激怒した。「約束が違う」と。ふつうの怒り方ではなかった。それ
から数日間、FAXで、毎日、抗議の手紙が届いた。

 ふつうの人には、ふつうの世界だが、そうでない人には、そうでない世界である。それが教育
の世界である。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


子育て随筆byはやし浩司(334)

●自己中心性

 自己中心的な人ほど、当然のことながら、自分の姿が見えない。自分を客観的に判断するこ
とができない。

 たとえば子どもの成績がさがったとする。そのとき自己中心的な人は、自分が正しいと思う分
だけ、また人の話に耳を傾けない分だけ、原因を、いつも外の世界に求めやすい。学校が悪
い。塾が悪い、友だちが悪い、と。決して、その原因が、自分や、家庭にあるとは、思わない。

 一方、自己中心的でない人は、その反対に、その原因を、いつも自分に求める。あるいは子
ども自身に求める。何か問題が起きるたびに、「私が悪いのでは……」「うちの子が悪いので
は……」と思う。謙虚に自分を反省する。このちがいは、大きい。

 たとえば自己中心的な人は、いつも同じようなパターンで、失敗をくりかえす。失敗から、教訓
を学ばないからである。一方、そうでない人は、失敗から、いつも何かを学んでいく。だから同
じ失敗をくりかえさない。

 しかし多かれ少なかれ、どんな人でも、自己中心的である。そのことは、子どもを見ればわか
る。

 たいていの幼児は、(見える世界)が、すべてと思いこむ。ある子どもは、こう言った。「ぼくが
前を向いているときだけ、前の世界は、ある。そのとき、うしろの世界は、消えてなくなるはず」
と。

 しかし成長とともに、自己意識が発達し、自分を客観的に見ることができるようになる。つまり
は(外の世界)から、自分を見ることができるようになる。こうして自己中心性は、おさえられて
いく。そしてその結果として、自分も多数の中の一人にすぎないことを、知る。

 が、その成長が、未発達なまま、おとなになるケースも、少なくない。

 自己中心的な人には、いくつかの特徴がある。

(1)一方的に、自分の意見を主張する。
(2)がんこで、自分の意見をゆずらない。
(3)いつも、だれかに責任転嫁をする。
(4)自分が絶対正しいと、妄想的に思いこむ。
(5)自分勝手で、わがまま。他人の意見を聞かない。

 ある女性(三五歳)は、夫の反対を押しきって、イタリア料理店を開いた。そのとき、夫が仕事
で得る給料より高い給料で、イタリア人のコックを雇った。が、開店と同時に、休業。最初の数
日間は、友人や親戚を中心に、一〇人前後の客が入ったが、二週目に入ると、ほとんどゼロ
になった。

 その店は、店として目立つ、きれいな店だった。が、外を歩く人には、何の店かよくわからな
かった。ふつう、通りを歩く人のために、料理のメニューを書いた看板などがあるものだが、そ
の店には、なかった。新装開店の案内すら、なかった。

 これでは、客など、入るはずはない。私も一度、入ろうと思ったが、玄関のドアを開ける前に、
不安になってしまった。どんな料理があるのかさえわからない。もちろん、値段もわからない。
テーブルについてから、「帰ります」とは、とても言えない。だから店には入らず、そのまま戻っ
てしまった

 その女性が自己中心的かどうかは、私にはわからない。しかし店の様子を見るかぎり、自己
中心的な人とみてよい。(外の世界)から見たらどうなのかという視点が、どこにも感じられなか
った。

 自分が、他人から、どのように見られているか。それを考えることは、とても大切なことであ
る。他人の目を気にせよということではない。自分の置かれた立場、様子、雰囲気など、他人
から見ればどうなのかを考える。

 もっとも、私を含めて、「自由人」を標榜(ひょうぼう)する人には、自己中心的な人が多い。
「私は私」をつらぬいていると、どこかで自己中心的なものの考え方になってしまう。つまりは、
ひとりよがりになりやすい?

 実際、私は、自分のしていることを、客観的に見るのが苦手。『猪突猛進(ちょとつもうしん)』
という言葉があるが、私は、タイプとしては、それに近い。がんこだし、あまり他人の意見には、
耳を傾けない。だからいつも、同じ失敗を繰りかえす。自分が悪いと思う前に、「あれが悪い」
「これが悪い」と言いだす。

 そこで私のばあい、いつも、ワイフに、「ぼくは、どう見えるか」と聞くことにしている。とくに私
には、一つの欠陥(けっかん)がある。

 大きな問題と、小さな問題が同時に起きたりすると、その大小の判断ができなくなる。どちら
も、おおげさに悩んでしまう。大きな問題につられて、小さな問題まで悩んでしまう。そういうと
き、ワイフに相談する。そういう点、私のワイフは、私よりはるかに大局的な視点から、ものを
見ることができる。適切にアドバイスしてくれる。

 そう言えば、私は自己中心的だが、ワイフは、そうではない。……今、気がついた。ワイフ
は、よく口ぐせのように、「あなたさえ、よければ……」とか、「子どもたちさえ、よければ……」と
いうような言い方をする。「あなたさえよければ、私は、かまわない」と。

 ワイフのような生きザマを何というのか。つまり自己中心的でない、生きザマを何というのか。
「他者中心的」というのも、おかしい。「自己否定的」というのも、おかしい。「自己犠牲的」という
のか。しかし犠牲的になっているとも、思われない。あえて言うなら、「他者献身的」ということに
なる。他人の心を大切にした、生きザマをいう。

 そう考えていくと、自分の中の自己中心性と戦うということは、つまりは(他人のために献身的
になる)ことをいう。献身的であればあるほど、よい。その結果として、自分の自己中心性を、
是正することができる?

 これは大発見だ。少し乱暴な意見かもしれないが、自己中心性と戦うためには、相手が望む
ように考え、そして行動してやる。その献身さが、ともすれば自己中心的になる自分に、ブレー
キをかけるかもしれない。

 今日は、その実験を、あちこちでしてみる。正しいかどうかは、わからないが、実験してみる
価値はある。失敗して、ダメもと。

 この結果は、また報告する。
(031111)
 
++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(335)

●おとなの夢

 ある講演会で、「子どもの夢を伸ばすのは、親の役目」と話した。それについて、「おとなの夢
は、どう伸ばせばよいか」という質問をもらった。

 ……が、私は、この質問に、頭をかかえてしまった。第一、そういう視点で、ものを考えたこと
がない。

 私たちの世界には、内政不干渉という、大原則がある。かりに子どもに問題があるとしても、
親の側から質問があるまで、それについて、とやかく言うことは、許されない。わかっていても、
わからないフリをして、親や子どもと接する。

 子どもに対してですら、そうなのだから、おとなである親に対しては、なおさらである。たとえば
レストランで、タバコを吸っている人がいたとしても、「タバコをやめたほうがいい」などとは、言
ってはならない。言う必要も、ない。それこそ、いらぬ節介(せっかい)というもの。

 そういう意味で、「おとなの指導」については、どこか、タブー視してきた。

 それに、もう一つの理由、では、私自身はどうなのかということ。私には、夢があるのか。また
その夢を、自分で育てているのか、と。

●私の夢

私も四〇歳をすぎるころから、自分の限界を、強く感ずるようになった。「まだ、何かができる
ぞ」という思いが残っている一方で、「もうだめだ」という思いが、強くなった。

いくら本を出しても、私の本は、売れない。たいてい初版だけで、絶版。二刷、三刷と増刷した
本など、数えるほどしかない。

それだけではない。 
 
 数年前、一度、東京のMテレビで、一週間にわたって、ドクターの海原J氏と、都立大学の宮
台S氏と、対談したことがある。一応、たがいに議論したつもりだが、あとで送られてきたビデ
オを見て、驚いた。私の意見のほとんどは、カットされていた。そして私は、どこか司会者のよ
うに、仕立てられていた。

 海原氏にしても、宮台氏にしても、中央で活躍している著名人である。「やはり、地方にいた
のではダメだ」と、そのときほど、私は強く思い知らされたことはない。

 また地元のテレビ局で、四回にわたって、「T寺子屋」という番組に出させてもらったことがあ
る。しかし視聴率は、最低だった。(視聴率にも、ひかからないほど、低かったとか……。)

 挫折することばかりだった。たとえば講演会にしても、東は大井川、西は名古屋を越えると、
集まりは、極端に悪くなる。ときには、予定人数の、三〇%とか、四〇%とかになる。あるい
は、それ以下になることもある。主催者は、「申しわけありません」とあやまるが、本当にあやま
りたいのは、むしろ、私のほうだ。

 で、このところ、もう夢は捨てた。夢をもてばもつほど、その挫折感が大きい。

 そんなわけで、いつしか私は、スティーブンソンの残した言葉で、自分を支えるようになった。

 『我らが目的は、成功することではない。失敗にめげず、前に進むことである』と。

●英語の「ドリーム」

夢を英語では、「ドリーム」という。で、日本語の「夢」のように、よく外国の友だちに、「ぼくの夢
はね……」と、私は話す。しかしそういうとき、外国の友だちは、「夢?」と、よく聞きかえす。

 少し、言葉のニュアンスが、ちがうようだ。

 たとえばあのM・R・キング牧師は、「私は夢を見た……」と、演説をした。そのときも、キング
牧師は、「夢を見た」とは言ったが、「それが夢である」とは、言っていない。日本語でいう「夢」
というのは、英語では、「希望(Hope)」のことらしい。

 そこでネットサーフィンしながら、イギリスのあちこちのサイトをのぞいてみた。

 カール・サンバーグ(Carl Sandburg・詩人)という人は、こう言っている。

 「最初は、すべて夢から始まる」(Nothing happens unless first a dream.)と。

 このばあいも、「夢」というのは、私たちが眠っているときに見るような、あやふやな「映像」を
いう。

 だからやはり、つまり国際的な言い方をすれば、「夢」と言うのではなく、「希望」と言うべき
か。

●おとなの希望

 「明日は今日より、よくなるだろう」という期待が、人間を、前向きに、引っぱっていく。またそ
の期待が、あれば、人生も楽しい。困難や苦労を、乗り越えることができる。

 しかし反対に、生活が、防衛的になると、自分を支えるだけで、精一杯。さらに、「明日が、今
日より悪くなるだろう」とわかれば、生きていくことさえ、つらくなる。しかし、今、ほとんどの人に
とって、ほとんどのばあい、みな、そうではないのか。

 「幸福だ」と実感するときなど、一か月のうち、何日あるだろうか。その何日のうち、何時間、
あるだろうか。さらにその何時間のうち、何分、あるだろうか。

 否定的なことを書いたが、人生というのは、もともと、そういうもの? またそういう前提で、つ
きあったほうが、気が楽になる。言いかえると、夢にせよ、希望にせよ、それはいわば、馬の前
にぶらさげた、ニンジンのようなものかもしれない。

 いつまでたっても、馬(私たち)は、ニンジン(希望)にたどりつくことはできない。

 が、それでも走りつづける。同じく、カール・サンバーグは、こうも言っている。

 「私は、理想主義者だ。今、どこへ向って歩いているかわからない。しかしどこかへ行く途中
にいる」(I am an idealist: I don't know where I'm going, but I'm on my 
way.)と。

 しかし、こうも言える。

 夢にせよ、希望にせよ、それは向こうからやってくるものではない。自分で、つかまえるもの
だ、と。さらにあえて言うなら、希望とは、その瞬間において、やりたいことがあること。またそ
れに向って、前向きに取り組むことができること、ということになるのか。

 いくらがんばっても、手に入れることができないとわかっていても、馬(私たち)は、それを手
に入れるために、前に進むしかない。まさに「♪届かぬ星に届く」と歌った、「ラマンチャの男(ド
ンキホーテ)」の心境かもしれない。つまり、それが生きるということになる。

●子どもの夢を育てる

 講演の中で、たしかに私は、そう言った。

 しかしそれは、「自我の同一性(アイデンティティ)」の問題として、そう言った。子どもの役割
形成の大切さを話し、そのために、「夢を育てる」と。

 このことは、反対の立場で考えてみると、よくわかる。たとえばあなたがやることなすこと、だ
れかが、あなたの横にいて、「それなダメだ」「これはダメだ」と言ったら、あなたはやる気をなく
すだろう。

 さらに夢や希望をもっても、「そんなのはダメだ」と言ったら、あなたは生きる目的すら、なくす
かもしれない。

 子どものばあいも、そうで、えてして、親は、無意識のうちにも、子どもの夢や希望をつぶして
しまう。たとえば「勉強しなさい」という言葉も、そうである。これも反対の立場で考えてみればわ
かる。

 あなたが、「日本を車で、一周したい」という夢をもっていたとする。そういうときだれかが、横
で、「仕事をしなさい」「お金を稼いできなさい」「出世しなさい」と言ったら、あなたは、それに納
得するだろうか。

 つまり「勉強しなさい」「いい高校へ入りなさい」と、子どもに言うのは、むしろ、子どもに役割
混乱を引きおこし、かえって子どもの夢や希望をつぶしてしまうことになる。私は、それについ
て、講演で話した。

●では、どうするか……

 私たちは、どうやって、自分の夢や希望を育てたらよいのか。もっとわかりやすく言えば、私
たちは、何をニンジンとして、前に向って走っていけばよいのか。

 これはあくまでも、私のばあいだが、今のこの時点での、私の夢は、「マガジンを一〇〇〇号
まで、つづける」こと。

 最初は、読者の数を目標にしたこともある。「五〇〇人を目標にしよう」と。しかしすぐ、私は、
それがまちがっていることに気づいた。読者が、五〇〇人になるか、一〇〇〇人になるかは、
あくまでも結果であって、目標ではない。

 それに読者の数を気にすると、どうしても、ものの書き方が迎合的になる。コビを売るように
なる。それに電子マガジンの特徴として、仮に、五〇〇人になっても、一〇〇〇人になっても、
その実感が、まったくない。もちろん、それで利益になることもない。

 ただ、励みにはなる。実際、毎回、少しずつでも読者がふえていくのを知ると、うれしかった。
それは、ある。しかしそれは、夢でも、希望でもない。

 しかし「一〇〇〇号までつづける」というのは、ここでいう夢になる。二日おきに発行しても、
二〇〇〇日。約五年五か月! その間、私は、前に向って、歩きつづけることができる。その
先に、何があるか、私にもわからない。しかしそれでも、私は前に向って歩きつづけることがで
きる。

 そう、それこそが、まさしく私が、自分で見つけた、ニンジンということになる。

【質問を寄せてくれた方へ】

 ご質問をいただいて、私も考えてしまいました。私はいつも、「おとな」の視点から、「子どもの
世界」をながめていました。しかし結局は、「子ども」イコール、「私」なのですね。

 私は講演の中で、「いい高校へ入る」「いい大学へ入る」というのは、もう「夢」ではないという
ような話をしました。

 昔は、「出世しろ」「博士になれ」「大臣になれ」というのが、「夢」ということになっていました。
親にも、そして学校の先生たちにも、いつも、そう言われました。しかしそれは、あくまでも、「結
果」であって、「夢」ではないのですね。

 たとえば今の子どもたちは、「有名になりたい」とか、「お金もちになりたい」とか、言います。し
かし「有名になる、ならない」は、あくまでも結果。またお金があるとしても、「では、そのお金で
どうするのか」という部分がなければ、ただの紙くずです。

 つまり私たち、おとながいう「夢」とは、結局は、私たちの「生きザマ」の問題ということになりま
す。さらにもっと言えば、「なぜ、私たちが、ここに生きているか」という問題にまで、つながって
しまいます。「夢」というのは、つまりは、「人生の目標」ということにもなるからです。

 だから、考えてしまいました。で、その結果、私も、ふと気づきました。私には、夢があるか、
とです。

 もちろんここにも書いたように、「夢」らしきものはあります。小さな夢です。「一〇〇〇号まで
つづける」といっても、その気にさえなれば、だれにだってもてる夢です。あるいは、夢と言える
ようなものではないかもしれません。今の私は、そういう夢に、しがみついているだけかもしれ
ません。だって、ほかに、何もありませんから……。

 ただ願わくは、あとは、私の三人の息子たちが、それぞれ独立して、幸福な生活をするように
なってくれることです。あのクモは、自分の体を子どもたちに食べさせて、その生涯を終えると
いうことですが、今の私の心境としては、それに近いものです。

 こんな回答が、もちろんあなたのご質問の答にはならないことは、よく知っています。しかし、
何かの参考にしていただければ、うれしいです。では、今日は、これで失礼します。
(031112)

●「どんなときでも、人がなさねばならないことは、世界が明日、終焉(しゅうえん)するとわかっ
ていても、今日、リンゴの木を植えることだ」(「二十五時」・ゲオルギウ・ルーマニアの作家・一
九〇一年生まれ)

++++++++++++++++

この春に書いた原稿を、ここに
添付します。「希望」について
書いたつもりです。

+++++++++++++++++

●春

 私のばあい、春は花粉症で始まり、花粉症で終わる。……以前は、そうだった。しかしこの八
年間、症状は、ほとんど消えた。最初の一週間だけ、つらい日がつづくが、それを過ぎると、花
粉症による症状が、消える。……消えるようになった。

 一時は、杉の木のない沖縄に移住を考えたほど。花粉症のつらさは、花粉症になった人でな
いと、わからない。そう、何がつらいかといって、夜、安眠できないことほど、つらいことはない。
短い期間なら、ともかくも、それが年によっては、二月のはじめから、五月になるまでつづく。そ
のうち、体のほうが参ってしまう。

 そういうわけで、以前は、春が嫌いだった。二月になると、気分まで憂うつになった。しかし今
は、違う。思う存分、春を楽しめるようになった。風のにおいや、土や木のにおい。それもわか
るようになった。ときどき以前の私を思い出しながら、わざと鼻の穴を大きくして、息を思いっき
り吸い込むことがある。どこかに不安は残っているが、くしゃみをすることもない。それを自分で
たしかめながら、ほっとする。

 よく人生を季節にたとえる人がいる。青年時代が春なら、晩年時代は、冬というわけだ。この
たとえには、たしかに説得力がある。しかしふと立ち止まって考えてみると、どうもそうではない
ような気がする。

 どうして冬が晩年なのか。晩年が冬なのか。みながそう言うから、私もいつしかそう思うように
なったが、考えてみれば、これほど、おかしなたとえはない。人の一生は、八〇年。その八〇
年を、一年のサイクルにたとえるほうが、おかしい。もしこんなたとえが許されるなら、青年時代
は、沖縄、晩年時代は、北海道でもよい。あるいは青年時代は、富士山の三合目、晩年時代
は、九合目でもよい。

 さらに、だ。昔、オーストラリアの友人たちは、冬の寒い日にキャンプにでかけたりしていた。
今でこそ、冬でもキャンプをする人はふえたが、当時はそうではない。冬に冷房をかけるような
もの。私は、友人たちを見て、そんな違和感を覚えた。

 また同じ「冬」でも、オーストラリアでは、冬の間に牧草を育成する。乾燥した夏に備えるため
だ。まだある。砂漠の国や、赤道の国では、彼らが言うところの「涼しい夏」(日本でいう冬)の
ほうが、すばらしい季節ということになっている。そういうところに住む友人たちに、「ぼくの人生
は、冬だ」などと言おうものなら、反対に「すばらしいことだ」と言われてしまうかもしれない。

 が、日本では、春は若葉がふき出すから、青年時代ということになるのだが、何も、冬の間、
その木が死んでいるというわけではない。寒いから、休んでいるだけだ。……とまあ、そういう
言い方にこだわるのは、私が、晩年になりつつあるのを、認めたくないからかもしれない。自分
の人生が、冬に象徴されるような、寒い人生になっているのを認めたくないからまもしれない。

 しかし実際には、このところ、その晩年を認めることが、自分でも多くなった。若いときのよう
に、がむしゃらに働くということができなくなった。当然、収入は減り、その分、派手な生活が消
えた。世間にも相手にされなくなったし、活動範囲も狭くなった。それ以上に、「だからどうな
の?」という、迷いばかりが先に立つようになった。

 あとはこのまま、今までの人生を繰りかえしながら、やがて死を迎える……。「どう生きるか」
よりも、「どう死ぬか」を、考える。こう書くと、また「ジジ臭い」と言われそうだが、いまさら、「どう
生きるか」を考えるのも、正直言って、疲れた。さんざん考えてきたし、その結果、どうにもなら
なかった。「がんばれ」と自分にムチを打つこともあるが、この先、何をどうがんばったらよいの
か!

 本当なら、もう、すべてを投げ出し、どこか遠くへ行きたい。それが死ぬということなら、死ん
でもかまわない。そういう自分が、かろうじて自分でいられるのは、やはり家族がいるからだ。
今夜も、仕事の帰り道に、ワイフとこんな会話をした。

「もしこうして、ぼくを支えてくれるお前がいなかったら、ぼくは仕事などできないだろうね」
 「どうして?」
 「だって、仕事をしても、意味がないだろ……」
 「そんなこと、ないでしょ。みんなが、あなたを支えてくれるわ」
 
「しかし、ぼくは疲れた。こんなこと、いつまでもしていても、同じことのような気がする」
 「同じって……?」
 「死ぬまで、同じことを繰りかえすなんて、ぼくにはできない」
 「同じじゃ、ないわ」
 
「どうして?」
 「だって、五月には、二男が、セイジ(孫)をつれて、アメリカから帰ってくるのよ」
 「……」
 「新しい家族がふえるのよ。みんなで楽しく、旅行もできるじゃ、ない。今度は、そのセイジが
おとなになって、結婚するのよ。私は、ぜったい、その日まで生きているわ」

 セイジ……。と、考えたとたん、心の中が、ポーッと温かくなった。それは寒々とした冬景色の
中に、春の陽光がさしたような気分だった。

 「セイジを、日本の温泉に連れていってやろうか」
 「温泉なんて、喜ばないわ」
 「じゃあ、ディズニーランドに連れていってやろう」
 「まだ一歳になっていないのよ」
 「そうだな」と。

 ゲオルギウというルーマニアの作家がいる。一九〇一年生まれというから、今、生きていれ
ば、一〇二歳になる。そのゲオルギウが、「二十五時」という本の中で、こう書いている。

 『どんなときでも、人がなさねばならないことは、世界が明日、終焉(しゅうえん)するとわかっ
ていても、今日、リンゴの木を植えることだ』と。

 私という人間には、単純なところがある。冬だと思えば、冬だと思ってしまう。しかしリンゴの
木を植えようと思えば、植える。そのつど、コロコロと考えが変わる。どこか一本、スジが通って
いない。あああ。

 どうであるにせよ、今は、春なのだ。それに乗じて、はしゃぐのも悪くない。おかげで、花粉症
も、ほとんど気にならなくなるほど、楽になった。今まで、春に憂うつになった分だけ、これから
は楽しむ。そう言えば、私の高校時代は、憂うつだった。今、その憂うつで失った部分を、取り
かえしてやろう。こんなところでグズグズしていても、始まらない。

 ようし、前に向かって、私は進むぞ! 今日から、また前に向かって、進むぞ! 負けるもの
か! 今は、春だ。人生の春だ! 
(030307)

【追記】「青春」という言葉に代表されるように、年齢と季節を重ねあわせるような言い方は、も
うしないぞ。そういう言葉が一方にあると、その言葉に生きザマそのものが、影響を受けてしま
う。人生に、春も、冬もない。元気よく生きている毎日が、春であり、夏なのだ!

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(336)

【今週の幼児教室から】

 今週は、「植物」をテーマにした。

 「花が育つためには、何が必要ですか?」というような話から入る。つづいて、葉を一枚ずつ
渡して、観察させる。

 色、形、手ざわり、においなど。「どれも、みんなちがいます」というような話をする。そして、紙
を渡して、葉を模写させる。そのとき、「こうした勉強では、絶対にウソを描いてはいけません」
と、強く、念をおす。

 葉のまわりのギザギザ。葉の中の線。虫が食べたあと。こまかいつぶつぶ(細胞)、など。子
どもたちが何かを発見し、それを絵の中に表現したら、すかさず、ほめる。「君は、科学者だ
ね」と。

 もちろん子どもには、科学者の意味はわからない。しかしみなの前で、そうほめると、子ども
は、うれしそうな顔をする。

 中には、小学生でも気づかないようなことを、気づく子どもがいる。模写した葉も、しっかりとし
ている。N君(年中児)がそうだった。私は、そういう子どもを一人でも発見できると、うれしくて
ならない。「君は、科学者になるんだよ」と声をかけると、「ウン」と、N君は、力強く、うなずい
た。

 こうしたきっかけが、その子どもを大きく伸ばすということは、よくある。

 で、途中、虫メガネを子どもたちに渡した。そのとき、すぐには渡さない。まず私が虫メガネを
のぞき、あれこれ感動してみせる。「ワーッ、すごいなあ!」と。

 すると子どもたちが、「見せろ!」「私にも、見せて!」と騒ぎだす。しかしそれでも見せない。

私「君たちは、子どもだから、まだ早い!」
子「早くない。見せろ!」
私「子どもだから、まだがまんしなさい!」
子「いいから、見せろ!」
私「がまんしなさい。先生が、かわりに見てあげるから……」と。

 これを動機づけという。(発達心理学でいう動機づけとは、意味がちがうが……。)こういう動
機づけをしっかりしておくと、あとが楽。それだけではない。こうすることによって、子どもは、好
奇心を増大する。

 子どもたちの興奮が頂点にたっしたとき、「じゃあ、見せてあげよう」と言って、虫メガネを渡
す。すると、子どもたちは、まるで新大陸を発見したコロンブス(多分?)のように、喜んで、虫メ
ガネをのぞく。しかし、それこそが、私のねらい。あとは、子どもたちが自分で伸びるのを、待て
ばよい。
(031112)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(337)

●希望

朝、起きる。
書斎に向う。
パソコンの
スイッチを入れる。
しばらく待つ。

時計を見る。
午前五時三〇分。
あたりは静か。
音はない。
窓の外は、
まだ、まっくら。
どこかカビ臭いのは、
このところの
雨のせい?

画面が出る。
さっそく、
メールを調べる。
二男や知人の
サイトをのぞく。

こうして私の
ありふれた
日常が始まる。

希望?
そういうもので
心をときめかすことは、
もう、ない。

ただこうして、
毎日、したいことがあって、
それができること。
あとは、懸命に、
それをする。
それが私にとっての
喜び。そして希望。

頭の調子は?
良好!
体の調子は?
良好?
心配や不安は?
なし!

おもむろに、
キーボードに
指をおろす。
そして頭の中に
たまった、
モヤモヤを、
一挙に、たたき出す。

快調だ。
指が軽い。
なめらかに
手先が舞う。

……そのとき、
ふと、心の中に
暖かい満足感を
覚える。

今日も、一日、
始まったぞ!
がんばるぞ!
がんばろう!
(031112)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(338)

●日本で成功する秘訣

 友人にW氏がいる。埼玉県から、東京都、静岡県にかけて、一〇園に近い、幼稚園や保育
園を経営している。たった今、電話をしてみたら、「新しい保育園の地鎮祭が、先週、終わった
ところです」と笑っていた。

 そのパワーとバイタリティには、いつも驚かされる。今年、七〇歳近くになるが、電話で話して
いると、三〇代、四〇代の実業家のような感じがする。言葉の端々(はしばし)に、ピンピンとし
た緊張感を感ずる。

 W氏のような人物を、成功者と言ってもよい。私は、あることが縁で、もう一〇年近く、おつき
あいをさせてもらっているが、そのW氏の特徴といえば、積極的なこと。チャンスがあれば、頭
から、そこへつっこんでいくこと。決して、迷わない。動じない。

 ところで人間には、大きく分けて、二種類あるという。トップとなって、「頭」として働くタイプ。も
うひとつは、その下で、「体」となって働くタイプ。昔、ある実業家が、雑誌の中で、そう書いてい
た。

 こうした人物論が、必ずしも正しいとは思わないが、それはさておき、W氏などは、ここでいう
「頭」の人物ということになる。W氏は、いつも、何かにつけて、その「頭」として働いている。

 そこでこうした人物論を、子どもに当てはめてみると、子どもも、ここでいう二種類に分けるこ
とができる。何かにつけて、リーダーシップをとりたがる子どもと、そうでない子どもである。

 ただ誤解してはいけないのは、「頭」だからよいとか、「体」だから悪いとか、そういうことでは
ない。「体」として働くことで、かえって自分の才能を光らせている人は、いくらでもいる。一方、
「頭」といっても、いつも失敗ばかりしている人もいる。

 こうした傾向は、すでに年長児のときには、はっきりしている。「頭」として働くタイプの子ども
は、自信家で、好奇心が旺盛、それに積極的である。

 で、こうしたちがいは、どこから生まれるかといえば、おそらく新生児から乳幼児期にかけて
ではないか。

 もともと人間には、そしてどんな子どもにも、「基本的生命力」というのは、平等にある。この
基本的生命力を、つぶさなければ、ここでいう自信家で、好奇心が旺盛で、それに積極的な子
どもになる。

 が、それを、どういうわけか、多くの親たちは、つぶしてしまう。叱ったり、威圧したり、ときに
は子どもに恐怖心を与えたりして、である。私は、新生児や乳幼児については、門外漢だが、
しかし、この時期の、子育ての鉄則には、いくつかある。

(1)どんなことがあっても、威圧や恐怖を子どもに与えてはいけない。
(2)子どもには、静かで穏やかな、一貫性のある接し方をする。
(3)心豊かで、暖かい愛情で、いつも、子どもの周囲を包んであげる。

 中には、カンが強く、夜泣きのはげしい赤ちゃんもいる。しかし赤ちゃんが泣くには、それなり
の理由がある。原因がある。だからただひたすら、根気。根気。また根気。この根気が、子ども
を伸ばす。

 決して大声をあげて、子どもを叱ったり、威圧してはいけない。暴力は、もってのほか。この
時期、一度、子どもに恐怖心を覚えさせると、子どもの心は、確実にキズつく。ゆがむ。そして
ここでいう「基本的生命力」を、弱める。

 W氏は、以前、こんなことを言った。「私は、子どものころ、好き勝手なことをして、遊んでば
かりいました」と。

 W氏は、「子どものころ」と言ったが、それ以前の段階として、「好き勝手なことができた幼児
期」があり、さらにそれ以前の段階として、「好き勝手なことができた乳幼児期」があったはずで
ある。つまりそういう生活環境が、W氏をして、W氏のような人物をつくった。

 ついでながら、W氏の奥さんは、ミスコンテストにも出たことがある、美しい人である。中学時
代には、生徒会長もしたという。当時、女子が、生徒会長になるのは、たいへん珍しかった。

 今のW氏がW氏なのは、そういう奥さんがいたからだと思う。そのことも、忘れてはいけな
い。
(031112)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


子育て随筆byはやし浩司(339)

●あるタクシーの運転手の話

 先日、東京でタクシーに乗ったら、運転手が、こんな話をした。

 「六五歳くらいの女性でしたかね。今夜一晩、ホテルでつきあってくれたら、七〇万円あげる
と言われましたよ。迷いましたが、やめましたよ」と。もちろんセックスつき。

 その話を、ワイフにすると、「七〇万円ねエ〜」と。

 女性の「体」としての美しさは、二五歳までだという。しかし「女」としての美しさは、三五歳がピ
ークだという。これは、友人たちの、一致した意見である。

ワ「三五歳をすぎたら、女性は、どうなるの?」
私「急に、老(ふ)けるよ。どうしてか知らないけど……」
ワ「そうねエ〜」と。

 男性も似たようなものだと思うが、男性はもともと、女性の視線を、あまり気にしない。「オジ
サン」と言われようが、「ジジイ」と言われようが、気にしない。

 ……というような話をすると、ワイフは、「あんただけよ」と言う。

 そう、昔から、私は、女性の視線を、ほとんど意識しない。もともと、あきらめている。「どう
せ、相手にされない」と思っている。だから、四〇歳になったときも、五〇歳になったときも、気
にしなかった。

 女性でも、そういう女性は、いくらでもいる。まったく男性の視線を意識していない女性だ。男
性の側からみても、それが、わかる。男っ気がないというか、サバサバしている。

 しかしその女性も、六五歳くらいになると、反対に、お金を出さねば、男性に、相手にしてもら
えない? そしてその金額が、七〇万円!

 逆算していくと、女性も、四〇歳くらいで、価値(失礼!)がなくなり、それ以後は、五年ごと
に、五万円ずつ払わないと、男性に相手にしてもらえないということになる。四五歳で、五万
円。五〇歳で、一〇万円。

私「この計算でいくと、お前なんか、一五万円出さないと、男性に相手にしてもらえないことにな
るぞ」
ワ「たったの一五万円! そんな金額じゃ、いやだわ」
私「バカめ。だれが、お前に、一五万円、払うと言った! お前のほうが、一五万円払わない
と、男に、相手にしてもらえないということだ」
ワ「一五万円も、もったいないわよ。だいたい、私には、そんな気はないから」と。

 しかし、夫にせよ、妻にせよ、本当の美しさは、その「温(ぬく)もり」で決まる。抱いたとき、抱
かれたとき、たがいにほっとするような、暖かさがあればよい。「形」ではない。もちろん「年齢」
でもない。

私「だけど、その女性は、どうして七〇万円も払うと言ったのかねエ?」
ワ「きっと、さみしかったのよ」
私「そうだろうな。お金を出して、そういうことをしても、むなしいだけ」
ワ「どうして、あなたにそんなこと、わかるの?」
私「……」と。

 若いとき、友人のK氏が、こう言った。「本当に、その女が好きかどうかは、セックスのあとの
自分の気持ちをさぐると、わかる」と。

 本当に好きだったら、セックスのあとも、そのまま抱いていたいと思う。そうでないときは、さっ
さと、体を離す、と。

 K氏が言ったことは、正しいと思う。心がともあわないセックスは、ただの排泄。小便と同じ
で、排泄したあとは、そのままバイバーイ。

私「でも、七〇万円と言われて、どうしてその運転手は、断ったのだろう?」
ワ「あなたなら、どうする?」
私「相手しだいだろうね」
ワ「気味の悪い女性だったのよ。それにその運転手さん、どんな人だった?」
私「五〇歳くらいの、ごくふつうの人だったよ」
ワ「すてきな人ではなかったの?」
私「それがよくわからない。そういう目で、見なかったから……」

ワ「あなたになら、そんなこと言わないわよ」
私「そうだな。ぼくだったら、一〇万円くらいかな?」
ワ「そんな、安いの?」
私「まあ、それくらいかな」
ワ「一〇万円なら、一晩、つきあうの?」
私「もちろん、断るよ。一〇〇万円くらいなら、いい」
ワ「だれも、そんなお金、出さないわよ」
私「そうなだ。ハハハ」
ワ「ハハハ」と。

 世の中、生きていると、いろいろなことがある。奇想天外というか、まあ、そんなところ。くだら
ない話だが、ここに記録しておく。
(031112)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(340)

●子どもの虚言癖

愛知県名古屋市のHTさんより、こんな相談をもらった。

+++++++++++++++++++

はやし様

先日は、相談にのっていただき、ありがとうございました。
子ども(小学一年生、女児)のことで相談と言いながら、
夫婦のことで相談していたように思い、肝心の、
娘のことで、相談にのってもらうのを忘れていました。

あのあと、
「私は主人と、娘の仲が悪いのだと思い、主人が娘にきびしいから
だと決めつけていたけど、私が悪かったんだと思う」
と主人に話をしました。

主人は、「俺が短気なのが悪いんだろうな。でもまちがったことをし
ている娘にやさしくはできないよ」
と言いました。

そして話しあい、私は娘と仲よくしたいので、態度を改めることに
しました。

今までは娘のウソをやめさせるために、「ウソをついたら叩くよ」と言
い、ウソをついた分だけ、叩いてきました。

お尻が真っ青になるまで叩かれても、娘は、ウソをつくのはやめませんで
した。

また、家では「ウソをつくとペナルティ」という約束ごとがあります。

ペナルティは廊下の雑巾がけなのですが、いろんな理由をつけ
ては、どうにかしてやらないようにしようと頑張っているので
すが、結局、私に言われて泣きながらやっています。

そこで叩くのをやめて(ペナルティはやらせています)、はや
し様がHPで書いている通りに、「うそをつぶす」ことを、はじめました。

一回目は娘が、ウソを認めるまで一時間半かかりました。
二回目も・・・。

毎日、何回もウソをつくのでそのたびに話をするのは大変でした。
ウソを認めるまでにはまだ時間がかかります。
ウソを認めたくないから「絶対に本当です。私を信じてくだ
さい」などと、わかりやすいウソのばあいでも言います。

何一〇回でも言うのです。「信じてください。ウソじゃない」と

それでもウソを認めたときには、「もうウソはつかないのよ」と、それで
済ませています。

娘には、この接し方でよいのでしょうか?
本当にそれで娘のウソは、なおるのでしょうか?

娘の実の父(離婚した前夫)は、信じられないくらい、ウソつきでした。

私の財布から生活費を盗んでは、「泥棒じゃないのかい? 警察
に届けようよ」とか、

パチンコをしていて帰りが遅くなれば、「友だちにつかまった」
とかなど、わかりやすいウソをたくさんつく人でした。

娘がウソをつくと、彼と重なってイライラするのです。
あんな風にはなってもらいたくない!、と・・・

あともう一つ、娘のことで気になるのは「過食」です。

娘と二人で暮らしていたとき、私は大検の資格を取るために、毎日
勉強していました。

娘とは一緒の布団で寝ていましたが、同じ時間に布団に入ること
はありませんでしたし、仕事も忙しかったので、あまりかまって
やれず、ぐずると叱りつけていました。

去年九月に合格したのを境に、少しずつ娘の過食がはじまりました。

今年二月に、名古屋に越してきてから、ひどくなりました。
さらに四月に小学校に入学して、給食がはじまると、二人分の給食
を食べるようになったのです。

娘はクラスで一番背が小さく、動くのが嫌いなので、どんどんと太
っていきました。

食べ物の量が多く、消化できないため、口臭と便秘がひどいです。

私や主人がどんなに怒っても、給食を食べ過ぎた分だけ、夕食を
減らしても一向に効果がありません。

学校から帰って来てからも友だちと遊んだりしないので、主人が
家でできる体操を教えました。

それをやるのも嫌がります。

小さいときから食べる事は大好きでしたが、体がちいさいので小
食でした。

朝食のパンが食べられなくてゴミ箱の底に隠したときもありました。

それが今では・・・?

今は娘のことを考えて、パンも自分で焼き、娘の好きな和食を作
っています。

和食はローカロリーなのでよいと思っていますが、学校で食べ
るので、効果がありません。

学校ではおかわりをしないように、先生にも娘にも言ってあります。

これらのことすべてを、児童相談所へ相談しても、何も具体的なことを言
ってはくれません。

私の話を聞くだけでなに、一つアドバイスもしてくれません。

一度「好きなだけ食べさせなさい」と言われたことがあり、好きに
させたのですが、体調が悪くなり、胃もたれや腹痛があっても
食べるのをやめませんでした。

今は娘の体調を考えて、給食を食べ過ぎたときには、夕食を抜いた
りしています。

「中間反抗期」「環境の変化」「主人との折り合いの悪さ」
「やきもち」など・・・

いろんなことを疑ったのですが、やはり原因は私でしょうか?

娘のため、じぶんのため、主人のため。
がんばっていきたいと思います。

はやし様、どうかお力をお貸しください。
よろしくお願いします。

++++++++++++++++++++

子どものウソについては、たびたび書いてきましたので
その中から、三作を選んで、ここに掲載します。

まず、子どものウソについて、よく理解してください。
一部、内容がダブりますが、お許しください。

+++++++++++++++++++++

(1)子どもの虚言癖

●子どものウソ

 子どものウソは、つぎの三つに分けて考える。

@空想的虚言(妄想)
A行為障害による虚言
Bそれに虚言。

空想的虚言というのは、脳の中に虚構の世界をつくりあげ、それをあたかも現実であるかのよ
うに錯覚してつくウソのことをいう。行為障害による虚言は、神経症による症状のひとつとして
表れる。習慣的な万引き、不要なものをかいつづけるなどの行為障害と並べて考える。これら
のウソは、自己正当化のためにつくウソ(いわゆる虚言)とは区別して考える。空想的虚言に
ついては、ほかで書いたのでここでは省略する。

 で、行為障害によるウソは、ほかにも随伴症状があるはずなので、それをさぐる。心理的な
要因が原因で、精神的、身体的な面で起こる機能的障害を、神経症というが、ふつう神経症に
よる症状は、つぎの三つに分けて考える。

@精神面の神経症……精神面で起こる神経症には、恐怖症(ものごとを恐れる)、強迫症状
(周囲の者には理解できないものに対して、おののく、こわがる)、虚言癖(日常的にウソをつ
く)、不安症状(理由もなく悩む)、抑うつ感(ふさぎ込む)など。混乱してわけのわからないことを
言ってグズグズしたり、反対に大声をあげて、突発的に叫んだり、暴れたりすることもある。

A身体面の神経症……夜驚症(夜中に狂人的な声をはりあげて混乱状態になる)、夜尿症、
頻尿症(頻繁にトイレへ行く)、睡眠障害(寝ない、早朝覚醒、寝言)、嘔吐、下痢、便秘、発
熱、喘息、頭痛、腹痛、チック、遺尿(その意識がないまま漏らす)など。一般的には精神面で
の神経症に先立って、身体面での神経症が起こることが多く、身体面での神経症を黄信号とと
らえて警戒する。

B行動面の神経症……神経症が慢性化したりすると、さまざまな不適応症状となって行動面
に表れてくる。不登校もその一つということになるが、その前の段階として、無気力、怠学、無
関心、無感動、食欲不振、引きこもり、拒食などが断続的に起こるようになる。パンツ一枚で出
歩くなど、生活習慣がだらしなくなることもある。

 こうした症状があり、そのひとつとして虚言癖があれば、神経症による行為障害として対処す
る。叱ったり、ウソを追いつめても意味がないばかりか、症状をさらに悪化させる。愛情豊かな
家庭環境を整え、濃厚なスキンシップを与える。あなたの親としての愛情が試されていると思
い、一年単位で、症状の推移を見守る。「なおそう」と思うのではなく、「これ以上症状を悪化さ
せないことだけ」を考えて対処する。神経症による症状がおさまれば、ウソも消える。

+++++++++++++++++++++

(2)ウソにもいろいろ

 ウソをウソとして自覚しながら言うウソ「虚言」と、あたかも空想の世界にいるかのようにして
つくウソ「空想的虚言」は、区別して考える。

 虚言というのは、自己防衛(言い逃れ、言いわけ、自己正当化など)、あるいは自己顕示(誇
示、吹聴、自慢、見栄など)のためにつくウソをいう。子ども自身にウソをついているという自覚
がある。母「誰、ここにあったお菓子を食べたのは?」、子「ぼくじゃないよ」、母「手を見せなさ
い」、子「何もついてないよ。ちゃんと手を洗ったから……」と。

 同じようなウソだが、思い込みの強い子どもは、思い込んだことを本気で信じてウソをつく。
「昨日、通りを歩いたら、幽霊を見た」とか、「屋上にUFOが着陸した」というのがそれ。その思
い込みがさらに激しく、現実と空想の区別がつかなくなってしまった状態を、空想的虚言とい
う。こんなことがあった。

●空想の世界に生きる子ども

 ある日突然、一人の母親から電話がかかってきた。そしてこう言った。「うちの子(年長男児)
が手に大きなアザをつくってきました。子どもに話を聞くと、あなたにつねられたと言うではあり
ませんか。どうしてそういうことをするのですか。あなたは体罰反対ではなかったのですか!」
と。ものすごい剣幕だった。が、私には思い当たることがない。

そこで「知りません」と言うと、その母親は、「どうしてそういうウソを言うのですか。相手が子ど
もだと思って、いいかげんなことを言ってもらっては困ります!」と。

 その翌日その子どもと会ったので、それとなく話を聞くと、「(幼稚園からの)帰りのバスの中
で、A君につねられた」と。そのあと聞きもしないのに、ことこまかに話をつなげた。が、そのあ
とA君に聞くと、A君も「知らない……」と。結局その子どもは、何らかの理由で母親の注意をそ
らすために、自分でわざとアザをつくったらしい……、ということになった。こんなこともあった。

●「お前は自分の生徒を疑うのか!」

 ある日、一人の女の子(小四)が、私のところへきてこう言った。「集金のお金を、バスの中で
落とした」と。そこでカバンの中をもう一度調べさせると、集金の袋と一緒に入っていたはずの
明細書だけはカバンの中に残っていた。明細書だけ残して、お金だけを落とすということは、常
識では考えられなかった。

そこでその落としたときの様子をたずねると、その女の子は無表情のまま、やはりことこまか
に話をつなげた。「バスが急にとまったとき体が前に倒れて、それでそのときカバンがほとんど
逆さまになり、お金を落とした」と。しかし落としたときの様子を覚えているというのもおかしい。
落としたなら落としたで、そのとき拾えばよかった……?

 で、この話はそれで終わったが、その数日後、その女の子の妹(小二)からこんな話を聞い
た。何でもその女の子が、親に隠れて高価な人形を買ったというのだ。値段を聞くと、落とした
という金額とほぼ一致していた。が、この事件だけではなかった。そのほかにもおかしなことが
たびたび続いた。「宿題ができなかった」と言ったときも、「忘れ物をした」と言ったときも、その
つど、どこかつじつまが合わなかった。

そこで私は意を決して、その女の子の家に行き、父親にその女の子の問題を伝えることにし
た。が、私の話を半分も聞かないうちに父親は激怒して、こう叫んだ。「君は、自分の生徒を疑
うのか!」と。そのときはじめてその女の子が、奥の部屋に隠れて立っているのがわかった。
「まずい」と思ったが、目と目があったその瞬間、その女の子はニヤリと笑った。

ほかに私の印象に残っているケースでは、「私はイタリアの女王!」と言い張って、一歩も引き
さがらなかった、オーストラリア人の女の子(六歳)がいた。「イタリアには女王はいないよ」とい
くら話しても、その女の子は「私は女王!」と言いつづけていた。

●空中の楼閣に住まわすな

 イギリスの格言に、『子どもが空中の楼閣を想像するのはかまわないが、そこに住まわせて
はならない』というのがある。子どもがあれこれ空想するのは自由だが、しかしその空想の世
界にハマるようであれば、注意せよという意味である。

このタイプの子どもは、現実と空想の間に垣根がなくなってしまい、現実の世界に空想をもちこ
んだり、反対に、空想の世界に限りないリアリティをもちこんだりする。そして一度、虚構の世
界をつくりあげると、それがあたかも現実であるかのように、まさに「ああ言えばこう言う」式の
ウソを、シャーシャーとつく。ウソをウソと自覚しないのが、その特徴である。

●ウソは、静かに問いつめる

 子どものウソは、静かに問いつめてつぶす。「なぜ」「どうして」を繰り返しながら、最後は、「も
うウソは言わないこと」ですます。必要以上に子どもを責めたり、はげしく叱れば叱るほど、子
どもはますますウソがうまくなる。

 問題は空想的虚言だが、このタイプの子どもは、親の前や外の世界では、むしろ「できのい
い子」という印象を与えることが多い。ただ子どもらしいハツラツとした表情が消え、教える側か
ら見ると、心のどこかに膜がかかっているようになる。いわゆる「何を考えているかわからない
子ども」といった感じになる。

 こうした空想的虚言を子どもの中に感じたら、子どもの心を開放させることを第一に考える。
原因の第一は、強圧的な家庭環境にあると考えて、親子関係のあり方そのものを反省する。
とくにこのタイプの子どものばあい、強く叱れば叱るほど、虚構の世界に子どもをやってしまう
ことになるから注意する。

+++++++++++++++++++++

(3)ウソと空想的虚言

 幼児教育では、ウソをウソと自覚しながらつく虚言と、空想的虚言(妄想)は、区別して考え
る。虚言というのは、自己防衛や自己正当化のためにつくウソだが、その様子から、それがウ
ソとわかる。……わかりやすい。

母「誰かな? ここにあったお菓子を食べたのは?」
子「ぼくじゃないよ」
母「じゃあ、手を見せてごらん。手にお菓子のカスが残っているはずよ」
子「残っていない。ぼく、ちゃんとなめたから」と。

 これに対して、空想的虚言は、現実と空想の間に垣根がない。自分の頭の中に虚構の世界
をつくりあげ、それがあたかも現実のできごとであるかのように、ウソをつく。本人もウソをウソ
と自覚しない。まさに「ああ言えばこう言う」式のウソを、シャーシャーとつく。こんなことがあっ
た。ある夜遅く、一人の母親から電話がかかってきた。そしていきなりこう怒鳴った。

「今日、うちの子が、腕に大きなアザを作ってきました。先生が手でつねったそうですね。どうし
てそんなことをするのですか!」と。そこで私が、「知りません」と言うと、「相手が子どもだと思
って、いいかげんなことを言ってもらっては困ります。正直に言いなさい!」と。

 翌日、園へ行くと、園長のところに一通の手紙が届いていた。その母親が朝早く届けたもの
だ。読むと、「はやし先生が、うちの子どもに体罰を加えている。よく監視しておいてほしい。な
お、この手紙のことは、はやし先生には内密に」と。そこで私がその子どもをつかまえて、それ
となく腕のアザのことを聞くと、こう言った。「ママが、つねったから」と。私は何がなんだか、さっ
ぱりわけがわからなくなってしまった。そこでどういう状況でつねられたかを聞くと、その子ども
は、こと細かに、そのときの様子を説明し始めた。

 英語に、『子どもが空中の楼閣を想像するのは構わないが、その楼閣に住まわせてはならな
い』という格言がある。空想するのは自由だが、空想の世界にハマるようであれば注意せよと
いう意味である。

が、実際の指導で難しいのは、子どもというより、親自身にその自覚がないこと。このタイプの
子どもは、親の前や外の世界では、信じられないほど、よい子を演ずる。柔和な笑みを絶やさ
ず、むしろできのよい子という印象を与える。

これを幼児教育の世界では、「仮面をかぶる」という。教える側から見ると、心に膜がかかった
かのようになり、何を考えているかわからない子どもといった感じになる。が、親にはそれもわ
からない。別のケースだが、私がそれをある父親に指摘すると、「君は、自分の生徒を疑うの
か! 何という教師だ!」と、反対に叱られてしまった。

 原因は、強圧的(頭からガミガミ言う)、閉塞的(息が抜けない)、権威主義的(押しつけ)な子
育て。こういう環境が日常化すると、子どもは虚構の世界をつくりやすくなる。姉妹でも同じよう
な症状を示した子どももいたので、遺伝的な要素(?)も無視できない。が、原因の第一は、家
庭環境にあるとみる。

子どもの心を解放させることを第一に考え、「なぜ、どうして?」の会話をやさしく繰り返しなが
ら、ウソをていねいにつぶす。頭から叱れば叱るほど、心は遊離し、妄想の世界に子どもを追
いやることになる。

+++++++++++++++++++++

【HTさんへ】

 虚言癖にしても、過食症にしても、まず、神経症が基本にあることが疑われます。しかし問題
とすべきは、まだお嬢さんが、小学一年生だ、ということです。(一年生ですよ!)少しきびしす
ぎるというより、酷な感じがします。もっとはっきり言えば、痛々しい……?

 HTさんが、前夫のウソに苦しんだという話は、よくわかります。心理学的には、こうしたわだ
かまりが、(固着)となって、HTさんを、ウラから操っていると思われます。HTさん自身が、すで
にそのことについて、お気づきのとおりです。

 つまり、子どものウソが、気になってしかたないわけです。そのため、HTさんは、お嬢さんの
ウソに、過剰反応なさっておられるのではないでしょうか。

 はっきり言いましょう。子どものウソくらいで、一時間半も、子どもを責めてはいけません。小
学一年生でしたら、せいぜい、五分。親からみて、ウソだとわかっているなら、相手にしないこ
と。「ウソはだめだよ〜」とか言って、笑ってすますのが、ふつうです。そういうふうには、できな
いのでしょうか。

とくに、ここでいう神経症による虚言癖は、責めれば責めるほど、かりにそのウソをつぶすこと
はできても、それ以上に深刻な、別の症状を引き起こすことが、よくあります。過食が、まさに、
それです。

 (しかし実際には、症状は、もっとたくさん出ているはずです。多分、見落とされていると思い
ます。口臭や便秘もそうですが、ほかに腹痛、頭痛、夜尿など……。)

 あなたは、前夫との、不愉快な思い出(わだかまりや、こだわり)を、無意識のうちにも、お嬢
さんに、ぶつけていませんか? あなたは子どものウソがいやなのではありません。あなたの、
前夫に対する、(うらみ)や(嫌悪感)を、子どものぶつけている? 私には、そうとしか思えない
のですが、いかがでしょうか。

 「いろんなことを疑ったのですが、やはり原因は私でしょうか?」ということですが、原因はとも
あれ、今、お嬢さんが一番、必要としているのは、「やすらぎを感ずる、暖かい家庭」です。

 思春期が近くなって、節食障害(過食症)になる子どものケースは、たくさん知っていますが、
小学一年生という年齢の子どもについては、私も、はじめてです。このあたりの深刻さを、どう
か、ご理解ください。

 メールを読むかぎり、問題の原因は、子どもにあるのではなく、あなた自身にあると思われま
す。あなたは、子どもを愛しているのではなく、子どもを自分の思いどおりにしたいだけでは、な
いでしょうか。これを私は、「代償的愛」と呼んでいます。

一見、子どものことを心配しているようですが、その実、自分の心配や不安を子どもにぶつけ、
子どもをその心配や不安を解消するための道具にしているだけではないかということです。ま
ずもって、どうか、それに気づいてください。

 では、どうするか?

 子どもは『許して、忘れます』。これを繰りかえします。どんなことがあっても、それを繰りかえ
します。あとは、根気くらべです。それともあなたは、風邪で熱を出している子どもに、水をかけ
たり、熱を出している子どもを、叱ったりするとでもいうのでしょうか。

 お嬢さんは、かなり重度の神経症による症状を、いくつか示していると考えらえます。つまり、
心が風邪をひいた状態です。この心の風邪は、外から見えない分だけ、安易に考えがちです
が、しかし実際には、半年から、一年単位で、症状は推移します。

 ウソにしても、一度や二度くらい、強く叱ったくらいで、なおるはずもないのです。どうして暖か
い愛情で、お子さんを包んであげないのですか。私には、あなたよりも、お嬢さんの、声なき悲
鳴のほうが、気になってしかたありません。

 それに誤解も、多いようです。

 たとえば口臭にしても、「食べものが多いから」では、ありません。神経を病んでいるからで
す。

 また「給食を食べ過ぎたときには、夕食を抜いたりしています」とのこと。どうして、そんな残酷
なことをするのですか! かえって夕食を抜けば、血糖値がさがり、脳間伝達物質が変調し、
過食(摂食障害)がすすむだけです。少量でもよいから、規則正しい食生活にこころがけてくだ
さい。

 「中間反抗期」というのは、幼児から少女への、脱皮期をいいます。「反抗」するのではなく、
自己主張がはげしくなることを意味します。ウソをついたり、過食するのは、「反抗」とは、言い
ません。

 「ウソをついた分だけ、子どもを叩く」「お尻が真っ青になるまで叩かれても、娘は、ウソを、つ
くのは、やめません」とのこと。

 痛い思いをさせても、この種のウソには、効果はありません。……あるはずもないのです。ま
た、お尻が真っ青になるまで、子どもを叩いていけません。絶対に、いけません。こういうのを、
世間では、「虐待」と言います。あなたには、その重大さが、わかっていますか?

 実のところ、あなたの心も、またキズつき、病んでいると考えたほうが、よさそうです。あなた
はあなたなりに、がんばっている。それはわかります。しかし一方で、あなたは、自分がかかえ
る、不安や心配を、お嬢さんに、そのままぶつけている。

 本来なら、あなた自身の内部で処理しなければならない問題を、子どもにぶつけているので
す。

 今、あなたに必要なことは、『許して、忘れる』です。

 お嬢さんを、許して、忘れなさい。子どもに愛を与えるために、許し、子どもから愛を得るため
に、忘れるのです。まだ間にあいます。だから、今から、そうしなさい。

 ウソをなおそうと思うのではなく、ウソとわかった段階で、無視すればよいのです。相手は、ま
だ小学一年生の、子どもでしょう! 未熟で未完成で、未経験な子どもでしょう! 体力でも、
知力でも、あなたにかなうわけがないのです。

 決しておとなの優位性を、子どもに押しつけてはいけません。はっきり言えば、本気で相手に
してはいけません。

 子どもの神経症の特効薬は、濃密なスキンシップです。抱く、手をつなぐ、いっしょに入浴す
る、添い寝をする。そしてあなたが子どもに言うべきことは、もっと謙虚な気持ちで、子どもにわ
びる言葉です。

 「ごめんね。私は、こんなママだけど、許してね」と、です。子どもがつくウソくらい、何ですか!
 子どもは、みんな、ウソつきですよ。それともあなたは、ウソをつかない、高潔な人ですか? 
自信をもって、そう言えますか?

 たしかに私は、「子どものウソは、質問責めにして、つぶせ」と書きました。しかし、それは、理
づめで、つぶせという意味です。威圧したり、恐怖心を与えたり、あるいは体罰を加えたりとい
うことではありません。どうか、誤解しないでください。

 HTさん、繰りかえしますが、「まだ間にあいます」。ですから、あなたにその気があるなら、こ
こで子育ての方向を、大きく、軌道修正してください。もし時間があるなら、私のホームページ
を、片っぱしから、読んでみてください。そしてあなたの、子育てのしかた、そのものを変えてみ
てください。

 やがてあなたも、あなた自身の中に、巣をつくっている、トラウマ(心的外傷)に気づくときがき
ます。それに気づけば、今のトンネルを抜け出ることができます。

 とりあえずは、私の『許して、忘れる』の原稿を読んでみてください。Eマガのほうでも、最近、
特集しましたので、そちらから読んでいただいても結構です。Eマガのバックナンバーの項目か
ら、拾ってみてください。
http://www.emaga.com/bn/bn.cgi?hhayashi2

 あなたは今、(ごくふつうの母親)から、(真の母親)に、脱皮しようとしています。あなたの子
どもが、それを、体を使って、あなたに教えているのです。あなたが、あなた自身の中の(あな
た)に気づけば、あなたは、必ず、(真の母親)になれます。

 どうか勇気を出して、足を一歩、前に踏みだしてみてください。また力になります。

 繰りかえします。『許して、忘れる』ですよ。それだけを心に念じて、お嬢さんに接してみてくだ
さい。

 たいへんきびしいことを書きましたが、あなたは、すばらしい、ここでいう(真の親)になる、一
歩手前にいます。あなた自身が、今、脱皮の苦しみを味わっています。しかしトンネルから、抜
け出るのは、もうすぐです。

 そのトンネルから抜け出れば、今のあなたは、大きく変わります。

 憎んだり、うらんだりするなら、あなたの前夫に対して、そうしなさい。あなたの過去に対して、
そうしなさい。憎んで、憎んで、憎みまくるのです。うらんで、うらんで、うらみまくるのです。ヘト
ヘトになるまで、そうします。

 しかしあなたの子どもに対しては、してはなりません。あなたの子どもは、関係ないのです。
今のままでは、あなたが受けたトラウマ以上のトラウマを、あなたの子どもに与えることになっ
てしまいます。深い、どこまでも深い、心のキズです。

 その分、つまりあなたにエネルギーがあるなら、そのエネルギーは、あなたや家族の幸福の
ために、使用します。子どもを見ないで、前向きに、あなた自身の幸福を、追求します。ここに
も書いたように、子どもなど、相手にしないことです。たかが小学一年生の子どもでしょう!

 子どもがウソを言ったら、「♪バレバレヨ〜」とか何とか言って、笑ってすまします。そしてあと
は、『許して、忘れる』。その度量の広さが、あなたの子どもの心に、風穴をあけます。そしてそ
れが、結果として、子どものウソを、こなごなにつぶします。ほかの神経症による症状が消えた
とき、そのウソも消えます。約束します。ですから、ウソをつぶすのではなく、あなた自身のトラ
ウマと戦うのです。

 あなたが一歩でも前進すれば、あなたは、ほかの親たちより、数歩も、幸福に近づくはずで
す。なぜなら、あなたは、不幸というものが、どういうものか、すでに知っている。そして幸福と
いうものが、どういうものか、すでに知っている。

 ですから不幸であったことを、恥じることはないのです。その不幸を土台として、幸福になれ
ばよいのです。決して、その幸福を、手放しては、いけませんよ。あなたは、もうすぐ、ほかの
人よりも、何倍も、幸福になります。約束します。

 お父さんも、「まちがったことは嫌い」などと、肩に力を入れないで、もう少し気楽に考えたらよ
いのです。決していいかげんになれということではありません。おもしろい父親になれということ
です。どこかギスギスな感じがしないでも、ありません。子育てを、もっと、気楽に楽しんでくださ
い。子ども自身がもつ、自ら伸びる力をもっと信じて……!

 今日はこれで失礼しますが、また何か悩んだり、苦しんだりしたら、メールで書いて送ってくだ
さい。では、今日は、ここで失礼します。
(031112)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司



子育て随筆byはやし浩司(341)

【近況】

●コンビニで……

このところ、毎日のように、コンビニで、いろいろなおもちゃを買っている。値段は、三〇〇〜四
〇〇円前後。

 最初は、「和食セット」から始まった。ミニチュアの和食セットだが、実にこれがよくできてい
た。それでハマった。

 つぎに「懐かしの……」というシリーズ。それから組み合わせパズル、模型の船、潜水艦、飛
行機などなど。

 ワイフもこのところ、つられて、「チョコ・エッグ」というのを買っている。中に、鳥の模型が入っ
ている。

 値段が値段だから、最初は、「?」と思って、買った。しかしここにも書いたように、実によくで
きている! 細部まで、「よくもまあ、こんなところまで……」と思うほど、ていねいに仕上がって
いる。

 今も、パソコンの横で、ゼロ戦が、翼(つばさ)を休めている。一〇〇分の一シリーズだから、
翼ハバが、一〇センチもない。しかし塗装済み。どこの国で作っているのか知らないが、日本
でここまで作ったら、人件費だけで、一〇〇〇円以上はかかる。……と思う。

 そんなわけで、このところ、コンビニへ行くのが、楽しみでならない。そうそう今は、「サンダー
バード」シリーズにハマっている。昔のイギリスのSF・TV番組である。私が大学生のときには、
みなが、この番組にハマっていた。

 私は、こうしたおもちゃを、教室に飾っておく。すると子どもたちがそれを見つけ、ほしがる。
私も、一、二週間、棚の上を飾ったあとは、子どもたちに、払いさげることにしている。こうした
楽しみは、みなで共有するのが、よい。


●ゆううつ

来週は、愛知県と三重県で講演をすることになっている。しかしそのあたりでは、私の知名度
は、ほとんどない。だから講演をしても、ほとんど、人は集まらない。それがわかっていて、講
演に行くのは、本当に、つらい。……だから、ゆううつ。

 で、一つの目的をつくった。

 三重県の講演会場へ行くとき、その旅行記を書いてみようと思う。パソコンと携帯電話(カメラ
付)を持参して、マガジンで、臨時増刊号として発表してみようと思う。そういう目的をもてば、少
しは、気がまぎれるかもしれない。

 しかしこのところ、日程や時間の調整がうまくつかず、断る講演がふえてきた。「午後に……」
という依頼は、たいてい断っている。I町のK小学校、H町のK小学校のみなさん、どうか、お許
しください。K市のN小学校のみなさんも、どうか、お許しください。

 一二月という月は、何かと、ままにならない月です。

 ……ということで、やはり、旅行記を書いてみることにする。どうか、お楽しみに!


●結婚式

 このところ、結婚式に招待されることが、多くなった。甥(おい)、姪(めい)の結婚式だ。

 で、その祝儀が、このあたりでは、一人、二〜三万円が、相場。夫婦で、四〜六万円というと
ころか。それで驚いていると、「愛知県のほうでは、一人、五万円が相場よ」と。ワイフが、そう
言った。

 別に結婚式に、ケチをつけるわけではないが、どうして日本人は、こんなムダ(失礼!)なこと
に、お金をかけるのか?

 いつの間にか、日本では、結婚式にも、「形」ができてしまった。もともと「形」が好きな民族で
ある。「みんなと同じことをしていれば、安心」という考え方をする。

 それを式場会社が、うまく、自分たちの利益に誘導した。そして今に見る、結婚式場での結
婚式が、定着した。

 この前、アメリカへ行ったときに、日系人のYさんに、このことを話したら、Yさんは笑ってい
た。「アメリカには、式場会社というのはないのか?」と聞いたら、「そんなバカなものは、アメリ
カ人には、受け入れられないでしょうね」とのこと。

 ムダな食事に、ムダなあいさつ。ムダな衣装がえに、ムダな引き出物。すべてが、ムダ。意味
があるとするなら、世間体を気にした、虚飾、虚栄、見栄、メンツ。その自己満足だけ。

 結婚したければ、サッサと結婚すればよい。幸福になりたければ、サッサと幸福になればよ
い。いや、結婚式が、ムダというわけではない。今に見る、あの結婚式場での結婚式が、ムダ
と言っている。

 二男夫婦も、二年前、アメリカで結婚式をしたが、ハネムーン代も含めて、総額で、三〇〇〇
ドル以下ですんだとのこと。日本円で、三五万円くらいか。式は、小さなチャペルであげた。式
が終わったあとのパーティは、公民館でした。一番、お金がかかったのは、前夜祭で、みんな
で飲み食いした分だという。それは近くのファーストフードの一角を借りてした。

(チャペルでの費用が、一〇万円。ハネムーン代が、一〇万円。飲み食い代が、一五万円と
か。)

 アメリカでは、みんなからプレゼントはもらうというが、現金はないとのこと。向こうでは、現金
のプレゼントは、かえって失礼になるという。

 で、そのプレゼントだが、同じプレゼントがダブらないように、あらかじめリストをつくって回覧
するとのこと。デパートによっては、特別に、そういうコーナーをもうけているところもあるとのこ
と。

 それにしても、一〇〇人の出席で、三〇〇万円! 若い人のばあい、ほぼ、年収に匹敵(ひ
ってき)するのでは? それをたった数時間で、浪費する。

 だいたいバカげているのは、ニセ教会における、ニセ牧師の前での、ニセの誓い。すべてが
ニセだから、恐ろしい。以前、私の教室に、英会話の講師に来てくれていた、J君も、その仕事
(?)をしていた。もちろん彼も、ニセ牧師。

 笑え、笑え、ニセ牧師! これぞまさしく、神への冒涜(ぼうとく)! バチがあたることはあっ
ても、絶対に、祝福など、されないぞ!

 結婚式は、自宅で、質素にやればよい。本心で祝ってくれる人だけを集めて、祝ってもらえば
よい。あとは、どこまでいっても、二人の問題。純粋に、二人の問題。こういう原点に立ちかえ
って、日本人も、結婚式をもう一度、考えなおしてみるべきではないのか。

 ちなみに、私たち夫婦は、結婚式も披露宴もしていない。そのお金がなかった。その夜、六
畳一間のアパートで、二人で乾杯した。それでおしまい。

 入籍したのは、仏滅の日。母が、「それだけはやめてくれ」と泣いたが、「私の誕生日にあわ
せたほうが、忘れない」ということで、その日にした。

【追記】

 二男夫婦が、孫を連れて日本へ帰ってきたとき、近くの親戚の人に集まってもらい、披露宴
(?)だけはした。

 最初、ワイフは、花嫁衣裳にこだわったが、貸衣装代だけで、一五万円(嫁分)とのこと。「こ
れが一番、安い価格です」と。しかたがないので、振袖(ふりそで)にしてもらった。

 が、ここで新たな問題が起きた。最初は、近くの大きなレストランでの披露宴を予定していた
が、「衣装の持ちこみは、お断り」とのこと。そのレストラン指定の貸衣装屋を通さないと、披露
宴はさせないという。

 しかもその費用が、料理一人前で、最低でも七五〇〇円から。部屋代が、一〇万円などな
ど。ざっと計算して、二〇人だけの小さなパーティでも、二五万円! プラス衣装代などで、一
五万円(嫁の振袖、一〇万円。息子の袴、五万円)などなど。

 急きょ、会場を、私に山荘に移した。もちろん祝儀などの、気づかいは、すべてお断り。で、
料理は、山荘のバーベキューコーナーを利用して、自分たちでした。

 その前日の朝、近くの魚屋のおやじに、トラックに乗せてもらい、市場へ連れていってもらっ
た。自分たちで、買い出しをした。その費用、総額で、七万円前後。エビ、カニ、ホタテ貝、サザ
エ、マツタケなど、市価の四分の一から、三分の一程度で買うことができた。

 たとえばニュージーランド産の手長エビは、六〇匹くらいを、一万円三〇〇〇円程度で買うこ
とができた。あとで魚屋で同じものを見たら、二匹で一〇〇〇円弱だった。

 あとは時間制限なしの、ドンチャン騒ぎ。それでも、結構、楽しかった。見栄さえはらなけれ
ば、披露宴も、安くできる。ホント!


●年賀状

 今年も、年賀状を書く季節になった。ワイフが、郵便局で、X百枚の年賀状を買ってきた。こ
のところ、毎年、一〇〇枚単位で、その枚数を減らしている。今年も、昨年より、X十枚、減らし
た。

 それにしても、一年のたつことの早いことといったら、ない。(漢字は、「早い」と書くべきか、そ
れとも「速い」と書くべきか?)あっという間に、二〇〇三年も、終わろうとしている。で、もう年賀
状?

 書店へ行くと、年賀状を書くための素材集が、たくさん並んでいる。毎年、一冊は買っていた
が、今年は、やめた。今年は、どういうわけか、「素材集まで買って……」という意欲が、わいて
こない。はっきり言って、年賀状なんて、どうでもよいという感じ……?

 どうしてだろう?

 その理由の一つに、この数年、人とのかかわり方が、質的に、大きく変化しつつあることがあ
る。以前は、親類や、友人をのぞいて、そのほかの人に対しては、「仕事で、世話になったから
……」という思いから、年賀状を書いていた。しかしこの数年、たとえばほんの一部の人をのぞ
いて、盆や暮れのつけ届けも、やめた。

 何となく、むなしさを感ずるようになった。「そういうことをしたところで、どうなのか?」という思
いが、強くなった。「どうせ、残りの人生は、短いではないか」と。「それで私から去っていく人
は、去っていけばいい」とも。

 その一方で、「死ぬまで、今まで知りあった人は、大切にすべき」という考え方もある。ワイフ
は、いつも、そう言う。「たかが年賀状なのだから、そこまで深く考えなくてもいいのでは……」
と。

 そのあたりが、どうやら、妥協点のようだ。だから、今年も、年賀状を出すことにした。それ
が、X百枚という枚数になった。しかし、これからは、もっと少なくなっていくだろう。これだけイン
ターネットが発達してくると、年賀状そのものがもつ意味が、薄れてくる。

 で、何人かの若いお母さんたちに、聞いてみた。すると、みな、意外なほど、年賀状にこだわ
っていないのが、わかった。枚数も、一〇枚とか、二〇枚とか。「夫は、もう少し多いですが、そ
んなものです」とのこと。

 が、私たちの世代は、ちがう。私たちが子どものころには、年賀状は、国策として、奨励され
たように思う。学校ぐるみというか、年末になると、授業は、年賀状一色になった。版画コンク
ールだの、いろいろあった。それで、多分、私も、こうまで年賀状にこだわるようになったのだと
思う。こんなことが、あった。

 中学生のとき、「アメリカには、年賀状がない」と知って、驚いたことがある。私はそれまで、
全世界の人が、等しく、年賀状を交換しているものとばかり、思っていた。つまり年賀状という
のは、正月には、それくらい重要なものだ、と。

 悪いことばかりではない。中学生のときも、高校生のときも、元旦の朝、年賀状を受けとっ
て、最初にさがしたのが、ガールフレンドからのものだった。ないときは、がっかりしたが、きた
ときには、飛びあがって、喜んだ。そういう思い出も、年賀状には、数多く、ある。

 ……と書きながら、脳みその別の部分では、すでに、来年の年賀状のデザインを考え始めて
いる。私も、ずいぶんと、いいかげんな人間だと思う。あるいは、脳みその中身を変えるという
ことは、それほどまでに、むずかしいことなのか。


●目当ては、義父の財産?

最近、二つの相談ごとを、同時に、もちかけられた。

 一つは、長野県に住むAさん(女性、四〇歳)からのもの。夫と離婚することになったが、義父
母が、財産分与をしてくれない。息子が二人いるが、これからの養育費を考えると、不安でなら
ない。どうしたらいいか、と。

 もう一つは、近くのBさん(女性、七〇歳)からのもの。嫁が家を出て行くというが、財産を分け
てくれなければ、家を出ていかないと、がんばっている。うちは昔からの農家で、そういうふうに
は、財産分与はしていない。どうしたらいいか、と。

 相談を受ける側も、いいかげんなところがある。嫁の立場にいるAさんには、Aさんに、つごう
のよい話をする。姑(しゅうとめ)の立場にいるBさんには、Bさんに、つごうのよい話をする。

 こういうとき、どうしたら、よいのか?

 まずAさんだが、夫が、極度のマザコン男だという。義父母の前では、借りてきたネコの子の
ように、おとなしいという。ハキがなく、だらしない。その上、生活力もないという。

 一方、Bさんのほうは、嫁には、浪費グセがあって、お金にだらしないという。いつも生活費が
足りなくて、その義父母のところへ借りにくるという。

 しかしこういう相談で注意しなければならないのは、どの人も、自分にとって、つごうの悪い話
は、しないということ。本来なら、双方の意見を聞かねばならないが、そういうことは、まず不可
能。だから、どうしても、相談してきた当事者の立場になって、あれこれ考える。

 Aさんに対しては、家事調停をすすめ、その手続きのし方を、教えた。窓口での申し込みのし
かたや、印紙代についての常識など。

Bさんに対しては、家事調停にもちこまれたときの対抗策を教えた。財産の名義の確定など。
Bさんは、息子の名前を借りて、貯金をしていた。そういう貯金については、引き出して、Bさん
名義にしておくことなど。

 考えてみれば、まさに、矛(ほこ)と盾(たて)を、同時に売るような回答である。しかしこうした
相談は、実は、教育の世界にも多い。

 いじめられて、相談にくる親。いじめ事件を起こして、相談にくる親。

 学校の先生の指導が悪いといって、相談にくる親。親の育児姿勢が、なっていないといって、
相談にくる学校の先生。

 子どもが非行に走ったといって、相談にくる親。非行グループに、あれこれいやがらせをされ
ているといって相談にくる親、ほか。

 いろいろある。いろいろあって、そのつど、ここでいう、矛・盾を、感ずる。

 深く考えると、頭の中がショートするので、私はあまり考えないようにしている。そう、私は、も
ともと、無責任な男なのだ!
(031213)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(342)

●コンプレックス

 人は、だれしも、何らかのコンプレックス(劣等感)をもっている。そのコンプレックスと、何ら
かの形で戦いながら、生きている。たとえば……。

 親への依存性が転じて、その親が死ぬと、今度は、それが先祖への依存性へと、姿を変え
ることがある。私は、このことを、O氏(六五歳)を観察していて、気づいた。

 O氏は、親が生きている間は、すべて、親が、第一だった。親に対して隷属的で、従順だっ
た。しかしO氏は、それが自分自身のマザーコンプレックス(マザコン性)によるものだとは、気
づいていなかった。

 ただ、O氏の妻は、かなり早い時期に、それに気づいていた。結婚するときも、「親のめんど
うをみる」が、その条件だったという。「夫にとっては、親がすべてでした」と。親といっても、O氏
にとっては、母親が親のすべてだった。父親は、かなり早い時期に死んでいた。

 親の前では、O氏の妻は、奴隷のようなものだった。O氏の妻は、「私は家政婦以下の家政
婦だった」と、そのころを思い出して、そう言う。

 ゆいいつ救われるのは、その母親が、静かで、穏やかな人だったこと。近所でも、仏様のよう
な人だと言われていた。だからますます、O氏は、母親を大切にした。母親に仕えることを、生
きがいにした。

 そのこともあって、O氏は、家族はもちろん、他人でも、母親を批判したりするのを許さなかっ
た。「親は絶対」という、信仰にも近い、確信さえもっていた。「親の悪口を言うヤツは、地獄へ
落ちる」「親を粗末にするヤツは、人間ではない」と。それが、O氏の口グセだった。

 が、その母親が、一〇年ほどまえに、死んだ。とたん、今度は、O氏は、「先祖」という言葉を
使うようになった。毎晩、仏壇の前で手をあわせて、涙をこぼしていたこともあるという。つまり
その時点で、O氏のマザーコンプレックスは、先祖コンプレックスへと変化した。

 「ご先祖様を、粗末にするヤツは、地獄へ落ちる」が、今度は、O氏の口グセになった。そし
て以前にもまして、いわゆる「母親の供養(くよう)」を熱心にするようになった。毎年の命日の
みならず、毎月の命日の供養も、欠かさなかった。寺の住職は、そういうO氏を、「徳のあつい
人だ」とほめた。

 O氏の例でもわかるように、人は、自分のもつコンプレックスを、そのつど状況に応じて、変
化させる。たとえばよく知られた、心理作用に、「昇華」という作用がある。これは自分がもつコ
ンプレックスを、何らかの形で、乗り越えることによって、それを解消しようとする作用のことを
いう。

 肉体的コンプレックスをもっていた人が、空手の練習に励んだり、ボディビルディングをする
ようになる。あるいは、長い間、貧乏だった人が、お金に執着するようになる、など。

 親子のばあい、自分がもっているコンプレックスを、子どもにぶつけることもある。

 よくあるケースは、学歴のない母親が、子どもに向かって、「勉強しなさい」と言うのが、それ。
基底にコプレックスがあるから、反面、それが強いバネとなって、母親の心に作用する。ある母
親は、息子(小四)と、毎晩、「勉強しなさい!」「いやだ!」の、大乱闘を繰りかえしていた。

 その母親は、こう言った。「息子に嫌われているのは、よくわかっていました。しかし目標の中
学へ入ってくれれば、息子も、私に感謝してくれるはず、私の気持ちを、理解してくれるはず、
と考えました」と。

 コンプレックスは、このように、さまざまな形に、姿を変える。そしてその人を、ウラから操る。

 さて冒頭の話だが、その人が、どこか、何かふつうでないことを口にしたら、このコンプレック
スを疑ってみるとよい。「ふつうでない」というのは、何かにこだわっている様子をいう。その背
後には、その人の、何かのコンプレックスが隠されていることが多い。

 で、私自身のこと。

 たとえば私は、子どものころから、庭のある家にあこがれた。とくに、大きな木のある家にあ
こがれた。私の家は、町の中の商家で、その庭がなかった。

 だから今の家をもつときも、その「庭」にこだわった。今も、こだわっている。ほかにもいろい
ろある。最近になって気づいたが、写真をとるときも、私はほとんど、「緑」を背景にしている。こ
れは無意識のうちにも、私が、「緑」に対して、強いあこがれをもっているためではないか。

 そういう点では、人は、(どんな人でも)、そのコンプレックスのかたまりのようなものかもしれ
ない。

 念のために申しそえるなら、私は何も、親にこだわってはいけないとか、先祖にこだわっては
いけないと、言っているのではない。あくまでも、一つの例として考えてみた。
(031213)

【補】この話に出てきた母子のケースでは、そのあとしばらくして、息子(小四)は、精神的に、
かなりおかしくなってしまった。ここに書いた、母親の言葉は、そのとき、その母親が言った言
葉。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


子育て随筆byはやし浩司(343)

●私の通勤路

 私は、浜松市の西の校外に住んでいる。

 市内の中心部(駅)から、ちょうど、七キロくらいのところである。近くに、浜名湖という湖があ
る。

 私はその自宅から、毎日、自転車で、市の中心にある教室まで通っている。若いころは、二
〇分程度で行くことができたが、最近は、三〇分程度、かかる。

 以前は、雄踏(ゆうとう)街道という、旧道を通っていたが、最近、片側二車線のバイパスがで
きた。りっぱな歩道もついているので、今は、そのバイパスを、通っている。時間的には、それ
ほど変わらないのではないか。

 このバイパスを市内に向って走っていくと、やがて、左に折れて、旧市内へ入っていく道と交
差する。左手に、中高一貫校として話題になっている、公立の西高校がある。その下の坂をの
ぼる。

 浜松という町は、開けた平野の中にあるが、西側には、けっこう、坂が多い。そのため、自転
車通勤には、あまり適していない。その西高校から、西部中学にかけて、五〇〇メートルくらい
の、ダラダラ坂がつづく。

 その坂が、実は、私の健康バロメーターになっている。

 この坂を、一気に登れるときは、調子がよい。そうでないときは、そうでない。とくに最近は、
気力との勝負。「負けるものか!」と、歯をくいしばって登ることが多くなった。

 おかげで、足腰だけは、タフ。太ももだけは、同年代の男たちより、二倍は、太い。三〇年
も、自転車に乗っていると、体も、そうなる。

 坂を登りきると、そこから市内までは、今度は、ゆるやかなダラダラ坂。鴨江(かもえ)観音と
いう、由緒ある寺の近くを通って、そのまま市内へ入る。

 この通勤路の途中で、あれこれ、用を足すことができる。大きな書店もあるし、パソコンショッ
プもある。ビデオレンタルの店もあるし、大型のショッピングセンターもある。走っているだけで
も、退屈しない。

 鴨江観音からは、自転車で数分もかからない。教育文化会館(別名、浜ホール、旧市民会
館)の前、三〇メートルくらいのところに、私の教室がある。通称「ショパンビル」の三階である。
このビルに教室を移して、もう一五年になる。

 この通勤路の途中に、ほかに、鴨江の遊郭(ゆうかく)街がある。今は、ふつうの旅館街にな
っているが、昔は、遊郭街だったという。私は、若いころも、今も、そういうところで遊んだことが
ないので、どういうところか知らない。酒を飲んで、女性と遊ぶところだそうだ。

 ほかに、何があるのだろう……。

 もし浜松へ観光にくるようなことがあれば、浜松城あたりから、鴨江(かもえ)、蜆塚(しじみづ
か)方面へ、歩いてみるとよい。広沢(ひろさわ)の一角には、徳川家康ゆかりの、「西来院(せ
いらいいん)」という寺もある。

 ほかに蜆塚遺跡や美術館など。結構、広いので、歩くとたいへんだが、しかしよい運動には
なる、……と思う。ついでに私の教室へ寄ってみてほしい……と書きたいが、これは、困る。

 残念ながら、私は、飛び込みの客を、歓迎しない。どうか勘弁してほしい。だからもし、おいで
になるようなら、一度、053−452−8039まで、先に、電話をしてほしい。常時留守番電話
になっているので、その旨、伝言を入れてほしい。

 話が脱線したので、少し、話をもどす。

 その西来寺には、徳川家康の第一夫人(正室、築山御前(つきやま・ごぜん))の廟(びょう)
がある。

 で、おかしなもので、市内から、自宅へ帰るときは、私は、別のコースをたどる。帰るときは、
教室からそのまま南下。一度、バイパスへ出て、そこから西へ。途中から、旧雄踏街道へ入
る。
(031114)

++++++++++++++

※西来院(せいらいいん)

 浜松市の中心街から西へ数キロのところに、西来院という寺がある。「せいらいいん」と読
む。閑静な住宅街の一画にある、うっそうとした緑に包まれた寺である。

 この西来院には、徳川家康の正室、築山殿(つきやまどの)が、葬られている。つまり徳川家
康の、奥さんの墓(正確には、廟)がある。

 結婚したころ、ワイフは、私をよくこの寺へ連れていってくれた。そしてその寺にまつわる、い
ろいろな話をしてくれた。

 そうした話の中で、印象に残っているのは、築山殿が、あたかも悲劇の主人公のように扱わ
れていたこと。いつだったか、ワイフは、こう話してくれた。

 徳川家康は、今川家の血を引く、築山殿と結婚した。しかしそのあと、織田信長への忠誠の
証(あかし)として、築山殿を殺した、と。築山殿を殺せと命令したのは、織田信長だったという
話も聞いた。

 しかしこの話は、どうやら、そのまま信じてはいけないようだ。

徳川家康は、八歳のとき、今川家の人質となって、駿府(すんぷ)、つまり今の静岡市に住ん
だ。その駿府で、一五歳のとき、元服。そして同時に、今川家の築山殿と結婚した。

 当時は、そういう時代だった。今でも、その風習は、色濃く残っている。結婚式にしても、「個
人」と「個人」の結婚というよりは、「家」と「家」との結婚式という色彩が強い。徳川家康は、そう
いう風習の中で、築山殿と結婚した。

 一説によると、徳川家康は築山殿と、結構、仲むつまじく過ごしたという。そしてその三年後、
つまり徳川家康が一八歳のときに、長男の「信康」もうけた。

 が、この信康は、そのあと、相当な放蕩(ほうとう)息子となる。超ドラ息子というか、やること
なすこと、めちゃめちゃ。

 踊り手の踊りがまずいといっては、その踊り手を矢で殺したり、うまく狩ができなかったのは、
途中で会った坊主のせいだといって、その坊主を殺したりした。こんなこともあったという。

 信康は、やがて織田信長の娘の徳姫(信長の娘)と結婚することになるが、そのあとのこと。
その徳姫につかえる小侍従という娘がいた。その小侍従が、あらぬことを徳姫に告げ口をした
という理由だけで、信康は、その小侍従を、殺している。しかもその殺し方というのが、むごい。

 小侍従を殺したあと、小侍従の口を手で引き裂いたという。

 信康が、そのような信康になったのは、築山殿にも、責任がある。……あるというより、その
築山殿の気性をそのまま、受け継いだと考えるのが正しい。築山殿も、かなり気性のはげしい
女性だったようである。

 のちに、徳川家康は、お万の方という女性と、ねんごろになる。そしてお万の方が、懐妊した
と知ると、築山殿は、お万の方を、裸にしてしばり、岡崎城の一角に捨てたという。それだけで
はない。

 自分の息子の信康は、ここにも書いたが、信長の娘と結婚した。これについても、そのあと、
宿敵、信長の娘ということで、武田家に近い血筋の娘をわざと信康に、あてがっている。

 最後に、築山殿は、信長に対する謀反(むほん)の企てをした(?)ということが疑われて、家
康の家臣の野中重政によって、殺される。

別の説によれば、築山殿は、浜松城内で自刃したという話もある。時に、天正七年(1579)の
八月二九日のこと。さらにそのあとを追うように、息子の信康も、同年、九月一五日に、浜松市
の北にある、二俣城(ふたまたじょう)で、切腹を命じられている。

 ……というような話を総合すると、残念ながら、西来院に伝わる、築山殿の話は、どうも、
「?」ということになる。

ワイフが言ったように、このあたりでは、築山殿は、悲劇の主人公ということになっている。築
山殿を、敬意の念をこめて、「築山御前」ともいう。今でも、NHKの大河ドラマの影響か、築山殿
を慕う人も少なくない。しかしは、しかし……?

あとの判断は、読者のみなさんに、お任せする。

+++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(344)

●超能力?

 このところ、私には、こんなおかしな現象が起きている。

 たとえば一人の母親から、子育ての相談を受けたとする。すると、子どものことのみならず、
その母親の生まれ育った環境、さらには、現在の生活環境まで、手に取るようにわかってしま
う。

 自分でも、こわくなるほど。それで、実際には、わかっていても、反対に、わからないフリをし
て、その母親と話をつづける。

 昨日も、近くの美容院へ、シャンプー・カットに行った。そのときのこと。その美容師の話しぶ
りを聞いただけで、その美容師の、乳幼児時代から、幼児期、少女期の様子が、わかってしま
った

 「あなたのお母さんは、どこか心の冷たい人でしたね。お父さんは権威主義者で、お母さん
は、そのお父さんに仕えるだけで、精一杯。あなたのことは、ほったらかしだった。……というこ
とは、あなたには兄がいたはず」と私。

 「中学生や、高校生のとき、あなたは人前では、明るく振るまったかもしれないが、しかし本当
のところ、友だちづきあいが、苦痛だった。今も、休みの日になると、ぐったりと疲れてしまっ
て、何もできなくなるでしょう」と。

 すると、その美容師は、「そのとおりです」と驚き、「でも、どうしてそんなことがわかるのです
か!」と。

 タネをあかせば何でもない。

その美容師は、愛想はよいが、私に、調子を合わせているだけ。心までは、許していない。乳
幼児期に、親の愛に、あまり恵まれなかった人とみてよい。会話の途中で、「私、偏頭痛もちな
んです」「軽い拒食症になってこともあります」と言ったことも、ヒントになった。対人関係が、うま
く結べない人とみた。原因は、言うまでもなく、乳幼児期における、母子関係の不全である。

 が、それでいて、男である私に、独特の劣等感をもっていた。私が何か強く言うと、反発する
前に、自信なさそうな声で、「そうですかア……」と答えたりした。それは父親の影響とみてよ
い。その美容師は、子どものころから、父親の前では、服従を強いられていた。口答えさえ、で
きなかった。明らかに、その美容師は、私を父親とダブらせていた。

 で、その父親は、昔ながらの、男尊女卑思想をもっていた。そのため母親も、父親に対して、
隷属を強いられた。そういうこともあって、その美容師は、自分自身も女性でありながら、同じ
女性を、心のどこかで軽くみていた。言葉の端々(はしばし)で、「女なんて……」というような言
い方をした。

 また、愛想が、不自然によすぎるのは、乳幼児期の愛情不足が原因とみてよい。おそらく上
に兄か姉がいて、ほとんど手をかけてもらえなかったのだろう。兄か姉かということになれば、
兄の可能性が高い。姉なら、姉と平等に、愛情をかけてもらったはず。

 もっとも美容師というのは、接客七割、技術三割の仕事である。愛想が悪くては、勤まらな
い。そういう面はあるが、その美容師のばあい、痛々しいほど、私という客に気をつかってい
た。それは、自分の心を隠すためにかぶった、仮面。もしくは、反動形成によるものだった。

 別れるとき、私は、こう言った。「ぼくは、また来ますが、ぼくには、そんなに気をつかわわなく
ても、いいですよ。みんな、わかっていますから」と。

そう、ついでに、首のマッサージの仕方も、教えてやった。按摩(あんま)の指導をするのは、一
五年ぶり。教えてやったというより、その美容師の、首から肩をさわりまくった。そんな感じ。私
も、結構、スケベなのだ! ハハハ。
 
 で、まじめな話。

 私のばあい、相手が子どもだと、数週間も接すれば、(本当は、一、二時間でじゅうぶん)、そ
の子どもの生いたちの環境から、五年後、一〇年後の姿まで、これまた手にとるようにわかっ
てしまう。これから先、どんな問題を引きおこし、その結果、どうなるかまで、わかってしまう。た
だわかるのではない。わかりすぎるほど、わかってしまう。

 しかしそれを口にするのは、タブー。「まちがっているかもしれない……」という思いもある。だ
から、少しバカなフリをして、口を閉ざす。
(031114)

【追記】もし失職したら、私は、手相見か何かをしたらよいかもしれない。今、ふと、そう思った。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


子育て随筆byはやし浩司(345)

●子育てが終わって……

 ワイフの友人(女性、五五歳)が、深刻な、うつ病になっているという。原因……というより、き
っかけは、一人息子が結婚して、その女性のもとを、去ったことだという。

 「子育てが終わって、むなしくなったのね」とワイフは、言うが、もともとそういう素質のあった
人かもしれない。しかし、一人息子が去ったことが、きっかけになったということは、じゅうぶん、
考えられる。

 明けても暮れても、子育てオンリー。子育てだけを生きがいにしてきた人ほど、子どもが巣立
ったあと、はげしい虚脱感に襲われる。その虚脱感が、つぎの「うつ状態」を引き起こす。

 そこでワイフの、お茶のみ仲間たちが、見るに見かねて、その女性を、旅行に誘い出すこと
にした。しかしそういう状態のときには、無理に誘い出しても、あまり、効果がない。ないばかり
か、かえって、逆効果となってしまう。何よりも大切なことは、静かに、そっとしておいてやるこ
と。

 子育ては重労働だし、それだけにたいへん。その子育てのたいへんさは、子育てをしたもの
でないと、わからない。先日も、新潟県選出のTN女性国会議員が、AB氏(自民党元幹事長)
に、こうかみついたという。「子育てもしたことがない人に、親の気持がわかるもんですか!」
と。

 K国の金XXに、拉致された人たちを救出するためにがんばっているAB氏には、少しきつい
言葉だとは思うが、TNさんの言葉にも、一理ある。

 が、子育てを、生きがいにしてよいかどうかということになると、別の問題。結論から先に言え
ば、「子育てを、生きがいにしてはいけない」。これは、あなた自身のためというより、子どもの
ためである。

 少し話はそれるが、「生きがい」どころか、子育てがすべて……という女性が、昔、いた。
 
中日新聞に発表した記事を、そのまま転載する。

++++++++++++++++

●すさまじい学歴信仰

 すさまじいほどのエネルギーで、子どもの教育に没頭する人がいる。私の記憶の中でも、そ
のナンバーワンは、Eさん(母親)だった。

Eさんは、息子(小三)のテストで、先生の採点がまちがっていたりすると、学校へ行き、それを
訂正させていた。成績がさがったときも、そうだ。「成績のつけ方がおかしい」と、先生にどこま
でも食いさがった。

そのEさん、口グセはいつも同じ。「学歴は人生のパスポート」「二人のダ作を作るより、子ども
は一人」「幼児期からしっかりと教育すれば、子どもはどんな大学でも入れる」など。具体的に
はEさんは、「東大」という名前を口にした。そのEさんと私は、昔、同じ町内に住んでいた。Eさ
んは、私の家に遊びにきては、よく息子の自慢話をした。

 息子が小学五年生になると、Eさんは息子を市内の進学塾に入れた。それまでEさんは車の
免許証をもっていなかったが、塾の送り迎え用にと免許を取り、そして軽自動車を購入した。さ
らに中古だったがコピー機まで購入し、塾の勉強に備えた。

この程度のことならよくあることだが、ここからがEさんらしいところ。息子が風邪などで塾を休
んだりすると、Eさんは代わりに塾へ行き、授業を受けた。そして教材やプリント類を家へもって
帰った。

ふつうならそういうことは人には言わないものだが、Eさんにとっては、それも自慢話だった。私
にはこう言った。「塾の教材で、私が個人レッスンをしています」と。息子のできがよかったこと
が、Eさんの教育熱に拍車をかけた。それほど裕福な家庭ではなかったが、毎年のように、国
外でのサマーキャンプやホームステイに参加させていた。一式三〇万円もする英会話教材を
購入したこともある。

 息子が高校一年になったときのこと。私はたまたま駅でEさん夫婦と会った。Eさんは、満面
に笑顔を浮かべてこう言った。「はやしさん、息子がA高校に入りました。猛勉強のおかげで
す」と。

開口一番、息子の進学先を口にする親というのは、そうはいない。私は「はあ」と答えるのが精
一杯だった。ふと見ると、Eさんの夫は、元気のない顔で、私から視線をはずした。Eさんと夫
が、あまりにも対照的だったのが心に残った。

 Eさんを見ていると、教育とは何か、そこまで考えてしまう。あるいはEさんの人生とは何か、
そこまで考えてしまう。信仰しながらも、自分を保ちながら信仰する人もいれば、それにのめり
込んでしまう人もいる。Eさんは、まさに学歴信仰の盲信者。が、それだけではない。

人は一つのことを盲信すればするほど、その返す刀で、相手に向かって、「あなたはまちがっ
ている」と言う。あるいはそういう態度をとる。自分の尺度だけでものを考え、「あなたもそうであ
るべきだ」と言う。それが周囲の者を、不愉快にする。

 学歴信仰が無駄だとは言わない。現にその学歴のおかげで、のんびりと優雅な生活をしてい
る人はいくらでもいる。あやしげな宗教よりは、ご利益は大きい。その上、確実。そういう現実
がある以上、子どもの受験勉強にのめり込む親がいても不思議ではない。しかしこれだけは
覚えておくとよい。

Eさんのようにうまくいくケースは、一〇に一つもない。残りの九は失敗する。しかもたいてい悲
惨な結果を招く。学歴信仰とはそういうもの。

++++++++++++++

ここで書いたEさんを、先日、通りでみかけた。すっかり、おばあさんらしくなってしまっていた。
ワイフが、「あれ、本当にEさん?」と言ったほどだ。もちろん、昔見た、あのハツラツさは、どこ
にもなかった。

 聞くところによると、Eさんの息子は、そのあと、東大ではなかったが、それに近い大学を卒
業し、今は、関西地区に住んでいるという。結婚して、子どもも、二人いるという。

 今、Eさんが、どんな気持でいるかは、私は知らない。しかし子育てを生きがいにしてはいけ
ない。あなた自身の立場で考えてみれば、それがわかる。

 もしあなたが、あなたの母親に、つぎのように言われたら、あなたはどのように感ずるだろう
か。

 「お父さんも、お母さんも、あなたのためにがんばってきたのよ。あなたが、生きがいだったの
よ」と。

 あなたはそれを感謝するだろうか。それとも、そういう言葉を、負担に思うだろうか。しかし、
どちらにせよ、これだけは言える。

 親が、子どものために犠牲になるのは、美徳でも何でもない。またあなたの子どもが、あなた
のために犠牲になるのも、美徳でも何でもない。仮に犠牲になったと感じても、それを子どもに
伝えてはいけない。

 私が生まれ育った、G県のM市では、(それが当時の、一般世間の常識でもあったが……)、
ことあるごとに、子どもに対して、「産んでやった」「育ててやった」を、口グセにしていた。そうい
う形で、子どもに親の恩を売りつけ、よって、子どもに依存しようとした?

 私も、私の親に、よくそう言われた。

 が、そういう父や母の気持は、よく理解できた。当時は、今のように老人福祉制度も、整備さ
れていなかった。親は、その老後を、子どもたちに頼るしかなかった。しかし私はそのあと、い
つも、重苦しいものを感じた。覚えているのは、高校生のとき、母に、こう言いかえしたことだ。
「いつ、オレが、あんたに産んでくれと、頼んだア!」と。

 こう書くからといって、決して、父や母を責めているのではない。ここにも書いたように、それ
が当時の、そしてその地域の常識だった。私の友人たちも、そして従兄弟(いちこ)たちも、み
な、そう言われて育った。従兄弟の一人は、親に、こう言われたという。

 「お前が、なぜ、日本語を話せるようになったか、それがわかるか。私が、日本語を教えてや
ったからだ!」と。

 さらに、これは私の友人が話してくれたことだが、彼はこう言った。

 「林君、何がいやかといって、親に、『大学を出すために、お前には、三〇〇〇万円もかけた
からな』と言われるくらい、いやなことはないよ」と。

 しかしここまで言ったら、親も、おしまい。たとえそうであっても、それを口にしてはいけない。

 ……たしかに親は、そのつど、「子どものため」と思って、歯をくいしばる。犠牲になっていると
感ずることもある。しかしそうするのも、結局は、子どもをこの世に産み落とした、親の責任で
はないのか。親が、親のつごうで勝手に産んでおいて、「産んでやった」は、ない。……と、はっ
きり言い過ぎるのも、よくない。それはわかっているが、一方、こんなことも言える。

 もし子どもがいなかったら、私の人生は、何と、味気ないものだっただろうかということ。子ど
もの喜びそうなオモチャを手に入れたとき、子どもの喜ぶ顔が見たくて、家路を急いだことがあ
る。そういう形で、いかに私の人生が、うるおったことか。

 つまり「急ぐ」という苦労を、いつも子どもたちは、それを「私の喜び」に変えてくれた。だから
今、子育てがほとんど終わった今、私は子どもたちにこう言っている。

 「お前たちのおかげで、人生を楽しく過ごすことができた。ありがとう」と。

 冒頭の女性が、まちがっていたとは、だれにも言えない。しかしそうならないために、どうし
て、もう少し早い時期から、心の準備ができなかったのかということ。これを私たちの世界で
は、「二〇%のニヒリズム」と呼んでいる。「いくら子育てに没頭しても、最後の二〇%前後は、
自分のためにとっておく」という意味である。

 子どものために一六時間を使っても、残りの四時間は、自分のために使うという意味であ
る。あるいは八回、子どものために何かをしてあげても、残りの二回は、自分のためにすると
いう意味である。そして心のどこかで、「私はわたし、あなたはあなた」という線を引く。そして自
分の心を守る。

 私がワイフに、「その女性は、きっと、子どもを溺愛していたのだよ」と言うと、ワイフは、「そう
いうところはあったわね」と言った。

私「親と子の間に、一本の線を引くということ。この線がないと、たがいの関係がベタベタになっ
てしまう」
ワ「でも、父親とちがって、母親は、ベタベタになりやすいものよ」
私「そうかもしれない。だからこそ、二〇%のニヒリズムが重要になる」
ワ「つまり、じょうずに子離れしろということね」
私「そういうこと」と。
(031115)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(346)

●翻訳ソフト

友人のJimに手紙を書いた。しばらく英語を使っていないので、へたくそな手紙である。で、そ
の手紙を、ためしに、パソコンで、日本語に翻訳してみた。

使ったソフトは、NECパソコン付録の、「CROSSWORD」。私の英文もおかしいが、翻訳文は
もっとおかしい。アハハハ!

まずは、ご覧、あれ!

【原文】

Dear Jim,

Happy Birthday to You!

 Hi! How are you doing these days? I hope you have a wonderful last day of your 55 years 
old. From tomorrow you will be 56 years old and as old as I am. Both of us are young old-
men.

 Frankly I don't like to use the words "old men", though I am sure we are. In our language, "
old" sometimes means "useless" or "behind the times". But you and I never think so, do 
we? We are still very useful men.

For example we have to show these young people how to live a wonderful life after 50's.  
And we have to show them how wonderful the life is. Now we are in the ages to accomplish 
our lives.

 Very fortunately my wife and I have had good health and so far we have no problems 
about our health. We hope you don't have it either. I heard from your daughter that you 
have been running or jogging every day for your health. It is very good. I remember you 
jumped onto upstairs of the motel we stayed on the day of their wedding ceremony. I am 
sure you have a wonderful health.

 Thank you for the book you gave me the other day. Denise sometimes helped me to read 
it. It is a good book with a good humor. Thank you again.

 I gave Soichi a book about Japan, which he will hand when they meet you in the next time. 
When you get interested in Japan and you feel like coming to Japan, please tell us so. You 
will be welcome by us very much. (Denise told me you will be free after 60 years old, but 
please don't hesitate to come to Japan before both of us get too old.)

 Thank you also for the card you sent to me for my birthday. I am sorry Japanese don't 
pay much attention to each man's birthday. According to our old custom, every man gets 
one year old on the New Year Day. (Not on each man's birthday.) So a boy or a girl who is 
born on Dec. 31th will be two years old the next day. Do you think it funny?

 But we would like to express our greatest congratulations on your 56th birthday. Happy 
Birthday to You, Jim. (We have another 4 hours before 16th , but I can't wait to say, "
Happy Birthday to You!".)

 And please allow me if I say something rude in this letter, using improper words, for I always 
find it difficult to find a proper English words. What I want to say in this letter is that please 
have a wonderful birthday on this day.

Hiroshi, your best friend in Japan

【翻訳文】

親愛なるジム、
あなたへの幸福な誕生日!
Hi!
どのように最近はしていますか?

私は、最後の日にすばらしさを55歳で持っていることを望みます。
明日から、56歳になり、私がそうであるので古い。
私達の両方は若い 古い人 。
率直に、私は、私が、私達がそうであると確信しているけれども、「老人」という言葉を使いたく
ありません。

私達の言語、「古いこと」において、時々「無駄です」または「時の後ろの」を意味しています。
しかし、あなたと私は決してそう考えませんね?
私達はまだ非常に有益な人です。

例えば、私達は、どのように50の後にすばらしい生活を送っているかをこれらの若い人々に示
す必要があります。
そして、私達はライフがどれほどすばらしいかをそれらに示す必要があります。
現在、私達は、私達のライフを遂行するために、時代にいます。

非常に幸運にも、私の妻と私は、よい健康を持ち、従って、遠く、私達は私達の健康について
の問題を全然持っていません。
私達は、あなたもそれを持っていないことを望みます。
私は、連絡を動かしているか、または健康のために毎日揺れながら進んだ娘から受けました。

それは非常によい。
私は、それらの結婚式典の日に私達が止めたモーテルの二階の上に跳んだことを覚えていま
す。
私は確信しています あなた 持ちすばらしい健康 。

先日私に与えた本をあなたに感謝します。
ドゥニーズは、時々、私がそれを読むことを手助けしました。
それは、よい気質を持つよい本です。
再びあなたに感謝します。

私は、Soichiに、次回彼らがあなたと会う時に彼が手渡す日本についての本を与えました。
日本に興味があり、日本に来たい気がする時には、どうぞ、私達にそう話してください。
私達のためとても喜ばしい。
(ドゥニーズは私に60歳の後に自由であると言ったけれども、どうぞ、私達の両方が年を
取りすぎる前に日本に来ることをためらわないでください。)

私の誕生日の間私に送ったカードをあなたにも感謝します。
私は残念な日本人不支払いです 個々の人の誕生日への多くの注意 。
私達の古いカスタムによると、すべての人は1年を新年の日に古くします。
(個々の人の誕生日のNot。)

従って、少年または12月31thに誕生する少女は、次の日2歳になります。
それをおかしいと考えますか?

しかし、私達は、56番目の誕生日に私達の最も大きい祝いの言葉を表現したい。

あなた、ジムへの幸福な誕生日。
(私達は16番目の4時間前に別のものを持っているけれども、私は、「あなたへの幸福な誕生
日!」と言うことを待つことができません。)

そして、もし私が言い この手紙で無作法な何か ならば、どうぞ、いつも、私が、それが適切
なイギリス言葉を見つけづらいのを発見するので、不適切な言葉を使って私を許してください。

私がこの手紙において言いたいものはそれです どうぞ、この日にすばらしい誕生日を持って
いてください 。

Hiroshi、日本の最もよい友人

++++++++++++++++++

友人のJIMに、誕生日、おめでとうと、私は言いたかった。
そのニュアンスが翻訳されていれば、まずは、めでたし、めでたし。
(031115)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(347)

●奥山高原

 浜松市から、車で三〇〜四〇分のところに、奥山高原がある。ふもとには、半僧坊(はんそう
ぼう)という、禅宗の総本山もある。秋のハイキングコースとしては、最適の高原といってもよ
い。昨日、私とワイフは、その奥山高原に行ってきた。

 車では、標高五五〇メートルあたりまで、登ることができる。道をどんどんと登っていくと、「奥
山高原レジャーパーク」がある。そのレジャーパークの中の駐車場で車を止めて、あとは、徒
歩で富幕山(とんまく山)の山頂をめざす。片道二キロ前後のコース。……と、かっこよく書いた
が、私たちは登らなかった。その準備を、していなかった。

 本当は登りたかったが、見るとみな、それらしいかっこうの、服を着ていた。登山靴もはいて
いた。それで何となく、登山道の入り口のところで迷っていると、そのうちワイフが、「もう帰ろ
う」と。

 帰りの途中で、山菜料理を食べさせてくれる店(「T」)があったので、そこで、山菜料理を食べ
た。

 「これが、ドクダミのテンプラ、これがツバキのテンプラ……」と。値段は、一人前、一五七〇
円! (高い!) 店を出るとき、「材料費は、恐らく一〇〇円もかかってないね」と、二人で笑い
あう。そしてそのまま、私の山荘へ。

 山荘では、プラモデルを、つくる。その間、ワイフは、散歩。暖かな、気持のよい一日だった。
このところ、秋の紅葉が、しばらく足踏みしている感じ。「気温が、一日に、七、八度さがるよう
なことがないと、紅葉は進まないのよ」と、ワイフが教えてくれた。

 家へ帰ると、岐阜の従兄弟から、柿が届いていた。夜、礼の電話をする。一時間ほど、あれ
これ、親類の人たちの話をする。

【奥山高原への道】

 奥山の半僧坊をめざし、そこをそのまま通り過ぎ、車で、登る。「奥山高原レジャーパーク」を
めざす。そのレジャーパークの駐車場に車を止めてもよいし、そこからさらに数一〇〇メートル
登ると、空き地がある。そこに車を止めてもよい。「駐車料金は、三〇〇円」と書いた、無人ポ
ストが立っている。

 私が見たところ、みなは、その駐車場の手前の、道路沿いの空き地に、車を止めていたよう
だった。そこなら無料?

 この富幕山は、高校の登山部などの初級コースにもなっている。あまり甘く見ないほうが、よ
い、……とのこと。登山靴、帽子は必要。

 私たちは、天気がよければ、来週、もう一度、チャレンジしてみるつもり。
(031116)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(348)

●高徳な気持

 静かな朝。ふと、こんなことを考える。今は、気分は、どこか、高徳?

 今、こうして静かに考えていると、男性と女性とは、どこが違うのだろう。どこも違わないので
はないかという思いにかられる。若いころは、当然だが、私にとっては、女性というのは、宇宙
人と同じだった。「世の中の半分が、女性だよ」と言われたときも、内心で、「本当かな?」と思
ったほど。

 しかし、今は、区別がつかない。男性も、女性も、同じように見える。つまり私は、中性化して
いる。多分、今の私なら、女性たちと露天風呂に入っても、平気で世間話ができるのではない
かと思う。(ただし、若い女性は、いまだに女性に見えるが……。)

 同じように、今、人間と動物とは、どこが違うのだろう。どこも違わないのではないかという思
いにかられる。子どものころ、よく、おとなたちに、「人間は、万物の霊長である」などと教えられ
たものだ。が、今は、そうは思わない。「人間も動物と同じ」と思うことが、多くなった。あるいは
「動物も人間と同じ」「人間も、動物のなかま」と思うことが多くなった。

 「霊長」というのは、「不思議な能力をもつ、もっともすぐれたもの」(「日本語大辞典」)という意
味だそうだ。しかし、本当に、そうか? そう思ってよいのか?

 チベット密教によると、人間は、死んだあと、また何かに生まれ変わるのだそうだ。生前の行
(おこな)いのよかったものは、人間に。悪かったものは、鳥などの人間以外の動物に生まれ
変わるという。

日本の仏教も、同じように教える。言うまでもなく、日本の仏教は、釈迦仏教というより、チベッ
ト密教の流れをくむ。また、生まれ変わることを、「輪廻転生(りんねてんしょう)」というが、そう
した考え方も、釈迦仏教というより、もともとはヒンズー教の教えから生まれた。

 しかし今度、生まれ変わることになり、人間か、鳥かということになれば、多分、私は、鳥を選
ぶ。大きな鳥ならうれしいが、小鳥でもよい。渡り鳥なら、もっとうれしい。中国大陸から、ヒマラ
ヤ山脈を越えて、インドまで、行ったり来たりする鳥もいるという。できるなら、そういう鳥に生ま
れ変わりたい。

 人間もよいが、チベット密教の教えによれば、私は、人間には、なれないと思う。だいたい、
行いが、よくない。私は悪人ではないと思うが、しかし善人でないことは、たしか。ひょっとした
ら、あの世の入り口で、地獄へ落とされるかも……?

 こうした変化と同時に、これまたおかしなことに、ときどき、日本人とアジア人、さらにヨーロッ
パ人などと、自分が、区別がつかなくなるときがある。少し前までは、「日本人は……」「中国人
は……」と考えてきたが、たとえば北海道に住む日本人も、中国大陸に住む中国人も、今は、
同じに見える。

 さらに今、おとなと子どもは、どこが違うのだろうと考えている。どこも違わないのではないか
という思いにかられる。これはしかし、私が毎日、子どもたちと接しているためかもしれない。昔
から、そういうところはあった。しかし最近は、とくに、それを強く思うようになった。つまり、「おと
なと子どもは、どこが違うのだろう。いや、どこも違わない」と。

 考えてみれば、それもそのはず。宇宙から見れば、人間も含めて、あらゆる動物は、地球に
はびこる、カビのようなもの。ささいな違いを見つけて、区別するほうが、おかしい。もしそれが
わからなければ、静かに目を閉じて、真っ暗な宇宙を航行する宇宙船の中にいる自分を、想
像してみることだ。

 上にも、下にも、見えるのは、星だけ。遠くに青い地球が見えるかもしれないが、今は、野球
のボールくらいにしか、見えない。気が遠くなるほどの孤独感。そして孤立感。そんな世界で、
「男性だの、女性だの……」「人間だの、動物だの……」、はては、「日本人だの、中国人だの
……」と言っているほうが、おかしい。もし、今でも、そんなことを声、高らかに言う人がいたら、
その人は自分の知的レベルを疑ってみたらよい。

 いや、だからといって、私のレベルが高いとか、そんなことを言っているのではない。今は、
かろうじて「私は、私」でいるが、それは今だけ。日常の生活が始まると、やがて私も、そのウ
ズの中に巻きこまれていく。

 男性は、それなりに、男性に見える。女性は、それなりに女性に見える。庭にいる、犬は、犬
に見える。このところK国問題も、たいへん気になる。お金も稼がなくてはいけない。今日も、何
かと、忙しい一日になるだろう。

たった今、ワイフが、起きてきたところ。イヌのハナとクッキーが、庭先で、ワイフを見つけて騒
ぎだした。時計は、午前七時少し過ぎを示している。……とたん、今まで、ここに書いてきたこと
が、意識の中から薄れていくのを感ずる。

 あああ。せっかく、高徳な気持になっていたのに……。今日も、こうして始まった。これから講
演のため、愛知県のT村まで行ってくる。そのときまで、この高徳な気持が維持できればよい
が……。それは多分、無理だろう。

 みなさん、おはようございます。
(031116)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(349)

愛知県T村

 たった今、愛知県T村から、帰ってきたところ。そこの教育委員会から招かれて、講演をして
きた。I教育長以下、みなさんが、暖かく、私を迎えてくれた。うれしかった。

 当然のことながら、名古屋を越えると、私の知名度は、ほとんど、ない。だからいつも、観客
はガラガラ。……と思って行ったが、結構、みなさん、集まってくれた。ほっとした。

 こういうとき、私は、全力を尽くすことを誓う。「どうせつまらない講演だろう……」と思って来て
いる人も、多いはず。(実際、つまらないが……。)そういう気持ちがわかるから、なおいっそ
う、がんばる。

 愛知県T村は、木曽川をはさんで、岐阜県との県境にある、細長い村である。「村」といいって
も、地名だけで、実際には、名古屋市の近郊都市。「村」から連想する、田んぼや畑は、少な
かった。

 タクシーの運転手と、伊勢湾台風の話をする。運転手は、私より一歳、年上だった。「私が、
小学五年生のときでした」と運転手。「私が、小学四年生のときでした」と私。

 講演の演題は、『親が変われば、子どもも変わる』。はじめての演題だった。親が変われば、
たしかに子どもも変わる。しかし問題は、どうやって変えるか、だ。そしてその前に、どうすれ
ば、「私」に気がつくか、だ。今日の、講演では、それについて話した。

 電車の中で、簡単な旅行記を書きたかったが、時間がなかった。雑誌を二冊買って、それを
読んだ。それでT村に着いてしまった。帰りも同じようなものだった。ウトウトとしそうになったと
ころで、浜松駅に着いてしまった。

 カメラ付きの携帯電話をもっていったが、写真をとることもなかった。会場に、私の名前と写
真がのった、大きな垂れ幕があったので、それをとりたかった。が、そのチャンスも、なかっ
た。どちらかというと、あわただしく講演をして、あわただしく帰ってきたという感じ。

 しかしどういうわけか、今でも、岐阜の近くに行くと、親しみを覚える。「この先が、木曽川です
ね」と、主催者の方に言っただけで、どこか、ほっとする。その向こうは、長良川。私はその長
良川のほとりで、生まれ育った。

 みやげに、箱いっぱいの、レンコンをもらった。教育活動の一環として、子どもたちと掘ったも
のだという。家で箱をあけてみたら、大小さまざま、七本くらいが入っていた。「食べやすそう」
と、ワイフが喜んでいた。どういう意味で、ワイフがそう言ったかは、よくわからないが……。

 しかしそれにしても、今日は、疲れた。ここちよい眠気が、先ほどから、私を襲っている。どう
しよう? もう寝ようか? しかしまだ午後七時二〇分。ワイフは、近所の人の通夜から帰って
きてからは、その人の話ばかり。

 「まだ六二歳だったてエ。ガンみたいだったヨ」と。

 若くして死んだ人の話を聞くと、「つぎは、私」と、へんなことを考えてしまう。こういうときは、気
が滅入りやすい。だから、この話は、ここまで。

 服を着がえて、今夜は、早く寝る。しかし次回(11月24日号)のマガジンの原稿は、まだほと
んど書いていない。どうしようか? 休刊にしようか? 明日の朝、早く起きて、がんばろう!

 では、みなさん、おやすみなさい。
(031116)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(350)

●生きる

一年近くも前に書いた、原稿を読みなおしてみる。未発表の原稿である。「一年前には、こんな
ことを考えていたのだなあ」と思うと、同時に、「?」と思うところも、ないわけではない。改めて、
推敲(すいこう)してみる。

++++++++++++++++++

●賢い人、愚かな人

 どんな山にも登ってみるものだ。低い山だと思ってみても、登ってみると意外と視野が広い。
たとえば浜松市の北西に舘山寺温泉という温泉街がある。その温泉街の反対側に、小さな湖
をはさんで大草山という山がある。ロープウエィで一〇分足らずで登れる小さな山だが、そんな
山でも浜松市はもちろんのこと、遠くは太平洋すら一望できる。

 人もそうだ。どんなささいなことでもよい。賢くなった状態から、そうでない人を見ると、その人
の愚かさがぐんとよくわかる。しかし愚かな人にはそれがわからない。対等だと思っている。も
っとはっきり言えば、賢い人には愚かな人がわかるが、愚かな人には賢い人はわからない。

 ……と考えて、実は人は、もちろん私も、賢い部分と愚かな部分をいつも同時にもっている。
さらに賢いか愚かかということは、あくまでも相対的なものでしかない。私より賢い人はいくらで
もいる。つまり私が賢いと思っているのは、それは愚かな人に対してだけである。

一方、そういう私を愚かだと思っている人はいくらでもいる。たとえば同じAさんならAさんとくら
べても、「この部分はAさんより賢いぞ」と思う部分もあれば、「そうでない」という部分もある。さ
らに自分のことについても、同じことが言える。

何か新しいことがわかったとする。すると、それまでの自分が愚かに見えることがある。それは
無数の道を同時に走るマラソンのようなものだ。一本の道をマラソンで走るなら、Aさんが一
番、Bさんが二番と、その順位がよくわかる。だれが賢くて、だれがそうでないか、よくわかる。
が、無数の道を同時に走ったら、それはわからない。少し入り組んだ話になってしまったが、要
は、いかにして人は賢くなるかということ。

 方法はいくらでもある。しかしここで重要なことは、技術や知識では人は賢くならないというこ
と。いくらすぐれた技術をもっていたとしても、また世界中の科学者の名前を知っていたとして
も、それは「賢い」とは言わない。もっとわかりやすい例で言えばこうだ。

たとえば一人の幼稚園児が、剣玉をスイスイとしてみせても、また掛け算の九九をソラでペラ
ペラと言っても、賢い子どもとは言わない。となると、人の賢さは何によって決まるかというこ
と。ここが重要だ。一つの方法としては、人間が本来的にもっている「愚かさ」を、徹底的に追
及するという方法がある。その愚かさを追及することによって、他方で賢さを浮かびあがらせ
る。

 たとえば夜の繁華街を歩く。そこにはケバケバしいネオンサインが立ち並び、遊ぶ男と遊ぶ
女が、あたかもゾンビのように動き回っている。せっかくすばらしい健康と、明晰(めいせき)な
頭脳をもちながら、彼らは流れ行く「時」を、流れていくままムダにしている。

あるいは威圧や暴力を売り物にして、他人から金銭をまきあげている人がいる。ウソやゴマカ
シばかりをして、コソコソと生きている人がいる。もっと身近な例では、空き缶やゴミを空き地へ
平気で捨てていく人がいる。

こうした人たちに愚かさの原型があるとするなら、賢くなるためには、そうした世界からの脱却
をめざせばよい。しかしここ別の問題が起きる。仮に脱却するとしても、学校の先生が子ども
たちに校則のようにあたえるような、教条主義ではいけない。

一つ、夜遊びはしないこと。二つ、暴力を振るわないこと。三つ、ウソはつかないこと。四つ、ゴ
ミを捨てないこと、と。

 こうした教条を守る人は、一見賢い人に見えるかもしれないが、しかし賢い人とは言わない。
人の賢さというのは、もっと根源的なもので、その人の底辺から上に向かって湧き出るようなも
のをいう。つまりそういう「教え」があるからするのではなく、「自らがつかんだ知恵」によってし
なければならない。「知性」や「智慧」と言ってもよい。問題のすべては、ここに集まる。「自らが
つかんだ知恵」だ。
 
++++++++++++++++++++                           
                                                        
                                                        
                                                        
                                                        
                                                        
                                                        
                                                        
                                                        
                                                 

●裸の王様
 
「裸の王様」という寓話がある。王様は立派な衣服を身に着けていると思っていたが、王様が
裸であることを見抜いたのは、子どもたちだった。通俗世間の人の目はごまかせても、子ども
の目はごまかせない。

先日も「来週は講演で東京へ行くことになっている」と話したら、ぐるりとあたりを見回したあと、
「どうしてあんたなんかが……」と言った子ども(中二女子)がいた。私はいつもそういう目にさら
されているから、そう言われても気にしない。「さあね、きっと人選ミスだよ」と笑うと、その子ど
もも、「そうだよねえ」とうれしそうに笑った。それが裸の王様を見抜いた子どもの目だ。

 肩書きや地位やあれば、こうまでバカにされなくてすむだろうなと思うことは、しばしばある。
事実、この日本では、肩書きや地位やものを言う。そしてそれにぶらさがって生きている人は、
いくらでもいる。

一度、どこかでそういう肩書きや地位を身につけると、あとは、次から次へと、死ぬまで要職が
回ってくる……。しかし肩書きや地位にどれほどの意味があるというのか。たとえばだれかが
箱いっぱいのサツマイモを届けてくれたとする。地位や肩書きのある人は、そういう好意を、果
たして好意と受け取れるだろうか。どこかで「下心」を感ずるに違いない。一方、私のような、何
の地位も肩書きもない人間は、そういう好意を好意として、すなおに受け入れることができる。

+++++++++++++++++

●過去の亡霊

 定年まぎわの人には、ひとつの大きな特徴がある。多分内側に見せる顔は、もっと別の顔な
のだろうが、外側に向かっては悲しいほど、虚勢を張ってみせる。

「定年退職をしたら、地元の郷里に帰って市長でもしようかな」と言った中央官僚がいた。「国
際特許の翻訳会社でもおこして、今の会社の顧問をする」と言った大手の自動車会社の社員
もいた。

しかし悲しいかな、そこはサラリーマン。その人がその人なのは、「組織」という看板を背負って
いるからにほかならない。また定年まぎわの人は、それなりにその組織でもある程度の地位に
いる人が多い。自分という存在が、会社というワクを飛び越えてしまう。それで自分の姿を見失
う。

 が、現実はすぐやってくる。たいていの人は、「こんなはずはない」「こんなはずはない」と思い
つつ、その現実をいやというほど見せつけられる。退職と同時に、山のように届いていた盆暮
れのつけ届けは消え、訪れる人もめっきりと減る。

自分が優秀だと思い込んでいた「力」も、現実の世界ではまったく通用しない。それもそのはず
だ。その人が優秀だったのは、「組織」という小さな、特殊な世界でのこと。そのワクの中での
処理にはたけていたのかもしれないが、そんな力など、広い世界から見れば、何でもない。そ
の「何でもない」という部分が、わかっていない。

 で、そのあと、このタイプの人は大きく分けて、二つの道を歩む。一つは、過去の経歴を忘
れ、人生を再出発する人。もう一つは、過去の経歴にしがみつき、その亡霊と決別できない
人。

もともと肩書きや地位とは無縁だった人は別だが、しかし肩書きや地位が立派(?)だった人
ほど、退職後、社会に同化できない。できないまま、悶々とした日々を過ごす。

M氏(六三歳)は、退職まで、県の出先機関の「副長」まで勤めた人である。覚せい剤などの密
売を取り締まっていたが、そのため現役時代には、暴力団の幹部ですらMさんの前では、借り
てきた猫の子のようにおとなしかったという。が、六〇歳で退職。それまでも近所の人には、あ
いさつもしなかったが、その傾向は退職後さらに強くなった。いくつかの民間会社に再就職を
試みたが、どれもていねいに(?)断られてしまった。

 「私はすぐれた人間だ」と思うのは自尊心だが、その返す刀で、「ほかの人は劣っている」と
思うのは、自己中心性の表れとみる。「私は私」と思うのは、個人主義だが、「相手も私に合わ
せるべきだ」と考えるのは自己中心性の表れとみる。

●老化現象?

人も老人になると、この自己中心性が強くなる。脳の老化現象ともいえるものだが、アルツハイ
マーの初期症状の一つでもあるそうだ。(物忘れがひどくなるという主症状のほか、繊細さの欠
如、がんこになるなど。)

言いかえると、この自己中心性とどう戦うかが、脳の老化の防止策にもなる(?)。いや、防止
にはならないかもしれないが、少なくとも人に嫌われないですむ。私の遠い親戚に、こんな男性
(六七歳)がいた。

高校の校長を最後に、あとは悠々自適の生活をしていたが、会う人ごとに、「君は何をしている
のかね?」と。そしてその人が、その男性より肩書きや地位の高い人だと、必要以上にペコペ
コし、そうでないと威張ってみせた。私にもそうだった。

私が「幼稚園で働いています」と言うと、こう言った。「君はどうせ学生運動か何かをしていて、
ロクな仕事にありつけなかったのだろう」と。こういう人は嫌われる。その男性は数年前、八〇
歳近くになって他界したが、葬式から帰ってきた母がこう言った。「あんなさみしい葬式はなか
った」と。
  
その人の進歩はいつどのようにして停止するのか。ものを書いていると、それがよくわかる。た
とえば私は、毎日いろいろなことを考えているようで、実際には堂々巡りをしているときがあ
る。教育もそうだ。ある日気がついてみると、一〇年前、あるいは二〇年前と同じことをしてい
ることに気づくときがある。こういった部分については、私の進歩はその時点で停止しているこ
とになる。

 そういった視点で見ると、人がまた別の角度から見えてくる。この人はどこまで進歩している
だろうか。あるいはこの人はその人のどの時点で進歩を止めているだろうか、という視点でそ
の人を見ることができるようになる。

●進歩とは……

ただ「進歩」といっても、二種類ある。一つは、常に新しい分野に進歩していくという意味での
「進歩」と、今の専門分野をどこまでほりさげていくかという意味での「進歩」である。この二つは
よく似ているようだが、実のところまったく異質のものである。

 たとえば医療の分野に興味をもった人が、そのあと今度は法律の分野に興味をもつというの
は、前者だ。一方、その分野の研究者が自分の研究を限りなく掘り下げていくというのは、後
者だ。

どちらにせよ、人は油断すると、その進歩を自ら停止してしまう。そしてある一定の限られた範
囲だけで、それを繰り返すようになる。こうなるとその人はもう死んだも同然……といった状態
になる。

毎日、読む新聞はといえば、スポーツ新聞だけ、仕事から帰ってくると野球中継を見て、たま
の休みは一日中、パチンコ屋でヒマをつぶす。これは極端な例だが、そういう人に「進歩」を求
めても意味がない。(実際、野球にしても、毎年大きな変化があるようで、一〇年前、二〇年前
の野球と、どこも違わない。パチンコにしてもそうだ。)

 これは職業には関係ない。たとえばここに銀行マンがいたとする。彼は毎日、銀行業務に追
われていたとする。しかしある時期までくると、その業務はそれまでの繰り返しになる。マイナー
な変化はあるだろうが、それは「進歩」と言えるほどの変化ではない。世間一般の「仕事」という
業務からみると、ささいな変化だ。

そこでその銀行マンは、さらに専門化していくが、それはまさに重箱の底をほじるような世界へ
と入っていくようなものだ。自分自身では「進歩」と思い込んでいるかもしれないが、それは本当
に「進歩」と言えるようなものなのか。

 一方、農家のお百姓さんがいる。「百姓」というだけあって、オールマイティだ。そのオールマ
イティさは、プロのお百姓さんに会ってみるとわかる。私の親しい友人にKさんという人がいる。
農業高校を出たあと、農業一筋の人だが、彼のオールマイティさには、驚くしかない。

農業はもちろんのこと、大工仕事から、土木作業、農機具の修理まで何でもこなす。先日遊び
に行ったら、庭先で、工具を研磨機で研いでいた。もちろん山村の生活で使うようなありとあら
ゆる道具に精通している。しかも自然相手の生活だから、そのつど作物は変わる。キーウィ生
産もしているし、花木の生産もしている。そういうKさんともなると、いつもどこかで挑戦的に進
歩しているのがわかる。(まあ、もっとも全体としてみれば、Kさんはお百姓さんというワクを超
えてはいないが……。)

●知識と教養

 そこで私はこう考えた。専門的にその世界へどんどんと入っていってつかむのが、「知識」。
一方、外の世界へ自分の世界を広げていくのを、「教養」と。そういう意味で知識と教養は別物
である。そして知識のある人が必ずしも、教養があるということにはならない。反対に教養のあ
る人が知識があるということにもならない。こんなことを言った人がいる。

「知識と教養は別物です。……教養を身につけた人間は、知識階級よりも職人や百姓のうちに
多く見出される」と。福田恒存が「伝統に対する心構」の中で書いている一節である。このこと
は子どもを見ればすぐわかる。勉強ができるから人格的にすぐれた人物ということにはならな
い。

むしろ勉強のできない子どものほうにこそ、人格的にすぐれた子どもを見ることが多い。(そも
そもこの日本では、人格的にすぐれた子どもほど、あの受験勉強になじまないという教育その
ものの中に致命的な欠陥がある。)

 ところが進歩をしようとしても、今度は脳の物理的な限界を感ずることがある。記憶という分
野にしても、自分でもはっきりとそれがわかるほど、年々退化している。そして構造そのものも
退化するというか、がんこになることがわかる。自分では進歩しつづけたいと思いつつ、それが
どこか限界に達しつつあるように感ずる。進歩をこころがけていない人はなおさらで、その人は
その時点で完全に停止してしまう。

これも一つの例だが、私の近所には定年退職したあと、のんびりと(?)年金生活をしている人
が何人かいる。しかし彼らの生活を見ていると、五年前、さらには一〇年前の生活とどこも違
わない。それはちょうど、子どもがブロックで遊びながら、小さな家を作っては、また壊すという
作業に似ている。壊したあとから、また同じものを作っているから、何となく生きているようには
見えるが、また小さな家を作ってはこわしてしまう。そんな感じだ。

 どこか、否定的なことばかり書いてきたが、では、どう考えたらよいのか。もう一度、考えを整
理してみたい。

●生きザマを求めて……

 たとえば家柄や学歴にこだわる人は多い。地位や肩書きにこだわる人も多い。人はそれぞ
れだが、この「こだわり」が強ければ強いほど、現実の自分を見失う。言うならばこれらはバー
チャル(仮想現実)の世界。そういうものにこだわっている人は、テレビゲームに夢中になって
いる子どもと、どこも違いはしない。あるいはどこがどう違うというのか。

 人は生きるために食べる。食べるために働き、仕事をする。それが人間の原点だ。生きる本
分だ。しかしバーチャルな世界に生きている人にはそれがわからない。仕事をするために生き
ている。中には仕事のために生きることそのものを犠牲にする人さえいる。いや、仕事がムダ
と言っているのではない。要は「今」をどう生きるかであり、その本分を忘れてはいけないという
こと。たとえば、こんな人がいる。

 マクドナルドといえば、世界最大のハンバーガーチェーンだが、その創始者は、R・マクドナル
ド氏。九八年の七月に八九歳でなくなっている。そのマクドナルド氏が、その少し前、彼はテレ
ビのインタビューに答えてこう言っている。

氏は、一九四〇年にハンバーガーショップを始めたが、それからまもなく、一九五〇年にはレ
ストランの権利を、R・クロウ氏に売り渡している。それについて、レポーターが、「損をしたと思
いませんか」と聞いたときのこと。

「もしあのままあの会社にいたら、今ごろはニューヨークのオフィスで、弁護士と会計士に囲ま
れて、つまらない生活をしていることでしょう。(農場でのんびりと暮らしている)今の生活のほう
が、ずっと幸せです」と。

 子どもの教育も同じ。たしかにこの日本には学歴社会があり、それにまつわる受験競争もあ
る。それはそれだが、ではなぜ私たちが子どもを教育するかといえば、心豊かで幸福な生活を
送ってほしいからだ。その本分を忘れてはいけない。その本分を忘れると、学歴や受験のため
に子育てをすることになってしまう。

言うなれば教育そのものをゲーム化してしまう。そして本来大切にすべきものを粗末にし、本
来大切でないものを、大切だと思い込んでしまう。しかしそれは同時に、子ども自身が子どもの
人生を見失うことになる。

 先日も姉(六〇歳)と話したら、こんなことを言った。このところ姉の友だちがポツリポツリとな
くなっていくという。それについて、「どの人も仕事だけが人生のような人だった。何のために生
きてきたのかねえ……」と。

生きる本分を忘れた人の生き様は、それ自体、さみしいものだ。その人が生きたはずの「人
生」がどこからも浮かびあがってこない。それこそ「ただ生きた」というだけになってしまう。それ
ともあなたは、あなたの子どもにそういう人生を送らせたいと思っているか。いやいやその前
に、あなた自身は生きる本分を忘れないで生きているだろうか。一度、いっしょに、自問してみ
ようではないか。
(031117)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


子育て随筆byはやし浩司(351)

●神奈川県のMさん(五五歳・女性)からの相談

 このところ、老人問題について書くことが多くなった。それについて、神奈川県Z市に住んでい
る、Mさんから、こんなメールをもらった。(文章は、私の方で、書き改めた。)

++++++++++++++++

 相談ではありません。話だけを聞いてくだされば、うれしいです。

 私の夫は、一人息子です。義父と義母は、現在、埼玉県のT町に住んでいます。義父が、七
八歳、義母が、七九歳です。

 その義父のことですが、満五五歳で定年退職して、今年で、ほぼ二五年になります。しかし、
ここ一〇年、家の中で、庭仕事をするだけで、ほとんど人と会いません。義母の話では、人と
会って話をするのは、年に数回、あるかないかということです。

 昼間は、雨戸をあけるのですが、その時刻になると、まだ明るくても、雨戸をすべてしめ、部
屋の中に引きこもってしまいます。

 毎日の生活は、電車の時刻表のように決まっていて、かつ正確です。午前五時三〇分、起
床。午前七時、朝食。午後一二時、昼食……と決まっています。新聞を読む時刻、時間まで、
しっかりと、決まっています。義母が、そうした時刻に少しでも遅れると、義父は、一日中、機嫌
が悪いのです。

 最近、近所の人とのトラブルが、あったらしく、ますます神経質になったようです。一日中、庭
と部屋を往復しているだけの生活ですが、庭の小さなスコップでも、ほんの少し義母が動かす
ことさえ、許しません。

 トラブルというのは、近所の人が、義父の家の前に、自動車を止めたのです。それを義父
が、写真でとって、警察へ送ったのですね。「家の前に車を止められて、迷惑している」というよ
うな手紙を添えたらしいです。

 近所の人が、車を止めたのは、そのとき、一回だけだったそうです。それでその近所の人
が、義父のところへ、怒鳴り込んできたというのです。

 庭は、一五〇坪ほどあります。もともとは畑だったのですが、高いブロック塀で囲み、今は、
庭にしています。

 夫ですら、「気が疲れるから、帰りたくない」と言います。私も、いやです。この数年、盆や暮
れに帰るのは、年に一度あるかないかというところです。帰っても、日帰りですませています。
孫たちが、庭で遊ぶのを、義父が、嫌うからです。

しかし義父も年ですし、義母も、太りすぎで、このところ、めっきり弱くなってきました。これから
のことを考えると、ゆううつでなりません。

+++++++++++++++++

 心の病気は、何も、若い人だけのものではない。老人にも、ある。しかしこうしたメールを読ん
でも、その心の病気がどんなものであるか、私には、具体的な姿が、見えてこない。

 これは私の経験不足によるものか。それとも、老人のそれは、それだけ、症状が、こじれて
いるためか。私もその老人に近いから、懸命に、自分に当てはめて考えてみようとするが、や
はり、よくわからない。

 子育てで、いろいろ苦労したはずの老人でありながら、今度は反対に、まったく同じパターン
で、子どもたちに、苦労をかけている。こうした老人たちは、いったい、子育てで、何を学んだと
いうのか。

 ただ言えることは、私たちも、みな、等しくいつかは、老人になる。子育てを夢中でしている間
は、それに気づかない。しかしその子育てが終わり、ほっと一息ついたようなとき、「老後」が、
どっとやってくる。

 その老後を、いかに、美しく生きるか。今は、子育ての真っ最中で、うしろを見る余裕はない
かもしれないが、しかし心のどこかで老後の準備をしていくことも、大切なことだと思う。

 いつかだれかが言ったが、「いかに美しく老いるか」は、人生の一つのテーマと言ってもよい。
(031117)

【教訓】

●老後になったら、人と会おう

いろいろな人と会うだけでも、「角落し」ができる。角落しというのは、つまりは、人間が丸くなる
ということ。引きこもって、がんこになっていはいけない。

●プライドを捨てよう

退職前の地位や肩書きにぶらさがればぶらさがるほど、また、その亡霊に毒されれば毒され
るほど、角落しができなくなる。本人はそれでよいとしても、まわりの人にとっては、迷惑。その
ため、みなから、敬遠される。

退職したら、ただの人。そういう前提で、一度、裸になって、自分を見つめてみよう。とくに権威
主義的な生き方をしてきた人ほど、要注意。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(352)

●学習障害児

 とくに知的能力には問題がないと思われるのに、ある特殊な分野のみ、(あるいは広く全体と
して)、「できない」という段階を超えて、「勉強ができない」子どもを、「学習障害児(LD)」と呼ん
でいる。

 学習障害児は、大きく、つぎの八つの分野にわけて考える。

(1)読みができない。……たとえば、本を読ませてみると、独特のたどたどしさを、示す。「秋に
なりとてもすがすがしくなりました」という文章を、「秋・にな・りとて・もすが・すがし・くなりま・し
た」と読む。だから本人も、意味がつかめないばかりか、聞いている人も、何の話かわからなく
なってしまう。

一つずつの言葉が、意味のある言葉として、把握できないための現象と考えてよい。

(2)書きができない。……何度書いても、覚えない、すぐ忘れるを、繰りかえす。英語の単語を
覚えさせても、一時間にやっと、数個(中一レベル)。しかもその直後には、すぐ忘れてしまう。

記憶そのものがされない、記銘障害。保持することができない、保持障害。あるいは記憶とし
て取り出すことができない、想起障害に分けて考える。

(3)計算ができない。……数に独特の、鈍感さを示す。「12は、10と2に分けられる」(小一レ
ベル)と教えても、「12」の概念そのものが理解できない。「10と2で、12」ということも、理解で
きない。

よく観察すると、「ハチ」と言ったとき、「ハチ」という言葉のみにこだわり、「8個」もしくは、「○○
○○○○○○」というふうに、具体的に考えていないのがわかる。

足し算はともかくも、引き算が、できない。「5から3をとる」「引く」という概念そのものが、理解
できない。「4−2」の問題も、4に一度2を足し、そこから2を引いたりする。そのため、答が、4
になったりする。子どもによって、独特の考え方をする。どんな考え方をしているかは、子ども
によって、ちがう。

(4)会話ができない。……言葉のつながりが混乱していて、会話をしていても、何を話している
か、わからなくなる。独特の話し方をする。

たとえば「私が冷蔵庫をあけて、牛乳を飲もうとしたら、兄がやってきて、それを横取りした」と
いうことを話すときも、「私、冷蔵庫を開けると、やってきて、牛乳が、飲んだ、お兄ちゃん」と。

ビジュアルな情景を頭に描きながら、会話をすることができない。そのため、直前の言葉に、
会話そのものが、支配されてしまう。そのため、相手の話を聞くこともなく、一方的に話す傾向
が強くなる。

(5)聞くことができない。……単語の意味はわかっても、「……なので」「……だから」「……のと
き」「……だけれども」というふうに、文をつなげると、意味がわからなくなる。

「昨日は雨だったから、みんなはカサをもってきました」と話しても、「雨」と、「カサ」を直接、結
びつけてしまう。だからたとえば、「雨のカサがどうしたの?」と聞き返したりする。「どうしてカサ
をもってきたの?」と聞いても、「きれいだったから」と答えたりする。

(6)話すことができない。……的確な言葉を、自分で選ぶことができない。そのため、どうして
も、使う言葉の数が少なくなる。「イヤ」「ダメ」「ウウン」というあいまいな言い方で、その場を、
ごまかすことが多い。

たとえば「友だちに、マンガの本を取られた」と言うべきときでも、「マンガ、ぼくのマンガ、いや」
というような言い方をする。

(7)論理的に考えることができない。「君は、セキがひどいから、今日は、保健室でマスクをも
らってきて、それをつけてください」と話しても、それを理解することができない。

「保健室へ行くのがイヤ」「マスクをつけるのがイヤ」と、へんなところでがんばってしまう。

そこで、「君が悪いからではない。セキがひどいと、みんなに、うつるかもしれない。みんなが迷
惑をするからだよ」と何度も話すのだが、どこかヌカにクギのような反応しか示さない。

(8)推論することができない。……「お皿が三枚あって、ミカンが、二個ずつ乗っている。そこか
らミカンを、四個取って、食べた。今、残っているミカンはいくつかな」(小三レベル)という問題
を出したとする。

そうでない子どもは、全体の個数(六個)を求め、そこから四を引いて、「答は二個」と言う。

しかしこのタイプの子どもは、数字そのものが、頭の中で乱舞してしまう。答を求めると、「3」
「2」「4」の数字を、勝手に足したり、引いたりして、答を出す。

 原因は、脳の中で、@情報が整理されないケース(ここでいう(1)や(4)など)、A記憶能力
(記銘、保持、想起)に問題があるケース(ここでいう(2)など)、B脳の間の、情報の受け渡し
がうまくできないケース(ここでいう(6)や(7)など)に分けて考える。

 脳の中枢神経系および、脳間伝達物質のどこかに機能的な障害があるのが、原因と思われ
る。しかしここにも書いたように、症状が複雑、かつ千差万別で、また、ある特定分野に、強く
障害が現れることもあって、その把握がむずかしい。

 一般の遅進児とちがい、どこか独特の、ヌボーッとした表情を示すことはある。しかしそういう
表情をしているから、学習障害児ということにはならない。また言動が活発な子どもの中にも、
ここでいう学習障害児と呼んでよい子どもも、よく見られる。

【W君のケース】

 私は、W君を、小学一年の終わりから、中学二年の終わりまで、最終的には、週三回、家庭
教師として、教えた。

 W君の第一印象は、集中力が、極端に不足していたこと。学習に集中できるのは、ほんの数
分。ものごとにあきっぽく、それでいて、退屈する様子でもない。

 母親は、「文字を覚えない」「言葉の発達が遅れている」などと言ったが、とくに記憶が苦手だ
った。

 ……ここまで書いて、以前、そのW君について書いた原稿のことを思い出した。直接、学習
障害児について書いたものではないが、それをここに添付する。

++++++++++++++++++

●ただより高いものはない

 昔から『ただより高いものはない』という。教育の世界ほどそうで、とくに受験勉強のような「き
わもの」は、割り切ってプロに任せたほうがよい。

実のところ、私も若いころ、受験塾の講師もしたことがあるが、身内や親戚、あるいは親しい知
人の子どもについては、引き受けなかった。理由はいくつかある。

 まず受験勉強ほど、その子どものプライバシーに切り込むものはない。学校での成績を知る
ということは、そういうことをいう。つぎに成績があがればよいが、そうでなければ、たいていは
人間関係そのものまでおかしくなる。ばあいによっては、うらまれる。

さらに身内や親類となると、そこに「甘え」が生じ、この甘えが、金銭関係をルーズにする。私も
ある時期、遠い親戚の子ども(小二のときから中二まで)預かったことがあるが、最後は月謝と
いっても、ほとんどただに近いものだった。しかし最初こそ感謝されても、半年、一年とたつと、
それが当たり前になってしまう。が、本当の問題は、これだけではない。

 受験指導というが、子どもの側からみると、「しごき」以外の何ものでもない。子どもの側で考
えてみれば、それがわかる。勉強がしたくて勉強する子どもなど、いない。偏差値はどうだ、順
位はどうだ、希望校はどこだとやっているうちに、子どもの心はどんどんと離れていく。

私もある時期、ほんの数年前までだが、受験期の子どもについては、無料で(本当に無料
で!)、七月から一一月ごろまで、ほとんど毎晩部屋を開放して受験指導をしたことがある。夜
七時から一一時ごろまで、である。

教えたといっても、ときどき顔を出し、勉強の進みぐあいをみたり、わからないところを教えた
程度だが、しかし率直に言えば、親に感謝されたことはあっても、子どもに感謝されたことは一
度もなかった。

受験勉強というのは、もともとそういうもの。「教育」という名前を使う人もいるが、受験指導は
指導であって、教育ではない。もともと豊かな人間関係が育つ土壌など、どこにもない。

 そこで本論。中に子どもの受験勉強を、親類や知人に頼む人がいる。そのほうが安いだろう
とか、ていねいにみてもらえるだろうとか考えて、そうするが、実際には、冒頭に書いたように、
ただより高いものはない。相手がプロなら、成績がさがれば、「クビ!」と言うこともできるが、
親類や知人ではそういうわけにもいかない。ズルズルしている間に、あっという間に受験期は
過ぎてしまう。そんなわけで教訓。

受験勉強は、多少お金を出しても、その道のプロに任せたほうがよい。結局はそのほうが安全
だし、長い目で見て、安あがりになる。

++++++++++++++++

 W君の指導を断ったのは、親の期待にそえないと判断したため。少し成績が伸びれば、「も
っと……」と言う。しかしさがれば、「どうして……」「もっと時間をふやしてほしい」と言う。それ
で、私のほうが疲れてしまった。この静岡県では、中二から中三が、受験競争のピークを迎え
る。親たちが、もっとも神経質になるのは、この時期である。

 そのW君は、時間ツブシが、うまかった。つぎにエッセーは、その「時間ツブシ」について、書
いたもの。直接W君についてではない。時間ツブシというのが、どういうものか、わかってもらえ
ると思う。

++++++++++++++++

●三〇分で五分

 子どもの勉強は、三〇分やって五分と思うこと。つまり三〇分の間で、五分間だけ勉強らしき
ことをすればよいとみる。家庭でする勉強というのは、しょせんそういうもの。

小学一年生や二年生が、家へ帰ってから、一時間も二時間も、黙々と漢字の書き取りをする
ほうがおかしい。もしそうなら、心の病気を疑ってみたほうがよい。

 無理や強制が日常化すると、子どもは勉強から逃げるようになる。これは当然のことだが、さ
らにその症状が進むと、@フリ勉、A時間つぶしがうまくなる。フリ勉というのは、いかにも勉強
していますという様子だけを見せる勉強法をいう。が、その実、何もしていない。たとえば一時
間で、計算問題を数問解くだけ、あるいは英文を数行書くだけなど。つぎに時間つぶし。つめを
ほじったり、鉛筆をかんだりして、時間ばかりムダにする。先生や親の視線を感ずると、そのと
きだけ、いそいそと本のページをめくってみせたりする。

 こうしたフリ勉や時間つぶしをするようになったら、家庭教育のあり方をかなり反省したほうが
よい。……というより、一度、こういう症状(これを「空回り」という)が身につくと、それをなおす
のは容易ではない。たいてい(親が叱る)→(ますますフリ勉、時間つぶしがうまくなる)の悪循
環の中で、子どもは勉強から遠ざかっていく。

 要は集中力の問題。ダラダラと時間をかけるよりも、短時間にパッパッと勉強を終えるほう
が、子どもの勉強としては望ましい。実際、勉強ができる子どもというのは、そういう勉強のし
方をする。私が今知っている子どもに、K君(小四男児)という子どもがいる。彼は中学一年レ
ベルの数学の問題を、自分の解き方で解いてしまう。

そのK君だが、「家ではほとんど勉強しない」(母親)とのこと。「学校の宿題も、朝、学校へ行っ
てからしているようです」とも。

 ついでながら静岡県の小学五、六年生についてみると、家での学習時間が三〇分から一時
間が四三%、一時間から一時間三〇分が三一%だそうだ(静岡県出版文化会発行「ファミリ
ス」県内一〇〇名について調査・二〇〇一年)。

 小学六年生で、だいたい一時間程度勉強すれば、ほぼ平均的とみてよい。

++++++++++++++++

 たとえば一時間、W君の横にすわっていたとする。するとW君は、「さも、考えています」という
ようなフリをして、頭をかかえて、下を向いている。そして私の視線を感じたときだけ、鉛筆を動
かすフリをする。

 しかし実際には、一時間で、英語の単語を数個しか書いていない! ……つまりこういう勉強
を繰りかえす。もちろん、時間の割には、効果はない。まったく、ない。

 こうした学習障害児で問題なのは、親にそれだけの自覚と、理解がないこと。「やればできる
はず」と、子どもを追いたてる。症状を、こじらせるだけ、こじらせてしまう。つまり「障害」がある
上に、子どもを、勉強嫌いにしてしまう。

 W君にしても、最初私のところへやってきたとき、バッグいっぱいのワークブックをもってき
た。しかも、難解なものばかり! こうした無理が、子どもの症状をこじらせてしまう。

 ……と、ショッキングなことばかり書いたが、こうした「障害」(この言葉は、本当に不愉快だが
……)をもった子どもこそ、暖かいケアが必要なことは言うまでもない。たしかに勉強は苦手だ
が、だからといって、それは子どもの責任ではない。子どもを伸ばすコツは、「苦手分野を克服
することではなく、得意分野をさらに伸ばす」である。得意な分野が、さらに伸びれば、苦手な
分野も、つられて伸びるということは、よくある。つまりどんな子どもにも、それぞれ、よい面が
ある。そのよい面をみつけ、それを伸ばす。

 もう一人、印象に残っている子どもに、T君がいた。そのT君について書いたのが、つぎの原
稿である。

++++++++++++++++

●どんな雲にも銀のふちどり

 イギリスの格言に、『どんな雲にも銀のふちどり』という格言がある。つまりどんな雲にも、そ
のまわりには銀色に輝くふちどりがあることを言ったもの。「どんなに苦しいときでも、必ず希望
があるから、その希望を捨ててはいけない」と。

 ひとつの固定した視点からみると、どうしても絶望的にならざるをえない子どもというのは、た
しかにいる。T君(中一男子)がそうだった。何を教えても、ザルで水をすくうように、その教えた
ことがどこかへ消えていく。

教室といっても、私の教室は一クラス五、六人の小さな教室だが、しかしT君のような生徒がい
ると、ほかの生徒がどんどんとやめていく。それくらいT君というのは学校でも有名な(?)子ど
もだった。

で、彼が中学三年生になるころには、生徒は二人だけになってしまった。いや、少しでもT君が
ふざけた態度をしたら、それを理由に私はT君を教室から追い出していたかもしれない。が、T
君はただひたすらに私のところで勉強をした。

そんなある日のこと、私はT君にこう言った。「どんな大工でも建てたところからどんどん壊され
たら、怒るぞ」と。教えても教えてもそれがムダになっていく自分のはがゆさを、K君にぶつけ
た。が、それでも、T君は涙をこぼしながら、私に従った。

 希望というのは、視点を変えると、それが希望でなくなるときがある。しかし視点を変えると、
今まで以上に明るく輝き始めるときがある。あるいは希望など何もないと思っていたところに、
実はすばらしい希望が隠されていたりすることがある。

大切なことは、そのつど視点を変えたり、あるいはもう一度、自分を振り返ってみることだ。もっ
と言えば希望は向こうからやってくるものではない。見つけるもの。

 そののち、T君は高校進学をあきらめ、調理師の専修学校に入学。今は家業であるラーメン
屋を手伝っている。で、ある日、そのラーメン屋へ行ってみると、T君がちょうど配達のラーメン
をどこかへ届けるところだった。

私が母親に、「元気そうですね」と声をかけると母親はこう言って笑った。「まじめだけがとりえ
でねえ」と。T君にとっては、その「まじめ」こそが、銀のふちどりだったということになる。

+++++++++++++++++

 こうした学習障害児で、教えていてつらいのは、あることがせっかくできるようになっても、学
校の勉強が、いつもさらに先に進んでしまうということ。たとえば掛け算がやっと理解できるよう
になったころには、学校では、もう割り算の学習が終わっているなど。

 こうしてこのタイプの子どもは、「なまけ者」「落ちこぼれ」というレッテルを張られ、人知れず
苦しみ、そしてキズつく。もちろん自信もなくすが、そのまま心をゆがめることもある。

 先のW君だが、こんな事件があった。

 W君は、中学二年生だったが、私の事情で、小五のクラスで勉強してもらったことがある。そ
のときのこと。W君が、私の目を盗んでは、小五の男の子を、いじめていた。「お前、こんなの
もできないのか。バカだなあ」と。

 ふつうの言い方ではなく、陰湿ないじめ方だった。

 で、W君は、六年間、私の教室に通ってくれたが、その間、W君にしてみても、苦痛の連続で
はなかったかと思う。よく図書館や、近くの本屋、ゲームセンターや、飲食店につれていってや
ったが、そういうことをしても、彼の心を救うことはできなかった。

 事実、W君が私の教室をやめるとき、W君は、どこか私を蹴飛ばすようにして、やめていっ
た。以後、W君はもちろんのこと、母親からも、一度も連絡はない。

 このあたりが、「私の限界」だと思う。つまり、こうした障害のある子どもを、「ワク」の中に、無
理の押しこもうとすること自体、まちがっている。たとえば勉強の遅れている子どもに、残り勉
強をさせたとする。教える側は、子どものためと思って、そうするが、子ども自身は、それを自
分のためとは、とらえない。「バツ」ととらえる。つまり残り勉強までさせて、「ワク」に閉じこめよ
うとすること自体が、まちがっている。

だからといって、あきらめろということではない。しかし一方、だからといって、今のままでよいと
は、だれも思っていない。

 日本の教育、なかんずく、受験教育の世界では、「みなが、一〇〇点でも困る。差がつかな
いから。しかしみなが、〇点だと、もっと困る。差がわからないから」が基本になっている。つま
り、人間選別が、その基本になっている。

 こういう世界では、「できる子ども」が、生まれる一方、その反面、必然的に、「できない子ど
も」が生まれる。そしてその「できない子ども」は、その底辺へと追いやられる。「学習障害児」と
いう言葉も、そういう「できない子ども」の間から、生まれてきた言葉である。

 教育のレベルの高さは、弱者にいかにやさしいかで決まる。進学率や、進学実績ではない。
日本では、進学率の高い学校ほど、「よい学校」ということになっているが、それこそが日本の
社会の不平等性の象徴ということになる。

 学習障害児であるにせよ、ないにせよ、要は、一人ひとりにあった教育が可能になるよう、私
たちは、前に向かって努力しなければならない。今、その第一歩が、始まったばかりである。

 こうして、「障害児」というレッテルを張り、その分析をすることは、私はあまり好きではない
が、ここに書いたことが、その第一歩のヒントになれば、うれしい。
(031117)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
 
子育て随筆byはやし浩司(353)

●断絶する親子

 埼玉県U市にお住まいの、SHさん(女性・主婦)の方から、義父母との問題について、メール
をいただきました。それについて、考えてみたいと思います。ただ、そのあと、SHさんからのメ
ールの掲載について、承諾が得られませんでしたので、こちらでメールの内容を、要約させて
いただきます。

+++++++++++++++++++

【SHより、はやし浩司へ】

 私の夫と、両親(私にとっては、義父母)とは、断絶しています。きっかけは、夫が、職を変え
たことについて、その職を認めてくれなかったこと。「そんな職は、中卒の仕事だ」と、軽蔑した
ことです。その精神性の低さには、驚くばかりです。

 また義母が、何かにつけて、私たち夫婦に干渉してきたこともあります。「こうあるべき」という
親子像をつくり、それを私たちに押しつけてきました。

 それで夫が、ある日、とうとう、義父母に、絶縁を申し出ました。

 夫には、姉(私の義姉になります)がいますが、義父母と義姉は、ともに子離れできない、親
離れできない関係にあります。ベタベタの関係です。そのため義姉は、私から見ると、まさにド
ラ娘という感じがします。

 その義姉も、あれこれ、私たちに干渉してきます。間に一人、叔母がいるのですが、その叔
母も、あれこれ干渉してきます。

 義父母は、モノや権力に執着する人です。私が生まれ育った家庭とは、あまりにもちがうた
め、とまどっています。その上、義父は、かんしゃく発作のある人で、自分の気に入らないこと
があると、大声を出したり、暴れたりします。

 このまま断絶していていいとは思いませんが、こういうときは、どうしたらいいのか、どうかアド
バイスをお願いします。
(埼玉県U市、SHより)

++++++++++++++++++

【SHさんへ】

 こうしたケースでは、親を説得して……とか、親に理解してもらおう……と考えても、意味はあ
りません。ムダです。親自身が、何らかの方法(たとえば、私のマガジンを読むとか……)で、
自分で気がつくしかありません。

 私の身内のケースも含めて、親が変わったという事例は、ありません。その親自身の人生観
がからんでいるため、ことはやっかいです。ヘタに責めると、親自身が、役割混乱を起こしてし
まいます。自己否定から、自己嫌悪に陥ることもあります。つまりは、混乱状態になるというこ
とです。狂乱状態になることも、珍しくありません。

 今、思い出した事例に、こんな話があります。

 その家では、父親と息子の、喧嘩(けんか)が絶えませんでした。そこで息子が、近くの占い
師にみてもらったところ、「あなたの家には、神様と、仏様がいる。どちらか一方にしなさい」と。

 そのあたりでは、どこの家でも、神様と仏様の両方を祭っています。で、その息子は、その占
い師の言葉を真に受けて、家に帰って、「神様を処分する」と言い出したのです。

 さあ、たいへん! ふつうでも一触即発の状態なのに、息子が、神様を処分すると言いだし
たのです。この事件は、父親と息子の間で、「殺す」「殺してやる」の大騒動になってしまいまし
た。妻が止めに入ったときには、父親が、ナタを息子に振りおろす寸前だったといいます。

 あなたの義父母についていうなら、義父は、かなりの権威主義者ですね。昔ながらの男尊女
卑思想のもち主かもしれません。学歴信仰、出世主義的なものの考え方も、見え隠れします。
見栄、メンツ、世間体だけで生きている人かもしれません。この世界には、「そんな仕事」も、
「こんな仕事」もありません。「中卒の仕事」も、「大卒の仕事」もありません。

 こういうケースでは、問題がこじれると、とことんこじれます。親子であるだけに、問題は、か
えって深刻になります。(他人なら、たがいに蹴飛ばして、別れることもできますが、親子だと、
それもできません。)

 で、行くつく先は、断絶か、さもなければ、妥協して生きるかのどちらかになります。しかしそ
れとて、簡単なことではありません。そこに親類、縁者がからんでくるからです。あなたのばあ
いは、義姉や叔母など。

 こういうとき、外国の人は、おもしろい割り切り方をします。たとえば『二人の人に、いい顔は
できない』という格言があります。たとえ親でも、よい顔ばかりはしておられないという意味で
す。夫の立場で、「妻を選ぶか(結果として、親と断絶するか)、親を選ぶか(結果として、妻と
離婚するか)」となれば、まちがいなく、夫は、妻を選びます。

 断絶するにしても、そのあたりまで割り切らないと、問題は、解決しません。つまり「親戚(義
姉、叔母ほか)に、どう思われようが、知ったことではないという、割り切りです。親とは断絶し
ながら、しかし義姉や叔母とは、うまくつきあうというのは、さらに難しいことです。

 改めて「断絶」という言葉は使わないで、ここは自然の成り行きにまかせるのが、最善かと思
います。この種の問題は、ここにも書いたように、こじれると、とことん、こじれます。そのため、
それに巻きこまれた当事者たちは、とことん、神経をすり減らします。

 もちろん義父には、いくつかの問題があります。戦後の高度成長期にサラリーマンをしてきた
人は、独特の、社会観をもっています。仕事第一主義もそうです。金権主義もそうです。それか
ら「モノ」への執着心も、ほかの世代にくらべて、強いです。

 つまりは、義父の世代は、私の世代ということになりますが、この世代は、戦前というか、江
戸時代の身分制度という亡霊も、引きずっています。仕事によって、人間を判断するというか、
人間の価値を、その仕事で決めるようなところがあります。いわゆる「いい仕事」と、「悪い仕
事」を区別します。

 「いい仕事」というのは、いわゆる学歴によって裏打ちされたような仕事をいいます。「悪い仕
事」というのは、そうでない仕事をいいます。おかしいですね。本当に、おかしいですね。

 しかしこうしたおかしさを、この世代にぶつけても、意味はありません。この世代の人たちは、
そういう価値観の中で生きてきました。ですからここで、「あなたがたの価値観はおかしい」など
と言うと、この世代の人たちは、役割混乱を起こしてしまうのです。

 私は、あなたの義父と同じ世代の人間ですが、しかし若いころ、幸いにも、世界中を渡り歩い
ていました。オーストラリアにしばらく留学していたこともあります。そういう経験をとおして、そ
の「おかしさ」に、若いころ、気づくことができました。

 このことは、私の『世にも不思議な留学記』の中に書いておきました。また機会があれば、H
Pのほうから、のぞいてみてください。(近く、HTML版のマガジンのほうで、写真入りで、みなさ
んに、お届けするつもりでいます。)

 いわば私たちは、化石のような世代です。しかし同時に、あわれむべき世代でもあります。

 私たちの世代は、一方で親に仕(つか)え、一方で、子どもに仕える世代です。わかりやすく
言うと、私のばあいも、二三、四歳のころから、収入の約半分は、実家の母に届けていました。
しかし親となった今、今度は、息子たちに対しては、お金は、いまだに出ていく一方です。こうい
うのを、『両取られ』というのですね。

 あなたの義父のぼやきも、そんなところにあります。

 親の権威も失墜しました。「親だから……」という、威光も通じなくなりました。昔の子どもな
ら、「お父様」「お母様」と、ひざまづいたものですが、今は、そういう時代でもありません。

SHさんの義父母は、「親は絶対」と教えられて育ってきた世代です。で、今度は、自分が親の
立場になり、「親の私は絶対」と考えるわけです。そしてそれに応じない子どもは、「できそこな
い」となるわけです。

考えてみれば、おかしな間隔ですが、しかし感覚というか、意識は、そんなに簡単には変えら
れません。今、SHさんが感じておられる世代ギャップというのは、そのあたりから生まれてきて
います。

 この問題は、成りゆきに任せるしかありません。努力して、どうにかなる問題でもありません。
少し前までなら、SHさん夫婦のような方は、「親不孝者」(多分、あなたの義父は、そう思って
いるはずです)と、ののしられたものですが、今は、そういう時代でもありません。

 親子関係も、基本的には、一対一の人間関係です。人間と人間の関係です。こわれるとき
は、こわれます。またこわれたからといって、だれの責任とか、また失敗とかいうことでは、あり
ません。

 問題はこわれることによって、その当事者が、苦しむことです。たいていは、お節介焼きの叔
父や叔母がいて、それに介入してきます。「親子はこうあるべきだ」という通俗的な常識を押し
つけてきます。

しかしね、SHさん、世の中には、親をだます子どもはいくらでもいますが、子どもをだます親だ
って、いくらでもいるのです。子どもを虐待している親だって、います。そういう親をもった子ども
に対して、「親孝行をしろ」「親を絶対と思え」と言っても、酷というものです。

 どこかきびしいことを書きましたが、親であるということは、それくらいきびしいことなのです。
今まで、日本人は、いわゆる甘えの構造(ベタベタの依存関係)の中で、その「きびしさ」を、見
落としてきたのではないでしょうか。

 あなたの義父は、「産んでやった」「育ててやった」「大学まで出してやった」と考えているかも
しれません。しかしこれほど、身勝手な考え方もありません。勝手に産んでおいて、「産んでや
った」とは! 産んだ以上、育てるのが義務ではありませんか。それを「育ててやった」とは!

 しかし、です。今さら、こんなことを義父母に言っても、意味はありません。あなたはあなた
で、義父母たちは、そういう世代だと知った上で、納得すればよいのです。本来なら、そういう
「おかしさ」を気づかせてあげたいのですが、それは前にも書いたように、それを知れば、あな
たの義父母は、かえって大混乱するだけです。だから、ここは、そっとしておいてあげましょう。

 ただ全体として、SHさんの生きザマが、内向きなのは、少し気になります。「内向き」というの
は、本来、相手にしてはいけない、あるいは相手にもならない人たちを、相手にしすぎていると
いうことです。

 私の近所にも、そういう老人がいます。私のほうは、まったく相手にしていないのですが、何
かにつけて、私を相手にしてくる老人です。本人は、大まじめなのですね。私のほうが無視す
ればするほど、ムキになってくるという感じです。(この話は、SHさんとは、逆の話ということに
なりますか?)

 要するに、義父母など相手にしないこと。あなた自身が、「精神性が低い」という言葉を使って
おられます。そう、精神性は、低いのです。「親だから、それなりの精神性をもっているはず」と
いう幻想をもちやすいですが、人間も、四〇歳をすぎると、精神性の向上は、停止します。そし
てそれ以後は、かえって低下します。(人にもよりますが……。)

 ウソだと思うなら、新幹線に乗ってごらんなさい。周囲の迷惑も考えずに、ギャーギャーと大
声で騒いでいるのは、そのレベルのオバチャン連中(失礼!)たちです。ただひたすら、ペチャ
クチャと、意味のないことをしゃべっているオバチャン連中(失礼!)もいます。しかもその話の
内容の、低俗なことと言ったら、ありません。むしろ、幼児たちのほうが、聞き分けがよいくらい
です。ホント!

 今、義父母が気になるというのは、ひょっとしたら、あなたも、その義父母と同じレベルにいる
ことが疑われます。だから気になる……。だから対立する……。だから断絶する……。

 そこでどうでしょう。たとえば私のHPの「随筆集」でも、片っ端から読んでみて、(コマーシャル
ですみません……)、そういう人たちを乗り越えてみては……。もし私の随筆集を読んでくださ
れば、そのあと、義父母が、小さく、とるに足りない人たちだとわかってくるはずです。

 そしてあなたはあなたで、前向きに、外に向かって、何かにぶつかっていけばよいのです。あ
なたにも、したいことがあるでしょう。できることがあるでしょう。それを追求するのです。そして
結果として、精神性の低い義父母など、相手にしなくなることです。

 私も、この幼児教育の世界に入るとき、母には泣かれました。母は、半狂乱になりました。そ
のことは、別のところでまた書きますが、たとえば私が子ども時代には、「役者(今のタレント)」
たちは、最下層の人間に思われていました。「マンガ家」というだけで、バカにされたものです。
「幼稚園の講師」というのは、さらに下でした。

 そういう価値観がいかにおかしいかは、すでにSHさんが、お気づきのとおりです。

 以上のことから、私はつぎのようにアドバイスします。

(1)義父母との関係の修復は、自然体に任せなさい。まだお元気のようですから、今しばらく、
放っておいてあげればよいでしょう。あまり深く考えないで。また肩に力を入れないで。あなた
のほうは、会いたければ会いに行けばよいし、会いたくなければ、会わなくてもよいのです。

(2)今、あなたの価値観と義父母の価値観は、はげしく対立しています。で、あなたの価値観
はともかくも、相手(つまりは敵)の価値観を、まず知ることです。どんな価値観を、またどうし
て、そういう価値観をもつようになったか、をです。意外と単純な価値観ですよ。あるいは、「価
値観」と呼べるような価値観ではないかもしれません。

私なども、よく、旧世代の人たちに、叩かれます。本当に、よく叩かれます。「君は、日本人の
美徳である、孝行論を否定するのか?」「先祖を否定する教育者は失格だ!」「君には、日本
人としてのアイデンティティはないのかね?」「欧米かぶれしすぎている」とか。ごく最近も、「君
のような頭でっかちの人間が、教育論を説いてもらっては困る」と言ってきた人もいます。

(3)義父母のような世代は、相手にしないことです。本気に相手にしても、意味はありません。
私も、いろいろな原稿を書いていますが、またいろいろな人と議論しますが、相手が、その程
度の「精神性」しかもっていないとわかったときには、相手にしないようにしています。「適当に
……」という言い方は、誤解を生みやすいですが、適当に、つきあっておけばよいのです。

たとえばその人が、「親を粗末にするものは、地獄へ落ちる」などと言ったら、「そうですよ。そう
ですとも」と言ってあげればよいのです。それが、相手を乗り越えるという意味です。一度、た
めしてみてください。相手を、人格者だと思わないこと。未熟な幼児だと思えばよいのです。

わかりやすく言えば、頭のネジがサビついたような人は、相手にしないこと。一見、ズルい言い
方に聞こえるかもしれませんが、その人はその人なりに、懸命に生きてきたのです。ですから
精神性はともかくも、その「懸命さ」を感じたら、一歩退いてあげる。そういう意味で、「相手にし
ない」です。

 こうした問題をかかえて悩んでいるのは、あなただけではありません。今、本当に多いです。
こうした問題のない家庭のほうが、少ないのではないかと思います。そういう意味では、今、日
本は、大きな過渡期にきています。今、SHさんが経験しておられる混乱は、まさにその過渡期
の混乱ということになります。

 私たちが、今、すべきことは、そういう過渡期にあって、この流れを、決して逆行させてはなら
ないということです。もっとも、その過渡期も、ほぼ終盤を迎えたというか、終わりつつあります
が……。

 最後に、一言。

子どもが親のために犠牲になるのは、美徳でも何でもないのです。それともあなたは、あなた
の子どもがあなたのために犠牲になるのを、よしとしますか。それでよいですか。

 一方、同時に、親が子どものために犠牲になるのも、もう美徳でも何でもないのです、それと
もあなたは、あなたの親が、あなたに、「私の人生は、おまえのために尽くした。お前こそが、
私の生きがいだった」と言ったとき、それを喜びますか。それでよいですか。

 そういう視点で、これからの親子関係を、いっしょに考えていきましょう。ここに書いたことが、
何かの参考になれば、うれしいです。
(031118)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(354)

●三重県紀伊長島町で……

 今日(一八日)は、紀伊長島町の教育委員会に招かれて、ここへやってきた。

 名古屋から、南紀線に乗る。午後一時すぎの、特急。その特急で、ちょうど二時間。四日市、
津、松阪……。その間特急は、ずっと山間の谷を抜けるが、最初に「海が見えた!」と叫ぶとこ
ろが、その紀伊長島町である。

 私は、その特急の窓から、近くの山々をながめながら、三男のことを考えていた。いつか、三
男と二人で、この紀伊半島を旅したことがある。そのときも、「冒険旅行」だった。私たちは、よ
くその冒険旅行をした。

 冒険旅行というのは、行き先を決めず、その場、その場で、行き先や、泊まるところ決める旅
行のし方をいう。お金だけを握って、旅に出る。その旅行でのこと。

松阪(まつさか)へ着いたときには、真夜中だった。泊まる旅館やホテルが見つけられず、一時
間近くも、あちこちをさまよい歩いた。そんな思い出が、つぎつぎと、脳裏に浮かんでくる。

 小学四年生の三男は、心細そうに、何度も「だいじょうぶ?」と聞いた。そのたびに私は、「い
ざとなったら、駅の前で寝ればいいから」と答えた。

 その三男が、今、自分の進路を大きく変えようとしている。

 三男は、地元のK高校を卒業したあと、横浜にある、横浜K大の工学部に入学した。センタ
ー試験では、工学部X位の成績だった。

 いつか宇宙船の設計をすると意気込んで入学したものの、そのうち、自分に合わないと言い
出した。そして今度は、パイロットになると言い出した。私は、「金メダルを捨てて、銅メダルをも
らうようなものだ」と、批判した。

 しかし私も、昔、M物産という商社をやめ、幼稚園の講師になった経緯がある。そんな親だか
ら、三男を責めるわけにはいかない。何かと言いたいことはあったが、しかし三男は、こう言っ
た。

 「パパ、ぼくの夢は、パパに、本物の操縦桿を握らせてやることだよ」と。

 私は子どものころ、空にあこがれた。パイロットになりたかった。今でも、パソコンの画面の上
で、空を飛ぶのが、私の趣味の一つになっている。三男は、そういう私をどこかで見ていた。私
は、この言葉に、殺された。

 その言葉を聞いて、私はもう、反対することはできなかった。いや、多少の迷いはあったが、
三男は、その試験に向けて、体を鍛えた。毎日、自転車で横浜から、羽田へ行き、羽田空港を
一周したという。春ごろには、どこかブヨブヨだった三男だが、試験が近づくころには、すっかり
身がひきしまっていた。それを知ったとき、私の迷いは、完全に消えた。

 「どうせ受けるなら、合格しろよ」と私。
 「だいじょうぶ」と三男。

 一次試験には、八〇〇人近い応募があったという。テレビのトレンディドラマの影響が大きか
ったという。三男は、二次試験にも合格した。「定員、七〇人だけど、残ったのは、ぼくを入れ
て、六九人だけだった」と言った。残りの三次試験は、面接。場所は、宮崎県。本人は、「一〇
中、八、九、だいじょうぶだ」と、のんきなことを言っている。

 特急の窓から、空を見る。白い雲が、薄水色の空をのぞかせながら、幾重にも重なってい
る。あのときは、初夏のころだったが、今は、秋だ。

 私たちは松阪市を出ると、今度は、新宮(しんぐう)をめざした。そのときのこと。南紀線は、
海沿いを走るものとばかり思っていた。しかし窓の景色は、山また山。内心では「どうなってい
るのだろう?」と思っていた。が、突然、目の前に、パッと海が広がった。

 エメラルド色の海だった。それに絵に描いたような海岸線が見えた。夢の中で見るような景色
だった。私は心底、「美しい」と思った。実は、その町が、紀伊長島町だった。偶然か。

 で、そのあと、この紀伊長島町へ来たくて、JR名古屋の駅へ問い合わせたが、どの人も、ト
ンチンカンなことばかり、言っていた。

私「ほら、南紀線に乗っていて、最初に海が見える町です」
JR「どこでしょうね。あのあたりは、ずっと、海ですから」
私「山を抜けて、最初に、海が見える町です」
J「○○海岸でしょうかねえ。それとも、○○岬でしょうかねえ」と。

 しかしこの話は、教育委員会の担当者の方には、言わなかった。あまりにも、できすぎた話で
ある。もしこの話をすれば、「林は、口のうまい男だ」と思われるかもしれない。しかし事実は、
事実。

 委員会のほうで、私のために民宿を用意してくれた。「はま風」(長島町古里)という民宿だっ
た。海岸まで歩いて、数分のところ。その民宿の中でも、一番、奥の梅乃間に通された。

 講演は七時からだった。

 私は散歩から部屋にもどって、この原稿を書き始めた。もうすぐ、迎えの車がくる。時刻は、
六時一五分。このつづきは、またあとで書こう。写真もたくさんとったから、今度のマガジンは、
「紀伊長島町特集」となるかもしれない。

++++++++++++++++++

【つづき……】

 たった今、遅い夕食を食べてきた。時刻は、午後一〇時。東長島公民館ホールでの講演
は、(多分)、無事、終わった。風呂に入るべきか、どうか迷っている。このまま寝ようか……。

 近くに、古里温泉(町営)がある。歩いて五分くらいのところ。講演へ行く前に、散歩しながら
見てきたが、朝は、午前一〇時からだという。明日(一九日)は、七時半の特急で帰るつもりな
ので、その温泉には入ることはできない。

 そうそう夕食だが、おいしかった。仲居の女の人が、みな、親切だった。食べ終わってから、
「それ、マンボウの軟骨だったのですよ」と。私はタコの刺身かと思って、パクパクと食べてしま
った。「しまった」と思ったときには、胃の中で、松阪牛のシャブシャブと混ざってしまっていた。

 三男の話にもどるが、三男は、私がパイロットになるのを反対していると思っているらしい。そ
れは、そのとおり。これから飛行機事故のニュースを聞くたびに、私は、ハラハラしなければな
らない。「どうぞ、どうぞ」と、賛成するような仕事ではない。

 しかし私は、親として、友として、三男を応援するしかない。支えるしかない。私が幼稚園の講
師になったと母に話したとき、母は、泣き崩れてしまった。私は母だけは、私を支えてくれると
思っていた。

 私には、そういう悲しい思い出がある。だから、私の息子たちにだけは、そういう思いをさせ
たくない。どんなことがあっても、私は、最後の最後まで、息子たちを支える。ただただ、ひたす
ら、息子たちを信じ、支える。

 今、ふと、眠気が襲ってきた。もう今夜は、寝たほうがよさそうだ。ワイフに電話すると、K市K
小学校のN先生から、講演の依頼が入ったとのこと。ほかの先生からの依頼とは違う。どんな
ことをしても、受けなければならない。N先生は、私の恩人だ。明日、浜松へ帰ってから、時間
を調整しよう。

 静かな町だ。静かな民宿だ。一応、目ざまし時計はつけたが、明日は、その時刻に起きられ
るだろうか。少し、心配になってきた。

 では、みなさん、おやすみなさい。

 三重県紀伊長島町、民宿「はま風」より。

こういう季節も、すばらしいが、夏場は、近くの砂浜で泳ぐこともできる。もう少し若ければ、「来
年の夏に……」と考えるが、もうその元気はない。こういう静かな季節のほうが、私には、合っ
ているかも。

 教育委員会のOさん、車で送迎してくれた、Tさん、ありがとうございました。
(031118)

【補記】

 くだらないことだが、私のパソコン(NECのLaVie)は、三〇分ほどで、バッテリーがあがって
しまう。しかし、今日、名古屋からいっしょに乗った男性のパソコンは、ほぼ二時間、ずっと稼
動していた。見ると、シャープの「MURAMASA」だった。「さすが!」と、少し、驚いた。ねたま
しく思った。

 外国の電車などは、車内にコンセントがついている。駅にも、空港のロビーにも。日本も、そ
うすべきではないか。こういう時代なのだから……。ついでにインターネットも使えるようにして
ほしい。こういう時代なのだから……。(一部の駅には、無線LANの設備がついたという。)

(写真を見てくださる方は、HTML版マガジンのほうを、ご覧ください。紀伊長島町の風景の写
真を載せておきました。すばらしいところですよ。)

 もうひとつくだらないこと。

 朝起きて、身じたくを整えていると、靴下が見つからない。そこで部屋中をさがした。が、それ
でも、見つからない。昨夜は、講演から帰ってきたあと、食事をして、そのままこの部屋で、浴
衣(ゆかた)にかえた。そのときまで、靴下は、はいていたはず。

 それにしても気味の悪い話だ。ここは幽霊民宿?

 さらにさがした。しかし見つからない。

 ただひとつ、心当たりがあるのは、風呂だ。私は今朝、起きるとすぐ、風呂(温泉)に入った。
そこで、「まさか……」と思いつつ、浴室へ行ってみると……。

 「あったア!」

 しかし、どうして? どうして私の靴下が、脱衣場に落ちていたのか。私は昨夜、靴下をはい
たまま寝たのか? しかしそんなはずはない。私は寝るときは、必ず、靴下を脱ぐ。ただひとつ
の可能性は、浴衣のどこかに脱いだ靴下が、入りこんでいたこと。だから浴衣を脱いだとき、
靴下が、脱衣場に、落ちた? しかし、そんなことがありえるのだろうか?

 ?????と、「?」を五個並べて、この話は、おしまい。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


子育て随筆byはやし浩司(355)

うつ病

 このところ、友人のT君(五三歳)の様子がおかしい。しばらくメールが、こないと思っていた
ら、「このところ、また過食が始まってしまった……」と。

 T君は、オーストラリア人。西オーストラリア州のパースの近郊に住んでいる。世界で、もっと
も美しい場所と言っても過言ではない。近くに湖もある。

 ワイフは、こう言った。「どうしてあんなすばらしいところに住んでいる人が?」と。

 そう、私たち日本人からみると、T君は、天国のような、夢の世界に住んでいる。親からの財
産もあり、何一つ不自由のない生活をしている。彼は、こう言う。

 「ぼくに必要なのは、規則正しい食事と運動。それに自分をコントロールする力だ。しかし自
分でそれがわかっていても、自分では、どうすることもできない」と。


【Tから、はやし浩司へ、

……Since then it has been all "down hill". The weight has gone back on and the gloomy
thoughts have come back. The trouble is I know what to do to improve things. Lose weight, 
eat properly, get exercise, get self discipline, get organised etc. But I just can't seem to 
make a start on these things. There is usually something which must be attended to first..

 それ以来、すべてが下り坂だ。体重は戻るし、ゆううつな気分は、戻ってきた。問題は、自分
を改善するために、何をすべきかわかっていることだ。まず体重を減らし、正しく食事をし、運
動をすることだ。そして自分を律し、コントロールすることだ。しかし、どうやってそれを始めたら
よいのか、わからないようだ。それをしようと思っていると、いつも、先にやらねばならないこと
があって、うまくできない。】


 察するところ、離婚寸前の立場にいるらしい。こういうとき、オーストラリア人の女性は、意外
とクール? ある一線を超えると、夫を、突き放してしまう。そんな感じがする。何度か電話で話
しているが、ときどき、奥さんは、「どうしようもない」というような言い方をした。「日本人の奥さ
んなら、夫の病気を、もう少し暖かく見守るのになあ」と思ったことがある。

 もっとも、T君が、うつ病になって、ずいぶんになる。最初に、彼がそう言ってきたのは、もう二
〇年ほど前のことではないか。その間、症状は一進一退。薬を飲んでいる間は、軽減するが、
それをやめるとまた反作用からか、どんと落ちこむ。その間に、体重が、一〇キロ単位で、増
減する。

 私ができることは、毎月、彼の趣味の、自動車雑誌を送ることくらいでしかない。それをつづ
けて、今月で、ちょうど、一〇か月目になる。「今年いっぱいで、送るのをやめようか」と思って
いたが、こんな状態だと、やめるわけにはいかない。昨日のメールでも、「毎月送られてくる本
が、ぼくを励ましてくれる」とあった。

 若いころは、人生の一コマ一コマが、連続性をもって、つながっている。しかし年齢を重ねる
と、そのコマの途中が、ところどころで、途切れたり、連続性をもたなくなる。あるところで、突然
シーンが飛んだり、あるいは消えたりする。そのため、メールを交換していても、ふと、不安に
なる。「来年は、だいじょうぶだろうか?」「一〇年後も、今と同じだろうか?」と。

 「このままだと、Tのヤツ、心筋梗塞(こうそく)か何かで、死んでしまうよ」と言いながら、その
一方で、今までは感じなかった胸騒ぎを覚える。T君は、友というより、「私」の一部。学生時代
には、オーストラリア大陸を、何日もかけて、車で縦断したことがある。一度は、砂漠へつっこ
んでしまい、あやうく命を落としそうになったこともある。

 T君には、簡単に死んでもらっては困る。死ぬことはなくても、簡単にうつ病になってもらって
は困る。しかし、私に、いったい何ができるというのか。


【Dear T,

 It has been warm enough to walk around without coats, though we have late autumn and 
soon we will have new years days in a month or so.

 I am not at all happy to hear that you are suffering from depression these days. But I wish 
you not blame yourself so much. You have done well and you have been doing very well. 
Whatever you are, everybody would say you are a good man. I think so too. You are sincere 
and kind to anyone. Believe it. Trust it. And believe yourself and trust yourself.
You are a good man.

 I feel also sometimes gloomy especially when I get tired with much work. This means I am 
an honest man too. You see? Only good people get depressed in their lives. Bad people will 
never get depressed.

 I am very sorry that I can't share your hard time with me. But I feel painful as if my son 
has been depressed when I read your sad mail. As you know I have also many mental 
problems with me. Sometimes I can't control myself well enough and I become mad. But this 
is me. And I know none but me can control myself.


 Please read the magazines I send to you and just think about something different in your 
brain. And please let yourself know that you are not alone. You have good families and a 
good friend here. (Tomorrow I will send to you number 9th magazine to you. And I am glad 
to know that these magazines make you happy a little bit.)

 You and I have still a big power to enjoy our lives. So let's start enjoying them. Life seems 
still to be very long. As you say, we are young old-men, aren't we?

Tへ、

秋の終わりというのに、コートなしで、外出できる。あと一か月と少しで、新年を迎えるというの
に、だ。

君が落ち込んでいると聞き、不幸な気分だ。しかしどうか自分を責めないでほしい。君は、よく
やっている。今までもよくやってきた。君がどういう状態であれ、みなは、君のことを、「いいヤツ
だ」と言う。ぼくもそう思う。君は、だれに対しても、誠実で、親切だ。それを信じてほしい。そう
いう自分を信頼してほしい。そして自分を信頼することだ。

ぼくもときどき、とくに疲れたようなとき、ゆううつな気分になる。これはつまり、ぼくも誠実な人
間ということを意味する。わかるかい? 善人のみが、落ち込むんだ。悪人は落ち込まない
よ。

ぼくが今、君のつらいときを、分けもつことができないことを、残念に思う。しかし君のメールを
読むと、自分の息子がそうであるような感じがしてならない。君も知っているように、ぼくもたくさ
んの、心の病気をかかえている。ときどきそれをコントロールできなくて、狂ってしまうことがあ
る。しかしこれがぼくなんだ。そしてだれでもない、ぼくしかコントロールできないことを知ってい
る。

どうかぼくが送っている雑誌を読んで、気をまぎらわせてほしい。そして君が、決してひとりぼっ
ちでないことを知ってほしい。君には、すばらしい家族がいる。ぼくという友もいる。(明日、九
番目の雑誌を送るよ。君がその雑誌を気に入ってくれているのを知って、ぼくは、うれしい。)

まだぼくたちには、人生を楽しむパワーがある。君が言うように、ぼくたちは、「若い老人」だか
らね。】


 どうして生きることには、こうまで「限界」がつきまとうのか。時間にも空間にも、限界がある。
そして生きること自体にも、限界がある。もともと生きるということは、そういうことなのか。だと
するなら、私たちは、なぜ、ここにいて、ここで生きているのか。その限界を、繰りかえし繰りか
えし、つまり代々繰りかえしているにすぎないのか。

 私が感じている「限界」を、今度は、子どもたちが繰りかえす。そしてつぎに孫たちが繰りかえ
す。いつまでも、いつまでも繰りかえす。人間は、いつになったら、その「限界」から、解放され
るのか。あるいは、その日は、いつか、本当にやってくるのか。

 私はT君のメールを読んでいるとき、その「限界」を感じ、強い無力感を覚えた。
(031119)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩
司 

子育て随筆byはやし浩司(356)

よりよい親子関係のために……

●さらけ出し

 たがいの信頼関係を結ぶためには、たがいに(さらけ出し)、そしてそれを、たがいに(受け
入れ)なければならない。

 この(さらけ出し)と、(受け入れ)があってはじめて、その上に、信頼関係が、結ばれる。

 ここで「たがいに」という言葉を使ったが、それは一方的なものであってはいけない。相互的
なものでなければならない。たとえば親子の関係で、考えてみよう。

 たとえば母親が、子どもの前で、プリプリと、ガスを放出したとしよう。これはいわば、母親の
(さらけ出し)になる。

 そのときその臭いをかいだ子どもが、「ママ、臭いよ! こんなところでしないで!」と叫んで
笑えば、子どもは、それを(受け入れた)ことになる。

 一方、今度は、子どもが、ガスを放出したとする。同じように母親が、「臭いわねえ。こんなと
ころでしないで!」と子どもを叱り、子どもも、ヘラヘラと笑ってすませば、(さらけ出し)と、(受け
入れ)が、できたことになる。

 わかりやすいので、ガスを例にあげたが、私がいう(さらけ出し)と、(受け入れ)とは、こういう
ことをいう。

●さらけ出しの障害

このさらけ出しは、ここにも書いたように、相互的なものでなければならない。しかしそのさらけ
出しが、たがいにうまくできないときがある。何らかの障害があって、どこかで心にブレーキを
かけてしまうようなばあいである。私は、その障害として、二つのものを考える。

その二つというのは、物理的障害と、精神的障害である。何だか、理科の学習のようになって
きたが、ほかによい言葉が、思い浮かばなかったので、この言葉を使う。

 物理的障害というのは、たとえば親側の威圧、権威主義、あるいは育児拒否、冷淡、無視
で、子どもの側から、さらけ出しができないことをいう。母親の中に潜む、何かのわだかまり
や、こだわりが原因となることが多い。望まない結婚であったとか、望まない子どもであったと
か、など。家庭騒動や、経済問題、健康問題が、「わだかまり」になることもある。

 この物理的障害が、子どもの(さらけ出し)の障害になる。

 精神的障害というのは、母親自身の心に問題があって、子どもの側からの(さらけ出し)を、
受け入れることができない状態をいう。あるいは母親自身が、自分をさらけ出すことができない
状態をいう。

 母親自身が、不幸にして不幸な家庭に育てられた、など。そういう意味で、子育てというの
は、世代を超えて、親から子どもへと、連鎖しやすい。母親自身が、子どものころ、その親に、
何かの理由があって、自分をさらけ出すことができなかった。だから今度は、自分の子どもに
対して、自分をさらけ出すことができない……というようにである。

 この精神的障害が、子どもの(さらけ出し)の障害になる。

●母子関係の不全
 
 母子関係の不全が、子どもにいかに大きな影響を与えるか。今さら、ここで改めて言うまでも
ない。

 たとえば乳幼児期の母子関係の不全が、そのあと、子どもの心のみならず、身体の発育に
も、深刻な影響を与えるということがわかっている。たとえば乳児院や孤児院での、子どもの死
亡率が高いなどの事実は、以前から、指摘されている。

こうしたことから、J・ボウルビーらは、「母親の愛情は、子どもの精神衛生の基本である」と説
いた。

 さらにR・A・スピッツや、W・ゴールドファーブらは、知的な発育にも、悪影響があることを指
摘している。

 ここで問題になるのは、母子関係は、ここに書いたとおりだが、では、父親と子どもの、父子
関係はどうかということ。

 これについては、母子関係と、父子関係は、平等ではない、つまり同じ親子関係でも、異質
のものであるというのが、通説と考えてよい。

 母親というのは、妊娠期間の間、子どもを、自分の体内に宿す。そして子どもが生まれたあと
も、乳を与えるという意味で、子どもの「命」を育てる。つまり母子関係は、その当初から絶対
的なものであるのに対して、父子関係は、あくまでも「(精液)一しずく」の関係でしかない。

 フロイトも、そうした父子関係を指摘しながら、「血統空想」という言葉を使って、母子関係と父
子関係の基本的な違いを説明している。

 つまり自分と母親との関係を疑う子どもはいない。しかし自分と父親の関係を疑う子どもは、
多い。「私(ぼく)は、ひょっとしたら、あの父親の子どもではないぞ。私(ぼく)は、もっと血筋の
いい父親の子どもかもしれない」と。こうした空想を、フロイトは、「血統空想」と名づけた。

 わかりやすく言えば、母子関係は、その当初から、絶対的な関係で始まる。しかしそれに比
較して、父子関係は、不安定な関係で始まる。だから、ここでいう(さらけ出し)と、(受け入れ)
は、母子の間では、きわめて自然になされるのに対して、父子の間では、そうではないことが
多い。

 (だからといって、母子の関係が絶対であるとか、父子の関係は、そうでないと言っているの
ではない。現実に、約七%の母親は、自分の子どもを愛することができないと、人知れず、悩
んでいる(※1)。一方、母親以上の愛情を、子どもの感じている父親も少なくない。しかし総合
してみれば、母子の関係は、父子の関係より、濃密であり、その絆(きずな)は、太い。)

 たとえばウンチを考えてみる。「自分のクソは、いい臭い」と言ったのは、あのソクラテスだ
が、母親にとって、自分の子どものクソは、(自分のクソのクソ)ということになる。だからほとん
どの母親にとって、赤ん坊のウンチは、自分のウンチと同じということになる。

 しかし父親が、母親と同じ心境になるためには、いくつかのハードルを越えなければならな
い。その「越えなければならない」という部分が、母子関係と、父子関係の違いということにな
る。

●基本的信頼関係

信頼関係は、母子の間で、はぐくまれる。

絶対的な(さらけ出し)と、絶対的な(受け入れ)。「絶対的」というのは、「疑いをいだかない」と
いう意味である。こうした相互の関係が、その子ども(人)の、信頼関係の基本となる。

 つまり子ども(人)は、母親との間でつくりあげた信頼関係を基本に、その関係を、先生、友
人、さらには夫(妻)、子どもへと応用していくことができる。だから母親との間で構築される信
頼関係を、「基本的信頼関係」と呼ぶ。

 が、母子との間で、信頼関係を結ぶことに失敗した子どもは、その反対に、「基本的不信関
係」に陥(おちい)る。いわゆる「不安」を基底とした、生きザマになる。そしてこうして生まれた
不安を、「基底不安」という。

 こういう状態になると、その子ども(人)は、何をしても不安だという状態になる。遊んでいて
も、仕事をしていても、その不安感から逃れることができない。その不安感は、生活のあらゆる
部分に、およぶ。おとなになり、結婚してからも、消えることはない。夫婦関係はもちろんのこ
と、親子関係においても、である。

 こうして、たとえば母親について言うなら、いわゆる不安先行型、心配先行型の子育てをしや
すくなる。

●基底不安

 親が子育てをしてい不安になるのは、親の勝手だが、ほとんどのばあい、親は、その不安や
心配を、そのまま子どもにぶつけてしまう。

 しかし問題は、そのぶつけることというより、親にその自覚がないことである。ほとんどの親
は、不安であることや、心配していることを、「ふつうのこと」と思い、そして不安や心配になって
も、「それは子どものため」と思いこむ。

 が、本当の問題は、そのつぎに起こる。

 こうした母子との間で、基本的信頼関係の構築に失敗した子どももまた、不安を基底とした
生きザマをするようになるということ。

 こうして親から子どもへと、生きザマが連鎖するが、こうした連鎖を、「世代連鎖」、あるいは
「世代伝播(でんぱ)」という。

 ある中学生(女子)は、夏休み前に、夏休み後の、実力テストの心配をしていた。私は、「そん
な先のことは心配しなくていい」と言ったが、もちろんそう言ったところで、その中学生には、説
得力はない。その中学生にしてみれば、そうして心配するのは、ごく自然なことなのである。

●人間関係を結べない子ども(人)

人間関係をうまく結ぶことができない子どもは、自分の孤独を解消し、自分にとって居心地の
よい世界をつくろうとする。その結果、大きく分けて、つぎの四つのタイプに分かれる。

(1)攻撃型……威圧や暴力によって、相手を威嚇(いかく)したりして、自分にとって、居心地
のよい環境をつくろうとする。
(2)依存型……ベタベタと甘えることによって、自分にとって居心地のよい環境をつくろうとす
る。
(3)服従型……だれかに徹底的に服従することによって、自分にとって居心地のよい環境を
つくろうとする。
(4)同情型……か弱い自分を演ずることにより、みなから「どうしたの?」「だいじょうぶ?」と同
情してもらうことにより、自分にとって、居心地のよい世界をつくろうとする。

それぞれに(プラス型)と、(マイナス型)がある。たとえば攻撃型の子どもも、プラス型(他人に
対して攻撃的になる)と、マイナス型(自虐的に勉強したり、運動をしたりするなど、自分に対し
て攻撃的になる)に分けられる。

 スポーツ選手の中にも、子どものころ、自虐的な練習をして、有名になった人は多い。このタ
イプの人は、「スポーツを楽しむ」というより、メチャメチャな練習をすることで、自分にとって、
居心地のよい世界をつくろうとしたと考えられる。

●子どもの仮面

 人間関係をうまく結べない子ども(人)は、(孤立)と、(密着)を繰りかえすようになる。

 孤独だから、集団の中に入っていく。しかしその集団の中では、キズつきやすく、また相手を
キズつけるのではないかと、不安になる。自分をさらけ出すことが、できない。できないから、相
手が、自分をさらけ出してくると、それを受入れることができない。

 たとえば自分にとって、いやなことがあっても、はっきりと、「イヤ!」と言うことができない。一
方、だれかが冗談で、その子ども(人)に、「バカ!」と言ったとする。しかしそういう言葉を、冗
談と、割り切ることができない。

 そこでこのタイプの子どもは、集団の中で、仮面をかぶるようになる。いわゆる、いい子ぶる
ようになる。これを心理学では、「防衛機制」という。自分の心がキズつくのを防衛するために、
独特の心理状態になったり、独特の行動を繰りかえすことをいう。

 子ども(人)は、一度、こういう仮面をかぶるようになると、「何を考えているかわからない子ど
も」という印象を与えるようになる。さらに進行すると、心の状態と、表情が、遊離するようにな
る。うれしいはずなのに、むずかしい顔をしてみせたり、悲しいはずなのに、ニンマリと笑って
みせるなど。

 この状態になると、一人の子ども(人)の中に、二重人格性が見られるようになることもある。
さらに何か、大きなショックが加わると、人格障害に進むこともある。

●すなおな子ども論

 従順で、おとなしく、親や先生の言うことを、ハイハイと聞く子どものことを、「すなおな子ども」
とは、言わない。すなおな子どもというときには、二つの意味がある。

一つは情意(心)と表情が一致しているということ。うれしいときには、うれしそうな顔をする。い
やなときはいやな顔をする。

たとえば先生が、プリントを一枚渡したとする。そのとき、「またプリント! いやだな」と言う子
どもがいる。一見教えにくい子どもに見えるかもしれないが、このタイプの子どものほうが「裏」
がなく、実際には教えやすい。

いやなのに、ニッコリ笑って、黙って従う子どもは、その分、どこかで心をゆがめやすく、またそ
の分、心がつかみにくい。つまり教えにくい。

 もう一つの意味は、「ゆがみ」がないということ。ひがむ、いじける、ひねくれる、すねる、すさ
む、つっぱる、ふてくされる、こもる、ぐずるなど。

ゆがみというのは、その子どもであって、その子どもでない部分をいう。たとえば分離不安の子
どもがいる。親の姿が見えるときには、静かに落ちついているが、親の姿が見えなくなったとた
ん、ギャーとものすごい声をはりあげて、親のあとを追いかけたりする。その追いかけている様
子を観察すると、その子どもは子ども自身の意思というよりは、もっと別の作用によって動かさ
れているのがわかる。それがここでいう「その子どもであって、その子どもでない部分」というこ
とになる。

 仮面をかぶる子どもは、ここでいうすなおな子どもの、反対側の位置にいる子どもと考えると
わかりやすい。

●仮面をかぶる子どもたち

 たとえばここでいう服従型の子どもは、相手に取り入ることで、自分にとって、居心地のよい
世界をつくろうとする。

 先生が、「スリッパを並べてください」と声をかけると、静かにそれに従ったりする。あるいは、
いつも、どうすれば、自分がいい子に見られるかを、気にする。行動も、また先生との受け答え
のしかたも、優等生的、あるいは模範的であることが多い。

先生「道路に、サイフが落ちていました。どうしますか?」
子ども「警察に届けます」
先生「ブランコを取りあって、二人の子どもがけんかをしています。どうしますか?」
子ども「そういうことをしては、ダメと言ってあげます」と。

 こうした仮面は、服従型のみならず、攻撃型の子どもにも見られる。

先生「君、今度のスポーツ大会に選手で、出てみないか?」
子ども「うっセーナア。オレは、そんなのに、興味ネーヨ」
先生「しかし、君は、そのスポーツが得意なんだろ?」
子ども「やったこと、ネーヨ」と。

 こうした仮面性は、依存型、同情型にも見られる。

●心の葛藤

 基本的信頼関係の構築に失敗した子ども(人)は、集団の中で、(孤立)と(密着)を繰りかえ
すようになる。

 それをうまく説明したのが、「二匹のヤマアラシ」(ショーペンハウエル)である。

 「寒い夜だった。二匹のヤマアラシは、たがいに寄り添って、体を温めようとした。しかしくっつ
きすぎると、たがいのハリで相手の体を傷つけてしまう。しかし離れすぎると、体が温まらない。
そこで二匹のヤマアラシは、一晩中、つかず離れずを繰りかえしながら、ほどよいところで、体
を温めあった」と。

 しかし孤立するにせよ、密着するにせよ、それから発生するストレス(生理的ひずみ)は、相
当なものである。それ自体が、子ども(人)の心を、ゆがめることがある。

一時的には、多くは精神的、肉体的な緊張が引き金になることが多い。たとえば急激に緊張す
ると、副腎髄質からアドレナリンの分泌が始まり、その結果心臓がドキドキし、さらにその結
果、脳や筋肉に大量の酸素が送り込まれ、脳や筋肉の活動が活発になる。

が、そのストレスが慢性的につづくと、副腎機能が亢進するばかりではなく、「食欲不振や性機
能の低下、免疫機能の低下、低体温、胃潰瘍などの種々の反応が引き起こされる」(新井康
允氏)という。

こうしたストレスが日常的に重なると、脳の機能そのものが変調するというのだ。たとえば子ど
ものおねしょがある。このおねしょについても、最近では、大脳生理学の分野で、脳の機能変
調説が常識になっている。つまり子どもの意思ではどうにもならない問題という前提で考える。

 こうした一連の心理的、身体的反応を、神経症と呼ぶ。慢性的なストレス状態は、さまざまな
神経症による症状を、引き起こす。

●神経症から、心の問題

ここにも書いたように、心理的反応が、心身の状態に影響し、それが身体的な反応として現れ
た状態を、「神経症」という。

子どもの神経症、つまり、心理的な要因が原因で、精神的、身体的な面で起こる機能的障害)
は、まさに千差万別。「どこかおかしい」と感じたら、この神経症を疑ってみる。

(1)精神面の神経症…恐怖症(ものごとを恐れる)、強迫症状(周囲の者には理解できないも
のに対して、おののく、こわがる)、不安症状(理由もなく悩む)など。 
(2)身体面の神経症……夜驚症(夜中に狂人的な声をはりあげて混乱状態になる)、夜尿症、
頻尿症(頻繁にトイレへ行く)、睡眠障害(寝ない、早朝覚醒、寝言)、嘔吐、下痢、便秘、発
熱、喘息、頭痛、腹痛、チック、遺尿(その意識がないまま漏らす)など。一般的には精神面で
の神経症に先立って、身体面での神経症が起こることが多く、身体面での神経症を黄信号とと
らえて警戒する。 
(3)行動面の神経症……神経症が慢性化したりすると、さまざまな不適応症状となって行動面
に現れてくる。不登校もその一つということになるが、その前の段階として、無気力、怠学、無
関心、無感動、食欲不振、引きこもり、拒食などが断続的に起こるようになる。 
●たとえば不登校

こうした子どもの心理的過反応の中で、とくに問題となっているのが、不登校の問題である。

しかし同じ不登校(school refusal)といっても、症状や様子はさまざま(※)。私の二男はひどい
花粉症で、睡眠不足からか、毎年春先になると不登校を繰り返した。

が、その中でも恐怖症の症状を見せるケースを、「学校恐怖症」、行為障害に近い不登校を
「怠学(truancy)」といって区別している。これらの不登校は、症状と経過から、三つの段階に
分けて考える(A・M・ジョンソン)。心気的時期、登校時パニック時期、それに自閉的時期。こ
れに回復期を加え、もう少しわかりやすくしたのが、つぎである。 
@前兆期……登校時刻の前になると、頭痛、腹痛、脚痛、朝寝坊、寝ぼけ、疲れ、倦怠感、吐
き気、気分の悪さなどの身体的不調を訴える。症状は午前中に重く、午後に軽快し、夜になる
と、「明日は学校へ行くよ」などと、明るい声で答えたりする。これを症状の日内変動という。学
校へ行きたがらない理由を聞くと、「A君がいじめる」などと言ったりする。そこでA君を排除す
ると、今度は「B君がいじめる」と言いだしたりする。理由となる原因(ターゲット)が、そのつど
移動するのが特徴。 
Aパニック期……攻撃的に登校を拒否する。親が無理に車に乗せようとしたりすると、狂った
ように暴れ、それに抵抗する。が、親があきらめ、「もう今日は休んでもいい」などと言うと、一
転、症状が消滅する。ある母親は、こう言った。「学校から帰ってくる車の中では、鼻歌まで歌
っていました」と。たいていの親はそのあまりの変わりように驚いて、「これが同じ子どもか」と
思うことが多い。 
B自閉期……自分のカラにこもる。特定の仲間とは遊んだりする。暴力、暴言などの攻撃的
態度は減り、見た目には穏やかな状態になり、落ちつく。ただ心の緊張感は残り、どこかピリピ
リした感じは続く。そのため親の不用意な言葉などで、突発的に激怒したり、暴れたりすること
はある(感情障害)。この段階で回避性障害(人と会うことを避ける)、不安障害(非現実的な不
安感をもつ。おののく)の症状を示すこともある。が、ふだんの生活を見る限り、ごくふつうの子
どもといった感じがするため、たいていの親は、自分の子どもをどうとらえたらよいのか、わか
らなくなってしまうことが多い。こうした状態が、数か月から数年続く。 
C回復期(この回復期は、筆者が加筆した)……外の世界と接触をもつようになり、少しずつ
友人との交際を始めたり、外へ遊びに行くようになる。数日学校行っては休むというようなこと
を、断続的に繰り返したあと、やがて登校できるようになる。日に一〜二時間、週に一日〜二
日、月に一週〜二週登校できるようになり、序々にその期間が長くなる。

●前兆をいかにとらえるか 
 この不登校について言えば、要はいかに@の前兆期をとらえ、この段階で適切な措置をとる
かということ。たいていの親はひととおり病院通いをしたあと、「気のせい」と片づけて、無理を
する。この無理が症状を悪化させ、Aのパニック期を招く。

この段階でも、もし親が無理をせず、「そうね、誰だって学校へ行きたくないときもあるわよ」と
言えば、その後の症状は軽くすむ。一般にこの恐怖症も含めて、子どもの心の問題は、今の
状態をより悪くしないことだけを考える。なおそうと無理をすればするほど、症状はこじれる。悪
化する。 

※……不登校の態様は、一般に教育現場では、@学校生活起因型、A遊び非行型、B無気
力型、C不安など情緒混乱型、D意図的拒否型、E複合型に区分して考えられている。

 またその原因については、@学校生活起因型(友人や教師との関係、学業不振、部活動な
ど不適応、学校の決まりなどの問題、進級・転入問題など)、A家庭生活起因型(生活環境の
変化、親子関係、家庭内不和)、B本人起因型(病気など)に区分して考えられている(「日本
教育新聞社」まとめ)。しかしこれらの区分のし方は、あくまでも教育者の目を通して、子どもを
外の世界から見た区分のし方でしかない。

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【参考】

●学校恐怖症は対人障害の一つ 

 こうした恐怖症は、はやい子どもで、満四〜五歳から表れる。乳幼児期は、主に泣き叫ぶ、
睡眠障害などの心身症状が主体だが、小学低学年にかけてこれに対人障害による症状が加
わるようになる(西ドイツ、G・ニッセンほか)。集団や人ごみをこわがるなどの対人恐怖症もこ
の時期に表れる。ここでいう学校恐怖症はあくまでもその一つと考える。

●ジョンソンの「学校恐怖症」

「登校拒否」(school refusal)という言葉は、イギリスのI・T・ブロードウィンが、一九三二年に最
初に使い、一九四一年にアメリカのA・M・ジョンソンが、「学校恐怖症」と命名したことに始ま
る。ジョンソンは、「学校恐怖症」を、(1)心気的時期、(2)登校時のパニック時期(3)自閉期
の三期に分けて、学校恐怖症を考えた。

●学校恐怖症の対処のし方

 第一期で注意しなければならないのは、本文の中にも書いたように、たいていの親はこの段
階で、「わがまま」とか「気のせい」とか決めつけ、その前兆症状を見落としてしまうことである。
あるいは子どもの言う理由(ターゲット)に振り回され、もっと奥底にある子どもの心の問題を見
落としてしまう。しかしこのタイプの子どもが不登校児になるのは、第二期の対処のまずさによ
ることが多い。

ある母親はトイレの中に逃げ込んだ息子(小一児)を外へ出すため、ドライバーでドアをはずし
た。そして泣き叫んで暴れる子どもを無理やり車に乗せると、そのまま学校へ連れていった。
その母親は「このまま不登校児になったらたいへん」という恐怖心から、子どもをはげしく叱り
続けた。

が、こうした衝撃は、たった一度でも、それが大きければ大きいほど、子どもの心に取り返しが
つかないほど大きなキズを残す。もしこの段階で、親が、「そうね、誰だって学校へ行きたくない
ときもあるわね。今日は休んで好きなことをしたら」と言ったら、症状はそれほど重くならなくて
すむかもしれない。

 また第三期においても、鉄則は、ただ一つ。なおそうと思わないこと。私がある母親に、「三
か月間は何も言ってはいけません。何もしてはいけません。子どもがしたいようにさせなさい」
と言ったときのこと。母親は一度はそれに納得したようだった。しかし一週間もたたないうちに
電話がかかってきて、「今日、学校へ連れていってみましたが、やっぱりダメでした」と。

親にすれば一か月どころか、一週間でも長い。気持ちはわかるが、こういうことを繰り返してい
るうちに、症状はますますこじれる。

 第三期に入ったら、@学校は行かねばならないところという呪縛から、親自身が抜けること。

A前にも書いたように、子どもの心の問題は、今の状態をより悪くしないことだけを考えて、子
どもの様子をみる。

B最低でも三か月は何も言わない、何もしないこと。子どもが退屈をもてあまし、身をもてあま
すまで、何も言わない、何もしないこと。

C生活態度(部屋や服装)が乱れて、だらしなくなっても、何も言わない、何もしないこと。とくに
子どもが引きこもる様子を見せたら、そうする。よく子どもが部屋にいない間に、子どもの部屋
の掃除をする親もいるが、こうした行為も避ける。

 回復期に向かう前兆としては、@穏やかな会話ができるようになる、A生活にリズムができ、
寝起きが規則正しくなる、B子どもがヒマをもてあますようになる、C家族がいてもいなくいて
も、それを気にせず、自分のことができるようになるなどがある。こうした様子が見られたら、
回復期は近いとみてよい。

 要は子どものリズムで考えること。あるいは子どもの視点で、子どもの立場で考えること。そ
ういう謙虚な姿勢が、このタイプの子どもの不登校を未然に防ぎ、立ちなおりを早くする。

●不登校は不利なことばかりではない

 一方、こうした不登校児について、不登校を経験した子どもたち側からの調査もなされてい
る。文部科学省がした「不登校に関する実態調査」(二〇〇一年)によれば、「中学で不登校児
だったものの、成人後に『マイナスではなかった』と振り返っている人が、四割もいる」という。不
登校はマイナスではないと答えた人、三九%、マイナスだったと答えた人、二四%など。そして
学校へ行かなくなった理由として、

友人関係     ……四五%
教師との関係   ……二一%
クラブ・部活動  ……一七%
転校などでなじめず……一四%と、その多くが、学校生活の問題をあげている。  

+++++++++++++++++ 

●自己診断

 子育てにおいて、母子関係の重要性については、今さら、改めて言うまでもない。そしてその
中でも、母子の間で構築される「基本的信頼関係」が、その後、その子ども(人)の人間関係の
みならず、生きザマにも、決定的な影響を与える。まさに「基本的」と言う意味は、そこにある。

 そこで子どもの問題もさることながら、親である、あなた自身が、その基本的信頼関係を構築
しているかどうかを、一度、疑ってみるとよい。

 あなたは自分の子どものときから、いつも自分をさらけ出していただろうか。またさらけ出す
ことができたただろうか。もしつぎのような項目に、三〜五個以上、当てはまるなら、ここに書い
たことを参考に、一度、自分の心を、冷静に見つめてみるとよい。

 それはあなた自身のためでもあるし、あなたの子どものためでもある。

○子どものころから、人づきあいが苦手。遠足でも、運動会でも、みなのように楽しむことがで
きなかった。今も、同窓会などに出ても、よく気疲れを起こす。
○他人に対して気をつかうことが多く、敬語を使うことが多い。気を許さない分だけ、よそよそし
くつきあうことが多い。
○ひとりで、静かに部屋の中に閉じこもっているほうが、気が楽だったが、ときどきさみしくなっ
て、孤独に耐えられないこともあった。
○いつも他人の目を気にしていたように思う。そして外の世界では、いい子ぶることが多かっ
た。無理をして、精神疲労を起こすことも、多い。
○夫(妻)や子どもにさえ、自分の心を許さないときがある。過去の話や、実家の話でも、恥ず
かしいと思うことは、話すことができない。
○言いたいことがあっても、がまんすることが多い。その反面、他人の言った言葉が、気にな
り、それでキズつくことが多い。
○自分は、どこかひねくれていると思う。他人の言葉のウラを考えたり、ねたんだり、嫉妬(しっ
と)することが多い。
○子どものころから、親に対しても、言いたいことが言えなかった。どこか遠慮していた。親や
先生に気に入られることばかりを、考えていた。

●勇気を出して、自分をさらけ出してみよう!

 もしあなたがここでいう「信頼関係」に問題がある人(親)なら、勇気を出して、自分をさらけ出
してみよう。

 まず、手はじめに、あなたの夫(妻)に対して、それをしてみるとよい。言いたいことを言う。し
たいことをする。身も心も、素っ裸になって、体当たりで、ぶつかってみる。何も、セックスだけ
が、さらけ出しということにはならないが、夫婦であることの特権は、このセックスにある。

 そのとき大切なことは、自分をさらけ出すのと同時に、夫(妻)の、どんなさらけ出しにも、寛
容であること。つまり受入れること。「おかしい……」とか、「変態とか……」とか、そういうふうに
考えてはいけない。

 あるがままを、あるがままに受入れて、あなたがた夫婦だけの問題として、処理すればよい。

 で、こうした夫婦の絆(きずな)を、伸ばす形で、つぎに精神面でのさらけ出しをする。思った
ことを話し、考えたことを伝える。

 これは私のばあいだが、私は、ある時期まで、講演をするたびに、ものすごい疲労感を覚え
た。そのつど、聖人ぶったりしたからだ。自分を飾ったり、つくったりしたこともある。

 しかしそれでは、聞きに来てくれた人の心をつかむことはできない。役にもたたない。

 そこでは私は、講演をしながら、その講演を利用して、自分をさらけ出すことに心がけた。あ
りのままの自分を、ありのままに話す。それで相手が、私のことを、「おかしい」と思っても気に
しない。そのときは、そのとき。

 自分に居直ったわけだが、そうすることで、私は自分にすなおになることができた。そう、もと
もと、私は、どこかゆがんだ人間だった。(今も、ゆがんでいる?)私のこうした生きザマが、ギ
クシャクした親子関係で悩んでいる人のために、一つの参考になればうれしい。

【注】この原稿は、W小学校区の教員研修会のための資料として書き始めたものです。まだ公
表できるような段階ではないかもしれませんが、マガジンにこのまま掲載します。時期をおい
て、また書き改めてみます。
(031121)

(※1)実際には、人知れず子どもを愛することができないと悩んでいる母親は多い。「弟は愛
することができるが、兄はどうしてもできない」とか、あるいは「子どもがそばにいるだけで、わ
ずらわしくてしかたない」とかなど。

私の調査でも子どもを愛することができないと悩んでいる母親は、約一〇%(私の母親教室で
約二〇〇人で調査)。東京都精神医学総合研究所の調査でも、自分の子どもを気が合わない
と感じている母親は、七%もいることがわかっている。そして「その大半が、子どもを虐待して
いることがわかった」(同、総合研究所調査・有効回答五〇〇人・二〇〇〇年)そうだ。

同じく妹尾栄一氏らの調査によると、約四〇%弱の母親が、虐待もしくは虐待に近い行為をし
ているという。妹尾氏らは虐待の診断基準を作成し、虐待の度合を数字で示している。

妹尾氏は、「食事を与えない」「ふろに入れたり、下着をかえたりしない」などの一七項目を作
成し、それぞれについて、「まったくない……〇点」「ときどきある……一点」「しばしばある……
二点」の三段階で親の回答を求め、虐待度を調べた。その結果、「虐待あり」が、有効回答(四
九四人)のうちの九%、「虐待傾向」が、三〇%、「虐待なし」が、六一%であったという。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


子育て随筆byはやし浩司(357)

●講演についての感想(OCRによって収録)

【北浜東部中学校区三校PTA合同教育講演会のアンケート結果より】

【2003年10月23日(木)、浜北市文化会館ホールにて】

★子育ては、「子育てを子どもに教えること」ということが、とても印象に残りました。自分を見
つめる、よい機会になりました。


★自分に思い当たることが多く、考えさせられることばかりでした。


★あっという間に時間が過ぎてしまいました。またぜひ講演を聴きたいと思いました。本も読ま
せてもらいます。


★びっくりしました。目からうろこが落ちたような気がします。自分のことを考え直す、いい機会
になりました。子どもとの関係もそうですが、夫婦関係も見直すきっかけがつかめたように思い
ます。


★親の目線で、お話が聞けたのでよかったです。


★身にしみる話でした。すぐに自己分析し始めました。


★子どもの声に、もっと耳を傾けようと思いました。


★わかりやすい言葉、表現で、非常によくわかった。はやし先生の講演、近々、ぜひまたお聞
きしたい。


★もっと詳しく聞きたかったです。


★迫力のある話で、参考になりました。


★忘れていた大切なことを思い出したような気がしました。


★わかりやすいお話で、共感できることや、教えられることが多くあり、勉強になりました。


★とてもハッとする講演だった。考えさせられることが多かったです。自分ひとりで悩み、考える
ことが多い、今日このごろですが……。とてもよかったです。心が軽くなったような気がします。


★昔から言われているとおりで、親の背を見て、子は育つということ、そのものであると思いな
がら、聞き入りました。


★子どもを愛すること!!、むずかしいですね。でも、私は子どもが大好きです。子どもに教え
られることって、とても多いです。子育てをしながら、自分も成長していきたいと思います。あり
がとうございました。


★とてもよい勉強になりました。子どもの心を大切にして、子育てをしていきます。


★話がよくわかり、とてもおもしろかったです。子育ての意義について、本当に考えさせられま
した。


★お話のされ方も、とても上手で、聞きやすかったです。


★自分の子育てに当てはめると、怖い気もしました。反省させられました。良いお話でした。


★ご自身の経験から、とても貴重なお話が聞けました。最近のニュースからも、話題を取りあ
げてくださり、とても興味深く、聞けました。


★とても自分のためになって、良かったと思います。中学一年の息子について悩んでいました
が、自分の子育てに対し反省する、いいお話でした。聞いてよかったです。息子との関係も、ヒ
ントになることがいっぱいでした。ありがとうございました。


★とてもよかったです。思わず、あっと思うことがありました。これから、子どもと向きあう姿勢
を、考えなおしたいと思いました。何でもないような子どもの話でも、もっとしっかりと聞きたいと
思います。


★心が洗われるような気持になりました。


★子育てについて、今一度、考えさせられました。


★先生のお話をうかがって、反省することがとても多く、ショックでした。でも今からでも自分を
変えていけることから、改善していこうと思います。ありがとうございました。


★自分の子育てについて、反省させられました。自信をもった子育てがしたいと思いました。


★自分の中にも、先生と同じ体験があり、真剣に聞き入ってしまいました。おそらく自分も、子
どもに対して、反射的に自分であって、自分でないところが、出ているのかもしれません。今一
度、自分を見つめなおしてみたいと思います。ありがとうございました。


★今日は時間をつくって、講演に来て、とても良かったです。もう少し、話を聞きたかったです。
明日から、自分でもできることを、もっとしてみたいです。


★子どものことを、どれほど私自身が理解しているのだろうと思いました。もっと子どもを見つ
めて、もっと子どもの話に耳を傾けなければいけないと思いました。


★自分の小さいころのことを思い出して、自分はどのように育ったのかと考えさせられました。
自分の子どもは、本当にまっすぐに育っているのだろうか、自分ときちんと信頼関係をもってい
るのだろうかと、どきどきしながら聞いていました。


★自分と両親の関係を顧みる、よい機会になりました。自己開示できるといいなあと、常々思
っています。


★自分自身をさらけ出すことの重要性を知りました。


★とても活気のある、元気な講演でした。自分の先生と同じようだったなあと思い出し、自分を
さらけ出せない人間だとも、気づかされました。子どもは、それぞれちがいますが、それぞれに
自分をさらけ出し、良い信頼関係が結んでいけたらなあと思いました。


★はやし先生の体験が、身近で、たいへんわかりやすかったです。


★具体的な例などをあげてお話しいただき、とてもよくわかりました。子育てについて、反省さ
せられるべき部分も、多くありました。今後は、自分の言動を考え、子育てをしていきたいと思
います。ありがとうございました。


★子どもがもう中学生なので、もう少し小さいときに話をうかがっていれば、子育てに役立った
のではと思いました。


★子育てに対する考え方が少し変わりました。今までの子育てを振りかえり、先生の言われて
いたことが、納得できることばかりでした。またインターネットを使って、先生のお話を聞きたい
と思いました。


★お話を聞いていて、自分や自分の子どもについて考えてしまいました。私の子は、私に心を
さらけ出しているのか。心の休まる家庭であるのか。……ちょっと心配になってしまいました。


★はやし先生の大ファンなので、お話が聞けて、良かったです。


★毎年、はやし先生のお話を聞きたいと思うような内容で、とてもよかったです。


★たいへん熱のこもった講演で、感動しました。ホームページにもアクセスして、今の気持を忘
れずに、また自らの子育ての現場で、励みたいと思います。


★ご自身の経験談をお話くださったことが、良かったです。そのような家庭環境に育ちながら
も、ご立派に活躍なさっている先生は、すばらしいと思いました。将来に希望がもてたような気
持です。ありがとうございました。


★新聞や、「ファミリス」でも、先生の話をよく読ませていただいています。「子どもに子育てのし
方を教える」を聞き、今一度、考えさせられる部分が、多かったです。自分をみつめなおす、よ
い機会になりました。


★中日新聞に連載されていたはやし先生の文章が好きで、毎回読ませていただいていまし
た。今回の講演も、よい内容でした。ホームページを見てみたいと思います。


★いい意味で、どきどきしながら聞いていました。とくに子育ては、子を育てることではなく、
今、自分のやっていることが、子どもたちが大きくなって、孫に同じことをやるということ。親で
ある、一人の人間の責任であるということが、印象に残りました。子どもの心を第一に考えなが
ら、生きていきたいと思いました。はやし先生自身が、ご自分の心のトラウマについて話してく
ださり、勇気のある方だと思いました。何だか私も、気が楽になったような感じでした。もっと話
を聞きたくなりました。また来てください。子どもたちにも、話をしてください。


★先生の講演は、今回で、四回目となりますが、今までとは違い、自分のことをさらけ出して話
してくださり、今までとはずいぶん感じ方が違いました。自分の子どものことを照らし合わせな
がら、それとともに(自分も幼児教育に携わっている者として)、自分の仕事と照らし合わせな
がらお聞きし、たいへん勉強になりました。もう少し時間を長くしていただきたかったです。あり
がとうございました。


★とてもおもしろく話をしてくださり、よかったです。子どもが小さいときに語った夢は、だいじに
してあげねばならないと思いました。また子どもとの信頼関係を、小さいときから築いていくこと
が大切だと思いました。親子で、何でも言いあえる関係になれたらいいなと思いました。


★私自身、子ども時代、家庭に問題がありました。自分の生い立ちに不幸を感じ、子育てにつ
まずいたとき、両親や過去を恨むことがありました。今日、先生の話を聞き、自分だけではな
いのだ。私には私の人生がある。道がある。切り開いていけばいいのだと感じました。本当に
ありがとうございました。


★幼児教育の大切さ。家庭教育の大切さが感じられた。まっすぐな心の子(小学生)が、多い
ことに気づかされた。心の窓を開いた家庭、社会、学校が大切だということ、この理解をもと
に、今後の自分のあり方に、気をつけていきたいです。

(まとめ、北浜東部中学校区三校PTA教育講演会事務局・北浜東小学校教頭・NM)

+++++++++++++++

【後日談】

 実は、当日、午後八時二〇分までに終わるように指示されていました。そこでいつもの私の
やり方で、手に「8:20」と書いたのですが、(その時刻に終わるために……)、途中で、「8:4
0」と読みまちがえてしまいました。

 ちょうど八時一〇分くらいになったとき、心づもりでは、八時二〇分に終わる予定で、結論の
部分を話し始めていました。が、手を見て、突然、「あっ、八時四〇分だ!」と、あわててしまっ
たわけです。

 で、最後の二〇分くらいは、頭の中をあちこちさがしながら、時間をもたせました。しかしこれ
は私のミスによるものです。

 で、それに気づいたのは、帰りの車の中でした。ああした会場では、きちんとその時刻どおり
に終わらないと、会場の係の人に、いろいろな迷惑がかかってしまいます。「ああ、今日の講演
も失敗だった」と、そのときは、そう思いました。

 しかしこうして感想を届けてくださり、またそれを読んで、少し、ほっとしました。浜北市東部中
学校区のみなさん、どうもありがとうございました。このところ、何かと落ちこむことばかりで、元
気がないのですが、皆さんからの感想を読ませていただき、また元気が出てきました。
(031121)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(358)

●デニーズのメモから、「アメリカ人の食生活」について

I am finally writing a memo. I am sorry that it has taken me so long. 
私の考えを書きます。書くまでに長い時間がかかってしまいました。

On Sunday, there was a sermon about stewardship. 
日曜日に、奉仕についての説教が教会でありました。

The pastor pointed out that stewardship was not just being good with money, but that it 
included other things such as time and resources. 
牧師は、奉仕というのは、お金だけの問題ではないといいました。それには、たとえば時間や、
モノのようなものも含まれると、です。

I agree with him. However I realized throughout the sermon that there was one important 
resource we as Christians in America have with which I do not believe we as Christians are 
good stewards: our bodies. 
私は牧師に賛成ですが、その説教を通じて、アメリカに住むキリスト教徒として、私たちがもつ
大切なモノがあることに気づきました。それは、つまり私たちが、キリスト教徒として、よい奉仕
者ではないということです。そのモノとは、私たちの体のことです。

The pastor pointed out that if we are in debt, we are not as free to serve the Lord as if we 
were in no financial bondage. 
牧師は、もし私たちが借金をしているなら、経済的な束縛があるように、主に対して、自由な気
持で使えることはできないと言いました。

I feel it is the same with our human bodies. 
私は、それは、私たちの体と同じだと感じました。

As long as Christians in America see our bodies as a tool for our pleasures, we will not have 
the freedom to serve God to the best of our abilities.
アメリカのキリスト教徒たちが、自分の肉体を、楽しみのためだけに見るかぎり、私たちの能力
の最大限まで、神に仕えることはできないでしょう。

 We endanger ourselves with the risk of heart attacks, diabetes, emotional upheaval, and 
and other health risks when we eat whatever we want without giving ourselves decent 
nutrition.
私たちは、もし、栄養状態にもっと注意を払わなければ、心臓発作の危機に直面するでしょう。
糖尿病や感情の動揺、そしてほかの病気なども、です。

 I am not mentioning drugs, alcohol, smoking, or irresponsible sex because Christians in 
America understand too well not to do those things; it is something they are taught multiple 
times from birth, but we have not been taught how to be good stewards of our bodies. 
私はドラッグや、アルコール、喫煙や無節制なセックスについて述べているのではありません。
なぜならアメリカのキリスト教徒は、これらには手を染めないよう、よく理解しているからです。
それは何というか、誕生のときからの問題です。つまり私たちは、私たちの体に対して、よき奉
仕者ではないように思うのです。

I recently came back from Japan. 
私は最近、日本から帰ってきました。

While I was there, I had several realizations. 
日本にいる間、いくつかのことに気づきました。

The size of an American is not the average size of a human being, nor should it be. In Japan, 
they see junk food as that, junk.
アメリカ人の体のサイズは、標準的な人間のサイズでは、絶対、ないということです。日本で
は、ジャンクフード(コーンフレーク類の食べ物)を、ジャンクとみています。

 It is something they treat themselves to on rare occasions, but not on a daily basis. 
そういう食べ物を、日本では、まれにしか食べません。少なくとも、毎日は食べません。

I was not overweight when I visited Japan, but I realized that I had been hurting my body all 
of my life. 
私は決して太っていませんが、日本へ行ったとき、私はアメリカにいたとき、自分の体を痛めて
いたことに気づいたのです。

In Arkansas, if you try to eat healthy, people assume you are doing it to gain sexual appeal. 
アーカンサスでは、健康的な食生活をしている人というのは、性的なアピールをますためにそう
しているのだと考えられがちです。

And usually that is the case. 
実際、ふつうそうです。

But health is very important. 
しかし健康というのは、とても重要なものです。

I used to eat chocolate too much, I'm talking over a pound a week. 
私はチョコレートを、食べすぎなほど、たくさん食べていました。一週間に一ポンド以上は食べ
ていました。

Soichi has noticed that my moods are much steadier now that I don't force so much 
seratonin into my body.
夫の宗市は、私が、このところあまりチョコレート(セロトニン)を食べないので、私の気分が落
ち着いてきていると指摘しました。 

In Japan, poeple only eat fast food about once a month, that's right--once a month.
日本では、一か月に一度くらいしか、ファーストフード(ジャンクフード)を食べません。本当に一
か月に一度程度です。

 Sadly, it is becoming more and more the norm there, though. 
悲しいことに、ここでは、そういう食事が、どんどんとふえています。

And things we as Americans believe are healthy are really not. 
私たちアメリカ人が、健康的だと思っているものでも、そうではないということです。

We eat way too much meat and not enough fish. 
私たちはあまりにも多くの肉を食べ、魚を食べません。

We definitely don't eat enough fruits or vegetables, and have little variety in the ones we do 
eat. 
じゅうぶんな果物や野菜を食べません。それに食べ物の種類が少ないです。

I am not saying this to make people just feel bad.
こんなことを書いて、みなさんの気分を悪くしたいのではありません。

 I want us to realize that we have been in ignorance, but we don't have to be forced into 
staying that way. 
私たちは、無知だということを、気がついてほしいのです。またそのように、しろと言っているの
でもありません。

I have noticed that there are many financial classes in churches now to help families 
balance their incomes. 
教会には、いろいろな家計クラスがあって、彼らの家計について、いろいろと助けています。

I think that it would be great if we could start nutrition and health courses for the same 
thing. 
同じように、私たちが、栄養と健康についてのコースを始めたら、すてきなことだと思います。

Since our culture has refused to teach us well, I think the church aught too. 
私たちの文化にそういう部分がなければ、教会がそれをすればよいのです。

It is very hard for mothers of young children to have time to exercise or learn the 
nutritional info on their own. 
小さな子どもをもつ母親たちが、自分たちの栄養情報をもち、それを実行することは、困難で
す。

Wouldn't it be great if we could grab the most influential people in the next generation's lives 
and teach them the truth? 
つぎの世代の、影響力のある人々を、つかみ、その真実を教えることは、すばらしいことでは
ないでしょうか。

Our children could be freed from many bondages if we cared enough. But do we? 
私たちの子供たちは、十分なケアを受ければ、多くの束縛から解放されることでしょう。しかし
それをすることは可能でしょうか。

I feel intimidated and ashamed to bring up a topic.
こんな話をすることに、どこか心恥ずかしさを覚えます。

 It seems that mentioning health factors related to food makes one a self-absorbed jerk 
here, a judgmental fanatic. 
食べ物に関して健康について話すと、ここでは自己陶酔者と思われがちです。

In the Bible, drunkeness and gluttony are often mentioned together, but I have yet to hear 
both topics mentioned at the same time in church. 
聖書の中には、飲酒と大食がいつも、いっしょに述べられていますが、教会でも、同じように、
これらの問題について語られるべきではないでしょうか。

If anyone out there agrees with me, please let me know. 
どなたか、私に賛成する人は、どうかお知らせください。

I would really like to help if this is where God can use me, but I don't want the whole church 
hating me. I know I shouldn't care, but I do.
もしこのことで、神が、私を必要とするなら、私はそうします。そしてどうか教会のみなさんが、
私を嫌わないでほしいと思います。気にすべきでないかもしれませんが、私は気にしますので
……。

++++++++++++++++++++

(はやし浩司より)

 こうした問題の背景として、アメリカ人の大食と肥満の問題がある。こうした問題に触れるの
は、アメリカではタブー視されている。相手の人に向かって、肥満を問題にすること自体、差別
と、とらえられる。それに太っているかいないかは、あくまでも、本人の問題であって、他人がと
やかく言う問題ではないという考え方もある。

デニーズは、そうしたタブーに、あえて自ら挑戦しようとしている。そういう部分も理解して、デニ
ーズのメモを読む必要がある。
(031121)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(359)

●K君のこと

 浜松へ来たころ、私は家庭教師をしていた。最初に教えたのが、K君という男の子(中二)だ
った。そのK君には、何も問題はなかったが、月を重ねるごとに、K君の家に行くのがいやにな
ってしまった。

 月謝の支払い方が、めちゃめちゃだった。一応、月の終わりに、月謝を払ってもらうことにな
っていたが、時には、一か月遅れ、二か月遅れになった。しかも請求しなければ、払ってもらえ
なかった。

 その上、請求したからといって、すぐ払ってもらったわけではない。請求しても、そのつど、母
親は、適当なことを言った。かなり見栄っ張りな人で、生活ぶりは派手だったが、家計は、多
分、火の車だったと思う。

 そのときの自分を、今でも、よく思い出す。そして思い出すたびに、「どうして?」と思う。どうし
て、ああまで不愉快に思ったのか、と。

 一つには、私の性分がある。私は、ほかの面では、結構ルーズな人間である。どちらかとい
うと、チャンポラン。そのほうが、居心地がよい。しかし、お金については、きびしい。こういうの
を、「反動形成」というのか。自分のいやな面をカバーしているうちに、そのいやな面と反対の
自分を、形成するようになる。

 よくあるケースは、上の子ども(兄)が、下の子ども(弟)に対して、親切にしたり、やさしくした
りするなど。内心では、下の子どもを憎んでいるが、露骨にそれを表現すると、自分の立場が
なくなってしまう。だから「いいお兄ちゃん」に、なりすます。「いいお兄ちゃん」を演ずることによ
って、自分の立場を守ろうとする。

 だから私は、学生時代から、お金を借りたことはない。何かの支払いも、一週間以内には、
すべて払うようにしている。そしてK君を家庭教師するようになったあと、その傾向は、ますます
強固なものになった。

 以来、三〇年以上になるが、この三〇年間で、借金をしたことは、ただの一度もない。支払
いにしても、一週間を置いたことはない。翌月でよいと言われても、私は、一週間以内に支払
っている。

 で、その一方で、お金にルーズな人を見ると、反対に、今でもイライラする。それはその人に
対してイライラするというよりは、ここに書いたように、自分の(いやな面)を見せつけられるよう
に感ずるからではないか。

 人間というのは、おもしろいもので、自分そっくりの人間に対しては、愛着と憎悪の二つの感
情をもつ。自分の中の好ましい部分を見せつけられるときは、その人に好意をもち、そうでな
いときは、その人を嫌う……?

 お金にルーズな人を見て、イライラするのは、「自分は、そうなりたくない」という思いがあるた
めかもしれない。で、それにしても、思い出すのが、あのK君の母親である。私という人間を、き
わめて軽く見ていたということもある。当時の私は、二〇数歳。結婚はしていたが、存在感は、
まったくなかった。

 こういう経験から、こんなことが言える。

 何かに、ふつうでない「こだわり」をもつ人というのは、自分自身の欠点や欠陥の裏がえしで、
そうなっていることが多いということ。こうした例は、いくらでもある。

 背の低い人が、自分より背の低い人を、さげすみ、笑う。

 泥棒は、自分の家の戸じまりが、厳重。

 女遊びばかりしている男は、自分の娘の外出に、きびしい。

 学歴コンプレックスをもっている親は、子どもの勉強に、熱心など。

 ……と話が、どんどんと脱線してしまった。要するに、私がお金にルーズな人も嫌うのも、ま
た私がお金にきびしいのも、結局は、自分自身の欠陥の裏がえしにすぎないということ。私が
それだけ高潔であるとか、あるいは誠実であるということではない。

先に「性分」という言葉を使ったが、それは性分でも何でもない。その性分すらも、私自身によ
って、作られたものだということになる。

 ……と、またまた話が、どんどんと脱線してしまった。だからこのあたりで、この話はやめる。
それに、今、ここに書いた文章を読みかえしてみたが、まったく、まとまりがない。

 で、それからしばらくして、私はK君の家庭教師をやめた。ただやめたときの状況は、よく覚え
ていない。多分、そのあと、一度だけ、きちんと月謝を払ってくれたときがあったが、その日を
境に、何か理由をつけて、家庭教師をやめたと思う。「もう、こりごり」という思いだけは、今でも
よく覚えている。

今、K君のことをふと思い出したので、ここに記録することにした。そのほかの、反動形成だの
何だの、ゴチャゴチャした話は、どうでもよい。忘れてほしい。
(031121)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


子育て随筆byはやし浩司(360)

ADHD児(第1回)

●この12月に、K市W小学校区、教員研修会のための資料を整理しています。その席で、A
DHD児と不登校児についての、私見を述べることになっています。その資料を、ここに公開し
ます。

●全体で、A4原稿で、70ページ以上ありますので、今回から、何回かに分けて、お送りしま
す。今回(第一回)は、ADHD児の歴史と、診断基準について、報告します。どうか、参考にし
てください。


++++++++++++++++

ADHD児(第1回目)
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ADHD児には、前兆があります。その時期にその前兆をしっかりととらえ、適切に対処すること
が必要です。ADHD治療薬として知られている、「CONCERTA」を発売する、MCNEIL社が
主宰するホームページからの記事を中心に、ADHD児と、アメリカの現状について、レポートし
ます。

                     はやし浩司

アメリカの雑誌「Better Homes」(1)を読んでいた。ごく広く、一般に読まれている、婦人雑誌
である。
その中に、「ADHD児をもつ保護者のためのコマーシャルページ」(2)があった。しかもその間
には、「指導」を申し込むための、カードも挿入されていた。

アメリカでは、ADHD児に対して、広く薬物治療がなされている。
よく知られている薬物としては、つぎのようなものがある。(市販名)

CONCERTA 
Adderall XR
Adderall generic amphetamine salts
Ritalin genetic methylphenidate
Strattera

こうした事実からも、アメリカでは、ADHD児の問題は、学校という閉ざされた世界だけの問題
ではなく、広く、一般世間の問題として認知されていることがわかる。

以下は、その「指導」を主宰する、
MCNEIL FULFILLMENT CENTERが発行する、ホームページからの記事を、翻訳したも
のである。
(転載許可については、MFCに、申し込み中)

+++++++++++++++++++++

       Focus on ADHD 
                 ADHDについて
c McNeil Consumer & Specialty Pharmaceuticals, a Division of McNeil-PPC, Inc.
2000-2003 makers of CONCERTAR (methylphenidate HCl) CII
Ft. Washington PA, USA. All rights reserved.
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History of ADHD Diagnosis and Treatment
 ADHDの診察、および治療の歴史
●100 Years of ADHD History(100年の歴史)
Symptoms of Attention Deficit Hyperactivity Disorder (ADHD) were first observed among 
children in the early 1900s, with the behaviors extensively studied for more than 50 years. 
You may have already heard of Attention Deficit Disorder (ADD). Although ADD may be the 
more well-known name to describe the symptoms associated with the disorder, ADD is 
considered a subclassification of ADHD.
● 
●1902: ADHD "Discovered"(1902年に、ADHDが発見された)
In a paper on the development of treatment models for ADHD, Ian N. Ford, BA, DMS, FRSH, 
explained that much of the early clinical work on ADHD and associated disorders came from 
England. In 1902 British pediatrician G.F. Still first described hyperactive behavior in children 
as a "defect of moral control." However, he also believed that a medical cause, and not a 
spiritual one, was at the root of this yet to be discovered diagnosis.

●1937: Medical Treatments May Help(1937年に医学的治療がなされた)
In 1937, doctors discovered that amphetamines could be used to reduce hyperactive and 
impulsive behaviors. (多動性を抑えるために、アンフェタミンが使われた。アンフェタミンは、食
欲抑制剤として、よく知られている。)

●1950s: Stimulants First Used as Therapy(1950年代に、治療として、刺激剤が使用され
た)
In the 1950s, stimulant medication (i.e., amphetamines, methylphenidate) became used as 
therapy for hyperactivity and impulsive disorders. 

●1960s: Stimulants Became Widely Used(1960年代になると、刺激剤が広く使われるように
なった)
Dr. Ford noted that it was only after researcher Stella Chess coined the term "Hyperactive 
Child Syndrome" in the early 1960s, that stimulants became a widespread treatment. He 
also said that Chess felt the "syndrome" had a biological cause, even though many others 
at the time believed the cause to be anything from poor parenting and food additives to 
environmental toxins.

●1980s: ADHD Officially "Classified" Under its Current Name(1980年代に、ADHDという
名前が、今日のように、一般的な言葉として、使われるようになった)
By 1980, the American Psychiatric Association identified a collection of behavior patterns 
as Attention Deficit Disorder with or without hyperactivity. They named these disorders 
ADHD and ADD respectively.
In 1987, ADD was renamed Attention Deficit Hyperactivity Disorder to include the 
symptoms of hyperactivity-impulsivity as well as inattention. The APA classified ADHD as a 
medical condition that causes specific behavioral problems. They also noted that the 
behavioral problems caused by ADHD are different from behavioral problems that may be 
caused by an upsetting event like divorce, changing schools, or moving to a new area.

●2000: First Once-Daily, 12-Hour Release Medication Available(2000年になって、一日一
度、12時間の治療行為が、政府によって承認された)
In 2000, the U.S. Food and Drug Administration approved the first once-daily 12-hour ADHD 
medication which provided improvements in attention and behavior. Click here for more 
information on this medication.

●2001-2002: New ADHD Treatment Guidelines, Practice Parameters(2001−2002に、新
しいADHDの治療基準が確立された)
In October 2001, the American Academy of Pediatrics published recommendations for the 
treatment of children diagnosed with ADHD in the journal Pediatrics. The guideline is 
intended for use by pediatricians working in primary care settings. Recommendations for 
doctors are as follows:
(以下が、ドクターのための、治療基準である)
●Primary care doctors should establish a treatment program recognizing ADHD as a 
chronic condition. 
●The doctor, parents, and child-working together with school personnel- should specify 
appropriate goals to guide the daily management of ADHD. 
●The doctor should recommend stimulant medication and/or behavior therapy as 
appropriate to improve target outcomes in children with ADHD. 
●When the selected management for a child with ADHD has not met target outcomes, 
doctors should evaluate the original diagnosis, the use of all appropriate treatments, 
whether the treatment plan was followed properly, and the presence of coexisting 
conditions. 
●The doctor should periodically provide follow-up for the child with ADHD. Monitoring 
should be directed to target outcomes and adverse effects (i.e., negative side effects), with 
information gathered from parents, teachers, and the child. 

In February 2002, the American Academy of Child and Adolescent Psychiatry also published 
stimulant medicine practice parameters to aid physicians in the use of stimulant 
medications in children, adolescents, and adults. The guidelines, which were determined 
through extensive, independent reviews of literature and expert consultant interviews, 
provide physicians with evidence-based recommendations for the treatment of ADHD with 
stimulant medications. 

●2002: Non-Stimulant Medication Approved(2002年に、政府は、非刺激性の医療行為を
承認した)
In November 2002, the U.S. Food and Drug Administration approved a non-stimulant 
medication for the treatment of ADHD.

+++++++++++++++++++++++

Childhood ADHD (子どものADHD)
According to the National Institutes of Health, ADHD is the most commonly diagnosed 
behavioral disorder of childhood. In fact, ADHD is estimated to affect up to 5% of school-age 
children. But sometimes it can be hard to know if a child's over-activity or inattention is 
normal for his or her age, especially because children with ADHD do the same things that 
other children do. An evaluation by a doctor can help rule out other possible explanations 
for the symptoms of ADHD, and recommend treatments that can help.
(ADHDというと子どもの問題と考えられている。事実、子どもの5%に、ADHD児が発見され
ている。しかし多動性があるからといって、そうでない子どもとの区別がむずかしい。)

●Diagnosing Childhood ADHD(子どものADHD児の診断)
Diagnosing ADHD can be difficult, and requires information from a number of sources, 
including parents, doctors and teachers. A proper diagnosis depends on the report of 
characteristic behavior and observations, input from the child, and a doctor's evaluation.
A positive diagnosis of ADHD, especially in children, requires:
●Symptoms of inattention and/or hyperactivity-impulsivity have been observed for at 
least six months. With ADHD, these symptoms will be more frequent and severe than 
typically seen in individuals at a comparable level of development.
●Some symptoms have been present before age seven.
●Symptoms have been present in at least two settings-for instance, at school and at 
home. 
The symptoms have affected social or academic functioning. This means above all, the 
symptoms must be interfering with a child's daily functioning

 ●American Psychiatric Association's Diagnostic Criteria for ADHD(ADHD児の診断基準)
The American Psychiatric Association's Diagnostic and Statistical Manual of Mental 
Disorders (DSM-IV), lists the following symptoms for inattention and hyperactivity-
impulsivity: 

●Symptoms of Inattention(注意力散漫の診断基準)
1.Often fails to give close attention to details or makes careless mistakes in schoolwork, 
work, or other activities. 
2.Often has difficulty sustaining attention in tasks or play activities. 
3.Often does not seem to listen when spoken to directly. 
4.Often does not follow through on instructions and fails to complete schoolwork, chores, or 
duties (not due to oppositional behavior or failure to understand instructions). 
5.Often has difficulty organizing tasks and activities. 
6.Often avoids, dislikes, or is reluctant to engage in tasks that require sustained mental 
effort (such as schoolwork or homework). 
7.Often loses things necessary for tasks or activities (toys, school assignments, pencils, 
books, or tools). 
8.Is often easily distracted by extraneous stimuli 
9.Is often forgetful in daily activities. 
1 学校での学習面において、こまかいことに集中できず、不注意なまちがいをしばしば繰りか
えす。
2 勉強や、運動面において、注意力を集中することが、しばしば困難である。
3 直接話しかけられても、しばしば聞いていないように見える。
4 先生の指示に、しばしば従うことができなかったり、学校での勉強や、合唱、すべきことが、
しばしばできない。(ただし反抗的な態度だったり、指示の内容が理解ができなくて、そうなるの
ではない。)
5 勉強や活動をまとめることが、しばしばできない。
6 持続的な集中が必要な作業において、しばしば、それを避けたり、嫌ったり、取り組むのを
いやがったりする。(たとえば宿題など)
7 勉強や活動に必要なものを、しばしばなくしたりする。(おもちゃや、学校の成績表、鉛筆、
本、道具など)
8 しばしば外部からの刺激で、気が散ってしまう。
9 毎日の活動において、忘れっぽい面が見られる。
 ●Symptoms of Hyperactivity/Impulsivity(多動性の診断基準)
1.Often fidgets with hands or feet or squirms in seat. 
2.Often leaves seat in classroom or in other situations in which the child is expected to 
remain seated. 
3.Often runs about or climbs excessively in situations in which it is inappropriate (in 
adolescents and adults, may be limited to subjective feelings of restlessness). 
4.Often has difficulty playing or engaging in leisure activities quietly. 
5.Is often "on the go" or often acts as if "driven by a motor." 
6.Often talks excessively. 
7.Often blurts out answers before questions have been completed. 
8.Often has difficulty awaiting turn. 
9.Often interrupts or intrudes on others (butts into conversations or games). 
1 手や足を、しばしばもじもじさせたり、席に座って、もがく。
2 教室でも、ほかの子どもたちが、座っていられるような状況でも、しばしば席を離れる。
3 そうしてはいけないとわかっているような状況で、しばしば走り回ったり、まわりのものに登
ったりする。(青年期やおとなになってからは、感情が落ちつかないといった様子を見せる。)
4 レジャー活動などを楽しんだり、することについて、しばしば静かにできない。
5 しばしば行動が暴走したり、モーターで動くように、行動が制御できなくなる。
6 しばしば一方的に、しゃべりつづける。
7 質問内容をじゅうぶん聞かないうちに、しばしば唐突に答を言ったりする。
8 しばしば自分の順番を待つことができない。
9 しばしばほかの子どもに割り込んだり、ほかの子どもをさえぎったりする。(会話やゲームに
干渉したりする。)
The first step in getting help for ADHD is making a correct diagnosis. After the diagnosis is 
made, a number of different treatments can offer help for people who have been diagnosed 
with ADHD.

The information on this page is intended to help you identify behaviors and signs that may 
be consistent with ADHD. Talk to your doctor or your child's doctor if you recognize any of 
these symptoms. He or she can guide a proper diagnosis and recommend the right 
treatment. Print the symptoms checklist to help guide your discussion with your doctor.

 ●Diagnosis Subtypes(類似タイプ)
While most people with ADHD experience a combination of inattention and hyperactivity-
impulsivity, in most cases, one symptom pattern may stand out. To make the distinction 
between symptoms, doctors classify ADHD diagnosis into three subtypes. (つぎの3タイプに
分けて考える)

●Predominantly Hyperactive-Impulsive(顕著な衝動的多動性)
A person may be diagnosed "Predominantly Hyperactive-Impulsive" if he or she has:
●Six (or more) symptoms of hyperactivity-impulsivity. 
●Fewer than six signs of inattention, that have lasted at least six months. However, it is 
important to note that inattention may still be a significant feature. 

●Predominantly Inattentive(顕著な怠慢性)
A person may be diagnosed as "Predominantly Inattentive" if he or she has: 
●Six (or more) symptoms of inattention. 
●Fewer than six signs of hyperactivity-impulsivity, that have lasted at least six months. 
 

●Combined Type(複合タイプ)
A person may be diagnosed as the "Combined Type" if he or she has: 
●Six (or more) symptoms of hyperactivity-impulsivity. 
●Six (or more) signs of inattention, that have lasted at least 6 months. 

Most children and adolescents with ADHD are diagnosed as the "Combined Type." ●Four 
Signs(4つの兆候)
Medical help may be needed if inattention or hyperactivity is causing significant problems at 
home, in school, and with relationships. Talk to your doctor if you have observed these 
behaviors. He or she can evaluate your child and determine the right course of treatment. 
In identifying ADHD, doctors often look for four major signs. In their book, The A.D.D. Book, 
New Understandings, New Approaches to Parenting Your Child, William Sears, M.D., and 
Lynda Thompson, Ph.D. talk about the four signs as follows:(つぎのような兆候が見られたら、
ドクターに相談したらよい。)
●Selective Inattention-Instead of maintaining a relatively even attention span, children 
with ADHD fluctuate between inattention and hyperfocusing-showing extended 
concentration on things like video games, TV, or something that is of particular interest to 
them.
●Distractibility-A child quickly jumps from one idea or activity to the next, often without 
completing the thought or task. The child may also "daydream" when you are talking to him 
or her.
●Impulsivity-A child with ADHD often acts without thinking, says things repeatedly, or 
makes careless errors on schoolwork.
●Hyperactivity-Not everyone who has ADHD is hyperactive, but identifying this trait may 
make the diagnosis easier. 
(1)不安定な集中力……ADHD児は、不注意な面が見られる一方、異常なまでの集中力、た
とえばテレビゲームやテレビなど、自分が興味あるものについては、ふつうでない集中力をみ
せるなど、その集中性が一定していない。

(2)散漫性……一つの仕事や考えを完成させる前に、一つの考えや行動から、つぎの考えや
行動にジャンプしてしまう。話しかけても、ぼんやりとうわの空になることがある。

(3)衝動性……ADHD児は、しばしば考えることなしに、同じことを繰りかえしたり、学習面で、
不注意な失敗をする。

(4)多動性……ADHD児だからといって、多動性があるわけではない。しかしこの多動性があ
れば、診断ははやくできる。
+++++++++++++++++++++

Teenage ADHD(ティーンエイジのADHD)
For years, doctors thought that children outgrew ADHD symptoms by the time they 
reached adolescence. But for many teens, this is not the case. In fact, about 70% of children 
with ADHD have problems with impulsivity, problem solving, decision making, and inattention 
throughout their teenage years. 

●From Child to Teen: The Picture Changes(子どもから、一〇代の少年少女へ、変わる様
子)
In an article published in the journal Contemporary Pediatrics, Martin Baren M.D. notes that 
as children with ADHD reach adolescence, the characteristics of the condition typically 
change. During adolescence, some symptoms become less noticeable, including 
hyperactivity, attention span, and impulse control. As a result, many teens who were 
diagnosed with the Combined Type of ADHD no longer meet the criteria. However, 
impulsivity is still a major problem for many ADHD teens, and can cause difficulties with 
school, work, family, and social relationships.
(子どもの時代の症状は、外からはわかりにくくなる。たとえば、多動性、注意力散漫、衝動的
な行動などは、姿をひそめる。しかし一〇代になっても、衝動的行為は、大きな問題として残
る。
Dr. Baren notes that, for ADHD teens, while independence and responsibilities increase, so 
may driving accidents, low self-esteem, drug and alcohol abuse or encounters with the law. 
Issues associated with identity, peer-group acceptance, and physical development can be a 
source of extra stress. In his work with ADHD teens, Dr. Baren has noted that adolescents 
often deny symptoms and refuse to take medication at school because they do not want to 
be 'different.' 
(独立心と責任感が大きくなる一方、交通事故、低い自己意識、薬物やアルコールの濫用、さ
らには犯罪に染まりやすい。そこで自分を認めさせ、同じような仲間の集まるグループでの治
療などを試みるが、しかしこれがうまくいかないケースが多い。子どものときとちがって、自分
がふつうでないことを認めるのをいやがり、しばしばその兆候をこの時期の子どもは否定し、
学校での治療を拒否する。)
Growing older and becoming more independent can be an exciting adventure for teens. 
Especially for ADHD teens 16 and older, learning how to set goals and make good decisions 
will help give them the direction they need to stay on course. But it is important for the 
ADHD teen to learn that managing symptoms is a key part of developing life skills and 
handling everyday situations. 
(この年齢の子どもには、人生の目標を設定することは、重要なことである。) 

●Evaluation and Diagnosis(評価と診断)
Since ADHD cannot be determined by a simple blood test or physical evaluation, the 
diagnosis should only be made after symptoms have persisted over an extended period of 
time, and interfere with a teen's ability to function. At that point, a thorough evaluation by a 
doctor experienced in ADHD diagnosis and treatment may be necessary. Also, a psycho-
educational evaluation can rule out associated learning disabilities and other illnesses and 
identify areas of strength and weakness.
(ADHD児は、血液検査などでは評価できない。そのため、ある一定期間の観察をとおして、ド
クターによる診断が必要である。)


●A Note About ADHD in Teenage Girls(一〇代の少女のついてのノート)
For girls and women, ADHD can be a hidden disorder, ignored or misdiagnosed by the 
educational and medical communities, which may cause these girls and women to suffer in 
silence. 
(少女にとっては、ADHDは、隠された障害となることが多い。そのため、人知れず苦しんでい
る少女や女性がいる。)
In view of the serious consequences of ADHD in adolescence and adulthood, there is an 
urgent need for increased awareness of the prevalence of this disorder in teenagers. 
Adolescent girls, often are not identified until school underachievement has become chronic. 
To prevent this from happening, earlier diagnosis and management are essential. Primary 
care physicians, pediatricians, and psychiatrists all must be able to recognize the symptoms 
of ADHD. 
(少女のばあい、学業不振が長く続いたようなとき、発見されることが多い。そのため初期段階
での適切な診断が大切である。)

Learn more about ADHD in teenage girls at the websites of the National Center for Gender 
Issues and ADHD and the National Women's Health Resource Center.
 ●Getting Help(助けを得る)
According to Dr. Baren, "Parents often incorrectly interpret restlessness and thoughtless 
behavior by teens as malicious, fueling negative reactions and increasing conflict. In the 
case of adolescents with ADHD, parent interaction and response is affected by ADHD 
symptoms. Parents should be guided toward reasonable expectations and accurate 
interpretation of their teens' behavior." 
Teenagers who have difficulties in school, with friends, or have ongoing negative thoughts 
about themselves may benefit from an evaluation. Treatment, including counseling and/or 
medication, may help address difficulties with concentration and attention span. Counseling 
can also help address emotional and social issues, including:
(つぎのような問題について、カウンセリングがなされることが望ましい)
●Anxiety (不安)
●Depression (うつ状態)
●Low self-esteem (低い自己意識)
●Problems with friends, family, and teachers. (友だちや先生との問題)
A few things that may point to having ADHD: 
1.General untidiness, in school and at home. 
2.Consistently late with assignments. 
3.Constantly losing things such as homework. 
4.Easily distracted with a brief attention span. 
5.Regularly running late for school. 
6.Everything with a deadline is done at the very last minute. 
7.An unusual sense of fairness. 
8.Many excuses for things not getting done. 
9.People think you are not listening when they are speaking to you. 
The Diagnostic and Statistical Manual for Primary Care, Child and Adolescent Version has 
formulated a behavioral description that differentiates normal developmental variations 
from behavioral problems and true disorders (ADHD)
傾向としては、つぎのようなことが、見られる。

1 学校や家庭における、一般的なだらしなさ
2 約束ごとについて、いつも遅れる
3 宿題などを、よくなくす
4 注意力が散漫で、短い間でも集中できない
5 いつも学校に遅刻する
6 いつも何かのことで、時間的にギリギリといった行動になる
7 公正さに対するふつうでない、感覚
8 できなかったことについて、言い訳をよくする
9 「君は、私の話をよく聞いていない」と、人から言われることが多い

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


子育て随筆byはやし浩司(361)

ADHD児(第2回)

●ADHD児の診断基準


(アメリカ・MCNEIL社のホームページより転載・翻訳。これらの記事は、非営利目的のため、
個人が参考文献として使うことは許可されていますが、それ以外の目的で使うことは禁じられ
ています。そのため、転載、引用などは、かたくお断りします。)

+++++++++++++++++++++
あなたの子どもは、だいじょうぶですか?
一度、自己診断してみてください。
+++++++++++++++++++++

 アメリカでは、ADHD児について、以下のような診断基準が、おおむね採用されている。日本
でも、約5%の子ども(二〇人に一人)が、ADHD児とみる。

【Symptoms of Inattention(注意力散漫の診断基準)】

1.Often fails to give close attention to details or makes careless mistakes in schoolwork, 
work, or other activities. 
2.Often has difficulty sustaining attention in tasks or play activities. 
3.Often does not seem to listen when spoken to directly. 
4.Often does not follow through on instructions and fails to complete schoolwork, chores, or 
duties (not due to oppositional behavior or failure to understand instructions). 
5.Often has difficulty organizing tasks and activities. 
6.Often avoids, dislikes, or is reluctant to engage in tasks that require sustained mental 
effort (such as schoolwork or homework). 
7.Often loses things necessary for tasks or activities (toys, school assignments, pencils, 
books, or tools). 
8.Is often easily distracted by extraneous stimuli 
9.Is often forgetful in daily activities. 

1 学校での学習面において、こまかいことに集中できず、不注意なまちがいをしばしば繰りか
えす。
2 勉強や、運動面において、注意力を集中することが、しばしば困難である。
3 直接話しかけられても、しばしば聞いていないように見える。
4 先生の指示に、しばしば従うことができなかったり、学校での勉強や、合唱、すべきことが、
しばしばできない。(ただし反抗的な態度だったり、指示の内容が理解ができなくて、そうなるの
ではない。)
5 勉強や活動をまとめることが、しばしばできない。
6 持続的な集中が必要な作業において、しばしば、それを避けたり、嫌ったり、取り組むのを
いやがったりする。(たとえば宿題など)
7 勉強や活動に必要なものを、しばしばなくしたりする。(おもちゃや、学校の成績表、鉛筆、
本、道具など)
8 しばしば外部からの刺激で、気が散ってしまう。
9 毎日の活動において、忘れっぽい面が見られる。


【Symptoms of Hyperactivity/Impulsivity(多動性の診断基準)】

1.Often fidgets with hands or feet or squirms in seat. 
2.Often leaves seat in classroom or in other situations in which the child is expected to 
remain seated. 
3.Often runs about or climbs excessively in situations in which it is inappropriate (in 
adolescents and adults, may be limited to subjective feelings of restlessness). 
4.Often has difficulty playing or engaging in leisure activities quietly. 
5.Is often "on the go" or often acts as if "driven by a motor." 
6.Often talks excessively. 
7.Often blurts out answers before questions have been completed. 
8.Often has difficulty awaiting turn. 
9.Often interrupts or intrudes on others (butts into conversations or games). 

1 手や足を、しばしばもじもじさせたり、席に座って、もがく。
2 教室でも、ほかの子どもたちが、座っていられるような状況でも、しばしば席を離れる。
3 そうしてはいけないとわかっているような状況で、しばしば走り回ったり、まわりのものに登
ったりする。(青年期やおとなになってからは、感情が落ちつかないといった様子を見せる。)
4 レジャー活動などを楽しんだり、することについて、しばしば静かにできない。
5 しばしば行動が暴走したり、モーターで動くように、行動が制御できなくなる。
6 しばしば一方的に、しゃべりつづける。
7 質問内容をじゅうぶん聞かないうちに、しばしば唐突に答を言ったりする。
8 しばしば自分の順番を待つことができない。
9 しばしばほかの子どもに割り込んだり、ほかの子どもをさえぎったりする。(会話やゲームに
干渉したりする。)

++++++++++++++++++

 日本では、「多動児」という見方で、「注意力散漫」と、「多動性」を、まとめてとらえる。しかし
アメリカでは、「注意力散漫」と、「多動性」を区別して考える。

 こうした項目に、思い当たる点や、該当することが多ければ、ADHD児を疑ってみる。

 その前に、あなたのADHD児に対する、常識をテストしてみよう。

+++++++++++++++++++++++++++
あなたのADHD児に対する理解度は、どれくらいでしょうか。
一度、あなたの理解度を、自己診断してみてください。
+++++++++++++++++++++++++++

Test Your ADHD AQ (Awareness Quotient) 
(あなたのADHD理解力テスト)
Here is your opportunity to separate fact from fiction and test your own ADHD knowledge. 
Answer the questions below, then click "submit" to measure your awareness quotient.
1.Is ADHD just a label used by doctors for difficult children?
(ADHDというのは、困難児に対して、ドクターによって張られるラベルか。)

(YES/NO)
 

2.Can girls have ADHD?
(女子に、ADHD児はいるか。)

(YES/NO)
 
 
3.Does junk food or the environment cause ADHD?
(ジャンクフード、もしくは環境が、ADHDを引き起こすか。)

 (YES/NO)
 

4.Would ADHD behavior problems happen if parents just used "old-fashioned" discipline?
(親が、『古いタイプの主義』を子どもに当てはめたとき、ADHDの問題は起こるか。……子育て
のし方が原因で、ADHD児になるか。)

 (YES/NO)
 

5.Can children who only focus on things they like to do, have ADHD?
(子どもが自分の好きなことだけに集中するとしたら、ADHDが疑われるか。)

 (YES/NO)
 

6.Are children with ADHD as smart as children who don't have ADHD?
(ADHD児は、そうでない子どもと同じくらい、頭はよいbのか。)

 (YES/NO)
 

7.Can ADHD be cured with medication?
(ADHDは、薬で治るか。)

(YES/NO)
 
 
8.Is ADHD just a "phase" children grow out of?
(ADHDというのは、成長とともに消える、ただの『一面』か。)

(YES/NO)
 

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上のテストの結果が、つぎです。8問中、5〜6問以上正解なら
あなたは、よく勉強している人と、みてよいでしょう。
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Test Results (テスト結果)
1.Is ADHD just a label used by doctors for difficult children?
(正解はNO)
You selected No. 
No. ADHD has been a recognized disorder for over 20 years. However, because doctors now 
more easily identify and understand the disorder, ADHD diagnoses are more prevalent than 
in the past. In the U.S., ADHD is diagnosed in three to five percent of the population.
Learn more about the history of ADHD diagnosis.
(ドクターだけが診断できるのではない。しかしドクターのほうが、適切に診断できる。)

2.Can girls have ADHD?
(正解はYES)
You selected Yes. 
Yes. ADHD affects both males and females. Boys are diagnosed with the disorder 2-3 times 
more than girls. In fact, for girls and women, ADHD can be a hidden disorder, ignored or 
misdiagnosed by the educational and medical communities which may cause these girls and 
women to suffer in silence. (男子は、女子より、2〜3倍、多い。女子のばあいは、表に現れる
ことが少ない。)

Learn more about ADHD in teenage girls at the Web sites of the National Center for 
Gender Issues and ADHD and the National Women's Health Resource Center. 


3.Does junk food or the environment cause ADHD?
(正解はNO)
You selected No. 
No. Special diets and limiting food additives will not prevent ADHD. 
(食事療法や、添加物を減らしても、ADHDを防ぐことはできない。)
 

4.Would ADHD behavior problems happen if parents just used "old-fashioned" discipline?
(正解はNO)
You selected No. 
No. Research has shown that parenting and discipline styles do not cause ADHD. However, 
like diabetes and other disorders, parental involvement in treatment (behavioral 
management strategies and/or medications) can help manage ADHD symptoms. 
(ADHD児の診断基準は、最近の研究とともに、大きく変わってきている。ここでいう「古い診断
基準」というのは、1990年代に決められた診断基準をいう。以前は、育て方の問題とされて
いた。)
 


5.Can children who only focus on things they like to do, have ADHD?
(正解はYES)
You selected Yes. 
Yes. People who can concentrate some of the time may still have ADHD. People with ADHD 
have difficulty attending to most tasks for periods of time, but they (like many people) can 
concentrate on things that interest them and are stimulating, such as computer games. (た
とえばコンピュータ・ゲームなどの、特別な分野には、並外れた集中力を見せることがある。)

Read Ben's Story to learn more.

6.Are children with ADHD as smart as children who don't have ADHD?
(正解はYES)
You selected Yes. 
Yes. ADHD does not affect intellectual ability. Although just as smart as others, children 
with ADHD may not function as well academically. Your child's school can work with you and 
your pediatrician to develop strategies to assist your child in the classroom.(ADHDは、知的
な部分には、影響を与えない。)
Learn more about the positive side of ADHD.

7.Can ADHD be cured with medication?
(正解はNO)
You selected No. 
No. While no treatment today cures ADHD, treatment programs that include medication and
/or behavior modification help manage symptoms. Decades of research have shown 
stimulant medications improve many symptoms for about 70% of those with ADHD. 
Learn more about treatments for ADHD.
(今のところ、薬物で治療することはできない。治療法はない。薬物治療で、70%の子どもに、
改善が見られたという報告がある。)
8.Is ADHD just a "phase" children grow out of?
(正解はNO)
You selected No. 
No. Children with ADHD may or may not "grow out of it." Between 60% to 80% of children 
continue to have ADHD symptoms as teenagers, and some are affected into adulthood. As 
children grow, hyperactive symptoms appear to decrease. However, attention problems 
often persist. Adults who develop successful coping strategies may find symptoms less 
bothersome as they grow older. (60〜80%の子どもは、10代になっても、ADHDの症状を残
す。しかし成長とともに、症状は軽減される。)
Read Carmen's Story to learn more. 
(031124)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(362)

●よく知られた、ADHDの人たち

エジソンも、チャーチルも、モーツアルトも、ADHDだった!

ADHD児というと、マイナス面ばかりが強調されるが、もちまえの集中力や、固執力、さらに
は、バイタリティなどから、すぐれた能力を示す例も、少なくない。MCNEIL社のGPでは、エジ
ソン、チャーチル卿、モーツアルトの例をあげ、ADHDであることが、悪いことばかりでないこと
を指摘している。大切なことは、いかにしてADHDを「治す」かではなく、その「よさを、指導によ
り引き出すか」である(はやし浩司)。


Famous People and ADHD (ADHD児でよく知られた人たち)

Although not all of the following people have been officially diagnosed with ADHD, they have 
exhibited many of its signs. This list is included here to inspire those facing similar challenges.
つぎの人たちは、公式には、ADHDであったと診断されたわけではない。しかしADHDの多く
の症状を示していた。現在同じような問題をかかえている人のために参考になれば、うれし
い。

●Thomas Alva Edison (トーマス・A・エジソン)is cited more than any other historical figure 
for his classic ADHD behavior. As an inventor, his creative curiosity enabled him to 
constantly explore new ideas. Later in life, Edison showed his tenacity in sticking with things 
that caught his imagination in his many inventions.(エジソンの多動性はよく知られている。し
かし彼のねばり強さは、突出したものであった。)

●エジソンは、他のどんな歴史上の人物よりも、古典的ADHDの持ち主として、注目されてい
る。発明者として、彼の想像的好奇心は、つぎつぎと新しいアイデアを生み出した。晩年になっ
て、エジソンは、多くの発明にかかりきりになるという、ねばり強さを示した。


●Sir Winston Churchill(W・チャーチル卿) was described as hyperactive and naughty as a 
child, and was often sent out of the classroom to run around the schoolyard and get rid of 
his extra energy. In his autobiography "My Early Life," Churchill talks about his impulsivity 
and his difficult school experiences. Interestingly, once out of school and serving in the 
British Army in India, Churchill read crate after crate of history books. His high energy level, 
creative problem solving, and hyperfocus as prime minister of Great Britain during WWII 
inspired his nation and the world. (チャーチル自身が、回顧録で、自分のわんぱくぶりを書い
ている。彼はもちまえの集中力をもって、歴史書をよみあさり、やがて英国の首相となった。)

●チャーチルは、子どものころ、多動性とわんぱくで知られていた。そのためよく教室から追い
出され、そのエネルギーをへらすため、運動場を走らされた。チャーチルは、自分の伝記、「私
の子ども時代」の中で、自分の衝動的行動や、学校での困難な生活ぶりを書いている。興味
深いことは、彼が学校を出て、インドで軍に従事したとき、チャーチルは、歴史書を読みあさっ
たということ。チャーチルの高いエネルギーと、創造力豊かな問題解決の方法、第二次大戦中
の、英国軍の首相としての、並外れた集中力は、イギリスや世界を、鼓舞した。

●Wolfgang Amadeus Mozart(W・A・モーツアルト) is known for his abilities as a brilliant 
composer. During periods of hyperfocus, he could compose an opera in just a few weeks; 
other times he left commissioned work to the last minute, or didn't finish it at all. It has 
been said that his impulsive social behavior kept him from major court positions and great 
financial reward. (モーツアルトは、人並みはずれた集中力で、二、三週間でオペラを完成させ
たりした。)


●モーツアルトは、すぐれた作曲家として、その能力を知られている。モーツアルトは、その集
中力が高揚しているときは、オペラを、ほんの数週間で完成させている。ほかのときは、申し付
けられた仕事を、最後の瞬間までしなかったり、あるいはまったくしなかったりした。一説による
と、彼のこうした衝動的な行動が、宮廷での地位や、財政的な立場を、苦しくした理由だと言わ
れている。

大切なことは、ここにも書いたように、いかにして、「よい面を引き出すか」である。MCNEIL社
のHPにも、つぎのようにある。


●ADHD: A Positive Perspective(ADHDのよい面)
The terms "deficit" and "disorder" in ADHD, by their very nature, may lead people to think 
that ADHD is not a positive condition. But people with ADHD can accomplish great things 
when they properly channel their energy.(「障害」という言葉は、マイナス面ばかりを連想させ
るが、そうではない。)


●Looking on the Bright Side (明るい面を見よう)
Many children with ADHD are very funny, entertaining, and highly creative. In fact, some of 
the brightest and most talented students and business people can attribute much of their 
success to the positive qualities of ADHD. People with ADHD may exhibit:(ADHD児は、愉快
で、高度に創造的である。また学業面において、すぐれた成績を示すことも少なくない。)

ADHD児には、つぎのようなすぐれた面も見られる。こうした面を伸ばすことこそ、大切。

●Spontaneity (自発的行動)
●Creativity (創造力)
●Fast thinking (はやい思考性)
●Hyperfocus (高い集中力)
●Tenacity (ねばり強さ)
●High energy (高い意欲)


It is especially important for children with ADHD to gain self-confidence and a positive self-
image. Recognizing and rewarding positive qualities like the ones described above will help 
focus positive energy in the right direction.(本人に自信を持たせることが、大切である。)
(031124)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(363)

●ADHD児の指導(家庭では……)

Caring for ADHD Children (ADHD児のケア)
You can make it easier for children with ADHD to create friendships and handle stress. At 
the same time, there are simple things you can do for yourself that may make it easier for 
you to deal with the challenges that ADHD caregivers often face. 

ADHD児の子どもが、友情を育てたり、ストレスを処理できるようにしてあげましょう。またその
ために、あなたにも、できることがあります。


●Helping Your Child Make and Keep Friends (友だちをつくれるようにしてあげよう)

Because children with ADHD often get angry when things do not go their way, or have 
difficulty waiting their turn, making and keeping friends may be tough. Below are a few ways 
you can help your child increase their level of success in maintaining friendships.

1.Use language that communicates success and ability. Teach your child about desirable 
behavior by talking about it positively. Show your child you believe he or she can succeed.
2.Structure successful "play dates" with peers. Arrange and supervise a well-structured 
activity for your child and one of his or her friends. Keep the "play date" short. Keep the 
rules of the activity simple and easy to follow. Then compliment and reward your child with 
quality time, or other reinforcements for playing well.
3.Limit electronic games and encourage socially interactive play. The more opportunities 
you provide for your child to play with and relate to other children his or her own age, the 
more chances he or she will have to learn what it takes to make and keep friends. 


1 うまくできたときや、能力を示したら、子どもが理解できる言葉で、ほめてあげよう。前向き
に子どもをとらえ、望ましい行動を教えてあげよう。子どもができるということをあなたが信じて
いることを、子どもに示してあげよう。

2 仲間との「遊び」を、用意してあげよう。友だちとよく遊べるように、遊びを組み立て、指導し
てあげよう。遊びの時間を短くし、規則を簡単にするのが、コツ。励ましたり、ほめたりしなが
ら、その遊びを、強化してあげよう。

3 電子的な遊びを制限し、人との交流をふやしてあげよう。同じ年齢の子どもと交流する機会
がふえればふれるほど、友だちをもつ機会がふえることを、子どもが学ぶだろう。


●Overcoming Negative Feedback(否定的な側面を克服させてあげよう)

Children often interpret negative feedback as being told they are "bad" or "stupid." To help 
children gain a positive feeling about understanding and accepting criticism, as well as 
building a better self-image, consider the following:

このタイプの子どもは、外の世界で、「悪い子」「バカな子」と言われやすい。そのため、つぎの
ようなことを考えながら、よりよい「自己イメージ」をつくることができるように、指導する。

1.Teach your child that behaving poorly or making a bad choice does not mean he or she is 
a "bad person."
2.Cut down on negative feedback by ignoring small behavior problems such as not 
completing chores on time.
3.Build your child's self-confidence be encouraging involvement in sports or activities that 
he or she enjoys or does well.
4.Praise your child when doing well in activities, and offer comfort and support to help 
overcome fears of trying new challenges.
5.Give your child at least four positive comments for each bad one. 

1 たとえおかしな行動をしたり、まちがった選択をしたとしても、それは「悪い子」ということで
はないことを、教える。

2 時間どおりに雑用ができないなど、ささいな行動的問題については無視することで、子ども
の中に、否定的な側面をつくらないようにする。(自分をダメ人間と思わせないようにする。)

3 子どもがうまくできるスポーツなどを通して、それを励まし、自分に自信をつけさせてあげ
る。

4 何かの活動でじょうずにできたら、それをほめ、なぐさめたり、新しいチャレンジをすること
についての恐れを克服できるようにしてあげる。

5 それぞれの一つの悪い面について、少なくともその四つの前向きなコメントを与えてあげ
る。


●Managing Stress at Home(家庭でのストレス対策)
Encouraging children with ADHD to focus on a specific activity or chore can be exhausting 
and frustrating for both of you. You can help yourself to remain calm, patient, and 
understanding if you:

(家庭では、つぎのような点を守る。)
1.Take deep breaths and think about the words "calm down" until you feel better.
2.Count backwards, slowly, from 10, 20, or 100.
3.Listen to enjoyable music.
4.Give yourself a "time-out" from what is upsetting, as a way to come up with other 
solutions for a situation.
5.Imagine a STOP sign to help you slow down and stop before continuing.
6.Use exercise to reduce over-activity. 
7.Ask for a hug when either of you feels like yelling or are getting frustrated. 

1 あなたの気分がよくなるまで、息を深く吸い込み、「落ちつく」という言葉の意味を考える。

2 10、20もしくは100から、ゆっくりと逆に数える。

3 楽しい音楽を聞く。

4 その状況に対処するための方法として、動揺していることについて「時間切れ」と思う。

5 頭の中で、「停止信号」を想像し、今の状態をつづける前に止まる。

6 子どもに対して過剰行動しないように、運動する。

7 あなたのどちらかが叫びそうになったり、爆発しそうになったら、子どもを抱く。

(以上、MCNEIL社のハンドブックから)
(031124)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(364)

●ADHD児の症例

 
(本当は集中しようとしている。しかしできない……)

Ben's Story (事例、ベンのばあい)
No matter how hard Ben tried, it always seemed that the teacher's instructions went by too 
fast. At school and at home, completing homework assignments was a struggle, filled with 
distractions and frequent breaks to sharpen a pencil or just stare at a page. 

どんなにベンが努力しても、先生の指示のほうが、はやく行き過ぎるといった感じ。学校でも家
でも、宿題を完成させるだけでも、たいへん。混乱したり、鉛筆を削ったり、ただページをみつ
めているだけ。

On the flip side, if something interested Ben, his focus was intense. He knew all the words to 
commercials for his favorite toys, but not his math tables. He was great at being a goalie on 
the soccer team, but complained about playing forward. When it came to science projects, 
his creativity and effort were endless, yet report cards often read, "needs more 
consistency."

反対に、何か、興味があることがあると、ベンは、それに集中する。彼の好きなおもちゃのコマ
ーシャルは、すべて知っている。が、かけざんの九九などは、覚えない。サッカーチームのゴー
ルキーパーでは、すぐれた才能を見せるが、フォワードはいやだという。理科の学習では、彼
の創造力と熱意は、無限のようだが、しかし成績には、しばしば「もう少し、一貫性が必要」と書
かれる。

Ben was exhibiting many of the classic symptoms of ADHD, a condition that according to 
the National Institutes of Health, is one of the most common neuro-behavioral disorders 
among children. Today, ADHD affects approximately 3 to 5 percent of the school-age 
population, with boys diagnosed three to four times more often than girls.

ベンは、「保健省」の基準に従えば、古典的なADHDの症状を示していた。その一つが、神経
行動障害である。今日、就学児童の全人口のうち、3〜5%に、その症状がみられ、男児は、
女児のそれより、3〜5倍、症例が多い。

The symptoms of ADHD affect children in all aspects of their lives, not just academically. 
Without proper attention, a child with ADHD can feel alone, and have difficulty making and 
keeping friends, maintaining family relationships, and participating in activities outside of 
school. Left unmanaged, children with ADHD may have poor academic performance and can 
experience behavioral and emotional problems into adulthood.

ADHDの症状は、学業面のみならず、生活のあらゆる場面で現れる。適切なケアをしないと、
ADHD児は孤立し、交友関係、家族関係、種々の課外活動などをするのがむずかしくなる。放
置されることにより、ADHD児は、学習面でも遅れたり、おとなになってからも、行動面、感情
面で問題を残すことになる。

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Symptoms may include, but not be limited to:

●Selective Inattention-Instead of maintaining a relatively even attention span, Ben 
fluctuated between inattention and hyperfocusing. 
●Distractibility-Ben would quickly jump from one idea or activity to the next, often without 
completing the thought or task. 
●Impulsivity-Ben often acted without thinking, saying things repeatedly, and making 
careless errors on schoolwork. 
●Hyperactivity-Ben simply could not sit still. He would often talk excessively, and fidget 
with his hands. 

ベンの症状から(主な症状のみ)

 選択的集中力の欠落……比較的、集中力を維持できるものの、散漫なときと、集中過度の
間をいったりきたりする。

 混乱性……ベンは、その考えや仕事を完成させる前に、つぎからつぎへと、考えや行動を飛
躍させてしまう。

衝動性……ベンはしばしば、考えることになしに、ものごとを繰り返し言う。学校の宿題でも、
不注意によるミスが多い。

 過剰行動性……ベンは、じっとしていることができない。過激に話したり、いつも手をつかって
そわそわする。

++++++++++++++++++

Because everyone shows signs of these behaviors at one time or another, the guidelines for 
determining whether a person has ADHD are very specific. Establishing a diagnosis of ADHD 
is complex and requires reports of characteristic behaviors from multiple sources, such as 
parents, physicians, and teachers. The diagnosis should also include input from the patient 
and a physician's physical examination.
 どんな子どもでも、こうしたサインをそのときどきに示す。そのためどの子どもがADHDである
かを判断するのは、とてもむずしい。ADHDの診断をするのは、むずかしく、両親、医師、教師
など、多方面からの情報が必要である。診断には、患者と医師の検査の報告が、含まれねば
ならない。
(031124)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(365)

●10代の子どものADHD

ADHDは、乳幼児から幼児期にかけて、その症状が現れる。落ち着きがない、集中力に欠け
る、多動性があるなどの症状が、一般的だが、そうした症状は、年齢とともに、変化してくる。

一つには、自己意識が発達し、自分で自分をコントロールするようになるからだが、指導のポ
イントは、この自己意識をどう伸ばし、育てるかにある。

MCNEIL社のハンドブックは、「コミュニケーション、サポート、理解が必要だ」と、説く。

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Caring for ADHD Teens (10代のADHD児)
When faced with the challenges of ADHD in the teenage years, you and your teen can 
develop new strategies for dealing with social, academic, and personal growth issues. Your 
communication, support, and understanding can help your ADHD teen develop good decision-
making skills that will help him or her handle life's challenges now and in the future.

10代のADHD児と対処するときは、社会生活、個人的な成長に関する問題などを扱う上にお
いて、新しい考えをもたねばならない。あなたのコミュニケーションや、サポート、あるいは理解
が、10代のADHD児の判断能力を伸ばし、未来に向かって、その子どものチャレンジを伸ば
す。
 
●Succeeding at Home(家庭での指導)
●Teens with ADHD often make impulsive decisions that get in the way of parents granting 
them increased freedom and responsibility. Use the strategies below to help establish 
expectations and support productive behavior at home.
(10代のADHD児は、しばしば衝動的な決断をくだしやすい。つぎの方法を、家庭での指導で、
応用してみてほしい。)

1.Use positive incentives, such as earning time with friends, to achieve desired behaviors.
2.Implement consequences for undesirable behavior as soon as possible.
3.Review non-negotiable house rules regularly, including associated rewards and penalties.
4.Discuss which rules can be negotiated and under what circumstances.
5.Help your teen make better decisions by reviewing and evaluating a variety of solutions 
and/or behaviors for a number of situations.
6.Provide regular supervision for younger teens by having them check in after school, limit 
time with friends when adults are not home, schedule times for regular parent-child contact, 
and set a curfew. 

1 友だちとの時間をふやしたり、望ましい行為を達成するために、前向きな動機付けをしてあ
げる。
2 望ましくない行為については、できるだけ早く、結果を出すようにしてあげよう。
3  ほうびとバツなど、交渉不能なハウス・ルールについて、もう一度、みなおしてみよう。
4 どの規則が、どのような状況で、交渉可能なのかを、子どもと話しあってみよう。
5 いろいろなばあいに、いろいろな解決方法があることを示しながら、子どもが、よりよい判
断ができるように示してあげよう。
6 10代前半の子どもについては、放課後の様子を規則正しく監督してあげよう。おとながい
ないときは、家で友だちと会うのを、制限しよう。そして親子のふれあいを、スケジュール化し
て、門限を正しくしよう。

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 ADHD児が問題なのは、ADHDであることというよりは、家庭での不適切な指導により、症
状がこじれてしまうことである。それについて書いたのが、つぎの原稿である(中日新聞発表済
み)。

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子どもの多動性を考えるとき

●抑えがきかない子ども 

 集中力欠如型多動性児(ADHD児)と言われるタイプの子どもがいる。無遠慮(隣の家へあ
がりこんで、勝手に冷蔵庫の中の物を食べる)、無警戒(塀の中にいる飼い犬に手を出して、
かまれる)、無頓着(一階の屋根の上から下へ飛びおりる)などの特徴がある。

ふつう意味のないことをペラペラとしゃべり続ける、多弁性をともなう。が、何といっても最大の
特徴は、抑えがきかないということ。強く制止しても、その場だけの効果しかない。一分もしない
うちに、また騒ぎだす。たいていは乳幼児期からきびしいしつけを受けているため、叱られると
いうことに対して免疫性ができている。それがますます指導を難しくする。

 このタイプの子どもの指導でたいへんなのは、「秩序」そのものを破壊してしまうこと。勝手に
騒いで、授業をメチャメチャにしてしまう。それだけではない。

その子どもだけを集中的に指導していると、ほかの子どもたちが神経質になってしまう。私もこ
んな失敗をしたことがある。その子ども(年長男児)を何とか抑えようと四苦八苦していたのだ
が、ふと横を見ると、隣の女の子が涙ぐんでいた。「どうしたの?」と聞くと、小さい声で、「先生
がこわい……」と。

●DSM・Wのマニュアルより

 出現率は、小学校の低学年児では、二〇人に一人ぐらいだが、症状にも軽重があり、その
傾向のある子どもまで含めると、一〇人に一人ぐらいの割合で経験する。

学習面での特徴としては、@ここにあげた多動性(めまぐるしく動き回る)のほか、A注意力持
続困難(注意力が散漫で、先生の話が聞けない。集中できない。根気が続かない)、B衝動性
(衝動的行為が多く、突発的に叫んだり暴れたりする)があげられている(アメリカ、障害児診
断マニュアル、DSM・Wより)。

●「ママのパンティね、花柄パンティよ!」

 能力的には、遅れが目立つ子どもが約七割、ある特定の分野に、ふつう程度以上の能力を
見せる子どもが約三割と私はみている。が、問題はそのことではなく、親自身にその自覚がほ
とんどないということ。

このタイプの子どもは、乳幼児期には、何ごとにつけ天衣無縫。言うことなすこと活発で、その
ためほとんどの親は、自分の子どもをむしろ優秀な子どもと誤解する。これがまた指導を難しく
する。Mさん(年中児)もそうだった。赤ちゃんのときから、柱にヒモでつながれて育った。その
Mさん、参観日のとき、突然、「今日のママのパンティね、花柄パンティよ!」と叫んだ。言って
よいことと悪いことの区別がつかない。

が、Mさんの母親は、遊戯会の日まで、天才児と信じていた。その遊戯会でのこと。Mさんは、
一人だけ皆から離れて、舞台の前で、ほかの子どもたちに向かって、アッカンベーを繰り返し
た。そこで私に相談があったので、私は、Mさんが、活発型遅進児の疑いがあると告げた。も
う二五年近くも前のことで、当時は多動児という言葉すら、まだ一般的ではなかった。その説明
をすると、母親はその場で泣き崩れてしまった。

●教師の経験や技量は関係ない

 脳の機能変調説が有力で、アメリカでは別の施設に移した上で、薬物治療までしている。し
かし効果は一時的。たとえば「リタリン」という薬を与えて治療しているそうだが、その薬にして
も、三〜四時間しか効果がないといわれている。

この日本でも薬物療法をするところがふえてはいるが、現場指導が中心。たとえばこの静岡県
では、現場の教師に指導が任されている。補助教員や学校ボランティアの付き添いを制度化
している市町村もあるが、しかしこの方法では、おのずと限界がある。

仮にこのタイプの子どもが、一クラス(三五名)に二〜三名もいると、先にも書いたように、クラ
スそのものがメチャメチャになってしまう。これには教師の経験や技量は、あまり関係ない。

●もちまえのバイタリティが、よい作用に!

 ……こう書くと、このタイプの子どもには未来はない、ということになるが、そうではない。小学
三、四年生を過ぎると、それ以後は、自分で自分をコントロールするようになる。騒々しさは残
ることは多いが、見た目にはわかりにくくなる。持ち前のバイタリティが、よい方向に作用するこ
ともある。

集団教育になじまないというだけで、それを除けば子どもとしては、まったく問題はない。つまり
そういう視点に立って、仮にここでいうような症状があっても、乳幼児期は、それ以上に、症状
をこじらせないことに心がける。こじらせればこじらせるほど、その分、立ちなおりが遅れる。

+++++++++++++++++++

【日本の診断基準】

行動が幼い
注意が続かない
落ちつきがない
混乱する
考えにふける
衝動的
神経質
体がひきつる
成績が悪い
不器用
一点をみつめる

++++++++++++++

たいへんまたはよくあてはまる……2点、
ややまたは時々あてはまる  ……1点、
当てはまらない       ……0点として、
男子で4〜15歳児のばあい、
12点以上は障害があることを意味する「臨床域」、
9〜11点が「境界域」、
8点以下なら「正常」

【厚生労働省がまとめた診断基準(親と教師向けの「子どもの行動チェックリスト」より)】

++++++++++++++
(031124)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


子育て随筆byはやし浩司(366)

●居なおって生きる

 いくらエネルギーが残っていても、それをうしろ向きに使ったのでは、意味がない。悩んだり、
クヨクヨしたりするのが、それだが、しかし年齢が進むにつれて、どうしても、ものの考え方が、
うしろ向きになる。

 「明日は、どうなるのだろう」「来年は、どうなるのだろう」「一〇年後は、どうなるのだろう」と。
健康問題や経済問題がからむと、さらに深刻になる。

 私の知人の中には、定年退職したとたん、うつ病になってしまった人がいる。それまでは、
「退職したら、女房と二人で、石垣島で一年、暮らす」と言っていた人が、である。実のところ、
私も休みになったとたん、体の調子が悪くなる。「休み」といっても、一、二週間前後つづく休み
のことをいう。

 たとえばこうして毎日、原稿を書いているが、休みになったとたん、もっと原稿が書けるはず
のだが、かえって、書けなくなってしまう。気が抜けてしまうというか、緊張感が消えてしまうとい
うか……。本来なら時間ができて、もっと書けるはずなのだが……。

 だから最近は、私はワイフにこう言っている。「どんなことがあっても、ぼくは、死ぬ直前まで、
仕事をするよ」と。いろいろと計画はある。たとえば数年間、オーストラリアで暮らすとか、同じ
ように、数年をかけて、世界を一周するとか。しかしそれらは、多分、「夢」で終わると思う。

 そこで私は、こんなことを心がけている。もともと(うつ病に近い)「うつ気質」なので、油断する
と、そのままうつ状態になってしまう。だから、朝起きたら、その日にやることを決める。そして
それがどんなに小さいことでも、前向きにぶつかっていく。

 たとえば今朝は、子ども(生徒)たちへのクリスマスプレゼントを考えた。先日、コンビニで見
つけた、恐竜の組みあわせパズル(M社製「恐竜の卵」)が、よい。そこでインターネットを使っ
て、会社を調べ、XX人分の見積もりを出してもらうことにした。

 その組みあわせパズルをつかって、ゲームもできる。「早く組みたてた人は、○○賞!」と
か、何とか。高学年の子どもには、さらに何匹かの恐竜のパーツを、ごちゃ混ぜにしてやらせ
るという方法もある。……などなど。

 一見、つまらないことのように見えるが、しかし、どうにもならないことを、クヨクヨ悩むよりは、
よい。そこで私なりの、処世術をまとめてみることにした。

(1)無責任、おおいに結構……私はもともと無責任な男なので、そうたいして努力しなくても、
無責任でいられる。神経は、細いくせに、あるところまでくると、居なおってしまう。「勝手にしろ」
と。

(2)二人の人に、いい顔はできない……私のことを、悪く思っている人は多い。もう少し若けれ
ば、そういう人たちとの関係を修復しようと思うのだろうが、このところ、そういう意欲が、ほとん
ど、なくなってしまった。どうがんばったところで、残りの人生は、あとX十年(?)。それまでに頭
もボケるだろうし、行動範囲は、さらに狭くなる。修復するエネルギーが残っているなら、今、良
好な関係にある人との関係を、もっと大切にしたい。

(3)どうせ先細り……これからの人生は、どうせ先細り。「仕事があるだけでも、ありがたい」
「家族がいるだけでも、ありがたい」「生きているだけでも、ありがたい」と、まあ、そんなふうに、
あきらめて生きている。私の年代になると、「明日が、今日よりよくなる」などということは、あり
えない。「来年が、今年よりよくなる」ということは、さらにありえない。

(4)ありのままで……「飾る」ということに、このところ、ほとんど興味がない。世間体や、見栄、
メンツなどは、まったく気にしない。それはよいことなのだろうが、同時にさみしいことかもしれ
ない。いや、本当のところは、ときには、いい格好(かっこう)もしてみたいと思うこともある。し
かしそう思ったとたん、同時に、「だから、それがどうなのだ!」という、別の思いが、それを打
ち消してしまう。

 こうして処世術を並べてみて気づいたが、要するに「居なおって生きる」ということか。言いか
えると、老後をうまく生きるということは、いかにじょうずに、居なおって生きるかということにな
る。その居なおりのし方が、これからの人生を決める。

 私のことを悪く思いたければ、思え。勝手に、そう思え。
 私のことをバカだと思うなら、思え。勝手に、そう思え。
 私は、気にしないぞ。そんなヒマとエネルギーがあるなら、
 私は、それを、自分のために使うぞ。バカヤロー、と。

 みなさんは、どうですか? 生きザマが、どこかうしろ向きになっていませんか?
(031124)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


子育て随筆byはやし浩司(367)
 
●学校拒否症と怠学

 学校拒否症(school refusal)と怠学(truancy)は、分けて考える。

+++++++++++++++

 学校拒否症の主な症状は、以下のようである(アメリカ内科医学会)。

★Severe emotional distress about attending school; may include anxiety, temper tantrums, 
depression, or somatic symptoms.
学校に通うことについて、心配、不安、腹立たしさ、うつ、体の変調などの、苦痛が見られる。

★Parents are aware of absence; child often tries to persuade parents to allow him or her 
to stay home. 
両親がそれ気づいていて、子どもが、「行きたくない」と、親を説得する。

★Absence of significant antisocial behaviors such as juvenile delinquency. 
少年非行などの、顕著な、反社会的行動をともなわない。

★During school hours, child usually stays home because it is considered a safe and secure 
environment. 
学校へ行く時間に、家にいることが多い。そのほうが安全と考えるからである。

★Child expresses willingness to do schoolwork and complies with completing work at home. 
子ども自身は、家庭で宿題をしたり、宿題をすることに応ずる。

+++++++++++++++

 ふつう日本で「不登校」というときは、この「学校拒否症」もしくは、「学校恐怖症」をいう。

+++++++++++++++++

 一方、「怠学(truency)」というときは、以下のような診断基準に当てはまる子どもを、いう
(同、アメリカ内科学会)。

★Lack of excessive anxiety or fear about attending school. 
学校に通うことについて、大きな不安や恐れはない。

★Child often attempts to conceal absence from parents. 
両親の知らないところで、勝手に学校へ行くのを、さぼったりする。

★Frequent antisocial behavior, including delinquent and disruptive acts (e.g., lying, stealing), 
often in the company of antisocial peers. 
(ウソ、盗みなどの)反社会的行動をともなうことが多い。集団非行グループに属することが多
い。

★During school hours, child frequently does not stay home . 
学校へ行く時間でも、家にいないことが、多い。

★Lack of interest in schoolwork and unwillingness to conform to academic and behavior 
expectations. 
学校の勉強そのものに興味を示さず、勉強するのをいやがる。

++++++++++++++++

 怠学については、たとえば、大阪府立M高校などでは、つぎのような対策を立てている(M高
校HPより)。あくまでも参考のため。

+++++++++++++

●怠学指導の方法について

(10ポイント制指導)

1.正当な理由のない遅刻登校、3分以上の授業遅刻、各授業の中抜け、無断早退を各1点と
して合算し、定期考査毎に五分割した期間に10点に達した者を保護者召喚のうえ一日謹慎さ
せ作文課題などを課して指導する。
 
2.この後も引き続き怠学習慣の改善がない者は15点に達したところで保護者召喚のうえ三日
間の謹慎、作文課題などを課す。 

3.定期考査中に10点もしくは15点に達した者は考査終了後に謹慎指導に入る。 

4.定期考査終了後に合算点は全員0点に戻る。 

5.遅刻の理由が正当か否かの判断は各学年の生徒指導担当者と担任で協議し決定する。 

6.生徒及び保護者への申し渡し、解除は各学年の生徒指導担当者(又は学年主任)と担任で
行う。(申し渡し、解除の時間は原則として8時00分とする) 

7.3年生の3学期は4点に達した者を謹慎の対象とする。 

8.この謹慎期間の出欠の取り扱いは通常の懲戒処分と同様に出席停止扱いとする。
(但し、翌日になっても課題等の指導が実行されない場合はその日以降は欠席、欠課扱いと
する) 

+++++++++++++

 要するに、心身に何らかの病変をともなって、学校へ行けなくなる状態を、「学校拒否症」とい
い、サボることを、「怠学」と考えるとわかりやすい。(だからといって、不登校児がみな、何らか
の病変をともなっていることにはならない。念のため。)
(031125)

【参考】

●なお、アメリカ内科医学会は、「学校拒否症」の要因となる、不安障害(Anxiety disorders)と
して、つぎのものをあげている。 

Separation anxiety (分離不安)
Anxiety disorder(不安障害)
Generalized anxiety disorder (不安障害全般)
Social phobia (社会恐怖症)
Simple phobia (孤立恐怖症)
PaniCDisorder (パニック障害)
PaniCDisorder with agoraphobia (広場恐怖症をともなうパニック障害)
Post-traumatic stress disorder (PTSD)
Agoraphobia(広場恐怖症) 
Mood disorders(気分障害) 
Major depression (うつ病)
Dysthymia(抑うつ症)

●また同じく、「学校拒否症」の要因となる、破滅行動障害(Disruptive behavior disorders)に
ついては、つぎのようなものをあげている(同)。 

Oppositional defiant disorder (反抗障害)
Conduct disorder (行為障害)
Attention-deficit/hyperactivity disorder (注意力散漫、過集中障害)
Disruptive behavior disorder,(破滅的行為障害) 
Other disorders(他の障害) 
Adjustment disorder (with depressed mood or anxiety) (うつをともなう、適応障害)
Learning disorder (学習障害)
Substance abuse 
Other

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(368)

●キジバトの子ども

 今年も、庭の栗の木の上で、キジバトが、巣をつくった。で、しばらくすると、ヒナが生まれた。
ときどき、かわいい声で、ピーピーと鳴いている。

 ところが、この数日。ヒナがいるはずなのに、親バトが、まったくやってこない。ワイフに聞く
と、「そう言えば、今朝から来てないわね……」と。時計を見ると、もう正午近い。

 私は心配になった。ひょっとしたら、親バトがカラスに襲われたかもしれない。あたりを何度
も、見回してみたが、親バトの姿は、どこにも見えない。

 私は脚立を庭のすみから引き出してきて、栗の木の横に立てた。登って、巣の中をのぞいて
みた。

 ヒナが、二羽、いた。指をさしだすと、元気よく攻撃態勢。私の指を、か弱い力で、ツンツンと
つついた。元気なようだ……。言い忘れたが、大きさは、おとなの握りこぶしの、一・五倍ほど。
尾羽は、まだ数センチしかなかったが、体は、じゅうぶん、大きかった。

 「元気だよ」とワイフに声をかけると、「よかったわ」と。

 私は、ニワトリのエサを、庭にまいた。ついで、植木鉢のトレイをもってきて、それに少しエサ
をのせた。そしてそのトレイを、巣の近くの枝の上に置いた。

 「そこまでしなくていいのに……。過保護よ」と、ワイフは言った。

 そう、本当は、そこまでしてはいけない。自然の動物は、自然に任すのが一番よい。しかしそ
れにしても、冷たい親たちだ。先ほどから、小雨がパラついているというのに、ヒナたちを守ろ
うともしない。あるいは、そういうふうに、ものを考えること自体、おかしいのか。人間の子育て
を、基準にしてはいけない。

 例年だと、このまま、親バトたちは、ヒナたちにほとんど、エサを与えなくなる。だから今は
丸々と太っているヒナたちも、やがてやせ細っていく。と、同時に、羽がのびて、飛ぶことができ
るようになる。

 親バトの気持を考える。

 心を鬼にして、子バトの巣立ちを促している? ……私が見たところ、親バトたちが、そこまで
考えているようには、思えない。ただ、エサを与えるのが、ただ、めんどうなのではないのか。

 ある時期がくると、親バトの愛情が、急速に冷めてくる? ……それはないと思う。その証拠
に、親バトたちは、私たちが見えないところで距離を保って、巣の様子を監視している。子バト
が飛びたつとき、いつもそばにいて、子バトをガイドしている。

 となると、やはり親バトたちは、自分が受けた子育てを繰りかえしているにすぎないということ
になるのではないか? 実際のところ、ほとんど何も考えていないと思う。人間だってそうなの
だから、キジバトも、きっとそうだろう。

 ……そのつぎの日。朝食をとるために居間へおりていくと、ワイフがこう言った。「今朝早く、
親バトが来ていたわよ」と。どうやら親バトたちは、無事だったようだ。

 よかった!
(031125)

++++++++++++++++

●キジバトの子ども(PART2)

 夜、家に帰ると、ワイフが、「子どもが落ちてきた!」と。
 見ると、キジバトの子どもだった。

 こうした野生の鳥のばあい、より強い一羽を、より弱い一羽を、巣から、つき落とすことがあ
る。生き残るためである。あるいは、より強い一羽だけを、残すためである。

 たまたまワイフが、ハナ(犬)の異変に気がついたからよかったものの、寸でのところで、ハナ
が、子どもを、おもちゃにして遊ぶところだった。

 で、そんなわけで、ハトの子どもは、我が家で、一夜を過ごすことになった。

 お菓子入れ用に使っていた、バスケットに、ティッシュペーパーを敷き、その中に子どもを入
れた。エサは、文鳥を飼っていたときに使った「スポイト」で与えた。(名前は知らない。エサを
細いパイプの中につめ、鳥の胃袋に、流し入れるという道具である。)

 そう、私は、子どものころから、野鳥が好きで、こうして落ちてくると、いつも、助けてやった。
今までに、スズメ、ツバメ、バン、メジロなど。この家に住むようになってからは、毎年のように、
キジバトの子どもを助けている。

 ここにも書いたように、たいていキジバトは、二個の卵を産み、ヒナにかえす。そしてしばらく
大きくなると、ヒナどうしが、けんかをして、より強い一羽が、より弱い一羽を、巣の中から、つ
き落す。そのため毎年のように、(年によっては、何回も)、子どものハトが、巣から落ちてくる。

 キジバトは、キジバトで、カラスの襲撃を恐れて、私の家のような民家の近くに、巣をつくる。
それで、つまり、子どものハトを助けるのが、私の仕事のようになってしまった。

 そんなわけで、我が家の周囲は、キジバトだらけ……と書きたいが、そういうことはない。子
バトでも、さらに大きくなると、親バトに追い払われて、どこかへ行ってしまう。自然界には、さら
に過酷な試練があるようだ。

 鳥の世界は、人間の世界より、はるかに歴史が長い、一億数千年前以上から、鳥は、この
地球に住んでいる。人間の歴史は、たかだか、数十万年だ。

 で、そういう鳥の世界を見ていると、そのしくみが、実に、うまくできているのがわかる。(だか
らといって、より強い子バトが、より弱い子バトをつき落すことが、よいと言っているのではな
い。また、親バトが、自分の子バトを、自分の縄張りから、追い払うことが、よいと言っているの
ではない。しかしそういうしくみの中で、鳥たちは、一億数千万年という長い時代を、生き延び
てくることができた。またそういうしくみがなかったら、こうまで長くは、生き延びることができな
かっただろうと思う。)

 今朝、子バトにエサを与えていると、突然、子バトが、ピーピーと鳴いて、あわて出した。見る
と、庭先に、親バトが、きていた。

 親バトは、あたりを警戒しながら、窓のすぐ外まで、来た。内心、「返してやろうか」と思った
が、やめた。どうせまた、すぐ突き落とされるだけ。しばらく育ててやって、自分で飛べるように
なったら、外に放してやるつもり。

 そうそう昨夜、ワイフが、「名前はどうするの?」と聞いた。

 名前は、考えていなかった。しかし多分、「ピー子」にするつもり。キジバトの子どもは、みな、
その名前にしてきたから。
(031126)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(369)

●自己開示のむずかしさ

 少し前、F市のある女性と、自己開示の実験をした。おたがいに、何も隠さず話しあおうという
実験だった。私にとっては、生涯で、はじめての試みだった。

しかし、結果は、失敗だった。「失敗」という言い方は、失礼になるかもしれない。「実験」という
言葉も、好きではない。(当初は、そういう言葉を使って、メールを交換しはじめたが……。)し
かしその結果だが、少なくとも、自己開示には、いくつかの限界があることがわかった。

 夫婦や親子で、どこまで自分を、さらけ出せるか。……という問題には、「そもそも、さらけ出
す必要があるのか」という問題が、いつもついて回る。そういう点では、人間は社会的動物だ
し、「社会的」ということには、「裏と表を使い分ける」という意味が含まれる。さらけ出すことによ
って、相手がキズつくこともある。人間は、人間である前に、動物なのだ。それはそうだが、そ
の動物である部分まで、さらけ出すことは、はたして正しいことなのか。

 たとえば、私がAさんと親しくなりたいと思う。そのとき大切なことは、さらけ出しというのは、親
しくなることと同時進行の形で、少しずつ、できるということ。さらけ出したから、親しくなるという
ことは、ない。ばあいによっては、嫌われることもある。

 極端な例が、露出狂である。

 一〇年近くも前のことだが、私の教室の近くで、おかしな男が出没するようになった。二五歳
くらいの若い男だった。若い女性が通りを歩いてくると、いきなりその女性の前に立ち、素っ裸
の下半身を見せるというものだった。

 素っ裸の下半身を見せるというのは、いわば肉体的な、さらけ出しである。しかしそういうさら
け出しを歓迎する女性は、いない。

 では、精神的な、さらけ出しは、どうか?

 いやな人に会ったとき、露骨に、不愉快な顔をしたら、どうなるか。すてきな人に会ったとき、
露骨に、好意を示したら、どうなるか。よいことでも、悪いことでも、思ったままを口にしたら、ど
うなるか。人間関係そのものが、おかしくなってしまう。つまり、ここに、さらけ出しの限界があ
る。

 そこで「親しくなる」という問題。

 私たちはその人と、少しずつ親しくなりながら、そして様子をみながら、さらけ出しをする。そし
てそのさらけ出しが、さらにたがいの関係を、親密にする。

 自己開示の度合いについては、前にも書いた。以前、書いた原稿を、ここに添付する。話が
少しそれるが、許してほしい。

++++++++++++++++

●自己開示

 自分のことを話すという行為は、相手と親しくなりたいという意思表示にほかならない。これを
「自己開示」という。その自己開示の程度によって、相手があなたとどの程度、親しくなりたがっ
ているかが、わかる。

(1)自分の弱点の開示(私は計算が苦手)
(2)自分の失敗の開示(私はケースを割ってしまった)
(3)自分の欠点の開示(私は怒りっぽい人間だ)
(4)自分の家族の開示(私の母は、おもしろい人だ)
(5)自分の体のことの開示(私は、足が短いことを気にしている)
(6)自分の心の問題の開示(私は、よく、うつ状態になる)
(7)自分の犯罪的事実の開示(二年前に、万引きをしたことがある)

 (1)の軽度な自己開示から、(7)の重大な自己開示まで、段階がある。相手があなたに、ど
の程度まで自己開示しているかを知れば、あなたとどの程度まで親しくなりたがっているかが
わかる。もしあなたと交際している相手が、自分の体の問題点や、病気、さらには心の問題に
ついて話したとするなら、その相手は、あなたとかなり親しくなりたいと願っていると考えてよ
い。

 子どもの心も、この自己開示を利用すると、ぐんとつかみやすくなる。コツは、よき聞き役にな
ること。「そうだね」「そうのとおり」と、前向きなリアクション(反応)を示してやる。批判したり、否
定するのは、最小限におさえる。

 反対に、子どもがどの程度まで自己開示するかで、子どもの心の中をのぞくことができる。

ときどきレッスンの途中で、「きのうねえ、パパとママがねえ……」と、話し始める子ども(幼児)
がいる。私はそういうとき、「そんな話はみんなの前で、してはいけないよ」と、たしなめることに
している。それはそれとして、子どもがそういう話をしたいと思う背景には、私と親しくなりたいと
いう願望が隠されているとみる。が、こんな失敗をしたこともある。

あるとき、「きのうねえ、パパとママがねえ……」と、言い出した子ども(年中男児)がいた。「何
だ?」と声をかけると、その子どもはこう言った。「寝るとき、裸で、レスリングしていたよ」と。

 さてあなたは、だれに対して、どのレベルまでの自己開示をしているだろうか。それを知ると、
あなたの心の中の潜在意識をさぐることができる。

++++++++++++++++++

●夫婦のばあい

夫婦の間には、セックスという、すばらしい自己開示の方法がある。愛しあった状態で、セック
スをすれば、同性どうしなら、一年かかってもできないような友情が、瞬時に生まれる。

 言うまでもなく、セックスをすることによって、夫婦は、肉体だけではなく、心の中も、感情も、
感覚も、すべてさらけ出す。むしろ男も女も、セックスを経験することによって、さらけ出すこと
を学び、同時に、それまでの自分が、いろいろな意味で、押し殺された存在であったことを知
る。 

 私もそうだ。セックスをはじめてしたのは、XX歳のときだったが、終わったとき、私は相手の
女性に、思わず、「ありがとう!」と叫んでしまった。すばらしい体験だった。

 実のところ、それまでは、そうした自分は、どこかおかしいのではないかと、悩んでいた。ある
ときなどは、前を歩く女性の太ももを見ただけで、歩けなくなってしまった。(どうして歩けなくな
ってしまったかは、男性の方なら、その理由がわかるはず。)

 が、そういう誤解と偏見を解くには、あの夜のことは、じゅうぶんすぎるほど、すばらしい体験
だった。だからとたん、セックスに対する考え方が、一八〇度、変わった。それまでの私は、そ
ういうヒワイな考えをもつこと自体、悪いことだと思っていた。

 さらけ出しができなかったことを、嘆いてもしかたない。とくに、親子ではそうだ。この日本で
は、おかしな権威主義が、いまだにはびこっていて、さらけ出しをしないのが、親子だと思って
いる人は多い。「父親は威厳が大切だ」とか何とか。

 だから親子で、さらけ出しに失敗したからといって、嘆く必要はない。問題は、そういう過去が
あることではなく、そういう過去があることに気づかないまま、その過去の引きずられること。だ
から、気づけばよい。気づくだけでよい。「私の心は、私の魂は、じゅうぶん、解放されてしなか
った!」と。

 サニー様という方から、掲示板に、書き込みがあった。ここに書いたことは、その返事という
ことになる。興味のある方は、私のHPの掲示板をのぞいてみてほしい。

 さあ、サニー様、さらけ出しなさい。
 勇気をもって、さらけ出しなさい。
 娘さんたちに。自分の心を語りなさい。
 夫に、裸で、抱きついていきなさい。
 自分のすべてを、さらけ出すのです。
 あとのことは、あとに任せればよいのです。

 詳しくは書けませんが、私のワイフなどは、いまでも、よくこう言います。「あんた、こんなことし
て(=私にさせて)、恥ずかしくないの?」と。

 そういうとき私の答は、いつも同じ。

 「恥ずかしい? 私は私だ。私だって、ふつうの男だ!」と。
 参考になりましたか?
(031125)

++++++++++++++++++

【F市のMさんへ】

 長い間、メールを出さなくてすみません。以来、ずっと、「さらけ出し」(自己開示)が、私の心
の中で、大きなテーマになっています。

 私は子どものころから、自分をさらけ出すことができず、苦労しました。今も、基本的には、同
じです。どこかで「いい人」ぶってしまいます。そして相手に気に入られるよう、また好かれるよ
う、自分を作ってしまいます。そういう自分と、どうしたら、また、いつ、決別することができるよ
うになるでしょうか。

 しかしMさんと、メールを交換するようになって、少しずつですが、しかし自分でもはっきりとわ
かるほど、大きな変化が自分の中で起きたのがわかります。

 講演会でも、自分のことを、堂々と(?)、さらけ出すことができるようになりました。言いたい
ことを、言えるようになったのです。

 Mさんの心には、キズをつけてしまったかもしれませんが、しかし同時に、インターネット自体
がもつ、、「限界」もあることも事実です。「さらけ出し」をしながらも、インターネットでは、「親しく
なる」ことができません。あなたがいつかおっしゃったように、もともとは「バーチャルな世界」な
のかもしれませんね。

 お元気であることを願いながら、今日は、これで失礼します。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(370)

●問題の奥

●Kさんからの抗議

 その息子(中学生)は、いつも鼻クソをほじっていた。食事をしているときも、ほじっていた。だ
から、母親は、それを気にして、いつも、その息子を叱っていた。

 こういうケースでは、最初に、疑ってみることは、その子どもの慢性的な耳鼻疾患である。叱
って、なおるような問題ではない。

 しかしさらに疑ってみることは、その母親が、子どもを、心底、受け入れているかどうかという
こと。「子どもを愛する」ということは、「受け入れる」ことをいう。どんなに問題があっても、どん
なに親の思うとおりにならなくても、だ。が、その「受け入れ」ができないというのであれば、心の
どこかに潜(ひそ)む、わだかまりをさぐってみる。

 望まない結婚であったとか、望まない子どもであったとか、など。夫婦問題や家庭問題がこじ
れて、そうなることもある。そういう意味で、この種の問題は、「根」が深い。

 ところで、ちょうど半年前、こんな抗議のメールをもらった。名前は、ローマ字だけで、「K」と
あった。

 「子育て、はじめの一歩」という私の本の中で、私が「学校の先生を信頼しなさい」と書いたこ
とについての抗議だった。「あなたは先生を信じろと言うが、私の子どもの教師のようなものも
いる。それを忘れないでほしい」と。

 Kさんは、こう書いてきた。

 ……私の息子(小三)は、学校で、いじめにあっている。先日も、カバンにチョークで落書きを
されてきた。その翌日も、うちの子のカバンから教科書を抜き、その教科書を、別の子のカバ
ンに入れられてしまった。

そこで学校の先生に連絡すると、「放課後のことまでは、責任がもてない」と。そこで校長室へ
行き、校長とその教師と私との、話しあいになった。そこでも、その教師はノラリクラリと、弁解
にもならない、弁解繰りかえすのみ。そして最後には、「私には、責任はない」と。

 が、その翌日のこと。あろうことか、その教師は、教室で、うちの子どもの名前を出して、「○
○君のカバンから、教科書を抜いたヤツはだれだ!」と。

 それでうちの子どもが、いじめにあっていることが、みんなにわかってしまった。こういう配慮
に欠ける教師の行為で、うちの子どもは、ますますキズついてしまった。そこで私は、再び、校
長室へ。

 校長とその教師は、名前を出したことはわびたが、みなの前で、「だれだ!」と聞いたことは、
まちがっていなかったと弁解。おまけに、「この程度のいたずらは、よくあることです」と。親の
気持ちも知らないで、こういう無神経なことを、ヌケヌケと言う校長や教師を、私は許すことがで
きない!と。

●先生とのトラブル?

 この種の抗議は、よく届く。しかし率直に言って、この種の抗議がくるたびに、私は何とも言い
ようのない息苦しさを覚える。Kさんの気持ちはよくわかるが、それ以上に、その場にいた、校
長や教師の息苦しさが、ヒシヒシと伝わってくる。

 その第一。「先生」というのは、本当にいそがしい。どう忙しいかは、たった一人の子どもでさ
え、もてあましているあなた自身を、ふりかえってみればよい。そういう子どもを、三〇〜三五
人も押しつけて、何から何まで、「しっかり、めんどうをみろ!」は、ない。

 教育はもちろん、しつけ、家庭問題、さらには、交友関係まで。

 それにKさんは別として、本当にいろいろな親がいる。そして一人ずつ、家庭環境が、みな、
ちがう。

 そこでたとえば、カナダでは、学校の先生は、「教室内」のことについては責任をもつ。しかし
教室を離れたところのことについては、まったく責任をもたない。責任を問われることもない。と
くに子どもが学校を離れたところのことは、すべて家庭の問題として、処理される。

 一見、冷たいやり方に見えるが、その分、教師は、教育に専念できる。またそういう、たがい
の意識を、「自由」という。「自由」というのは、もともと「自(みずか)らに由(よ)る」という意味で
ある。

 自分の子どもがいじめられていることを知るのは、たいへんつらい。それはわかる。しかしも
う少し、ほかの方法はなかったのか。校長室で、「責任をとれ」と言われれば、私だって、同じよ
うに答えるかもしれない。「私には、責任は、ない」と。そんなことは、少し冷静になって考えれ
ば、だれにだってわかることではないか。

 そこでたとえば、もう少し穏便に、「こういう問題もありますが……」とか、何とか。先生に笑い
ながら、話しかけてみる。そういう方法は、考えられなかったのか。いきなり校長室……、という
のは、まずい。こうした問題で、一番、先に考えなければならないことは、子どもの世界を守る
こと。子どもが、わだかまりなく、楽しく学校へ通えること。そういう環境を用意してあげること。

 いくら学校と対立しても、子どもの世界は、子どもの世界として、いわば、アンタッチャブルの
世界として、そっとしておいてやる。絶対に、子どもを、トラブルに巻きこんではいけない。それ
は親として、そして教師として、最低限、守るべきマナーではないか。

 そこで私は書いた。『負けるが勝ち』と。その原稿を、ここに添付する。

++++++++++++++++

●船頭は一人

 そうでなくても難しいのが、子育て。夫婦の心がバラバラで、どうして子育てができるのか。そ
の中でもタブー中のタブーが、互いの悪口。

ある母親は、娘(年長児)にいつもこう言っていた。「お父さんの給料が少ないでしょう。だから
お母さんは、苦労しているのよ」と。

あるいは「お父さんは学歴がなくて、会社でも相手にされないのよ。あなたはそうならないでね」
と。母親としては娘を味方にしたいと思ってそう言うが、やがて娘の心は、母親から離れる。離
れるだけならまだしも、母親の指示に従わなくなる。

 この文を読んでいる人が母親なら、まず父親を立てる。そして船頭役は父親にしてもらう。賢
い母親ならそうする。この文を読んでいる人が父親なら、まず母親を立てる。そして船頭役は
母親にしてもらう。

つまり互いに高い次元に、相手を置く。たとえば何か重要な決断を迫られたようなときには、
「お父さんに聞いてからにしましょうね」(反対に「お母さんに聞いてからにしよう」)と言うなど。
仮に意見の対立があっても、子どもの前ではしない。

父、子どもに向かって、「テレビを見ながら、ご飯を食べてはダメだ」
母「いいじゃあないの、テレビぐらい」と。

こういう会話はまずい。こういうケースでは、父親が言ったことに対して、母親はこう援護する。
「お父さんがそう言っているから、そうしなさい」と。そして母親としての意見があるなら、子ども
のいないところで調整する。

子どもが学校の先生の悪口を言ったときも、そうだ。「あなたたちが悪いからでしょう」と、まず
子どもをたしなめる。相づちを打ってもいけない。まず先生を、信頼する。教育は、そこから始
まる。

もし先生に問題があるなら、子どものいないところで、また子どもとは関係のない世界で、処理
する。これは家庭教育の大原則。

 ある著名な教授がいる。数十万部を超えるベストセラーもある。彼は自分の著書の中で、こう
書いている。「子どもには夫婦喧嘩を見せろ。意見の対立を教えるのに、よい機会だ」と。しか
し夫婦で哲学論争でもするならともかくも、夫婦喧嘩のような見苦しいものは、子どもに見せて
はならない。夫婦喧嘩などというのは、たいていは見るに耐えないものばかり。

 子どもは親を見ながら、自分の夫婦像をつくる。家庭像をつくる。さらに人間像までつくる。そ
ういう意味で、もし親が子どもに見せるものがあるとするなら、夫婦が仲よく話しあう様であり、
いたわりあう様である。助けあい、喜びあい、なぐさめあう様である。

古いことを言うようだが、そういう「様」が、子どもの中に染み込んでいてはじめて、子どもは自
分で、よい夫婦関係を築き、よい家庭をもつことができる。欧米では、子どもを「よき家庭人」に
することを、家庭教育の最大の目標にしている。その第一歩が、『夫婦は一枚岩』、ということ
になる。

+++++++++++++++++++

●負けるが勝ち

 この世界、子どもをはさんだ親同士のトラブルは、日常茶飯事。言った、言わないがこじれ
て、転校ざた、さらには裁判ざたになるケースも珍しくない。ほかのことならともかくも、間に子
どもが入るため、親も妥協しない。が、いくつかの鉄則がある。

 まず親同士のつきあいは、「如水淡交」。水のように淡く交際するのがよい。この世界、「教
育」「教育」と言いながら、その底辺ではドス黒い親の欲望が渦巻いている。それに皆が皆、ま
ともな人とは限らない。情緒的に不安定な人もいれば、精神的に問題のある人もいる。さらに
は、アルツハイマーの初期のそのまた初期症状の人も、四〇歳前後で、二〇人に一人はい
る。

このタイプの人は、自己中心性が強く、がんこで、それにズケズケとものをいう。そういうまとも
でない人(失礼!)に巻き込まれると、それこそたいへんなことになる。

 つぎに「負けるが勝ち」。子どもをはさんで何かトラブルが起きたら、まず頭をさげる。相手が
先生ならなおさら、親でも頭をさげる。「すみません、うちの子のできが悪くて……」とか何とか
言えばよい。あなたに言い分もあるだろう。相手が悪いと思うときもあるだろう。しかしそれでも
頭をさげる。あなたががんばればがんばるほど、結局はそのシワよせは、子どものところに集
まる。

しかしあなたが最初に頭をさげてしまえば、相手も「いいんですよ、うちも悪いですから……」と
なる。そうなればあとはスムーズにことが流れ始める。要するに、負けるが勝ち。

 ……と書くと、「それでは子どもがかわいそう」と言う人がいる。しかしわかっているようでわか
らないのが、自分の子ども。あなたが見ている姿が、子どものすべてではない。すべてではな
いことは、実はあなた自身が一番よく知っている。

あなたは子どものころ、あなたの親は、あなたのすべてを知っていただろうか。それに相手が
先生であるにせよ、親であるにせよ、そういった苦情が耳に届くということは、よほどのことと考
えてよい。そういう意味でも、「負けるが勝ち」。これは親同士のつきあいの大鉄則と考えてよ
い。

++++++++++++++++

 たしかに問題のある教師というのは、いる。私も、数多く見てきた。それは事実だ。しかしこの
原稿の中で、私が書きたかったことは、「親どうしのトラブル」について、である。先生とのトラブ
ルではない。そのことは、この原稿を、もう少し、ていねいに読んでもらえば、わかってもらえた
はずなのだが……。

●冒頭の話に

 ではなぜ、私が、冒頭で、「鼻クソ」の話をしたか。

 実は、Kさんの問題も、たがいの信頼関係があれば、もう少し性質のちがったものになった
はずだということ。つまり、Kさんの問題の奥に、もう一つ、別の問題があるのではないかという
こと。実は、私にも、こんな経験(失敗)がある。

 R君(小四)は、もともと多動性のある子どもだった。そのときも、席から離れて、フラフラと歩
いていた。そこで私は冗談ぽく、こう言った。「パンツにウンチがついているなら、席を離れてい
ていい。おしりが、ウンチでかゆい人は、立っていていい」と。

 いつもなら、そこでR君は、席にもどるはずだった。が、ここでハプニングが起きた。隣の席に
いた、別の子どもが、いきなりR君のおしりに顔をあて、こう叫んだ。「先生、こいつの、しり、本
当に臭い!」と。

 R君は、そのときは、照れくさそうに笑っていた。それで終わった。……が、その夜、R君の父
親から、猛烈な抗議の電話がはいった。「パンツのウンチのことで、息子に恥をかかせるとは、
何ごとか!」と。

 ものすごい剣幕だった。しかもその電話が、三〇分以上もつづいた。私は、ただひたすら、あ
やまるしかなかった。

 この事件のときも、もし父親がその場の雰囲気を知っていたら、ああまですごい剣幕にはな
らなかったと思う。つまり私と父親の間には、信頼関係が、まったく、なかった。

●もう一つの失敗

 こんなこともあった。いつものレッスンが終わって、部屋から出ようとすると、E君(年長男児)
が、そこに立っていた。そこで「どうしたの?」と声をかけると、「ぼくの出席表が、ない……」と。

 よくあることである。だれかがE君の出席表を、まちがえてもっていってしまったらしい。そこで
私が、「明日になれば、もどってくるよ。心配しなくていい」と。

 が、その夜、母親から、電話がかかってきた。これも、ものすごい剣幕だった。母親は、電話
口の向こうで、こう叫んだ。

 「あんたは(こういうとき親は、いつも私を『あんた』と呼ぶ。私は、そういう世界に生きてい
る)、うちの子が、泣いて抗議したというのに、『知らない』と言ったそうですね。どうして、もっと
子どもの立場になって考えることができないのですかア!」と。

 この問題は、それで終わったかのように見えたが、そうではなかった。

 E君の母親は、翌日早く、私が出勤する前に幼稚園へでかけ、園長に、「あんな林は、すぐク
ビにせよ」と息巻いたという。この事件も、やはり私と親の間の信頼関係がないことが、原因だ
った。

●いかにして信頼関係をつくるか

いかにして信頼関係をつくるか……? これは教師の問題でもあるが、実は、親の問題でもあ
る。信頼関係というのは、向こうからやってくるものではない。自分で、もちかけて、作るもので
ある。

 そしてそれは同時に、教師自身のためでもあるが、実は、親のためでもある。そしてさらに言
えば、子どものためでもある。

そこで私は、こう書いた。「先生を立てろ」と。

 先生という職業を長くしていると、子どもを介して、親の気持ちが、手に取るようにわかるよう
になる。子どもというのは、そういう意味で、隠しごとができない。まさに親の心が、そのまま子
どもの心となる。

 そういうとき、先生が、「ああ、この子どもの親は、私を信頼してくれている」とわかると、教え
る熱意が、何倍もわいてくる。しかしそうでないときは、その熱意が、消えてしまう。消えるだけ
ならまだしも、苦痛になることさえある。

 しかしこうなると、教育そのものが成りたたなくなる。居なおるわけではないが、先生とて、生
身の人間なのだ。聖人でも、牧師でもない。ただの人間なのだ。あなたや、あなたの夫(妻)
と、どこもちがわない、ただの人間なのだ。

 だからまず、相手を信頼する。その気持を、子どもを介して、先生に伝える。それがここでい
う、「もちかけて、作る」という意味である。

 Kさんの事例は、たいへん残念な事例である。私は「先生の悪口はタブー」「まず、先生を信
頼しなさい」と書いた。しかしKさんは、「一方的に、そういうことを書いてもらっては、困る」と。し
かしこういう、からみ方をされると、何が、正論で、何が正論でないか、わからなくなってしまう。

 教育に熱心になることは、それ自体は、悪くない。しかし神経質になるのは、よくない。過関
心は、さらに悪い。かえって子どもの伸びる芽を、つんでしまうことにもなりかねない。それだけ
は、注意したほうがよい。
(031125)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


子育て随筆byはやし浩司(371)

【近況】

●コンビニでの、おもちゃ買い

コンビニへ行くたびに、五〇〇円とか一〇〇〇円とか、おとなげもなく、おもちゃを飼っている。
昨夜は、グリコのおまけ付、アメを買ってきた。しかし、だ。これにも驚いた。五センチ大のバイ
クに、人形が二体。バイクは、ハンドルもタイヤも動く。スタンドも動く。しかも塗装がすごい。人
形の顔も、きちんと、描いてある! またまたハマりそう!


●毎晩、電話

このところ、毎晩のように、長電話。昨夜は、名古屋に住む従兄弟(いとこ)と、一時間近く、話
した。

(しかし「従兄弟」という漢字だが、もう少し、簡単にならないものか。これを「いとこ」と読むのに
は、無理がある。たとえば「糸子」とか、「異戸子」とか。ひらがなで、「いとこ」と書くのも、おかし
い?)

それに従兄弟と書いても、男性なのか、女性なのか、わからない。一応、「従弟」「従妹」「従
兄」「従姉」などという漢字を使うこともあるが……。

 従兄弟と話をしていて、心のどこかで、ふと、そんなことを考えていた。


●小六の漢字

昨夜、小六のWさんが、漢字の勉強をしていた。今度、某進学塾の検定試験を受けるという。
かなりむずかしい漢字が混ざっていた。「こんなむずかしい漢字は、もう使わないよ」と言うと、
「知っておかないと、本が読めなくなるウ〜」と。

そこで私が、「そんな漢字のある本なんか、読まなければいい」と言うと、「先生が、そんなこと
言って、いいのオ〜?」と。

世の中には、文学者と呼ばれる人がいる。しかし私は、ああいう人たちの書いた、やたらと難
解な文章が、大嫌い。苦手(失礼!)なのは、大江K氏。日本を代表するノーベル賞受賞作家
だそうだが、私の頭が悪いせいか、大江氏の文章は、何度読んでも、理解できない。が、私
も、まねて書くことぐらいなら、できる。

『自我の洞察は、観念と実念の過酷なまでの相克から始まる。魂の慟哭は、その必然的かつ
弁証法的過程を経て、観念と実念を混濁させる。そこに究極の自我が宿る……』

(自分でも、さっぱり、意味がわからなア〜イ。)


●今週の幼児教室から

今週は、「工作」をテーマにした。線引きの使い方から始めて、最終的には、箱作りまで指導し
た。

で、その途中で……。

「騒いでいる子どもには、チューをしてあげる」と私。

 すると、子どもたちが、「どうしてチューなの?」と。

私「いいか、ここでは、チューイ(注意)はしない。チューだ」
子「いやだア〜」
私「だから、するのだ。私とチューしたい子は、いない」
子「だったら、私、騒ぐ!」
私「どうして?」
子「だって、チューしてもらいたい」
私「……?」と。

しかし今、アメリカでは、マイケル・ジャクソンが問題になっている。こういう言い方は、それ自
体、セクハラ行為になる。が、私の教室は、全参観授業。いつも母親たちが、そばで見てい
る。だから過去、三〇年以上、問題になったことはない……。と、書きたいが、実は、あった。

私はよく「虫」を食べるまねをしてみせる。「これは怒り虫だよ」と言って、虫を食べる。そしてプ
リプリと怒ったフリをする。しかしそれはあくまでも演技。

が、あるときのこと。私が、その怒り虫を食べたあと、怒ったフリをして、プリントを丸めて、一番
前にいた、Yさんという女の子(年中児)の頭をたたいてみせた。あくまでも、そのフリをしたの
だが、それがよくなかった。

その夜、Yさんの母親から電話がかかってきた。

母「先生は、今日のレッスンで、うちの子をたたいたそうですね」
私「はあ、……たたきました」
母「あなたは、体罰は、反対ではなかったのではないですか?」
私「はあ、そうですが……」

母「しかも、うちの子は、何も悪くなかったのに、先生は、私をたたいたと言っています。どういう
ことか、ちゃんと、説明してください」
私「ああ、あれはですね、私が怒り虫を食べてですねえ……」
母「そうですってね。あなたはときどき、子どもの前で、虫を食べてみせるそうですね。どうして
そういう気味の悪いことをするのですか。うちの子も、気味悪がっています」

私「冗談です。冗談で食べてみせるだけです」
母「冗談でも、そういうことを、してもらっては、困ります!」(ガチャン!)と。

母親は、怒っているから、何でもすべて、悪いほうへ悪いほうへと、とってしまう。そういう失敗
は、よくある。最近は、少しは、慎重になったつもりだが……。
(031126)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


子育て随筆byはやし浩司(372)

●ツッパル子ども

 ツッパル子どもの、もっとも目立つ特徴は、拒否的態度である。何かを提案しても、それを考
える前に、即座に、それを拒否する。

親「パンを食べるの?」
子「いらねえヨ〜」
親「どこかへ、おいしいものを食べに行こうか?」
子「うるせえナ〜」と。

 それだけ心が緊張状態にあるとみるが、さらにその原因はといえば、人間関係がうまく結べ
ないことがある。うまく結べないため、態度や姿勢が、攻撃的になる。子ども自身にしてみれ
ば、攻撃的になることにより、自分の周囲に、自分にとって居心地のよい世界をつくろうとす
る。

 ……というようなことは、たびたび書いてきた。ここでは、もう少しその先を、具体的に考えて
みたい。

 あるお母さんから、こんな相談をもらった。何でも学校で、先生が、「勉強が嫌いな人?」と声
をかけたら、そのお母さんの子ども(小二男児)だけが、「嫌いだヨ!」と答えたというのだ。そこ
でさらに先生が、「本当に嫌いな人?」と声をかけたら、また、「嫌いだヨ!」と。

 よく見られる拒否的態度である。で、こういうとき、親や先生は、子どもの言葉に、引き回され
やすい。「さあ、たいへんだ!」「本当に嫌いなのかしら!」「どうしよう?」と。

 しかし心配は、ご無用。(拒否的態度は、また別のところで問題にするとして、「嫌いだヨ!」と
言ったことは、心配しなくてよいという意味。)

 こうしたツッパリ症状が見られたら、それが軽いばあいは、相手にしない。適当に聞き流して
おけばよい。本気にずればするほど、わけがわからなくなる。つまりその「適当に聞く」という部
分が、親や先生の、度量(=心のふところ)の深さということになる。親や先生が、子どもに同
調して、カリカリすればするほど、子ども自身が、方向性を見失ってしまう。

 相手は、しょせん、子ども。ときに生意気なことも言うが、子どもは、子ども。いろいろなことが
わかっていて、そう言うのではない。こういうケースでまずいのは、そのつど、親や先生が、動
揺すること。その動揺が、子どもの心を、かえって、不安定にしてしまう。

 子育てで大切なのは、「一貫性」である。よきつけ、あしきにつけ、この一貫性が、子どもの心
を育てる。実は、ツッパル子どもの背景には、この一貫性がない。甘い生活規範と、暴力や威
圧がともなうきびしい生活環境が、同居している。そのアンバランスな生活環境が、子どもの心
を、不安定にする。

 だからむしろ、なおすべきは、そちらのほうということになる。そちらがなおれば、拒否的態度
は消え、ついで、「勉強は嫌いだヨ〜!」という言葉も消える。

 えてして私たちは、子どもの表面的な様子だけをみて、それに引き回されやすい。しかしそれ
では、問題は、解決しない。
(031127)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(373)

●ハナがキジバトを、かみ殺す

 ハナ(犬)が、やっと飛び立ったキジバトのヒナを、かみ殺した。瞬間だった。ちょうど、私とワ
イフが、朝食をとっていたときのことだった。

 それまで私たちは、親バトと、子バトが、並んで、庭を歩いているのを見ていた。ハナは手前
から、うらめしそうに、それを見ていた。私は何度も、ハナを制した。ハナは、そのときは、私の
指示に従った。

 しかしつぎの瞬間。ほんの少し、目を離したとたん、ワイフが、「ギャーッ」と。見ると、ハナが、
子バトの体を振りまわしているところだった。即座に、私は怒鳴りながら、庭へ飛び出た。しか
し、遅かった。

 子バトは、首の下から、真っ赤な血を流しながら、二度、三度とバタつかせたあと、息を絶え
た。

 私は、そばでうずくまっていたハナのしりを、力いっぱい、蹴った。「バカヤロー」と。ハナは、
腰を落として、自分の犬小屋へ逃げた。私は、そばにあった、棒きれを、ハナめがけて、思い
っきり、投げた。怒りが収まらなかった。悲しさが、どっとこみあげてきた。

 かわいそうな子バト。今朝、はじめて巣立って、そのまま死んだ。何とも言いようのない、やる
せなさが心の中に充満した。しかしハナが、そこまでバカだったとは! なさけなかった。

 しばらくして、私は、山の斜面に、穴を掘った。その間に、ワイフは、死んだ子バトを、紙に包
んでいた。私は黙ってそれを受け取ると、その子バトを、埋めた。そして上から、土をかぶせ
た。

 巣箱に逃げたハナを、私は思いっきり、にらんだ。ハナは、視線をはずして、顔をうなだれ
た。それを見て、私はまた怒鳴った。「バカヤロー。ハトは、お前の友だちだろ!」と。

 部屋に帰ると、もう一羽の子バトがいた。おとといの夜、木から落ちてきたハトである。カゴか
ら出してやり、指の上に止まらせた。もう私を見ても、驚かない。逃げようともしない。

 「お前の兄ちゃんは、死んでしまったよ……」と。

 ほんの少し前まで、そのハトにはこう言っていた。「早くお前も大きくなって、あのお前を蹴落
としたお兄ちゃんを、見返してやれ」と。そして私は、そのハトの中に、首がふくれるほど、エサ
をつっこんでやった。

 しかし何とも言いようのない、やるせなさは、残った。だからといって、ハナを叱っても意味は
ない。どうせ人間の言葉はわからない。ワイフは、「猟犬だから……」と、何度も、ため息まじり
に、言った。

 それから私たちは、約束があったので、W小学校のN校長に会いに行った。途中、何度も、死
んだハトの話になった。そしてそのたびに、やはり、言いようのない、やるせなさが心を押しつ
ぶした。W小学校から、帰ってくるときも、同じだった。

 「ハナなんか、保健所送りだ。動物園の動物のエサになればいい」と私。
 「猟犬だから……」と、またワイフ。

 何度、話しても、同じ会話になってしまう。

 で、その日の午後。私とワイフが、コタツに入っていると、突然、ハトの子どもが、ピーピーと
鳴いた。羽をバタつかせた。見ると、親バトが近くへ来ていた。

 私は、ハナを、犬小屋の中に閉じ込めると、子バトを、そっと、庭に放してやった。子バトは、
一目散に、親バトのところへ走っていった。そして抱きつくように、首を重ねると、エサをねだっ
た。

 親バトは、そのたびに、首をくねらせて、子バトに、エサを与えた。ワイフと私は、それをじっ
と、見守った。

 私とワイフは、何も言わなかった。だまって、その親子を見守った。目頭が、ジーンと熱くなっ
た。
(031127)

【追記】

 朝、ピー子(子バト)に、エサを与えていると、ピー子が、ピーッと鳴いた。外を見ると、親バト
が、そこにきていた。

 私は、ハナを犬小屋に閉じ込めると、ピー子を手に載せて、外へ連れ出した。親バトは、そこ
にいた。

 しばらくそなままにしていると、突然、ピー子が、一直線に飛びあがった。そしてそのまま近く
の松の木の枝にとまった。間髪を入れず、親バトが、追いかけた。

 ワイフは、「ああ、飛んだ、飛んだ!」と、子どものように、はしゃいだ。

 そのあと、親バトは、子バトに、懸命に、エサを与えていた。私とワイフは、目をこらしながら、
しばらくそれを見ていた。

 一一月二八日の朝だった。ピー子を保護して、四日目の朝だった。おしまい!

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩

 
子育て随筆byはやし浩司(374)

●二番底

 ある母親から、こんな相談をもらった。「うちの子(小四男児)が、不登校児になりそうです」
と。そしてその母親からのメールを読むと、こうあった。

11月10日(水)欠席
11月11日(木)遅刻。二時間目から四時間目まで授業を受ける。
11月12日(金)欠席
11月15日(月)おなかが痛いと言って、昼から出席
11月16日(火)朝、学校まで送っていくと、そのまま夕方まで出席
11月17日(水)欠席、と。

 母親は、「何とか励まして、連れていくが、校門をくぐらせるのに苦労する」と書いていた。そ
のため、「どうしたら、いいか?」と。

 こういケースで、最初に注意しなければならないことは、親は、「今が、最悪の状態だ」と思い
やすいこと。しかし「今が、最悪」ではない。その「最悪」の下には、さらに「最悪」がある。これを
二番底という。

 今は、その子どもは、かろうじて、学校に通っているが、この段階で、対処方法をまちがえる
と、まったく学校へ行かなくなってしまう。さらに対処法をまちがえると、情緒障害、さらには精
神障害へと進むかもしれない。つまり二番底から、さらに三番底へと落ちていく。
 
 こういうケースでは、「がんばれ」式の励まし、「こんなことでは……!」式のおどしは、禁物。
言うとしたら、「あなたは、よくがんばっているわ」「あなたにも、いろいろつらいことがあったの
ね」式の理解である。

 たとえば子どもが、午前中くらいなら学校へ行きそうだったら、「無理をしなくていいのよ。二
時間で、迎えにいってあげるからね」と言ってあげる。そういう「やさしさ」が、子どもの心に穴を
あける。

 この種の問題は、「まだ以前のほうが、症状が軽かった」ということを繰りかえして、さらに症
状は、悪化する。だから鉄則は、ただ一つ。「今の状態を、より悪くしないことだけを考えて、対
処する」。「なおそう」と思わないのが、コツ。

 もう一言、つけ加えるなら、この種の問題は、「半年単位。できれば一年単位で、症状の変化
を見守る」。数日や、数週間の変化くらいで、一喜一憂してはいけない。心の問題と言うのは、
そういうもの。外から症状が見えない分だけ、親は、安易に考えやすいが、決して、安易に考え
てはいけない。
(031127)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


子育て随筆byはやし浩司(375)

●萎縮する子ども

親の過干渉、過関心、威圧的育児姿勢、暴力、虐待、育児拒否、冷淡、無視、家庭崩壊など、
子どもの精神を萎縮させる要因は、たくさん、ある。しかしその中でも、親の情緒不安ほど、子
どもを萎縮させるものは、ない。

 機嫌がよいときは、やさしくて、思いやりのあるママ。しかしひとたび機嫌が悪くなると、子ども
をはげしく叱ったりする。叱るならまだしも、子どもがおびえるほどまで、子どもを押さえつけて
しまう。

 神戸の方から、相談のメールが入った。(掲載の了解はもらっていないので、ここでは紹介で
きない。)

++++++++++++++

 五歳の男の子について。幼いころからハキがなく、気弱。ブランコを横取りされても、取りかえ
すことができない。おもちゃを横取りされても、取りかえすことができない。そこで「どうして、や
りかえさないの!」と叱るのが、効果なし。先日も、一時間ほど、そのことで子どもを説教した。

 子どもは、「今度からは、取りかえす」と言ったが、つぎに同じような状況になったときも、私の
ほうを、心配そうに見ながら、ただモジモジしているだけだった。

 保育園へは、三歳のときから通っているが、このところ、何かにつけて、「こわいよ……」を繰
りかえすようになった。階段をのぼるときも、「こわいよ……」。通りを歩いていても、「こわいよ
……」と。

 さらに最近では、死ぬことに対して、ものすごく恐怖感を覚えているよう。「死ぬ」という言葉
が、子どもの口から、よく出てくる。こういうときは、どこかへ、相談に行ったほうが、よいのか。
子どもの心に、キズは、残らないか。(以上、要約)

+++++++++++++++

 ほかにもいろいろ書いてあったが、文面からして、母親の、威圧的な育児姿勢が、子どもの
心を、萎縮させてしまった感じがした。その母親は、「私は、いつもひどいことをしていたわけで
はない」と書いていたが、こうした育児姿勢から生まれるショックは、週に一度でも、子どもの心
に深刻な影響を残す。月に一度でも、残す。あるいはたった一度、はげしく叱ったことが原因
で、自閉症になってしまった女の子さえいる。

 その女の子は、二歳のとき、はげしく母親に叱られた。で、そのときをきっかけに、一人二役
の、ひとり言を言うようになってしまった。母親は、「気味が悪い」と相談してきたが、こうした例
は、少なくない。

 一見、タフに見える子どもの心だが、一方で、薄いガラス箱のように、もろい。こわれるとき
は、簡単にこわれる。子どもにもよるが、この時期、「無理をしない」は、子育ての大鉄則。

 で、相談の内容は、「こわれた心は、どうするか?」という問題に、集約される。

 このときでも、親は、「なおそう」と考える。しかし一度、顔についたキズは、消すことはできな
い。心のキズは、さらに、消すことはできない。私は、こうした相談を受けるたびに、「どうして親
は、こうまで身勝手なのだろう」(失礼!)と思う。決して親を責めているのではない。もっと子ど
もの立場で、子どもの心を考えろと言っている。

 幼児でも、「死」への恐怖をよく口にする子どもは、いる。それがある一定の、つまり、だれで
もそうだというレベルを超えたとき、そういう子どもは、不安を基底とした、ものの考え方をする
ようになる。これを「基底不安」という。そして一度、そういう状態になると、残念ながら、生涯に
わたって、つづく。(だから心理学では、「基底」という言葉を使う。)

 この基底不安は、薄められたり、変化することはあっても、消えることはない。程度のちがい
はあるが、生涯にわたって、その不安感から、解放されることはない。それに「死」の問題がか
らむと、ことは、さらに深刻になる。「死」に近い分だけ、何かにつけて、「死ぬ」ことで、問題を
解決しようとする。当然、自殺の問題も、それに含まれる。

 R氏(四八歳、男性)は、こう言った。「私の人生は、いつも、何かに追いたてられているような
感じでした。子どものときも、おとなになってからも、そうです。休みの日にも、心を休めること
ができません。翌日からの仕事が、心配になってしまうのです。ですから私のことを、みなは、
働きバチと言います」と。

 では、どうするか。一般の恐怖症に準じて、できるだけ、その「問題」には、触れないようにす
る。遠ざかって、忘れる。

 そして心のキズについては、あ・き・ら・め・る。冷たい言い方だが、この「あきらめる」ことに
は、二つの意味が含まれる。

 どんな人もでも、何らかのキズをもっている。キズをもっていない人など、いない。だからもし、
あなたがそうであるとしても、またあなたの子どもがそうであるとしても、「みんな、そうなのだ」
という前提で、わ・り・き・る。

 もう一つの意味は、そういう自分、あるいはそういう子どもを、受け入れ、仲よく、つきあうとい
うこと。それは持病のようなものかもしれない。悪いことばかりではない。そういった持病がある
おかげで、体をいたわるようになる。

 私も、子どものころから、扁桃腺炎に悩まされた。しかし今では、その扁桃腺が、健康のバロ
メーターになっている。風邪のひきはじめでは、必ず、まずのどが痛くなる。で、のどが痛くなる
と、「ああ、風邪だな」と思う。体を大切にする。そのおかげというわけでもないが、おとなになっ
てからは、風邪で、寝込むということは、ほとんど、なくなった。

 それぞれ、みんな、どんな親も、懸命に、子育てをしている。しかし完ぺきな親は、いない。い
つも、どこかで失敗する。もともと子育てというのは、そういうもの。

 だから問題は、失敗することではなく、その失敗に気づかないまま、同じ失敗を繰りかえすこ
と。幸いにも、この相談をしてきた母親は、それに気づいている。「キズは残らないか」と、その
「キズ」を認めている。つまり、その母親は、「今」を原点に、もう一度、ここから子育てを始めれ
ばよい。五歳というのは、もう一度、そのやりなおしがきく、年齢である。
(031128)

【補注】
 子どもの性格や性質をいじる時期は、二度ある。一度は、満一歳前後。もう一度は、満五歳
前後である。

 この時期というのは、(乳幼児期から、幼児期)、(幼児期から、少年少女期)への移行期に
あたる。この時期をうまくとらえ、指導すると、その子どもの性格、および、性質を、変えること
ができる。

 しかしこの二度の時期を過ぎると、子どもの性格、性質は定着する。以後、子どもの性格や
性質をいじるのは、たいへん危険なことである。大切なことは、そういう子どもであることを認め
ること。認めたうえで、その子どもに合わせて子育てをすること。「あなたはダメだ」式の、マイ
ナスのストロークをかけてしまうと、子どもは、自信をなくしたり、さらに将来に対して、大きな不
安を覚えるようになる。

●基底不安

心理学の世界には、「基底不安」という言葉がある。生まれながらにして、不安が基底になって
いて、そのためさまざまな症状を示すことをいう。

絶対的な安心感があって、子どもの心というのは、はぐくまれる。しかし何らかの理由で、その
安心感がゆらぐと、それ以後、「不安」が基本になった生活態度になる。たとえば心を開くこと
ができなくなる、人との信頼関係が結べなくなる、など。

そこで子どもは、さまざまな方法で、心を防衛する。@服従的態度(ヘラヘラとへつらう)、A攻
撃的態度(威圧したり、暴力で相手を屈服させる)、B回避的行動(引きこもる)、C依存的行
動(同情を求める)などがある。これを「防衛機制」という。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(376)

●自殺系マガジン

 電子マガジンの中には、発行部数が、数万部というもの、数多くある。どんなマガジンかと思
いながら、いくつかに目を通してみた。

 で、驚いたことに、その中に、「自殺マガジン(自殺系マガジン・仮称)」というのがあった。ギョ
ッ!

 内容といっても、自由投稿が主体のもので、編集者や発行者の意見は、ほとんどない。で、
私はそれを読んで、改めて、「私」を考えさせられた。

 「死にたい……」
 「Aさんへ、まだ早いわよ……」
 「生きていて、何になる? Bさん、いっしょに、死のう」
 「Cさんへ、明日は、今日より、ひょっとしたらよくなると思うから、生きているだけ……」と。

 こうした内容のやり取りが、毎号つづく。

 私は、そういたマガジンを読みながら、こうした人たち(若者が中心だが……)、自分であって
自分でない部分に、大きく動かされているのを知った。

 恐らく、不幸にして、不幸な家庭に育ったのだろう。しかし当の本人たちは、それに気づいて
いない。「私は私だ」と思っている。「自分の意思で、死にたい」と思っている。しかしそうした「私
(自分は自分と思っている部分)」のほとんどは、環境の中で、つくられたものなのである。

 たとえば乳幼児に、「あれはダメ」「これはダメ」「ああしなさい」「こうしなさい」と言いつづけた
とする。

 やがてその子どもは、自信喪失から自己否定をするようになる。こうなると、自我はつぶれ、
子どもから、子どもらしいハツラツとした表情が、消える。

 そういう子どもがすべて、将来、自殺願望をもつようになるというわけではない。しかし自殺願
望をもつ子どもは、みな、何らかの大きな心のキズをもっている。そうしたキズは、こうしたマガ
ジンの寄せられた投稿を読めば、わかる。

 私の中には、私であって、私である部分と、私であって、私でない部分がある。私であって、
私である部分というのは、比較的わかりやすい。しかし私であって、私でない部分というのは、
それ自体を、その人は、「私」と思いこんでいるいため、それに気づくのは容易ではない。

 たとえば長男や長女は、どうしてもケチになりやすい。これは、弟や妹に対して、生活態度
が、防衛的になるためである。その防衛的な部分が転じて、ケチになる。

 が、たいていの長男や長女は、自分がケチだとは思っていない。気づいても、そういう自分
が、「私」だと、思いこんでいる。あるいは、ケチを前提とした生き方をしたり、さらにそれを正当
化しようとする。「私は、モノを大切にする人間だ」と。

 こうしてその人は、ますます「私であって、私でない部分」に、気づかなくなる。あるいは「私で
あって、私でない部分」を、「私」と思いこんでしまう。

 はっきり言おう。

 自殺をしたい人は、「私であって、私でない部分」に気づかないまま、それを「私」と思いこんで
いるだけ。「死にたい」とは言うが、そう思わせているのは、「私であって私でない部分」。決し
て、その人の「私であって私の部分」ではない。

 「私」を知ることは、そういう意味でも、たいへんむずかしい。私は、その自殺系マガジンを読
みながら、改めて、それを思い知らされた。
(031128)

++++++++++++++++

この「私」に関して、以前、「残像症状」という
言葉を考えた。それについて書いたのが、つぎ
の原稿です。

私たちは、私であって、私でない部分に、みな
動かされている。それについて書きました。

++++++++++++++++
●残像症状

 「残像症状」という言葉は、私が考えた。

たとえば子どもが何かの心の問題をもったとする。赤ちゃんがえりなら赤ちゃんがえりでもよ
い。赤ちゃんがえりは、五〜六歳をピークに、この時期を過ぎると急速に症状が消えていく。

しかしそのあと「残像」のようなものが残る。後遺症というような症状ではないが、しかし関係が
ないとは言えないような症状をいう。はっきりとした形で残るときもあるが、別の形となって残る
ときもある。私はそれを勝手に「残像症状」と呼んでいる。いろいろな残像症状がある。

 赤ちゃんがえり……幼児期に赤ちゃんがえりを経験した子どもは、気むずかしい、いじけや
すい、くじけやすい、意地っ張りになりやすいなど。形としてはわかりにくが、ほかにケチになり
やすい、意地悪、仮面をかぶる、よい子ぶる、さみしがり屋など。愛情への屈折した欲求不満
が、どこかすなおでない子ども像をつくる。

 分離不安……孤独に弱い、恐怖心をもちやすい、人なつっこい、心をいつわりやすい、相手
にあわせて行動する、人の心にとりいるなど。一度幼児期に分離不安になると、分離不安はい
ろいろな形であらわれてくる。ある妻は、夫の帰りが少し遅いだけで、極度の不安状態になっ
てしまう。あるいは夫が出張で家をあけたりすると、不安で不眠症にねっつぃまうなど。

 指しゃぶり……髪いじり、爪かみなどを総称して、代償的行為という。心を償うために代わり
にする行為と考えるとわかりやすい。つまり代償的行為をすることによって、子どもは不安定な
自分の情緒を安定させようとする。だからこうした行為を叱ったり、禁止しても意味がない。無
理にやめさせると、かえって子どもの情緒を不安定にする。

で、こうした代償的行為は、おとなにも見られる。これはベトナム戦争に行ったオーストラリアの
友人から聞いた話だが、サイゴンに帰ったオーストラリア兵は、皆、「女を買った」そうだ。しか
しセックスが目的ではない。皆、女性を買って、一番中、女性の乳首を吸うためだったそうだ。
戦争という極度の緊張状態に置かれた兵隊たちは、そういう形で、自分の心をなぐさめた。

 こうした指しゃぶりは、おとなにもよく見られる。指の腹を吸う、なめるなど。ヘビースモーカー
の人は、よく「くちびるがさみしいからタバコを吸う」というが、それも代償的行為と考えてよい。
もともと情緒が不安定の人とみてよい。

 以上、おとなでも残像症状をもっている人はいくらでもいる。で、あなた自身はどうか。一度自
分を静かに観察してみるとおもしろい。「あなた」を発見する、新しい手がかりになるかもしれな
い。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(377)

●死にたくなったら……

風邪をひくと、熱が出る。
しかしその熱は、いくらがんばっても、
自分の意思では、どうにもならない。

同じように、心が風邪をひくと、
死にたくなる。
しかしその思いは、いくらがんばっても、
自分の意思では、どうにもならない。

脳の中には、そういう思いが、
すでにプログラムされている。
そのプログラムが、勝手に動き始める。
だから、死にたくなる。

しかしそれは決して、
あなたであって、あなたではない。
風邪で熱を出しているときの
あなたが、あなたではないように、
心が風邪をひいて、死にたくなっているあなたは、
決して、あなたであって、あなたではない。

だから、死んではだめだ。
そのときの「あなたに」に、すべてを
ゆだねては、だめだ。

だからあなたは、ただじっと、
ただ静かに、時の流れるのに
身を任せばよい。

相談したところで、どうにかなる問題ではない。
嘆いたところで、どうにかなる問題ではない。

やがてあなたの中の、別のプログラムが作動し始める。
それをただ静かに、見守る。
あとは、時間が、解決してくれる。

++++++++++++++

地の底から、ふと、やさしい声が聞こえる。
お前は、さみしいだろ。苦しいだろ。

足元をすくわれるような孤独感。
身の置き場がない、さみしさ。

再び、その声はこう言う。
生きていて、どうなる。楽になりたいか、と。

私は静かに目を閉じる。これは風邪だ。
閉じて、体を丸める。これは風邪なんだ。

やがて、私は、その向こうの、
漆黒の暗闇の中に、落ちていく。

……やがて気がつくと、朝だった。
まっ白な光が、あたりを照らす。

穏やかな心。平和な心。静かな心。
それをもう一度、確認して、あたりを見まわす。

朝だ。朝だ。朝なのだ。
私はさらにしっかりと目を開き、
腹に力を入れて、ゆっくりと起きあがる。
(031128)

●自殺のために、もっともらしい理由をつける人は、つまらない人間だ。(エピクロス「断片」)
●いかに現世を厭離するとも、自殺はさとりの姿ではない。いかに徳行高くとも、自殺者は大
聖の域に遠い。(川端康成「末期の眼」)
●生に対する無限の信仰と尊重を抱いて立つ時、自殺は絶対的の罪悪ではあるまいか。(倉
田百三「愛と認識との出発」)
●自殺は、この上ない、臆病の結果である。(デフォー「投機論」)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(378)

●老後の自分

 老後は衰退期か、はたまた円熟期か。
 当然、私は、「円熟期」説をとる。

 問題は、その老後を円熟させるために、私はどうするか、だ。

(1)精神面の充実……私はもともと、不和随行型のいいかげんな人間だった。相手に合わせ
て、カメレオンのように、自分をつくr、そんな人間だった。だから、いつか、本当の自分が、わ
からなくなってしまった。これでは、精神面の充実など、望むべきもない。

そこで私は、五〇歳を過ぎてから、飾らない、隠さない、本音で生きるを、モットーにしてきた。
まず「私」を、そのまま、あるがままに、さらけ出してみようと思った。

しかしこれは予想していたより、たいへんなことだった。それまでの生きザマを変えるということ
は、並大抵の努力ではできない。さらけ出すことの抵抗よりも、さらけ出す自分に自信がもてな
かった。

(2)限界の受容……限界を認めることは、敗北だと、少し前まで、考えていた。しかしこのとこ
ろ、「限界」を認めるようになった。「まだ、何とかなる」という人生観から、「まあ、こんなものだ」
という人生観に転換しつつある。

したいことはあった。夢もあった。今でも、やり残したと思うことは、多い。しかし私は、それぞれ
の時点で、最大限、生きてきた(……と思う)。だから、「ここらあたりが、限界か」と思うようにな
った。

その限界を、認め、受け入れる。しかしそれは、決して、あきらめることを意味するのではな
い。あきらめて引きさがることを意味するのではない。自分のできることと、できないことの間に
一線を引き、そのできることの範囲では、さらに最大限、生きていく。

(3)男から人間へ、人間から人類へ……そろそろ「男である自分」から、脱皮しつつあるように
思う。「男だから……」「女だから……」という考え方は、もう二〇年以上も前に、捨てた。しかし
意識は、残っている。その意識と、決別しつつある。と、同時に、「人間」から「人類」へと、その
視点を、飛躍させつつある。

ものの考え方を、「男」や、「人間」に限っていたのでは、その生き方にも限界が生まれる。まだ
その境地には達していないが、そのうち、「人類とは……」というようなものの考え方ができるよ
うになれば、と願っている。

くだらないことだが、私は幼児教育の道に入ってからというもの、「君は男だろ」とか、「君は女
の子だる」というような、言い方をしたことがない。「お兄ちゃんだから……」とか、「お姉ちゃん
だから……」というような、言い方もしたことがない。そういう発想そのものがない。いわんや、
「男の子らしく」とか、「女の子らしく」というような、言い方をしたことは、絶対にない。

(4)目標を夢にかえる……老後は、まさに目標づくりの年齢ということになる。日々の目標、
月々の目標、そして年単位の目標をつくる。そしてそれに向うことを生きがいにする。

この操作に失敗すれば、老後は、さみしく、みじめなものになる。だから老後を意識したら、そ
の目標を、いかにつくるかを、考える。私のばあいは、今は、(あくまでも今は……の話だが)、
「電子マガジンを、一〇〇〇号までつづける」ことが、目標になっている。そしてこれも目標のう
ちだが、毎号、A四サイズの用紙で、約二〇枚前後の原稿を書くようにしている。そうでないと、
「一〇〇〇号」という意味がなくなってしまう。たった原稿用紙一枚のマガジンでも、一号は一号
ということになってしまう。

しかしこの目標は、たいへんよかった。日々の生活に、ほどよい緊張感が生まれた。もちろん
その反面、肝心の本の出版のほうは、たとえば今年は、ゼロになってしまった。どうせこういう
時代だから、本は売れない。かえってよかったのではなかったかと、と思っている。

それに一言、つけ加えるなら、本を書くときも、雑誌に記事を書くときも、どこか相手に合わせ
てしまうようなところがある。(私は、(1)に書いたように、もともとそういう人間である。)しかし
マガジンには、それがない。無料ということは、無料。好き勝手なことを書くことができる。(だか
らといって、いいかげんなことを書いているのではない。毎日、真剣勝負で書いている。)

 以上、(1)〜(4)までが、私の老人論ということになる。『みんなで目ざそう、心豊かな、円熟
の老後』。どこかの団体がつくるような標語になってしまったが、今は、そう思っている。
(031128)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(379)

●一般保護エラー

 ホームページ専用に使っている、P社製のパソコンの調子が、このところ、どうもおかしい。電
源を入れると、WINDOW98のロゴが画面に出たあと、「一般保護エラー」「再起動してくださ
い」と表示される。(一般保護エラーって、何?)

 そこで再起動をかけると、今度は、「セーフモード起動」となる。で、セーフモードで一度、立ち
あげてから、また再起動をかけるのだが、それでも、うまくいくのは、一〇回のうち、一回ぐらい
しかない。

 P社の相談窓口に電話をすると、「システムの故障です。リカバリーをかけてください」とのこ
と。何ともトンチンカンな回答ではないか。こちらは、リカバリーをかけたくないから、相談してい
るのに……!

 で、こうしてだまし、だまし使って、ほぼ二週間。その間、片手まに、あちこちをいじってみる。
で、だんだん、原因がわかってきた!

 ウィルス・スキャンに、S社製のソフト(ノーXX、何とか)を使っている。どうやら、このソフトが、
いたずらをしているらしい?

 私はほかのパソコンには、M社製のソフト(マカXX何とか)を使っている。S社製とM社製のソ
フトの大きな違いは、S社製のソフトは、コンピュータのCPU(中央演算装置)を操作しながら、
ウィルスチェクをしていること。そのためUPDATEするたびに、再起動が必要となる。一方、M
社製のソフトは、あくまでもソフトレベルで対応している。UPDATEしても、ほとんどのばあい、
再起動までは、必要ない。

 そのS社製のソフトでは、起動と同時に、初期検査をする設定になっていた。どうやらその部
分が、不都合を起こしているらしい?

しかし正直に告白するが、このS社製のソフトは、最初からトラブルつづき。ここに書き出した
ら、キリがない。(もう二度と、S社製のソフトは、買わないぞ!)

 そこで、S社製のソフトのCDを入れて、再度、上書き。そしてUPDATE。

 その苦労のかいがあって、今のところ、順調に作動している。……といっても、まだ不安は不
安……。ハラハラしている。

 そこで今日、仕事に行く途中に、書店でガイドブックを立ち読みしてきたら、そのガイドブック
には、こうあった。

 「一般保護エラー……、ソフトのプログラムミスなどにより、本来なら使ってはいけないメモリ
ー領域まで、そのソフトが入りこんだときに起こる」と。

 立ち読みなので、この部分の記述は不正確。しかし、まあ、そんなところ。つまりS社製のソフ
トのプログラムミスが、今回のパソコンの不調の原因だったということになる。

 それにしても、パソコンという機械は、本当にやっかい。こうしてパソコンの不調で起こるスト
レスを、「パソコン・ストレス」という。実際、パソコンの不調から受けるストレスは、相当なもの。
ばあいによっては、神経がヘトヘトになる。

パソコン歴、三〇年以上という私ですらそうなのだから、一般の人をや! 故障がきっかけで、
パソコンを投げ出した人は、多い。しかしこれも、過渡的な問題なのか。そんなことも、今、ふと
考えた。
(031128)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


子育て随筆byはやし浩司(380)

【小四クラスで……】

 突然、M君が、「ボッキ!」と言った。「先生、ボッキって、何だか知っている?」と。
 
 私が、「何だ……それ?」と、とぼけていると、「先生、ボッキって知らないの? チンチンが立
つことだよ」と。

 そこでさらにとぼけて、「へえ、チンチンが立つの? じゃあ、チンチンは座ることもできる
の?」と言うと、みなが、ゲラゲラと笑いはじめた。

 笑いが、一段落したとき、「あのね、チンチンが立つって、どんなときに、立つの?」と、私が
聞くと、「おしっこが、一杯たまったとき……」と。ナルホド!

 いろいろ聞くと、子どもたちは、どうやらそういう情報を、上級生から仕入れているようだ。「だ
れから、そういうことを教えてもらうの?」と、聞くと、「五年生の、○○君が言っていたア!」と。

 念のため言っておくが、このクラス(金曜日、小四)は、男児のみ。女児はいない。

 やがて、英語の話になった。

 「ウンチは、英語で、何ていうの?」「シィッツ」
 「チンチンは?」「ディック」
 「おっぱいは?」「ブレスト」
 「おしりは?」「バック」
 「じゃあ、ボッキは?」「イレクト」と。

 すると一番、はしゃいでいたI君が、「じゃあ、先生、耳クソは何て言うの?」と。

 そこで私が、「外人の耳には、耳クソはないの。耳クソがポロポロと出るのは、日本人だけだ
よ」と言うと、またまた大爆笑。

 どういうわけか、外人(白人)には、耳クソがない。ベタベタの耳アカにはなるが、日本人のよ
うな耳クソは出ない。だからたとえば、アメリカには、耳かき棒のようなものは、ない。

 で、男児のばあい、小三から小四にかけて、性に対する関心と興味が、急速に高まってくる。
女児も、このころを境に、父親といっしょに入浴するのを拒(こば)むようになる。この時期とい
うのは、一方で、ちょうど、自己意識※が急速に発達する時期と重なる。

 このとき大切なことは、「セックス」に関して、暗いイメージをもたせないこと。そこで性教育と
いうことになるが、もともと欧米で性教育というときは、性にまつわる古い因習や、性をしばる伝
統や文化を打破し、男女に対する偏見と誤解を、取り除くための教育をいう。

 しかしこの日本で、「性教育」というと、「セックスにまつわる教育」というイメージが強い。だか
ら小四の子どもたちでも、「性教育」という言葉を聞いただけで、みな、ニヤニヤと笑い始める。

私「どうして、ニヤニヤ笑うの?」
子「だってさあ……」
私「どうして、おかしいの? 理由を言いなよ」
子「言えないよ。……じゃあ、先生は笑わないの?」
私「笑うよ」
子「じゃあ、先生は、ヘンタイだア!」と。

 今では、小学生でも、「フェラ」「クリトリス」「クリニングス」などという言葉を知っている。私の
時代には、そういう言葉すら、なかったと思うが……。
 
※……フロイトは、人間の生きる力(リピドー)の原点には、つねに「性」があるという。そういう
視点に立つと、自己意識というのは、すわなち、異性への関心と興味ということになる。その関
心と興味が転じて、自己意識へとつながっていく。このことは、私の経験に照らしても、正しいと
思う。

私がはじめて他人の目を意識したのは、やはり初恋を経験してからである。それまでは、自分
がどんなふうに見えるかとか、また見られているかとかいうことには、ほとんど関心がなかっ
た。

しかし初恋をしてからは、とくに、その相手に対しては、目立つことを考えるようになった。「自
分は、その子には、どう見られているのか」「もっと、その子の注意をひくためには、どうすれば
いいのか」と。そしてそういう思いが、やがて、「私」を意識する意識(=自己意識)へと、つなが
っていった。
(031128)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

 
子育て随筆byはやし浩司(381)

●子育ての溝(みぞ)

 子育てには、失敗は、つきもの。ほとんどの親たちは、子育てが何であるかもわからないま
ま、子育てを始める。あるいは無意識のうちにも、自分が受けてきた子育てを、繰りかえす。

 それは人間の心に深く刻まれた、溝(みぞ)のようなもの。簡単に消すことはできない。あるい
はいくら、頭の中で、「おかしい」と思っていても、ふとゆだんすると、その溝に、足をとられてし
まう。

 たとえば不幸にして、不幸な家庭に育った父親や、母親ほど、「いい家庭をつくろう」「いい親
でいよう」という、気負いばかりが先行して、子育てで失敗しやすい。ギクシャクする。溝が、で
こぼこであったり、あるいは本来あるべき方向に、溝が刻まれていないためだ。

 だから問題は、そういう溝があることではなく、溝のあることに気づかないまま、その溝に足を
とられて、いつも同じ失敗を繰りかえすこと。よく知られた例は、自分自身が親に暴力を振るわ
れた人は、(あるいは親の暴力を日常的に見てきた人は)、自分が親になったとき、その子ど
もに対して、暴力を、振るいやすい。

 こういう形で、子育ては、親から子へと、伝播(でんぱ)する。もっとはっきり言えば、子育て
は、頭でするものではなく、無意識のうちに、溝に従ってするもの。だからたいていの親たち
は、こう言う。「頭の中では、わかっているのですが、いざ、その場になると、どうしても、できま
せん」と。

 そこで問題は、どうやって、その心の溝に気づくか、である。方法が、ないわけではない。

 まず、あなた自身の過去を、静かに、振りかえってみる。そのとき、あなたの両親は、あなた
に対して、どういう親であったかを、あれこれ思い出してみる。

●あなたに対して、権威主義的ではなかったか……親意識が強く、いつも親風を吹かしてはい
なかったか。

●あなたを溺愛してはいなかったか……やることが、ふつうの親とは、ちがってはいなかった
か。

●あなたに対して、過干渉や過関心ではなかったか……あなたはその反面、親の前で、仮面
をかぶってはいなかったか。

●家庭は平和で、のどかだったか……あなたは親の、やさしい愛情に包まれていたか。何一
つ、不自由なく育ったか。

●あなたは幼児期から、少年少女期にかけて、幸福だったか……心豊かで、楽しい思い出が
たくさんあるか。

●今の、この時点において、あなたと両親の関係は、良好か……あなたはあなたの親と、良好
な人間関係を築いているか。

 こうした問題を、一つずつ、自分の心に問いかけてみる。そしてそのとき、全体から浮かびあ
がってくるあなた自身の親像が、一定の輪郭(りんかく)をもっていれば、それでよし。そうでな
く、どこかにゆがみを感ずるようなら、今度は、今の、あなた自身の、子育て観を疑ってみる。

 私は、たまたま幼児教育に接していたこともあって、いつごろからか、生徒である幼児を見な
がら、自分さがしを、始めた。

 たとえば私は、「お前は愛想がいい」と、人によく言われた。が、私自身は、つまり本当の私
は、人との接触が苦手だった。相手にへつらいながら、自分をごまかしてしまう。だから、人と
会うと、すぐ疲れてしまう。それだけではないが、そこで、そういう自分を追求していくと、最終的
には、自分自身の、不幸な幼児期にたどりつくことができた。

 私は結婚してからも、妻にさえ、心を開かなかった。子どもが生まれてからも、子どもにさえ、
心を開かなかった。子どもが、「パパ!」と叫んで、走りよってきたときも、すなおにそれを喜ぶ
前に、「何か、ほしいから、そうしているのだ」と思ったりした。

 私は、暖かい家庭に、飢えていた。父親と、母親が、仲むつまじく語りあい、励ましあい、教え
あい、助けあう。その間に子どもがいて、家族が、笑いあう……。そんな家庭がほしかった。言
いかえると、私には、そういう家庭がなかった。

 あとになって、そのことを、父や母に話すと、とくに母は、「お前を産んでやったではないか」
「育ててもらって、何てことを言う!」と言い、私を叱った。つまり、「それでじゅうぶんではない
か」と。

 だからといって、父や母を責めているのではない。当時は、日本中が、そういう時代だった。
親たちにしても、毎日、食べていくだけで、精一杯。家庭教育の「カ」の字もない時代だった。私
はまさに、戦後直後生まれの、団塊の世代である。

 だから私にしても、子育ては、失敗の連続だった。おかしな男尊女卑思想、権威主義、仕事
第一主義などなど。戦前の、というより、江戸時代そのままの封建意識すら、もっていた。結婚
したころは、ワイフに、こんな暴言を吐いたこともある。「お前は、だれのおかげで、メシを食っ
ていかれると思っているのか! それがわかっているのか!」と。

 よきにつけ、悪しきにつけ、こうした溝は、だれにでもある。そしてその溝にはまりながら、そ
れが私と思いこんで、子育てをする。そこで大切なことは、よい溝であれば問題はないが、悪
い溝であれば、まず、それに気づくこと。気づけばよい。気づけば、あとは、時間が解決してく
れる。

 繰りかえすが、まずいのは、それに気づかないまま、その溝に、振りまわされること。そして
同じ失敗を、繰りかえすこと。
(031129)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(382)

●結婚式

 甥(おい)の結婚式に出る。ワイフと二人で、出る。感動的な結婚式だった。

 式は、別の会館で。披露宴は、市内のホテルで行った。義兄や義姉の、涙でくしゃくしゃにな
った顔を見たとき、「ああ、これが結婚式なんだなア」と思った。

 ただ、私やワイフは、新郎新婦からみれば、いわゆる伯父、伯母になる。世代的には、たっ
た一世代しかちがわないが、今の若い人たちとの間には、大きな距離を感ずる。そこで私は、
こう考えた。

 式は、両方の家から、親類縁者が集まってする。それでよい。しかし披露宴は、若い人たち
に任せて、私たちのようなジジ・ババは、遠慮する。そのほうがよいのではないか、と。

 というのも、今の結婚式は、どこかギャク化している。バラエティ番組が、そのまま式場にやっ
てきたという感じすら、する。それが悪いというのではない。若い人たちが、それで楽しいという
のなら、それでよい。しかし、こうしたやり方は、私たちの年代には、あまり合わない。合わない
というより、どこかで大きな違和感を覚えてしまう。

 若い人たちがはしゃいでいるのを、見たりすると、それを楽しむ前に、楽しんでいるフリをしな
ければならないという重圧感ばかりが、心にのしかかる。(まさか、シラけて見ているわけにも、
いかないし……。)

 だからやはり、披露宴は、若い人たちだけで、したほうがよい。またそのほうが、若い人たち
も、心置きなく、楽しむことができる。

 いくつか、気がついた点がある。

(1)新郎新婦の紹介では、学歴を披露するのは、もうやめよう。

(2)席順は、アイウエオ順にして、エライ人が上座で、そうでない人が下座というような席順は、
もうやめよう。


(3)何かにつけて、男女を差別する風習が残っているが、男女を差別する風習(言い方、祝辞
など)は、もうやめよう。(たとえば「(妻は家庭で)、夫を助ける」「夫の仕事を支える」などという
ような言い方。)

(4)引き出物という、みやげを、帰りに渡すのは、もうやめよう。


(5)服装を、もっと自由にしよう。男は、黒の礼服、女は、留袖と、決めてかかるのは、おかし
いのではないかと思う。(これについては、結論は、まだ出ていない。)

(6)「両家」という言い方ではなく、「両人」という言い方を主体にして、あくまでも新郎新婦の祝
宴パーティということにしよう。


(7)それからここにも書いたように、式は、親族が集まってするとしても、披露宴は、新郎新婦
を中心とした、若い人たちだけに、任そう。そのほうが、費用も安くあがる。豪華な結婚式は、
それなりに豪華だが、しかし今のように、あそこまで豪華にする必要は、ないのでは……?

 いらぬ、お節介かもしれないが、あくまでも、参考意見として、結婚式について、書いてみた。
日本を変えていくためには、こうした点からも、少しずつ、改めていかねばならない。そして…
…。世界からみて、日本を、もう少し、常識的な国、わかりやすい国にしよう!
(031129)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(383)

●私のバカ論

 「バカなことをする人を、バカというのよ。(頭じゃないのよ)」(映画『フォレスト・ガンプ』)と。

 そのバカの中でも、最近のバカは、だれか?

 先日の衆議院議員選挙で、私の地元の、KG氏が落選した。H新党の前代表である。私の自
宅から、歩いて数分のところに、彼の選挙本部があった。

が、その翌日。KG氏の秘書が、逮捕された。新聞報道によれば、KG氏の秘書は、在日外国
人らを使って、相手側候補を誹謗(ひぼう)するチラシを、各家庭に配ったという。

 秘書は、『「劣勢を挽回(ばんかい)するためにやった」「外国人なら、バレないだろうと思っ
た」などと言った』と、報道されている。(まだ起訴された段階なので、真偽のほどは、わからな
い。)

 KG氏といえば、元中央官僚。もともとは自民党員だったが、H党を新しく作るために、自民党
を脱党した。そして昨年(〇二年の終わり)、H党から、H新党に名前を変えるとき、そのまま、
そのH新党の代表になった。

 私はともかくも、ワイフは、最初から、このKG氏を嫌っていた。「何となく、うさん臭そうな顔を
している」というのが、その理由だった。「どこが?」と聞くと、「ほら、あの北海道の鈴木M※
と、顔が似てるでしょ」と。ナルホド! 

 私のワイフは、選挙では、候補者を、その雰囲気で選ぶらしい。それはさておき、もし新聞報
道のとおりだとするなら、KG氏は、バカだ。(秘書が勝手にやったという、言い逃れは、もうで
きないぞ!)

 最高の頭脳と、最高の権力と、最高の名誉を手中にしながら、何たるザマ! やることが、ミ
ミッチイ。姑息(こそく)。秘書が有罪に決まれば、連座制とかで、KG氏は、今後五年間、政治
活動ができなくなるという。

 しかし私は、この事件を聞いたとき、別のことを考えていた。「権力というのは、かくも、人を狂
わすものなのか」と。H新党は、政権与党の一角に、しっかりと食い込んでいた。大臣も、出し
ていた。そのH新党の代表だったから、日本の総理大臣とも、直接、電話で話すこともできた
はず。

 しかしここで考えなくてはいけないことは、KG氏に、それだけの自覚があったかということ。
「日本を代表する」とか、「日本を背負う」とか、そういう自覚である。

 およばずながら、私には、ある。まったく、権力とは無縁の世界にいる私だが、その私にす
ら、ある。ときどきワイフは、私にこう言う。「あんた、ひとりで、日本を背負っているみたい。バ
カみたい!」と。

 そう、バカみたい。「みたい」ではなく、私は本物のバカ。自分でも、それがわかっている。だ
れも、私のような人間など、相手にしていない。いくら吼(ほ)えても、世間は、ビクともしない。し
かし私は、ひとりで、吼えまくっている。

 だからといって、私が高潔であると言っているのではない。もし政治家になれば、私は、ワイ
ロを、バンバンともらうだろう。断る勇気は、ない。だから、私は、政治家にはならない。……な
れない。

 ところで人間というのは、自分がもつ醜さと、同じ醜さをもっている人間を嫌うらしい。たとえば
私は、あの鈴木M氏が、大嫌い。最初から、大嫌い。で、あるとき、考えてみた。「どうして、私
は、鈴木M氏を、こうまで毛嫌いするのか?」と。

 やがてその理由が、わかった。あの鈴木M氏は、私に似ている。どこか似ている。だからま
た別の日、私はこう思った。「もし、私が政治家になったら、あの鈴木M氏と、そっくり同じことを
しているだろうな」と。

 しかし私は、KG氏は、嫌いではなかった。いつか、KG氏に、いつか、一票を入れたこともあ
る。今回、選挙で落選したが、それほど、悪い人だとは思っていなかった。たまたま選挙の前
夜、M町のレストランで食事をしていたら、そこへKG氏の選挙カーがやってきた。私は、しば
し、KG氏の生の声を聞きながら、「KG氏に、入れてもいいな」と考えていたくらいである。

 しかし、それにしても、バカなことをしたものだ。もしKG氏の指示で、秘書が動いていたとした
ら、さらにバカなことをしたものだ。正々堂々と、政策論議でもするならまだしも、誹謗するチラ
シを配るとは!

 KG氏は、実にバカげたことで、それまでの名誉や地位を、棒に振ってしまった! このあた
りの人の話では、「KGは、もうだめだ」という雰囲気に、なりつつある。支持者の信頼を裏切っ
た罪は、大きい。 

 たまたま今、「バカ」という言葉が、マスコミをにぎわせているので、私も、まねして、バカ論を
書いてみた。
(031129)

※鈴木M……現在、製材会社「YR」(北海道帯広市)からのあっせん収賄、「SD建設」(網走
市)からの受託収賄で起訴されている。偽証罪での国会議員の起訴は、一九九五年のYG元
労相についで、鈴木M氏が、二人目。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(384)

●詳しくはわからないが…… 

 情報が不足しているので、詳しくはわからない。しかし最近、こんな事件があった。あくまで
も、新聞などで報道されている範囲で、少し、考えてみる。

 ある中学校に、一人の不登校の子どもがいた。(新聞の報道によれば、そのとき、すでに、
不登校を繰りかえしていたことになる。)

 その不登校の子どもに、ある日、先生が、「怠け心は、だれにでもある」(記事)と、言ったとい
う。(どういう席で、どういう形で、そう発言したかについては、不明。個人的に言ったのか、公
の場所で、そう言ったのか。一対一の状態で、そう言ったのか?)

 その言葉に憤慨(ふんがい)した親が、学校を訴えた。X〇万円の慰謝料を請求した。そこで
当然、裁判ということになったのだろうが、教師側は、恐らく、示談で話をすませたいと思った
のだろう。ほぼ同額の示談金を用意して、親に渡した。そのお金は、教師が、自腹(ポケットマ
ネー)を切って、用意したものだった。

が、親は、「性格のわからないお金は、受け取れない」と、それを拒否した(以上、報道記事
を、要約。Y新聞、全国版・〇三年一一月末)。

 その親の置かれた立場は、よくわかる。心理状態も、よくわかる。しかし私は、この記事を読
んで、まず感じたことは、「そんなことで!」であった。

 もっとも新聞報道だから、すべてを報道していないと思う。ほかにも、その子どもや親をキズ
つける言葉が、あったのかもしれない。それはわからないが、もし新聞報道のとおりだとするな
ら、やはり、「そんなことで!」である。

 むしろ、「怠け心は、だれにである」という発言は、その子どもを守った言葉とも、受け取れ
る。日本でも、昔から、その人を半ばかばうような意味で、「魔がさした」という言葉を使うときが
ある。「あの人は、あんなことをしたが、きっと、魔がさしたのだろうね」と。

 つまりそう言うことによって、「本当は、あの人は、いい人なんだよ」という気持をこめる。この
事件のときも、先生には、「本当は、もう少し深刻な問題かもしれないが、軽く(怠け)としておき
ましょう」という気持があったのかもしれない。

 もちろん不登校といっても、内情は、さまざま。「学校拒否症(school refusal)」もあれば、「怠
学(truancy)」もある。私の二男も、ひどい花粉症から、毎年、その季節になると、不登校を繰り
かえした。

TBSの報道※によれば、その子どもは、小学時代、小児神経症だったという。もしそうなら、こ
の中学生は、怠学よりは、学校拒否症による不登校が疑われる。「怠学」というと、その言葉か
ら受ける印象は暗いが、わかりやすく言えば、「ズル休み」のこと。

 しかし、どうしてこの事件が、こうまで大げさになってしまったのか。しかも報道によれば、教
師がお金を渡したのは、昨年(〇二年)の一二月だという。すでに一年近くもたっている!

 何とも、よくわからない事件である。どうしてこうまで、こじれてしまったのだろうか。ただ心配
するのは、こういう事件が重なるたびに、一方で、現場の先生たちが、ますます萎縮してしまう
ということ。実際、どこの学校へ行っても、「そんなことで!」と思われるような事件で、現場の先
生たちが、心を痛めている。悩んでいる。苦しんでいる。そしてその分だけ、先生たちは、萎縮
してしまっている。

 今では、子どもの頭を、プリントで叩くことすら、許されない。軽い冗談を、口にすることすら、
許されない。北海道のどこかで起きた事件だが、先生が、「死ぬつもりでがんばれ」と言ったこ
とがある。運動会でのことだったが、この事件も、全国紙で問題にされた。「死ぬつもりとは、何
だ!」と。

たしかに今の先生たちは、サラリーマン化している。(サラリーマン的であることが、悪いと言っ
ているのではない。念のため。)しかし、もともとサラリーマンだから、しかたないではないか。

 そういう先生に、高徳な道徳や正義を求めても、意味はない。中には、先生を、牧師か僧侶
のように思っている人もいる。しかし先生だって、ごくふつうの人間である。あなたや、あなたの
夫(妻)とは、どこもちがわない、ごくふつうの人間である。

 だったら、先生を、そういう前提で考え、また教育のしくみも、それに合わせていく。今のよう
に、教育はもちろんのこと、しつけ、道徳、倫理、はては家庭指導まで、先生に押しつけて、「何
とかしろ」と迫るほうが、おかしい。

 教育というのは、もともとファジー(いいかげん)なものである。ファジーであることが悪いと言
っているのではない。そのファジーな部分で、子どもは、羽をのばし、自分を伸ばす。

 「学校? 行きたくなければ、行かなくてもいいのよ。そのかわり、ママと、いっしょに、図書館
へでも行って、本を読みましょうね」
 「あんな、バカ教師、何よ。別に怠けているわけじゃ、ないわよね。気にすることはないわよ」
と。

 先生の一言一句で、子どもがキズつくことはある。それは認める。しかし人間というのは、そ
ういうキズまるけになって、成長する。もちろん意図的に、生徒をキズつけるようなケースは、
許されない。しかし、そうでないなら、もう少し、親のほうも、肩の力を抜いて、気を楽にしては、
どうか。

 「そんなことで!」と書いた、私の本音は、そんなところにある。
(031130)

++++++++++++++++++++

※【TBS・iニュースより】

●生徒の不登校巡り教師が母親に現金

 S県I市の中学校で、不登校になっていた女子生徒の母親に対し、教師が見舞金として現金
を渡していたことがわかりました。

 中学校によりますと、いじめなどが原因で 不登校がつづいていた、現在、X年生の女子生徒
に対し、去年まで担任だった女性教師が、「怠け心は誰にでもある」 などと発言しました。
 
 これに生徒の母親が強く抗議し、学校側へ 慰謝料X0万円を要求。教師はポケットマネーか
らX0万円を用意し、校長と共に見舞金として去年12月、母親に手渡しましたが、今年に入っ
て、母親が「意味不明の金だ」として、全額を返却したということです。
 
 「払うことによって教育に支障がなくなれば、それはいいかなと思った」「今は、まちがったこと
をしたと思っている」(校長)と。
 
 女子生徒は小学生のときから不登校気味で、小児神経症と診断され、現在も学校を休んで
いるということです。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(385)

●女性の激ヤセについて

 これは「男」の意見。私も、長年、「男」をしてきた。そういう「男」の意見。

 最近、街角でも、よく見かけるのは、若いが、ぞっとするほど(失礼!)、激ヤセした女性。健
康的に、つまり体をきたえ、筋肉をひきしめて細くなったのならまだしも、明らかに無理なダイエ
ットで細くなったような感じ。ところどころ、筋肉のかたまりを残したまま、そのほかの部分で、
肉が、げっそりと落ちている。

 「男」というのは、「女」のどこに、セックスアピールを感ずるかといえば、それは、どこかムチ
ッとした、健康的な美しさである。太っているから悪いということではない。「太った女性、大好
き」という「男」も、かなりの割合でいる。

 ただ、無理なダイエットで、不自然な細くなったような女性は、美しさを感ずる前に、痛々しく
思ってしまう。たいていこのタイプの女性は、肌もカサカサ(ガサガサ)していて、中には、二〇
歳代の半ば前なのに、四〇歳くらいの女性の肌を思わせるような人もいる。

 もっとも本人がそれでハッピーなら、それでよい。しかしその「男」の立場で、一言。

「細い女性ほど、男にもてる」「細い体ほど、男には魅力的」と考えるのは、とんでもない誤解。
まったくの誤解。少なくとも、私は、そうは思っていない。これは「男」もそうなのだろうが、本物
のセックスアピールというのは、外に向って、光り輝くように、体のシンから、わき出てくるもの。

 きびしいことを書いたが、そのために、つまり、若い女性たちは、その真の美しさを得るため
に、運動をしたらよい。ジョギングでも、ランニングでもよい。水泳でもテニスでもよい。サイクリ
ングは、さらによい。この時期に無理なダイエットをすれば、その影響は、つぎに、出産のとき
に、現れる。さらに中年から老年にかけて、現れる。

 この先は、私は専門家ではないので、何とも書きようがないが、繰りかえす。「若い女性たち
よ、無理なダイエットはやめなさい!」と。

 このことをワイフに話すと、ワイフはこう言った。「どうしてあなたが、そんなことを心配する
の? あなたの好みを、他人に押しつけてはいけないわ」と。

 じゃあ、書いてやる。私の好みは、どこか理知的で、どこかもの静かで、どこかむっちりとした
白い肌で、胸の大きさは、ふつうで、腰がくびれた女性。

 私はメガネ族だから、おかしなことに、メガネをかけた女性のほうが、親しみを覚える。その
ことをワイフに話すと、ワイフはこう言った。

 「あら、それって、私のこと?」と。

 バカめ。一つ言い忘れた。年齢は、X五歳前後まで。五X歳のワイフは、対象外!
(031130)

【追記】サルは、お尻が赤くて、しわクチャになっているメスほど、オスにもてるそうだ。「ああ、
サルでなくてよかった」と、今、思った。いくら何でも、しわクチャのお尻の女性だけは、XXX。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(386)

●生きる意味

 幼児を教えていて、ふと不思議に思うことがある。子どもたちの顔を見ながら、「この子たち
は、ほんの五、六年前には、この世では姿も、形もなかったはずなのに」と。

しかしそういう子どもたちが今、私の目の前にいて、そして一人前の顔をして、デンと座ってい
る。「この子たちは、五、六年前には、どこにいたのだろう」「この子たちは、どこからきたのだ
ろう」と思うこともある。

 一方、この年齢になると、周囲にいた人たちが、ポツリポツリと亡くなっていく。そのときも、ふ
と不思議に思うことがある。亡くなった人たちの顔を思い浮かべながら、「あの人たちは、どこ
へ消えたのだろう」と。

年上の人の死は、それなりに納得できるが、同年齢の友人や知人であったりすると、ズシンと
胸にひびく。ときどき「あの人たちは、本当に死んだのだろうか」「ひょっとしたら、どこかで生き
ているのではないだろうか」と思うこともある。

いわんや、私より年下の人の死は、痛い。つぎの原稿は、小田一磨君という一人の教え子が
死んだとき、書いたものである。


●脳腫瘍で死んだ一磨君

 一磨(かずま)君という一人の少年が、一九九八年の夏、脳腫瘍で死んだ。三年近い闘病生
活のあとに、である。その彼をある日見舞うと、彼はこう言った。

「先生は、魔法が使えるか」と。そこで私がいくつかの手品を即興でしてみせると、「その魔法
で、ぼくをここから出してほしい」と。私は手品をしてみせたことを後悔した。

 いや、私は彼が死ぬとは思っていなかった。たいへんな病気だとは感じていたが、あの近代
的な医療設備を見たとき、「死ぬはずはない」と思った。だから子どもたちに千羽鶴を折らせた
ときも、山のような手紙を書かせたときも、どこか祭り気分のようなところがあった。皆でワイワ
イやれば、それで彼も気がまぎれるのではないか、と。

しかしそれが一年たち、手術、再発を繰り返すようになり、さらに二年たつうちに、徐々に絶望
感をもつようになった。彼の苦痛でゆがんだ顔を見るたびに、当初の自分の気持ちを恥じた。
実際には申しわけなくて、彼の顔を見ることができなかった。私が彼の病気を悪くしてしまった
かのように感じた。

 葬式のとき、一磨君の父は、こう言った。「私が一磨に、今度生まれ変わるときは、何になり
たいかと聞くと、一磨は、『生まれ変わっても、パパの子で生まれたい。好きなサッカーもできる
し、友だちもたくさんできる。もしパパの子どもでなかったら、それができなくなる』と言いました」
と。そんな不幸な病気になりながらも、一磨君は、「楽しかった」と言うのだ。その話を聞いて、
私だけではなく、皆が目頭を押さえた。

 ヘミングウェイの『誰がために鐘は鳴る』の冒頭は、こんな詩で始まる。「誰の死なれど、人の
死に我が胸、痛む。我もまた人の子にありせば、それ故に問うことなかれ」と。

私は一磨君の遺体を見送りながら、「次の瞬間には、私もそちらへ行くから」と、心の奥で念じ
た。この年齢になると、新しい友や親類を迎える数よりも、死別する友や親類の数のほうが多
くなる。人生の折り返し点はもう過ぎている。今まで以上に、これからの人生があっと言う間に
終わったとしても、私は驚かない。だからその詩は、こう続ける。

「誰がために(あの弔いの)鐘は鳴るなりや。汝がために鳴るなり」と。

 私は今、生きていて、この文を書いている。そして皆さんは今、生きていて、この文を読んで
いる。つまりこの文を通して、私とあなたがつながり、そして一磨君のことを知り、一磨君の両
親と心がつながる。

もちろん私がこの文を書いたのは、過去のことだ。しかもあなたがこの文を読むとき、ひょっと
したら、私はもうこの世にいないかもしれない。しかし心がつながったとき、私はあなたの心の
中で生きることができるし、一磨君も、皆さんの心の中で生きることができる。それが重要なの
だ。

 一磨君は、今のこの世にはいない。無念だっただろうと思う。激しい恋も、結婚も、そして仕
事もできなかった。自分の足跡すら、満足に残すことができなかった。瞬間と言いながら、その
瞬間はあまりにも短かった。そういう一磨君の心を思いやりながら、今ここで、私たちは生きて
いることを確かめたい。それが一磨君への何よりの供養になる。」


●あの世は……

 あの世はあるのだろうか。それともないのだろうか。釈迦は『ダンマパダ』(原始経典のひと
つ、漢訳では「法句経」)の中で、つぎのように述べている。

 「あの世はあると思えばあるし、ないと思えばない」と。わかりやく言えば、「ない」と。

「あの世があるのは、仏教の常識ではないか」と思う人がいるかもしれないが、そうした常識
は、釈迦が死んだあと、数百年あるいはそれ以上の年月を経てからつくられた常識と考えてよ
い。もっとはっきり言えば、ヒンズー教の教えとブレンドされてしまった。そうした例は、無数にあ
る。

 たとえば皆さんも、日本の真言密教の僧侶たちが、祭壇を前に、大きな木を燃やし、護摩(ご
ま)をたいているのを見たことがあると思う。あれなどはまさにヒンズー教の儀式であって、それ
以外の何ものでもない。

むしろ釈迦自身は、「そういうことをするな」と教えている。(「バラモンよ、木片をたいて、清浄
になれると思ってはならない。なぜならこれは外面的なことであるから」(パーリ原典教会本「サ
ニュッタ・ニカーヤ」))

 釈迦の死生観をどこかで考えながら、書いた原稿がつぎの原稿である。


●家族の喜び
   
 親子とは名ばかり。会話もなければ、交流もない。廊下ですれ違っても、互いに顔をそむけ
る。怒りたくても、相手は我が子。できが悪ければ悪いほど、親は深い挫折感を覚える。「私は
ダメな親だ」と思っているうちに、「私はダメな人間だ」と思ってしまうようになる。

が、近所の人には、「おかげでよい大学へ入りました」と喜んでみせる。今、そんな親子がふえ
ている。いや、そういう親はまだ幸せなほうだ。夢も希望もことごとくつぶされると、親は、「生き
ていてくれるだけでいい」とか、あるいは「人様に迷惑さえかけなければいい」とか願うようにな
る。

 「子どものころ、手をつないでピアノ教室へ通ったのが夢みたいです」と言った父親がいた。
「あのころはディズニーランドへ行くと言っただけで、私の体に抱きついてきたものです」と言っ
た父親もいた。が、どこかでその歯車が狂う。狂って、最初は小さな亀裂だが、やがてそれが
大きくなり、そして互いの間を断絶する。そうなったとき、大半の親は、「どうして?」と言ったま
ま、口をつぐんでしまう。

 法句経にこんな話がのっている。ある日釈迦のところへ一人の男がやってきて、こうたずね
る。「釈迦よ、私はもうすぐ死ぬ。死ぬのがこわい。どうすればこの死の恐怖から逃れることが
できるか」と。それに答えて釈迦は、こう言う。

「明日のないことを嘆くな。今日まで生きてきたことを喜べ、感謝せよ」と。

私も一度、脳腫瘍を疑われて死を覚悟したことがある。そのとき私は、この釈迦の言葉で救わ
れた。そういう言葉を子育てにあてはめるのもどうかと思うが、そういうふうに苦しんでいる親を
みると、私はこう言うことにしている。「今まで子育てをしながら、じゅうぶん人生を楽しんだでは
ないですか。それ以上、何を望むのですか」と。

 子育てもいつか、子どもの巣立ちで終わる。しかしその巣立ちは必ずしも、美しいものばかり
ではない。憎しみあい、ののしりあいながら別れていく親子は、いくらでもいる。しかしそれでも
巣立ちは巣立ち。親は子どもの踏み台になりながらも、じっとそれに耐えるしかない。

親がせいぜいできることといえば、いつか帰ってくるかもしれない子どものために、いつもドア
をあけ、部屋を掃除しておくことでしかない。私の恩師の故松下哲子先生は手記の中にこう書
いている。

「子どもはいつか古里に帰ってくる。そのときは、親はもうこの世にいないかもしれない。が、そ
れでも子どもは古里に帰ってくる。決して帰り道を閉ざしてはいけない」と。

 今、本当に子育てそのものが混迷している。イギリスの哲学者でもあり、ノーベル文学賞受
賞者でもあるバートランド・ラッセル(一八七二〜一九七〇)は、こう書き残している。「子どもた
ちに尊敬されると同時に、子どもたちを尊敬し、必要なだけの訓練は施すけれど、決して程度
をこえないことを知っている、そんな両親たちのみが、家族の真の喜びを与えられる」と。こうい
う家庭づくりに成功している親子は、この日本に、今、いったいどれほどいるだろうか。」


●生きる目的

 ではなぜ、私たちは生きるか、また生きる目的は何かということになる。釈迦はつぎのように
述べている。

 「つとめ励むのは、不死の境地である。怠りなまけるのは、死の足跡である。つとめ励む人は
死ぬことがない。怠りなまける人は、つねに死んでいる」(四・一)と述べた上、「素行が悪く、心
が乱れて一〇〇年生きるよりは、つねに清らかで徳行のある人が一日生きるほうがすぐれて
いる。愚かに迷い、心の乱れている人が、一〇〇年生きるよりは、つねに明らかな智慧あり思
い静かな人が一日生きるほうがすぐれている。怠りなまけて、気力もなく一〇〇年生きるより
は、しっかりとつとめ励む人が一日生きるほうがすぐれている」(二四・三〜五)(中村元訳)と。

 要するに真理を求めて、懸命に生きろということになる。言いかえると、懸命に生きることは
美しい。しかしそうでない人は、そうでない。こうした生き方の差は、一〇年、二〇年ではわから
ないが、しかし人生も晩年になると、はっきりとしてくる。

 先日も、ある知人と、三〇年ぶりに会った。が、なつかしいはずなのに、そのなつかしさが、
どこにもない。会話をしてもかみ合わないばかりか、砂をかむような味気なさすら覚えた。話を
聞くと、その知人はこう言った。「土日は、たいていパチンコか釣り。読む新聞はスポーツ新聞
だけ」と。こういう人生からは何も生まれない。

 つぎの原稿は、そうした生きざまについて、私なりの結論を書いたものである。


●子どもに生きる意味を教えるとき 

 懸命に生きるから、人は美しい。輝く。その価値があるかないかの判断は、あとからすれば
よい。生きる意味や目的も、そのあとに考えればよい。

たとえば高校野球。私たちがなぜあの高校野球に感動するかといえば、そこに子どもたちの
懸命さを感ずるからではないのか。たかがボールのゲームと笑ってはいけない。私たちがして
いる「仕事」だって、意味があるようで、それほどない。「私のしていることは、ボールのゲーム
とは違う」と自信をもって言える人は、この世の中に一体、どれだけいるだろうか。

 私は学生時代、シドニーのキングスクロスで、ミュージカルの『ヘアー』を見た。幻想的なミュ
ージカルだった。あの中で主人公のクロードが、こんな歌を歌う。「♪私たちはなぜ生まれ、な
ぜ死ぬのか、(それを知るために)どこへ行けばいいのか」と。それから三〇年あまり。私もこ
の問題について、ずっと考えてきた。そしてその結果というわけではないが、トルストイの『戦争
と平和』の中に、私はその答のヒントを見いだした。

 生のむなしさを感ずるあまり、現実から逃避し、結局は滅びるアンドレイ公爵。一方、人生の
目的は生きることそのものにあるとして、人生を前向きにとらえ、最終的には幸福になるピエー
ル。そのピエールはこう言う。

『(人間の最高の幸福を手に入れるためには)、ただひたすら進むこと。生きること。愛するこ
と。信ずること』(第五編四節)と。つまり懸命に生きること自体に意味がある、と。

もっと言えば、人生の意味などというものは、生きてみなければわからない。映画『フォレスト・
ガンプ』の中でも、フォレストの母は、こう言っている。『人生はチョコレートの箱のようなもの。
食べてみるまで、(その味は)わからないのよ』と。

 そこでもう一度、高校野球にもどる。一球一球に全神経を集中させる。投げるピッチャーも、
それを迎え撃つバッターも真剣だ。応援団は狂ったように、声援を繰り返す。みんな必死だ。
命がけだ。ピッチャーの顔が汗でキラリと光ったその瞬間、ボールが投げられ、そしてそれが
宙を飛ぶ。その直後、カキーンという澄んだ音が、場内にこだまする。一瞬時間が止まる。が、
そのあと喜びの歓声と悲しみの絶叫が、同時に場内を埋めつくす……。

 私はそれが人生だと思う。そして無数の人たちの懸命な人生が、これまた複雑にからみあっ
て、人間の社会をつくる。つまりそこに人間の生きる意味がある。いや、あえて言うなら、懸命
に生きるからこそ、人生は光を放つ。生きる価値をもつ。

言いかえると、そうでない人に、人生の意味はわからない。夢も希望もない。情熱も闘志もな
い。毎日、ただ流されるまま、その日その日を、無難に過ごしている人には、人生の意味はわ
からない。さらに言いかえると、「私たちはなぜ生まれ、なぜ死ぬのか」と、子どもたちに問われ
たとき、私たちが子どもたちに教えることがあるとするなら、懸命に生きる、その生きざまでし
かない。

あの高校野球で、もし、選手たちが雑談をし、菓子をほおばりながら、適当に試合をしていた
ら、高校野球としての意味はない。感動もない。見るほうも、つまらない。そういうものはいくら
繰り返しても、ただのヒマつぶし。人生もそれと同じ。そういう人生からは、結局は何も生まれな
い。高校野球は、それを私たちに教えてくれる。


●「私」の共有

 私も、つぎの瞬間には、この世から消えてなくなる。書いたものとはいえ、ここに書いたような
ものは、やがて消えてなくなる。残るものといえば、この文を読んでくれた人がいたという「事
実」だが、そういう人たちとて、これまたやがて消えてなくなる。

しかしその片鱗(りん)は残る。かすかな余韻といってもよい。もっともそのときは、無数の人た
ちの、ほかの余韻とまざりあって、どれがだれのものであるかはわからないだろう。しかしそう
いう余韻が残る。この余韻が、つぎの世代の新しい人たちの心に残り、そして心をつくる。

 言いかえると、つまりこのことを反対の立場で考えると、私たちの心の中にも、過去に生きた
人たちの無数の余韻が、互いにまざりあって、残っている。有名な人のも、無名な人のも。もっ
と言えば、たとえば私は今、「はやし浩司」という名前で、自分の思想を書いているが、その
実、こうした無数の余韻をまとめているだけということになる。

その中には、キリスト教的なものの考え方や、仏教的なものの考え方もある。ひょっとしたらイ
スラム教的なものの考え方もあるかもしれない。もちろん日本の歴史に根ざすものの考え方も
ある。どれがどれとは区別できないが、そうした無数の余韻が、まざりあっていることは事実
だ。

 この項の最後に、私にとって「生きる」とは何かについて。私にとって生きるということは考え
ること。具体的には、書くこと。仏教的に言えば、日々に精進することということになる。それに
ついて書いたのがつぎの文である。この文は、中日新聞でのコラム「子どもの世界」の最終回
用に書いたものである。


●生きることは、考えること

 毎週土曜日は、朝四時ごろ目がさめる。そうしてしばらく待っていると、配達の人が新聞を届
けてくれる。聞きなれたバイクの音だ。が、すぐには取りにいかない。いや、ときどき、こんな意
地悪なことを考える。配達の人がポストへ入れたとたん、その新聞を中から引っ張ったらどうな
るか、と。きっと配達の人は驚くに違いない。

 今日で「子どもの世界」は終わる。連載一〇九回。この間、二年半あまり。「混迷の時代の子
育て論」「世にも不思議な留学記」も含めると、丸四年になる。

しかし新聞にものを書くと言うのは、丘の上から天に向かってものをしゃべるようなもの。読者
の顔が見えない。反応もわからない。だから正直言って、いつも不安だった。中には「こんなこ
とを書いて!」と怒っている人だっているに違いない。私はいつしか、コラムを書きながら、未
踏の荒野を歩いているような気分になった。果てのない荒野だ。孤独と言えば孤独な世界だ
が、それは私にとってはスリリングな世界でもあった。書くたびに新しい荒野がその前にあっ
た。

 よく私は「忙しいですか」と聞かれる。が、私はそういうとき、こう答える。「忙しくはないです
が、時間がないです」と。つまらないことで時間をムダにしたりすると、「しまった!」と思うことが
多い。

女房は「あなたは貧乏性ね」と笑うが、私は笑えない。私にとって「生きる」ということは、「考え
る」こと。「考える」ということは、「書く」ことなのだ。私はその荒野をどこまでも歩いてみたい。そ
してその先に何があるか、知りたい。ひょっとしたら、ゴールには行きつけないかもしれない。し
かしそれでも私は歩いてみたい。そのために私に残された時間は、あまりにも少ない。

 私のコラムが載っているかどうかは、その日の朝にならないとわからない。大きな記事があ
ると、私の記事ははずされる。バイクの音が遠ざかるのを確かめたあと、ゆっくりと私は起きあ
がる。そして新聞をポストから取りだし、県内版を開く。私のコラムが出ている朝は、そのまま
読み、出ていない朝は、そのまままた床にもぐる。たいていそのころになると横の女房も目をさ
ます。そしていつも決まってこう言う。

「載ってる?」と。その会話も、今日でおしまい。みなさん、長い間、私のコラムをお読みくださ
り、ありがとうございました。」 

++++++++++++++++++++++

みなさんへ、

生きているって、すばらしいことですね。
これからも、そのすばらしさを、このマガジンを
とおして、追求していきたいと思います。
今回は、「おわび号」ということで、その
「生きる」について、書いてみました。

これからも、どうか、マガジンを、お読み
ください。

はやし浩司


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(387)

●山荘にて

 今日の空は、幻想的。厚い雲が、ボコボコと空を隠し、その間を、幾筋もの細い雲が、横切っ
ている。が、それでいて暗くはない。雲の切れ間から、白い光線が地上にもれ、ところどころ
で、薄い赤味をおびた、無数の光の束をつくっている。小さいが、しかしコバルトブルー色の、
澄んだ空さえ見える。 

 風はない。どんよりと湿った空気が、山の景色を上から、押さえつけている。紅葉した山々の
木も、そのため、どこか沈んでいる。いつかだれかが、こういう景色を見て、「山の葬式」と呼ん
だ。だれが死んだのだろう。だれが死ぬのだろう。

 たった今、木を切ってきたところ。裏の空き地にあった木だが、いつの間にか、その空き地全
体をおおうようになった。そばまでいってみると、どの木も、直径が、一五センチほどになってい
た。一本切るたびに、上半身から力が抜け、それにかわって、どっと汗が出た。

 全部で、一〇本ほど、切っただろうか。途中でワイフがやってきて、切った枝のあと片づけを
手伝ってくれた。こういう仕事は、ここでは、私の役目ということになっている。で、おかしなこと
に、切った枝は、山のようになっているのに、それほどあたりが明るくなったとは、思えない。山
の木というのは、そういうものか。

 部屋にもどって、ミカンを口に入れる。そこへ、ワイフがやってきて、「風呂がわいたわよ」と。
私は再び、空の雲を見る。先ほどよりも、さらに明るくなったようだ。今朝まで、ワイフは、「台風
がこちらに向かっているみたい」と言っていた。が、どうやら台風は、日本をそれたようだ。

 それにしても、けだるい午後だ。そう言えば、今日は、昼寝をしていない。横になろうか、どう
しようか。横になれば、このまま一、二時間は、眠ってしまうかもしれない。私は、ふと、今朝、
見た夢を思い出した。

 私は、そのとき、見知らぬ通りを歩いていた。金沢の石川門の前だったような気もするが、そ
うでないような気もする。しばらく歩いていくと、小さな小川にかかる、橋があった。はね橋のよ
うな小さな橋で、私は、そこに止まった。

 あたりには、だれもいない。人の気配はするが、人は、見えない。近くに、いくつかの家があ
って、窓もある。その窓の向こうから、だれかが私を見ているようだが、その人までは、見えな
い。あまりよい気分ではない。

 ……たったこれだけの夢、というより、覚えているのは、これだけ。ほかにも何かを見たよう
だが、どうしても、思い出せない。

 しかし、この夢は、何を意味するのか。対人恐怖症? 回避性障害? それとも自意識過
剰? 私は日常の生活の中では、だれにどう思われようと、ほとんど、気にしない。他人の目
は、ほとんど、気にしない。なのに、どうしてこんな夢を見るのか?

 対人恐怖症とか、回避性障害とかとは違って、私のばあい、人に会うのが、めんどうなだけ。
よく気を使う。使う分だけ、疲れやすい。そういう意味では、仮面型人間かもしれない。少なくと
も、若いころの私は、そうだった。

 ワイフは、勝手にひとりで、風呂に入ったようだ。お湯を流す音が、聞こえてくる。しかしこうし
て、ぼんやりとできる時間が、このところ、たいへん貴重になってきた。が、それで頭の中がす
っきりとするわけではない。

 こうして窓の外の、どこか憂うつな景色を見ていると、つぎからつぎへと、新しい考えが、頭の
中に浮かんでくる。それはモヤモヤした煙のようなものだ。放っておくと、やがて頭の中に充満
し、重苦しくなる。

 このモヤモヤを消す方法は、ただ一つ。それを文章にして、外にたたき出すことだ。そう、
今、決めた。風呂をあびてから、また原稿を書く。このモヤモヤを、たたき出してやる!

 では、山荘からのレポートは、ここまで!
(031130)

【追記】
 何とも、はっきりしない、原稿のしめくくり方で、ごめんなさい。山荘で、とった写真をHTML版
のほうに、載せておきます。今年の秋(紅葉)は、例年より、かなり遅い感じがします。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


子育て随筆byはやし浩司(388)

●人格障害

 だれにでも、ある程度の「クセ」がある。しかしそのクセが、ある一定の範囲を超えて、対人関
係で支障が出るようになった状態を、人格障害という。

 症状によって、道徳欠如型、自己中心型、狂信型、衝動型、攻撃型、意志薄弱型、怠惰型な
どに分かれるという(鈴木淳三氏)。そしてその原因はといえば、乳幼児期に、母と子の関係が
不全だったことによって、そうなるというのが、常識になっている。

 育児拒否、冷淡、無視、家庭崩壊、虐待など。その中でも、とくに重要なカギを握るのが、ス
キンシップと考えてよい。わかりやすく言えば、この時期、スキンシップが不足すると、子どもの
心には、さまざまな影響が現れる。その一つが、人格障害ということになる。

 それ以前の問題として、スキンシップが不足すると、子どもは、いわゆる心の冷たい子どもに
なる。たとえば、つぎのような症状が見られるようになる。

(1)感情の表現が平坦……喜怒哀楽の表現が、平坦になる。以前、叱られても、ほめられて
も、ほとんど表情を変えない子ども(小四女児)がいた。が、ある日、ふと、その子どもの顔を見
ると、細い涙を流していた。何かのことで、いやなことがあったのだろう。その子どもは、表情一
つ変えないで、泣いていた。あとでその子どもの父親と話すと、こう教えてくれた。「うちは、水
商売で、それでいろいろ事情があって、生まれるとすぐから、保育所へ預けていました」と。

(2)慢性的な不安状態……慢性的な不安状態を基本とした、生きザマを示すようになる。その
ため、何をしても、逃げ腰になる。さらに症状が進むと、自信喪失状態になり、オドオドした様
子や、ビクビクした様子を示すようになる。成長することや、おとなになることに、不安を覚える
ようになる。さらにひどくなると、「死」について、口にするようになる。

(3)情緒の欠落……どこか心が欠けたような様子になる。たとえば飼っていたペットが死んで
も、平然としているなど。N君(小三男児)は、祖母の葬式のとき、葬儀に来た人の間で、楽しそ
うに、ゲームをしていたという。母親は、こう言った。「あんなにかわいがってくれた、おばあちゃ
んなのに、涙をこぼさない息子を見て、心底、ぞっとしました」と。

 こうした状態が、一つの原因となり、こじれにこじれて、人格障害に進むと考えられる。ただこ
の時点で、注意しなければならないのは、本人には、その自覚も意識もないということ。もちろ
ん病識もない。

 だからたとえば、まわりの人が、それを指摘したりすると、かえって、猛烈に、それに反発した
りする。

 私のよく知っている人に、G氏(四五歳、当時)がいた。

 私は、そのG氏が経営する会社で、翻訳の手伝いをしていた。のちに、G氏の会社は倒産
し、そのままG氏は、精神科の病院へ強制的に入院させられたから、G氏は、ここでいう人格
障害者だったと考えてよい。そのG氏のこと。

 私の翻訳した文章が気にいったということで、ある夕方、料亭に呼び出された。行ってみる
と、G氏と愛人の二人がいた。G氏は、「これ、オレのあれね」と言って、小指を立てて見せた。

 そしてG氏は、見たこともないような、ご馳走(ちそう)を、私にふるまってくれた。が、居心地
は、よくなかった。で、ころあいをみて、席を立とうとすると、突然、激怒して、「お前は、オレの
接待を、受けられないのか!」と。

 そこで「すみません」とあやまると、今度は、一転、妙に紳士的になり、「君の能力に投資する
よ」とか言って、その場で、一〇〇万円の札束を、ポイと投げてよこした。さすがの私もこれに
は驚いて、受け取るのを断った。

 G氏から、そういうもてなしを受けると、あとがたいへん。……もうそのときまでに、数か月近
く、G氏の仕事を手伝っていたから、私には、それが、よくわかっていた。そして、こんな事件が
起きた。

 G氏の経営する会社が、テレビコマーシャルを出すことになった。G氏は、テレビタレントのXX
の、大ファンだった。そこでそのコマーシャルに、XXを起用することにした。で、話はトントン拍
子にうまくいって、そのコマーシャルは、S県全域で放送された。

 が、そのあとのこと。G氏は、XXと、親密な友人になったかのように錯覚してしまった。(XX
は、仕事として、G氏の会社のコマーシャルに出ただけだが、G氏には、それがわからなかっ
た。)で、たまたまXXが、地元のテレビに出演することになったときのこと。あろうことか、G氏
は、その収録中に、テレビ局(NHK)のスタジオに、飛び入りして、「やあやあ、XXさん、お久し
ぶりです! 私の○○会社をよろしく」と、やってしまった。

 自分の会社を、宣伝するつもりだったという。

 録画だったからよかったものの、生放送だったら、たいへんな事件になっていたところであ
る。もちろんG氏は、その場で、何人かの守衛に取り押さえられ、外に放り出された。

 そのG氏が、何という病名で、病院に強制的に収容されたかは、私は知らない。しかし私は、
今でも、G氏の、数々の、特異な言動を忘れることができない。G氏の会社が倒産したのも、実
は、ハプニングによるものだったと、あとから、人から聞いた。

 で、こうした方向性というのは、かなり初期の段階で、子どもの中にできる。しかしその段階
で、たいていの親は、「なおそう」と考えて、無理をする。この無理が、さらに症状をこじらせる。
そして一度、そういう状態になると、あとは、底なしの悪循環。「まだ、以前のほうが、症状が軽
かった」ということを繰りかえしながら、最後は、行きつくところまで、行く。

 印象に残っている少年に、F君(中学生)がいた。

 私が最初、F君の家庭教師をするようになったのは、F君が、ちょうど中学一年生になったと
きのことだった。が、そのころのF君は、どこといって、おかしなところはなかった。(私も若かっ
たので、よくわからなかったのかもしれない。)

 が、一年目くらいから、奇妙な言動が目立つようになった。父親は、H湖の近くで、釣具店を
経営していた。F君は、その釣具店から、最高級の釣具をもちだしては、毎日、意味もなく、磨
き始めた。そして、その磨いた釣具を、綿で、二重、三重にくるんで、タンスの一番奥にしまい
始めた。

 症状としては、XX病の初期症状(?)ということになるが、この段階で、父親が、F君をはげし
く叱った。父親のほうが、まだ体力的にも、上だった。しかしこうした強引なやり方が、F君の症
状を、こじらせた。

 F君は、やがて学校へも行かなくなり、私が知らないところで、病院にも通うようになった。し
かしそのころになると、F君の症状は、ますますひどくなり、意味もなくニヤニヤと突然笑い出し
たり、反対に、ふさぎこんで、何日も、部屋から出てこなくなったりした。

 F君が、私にこう言ったことがある。「タンスの前を人が歩くと、その振動で、釣具の微妙な調
整が狂う」と。

 私はそのため、彼のタンスの前を歩くときは、特別なスリッパに履きかえたあと、恐る恐る歩
かねばならなかった。しかし父親は、「そんなバカなことがあるか!」と、何度も、F君を叱った。
あるときは、タンスの中の釣具を、庭へ、すべて放り出してしまったこともある。

 何とか、高校へは入学したが、その後、F君の、ふつうでない言動は、ますますひどくなった。
ひどくなったというか、常識ハズレになっていった。やがて、F君は、「霊」とか何とか、わけのわ
からないことを口にするようになり、さらにおとなになってから、のちに社会問題となる、TK教
団という、あの宗教団体に入信してしまった。

++++++++++++++++

●私は……?

 私は、人格障害者か? ……という視点で、自分を反省してみる。自分のことを知るのは、
本当にむずかしい。「私は正常だ」と思っていても、そうでないケースは、多い。また、人格的に
問題がある人ほど、それを指摘されると、猛烈に反発する。そのため、指導がたいへんむず
かしい。

●道徳欠如的なところは、ないか?(XX)

私は、「盗み」を、大学生になるまでに、二度したことがある。
私は、子どものころ、平気で、ウソをついた。
私はそういう点では、その場の雰囲気に乗りやすく、みなから、ワーワーとはやしたてられたり
すると、そのまま悪いことを平気でしてしまうようなところがある。自制心が弱く、忠誠心も弱
い。

●自己中心的なところは、ないか?(XXXX)

いつも自分が正しいと思っていた。
自分の価値がわからない人は、バカだとよく思ったことがある。
私は、自分でも、ジコチュー(自己中心的)だと思っている。そういう点では、他人の立場になっ
て、ものを考えるのが、苦手。あるいはときどき、他人から見たとき、自分がどんなふうに、見
えるか、わからなくなるときがある。

●狂信的なところは、ないか?(X)

学生のころ、何も迷わず、商社マンの道を選んだ。それが正しい道だと、信じていた。
どとらかというと、信じやすく、一度信じてしまうと、突っ走ってしまうタイプ。

●衝動的なところは、ないか?(XX)

ものを衝動的に買うことがある。ただ見にいったつもりでも、そのとき、ムラムラとほしくなると、
それを止められなくなることが、よくある。
子どもっぽい、いたずらを、今でも、よくする。幼稚なところがある。

●攻撃的なところは、ないか?(XXX)

いつも攻撃的? ときどき相手を、トコトン、やっつけてしまうことがある。
魚をとるときも、釣るよりも、もぐっていって、モリでつくほうが、楽しかった。(おとなになってか
らは、かわいそうで、魚を釣ることができなくなったが……。)

●意志薄弱的なところは、ないか?

それはないと思う。

●怠惰的なところは、ないか?(X)

基本的には、私は、だらしない。怠け者だと思う。しかしやるべきことは、きちんとやっている。
書斎の中でも、使うものは、すべて手が届くところにある。だからまわりは、ゴチャゴチャ。

++++++++++++++++++++

 今の私は、体力も気力もあるから、自分の「障害」を、うまく隠している。が、そのうち、体力や
気力が弱くなってきたら、自分の中の「本性」が、そのまま外に、モロに出てきてしまうかもしれ
ない。人格障害であるかないかは、たいへん微妙な問題であり、そのため、その境界が、わか
りにくい。自分のこととなると、さらに、わかりにくい。

 また人によって、正常な部分もあれば、そうでない部分もあり、その人を見る方向によって、
まったく別人に見えることもある。これは私の印象だが、私のように、家の中に引きこもって、
原稿ばかり書いている人には、意外と、人格障害者が多いのでは? 「もの書き」には、そうい
う意味で、変人が多い?

 こうした障害を避けるためには、毎日、できるだけ多くの人と会い、会話をし、交際をすること
が大切。もともと「人格障害」というときは、他人の目から見て……という意味が、含まれる。本
人がそれでよければ、それでよいということになる。つまり「人格障害」というのは、「他人との
接触障害」のこと、と考えてよい。
(031202)

●こうした人格障害の人は、何かにつけて、極端になりやすく、そのため、そのまわりの人が、
迷惑することが多い。同じ町内の、Rさんの家の近くにも、そういう老人が住んでいるという。何
かあると、すぐ写真にとって、警察などに訴えていく、など。偏屈な老人で、奥さんはいるが、ほ
とんど人の出入りはないという。(一年に、数人、いるかいないかということらしい。)

●一般的には、老人になればなるほど、人格障害者的になるのではないか。「じょうずに老い
る」ためには、いつも「では、自分は、どうなのか?」という問いかけを、忘れてはいけない。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(389)

●真の親の喜び

いつか、あなたの子どもも、
あなたから巣立つときが、やってくる。
そのとき、あなたの心の中で、
さん然と輝くもののは、何か。

あなたは、あなたの子どもに、こう言う。
「さあ、あなたの人生よ。思う存分、羽ばたきなさい。
この広い世界を、自由に、飛びまわりなさい。
親孝行? ……バカなことは、考えなくていい。
家の心配? ……バカなことは、考えなくていい。
たった一度しかない人生だから、
あなたは、あなたの人生を、思う存分、生きなさい」と。

一度は、子どもに、子どもの人生を手渡してこそ、
あなたは、親として、あなたの努めを果たしたことになる。
親孝行を、子どもに求めてはいけない。
家の心配を、子どもにかけさせてはいけない※。

親孝行にせよ、家の心配にせよ、そんなものは、
美徳でも何でもない。それとも、あなたは、
子どもが、あなたのためや、家のために、
犠牲になるのを見て、それを喜ぶとでもいうのか。

いつか、あなたの子どもも、
あなたから巣立つときが、やってくる。
必ず、やってくる。
そのとき、あなたの心の中で、
さん然と輝くものは、何か。
 
子育ては、苦労の連続。
苦労のない子育ては、ない。
親は、子育てをしながら、
野を越え、山を越え、谷を越える。
そして、そのあとにやってくるもの……。

子どもを信じきったという思い、
子どもを守りきったという思い、
それが、あなたの心の中で、
さん然と、輝き始める。

どんな子どもにも、一つや、二つ、
三つや、四つ。五つや、六つ、
問題がある。問題のない子どもなど、いない。

問題は、問題があることではない。
問題は、あなたが、それを、どこまで受け入れ、
どこまで許すかということ。そして、それを、
どこまで忘れるかということ。
親としての愛の深さは、その度量の広さで決まる。

いつか、あなたの子どもも、
あなたから巣立つときが、やってくる。
必ず、やってくる。
そのとき、「子どもを信じきった」という思い、
「守りきった」という思い、
その思いが、あなたの心の中で、
さん然と輝き始める。
(031203)


※もちろんそのあと、子どもが自分で考えて、親孝行するとか、家の心配をするというのであれ
ば、それは子どもの問題、子どもの勝手。そのときはそのときで、親は、「ありがとう」と言って、
それに応ずればよい。

「林は、日本人の美徳の一つである、親孝行を否定するのか?」という意見を、よくもらう。講
演のあと、そういう抗議をもらったこともある。

しかし私は、一度だって、親孝行を否定したことはない。

日本人は、自らの依存性を正当化するために、「孝行論」をもちだす。親自身が、「孝行息子」
や、「孝行娘」を育てるのを、子育ての目標にしているようなところがある。そして親自身が、子
どもに、それを求める。

「産んでやった」「育ててやった」と。さらには、「大学まで出してやった」という、日本人独特の、
こうした甘ったれた意識は、結局は、自立できない親の、依存性を代弁した言葉と考えてよ
い。

親は親として、どこまでも、気高く、前向きに生きる。そういう姿が、子どもの生きる原動力とな
る。

子育てはたしかに、重労働。しかし子育てを、決して、人生の目標にしてはいけない。親は、子
どもを育て、そして苦労はするが、それは、親としての義務であって、決して、目的ではない。

あくまでも、「あなたの人生は、あなたの人生」「私の人生は、私の人生」と。

それとも、あなたは、あなたの子どもが、あなたのために犠牲になるのを見て、それを喜ぶとで
もいうのか。またそれが子どもとして、あるべき姿だとでも、思うのか。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(390)

【近況アラカルト】

●万華鏡(まんげきょう)

近くの大型店へ行ったら、そこの一角で、万華鏡を売っていた。少し変わった、万華鏡だった。
で、のぞいてみると、その美しさに、仰天! さっそく、大小、二つの万華鏡を買った。

 で、教室へもっていって、子どもたちに見せると、何人かの子どもたちが、こう言った。「そん
なの知っている!」と。どこかの工作教室で、作ったことがあると言った子どももいた。知らなか
ったのは、私だけ? 私は、改めて、子どもたちのもつ情報量の多さに驚いた。


●シャワートイレ

以前、あるクラス(小四)で、シャワートイレについて話した。「先生のうちも、やっと、シャワート
イレになった」と話すと、みな、「やっとオ?」「遅れてるウ〜」と。

 今では、シャワートイレは常識? 最近できたマンションなどでは、シャワートイレは、常識だ
という。それにしても、日本も、進んだものだ。

 私が、はじめてシャワートイレに出会ったのは、私が、二七歳くらいのとき。ブラジルのリオデ
ジャネイロのホテルに泊まったときだ。

 正確な日付は、忘れたが、そのホテルというのは、日本の田中角栄氏(元総理大臣)が、そ
の二か月前に泊まったというホテルだった。

 そのホテルで用を足していると、見たことがないレバーが、二つ、横についていた。私は、ど
ちらを押してよいかわからず、「エーイ、ままよ」と、思いっきり、二つのレバーを押してみた。と
たん、天井まで届きそうな、噴水のような水が、そこから吹き出た。

 びっくりして、私は、そのまま、トイレから飛び出してしまった。

 それから三〇年。ここまでシャワートイレが、普及するとは! 

 で、そのシャワートイレの話をしていると、子どもたちは、ワイワイと、シャワートイレの話を、
し始めた。

 「くすぐったい」
 「水が、お尻の中に、入ってしまう」
 「下痢のとき使って、ママに叱られた」など。

 いろいろあるようだ。

私はそういう話を聞きながら、「なるほど」と思っていたが、何も言わなかった。私たちの世代の
人間には、トイレ(便所)というと、いつも暗いイメージがつきまとう。あまり楽しい話題ではな
い。


●ビーズ玉通し

 今月は、「テーブル遊び」に、ビーズ玉を置いた。早く教室へ来た子どもが、ビーズ玉で遊べ
るようにした。

 昨日が、初日だったが、結構、好評のようだ。男の子はあまりしないだろうと思っていたが、
みな、結構、楽しそうに、している。幼児でも、五分もあれば、ブレスレット程度のものを作って
しまう。

 できあがると、「もらっていい?」と、恐る恐る聞くので、「いいよ」と。この遊びは、ビーズ玉が
なくなったら、おしまい。

 私も子どものころ、ときどき、女の子のする遊びに、興味をもった。小学三年生のころだった
が、たまらなく、人形がほしくなったことさえある。で、こっそりと、大阪に住む伯母に頼むと、人
形を作ってくれた。私は、その人形を、毎晩、抱いて寝た。

 また当時、「リリアン」という遊びも、はやった。糸を編んで、ヒモをつくる遊びである。私は、男
の子たちが、ビーズ玉で遊んでいる姿を見ながら、自分の子ども時代を、思い出していた。

 もっとも、考えてみれば、「男の子の遊び」「女の子の遊び」と、区別するほうがおかしい。遺
伝子(Y遺伝子と、X遺伝子)の違いによって、男の子は、より攻撃的な遊びを好むということは
ある。しかしあるとしても、その程度。

 しかし男の子が、お人形で遊んで、どこが悪いのか。女の子が、サッカーをして、どこが悪い
のか。それこそ、まさに偏見。小学六年生の男の子たちが、うれしそうにブレスレットをもって
帰るのを見たとき、ふと、そんなことまで、考えた。


●ハト、その後

あのキジバトの子どもが巣立って、もう一週間になる。ときどき庭を見ながら、「あれからどうし
たのだろう」と考える。

 しかし親バトのほうは、ときどき、庭へエサを食べに来ているようだが、子バトのほうは来な
い。どうしたのだろう?

 またハナ(犬)が、襲ったのではないかと、庭のあちこちをさがしてみたが、その様子はない。
あるいは、私の知らないところで、カラスやネコに襲われたのかもしれない。少し、心配だ。


●ホームページ

恩師のT教授が、自分のホームページを開きたいと言っている。それで「どうしたらいいか?」
と。

 方法は、いくつかある。

(1)自分が入っているプロバイダーに、開設する。そのときは、市販のホームページ作成ソフト
を、購入してきて、それでまず自分のホームページを作る。そしてそれを、プロバイダーに、送
信する。

(2)無料ホームページサイトを、利用する。無料だが、しかしその分、ヘッドのところに、コマー
シャルが入る。またあまり複雑なホームページは、できない。(できるにはできるが、HTML言
語とか、JAVA言語とか、ある程度の専門知識を必要とするところが多い。)

 そこで簡単な無料ホームページを作成し、T教授に送ってあげることにした。が、ここで、数時
間以上も、かかってしまった! 今日(一二月三日)は、マガジン(12月10日号)を発行しなけ
ればならない。しかし原稿を、まだほとんど書いていない! あああ。

【読者のみなさんへ……】

 みなさんの中にも、HP(ウェブサイト)を開設なさっている人も、多いと思います。もしよろしか
ったら、私のサイトに、リンクを張っていただけませんか。よろしくお願いします。


●子育て相談

 このところ、たてつづけに、いろいろな方から、いろいろな相談をもらっている。そしてそれら
が、毎日、ちょうど、借金のように、どんどんと、たまっている。

 みなさん、それぞれに深刻。だから返事を書かねばと思う気持は、あるにはある。しかし「時
間が、ナーイ!」。私としては、マガジンのほうへ転載させていただけるということなら、返事を
書きながら、マガジンの原稿として書くこともできる。

 しかしこのところ、マガジンへの転載(引用)をお願いすると、その段階で、断られるケース
が、ふえてきた。メールの冒頭で、「この相談は、ホームページや、マガジンには、載せないでく
ださい」と書いてあるのもある。

 事情がよくわかるので、私も、それに応じている。しかしどうしても、後回しになる。(ごめんな
さい!)

 そこでこうしていただくと、私としては、うれしい。

 相談内容を、ある程度、読者の方のほうで、書きなおして、掲示板のほうに、書き込んでもら
うという方法である。プライベートな部分は、当然、読者の方のほうで、隠してもらえばよい。そ
うすれば、私のほうは、改めて、転載(引用)許可を求める必要もなく、また、書きなおする必要
もなく、そのまま、原稿として、使うことができる。(少し、ずるいかな?)
(031203)

++++++++++++++++++

人形の話で、思い出したのが、つぎの
原稿(中日新聞掲載済み)です。

++++++++++++++++++
 
子どもの親像を育てる法

子どもに母性や父性が育つとき

●ぬいぐるみでわかる母性 

 子どもに父性や母性が育っているかどうかは、ぬいぐるみの人形を抱かせてみればわかる。
しかもそれが、三〜五歳のときにわかる。

父性や母性(父性と母性を区別するのも、おかしなことだが……)が育っている子どもは、ぬい
ぐるみを見せると、うれしそうな顔をする。さもいとおしいといった表情で、ぬいぐるみを見る。
抱き方もうまい。そうでない子どもは、無関心、無感動。抱き方もぎこちない。

中にはぬいぐるみを見せたとたん、足でキックしてくる子どももいる。ちなみに小三児の約八
〇%の子どもが、ぬいぐるみを持っている。そのうち約半数が「大好き」と答えている。

●男児もぬいぐるみで遊ぶ

 オーストラリアでは、子どもの本といえば、動物の本をいう。写真集が多い。またオーストラリ
アに限らず、欧米では、子どもの誕生日に、ペットを与えることが多い。

つまり子どものときから、動物との関わりを深くもたせる。一義的には、子どもは動物を通し
て、心のやりとりを学ぶ。しかしそれだけではない。子どもはペットを育てることによって、父性
や母性を学ぶ。

そんなわけで、機会と余裕があれば、子どもにはペットを飼わせることを勧める。犬やネコが
代表的なものだが、心が通いあうペットがよい。が、それが無理なら、ぬいぐるみを与える。や
わらかい素材でできた、温もりのあるものがよい。

●悪しき日本の偏見

 日本では、「男の子はぬいぐるみでは遊ばないもの」と考えている人が多い。しかしこれは偏
見。こと幼児についていうなら、男女の差別はない。あってはならない。つまり男の子がぬいぐ
るみで遊ぶからといって、それを「おかしい」と思うほうが、おかしい。

男児も幼児のときから、たとえばペットや人形を通して、父性を育てたらよい。ただしここでいう
人形というのは、その目的にかなった人形をいう。ウルトラマンとかガンダムとかいうのは、こ
こでいう人形ではない。

 また日本では、古来より戦闘的な遊びをするのが、「男」ということになっている。が、これも
偏見。悪しき出世主義から生まれた偏見と言ってもよい。

その一つの例が、五月人形。弓矢をもった武士が、力強い男の象徴になっている。三〇〇年
後の子どもたちが、銃をもった軍人や兵隊の人形を飾って遊ぶようなものだ。どこかおかしい
が、そのおかしさがわからないほど、日本人はこの出世主義に、こりかたまっている。

「男は仕事(出世)、女は家事」という、あの日本独特の男女差別思想も、この出世主義から生
まれた。

●ぬいぐるみで育つ母性と父性

 話を戻す。愛情豊かな家庭で育った子どもは、静かな落ちつきがある。おだやかで、ものの
考え方が常識的。どこかほっとするような温もりを感ずる。それもぬいぐるみを抱かせてみれ
ばわかる。両親の愛情をたっぷりと受けて育った子どもは、ぬいぐるみを見せただけで、スー
ッと頬を寄せてくる。こういう子どもは、親になっても、虐待パパや虐待ママにはならない。言い
かえると、この時期すでに、親としての「心」が決まる。

 ついでに一言。「子育て」は本能ではない。子どもは親に育てられたという経験があってはじ
めて、自分が親になったとき、子育てができる。もしあなたが、「うちの子は、どうも心配だ」と思
っているなら、ぬいぐるみを身近に置いてあげるとよい。ぬいぐるみと遊びながら、子どもは親
になるための練習をする。父性や母性も、そこから引き出される。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


子育て随筆byはやし浩司(391)

【今週の幼児教室から】

 今週は、「カタカナ」をテーマにした。

 途中、「ヒラガナ」と書いたカードを見せ、「これは何ですか?」と聞く。
 すると子どもたちは、「ひらがな、だ!」と。

 そこで、「ちがうでしょう。これはカタカナでしょう」とやる。とたん、教室の中は、ハチの巣をつ
ついたような状態になる。

 今ごろの時期、年中児で、たいていの子どもは、かろうじてカタナカを読むことができるように
なる。そこで、こんなふうにして、子どもをからかう。

 「イヤ」と書いたカードを見せて、「読める人はいませんか?」と聞く。すると、子どもたちは、
「いや!」と答える。そこで、真顔になってみせ、「いやとは、何だ!」と怒ってみせる。

 あるいは「ハイ」とカードを見せ、「読める人は、手をあげてください」と言う。

子「ハイ!」
私「だから、S君」
子「ハイ!」
私「だから、S君、言ってごらん」
子「だから、ハイ!」
私「S君!」と。

 こうした(からかい)は、子ども頭脳を、根底からゆさぶる。私の得意芸の一つである。それだ
けではない。この(からかい)から生まれる意外性が、子どもの知能を刺激する。幼児教育は、
そういう意味で、刺激教育と言ってもよい。

 言うまでもなく、思考の柔軟な子ども(=頭のやわらかい子ども)ほど、あとあと、伸びつづけ
る。そして結果として、知的能力という意味で、優秀な子どもになる。その柔軟性を育てる、一
つの方法が、ここでいう(からかい)である。

 さらに……。

 今週は、カタカナをテーマにしたが、もちろんカタカナを教えるのが目的ではない。「カタカナ
は楽しい」ことを教えるのが、目的である。

 レッスンが終わったとき、私が「カタカナが好きな人?」と声をかけると、全員、「ハーイ!」と
元気よく、手をあげた。そこで私は、ポツリとこう言った。「それが、今日(一二月二日・年中児
クラス)のレッスンの目的だったんだよ」と。
(031203)

+++++++++++++++++++++ 

子どもが伸びるとき

●伸びる子どもの四条件

 伸びる子どもには、次の四つの特徴がある。@好奇心が旺盛、A忍耐力がある、B生活力
がある、C思考が柔軟(頭がやわらかい)。

@好奇心……好奇心が旺盛かどうかは、一人で遊ばせてみるとわかる。旺盛な子どもは、身
のまわりから次々といろいろな遊びを発見したり、作り出したりする。趣味も広く、多芸多才。
友だちの数も多く、相手を選ばない。

数才年上の友だちもいれば、年下の友だちもいる。何か新しい遊びを提案したりすると、「や
る!」とか「やりたい!」とか言って、食いついてくる。反対に好奇心が弱い子どもは、一人で遊
ばせても、「退屈〜ウ」とか、「もうおうちへ帰ろ〜ウ」とか言ったりする。

A忍耐力……よく誤解されるが、釣りやゲームなど、好きなことを一日中しているからといっ
て、忍耐力のある子どもということにはならない。子どもにとって忍耐力というのは、「いやなこ
とをする力」のことをいう。たとえばあなたの子どもに、掃除や洗濯を手伝わせてみてほしい。
そういう仕事でもいやがらずにするようであれば、あなたの子どもは忍耐力のある子どもという
ことになる。

あるいは欲望をコントロールする力といってもよい。目の前にほしいものがあっても、手を出さ
ないなど。こんな子ども(小三女児)がいた。たまたまバス停で会ったので、「缶ジュースを買っ
てあげようか?」と声をかけると、こう言った。「これから家で食事をするからいいです」と。こう
いう子どもを忍耐力のある子どもという。この忍耐力がないと、子どもは学習面でも、(しない)
→(できない)→(いやがる)→(ますますできない)の悪循環の中で、伸び悩む。

B生活力……ある男の子(年長児)は、親が急用で家をあけなければならなくなったとき、妹の
世話から食事の用意、戸じまり、消灯など、家事をすべて一人でしたという。親は「やらせれば
できるもんですね」と笑っていたが、そういう子どもを生活力のある子どもという。エマーソン(ア
メリカの詩人、「自然論」の著者、一八〇三〜八二)も、『教育に秘法があるとするなら、それは
生活を尊重することである』と書いている。

C思考が柔軟……思考が柔軟な子どもは、臨機応変にものごとに対処できる。同じいたずら
でも、このタイプの子どものいたずらは、どこかほのぼのとした温もりがある。食パンをくりぬい
てトンネルごっこ。スリッパをつなげて電車ごっこなど。反対に頭のかたい子どもは、一度「カ
ラ」にこもると、そこから抜け出ることができない。ある子ども(小三男児)は、いつも自分の座
る席が決まっていて、その席でないと、どうしても座ろうとしなかった。

 一般論として、「がんこ」は、子どもの成長にとって好ましいものではない。かたくなになる、意
固地になる、融通がきかないなど。子どもからハツラツとした表情が消え、動作や感情表現
が、どこか不自然になることが多い。教える側から見ると、どこか心に膜がかかったような状態
になり、子どもの心がつかみにくくなる。

●子どもを伸ばすために

子どもを伸ばす最大の秘訣は、常に「あなたは、どんどん伸びている」という、プラスの暗示を
かけること。そのためにも、子どもはいつもほめる。子どもを自慢する。ウソでもよいから、「あ
なたは去年(この前)より、ずっとすばらしい子になった」を繰り返す。もしあなたが、「うちの子
は悪くなっている」と感じているなら、なおさら、そうする。まずいのは「あなたはダメになる」式
のマイナスの暗示をかけてしまうこと。とくに「あなたはやっぱりダメな子ね」式の、その子ども
の人格の核に触れるような「格」攻撃は、タブー中のタブー。

その上で、@あなた自身が、自分の世界を広め、その世界に子どもを引き込むようにする(好
奇心をますため)。

またA「子どもは使えば使うほどいい子になる」と考え、家事の手伝いはさせる。「子どもに楽
をさせることが親の愛」と誤解しているようなら、そういう誤解は捨てる(忍耐力や生活力をつけ
るため)。

そしてB子どもの頭をやわらかくするためには、生活の場では、「アレッ!」と思うような意外性
を大切にする。よく「転勤族の子どもは頭がいい」と言われるのは、それだけ刺激が多いことに
よる。マンネリ化した単調な生活は、子どもの知恵の発達のためには、好ましい環境とは言え
ない。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


子育て随筆byはやし浩司(392)

●老人意識テスト

 老人意識テストを考えてみた。

 つぎの項目のうち、あてはまるものに、チェックを入れてみてほしい。

【肉体的変化】

( )白髪がふえてきたように思う。あるいはすでに白髪。
( )あちこち体にガタがきたように思う。あるいはすでに持病でガタガタ。
( )疲れやすく、また一度、疲れると、なかなか疲れが取れない。
( )体の線が、すでに老人ぽくなってきた。あるいは老人のそれ。
( )生理が不順になった。あるいはすでに閉経している(女性)。
性欲が減退した。あるいは性欲が起こる回数が、激減した(男性)。
( )暑さ、寒さに対する抵抗力が、弱くなったように感ずる。
( )脳の機能が悪くなったようだ。忘れやすい。覚えられないなど。

【精神的変化】

( )過去をあれこれなつかしむことが多くなった。
( )身の回りの変化に敏感になった。あるいは変化を好まない。
( )行動範囲が狭くなり、人との交際が、受け身になった。
( )若い人との価値観のズレを、よく感ずるようになった。
( )異性を見ても、ときめきが少なくなった。あるいはあまり意識しなくなった。
( )「死ぬ」ということに対して、心のどこかで準備を始めているようだ。
( )新しいことに挑戦していくという気力が、ぐんと少なくなった。

 以上、一四項目のうち、該当項目数が多ければ多いほど、「老人」ということになる。C・G・ユ
ングは、満四〇歳くらいから、老後が始まるという。しかし「老人であるかいなか」は、本人の意
識によるもので、六〇歳になっても、「老い」を意識しない人は、いくらでもいる。七〇歳でも、
若々しい人は、いくらでもいる。

【老人意識、はやし浩司のばあい】

 私は一九四七年(昭和二二年)生まれ。現在、満五六歳である。ときどき、自分の腕の皮ふ
を見て、「自分もどこか老人ぽくなったなあ」と思うことはある。が、自分では、「老人だ」とは、ま
ったく思っていない。どうして私が老人なのか?

 健康面においては、どこといって問題はないが、疲れやすくなったことは事実。軽い風邪もひ
きやすくなった。暑さ、寒さに対する抵抗力も、若いころとくらべると、弱くなったように思う。

 精神面においては、気弱になったかもしれない。変化を求めるより、どちらかというと、現状
維持を好むようになった。とくに強く感ずるのは、環境に対する適応能力が、ぐんと減ったこと。
どこへ行っても、そこに適応しようと思う前に、はやく家に帰って、のんびりしたいと思うようにな
った。このところ、外国へ行きたいと思うことが、少なくなった。

【いつまでも若さを保つために……】

 何よりも重要なことは、生きがいをもちつづけること。そして人との交わりを、欠かさないこと。
仕事をして、自分の価値を、なくさないこと。加えて、言うまでもなく、健康を維持すること。わか
りやすく言えば、仕事と健康ということになる。この二つを、大きな柱として、生きる。

 しかし仕事にせよ、健康にせよ、「作る」ものでも、また「守る」ものでもない。それが維持でき
るような「習慣」を、今から、つくっていくということ。もっと言えば、こういうこと。

 健康を例にあげて考えてみよう。

 健康を守るためには、運動をすればよい。これはわかりきったことだが、そこで大切なこと
は、日常の生活の中で、その運動をするよう、自ら、習慣づけること。その習慣をつくること。
わかりやすく言えば、健康を維持するということは、その習慣を、いかにしてつくるかということ
になる。

  私のばあい、毎日、往復、一五キロの自転車通勤が、習慣の中で、大きなウエートを占め
るようになりつつある。もしこれをやめたら、私の体は、一か月もまたないで、ガタガタになると
思う。

仕事も、同じ。

 また毎日、幼児や小学生に会って、好き勝手なことをしているが、これは私の仕事であると
同時に、精神面の健康には、たいへん役にたっている。ときどき本当に、月謝をもらってよい
のかと思うときさえある。子どもたちと接していると、それだけで若がえることができる。

 そんなわけで、私は死ぬ直前まで、今の仕事をつづけるだろうと思う。少し前までは、「いつ
か引退して、どこかの島で……」と考えていたが、それは、もうあきらめた。あきらめたというよ
り、もうしたいとは思わない。

 子育てが終わると、どんとやってくるのが老後。子育てに夢中になっている間は、それがわか
らない。しかしあなたの老後も、今、確実に、かつ密かに進行している!

 そしてもう一言。

 老後というのは、確実にやってくるが、しかし時の流れというのは、不思議なもの。あっという
間にやってくる。しかも、「今」とまったく、同じ状態でやってくる。ただ気がついてみると、年齢だ
けがふえ、体だけが衰えていく。そういう「今」が、つぎの瞬間には、やってくるということ。決し
て、遠い未来ではない。

 そんなことも心のどこかで考えるとよい。いらぬお節介かもしれないが……。
(031203)

【病気】

 もし私が大病を患ったら……。恐らく、そのことは、だれにも言わないだろうと思う。その点、
インターネットは、便利だ。いくらでも、ごまかしがきく。

 もしある日、突然、マガジンの発行が停止したら、そのときは、私が死んだときだと思ってもら
って、かまわない。

 くだらないことだが、ふと、今、そんなことを考えた。しかし残念ながら、はやし浩司は、今のと
ころ、ピンピンしている! どうか、ご心配なく!

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(393)

●ずるさ

 私の通勤路では、来年の花博(〇四年4月から、浜名湖の北で開かれる地方博覧会)に向
けて、あちこちで工事をしている。その工事のこと。

 数人の職人が、道路の歩道に、タイルを張っていた。私は、そこを通るたびに、自転車を徐
行させて、仕事ぶりを、ときどき観察させてもらった。一見、簡単そうに見える仕事だが、実際
に、自分でやってみると、そうでない。

 で、何日かたって、その仕事が完成した。今度は、そのときのこと。その近くを通ると、一組
の男女が、長さを測っていた。

 こうした工事では、一平方メートルあたりいくらというような計算で、工事費を算出する。その
せいだろうが、たがいにわざと、糸を(かなり)たるませて、長さを測っていた。私は、横目でそ
れを見ながら、「ナルホド」と思った。

 それからまた数日後のこと。そのそばを通り過ぎると、今度は、一人の男が、水道栓や小さ
なマンホールのふたを、スプレー式の塗料で塗っていた。私は最初「?」と思った。スプレー式
の塗料は、それだけでも、結構、高価なものである。それに塗っても、一度、自動車が通れ
ば、それで、おしまい。すぐはげてしまう。「ではなぜ、わざわざ塗っているのか?」と。

 理由は、いろいろ考えられた。しかしどう考えても、何か、ずるいことをしているようにしか、思
えなかった。「古いフタをもってきて、色を塗っているのではないか?」「何かをごまかしている
のではないか?」と。

 実は、そういうことがわかるのは、私自身が、そのタイプの人間だからである。戦後のあの時
代を、生き抜いてきた世代がもつ、独特のカンと言ってもよい。ずるいとか、ずるくないとか、当
時は、そんなことをいちいち、考える余裕すらなかった。ずるいことをしなければ、生きていか
れないような時代だった。

 が、その一方で、私たちの世代は、こうした「ずるさ」に対して免疫力がある。「社会って、そん
なものだ」と、割り切ることができる。そのスプレー式の塗料を塗っているのを見たときも、「ナ
ルホド」で、終わってしまった。

 こんな話を聞いたことがある。

 終戦直後のこと。ある男性が、駅から、外に出ようとした。その男性の家は、空襲で焼けてし
まっていた。実の父母も、そのとき死んでいた。駅員が、その男性を、こう言って呼び止めた。
「切符は、どうしましたか?」と。

 それに答えて、その男性は、こう言ったという。もちろん切符はもっていなかった。「切符ぐら
い、何だ!」と。

 私はその話を聞いたとき、その男の気持ちが、痛いほど、よく理解できた。私がいう「ずるさ」
というのは、そういうずるさを、いう。

 談合を繰りかえして、利益をむさぼる大手業者。しかし自分では、仕事をしない。手数料をピ
ンハネして、下請け会社へ、工事を丸投げする。が、そこでも、仕事はしない。さらにその下請
け会社へ……。こうしてつぎからつぎへと、下請け会社へと、仕事が丸投げされていく。

現場で実際に、タイルを張るのは、最後に残った、零細業者である。「糸をたるませて、何が悪
い!」となる。彼らにしても、そうでもしなければ、生きていかれないのだ。

 私の中には、今でも、そういう「ずるさ」が生きている。ふと油断すると、顔を出す。決して、消
えたわけではない。またそのため私は、それほど、誠実な人間ではない。だから、その工事を
見たときも、心のどこかで、「私でも、やるだろうな」と思った。思ったから、彼らの意図が、よく
わかった。

 ただ残念なのは、そういう「ずるさ」があるため、今でも、私は、それと、心の中で、戦わねば
ならなということ。いつも心のどこかで、ブレーキをかけなければならない。しかしそうするたび
に、かなりのエネルギーと時間を浪費する。本来なら、何も考えずに、まっすぐな道を歩きたい
と思うが、そのたびに、回り道をしなければならない。

 その工事をしていた人たちも、そうすることで、いくらかの儲(もう)けを手にすることはできる
かもしれない。が、同時に、何か、もっと大切なものを、失う。そしてここが重要だが、その失っ
たものを取りかえすためには、その何倍もの努力と時間がかかる。一度汚れた心は、そんな
に簡単には、きれいにならない。

 花博……、世界の花が、いっせいに咲き誇る美しい博覧会になるという。今も、そのための
道路工事は、急ピッチで進められている。
(031204)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
 
子育て随筆byはやし浩司(394)
 
●子どものチック

 子どものチックについて、相談をもらった。「このところ、子どものチックがひどいが、どうした
らいいか」と。

 少し前だが、T君という小五の男児で、チックがひどい子どもがいた。回数を数えてみたこと
があるが、一分間で、一六〜二〇回前後。ほぼ間断なく、不自然な動きを繰りかえしていた。
またT君のばあい、目をバタつかせる、首をギクギクと回す、口を痙攣(けいれん)させながら、
動かすというように、複数のチックが、ランダムに現れていたのが、特徴的だった。

 何か会話をしているときは、チックは出ない。しかしひとりで、何かの作業をさせると、とたん
にチックが出る。

 こうしたチックで注意しなければならないのは、チックが、何か重大な、神経症、情緒障害、さ
らには精神障害の前ぶれとして現れることが多いということ。チックそのものが、神経的な緊張
感をほぐすための、防衛的な症状として現れることもある。

 だから子どもにチックが出てきたら、家庭環境のあり方を、猛省する。子どもを叱っても意味
はないし、叱れば叱るほど、症状は、こじれる。さらに問題が、ある。原因のほとんどは、母親
にある。が、それに気づく、母親は、まずいない。

 家庭教育の基準(スタンダード)そのものが、ちがう。こまごまと、神経質な指導をしながらも、
たいていこのタイプの母親は、「私はふつうだ」と思いこんでいる。T君の母親も、こんなことを
言ってきたことがある。

 生徒が、私の教室からバス停まで歩いていっことについて、「あぶないから、ちゃんと指導し
てほしい」と。
 
 あるいは教室で買ったワークブックについて、「毎日、何ページずつやればよいか、きちんと
指導してほしい」と。そこで私が、「そういったものは、適当にやればいいです」と言うと、T君の
母親は、本気で怒ってしまった。

 ほかの子どもなら話は別だが、T君には、そういう息抜きが、とくに必要だった。だからよくレ
ッスンをさぼって、本屋へ行ったり、図書館へ行ったりした。が、それについても、「目的をしっ
かりと説明してほしい」と。

 つまりT君が、そうしたチックを見せる背後には、親の過関心と過干渉があった。しかしそれ
を伝えるべきかどうか、私は迷った。こうした問題は、母親のほうが先に気づくのがよい。そし
て私に相談してくれるのがよい。そうすれば、私も指導することができる。が、それもなかった。

 で、そのうち、T君は、私の教室をやめてしまった。私のところに、一年もいなかったのでは…
…? 月末になって退会届けが郵送できたが、それは、内容証明付の手紙で、だった。

 こうしたケースは、本当に多い。そして最後は、親は、行きつくところまで、いく。その途中で、
私のような立場のものが、あれこれ言ってもムダ。親自身が、「そんなハズはない」「うちの子に
かぎって……」と、打ち消してしまう。さらに、ここにも書いたように、「自分はまとも」と思いこん
でいる。

 いや、だからといって、親を責めているのではない。どんな親も、懸命に子どもを育てている。
それに必死だ。そういう懸命さを感じたら、私たちがすべきことは、ただ一つ。遠慮がちに、引
きさがる……。

自分を知ることは、本当にむずかしい。五六歳になった今でも、ときどき新しい自分を発見する
ことがある。それくらい、むずかしい。本当に、むずかしい。私は、子どもにそういう問題をみる
たびに、そして、そういう親に会うたびに、そう思う。そして同時に、私はいつも、「では、私自身
はどうなのか?」と、振りかえる。
(031204)

+++++++++++++++++++++++

子どもがチックになるとき

●チックの子ども 

 チックと呼ばれる、よく知られた症状がある。幼児の一〇人に一人ぐらいの割合で経験す
る。「筋肉の習慣性れん縮」とも呼ばれ、筋肉の無目的な運動のことをいう。

子どもの意思とは無関係に起こる。時と場所を選ばないのが特徴で、これをチックの不随意性
という。

たいていは首から上に症状が出る。首をギクギクと動かす、目をまばたきさせる、眼球をクル
クル動かす、咳払いをする、のどをウッウッとうならせるなど。つばを吐く、つばをそでにこすり
つけるというのもある。

上体をグイグイと動かしたり、さらにひどくなると全身がけいれん状態になり、呼吸困難におち
いることもある。稀に数種類のチックを、同時に発症することもある。

七〜八歳をピークとして発症するが、おかしな行為をするなと感じたら、このチックを疑ってみ
る。症状は千差万別で、そのためたいていの親は、それを「変なクセ」と誤解する。しかしチッ
クはクセではない。だから注意をしたり、叱っても意味がない。ないだけではなく、親が神経質
になればなるほど、症状はひどくなる。

●回り道をして賢くなる?

 ……というようなことは、私たちの世界では常識中の常識なのだが、どんな親も、親になった
ときから、すべてを一から始める。チックを知らないからといって、恥じることはない。ただ子育
てには謙虚であってほしい。

あなたは何でも知っているつもりかもしれないが、知らないことのほうが多い。こんな子ども(年
長女児)がいた。

その子どもは、母親が何度注意をしても、つばを服のそでにこすりつけていた。そのため、服
のそでは、唾液でベタベタ。そこで私はその母親に、「チックです」と告げたが、母親は私の言う
ことなど信じなかった。病院へ連れていき、脳波検査をした上、脳のCTスキャンまでとって調
べた。

異常など見つかるはずはない。そのあともう一度、私に相談があった。親というのはそういうも
ので、それぞれが回り道をしながら、一つずつ賢くなっていく。

●原因は神経質な子育て

 原因は神経質な子育て。親の拘束的(子どもをしばりつける)かつ権威主義的な過干渉(「親
の言うことを聞きなさい」式に、親の価値観を一方的に押しつける)、あるいは親の完ぺき主義
(こまかいことまできちんとさせる)などがある。

子どもの側からみて息が抜けない環境が、子どもの心をふさぐ。一般的には一人っ子に多いと
されるのは、それだけ親の関心が子どもに集中するため。しかもその原因のほとんどは、親自
身にある。が、それも親にはわからない。

完ぺきであることを、理想的な親の姿であると誤解している。あるいは「自分はふつうだ」と思
い込んでいる。その誤解や思い込みが強ければ強いほど、人の話に耳を傾けない。それがま
すます子育てを独善的なものにする。が、それで悲劇は終わらない。

チックはいわば、黄信号。その症状が進むと、神経症、さらには情緒障害、さらにひどくなる
と、精神障害にすらなりかねない。が、子どもの心の問題は、より悪くなってから、前の症状が
軽かったことに気づく。親はそのときの症状だけをみて、子どもをなおそうとするが、そういう近
視眼的なものの見方が、かえって症状を悪化させる。そしてあとは底無しの悪循環。

●症状はすぐには消えない

 チックについて言うなら、仮に親が猛省したとしても、症状だけはそれ以後もしばらく残る。子
どもによっては数年、あるいはもっと長く続く。クセとして定着してしまうこともある。

おとなでもチック症状をみせる人は、いくらでもいる。日本を代表するような有名人でも、ときど
き眼球をクルクルさせたり、首を不自然に回したりする人はいくらでもいる。心というのはそうい
うもので、一度キズがつくと、なかなかなおらない。

(参考)

●チックの症状

 チックの症状は、千差万別だが、たいていは首から上の頭部に症状が表れる。ふつうでない
と思われるようなクセが続いたら、このチックを疑ってみる。

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目の周辺……目をまばたかせる。目を白黒させる。眼球をクルクル回す。慢性的なものもら
い。眉をしかめる。まぶたをけいれんさせる。

呼吸器……のどをつまらせる。ウッウッとうなる。カラ咳を繰り返す。喉の奥をつまらせる。ハッ
ハッとため息をつく。

口の周辺……つばを吐く。ツバを服のそでにこすりつける。つばをためる。口をとがらす。

首、頭……ギクッギクッと首をひねる。首をけいれん状に回したりひねったりする。頭を上下に
けいれん状に動かす。

そのほか……肩から頭部にかけて瞬間的にけいれんさせる。腹部をはげしく上下にけいれん
させる。全身をけいれんさせる、など。胸部がけいれんするケースでは、呼吸困難になることも
ある。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


子育て随筆byはやし浩司(395)

●浜北市・森の家レストラン

【注、この原稿は、一二月六日号と、一二日号にダブリます】

 秋のある日、ワイフと私は、浜北森林公園へ行ってみた(一二月四日)。浜北市の北にある、
森林公園である。息子たちが若いころは、毎年のように出かけ、いろいろ楽しんだ。

 が、平日ということもあって、園内は、ガラガラ。最初、ゴルフ場のほうへ車を駐車したが、車
が数台、とまっているだけ。私たちは、昔を思い出しながら、あたりを歩いてみた。園内は整備
されて、昔の面影はなかった。

 今年の秋は、遅いと、だれかが言った。例年だと、もう少し紅葉がきれいなはずだが、今年
は、どうもはっきりしない。しかしそれでも、淡いブルーの空を背景に、私たちは、秋の景色を
楽しむことができた。

 で、その帰り道。私たちは、園内の標識につられて、「森の家レストラン」に、立ち寄った。そ
して驚いた!

 私も浜松市に住んで、三〇年以上になる。その間、無数のレストランに立ち寄った。しかし、
このレストランほど、豪華で、そして、「安い!」レストランを知らない。

 レストランは、うっそうとした松林に囲まれ、席からは、浜北市が一望できた。ワイフは「遠く
に、太平洋が見える」と言ったが、私は、「?」と思った。

 ワイフは、一〇〇〇円の弁当。私は、少しがんばって、一六〇〇円の定食を注文した。並べ
て気がついたが、一〇〇〇円のランチのほうが、絶対、得! ワイフの弁当から、少しずつ、
つまみ食いをしながら、私たちは、静かなひと時を、過ごした。

 なお、森の家レストランといっても、市の研修所、つまりホテルにもなっている。一泊、五一〇
〇円(素泊まり)から、宿泊することもできる。値段は民宿より安いが、ホテルとしての「室」と
「品」は、一級のホテルにも劣らない。(あるいは、それ以上?)何といっても、環境がすばらし
い!

 「公営だからできるのよ」と、ふと、ワイフがもらしたが、この際、それは許してやろう。浜松市
から、車で、四〇〜五〇分の距離だが、「ちょっとドライブでもして……」と考えている人には、
お薦めのレストランである。(写真などは、HTML版、一二月六日号のほうに、収録。)

 帰りに、レストランの入り口の横の小さな売店で、「黒酢ジュース」というのを買った。あと、せ
んべいを一袋。

 レストランの係の人に聞いたが、「第三月曜日は休み」「研修所(ホテル)のほうは、めったに
満室にならない」とのこと。

(注、今ごろが秋の行楽シーズンなので、この原稿は、写真を添えて、一二月六日号のほう
で、送ります。)
(031205)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


子育て随筆byはやし浩司(396)

●名古屋市のSさんへ

 マガジンの読者(母親)の方から、こんな相談をもらった。

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 中学生になる息子がいる。しかし頭の中ではわかっていても、実際に、子どもを前にすると、
思うように、子育てができない。今は、受験期で、どうしてもピリピリとしてしまう。

 私自身も、高学歴で、それを子どもに求めてしまうのか。小学校のときは、何も言うことがな
いほど優秀な子どもだったが、このところ、成績もさがってきた。そのため、よけに、ピリピリし
てしまう。

 『許して忘れる』と、心の中で思うのだが、どうも、うまく子育てができない。どうしたら、いい
か。

++++++++++++++++

この相談を読んで、最初に思い出し
たのが、つぎの原稿(中日新聞発表
済み)です。

++++++++++++++++

親が過去を再現するとき

●親は子育てをしながら過去を再現する 

 親は、子どもを育てながら、自分の過去を再現する。そのよい例が、受験時代。

それまではそうでなくても、子どもが、受験期にさしかかると、たいていの親は言いようのない
不安に襲われる。受験勉強で苦しんだ親ほどそうだが、原因は、「受験勉強」ではない。受験
にまつわる、「将来への不安」「選別されるという恐怖」が、その根底にある。それらが、たとえ
ば子どもが受験期にさしかかったとき、親の心の中で再現される。

つい先日も、中学一年生をもつ父母が、二人、私の自宅にやってきた。そしてこう言った。「一
学期の期末試験で、数学が二一点だった。英語は二五点だった。クラスでも四〇人中、二〇
番前後だと思う。こんなことでは、とてもS高校へは入れない。何とかしてほしい」と。二人とも、
表面的には穏やかな笑みを浮かべていたが、口元は緊張で小刻みに震えていた。

●「自由」の二つの意味

 この静岡県では、高校入試が人間選別の重要な関門になっている。その中でもS高校は、最
難関の進学高校ということになっている。私はその父母がS高校という名前を出したのに驚い
た。「私は受験指導はしません……」と言いながら、心の奥で、「この父母が自分に気がつくの
は、一体、いつのことだろう」と思った。

 ところで「自由」には、二つの意味がある。行動の自由と魂の自由である。行動の自由はとも
かくも、問題は魂の自由である。

実はこの私も受験期の悪夢に、長い間、悩まされた。たいていはこんな夢だ。……どこかの試
験会場に出向く。が、自分の教室がわからない。やっと教室に入ったと思ったら、もう時間がほ
とんどない。問題を見ても、できないものばかり。鉛筆が動かない。頭が働かない。時間だけが
刻々と過ぎていく……。

●親と子の意識のズレ

親が不安になるのは、親の勝手だが、中にはその不安を子どもにぶつけてしまう親がいる。
「こんなことでどうするの!」と。そういう親に向かって、「今はそういう時代ではない」と言っても
ムダ。脳のCPU(中央処理装置)そのものが、ズレている。親は親で、「すべては子どものた
め」と、確信している。

こうしたズレは、内閣府の調査でもわかる。内閣府の調査(二〇〇一年)によれば、中学生で、
いやなことがあったとき、「家族に話す」と答えた子どもは、三九・一%しかいなかった。これに
対して、「(子どもはいやなことがあったとき)家族に話すはず」と答えた親が、七八・四%。

子どもの意識と親の意識が、ここで逆転しているのがわかる。つまり「親が思うほど、子どもは
親をアテにしていない」(毎日新聞)ということ。が、それではすまない。

「勉強」という言葉が、人間関係そのものを破壊することもある。同じ調査だが、「先生に話す」
はもっと少なく、たったの六・八%! 本来なら子どものそばにいて、よき相談相手でなければ
ならない先生が、たったの六・八%とは! 

先生が「テストだ、成績だ、進学だ」と追えば追うほど、子どもの心は離れていく。親子関係も、
同じ。親が「勉強しろ、勉強しろ」と追えば追うほど、子どもの心は離れていく……。

 さて、私がその悪夢から解放されたのは、夢の中で、その悪夢と戦うようになってからだ。試
験会場で、「こんなのできなくてもいいや」と居なおるようになった。あるいは皆と、違った方向
に歩くようになった。どこかのコマーシャルソングではないが、「♪のんびり行こうよ、オレたち
は。あせってみたとて、同じこと」と。夢の中でも歌えるようになった。……とたん、少しおおげさ
な言い方だが、私の魂は解放された!

●一度、自分を冷静に見つめてみる

 たいていの親は、自分の過去を再現しながら、「再現している」という事実に気づかない。気
づかないまま、その過去に振り回される。子どもに勉強を強いる。先の父母もそうだ。それまで
の二人を私はよく知っているが、実におだやかな人たちだった。

が、子どもが中学生になったとたん、雰囲気が変わった。そこで……。あなた自身はどうだろう
か。あなた自身は自分の過去を再現するようなことをしていないだろうか。今、受験生をもって
いるなら、あなた自身に静かに問いかけてみてほしい。あなたは今、冷静か、と。

そしてそうでないなら、あなたは一度、自分の過去を振り返ってみるとよい。これはあなたのた
めでもあるし、あなたの子どものためでもある。あなたと子どもの親子関係を破壊しないためで
もある。受験時代に、いやな思いをした人ほど、一度自分を、冷静に見つめてみるとよい。
 
+++++++++++++++++

 親が、子どもに残せるものは、何か? ……ときどき、そんなことを考える。

 私のばあい、財産といっても、ほとんど、ない。コツコツとためた小銭は、多少はあるが、これ
からの老後を考えると、とても、足りない。

 名誉も、地位もない。「○○家」というような、家柄でもない。それにほぼ、一生を終えつつあ
るが、これといって、何かをしてきたわけではない。平凡であるのが悪いとは思わないが、しか
し私の人生は、本当に、平凡だった。

 そういう私が、子どもに残せるものは、何か?

 昔、学生時代に、こんな歌を歌ったことがある。

♪死んだ親が、あとに残す 宝物は何ぞ
力強く男らしい それは仕事の歌
力強く男らしい それは仕事の歌
ヘイこの若者よ ヘイ前へ進め 
さあ、みんな前へ進め(ロシア民謡・津川主一訳詞)

 この歌を、少し、もじるとこうなる。

   ♪死んだ親が、あとに残す、宝物は何ぞ
    子どもを信じきったという、かたい信念
    子どもを守りきったという、強い自信
    そして子どもを愛しきったという、熱い愛情
    さあ、子どもたちよ、それを土台に、前へ進め

 決して、ふざけているのではない。むしろ、今、本気でそう思っている。もちろん私とて、今ま
でに何度も、デッドロックにのりあげたことがある。不安や心配を、そのまま子どもにぶつけた
こともある。決して、よい親でも、父親でもなかった。

 しかし今、自分の子育てを振りかえってみて、心の中で、光り輝き始めているのは、ほかでも
ない、まがりなりにも、子どもを信じ、子どもを守り、子どもを愛したという、その自負心である。
財産でも、名誉でも、地位でもない。学歴でも、ない。その自負心である。

 名古屋市のSさんは、今、子育てをしながら、その混乱の中で、もがき、苦しんでいる。しかし
そうであるかといって、それは、Sさん自身の責任ではない。一方で、私たちの体の中には、日
本独特の学歴信仰、学歴社会、そして受験競争がしみこんでいる。

 いくら「私は私だ」と思っていても、私たちは、こうした体質とは、無縁ではいられない。無意識
の世界は、意識の世界より、はるかに広い。私たちの心は、常に、この無意識の世界に支配
されている。「頭の中ではわかっていても……」というSさんの思いは、そういうところから生ま
れる。

 だから、その体質を変えるのは、容易なことではない。たとえばこんな例がある。

 A氏(三五歳)は、子どものころから、親とともに、ある宗教団体で、信仰を重ねてきた。が、
ある日、その信仰に疑問をもってしまった。A氏に異変が起きたのは、そのときからだった。

 A氏の妻からの手紙だが、こう書いてきた。

 「夫は、国立大学の工学部を出たような人で、それなりにインテリだと思います。そんな夫
が、毎日、毎晩、バチが当たると言って、こわがって、体を震わせています」と。

 決して、オーバーに書いたのではない。むしろ、私は、控えめに書いた。その宗教団体では、
その団体を批判したり、その「長」の悪口を言っただけで、地獄へ落ちるとか、バチが当たると
か言って、信者をおどしている。

 私のような部外者からみると、何ともおかしな話だが、本人にとっては、そうではない。子ども
のときから信仰してきた宗教だけに、よけいに、そうなのだろう。いわんや、明治時代以来、国
策(?)として、日本の教育の「柱」となってきた、学歴信仰をや!

【Sさんへ……】

 今が、正念場だと思います。無意識のうちにも、あなたは自分の少女時代を再現しているの
です。このことは、心理学の世界でも、常識です。つまり親は、子育てをしながら、無意識のう
ちにも、自分の過去を、そのつど再現します。

 今、あなたが、極度の不安状態になるのは、かつてあなたが少女のとき、そうであったから
に、ほかなりません。

 しかし幸いなことに、すでにあなた自身が、自分を客観的に見る目をもっている。これはとて
も重要なことです。ほとんどの親は、そういう目ももたないまま、そしてわけがわからないまま、
「私であって私でない部分」に、振りまわされてしまうのです。

 もちろん客観的に見ることができるからといって、そのまま、問題が解決するということはあり
ません。身にしみこんだ体質というのは、そういうものです。しかしここで恐れたり、ひるんだり
してはいけません。とにかく、前に向って進むのです。あとは、必ず、時間が解決してくれます。

 ちなみに、あなたのまわりにいる人を、観察してみてください。あなたのまわりには、子どもの
受験勉強で、狂奔(きょうほん)している人は、多いはずです。そういう人たちを見ると、つまり
今のあなたの目から見ると、「私であって私でない部分」に、動かされているのが、よくわかる
はずです。客観的に自分を見つめる目をもっているというだけでも、他人を見る目が、大きく違
ってきます。

 今のあなたの子どもは、かつてあなたがそうであったように、苦しんでいます。毎日を悶々と
した状態で、過ごしています。この日本では、こうした受験競争は避けられない道かもしれませ
んが、それでも、あなたの見方が変われば、あなた自身も、それで救われますが、あなたの子
どもも救われます。それともあなたは、自分がそうであったことを、あなたの子どもにしてほしい
ですか? それを望んでいますか?

 そうでないなら、あなたも、勇気を出して、あなたの子どもに、こう言ってみてください。

 「いいのよ。あなたはあなただから。あなたはあなたの信ずる道を行きなさい。あなたはよく
がんばってきた。今も、がんばっている。お母さんは、あなたを信じていますよ」と。

 実は、今、私も、同じような悩みをかかえています。

 三男が、今度、今の大学をやめて、パイロットになると言っています。先日、宮崎県で、その
三次試験を受けてきたところです。最終的な合格発表は、もうすぐですが、親の私の心境は、
複雑です。

 「パパは、反対か?」と、ときどき聞きますが、賛成する親はいないと思います。これから先、
飛行機事故のニュースを聞くたびに、私は、ハラハラしなければなりません。(私自身も飛行機
事故を経験し、飛行機恐怖症ということもあります。)

 しかし、三男が、それを望むというのであれば、私は、それを支えるしかありません。三男を
信じるしかありません。「お前の人生は、お前のものだから、勝手に生きろ」とです。

 親というのは、いつも、その「限界」の中で、生きるものかもしれません。「何とかならないもの
か」と思いつつ、しかしその限界を感じ、そしてそれを受入れる……。が、それとて、簡単なこと
ではありません。

 限界を認めないで、子どもを苦しませるか。反対に限界を認めて、親が苦しむか。最終的に
は、その選択を迫られます。今、Sさんは、その最終的な選択を迫られているといってもよいで
しょう。しかし、決して今の状態が、結論ということでもなければ、またこれから先、ずっとつづく
ということではありません。

 もうすぐあなたも、今の状況から抜け出し、(ただの親)から、(真の親)へと、脱皮するはずで
す。そしてそのとき、あなたは、真の親の喜びを感ずるはずです。それが、私がここでいう、「子
どもを信じきった」「子どもを守りきった」「子どもを愛しきった」という喜びです。

 あとのことは、子どもに任せましょう。そういう親の心を土台にして、どう生きていくかは、もう
親の関知することではないのです。ただ、今、ここであなたが、自分を変えれば、あなたの子ど
もは、今度、自分が親になったとき、今のあなたが感じているような苦しみや悩みは、覚えなく
てもすむだろうということです。

 もうあんな愚劣な、苦しみは、たくさん。コリゴリ。もちろんだからといって、私は、今の制度を
否定しているのではありません。勉強(学問)を否定しているのではありません。しかし考えよう
によっては、もっと別の方法があるのではないかということ。少なくとも、親子の絆(きずな)を、
こなごなにしてまでする価値は、ないということです。もしそれがわからなければ、今のあなた
と、あなたの両親の関係を、冷静に見つめてみることです。

 きついことを書きましたが、何かの参考になればうれしいです。またこのマガジンを、あちこち
に紹介してくださっているとか。ありがとうございます。ご恩は決して忘れません。また何かあれ
ば、ご連絡ください。
(031205)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

 
子育て随筆byはやし浩司(397)

●限界

 人は、だれしも、その限界状況の中で生きている。ギリギリのところというか、あるいは、その
範囲の中というか……。

 限界のない人は、もちろん、いない。やりたくても、できないこと。できても、できないこと。でき
なくて、できないこと、など。

 こうした限界を感じたとき、一義的には、抑圧された不満の中で、人は、悶々とする。苦しむ。
二義的には、それと戦う。もがく。しかしやがてそれも一巡すると、その人は、それを受け入れ
る。あきらめる。

 人の心というのは、不安定な状態には、それほど、長くは耐えられない。だから限界を受け
入れ、あきらめることによって、別の安定状態を作ろうとする。

 「やるだけやってみたさ」という、慰め。「やって、まあ、こんなものだ」という、あきらめ。「なる
ようにしか、ならないさ」という、受け入れ。それがどんな形であれ、そのとき、その人の心は安
定する。

 自分のことなら、そういう形で、最終的には、落ちつく。問題は、自分の子どもだ。

 子どもが受験期を迎えると、たいていの親は、言いようのない不安を感ずる。将来に対する
心配、身分が安定しない不安。そういうものが、混然一体となって、その親を襲う。「この子は、
だいじょうぶだろうか」「このきびしい社会で、ちゃんとやっていけるだろうか」と。

 そのとき親は、自分のことなら、それなりに「限界」がわかるが、子どものこととなると、わから
ない。可能性も信じたい。能力もあると信じたい。しかしそれがよくわからない。わからないか
ら、よけいに不安になる。心配になる。

 そこで親は、悶々と悩み始める。親自身の学歴信仰もある。親自身も、その親から、そういう
子育てを受けている。子育てというのは、そういうもの。代々と、繰りかえす。

 この日本に、学歴社会が、ないとは言わせない。職種によっては、一度、就職したら、死ぬま
で安泰というのは、いくらでもある。官僚や、公務員の世界が、そうである。

 そういう不公平を、親たちは、いやというほど、日常の生活の中で感じている。だから、「やは
り、そうは言ってもですねえ……」となる。

 加えて、親子の間にカベがない人ほど、子どもの世界に入りこんでしまう。しかしよく誤解され
るが、子どもの受験勉強に、かかりきりになる親というのは、真の愛をもっている親ではない。
そういう親がもっている愛というのは、代償的愛である。いわば愛もどきの、愛。

 自分の不安や心配を解消するために、子どもを利用しているだけ。言うなれば、身勝手な、
まさにストーカー的な愛ということになる。

 そこで親は、声高らかに、こう叫ぶ。「勉強しなさい!」と。「テストは何点だったの!」「こんな
ことでは、いい高校に入れないわよ!」と。

 こうして親は、ズルズルと、子どもの限界状況の中に、巻きこまれていく。髪をふりかざし、自
分を見失っていく。

 ある母親は、こう言った。「息子(中二)のテスト週間になると、お粥しか喉(のど)を通りませ
ん」と。また別の母親は、こう言った。「進学塾の、こうこうとした明かりを見ただけで、頭にカー
ッと血がのぼります」と。

 しかし子どもも、やがてその限界のカベにぶつかる。成績は容赦なく発表され、そのつど、親
は、落胆と失望を味わう。そう、今の受験競争の中で、親の期待に答えながら、最後の最後ま
で、生き残る子どもなど、いったい、何パーセントいるというのか。

 親は、子どもの限界状況の中で、やはり、もがき、苦しむ。そしてそれが一巡すると、親も、
その限界を、受入れるようになる。そしてあきらめる。

 それは実におおらかな世界である。静かで、平和な世界だ。そしてそのとき、親は、しげしげ
と、わが子を振りかえりながら、こうつぶやく。

 「いろいろやってはみたけれど、あなたは、やっぱり、ふつうの子だったのね。考えてみれ
ば、そのとおり。私だって、ふつうの親なのよ」と。

 しかしそこが終わりではない。実は、そこが始まりなのである。親も、そして子どもも、そこを
原点として、それまでは上下関係のある親子関係から、対等の友人関係へと進む。たがいに
その限界状況の中で、助けあい、励ましあい、なぐさめあって生きていくようになる。

 それが親子というもの。だからあなたも、勇気を出して、「限界」を認めたら、よい。「あなた
は、よくがんばっているわ。それでいいのよ」と。

その時期は、早ければはやいほど、よい。一方、へたにあがけばあがくほど、子どもも伸び悩
むが、その前に、親子の関係を、粉々に、破壊してしまう。しかしもしそんなことになれば、それ
こそ、大失敗というもの。

 英語では、日本人なら、「がんばれ!」と言いそうなとき、「TAKE IT EASY!」と言う。「気
楽にしなさいよ」と。よい言葉だ。あなたも、あなたの子どもに一度、そう言ってみてはどうだろ
うか。あなたの心も軽くなるが、あなたの子どもの笑顔も、それでもどってくる。
(031205)

【ワン・ポイント・アドバイス】

 子育てで行きづまりを感じたら、アルバムを開いたらどうでしょうか。そして幼いころの、あな
たの子どもの笑顔を見てください。それできっと、あなたも、心が軽くなるはずです。

+++++++++++++++++++++++

●子どもがアルバムに自分の未来を見るとき

●成長する喜びを知る 

 おとなは過去をなつかしむためにアルバムを見る。しかし子どもは、アルバムを見ながら、成
長していく喜びを知る。それだけではない。

子どもはアルバムを通して、過去と、そして未来を学ぶ。ある子ども(年中男児)は、父親の子
ども時代の写真を見て、「これはパパではない。お兄ちゃんだ」と言い張った。子どもにしてみ
れば、父親は父親であり、生まれながらにして父親なのだ。

一方、自分の赤ん坊時代の写真を見て、「これはぼくではない」と言い張った子ども(年長男
児)もいた。

ちなみに年長児で、自分が哺乳ビンを使っていたことを覚えている子どもは、まずいない。哺
乳ビンを見せて、「こういうのを使ったことがある人はいますか?」と聞いても、たいてい「知らな
い」とか、「ぼくは使わなかった」と答える。

記憶が記憶として残り始めるのは、満四・五歳前後からとみてよい(※)。このころを境にして、
子どもは、急速に過去と未来の概念がわかるようになる。それまでは、すべて「昨日」であり、
「明日」である。「昨日の前の日が、おととい」「明日の次の日が、あさって」という概念は、年長
児にならないとわからない。

が、一度それがわかるようになると、あとは飛躍的に「時間の世界」を広める。その概念を理
解するのに役立つのが、アルバムということになる。話はそれたが、このアルバムには、不思
議な力がある。

●アルバムの不思議な力

 ある子ども(小五男児)は、学校でいやなことがあったりすると、こっそりとアルバムを見てい
た。また別の子ども(小三男児)は、寝る前にいつも、絵本がわりにアルバムを見ていた。つま
りアルバムには、心をいやす作用がある。

それもそのはずだ。悲しいときやつらいときを、写真にとって残す人は、まずいない。アルバム
は、楽しい思い出がつまった、まさに宝の本。が、それだけではない。冒頭に書いたように、子
どもはアルバムを見ながら、そこに自分の未来を見る。さらに父親や母親の子ども時代を知る
ようになると、そこに自分自身をのせて見るようになる。

それは子どもにとっては恐ろしく衝撃的なことだ。いや、実はそう感じたのは私自身だが、私は
あのとき感じたショックを、いまだに忘れることができない。母の少女時代の写真を見たときの
ことだ。「これがぼくの、母ちゃんか!」と。あれは私が、小学三年生ぐらいのときのことだった
と思う。

●アルバムをそばに置く

 学生時代の恩師の家を訪問したときこと。広い居間の中心に、そのアルバムが置いてあっ
た。小さな移動式の書庫のようになっていて、そこには一〇〇冊近いアルバムが並んでいた。
それを見て、私も、息子たちがいつも手の届くところにアルバムを置いてみた。

最初は、恩師のまねをしただけだったが、やがて気がつくと、私の息子たちがそのつど、アル
バムを見入っているのを知った。ときどきだが、何かを思い出して、ひとりでフッフッと笑ってい
ることもあった。そしてそのあと、つまりアルバムを見終わったあと、息子たちが、実にすがす
がしい表情をしているのに、私は気がついた。

そんなわけで、もし機会があれば、子どものそばにアルバムを置いてみるとよい。あなたもア
ルバムのもつ不思議な力を発見するはずである。

※……「乳幼児にも記憶がある」と題して、こんな興味ある報告がなされている(ニューズウィー
ク誌二〇〇〇年一二月)。

 「以前は、乳幼児期の記憶が消滅するのは、記憶が植えつけられていないためと考えられて
いた。だが、今では、記憶はされているが、取り出せなくなっただけと考えられている」(ワシント
ン大学、A・メルツォフ、発達心理学者)と。

 これまでは記憶は脳の中の海馬という組織に大きく関係し、乳幼児はその海馬が未発達な
ため記憶は残らないとされてきた。現在でも、比較的短い間の記憶は海馬が担当し、長期に
わたる記憶は、大脳連合野に蓄えられると考えられている(新井康允氏ほか)。しかしメルツォ
フらの研究によれば、海馬でも記憶されるが、その記憶は外に取り出せないだけということに
なる。

 現象的にはメルツォフの説には、妥当性がある。たとえば幼児期に親に連れられて行った場
所に、再び立ったようなとき、「どこかで見たような景色だ」と思うようなことはよくある。これは
記憶として取り出すことはできないが、心のどこかが覚えているために起きる現象と考えるとわ
かりやすい。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
 
子育て随筆byはやし浩司(398)

K国問題

●アジアの中の最貧国

 K国の子どもたちが、栄養剤の配給を受けている写真が、公表された(〇三年一二月)。K国
の赤十字社が、配信したものだと思う。私は、その写真を見て、驚いた。子どもたちがみな、不
自然なほどに赤い口紅をつけ、頬(ほお)に色を塗っていた。

 「ここまで小細工をするか!」と。

 今、K国の経済は、燃料と電力不足で、壊滅状態にあるという。数年前ですら、工場の稼働
率は、三〇%前後だったという。

「三〇%」という数字が、いったいどういうものか、私にはわからない。単純に考えれば、一〇
〇の工場のうち、三〇の工場しか動いていないということになる。あるいは、一日、一〇時間の
うち、三時間しか動いていないということになる。

 アメリカからの原油の供給を止められ、食糧生産も、やや好転したとはいえ、〇四年度も、約
一〇〇万トン程度、不足するという。さらに子どもの、約三分の一が、栄養失調状態にあるとも
言われている。今や、K国は、アジアの中でも、最貧国になってしまった。

●常識のとおらない国 

 取っても、取っても、はりついてくるヒルのよう。いつか私はワイフに、そう話したことがある。
K国という国は、私には、そう見える。

 一説によると、拉致(らち)された日本人は、三桁以上、つまり一〇〇人以上いると言われて
いる。あるいは、それ以上かもしれない。拉致されたと考えて、ほとんど、まちがいないと言わ
れている人でさえ、数一〇人はいるという。とても、一〇人や二〇人の話では、ないのである。

 そういう拉致された人を、日本が逆に「返さない?」という理由で、「日本は約束を守らない」
と、怒っている。一体、K国の常識は、どうなっているのか? そのことをアメリカ人の友人のJ
氏に話すと、J氏は、こう言った。「K国には、常識(コモン・センス)は、ないのだよ、ヒロシ」と。
私が、「彼らは、日本とは違った、常識をもっている」と、言ったときのことである。

 そういう国だから、言っていることが、何がなんだか、さっぱり、わけがわからない。国連の場
で、突然、日本を「ジャップ」と、呼んでみせたり、「強制連行の調査をせよ」と、叫んでみせたり
する。

 何も、むずかしことを言っているのではない。K国に残っている家族と、電話連絡くらいは、さ
せてほしいと言っているのである。あるいは手紙でもよい。どうして、そんな簡単なことすら、さ
せてくれないのか。

●六か国協議
 
 K国の核問題に関しての、六か国協議の開催が遅れている。当初は、この一一月に予定さ
れていたが、一二月になり、さらに、来年の二月になりそうだとも、言われている。

 即刻、核開発を放棄せよと迫る、アメリカ。そしてそれに同調する、日本。「放棄してやるか
ら、見返りをよこせ」と主張する、K国。その間で、アメリカ側にゆれたり、K国側にゆれたりす
る、韓国。あちこちを飛びまわっている中国。一見、K国よりの姿勢を見せながら、その実、ア
メリカ寄りの、ロシア。

 K国のねらいは、ただ一つ。アメリカとの間に、不可侵条約(あるいはそれに準ずる条約)を
結んだあと、日本を攻撃することである。もちろんそうなれば、日朝戦争ということになる。しか
しそうなっても、日本は、K国に、手も足も出せない。日本に隠れている工作員に、福井県にあ
る原発が一基破壊されただけでも、中部地方には、人は、だれも住めなくなってしまう。

 仮に本格的に戦争ともなれば、韓国は、まちがいなく、K国を支援する。中国も、K国を支援
する。しかしアメリカは、何もできない。とても悲しいことだが、今、日本の味方をしてくれる国
は、アメリカ以外には、一国も、ない。

●金XX体制の崩壊こそ、最善

願わくは、金XXによる独裁体制が、崩壊することである。が、これについては、「崩壊する」と
主張する人と、「簡単には崩壊しない」と主張する人は、半々くらいではないか。オーストラリア
の国防省で働いていた、K君は、「心配しなくて、いい。K国は、近く、崩壊する」と言っている。

 その反面、K国の核開発は、今、急ピッチで進んでいる。核実験も、時間の問題と言う人もい
る。すでに核兵器を、二〜六発前後、もっていると主張する人もいる。だったらなおさら、K国
は、核放棄には応じないだろう。

 しかし問題は、この日本だ。ああいう常識のない国だから、何をしでかすか、わかったもので
はない。東京の中心部で、核兵器を爆発させるようなことだって、するかもしれない。もしそん
なことをされたら、その時点で、日本の政治、経済、社会は、停止する。ばあいによっては、崩
壊する。

 今の日本としては、「追従外交」「アメリカの言いなり」と酷評されようが、アメリカにすがるしか
ない。でないというなら、この日本に味方してくれる国が、ほかにどこがある? とても残念なこ
とだが、今の日本には、K国を押さえこむ力はない。その背後にいる、韓国や中国を、押さえこ
む力はない。

●どう考えるか

 K国の崩壊のカギを握るのは、アメリカでも、韓国でもない。もちろん日本でもない。中国であ
る。この中国が、K国、どう出るかによって、K国の命運は決まる。

 しかし幸運なことに、表面的には反米路線をとる中国だが、中国は、結局は、アメリカ側に立
つしかないだろう。K国に加担して、アメリカを怒らせても、中国には利益はない。それ以上に、
今のK国には、国としての価値すら、ない。そのあたりのことは、中国も、よくわかっている。

 また韓国が、親北政策をとるのは、仮に米朝戦争になっても、できるだけ火の粉をかぶりたく
ないという思いがあるから。現に今の、ノ大統領は、選挙中の演説の中で、こう述べている。
「米朝戦争になっても、韓国は、中立を守る」と。一見、とんでもな意見のように見えるが、韓国
も、自国を守るために、必死なのだ。

 最後にアメリカだが、アメリカは、前線の司令部を、グアムやハワイに移しつつある。とくに韓
国からは、撤退することを、ほぼ、決めた。それもそのはず。ノ大統領は、反米をかかげて、今
の政権の座についた。どうしてアメリカが、その韓国を守らねばならないのか。

 日本の状況も、韓国に、似ている。在日アメリカ軍が移動するたびに、日本各地で、はげしい
反米運動が起きる。どうしてそんな日本を、アメリカが「命をかけて」守らねばならないのか。あ
るいは反対の立場なら、日本は、「命をかけて」、アメリカを守るとでもいうのだろうか。

 政治はきわめて現実的なもの。国際政治は、さらに現実的なもの。私たちが今すべきこと
は、どんな方法であるにせよ、あの金XXの独裁体制を、自然死に追いこむこと。それ以外に、
日本の平和はありえない。

●世界の本音

以上は、いわゆる建て前論。そこで本音論。

実のところ、六か国協議が成功したとき、一番、困るのが、日本なのである。K国が、仮に核兵
器を放棄しても、化学兵器や細菌兵器は、どうなる? ミサイルは、どうなる?

 さらにまずいことに、そのあと、K国は、日本に対して戦後補償を求めてくる。その額は、五〇
〜一〇〇億ドル(アメリカ議会推定)。あるいはそれ以上とも言われている。まさに天文学的な
数字を出してくる可能性がある。

 日本としては、それこそ屋台骨を一本抜くような覚悟が必要だが、問題は、このことではな
い。そのお金で、K国が、武器を買いつづけたら、日本は、どうなるかという問題である。その
可能性は、じゅうぶんある。

 そこで日本の本音としては、六か国協議の場で、K国に核兵器の放棄を迫るのではなく、国
連の安保理の場で、K国に核兵器の放棄を迫るほうがよいということになる。国際社会が、全
体として、K国に対して、経済制裁を加える。日本は、それに乗って、金XXを自然崩壊させる。
こういう図式が、日本にとっては、一番、安全である。

 恐らく、アメリカも、同じ意見だろう。だから、アメリカは、「ここは、一応、中国にやらせるだけ
やらせてみよう」という姿勢をとっている。「やらせるだけやらせてみれば、中国も、K国の本性
がわかるだろう」と。それがわかれば、国連の安保理で、中国が、むやみやたらと、拒否権を
行使するということもなくなる。

 となると、六か国協議は開かれても、協議が、成功する可能性は、ほとんど、ない。すでにア
メリカの腹は、決まっている。つまり、国連の安保理による、K国に対する、経済制裁である。
日本も、すでにそれに同調している。経済制裁に向けての、国内法の整備も、ほぼ完了した。

 そこで中国としては、この流れを逆転させるために、今、猛烈に、K国を説得しようとしてい
る。そのほうが、中国にも、利益がある。日本が払う賠償金を、そっくりそのまま自分のものと
することができる。また、もしK国がふつうの国なら、そしてふつうの常識がとおる国なら、中国
の説得に応ずるのだろうが、そこは、「常識のない国」。

 今ごろは、中国も、四苦八苦していることだろう。手を焼いているかもしれない。

 最後に韓国だが、私には、あの国が、何を考えているか、よくわからない。とくにノ政権になっ
てからは、反米、親北政策が、ますます顕著になってきた。やることなすこと、どこか現実離れ
している。

 たとえば国境沿いの最前線に、三万六〇〇〇人近いアメリカ兵を置きながら、反米を唱え
る。星条旗を破ってみせる。そしてアメリカが出て行くと言うと、今度は、「裏切り行為」と騒ぐ。

 さらに本音の本音をいえば、韓国と北朝鮮が、ここで平和裏に統一ということにでもなれば、
それこそ日本にとっては、大問題。日本を最大の敵と考える、強大な軍事国家が、すぐ隣に出
現することになる。もしそうなれば、日本は、それこそ、戦後最大の危機を迎えることになる。

 日本にとって、もっとも好ましいシナリオは、六か国協議で、K国が、おとなしく、核開発の放
棄を宣言すること。先軍政治とか、何とか、そういうおかしな政策をやめること。

が、それが不調に終わったばあいには、中国とK国が離反するのを待って、アメリカが、国連
の安保理にK国の制裁決議を求める。それに世界が同調する。中国も同調して、K国の息の
根を止める。金XX体制を、崩壊に導く。

 ここで重要なことは、K国の息の根を止めるのは、アメリカであっても、日本であってもいけな
い。中国である。中国に止めてもらう。そうすれば、金XX体制は、何もできないまま、平和裏
に、かつ、静かに崩壊する。
(031205)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


子育て随筆byはやし浩司(399)

【近況アラカルト】

●健康になる

近所に、ひどい腰痛もちの女性がいた。今年、七〇歳になる人である。

 その人は、以前は、会うたびに病院通いをしていた。太った体をもてあましながら、ヨタヨタと
歩いていた。

 が、今日、その女性を見て、驚いた。何とその女性が、スタスタと横断歩道を渡っているでは
ないか!

私「おばさんじゃ、ないですか?」
女「あら、林さん!」
私「えらく、元気になってエ? こんなところで、どうしたの?」
女「はあ、そうかねえ」と。

 その女性は、そこから歩いて家まで帰るところだという。距離にして、たっぷり、一キロ以上は
ある。

私「ここまで歩いてきたの?」
女「運動のためにね。毎日、歩いているよ」と。その女性は、うれしそうに笑っていた。

 ナルホド!

 家に帰って、その話をワイフにすると、ワイフは、「やっぱり、運動はしなくてはいけないわね」
と。

 そこで、今日(一二月六日)、近くのスーパーまで、二人で、歩いていってきた。往復の距離
は、約四キロ。意気込んででかけたものの、着くころには、膝の関節が、ガクガクした。帰ってく
るころには、ヘトヘト。そのままコタツに入って、私は、眠ってしまった。

 ワイフは、テニスで鍛えているから、歩くのには、強い。私は自転車だから、関節への負担に
弱い。一時間以上も、つづけて歩いたのは、最近にないことだった。しかし心に決めた。これか
らは、毎週、一回は、こうして買い物に行くぞ、と。

 しかしあの女性が、こうまで元気になるとは! ダンナさんのほうは、今は、電動の車イスに
乗っているというのに! 改めて運動の大切さを、思い知らされた。


●風邪

 夕方から、どうも調子がおかしかった。コタツに入っていると、猛烈な眠気に襲われた。で、そ
のあと、頭がフラフラし始めた。風邪である。

 少しがまんして、起きていた。が、それがよくなかった。早めに寝たものの、夜中に、頭痛。体
がほてり始めた。そこで起きて、風邪薬をのむことにした。

 私は、胃はじょうぶなほうだが、薬には弱い。薬だけをのむと、たいてい胃がやられる。そこ
でサンドウィッチをつくって、食べる。それにのども痛い。うがいをする。

 静かな夜だ。このまま起きていたい気もするが、やはり、おとなしく、寝ることにした。


●思想

 風邪のせいだと思うが、このところ、何も、新しい思想らしきものが、わいてこない。ただぼん
やりとしているだけ。

 何となく頭の中がモヤモヤするが、それだけ。ただおかしなもので、習慣というか、起きると、
そのままパソコンの前に座ったりする。そして何かを書くわけではないが、キーボードの感触を
楽しんだりする。

 パソコンというのは、キーボードが大切。意外と見落としがちなところだから、注意したほうが
よい。見栄えだけで選ぶと、あとで後悔する。

 ところで昨夜、気がついたが、やはりキーボードは、白地がよい。少し暗いところで作業を始
めたが、暗いところだと、黒いキーボードの文字がよく見えない。最近のパソコンは、「白」が主
体になっている。よいことだ。


●一般保護エラー

 少し前、保護エラーについて書いた。パソコンをたちあげると、すぐ、「一般保護エラー」と表
示されてしまう。

そこで指示に従って、再起動をかけると、今度は、セーフモードで。が、それでなおるわけでは
ない。何度も、同じ作業を繰りかえす。そして一〇回のうち、一回ぐらいの割合で、正常に、動
き出す。

 いろいろ調べてみた。が、原因がやっとわかった。

 以前、N社製のアンチ・ウィルス・ソフトが原因ではないかと書いたが、それはまちがいだっ
た。

 P社製の、このノートパソコンは、CDが、着脱式になっている。そのせいなのだろう。同時
に、スマートメディアのカード・リーダーや、USB経由で、CDRをつけたりすると、とたんに、動
作が、おかしくなる。

 そこでデバイス・マネージャー(トップ画面のマイ・コンピュータを右クリック→プロパティ→)を
調べてみると、CDのところに、おかしな文字化けしたデバイスが!

 これを削除して、再起動をかけると、安定した動きになった。要するに、デバイスどうしが、た
がいに、喧嘩(けんか)をしていたらしい。

 このことを、ワイフに話すと、「パソコンって、デリケートなのね」と。ホント! 私もそう思う。

 そこで教訓。このところ、便利な新機能を、あれこれつけたパソコンが売りに出されている。し
かしそういうパソコンは、できるだけ、購入を避けたほうがよい。

新機能であるだけに、まだじゅうぶん、機能の安定性が確認されているわけではない。「新機
能には、難あり」と、覚えておくとよい。ちなみにP社製のこのパソコンは、P社としては、はじめ
ての、CDが着脱式のパソコンだった。


●細江町の「教育のつどい」

来年(〇四年)の二月二一日(土曜日)、浜松市北部の細江町で、「教育のつどい」が開かれ
る。その「つどい」の講師として、招かれた。教育委員会はもとより、小中学校、地域の各団体
の人が集まってくれるという。

 こうした講演会が入ると、その節目、節目で、大きな励みになる。「そのときまでに、何か新し
いことを発見してやろう」という気持になる。そしてその日に向けて、その日、ギリギリまで、原
稿を書きつづける。

 といっても、講演に来てくれる人は、ほとんどが、その日がはじめて。だから私は、「私」の中
でも、初級的なことを話さねばならない。(「初級」といっても、「軽い」という意味ではない。)

 そこで技術的には、初級的な「私」を話しつつ、その中に、最近、発見したことを織りまぜてい
く。しかしここでも問題が起きる。専門用語を使いすぎるのもよくないし、かといって、くだらない
話もよくない。有名人で、大きな業績のある人なら、それでもよいが、私のばあいは、それでは
許されない。つまり、その分だけ、いつも真剣勝負ということになる。

+++++++++++++++++++++++++

 二月二一日に向けて、目標ができました。浜松市の方も、自由に参加していただけると思い
ますので、聞いてもよいと思ってくださる方は、どうか、おいでください。

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細江町「教育のつどい」
  テーマ「みんなで育てよう、細江の子」

  二月二一日(土曜日) 午前10:30〜11:40

    主催……細江町教育委員会、町議会議員、青少年問題協議会委員、社会教育委員
        子どもを育てる会関係者、家庭学級生、PTA関係者、自治会役員、
        民生児童委員、幼稚園、小・中学校教員ほか

        問合せ先……053−523−3116、細江町社会教育課

***********************


●キジバト、その後

 庭へ、相変わらず、キジバトが、エサを食べにくる。しかしいつも、親バト一羽のみ。本来な
ら、ピー子(子バト)も、いっしょでなければならないはず。しかし、いない……?

 このところ親バトを見るたびに、ワイフと、こんな会話をする。

私「ピー子を見たか?」
ワ「見ないわ……」
私「どうしたのだろう?」
ワ「だいじょうぶだろうか?」と。

 この時期、子バトは、親バトから、エサの取り方を学ぶはず。いきなり、親離れということは、
ない。しかし子バトには、外敵がたくさん、いる。

 犬や猫、それにカラス。このあたりには、イタチも住んでいる。小鳥にとって、決して、住みや
すい環境ではない。

私「親バトは、子どもをなくした悲しみを、どうやって乗り越えているのだろう?」
ワ「……。やっぱり、悲しさは、同じだと思うわ」
私「そうだな。どんな動物にも、感情がある。とくに鳥などは、人間よりすぐれた感情をもってい
るかもしれない」
ワ「しかし、いちいち悲しんでいたら、鳥も、生きていかれないわ。そういう世界で、生きている
から」と。

 人間のばあい、子どもをなくした悲しみを、乗り越えられない人は、いくらでもいる。子どもの
ころ、一人息子を、川でなくした母親がいた。その母親は、そのあと、廃人のようになってしまっ
た。同級生の母親だっただけに、強く、印象に残っている。

 この話で思い出したが、その同級生を、川へ連れていったのが、その同級生の隣に住む男
の子だった。その男の子もまた、私の同級生だったが、それからしばらくして、その男の子の
一家は、別の場所に、引っ越していってしまった。とても、いっしょには、住めなかったのだろ
う。

 さらにその男の子というのは、どういう縁か、私が住んでいる浜松へやってきた。そして、数
年前、肺がんでなくなってしまった。たいへんなヘビースモーカーで、一日に、二箱程度の、タ
バコを吸っていた。

 この年齢になると、いろいろなドラマの、始まりと、終わりを見ることができる。人間が織りな
す、ドラマだ。親バトを見ながら、ふと、そんなことを考えた。


●山荘

 昨日(土曜日)は、風邪のため、山荘へは行けなかった。そこで今日(日曜日)に、行くことに
した。まだ風邪が抜けていないから、今日は、山荘で、ビデオを見るつもり。昨日、ビデオショッ
プで、新作の「ザ・コア」というのを、借りてきた。

 私は高校生のときから、SF(空想科学)小説が大好きで、ある時期は、SF小説ばかりを、む
さぼり読んでいた。

 当時のSF小説は、最近のとは違って、SF冒険小説のようなものが多かった。ほかの惑星へ
行って、そこに住む異性人や、怪獣と戦うというものだった。今でもあるかどうかは知らない
が、「早川」という出版社が、その種類の本を、たくさん出版していた。

 「ザ・コア」も、そのSF映画である。しかし、話は、少し、深刻。

 地球内部のマグマの動きが止まり、地球の磁場がなくなるという想定で、この映画は始まる
らしい。磁場がなくなれば、地球を囲む、バンアレン帯などが消え、そのため宇宙から有害な
放射線が、雨のように地上へ、降り注ぐことになる。そうなれば、人類はもちろん、あらゆる生
物は、絶滅の危機に瀕する。

 しかも、それはSFの世界の話でなく、本当に、近未来に起こりうることだというのだ。現に
今、地球の磁場は、年々、弱くなりつつあるという。そしてやがて、南極と北極がいれかわると
いうが、そのとき、磁場がゼロになるという。

この映画は、そうした事実と推定を基本にしている。どんな映画かは知らないが、前評判は、
それほど悪くない。この原稿を発表するときは、そのビデオを見終わっているはずだから、★
の数を、報告できると思う。

(しかし風邪気味のときは、ビデオのはげしい動きに、目がついていけないときがある。まあ、
がんばって見てみるか!)

【ビデオを見て……】
 
 わかったような、わからないような専門用語を並べた、まあ、ありえない(つまり科学的に矛盾
だらけの)、映画としては、二流。判定は、ワイフは……★★★。私は……★★。途中で、あく
びが出てきてしまった。(★五つが、満点)

 ブルース・ウィルス主演の、「アルマゲドン」とよく似た映画だが、「こうすれば、観客がハラハ
ラするだろう」「こうすれば、観客が喜ぶだろう」という、隠された意図が見えみえ。(かなりきび
しい結果が出てしまって、すみません。)

 見終わったあと、ワイフが、こう言った。「今度は、『ソラリス』を見てみない」と。

 『ソラリス』は、三〇年ほど前、一度、映画化されている。私も一度見たが、その映画は、おも
しろかった。

●おとなの優位性

今週の幼児教室は、「文字」をテーマにした。そのときのこと。

年中児のクラスでは、「戦いごっこ」をした。戦いごっこというのは、私が、プロレスのレスラーが
かぶるようなマスクをかぶり、子どもたちと戦うというもの。一通り、コスチュームは、上から下
まで、そろえてある。

 しかしこれは、決して、「遊び」ではない。

 幼児教育で大切にしなければならないのは、おとなの優位性を、決して、子どもに、一方的
に、押しつけてはいけないということ。押しつければつけるほど、子どもは服従的になる。そして
一度、服従的になった子どもは、ほぼ、一生、そのままの状態で、生涯を終える。

 決して、おおげさなことを言っているのではない。

 もともと日本の教育は、権威、つまり、おとな(教師)の優位性を見せつけることを、目的とし
てきた。明治以来、「従順で、もの言わぬ国民」づくりが、教育の「柱」になっている。

 もちろん教育には、ある程度の権威が必要である。それがないと、「教育」としての、「まとま
り」ができなくなる。しかし、それにも程度がある。

 そこで、時には、こうした戦いごっこをする。そしておとな(教師)のほうが、子どもに、負けて
みせる。「ごめん、ごめん、君は、強いね」と。

 この方法は、どこか自信をなくしている子どもに、とくに有効である。一、二度してやると、子
どもは、生きかえったように元気になる。これも、私の得意芸の一つである。

 ここで「生涯」という言葉を使ったが、「生涯」である。生涯にわたって、権威主義的なものの
考え方をしたり、人間を、いつも、「上下」で判断したりするようになる。自分より偉い人には、
必要以上にペコペコし、そうでない人には、いばってみせる。

 もちろん本人が、それに気づくことは、まず、ない。本人にとっては、たいていのばあい、それ
が、人生観そのものになっている。何も考えず、「水戸黄門、大好き」と、テレビを喜んで見てい
る人は、ほぼこのタイプの人とみてよい(失礼!)。

 子どもが服従的になるかならないかは、幼児期の教育によるところが、大きい。この時期の
教育によって、決まる。しかしこの先のことは、親である、あなたが決めればよい。

 あなたの子どもを、あなたに対して従順で、おとなしい子どもにしたかったら、今、徹底的に、
おとなの優位性を見せつけておくこと。しかしあなたの子どもを、独立心が旺盛で、「私は私」と
思うような子どもにしたかったら、優位性を押しつけるのを、控えめにしたらよい。

(風邪で、調子が悪かったが、少し、調子が、もどってきたようだ。ああ、よかった!)


●おとなの優位性(2)

権威の否定イコール、軽蔑ということではない。

「親の権威は、必要」と説く人は、今でも、多い。そこで私が、「権威など、必要ない」などと言っ
たりすると、「君は、親を軽蔑するのか」と、反論したりする。このタイプの人は、頭の中で、こん
な親を、その理想像とする。

 父親は、それなりに肩書きのある人だ。地位もある。そして仕事から帰ってくると、まず、居間
の座卓の前に、デンと座る。「おい、お茶!」、一言叫ぶと、「ハーイ、ただ今!」と、妻が答え
る。

 父親は、ゆっくりと夕刊に目をとおし、「おい、メシはまだか!」と言う。それに答えて、妻が、
「はい、ただ今」と。「何だ、今日のおかずは?」「はい、サバの煮つけを用意しています」「そう
か。で、風呂の用意は、できているか?」「はい」と。

 父親にとっては、居心地のよい世界かもしれない。が、女性にとっては、そうでない。以前、
私たち夫婦を見ながら、「ヒロシのワイフは、ヒロシの奴隷みたいだ」と言ったオーストラリアの
友人がいた。

で、そういう環境で、日本人の女性たちが反発しているかというと、そうでもない。おかしなこと
だが、そういう夫でよいと考えている女性も、約二〇%※はいる。「父親には、やはり威厳が必
要だ」「妻は、内助の功に努めるべきだ」と。

 しかし権威があるから、尊敬するのでも、また、権威がないから、尊敬しないのでもない。尊
敬するとか、しないとかは、もっと、別の話である。いわんや、権威がないから、軽蔑するという
ことにはならない。

 むしろこうした権威は、親子の関係を、ゆがめてしまう。子どもは親の前では、仮面をかぶる
ようになる。いわゆる「いい子」ぶる。たがいに、心がつかめなくなる。その仮面が、親子の関
係を、疎遠にする。それに、江戸時代ならいざ知らず。いまどき、親の権威とは……?

 ある評論家は、こう書いている。

 「私の父には、西郷隆盛のような威厳があった。こんなことがあった。私が、父のひざに抱か
れて、食事をしていたときのこと。私が、お茶をこぼして、父のひざをぬらしてしまったことがあ
る。そのとき、父は、『無礼者!』と言って、私を叱った。今の父親たちに求められているのは、
そういう親としての威厳である」(雑誌「M」〇一年)と。

 しかし本当に、そうだろうか。

 もともと権威というのは、人をしばる道具としては、たいへん便利なものである。問答無用に、
相手をだまらせることができる。が、これからは、そういう時代ではない。また、そうであっては
いけない。

 親子でも、その当初から、一対一の人間関係で始まる。もちろん親には、保護者としての役
目はある。ガイドとしての役目もある。しかし同時に、親には、子どもの友としての役目もある。
その役目を、これからは、もっと、大切にしたい。
(031207)

++++++++++++++++++

※平等には反対?

 国立社会保障人口問題研究所の調査によると、「夫も家事や育児を平等に負担すべきだ」と
答えた女性は、七六・七%いるが、その反面、「反対だ」と答えた女性も二三・三%もいるとい
う。

男性側の意識改革だけではなく、女性側の意識改革も必要なようだ。ちなみに「結婚後、夫は
外で働き、妻は主婦業に専念すべきだ」と答えた女性は、半数以上の五二・三%もいる(同調
査)。

 こうした現状の中、夫に不満をもつ妻もふえている。厚生省の国立問題研究所が発表した
「第二回、全国家庭動向調査」(一九九八年)によると、「家事、育児で夫に満足している」と答
えた妻は、五一・七%しかいない。

この数値は、前回一九九三年のときよりも、約一〇ポイントも低くなっている(九三年度は、六
〇・六%)。「(夫の家事や育児を)もともと期待していない」と答えた妻も、五二・五%もいた。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

 
子育て随筆byはやし浩司(400)

意識について

●絶対的な意識は、ない

 人間のもつ「意識」ほど、いいかげんなものはない。意識には、絶対的なものもなければ、普
遍的なものもない。いろいろな例がある。

 私が、それに最初に気づいたのは、オーストラリアで留学生活をしていたときのことだった。
私には、何も自慢するものがなかった。それで、ことあるごとに、私は、「ぼくは、日本へ帰った
ら、M物産という会社に入社する。日本でナンバーワンの会社だ」と、そう言っていた。

 が、ある日、一番、仲のよかったD君(オーストラリア人)が、こう言った。「ヒロシ、もうそんな
こと言うのは、よせ。君は、知らないかもしれないが、日本人のビジネスマン(商社マン)は、こ
こ、オーストラリアでは、軽蔑されている」と。

 私は、大学四年生になると、何も迷わず、商社マンの道を選んだ。それが私にとって、正しい
道だと信じていた。しかしその商社マンが、オーストラリアでは、軽蔑されていた!

 当時の日本は、高度成長期のまっただ中。新幹線を走らせ、東京オリンピックを成功させ、
大阪万博を開いていた。そういう時代である。同級生たちのほとんどは、銀行マンや証券マン
の道を選んだ。

有名な企業であればあるほど、よかった。大きな企業であればあるほど、よかった。が、そうい
った意識は、実は、そのときの日本という、大きな社会で、作られたものだった。

 D君のこの言葉は、私の一生に関するものだっただけに、私に大きな衝撃を与えた。私は自
分のもっている意識を、そのとき、こなごなに、破壊された。が、同時に、私は未来への展望
を、見失ってしまった。

 それはそれとして、こうした意識を、私たちは、生活のあらゆる部分でもっている。人生観、
哲学観、宗教観にはじまって、好み、嗜好(しこう)、夢や希望などなど。が、どれ一つとて、絶
対的なものは、ない。普遍的なものも、ない。

 たとえば私は、中学一年生のとき、ある女の子が好きになった。好きで好きで、たまらなかっ
た。で、そのときは、その女の子ほど、すばらしい女性は、いないと思った。だから生涯にわた
って、その女の子を好きなままだろうと思った。思っただけではなく、そういうふうに信じてい
た。

 しかしその恋は、やがてシャボン玉がはじけるように消えた。そしてそれにかわって、「どうし
てあんな女の子が好きだったのだろう」と思うようになった。

●子育て観も、同じ
 
 もちろん、子どもに対する親の意識にも、絶対的なものもなければ、普遍的なものもない。そ
のことを思い知らされたのは、こんなことを知ったときだ。

 アメリカでは、学校の先生が、親を呼びつけて、「お宅の子を、落第させます」と言うと、親は、
それに喜んで従う。「喜んで」だ。

 あるいは自分の子どもの成績がさがったりすると、反対に、親のほうから、学校へ落第を頼
みにいくケースもある。

 これはウソでも、誇張でもない。事実だ。アメリカの親たちは、そのほうが、子どものためにな
ると考える。が、この日本では、そうはいかない。そうはいかないことは、あなた自身が、いち
ばん、よく知っている。

 意識というのは、そういうもの。

 そこで、いくつかの教訓がある。一つは、今、自分がもっている意識を、絶対的であるとか、
普遍的なものであるとか、そういうふうに、思ってはいけないということ。

 つぎに、意識というのは、変わりうるものだという点で、自分の意識には、謙虚になること。自
分の意識を、他人や家族に、押しつけてはいけない。

 もう一つは、意識というのは、どんどんと変えていかねばならないということ。変わることを恐
れてはいけない。また一つの意識に、固執してはいけない。

●そのときどきの、「懸命」さ

 こう書くと、意識というのは、流動的ということになる。そういう前提に立つなら、「では、何を信
じたらいいのか」という問題が起きてくる。

 その答は、ただひとつ。「そのときどきで、懸命に生きればいい」ということ。

 よく若い人が、こう言う。「あとになって後悔するよりも、ぼくは、今、自分が信じていることをし
たい」と。

 それはそのとおりで、他人の意見というのは、あくまでも参考にしかならない。仮にその意識
が変化しうるものであっても、そのときは、そのときで、懸命に生きればよい。その結果がどう
なろうとも、それは、そのあとに、考えればよい。

 たとえばわかりやすい例で、考えてみよう。

 だれか女の子に恋をしたとする。そのとき、その女の子が好きだったら、とことん好きになれ
ばよい。その意識が変わるとか、そういうことは考えなくてもよい。その「懸命さ」の中に、重大
な意義がある。

 そして、その女の子と、結婚したとする。が、しばらくは、ラブラブのハネムーンがつづいた
が、そこで意識が変化したとする。落胆と幻滅が、結婚生活をおおうようになり、やがて小さな
すきま風が吹くようになったとする。しかしここで大切なことは、だからといって、結婚したのが
まちがっていたとか、失敗だったとか、そういうふうには考えていけない。

 仮に離婚ということになったとしても、「懸命にその女の子を愛し、結婚にこぎつけた」という事
実は、消えない。またその事実があれば、「失敗」ということは、ありえない。

 むしろ恥ずべきは、合理と打算で、懸命でない人生を送ること。いくら表面的に、うまくいって
いても、あるいはそう見えても、そういう人生には、価値はない。

●懸命に生きるから、結果が生まれる

 そのときは、そのときの意思を信じて、真正面からものごとに、ぶつかっていく。たとえその意
識が、だれかに批判されても、気にすることはない。あなたは、どこまでいっても、あなた。その
あなたを決めるのは、あなたをおいて、ほかにない。

 私も、M物産という会社をやめ、幼稚園の講師になると母に告げたとき、母や、電話口の向
こうで、泣き崩れてしまった。「浩ちゃん、あんたは、道を誤ったア!」と。

 だからといって、母を責めているのではない。母は母で、その当時の常識の中でつくられた
意識に従っていただけである。

 で、その肝心の私はどうかというと、「誤った」とは、まったく思っていない。道をまちがえたと
も思っていない。そのあとの生活は、たしかに苦しかったが、しかし、私は、一度だって、後悔し
たことはない。

 なぜ、後悔しないかといえば、私は私で、そのときどきにおいて、懸命に考え、懸命に結論を
だし、懸命に行動したからにほかならない。つまり、その「懸命」さが、私を救った。むしろ今、
あのとき、M物産をやめてよかったと思うことが多い。

 ときどきワイフは、こう言う。「あのまま、M物産にいれば、あなたは、もう少し、楽な道を歩む
ことができたかもしれないわね」と。

 しかし、もし今ごろ、M物産にいたら、都会のオフィスで、お金の計算ばかりしているだろうと
思う。あるいは私のことだから、出世競争に巻きこまれて、とっくの昔に死んでいるかもしれな
い。死なないまでも、廃人のようになっているかもしれない。

●そして運命

 懸命に生きていくと、そのつど、その先に、進むべき、道が見えてくる。もちろんそれまでに歩
んできた道もあるが、それが運命である。

 もう少しわかりやすく言うと、最大限、つまり懸命に生きていると、そのつど、そこに「限界」が
現れてくる。その限界状況の中で作られていくのが、その人の運命である。

 たとえばこれは極端な例だが、魚はいくらがんばっても、陸にはあがれない。もちろん空も飛
べないし、宇宙へ飛び出すこともできない。

 こうした「限界」は、あらゆる生物にあり、人間もまた、その限界の中で、生きている。もちろ
ん、私も、あなたも、である。それはあるが、しかし、その限界が、運命を決めるわけでもない。
「限界」という、大きなワクは決まっているかもしれないが、その中で、どう生きていくかというこ
とは、その人自身が、決める。

 また、よく誤解されるが、運命というのは、あらかじめ決まっているものでもない。

もしあらかじめ決まっているものなら、懸命に生きても、またそうでなくても、進むべき道は、同
じということになる。しかし、そんなことは、ありえない。さらに一歩、譲って、仮に、運命というも
のがあるとしても、最後の最後のところで、ふんばって生きる。そこに、懸命に生きる人間の価
値がある。意味がある。

 「意識」のことを書いていたら、いつの間にか、「運命」の話になってしまった。どうしてかわか
らないが、そうなってしまった。ひょっとしたら、「意識」と、「運命」は、どこかで関係しあっている
のかもしれない。(あるいはただの脱線かもしれない?)

 しかしこれだけは言える。意識にせよ、運命にせよ、自らのたゆまない努力によって、変えら
れるものであるということ。大切なことは、そのときどきにおいて、懸命に考えること。生きるこ
と。そのあとのことは、そのあとに任せればよい。どんな意識になろうとも、またその結果、どん
な運命になろうとも、それは、そのとき。

 私たちは、ただひたすら、「今の自分」を信じて、前に進めばよい。
(031208)

●人生を生きるには、二つの方法がある。奇跡など、まったくないと考える生き方。もう一つ
は、すべてが奇跡だと考える生き方である。(アルバート・アインスタイン)

●さらに先に行く者のみが、自分が、遠くにきたことを知ることができる。(T・S・エリオット)

●私は失敗したのではない。私は、ただ、うまくいかない100000もの方法を発見しただけ
だ。(T・エジソン)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(401)

●読者の方に、おわび

 このところ、毎日のように、いろいろな方から、相談が届く。マガジン読者の方もいるが、ホー
ムページからやってくる人、あるいはだれかの紹介で、やってくる人など。

 一方、私は、ごくふつうの市民としての、ふつうの仕事や生活をしなければならない。小さい
が、市内に、教室もある。また現在、ほぼ二日おきに、マガジンを発行している。一応、毎回、
A四サイズ(1500字)程度で、二〇枚を目標にしている。

 自分でもたいへんな量だと思う。「はたして読んでもらっているだろうか」という迷いは、毎回
ある。直接知っている人でさえ、「読んでくれていますか?」と声をかけると、「先生のマガジン
は、量が多いですから……(読んでいません)」と。

 しかしこうしてマガジンを発行するのは、自分への挑戦のためでもある。たとえていうなら、毎
日のジョギングのようなもので、それをするから、私は私の頭を、「ある状態」に保つことができ
る。

●ある状態

 実は、これは深刻な問題である。

 仕事や同窓会などで、同じような年齢に人に会うと、その人の頭は、いったい、どうなってしま
ったのだろうと、感ずることがある。印象に残っている人を例にあげる。

A氏(五六歳)……話し方そのものが、かったるい。「エー」とか、「ソノー」という言葉が多い。昔
から、たいへんなヘビースモーカーで、今でも、一日一・五箱から二箱も、タバコを吸っている。

B氏(五〇歳)……いつも頭の回転が、ワンテンポ遅いという感じ。「ウン、マア」とかいう言い方
が多い。彼もまた、ヘビースモーカーだが、加えて毎晩、ビールを、一〜二本飲んでいるとか。

C氏(六〇歳)……デリケートな会話ができなくなってしまった。ズケズケとものを言う。秘密を
平気でバラす。とくに知的な会話ができなくなってしまった。単語の数が、極端に少なくなってし
まったよう。彼は、たいへんな酒豪で、宴会の席などでは、日本酒を、一人で一本、飲んでしま
うこともあるという。

 こうしてざっとみると、酒やタバコは、脳の働きを、硬化させるとみてよい。もちろんそのほ
か、脳梗塞(こうそく)の問題もある。年をとると、脳の中の微細な欠陥がつまり、そのため、脳
神経がダメージを受けることもあるという。さらに、アルツハイマー型痴呆症の問題もある。

 加えて私のばあい、低血圧症である。少しダイエットしたりすると、上が、一〇〇に届かない
ことがある。そういう人は、毎日運動をきちんとしないと、血流が末端まで、行きわたらないた
め、頭がボケるそうだ。

 つまり、そのために、私は毎日、こうして原稿を書く。そうでもしないと、私は、私の脳ミソを、
「ある状態」に保つことができない。

●時間がない

 相談してくる人の気持は、よくわかる。そこでズルい考えかもしれないが、相談に答えなが
ら、マガジンの原稿を書くという手法を、よくとる。

 実際のところ、一つの相談に回答を書いていると、最低でも、一時間はかかる。ばあいによ
っては、二時間以上、かかる。

 また、もらったメールを、そのまま転載するわけにはいかない。相手の方の了解を求めなけ
ればならない。しかしこの段階で、了解してくれる方は、約半数。残りの方は、「転載しないでく
れ」と言ってくる。

 そこでまた原稿の書きなおし……。

 そんなわけで、どうしても、時間が足りなくなる。「足りない」というより、「ない」。一応、今のと
ころ、いただいたメールには、すべて目をとおしている。できるだけ返事を書くようにしている。
が、忙しいときもある。簡単な返事すら書けないときもある。

 だからどうしても、回答を書きながら、同時に、マガジンの原稿を書くということになってしま
う。

 しかしこれは、相談してきた人には、不愉快なことにちがいない。その人が相談してきたこと
を、テーマとして取りあげただけで、「私の悩みをダシにした」と怒ってきた人さえいる。(だから
といって、その人を責めているのではない。念のため。)

 この種の相談は、それだけ、デリケートだということ。それがわかるから、私としてじは、そう
いった苦情には、あやまるしかない。

●相談は、どうか掲示板のほうで……

私は、マガジン読者の方の力になりたいと思っている。今、私はマガジンの発行を、生活の中
心にすえている。生きがいになっている。そういう生きがいを私にくれる、読者の方を、大切に
したい。これは当然のことではないか。

 だから、もし相談をいただけるようなら、掲示板の方に書きこみをしてほしい。そうすれば、転
載の許可を求める手間もはぶけるし、こちらで、メールの内容を、書き改めなくてもよい。その
まま直接返事を書きながら、マガジンの原稿とすることもできる。

 相談が無理なら、テーマでもよい。「神経症について書いてほしい」「嫁、姑問題について考え
てほしい」とか、など。そういうテーマをもらうと、私としては、俄然(がぜん)と、やる気が出てく
る。とくに新しい分野について考えるのが、私は、大好き。調べている途中で、スリリングな
(?)、興奮を覚えることがある。

 以上、私から、読者のみなさんへの、お願いということになる。

【追記】

これからもよろしくお願いします。とにかく、第1000号まで、がんばってみます。そのあとのこ
とは、考えていません。
(031209)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(402)

●毛布の切れ端

 S県のKさん(母親)より、こんな相談をもらった。二歳になる男の子だが、いつも毛布の切れ
端をもって歩いている。実家の祖母のところへ帰るときも、かた時も放そうとしない。だいじょう
ぶか、と。

 子どもは、母親への依存性を解消しようとする段階で、毛布の切れ端や、ボタン、本などを、
手にもつことがある。心理学の世界では、こうしたモノを、「移行対象」と呼んでいる。子ども
は、こうした移行対象に、自分の関心をそらすことで、母親への依存性を減らすという。

 しかし、本当にそうか?

 ためしに、子どもから、そのモノを取りあげてみるとよい。とたん、ほとんどの子どもは、情緒
が不安定になる。ぐすったり、イライラしたりするようになる。つまりそのモノが、子どもの情緒
を安定させているのがわかる。つまり、このあたりまでメスを入れないと、「移行対象」の本当
の意味が、わからないのではないか。

 かく言う私も、子どものころ、いつも、指先で、貝殻のボタンをいじっていた。記憶にあるの
は、母のシャツにそのボタンが使ってあって、いつも、そのボタンを求めたこと。ある日、母に、
「浩司は、おっぱいがほしいから、胸に手を入れるのか?」とからかわれたことがある。私は、
子どもながらに、「そうではない!」と反発したのを、覚えている。私が五歳くらいのときのことで
はないか。

 貝殻のボタンは、指先でいじっていると、気持ちよかった。うっとりするような、陶酔感を覚え
たこともある。そのせいかどうかは、知らないが、(しかし、かなり関係あると思うが)、今でも、
パソコンは、キーボードの感触で選ぶところが大きい。

 これに似た話だが、先日も、あるピアニストの人と会ったとき、その人も、そう言った。「鍵盤
は、指先の感触が大切です」と。

 こうした現象を、東洋医学の世界では、うまく説明する。指先には、重要なツボがあり、それ
が脳と直結しているというのだ。そこで調べてみると、長崎新聞に、「お年寄りに、そろばんが
よい」という見出しで、こんな記事が載っていた。

++++++++++++++++++++++

●お年寄りにそろばん教室―福島町

KF町の町高齢者コミュニティセンターF会館で、お年寄りを対象に、月二回開かれている「そろ
ばん教室」が、今月で丸一年を迎えた。

自宅に閉じこもりがちなお年寄りが仲間たちと交流を深めるいい機会になっているほか、「ぼ
け防止に役立つ」「動かなかった手が大分動くようになった」と評判だ。

地元で三〇年以上にわたって、子供たちに珠算を指導しているKSさん(五七)が「寝たきりに
ならないよう、指先を使うことにより脳の活性化を」と、昨年二月、同町のF地区のお年寄りに
呼びかけ、ボランティアで始めた。

現在八六歳を最高に、平均年齢七九歳の一三人が、足し算や引き算などの計算問題、左手
を使った数遊びなどに、熱心に取り組んでいる(〇〇年九月)。

++++++++++++++++++++++

 指先に刺激を加えると、脳ミソが活性化するというようなことは、よく言われている。この記事
も、その一例ということになる。

 が、さらに掘りさげてみると、こうなる。

 もともと何らかの理由で、(たいていは満たされない愛情からくる、欲求不満と考えてよい)、
情緒が不安定になった子どもは、その心の緊張感を解消するために、代償行為として、モノを
いじる、と。私が感じた、あの陶酔感は、脳内で、エンドロフィン系、もしくはエンケファリン系の
麻薬様物質が、放出されたためと、考えられる。

 だから、もしあなたの子どもが、こうしたモノに固執する様子を見せたら、つぎのことを守ると
よい。

(1)無理にそれを、取りあげてはいけない。
(2)子どもの心が満たされない状態にあるとみて、その原因を知る。
(3)濃密なスキンシップが有効である。とくに、親は、「ほどよい親」であること。コツは、子ども
が求めてきたときは、ていねいに、それに応じてあげること。ぐいと力を入れて抱いてあげるだ
けでも、効果的である。
(031207)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(403)

【子どもたちへ】

●限界

いくらがんばって生きても、
限界は、あるさ。
限界のない人生は、ないよ。

だけどね、生きるということは、
その限界、ギリギリまで、
懸命にがんばるということだよ。

いくら平和でも、いくら無事でも、
のんべんだらりと生きたのでは、
そんな人生からは、ドラマは生まれないよ。
 
その限界を知ることは、こわいことだけど、
しかし、楽しいことでもあるよ。
限界に近づけば、近づくほど、
それは、みんなの知らない世界だからね。

そう、君は、心の冒険者だよ。
大きな海を、船を操(あやつ)って進む、冒険者だよ。
さあ、君も、勇気を出して、その限界まで、
懸命に生きてみようよ。
人生は、楽しいよ。
(031208)

++++++++++++++++++++++++

●教室

ひとり、静かに、生徒たちがくるのを、待つ。
電気ストーブに、スイッチを入れる。
電気をつける。教材を出して、机に置く。
プリントを整理して、そしてそれが終わると、
自分の机にすわって、お茶を飲む。

たった今、電話があったところだ。
Bさんからのもので、「今日は、休みます」と。

私の仕事では、理由は、聞かない。親も言わない。
そしてまた机にもどり、お茶を飲む。
静かに時は流れる。風の音に混じって、
道路を走る、車の音。あと一つは、カチカチと
鳴りつづける、時計の音。あと一〇分……?

こういう仕事をするようになって、もう三四年が過ぎた。
あのときも、そしてまた、あのときも、
今と同じように、ひとりで、生徒を待っていた。

電気ストーブの明かりを見ながら、
その横で、袋をかぶった扇風機を見ながら、
ぼんやりと、あたりを見る。

そのとき、階下で、子どもの声がした。
つづいて、階段をのぼってくる音がした。
もう一度、体のコンディションをさぐる。
「今日も、だいじょうぶだ」と。

今、ドアがあいた。
一人の女の子が入ってきた。そしてこう言った。
「こんにちは!」と。
とたん、教室は、パッと明るくなった。
(031208)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


子育て随筆byはやし浩司(404)

【雑感】

●掲示板への不良書きこみ

 このところ、掲示板に、ほぼ数日おきくらいに、好ましくない、書きこみがある。「セクシーXX
……何とか」「コスプレ、格安……何とか」「裏ビデオYY……何とか」など。

 こうした書きこみは、気がついたとき、即、削除をこころがけている。が、追いつかないときも
ある。

 以前は、こうした書きこみがあると、自宅にズカズカと、他人が入りこんできたように感じて、
不愉快だった。しかし今は、もう、なれた。実際、こういう連中は、相手にしないほうがよい。

 しかし子育てを中心とするホームページの掲示板に、そういう書きこみをするとは! こういう
ことをする連中は、私のホームページの性格も知らないで、書きこみをしているのだろう。だか
ら、ますます相手にしないほうがよい。

 また、好ましくない人からの、メールも、多くなった。しかしこうしたメールも、やはり無視する
のが一番。いやがらせや、抗議のメールもある。私のばあい、やはり、即、削除をこころがけて
いる。へたに反論したり、弁解したりすると、あとがたいへん。

 決して、冷たいことを言っているのではない。インターネットは、文字情報がメインだから、言
葉の中に、感情を混入するのが、たいへんむずかしい。相手は、こちらの文章を、相手の心境
で、読む。それが誤解を招く。この誤解が、こわい。

 たとえばこちらは、冗談のつもりで、「バ〜カ」と書いたとする。しかし相手は、そのときの相手
の心境で、こちらの文章を読む。そのとき、相手の心境が、沈んでいたとすると、「バカとは何
だ!」となる。

 しかしいくら商売(?)とはいえ、こういう書きこみを、平気でする人の心理が理解できない。
必死なのか、それとも、追いつめられているのか。できるなら、こういう書きこみは、やめてほし
いと思うが、インターネットでは、そういう人たちとの関連を断つことは、ほぼ不可能。これから
先も、それなりにうまく、かわしながら、つきあうしかない。


●笑った!

 インターネットのニュースを読んでいて、思わず、笑ってしまった。タイにも、お年玉年賀状と
いうのが、あるそうだ。それはそれだが、その一等賞の賞品が、ナ、何と、「イラク旅行」!

 記事を詳しく読むと、それにはいろいろな理由があるようだが、しかし、笑った。私なら、当た
っても、辞退するだろうと、そのときは、そう思った。


●家庭内別居

同居していても、たがいに別居状態。会話もなければ、いっしょに、食事をすることもない。寝
室は、もちろん別々。ある夫婦は、同居しながらも、たがいの連絡は、ノートに書いて、とりあう
……(報道)。

 こうした家庭内別居は、今どき、珍しくない。しかし問題は、子どもである。

 R氏夫婦(夫五〇歳、妻四一歳)も、夫は一階で生活。妻と子ども(小一女児と、四歳男児)
は二階で生活。食事は、妻が作りおきするが、夫は、それにはほとんど口をつけず、近くのコ
ンビニで買ってきた弁当を、毎日、食べている。

 そのR氏が、かろうじて離婚に踏みきらないのは、二人の子どもがいるから。もともと子煩悩
(ぼんのう)の人だった。しかし、そこがR氏の弱みでもあった。

 妻は、二人の子どもを、二階へ閉じこめたまま、夫とは接触をさせないようにしていた。そして
離婚話には、がんとして応じなかった。それには理由がある。

 夫の父親が、たいへんな資産家で、市内にも、数百坪単位の土地と、いくつかの貸しビルを
もっている。しかしそれらは、夫の父親のものであって、夫のものではない。

 そこで夫の父親が死ぬまでは、離婚しない……というのが、妻の考えらしい。夫の父親が死
ねば、財産は、夫のものとなる。その時点で、離婚すれば、莫大な財産分与を、夫に請求でき
る。

 R氏は、もともと気の弱い人である。そういうこともあって、離婚に踏みきれずにいる。

 ……こう書くと、妻側が一方的に悪いように見えるが、R氏にも、責任がないわけではない。
それについては、ここには書けない。R氏は、それほど親しくはないが、私の友人の一人であ
る。で、話を戻すが、問題は、二人の子どもである。

 R氏は、二人の子どもに会いたがっているが、妻がそれを許さない。つまり妻は、二人の子ど
もを、人質にとった形になっている。だからR氏も、離婚の話を進められない状態にある。

 こういうとき、R氏は、どうしたらよいのか。「ぼくたち夫婦は、形だけなんですよ」と言うR氏。
「話しあうといっても、毎日が一触即発。(離婚の話をもとだすだけで)、妻は、パニック状態に
なって、暴れます」と。

 世間にはいろいろな夫婦がいる。幸福な夫婦は、みな、よく似ているが、不幸な夫婦は、まさ
に千差万別。一つとして、同じ形がない。

 
●不景気

 こういうことを書くと、そうでない地方に住んでいる人は、不愉快に思うかもしれない。しかし私
は、(私、個人のことではなく)、この浜松市に住んでいる人は、ラッキーだと思う。

 今、日本中が、不景気のドン底にあるというのに、この浜松市だけは、比較的、活気がある。
いや、本当のところ、この浜松市も不景気だとは思うが、それでも、他の地方とくらべると、は
るかに、よい。

 この浜松市には、HONDAやSUZUKI、それにYAMAHAなどの本社工場などが、ズラリと
ある。ROLANDや、ホトニクスなどの先端企業も多い。今は、あまり元気がないが、YAMAH
AやKAWAIを中心とする、楽器産業も盛んである。

 このところ、講演などで、あちこちへ行くが、どこへ行っても、その元気のなさに驚かされる。
それに、沈んでいる。私の生まれ故郷の、G県のG市などは、浜松市から見ると、まるでゴース
トタウン(失礼!)。「これが、同じ、日本なのか!」とさえ、思ってしまう。

 が、そのG市でも、まだよいほうだ。関西方面へ行くと、もっと悪い。九州へ行くと、さらに悪
い。九州のS県では、これは冗談だろうが、「まだ生きていますか?」が、あいさつ言葉になって
いるという。

 しかし平成になってからの、この一五年間で、日本が、失ったものは、大きい。本当に、大き
い。株価をみるまでもなく、それまで日本が、二〇年間かけてつくりあげてきたものを、すべて
失ってしまった。

 今は、個人も、企業も、公共団体も、そして国も、貯金を取り崩しながら、その日、その日を、
何とか生き延びている。が、それも、ここへきて、急に、息切れし始めている。このままでは、二
〇一五年を待たずして、二〇一〇年ごろには、アジアにおいて、日本と中国の立場は、逆転す
るだろう。

 問題は、そのあとだが、日本を再生させるためには、私は、教育を自由化する以外に、道は
ないと思う。国というのは、民がつくる。そして国の未来は、今の子どもたちがつくる。その子ど
もたちのもつエネルギーを最大限、利用するためにも、教育を自由化する。日本が再生する道
は、それしかない。

 その方法については、また別のところで書いてみるが、ともかくも、今のままでは、この日本
は、窒息してしまう。私は、それを心配する。

 さて、この浜松市だが、このところ、やや明るさがもどってきた感じがする。静岡県の中でも、
この浜松市だけでも。そして日本の中でも、この静岡県だけでも、元気が出てくれば、日本も少
しは、明るくなると思う。

 私一人が意気ごんだところで、どうにもなるわけではないが、ここは、ふんばって、がんばるし
かない。さあ、浜松のみなさん、浜松人の心意気を、全国の人たちに見せてやろうではない
か!
(031208)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


子育て随筆byはやし浩司(405)

●子どもを知る

 自分を知ることは、むずかしい。同じように、自分の子どもを知ることは、もっと、むずかし
い。

 たいていの親は、いや、ほとんどの親は、「私の子どものことは、私が一番、よく知っている」
と思っている。たしかにそういう部分もあるが、しかし、そう思うのは、少し、待ってほしい。

 印象に残っている事件に、こんな事件がある。私が、二〇代のとき経験した事件である。

 浜松祭の最中、一人の母親が、夜中に、電話をかけてきた。「うちの子(中学生)が、祭で酒
を飲んでいて、警察に補導されてしまった。どうしたらいいかア!」と。

 話を聞くと、母親は、「うちの子は、何も悪くない。友だちに、そそのかされただけだ」と。それ
で、すぐ、私もあちこちに電話をかけ、その方策を考えた。で、その中学生は、一、二時間、警
察の派出所で説教されたあと解放されたので、その事件は、それ以上大げさにになることもな
く、終わった。

 で、翌日になって、その中学生の仲間たちに会ったので、それとなく話を聞くと、みな、こう言
った。「アイツが、親分だった」と。つまり母親は「そそのかされた」と言っていたが、実は、その
中学生が、むしろみなをそそのかして、酒を飲んでいたというのだ。

●仮面をかぶる子どもたち

 こういう例は、本当に多い。もう一つ、こんな事件もあった。

 ある夜、一人の親が、C君(中学生)の家に、怒鳴りこんできた。「お前の息子のせいで、うち
の子が、学校へ行けなくなっている。どうしてくれる!」と。

 C君の父親は、これに対して、「うちの子は、そんな子じゃない! バカなことを言うな!」と追
いかえしてしまった。

が、C君は、たしかに、その友だちを、いじめていた。が、C君は、父親の前では、借りてきたネ
コの子のように、おとなしかった。だからC君の父親には、C君が、学校で、いじめを繰りかえし
ている子どもには、思えなかった。

 これだけではないが、いつしか私は、こんな教訓を学んだ。『うちの子どものことは、私が、一
番、よく知っていると豪語する親ほど、自分の子どものことがわかっていない』と。理由がある。

 つまりそういうふうに、子どものことや、子どもの心を決めてかかる親ほど、傲慢(ごうまん)
で、子どもの姿を見失いやすいということ。子どものほうが、親の前で、仮面をかぶることが多
い。

●子どもを知るために……

 自分の子どもをよく知るためには、謙虚になる。たとえば教える側で、一番、話しにくい親とい
うのは、子どものこととなると、すぐカリカリする親である。

私「最近、何かと、反抗的になっていますが……」
親「うちでは、ふつうです」
私「でも、何か、うちでは変わったことはありませんか」
親「何も、ありません」と。

 こういう言い方をされると、それ以上、会話がつづかなくなってしまう。そこで自分の子ども
を、よく知るためには、とくに先生にたいしては、聞きじょうずになるということ。そのときのコツ
が、『先生と話すときは、わが子でも、他人』である。

 他人と思うことで、自分の子どもを客観的に、見ることができる。そしてその分、先生も話しや
すくなる。

私「最近、何かと、反抗的になってしますが……」
親「たとえば、どんなところでしょうか」
私「ええ、昨日も……」となる。

 自分の子どものことを、正しく、知る。それは子育ての第一歩でもある。一つの大きなテーマ
として、この問題を考えてみてほしい。

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これに関連して、地元のタウン誌に以前発表した原稿を、
いくつか添付します。

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先生と話すときは、わが子は他人 

●話しにくい親たち

 親と話していて、「うちではふつうです」「K塾では問題がありません」と言われることぐらい、会
話がしにくいことはない。たとえば、私「このところ元気がありませんが……」、母「家ではふつう
です」、私「どこかで無理をしていませんか」、母「K塾では問題なく、やっています」と。

 先生と話すときは、わが子でも他人と思うこと。そう思うことで、親は聞き上手になり、あなた
の知らない子どもの別の面を知ることができる。

たとえば子どもが問題を起こしたりすると、ほとんどの親は、「うちの子にかぎって!」とか、「友
だちに誘われただけ」とか言う。しかし大半は、その子ども自身が主犯格(失礼!)とみてよ
い。子どもを疑えということではない。子どもというのはそういうもので、問題を起こす子どもほ
ど、親の前では自分を隠す。ごまかす。

 溺愛ママと呼ばれる母親ほど、親子の間にカベがない。一体化している。だから子どもに何
か問題が起きたりすると、母親は自分のこととして考えてしまう。先生に何か問題がありますな
どと言われたりすると、自分に問題があると言われたように思う。思うから、「子ども(私)には
問題はありません」となる。

しかしこういう盲目性が強ければ強いほど、親は子どもの姿を見失う。そして結果として、子ど
もの問題点を見逃してしまうことになる。

●先生は本音でほめる

 先生というのは、学校の先生も塾の先生も限らず、子どもをほめるときには、本音でほめる。
しかし問題を指摘するときは、かなり遠慮がちに指摘する。

つまり何か先生のほうから問題を指摘されたときには、かなり大きな問題と思ってまちがいな
い。そういう謙虚さが、子どもの問題を知るてがかりとなる。言いかえると、子育てじょうずな人
というのは、一方で聞きじょうず。自分のみならず、自分の子どもをいつも客観的にみようとす
る。

会話をしていても、「先生の意見ではどうですか?」「どうしたらいいでしょうか?」「先生はどう
思いますか?」という言葉がよく出てくる。そうでない人はそうでない。中には、「あんたはいらん
こと、言わないでくれ」と言った母親すらいた。しかしそう言われると、教師としてできることは、
もう何もない。
(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)

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互いに別世界

●子育てには基準がない

 子育てには尺度がない。標準もなければ、平均もない。あるのは「自分」という尺度だけ。そう
いう意味では、親は独断と偏見の世界にハりやすい。

こんなことがあった。S君(年中児)という、これまたどうしようもないドラ息子がいた。自分勝手
でわがまま。ゲームに負けただけで、机を蹴っておおあばれしたりした。

そこである日、私は母親にこう言った。「もっと家事を分担させ、子どもをつかいなさい」と。が、
母親はこう言った。「ちゃんとさせています!」と。そこで驚いて、どんなことをさせていますかと
聞くと、こう言った。「ちゃんと箸並べと靴並べをしてくれます」と。

 一方、こんな子どももいた。ある日、道で通りかかると、Y君(年長男児)は、メモを片手に、町
の中を走り回っていた。父親は会社勤め、母親は洋品店を経営していた。だからこまかい仕事
は、すべてY君の仕事だった。が、別の日、私がそのことでY君をほめると、母親はこう言った。

「いいえ、先生。うちの子は何もしてくれないんですよ」と。

 箸並べや靴並べ程度でほめる親もいれば、家事のほとんどをさせながら、「何もしてくれな
い」とこぼす親もいる。たまたま同じ時期に私はS君とY君に接したので、その違いがよけいに
強烈に記憶に残った。つまり、互いに別世界。

●風通しをよくする

 こうした例は幼児教育の世界では、実に多い。たとえばかなり能力的に遅れがある子どもで
も、「優秀な子ども」と親が誤解しているケースがある一方で、すばらしい能力をもっているにも
かかわらず、「うちの子はだめだ」と親が誤解しているケースがある。

先日も、学校の勉強についていくだけでもたいへんだろうな思われる子ども(小五女児)をもっ
た親が、こう相談してきた。「今度学習内容が三割削減されるというが、それでは学力がさがる
のではないかと心配だ」と。

その母親は、「私立中学では今までどおり教えるというが、それは不公平だ」とも言ったが、こう
したおめでたさ(失礼!)は、多かれ少なかれ、どの親ももっている。それはというもの、結局
は、互いに別世界に住んでいるからにほかならない。互いにもう少し風通しがよければ、こうし
た誤解は防げるのだが……。
(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)
(031209)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


子育て随筆byはやし浩司(406)

【辛口教育評論集】

船頭は一人

●父親の悪口は言わない

 そうでなくても難しいのが、子育て。夫婦の心がバラバラで、どうして子育てができるのか。そ
の中でもタブー中のタブーが、互いの悪口。

ある母親は、娘(年長児)にいつもこう言っていた。「お父さんの給料が少ないでしょう。だから
お母さんは、苦労しているのよ」と。あるいは「お父さんは学歴がなくて、会社でも相手にされな
いのよ。あなたはそうならないでね」と。

母親としては娘を味方にしたいと思ってそう言うが、やがて娘の心は、母親から離れる。離れ
るだけならまだしも、母親の指示に従わなくなる。

 この文を読んでいる人が母親なら、まず父親を立てる。そして船頭役は父親にしてもらう。賢
い母親ならそうする。この文を読んでいる人が父親なら、まず母親を立てる。そして船頭役は
母親にしてもらう。つまり互いに高い次元に、相手を置く。

たとえば何か重要な決断を迫られたようなときには、「お父さんに聞いてからにしましょうね」
(反対に「お母さんに聞いてからにしよう」)と言うなど。仮に意見の対立があっても、子どもの前
ではしない。

父、子どもに向かって、「テレビを見ながら、ご飯を食べてはダメだ」、
母「いいじゃあないの、テレビぐらい」と。

こういう会話はまずい。こういうケースでは、父親が言ったことに対して、母親はこう援護する。
「お父さんがそう言っているから、そうしなさい」と。そして母親としての意見があるなら、子ども
のいないところで調整する。子どもが学校の先生の悪口を言ったときも、そうだ。「あなたたち
が悪いからでしょう」と、まず子どもをたしなめる。相づちを打ってもいけない。もし先生に問題
があるなら、子どものいないところで、また子どもとは関係のない世界で、処理する。これは家
庭教育の大原則。

●夫婦は一枚岩

 ある著名な教授がいる。数十万部を超えるベストセラーもある。彼は自分の著書の中で、こう
書いている。「子どもには夫婦喧嘩を見せろ。意見の対立を教えるのに、よい機会だ」と。

しかし夫婦で哲学論争でもするならともかくも、夫婦喧嘩のような見苦しいものは、子どもに見
せてはならない。夫婦喧嘩などというのは、たいていは見るに耐えないものばかり。

 子どもは親を見ながら、自分の夫婦像をつくる。家庭像をつくる。さらに人間像までつくる。そ
ういう意味で、もし親が子どもに見せるものがあるとするなら、夫婦が仲よく話しあう様であり、
いたわりあう様である。助けあい、喜びあい、なぐさめあう様である。古いことを言うようだが、
そういう「様」が、子どもの中に染み込んでいてはじめて、子どもは自分で、よい夫婦関係を築
き、よい家庭をもつことができる。

欧米では、子どもを「よき家庭人」にすることを、家庭教育の最大の目標にしている。その第一
歩が、『夫婦は一枚岩』、ということになる。(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~
hhayashi/)

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子どもの叱り方ほめ方

●叱り方・ほめ方は、家庭教育の要(かなめ)

 子どもを叱るとき、最も大切なことは、恐怖心を与えないこと。『威圧で閉じる子どもの耳』と
覚えておく。中に親に叱られながら、しおらしくしている子どもがいる。が、反省しているから、そ
うしているのではない。怖いからそうしているだけ。親が叱るほどには、効果は、ない。叱るとき
は、次のことを守る。

@人がいるところでは、叱らない(子どもの自尊心を守るため)
A大声で怒鳴らない。そのかわり言うべきことは、繰り返し言う。「子どもの脳は耳から遠い」と
覚えておく。話した説教が、脳に届くには、時間がかかる。
B相手が幼児のばあいは、幼児の目線にまで、おとなの体を低くする(威圧感を与えないた
め)。視線をはずさない(真剣であることを示すため)。子どもの体を、しっかりと親の両手で固
定し、きちんとした言い方で話す。にらむのはよいが、体罰は避ける。特に頭部への体罰は、
タブー。体罰は与えるとしても、「お尻」と決めておく。C興奮状態になったら、手をひく。あきら
める。そしてここが重要だが、D叱ったことについて、子どもが守れるようになったら、「ほら、
できるわね」と、ほめてしあげる。

 つぎに子どものほめ方。古代ローマの劇作家のシルスも、『忠告は秘かに、賞賛は公(おお
やけ)に』と書いている。

子どもをほめるときは、人前で、大声で、少しおおげさにほめる。そのとき頭をなでる、抱くなど
のスキンシップを併用するとよい。そしてあとは繰り返しほめる。特に子どもの、やさしさ、努力
については、遠慮なくほめる。が、顔やスタイルについては、ほめないほうがよい。幼児期に一
度、そちらのほうに関心が向くと、見てくれや、かっこうばかりを気にするようになる。

実際、休み時間になると、化粧ばかりしていた女子中学生がいた。また「頭」については、ほめ
てよいときと、そうでないときがあるので、慎重にする。頭をほめすぎて、子どもがうぬぼれてし
まったケースは、いくらでもある。

 叱り方、ほめ方と並んで重要なのが、励まし方。すでに悩んだり、苦しんだり、さらにはがん
ばっている子どもに向かって、「がんばれ!」はタブー。意味がないばかりか、かえって子ども
から、やる気を奪ってしまう。「やればできる」式の励まし、「こんなことでは!」式の、脅しもタブ
ー。結果が悪く、子どもが落ち込んでいるようなときはなおさら、「あなたはよくがんばった」式
の前向きの理解を示してあげる。

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子育てリズム論

 子育てはリズム。親子でそのリズムが合っていれば、それでよし。しかし親が四拍子で、子ど
もが三拍子では、リズムは合わない。いくら名曲でも、二つの曲を同時に演奏すれば、それは
騒音でしかない。そこでテスト。

 あなたが子どもと通りをあるいている姿を、思い浮かべてみてほしい。そのとき、@あなた
が、子どもの横か、うしろに立ってゆっくりと歩いていれば、よし。しかしA子どもの前に立っ
て、子どもの手をぐいぐいと引きながら歩いているようであれば、要注意。

今は、小さな亀裂かもしれないが、やがて断絶…ということにもなりかねない。このタイプの親
ほど、親意識が強い。「うちの子どものことは、私が一番よく知っている」と豪語する。へたに子
どもが口答えでもしようものなら、「何だ、親に向かって!」と、それを叱る。

そしておけいこごとでも何でも、親が勝手に決める。やめるときも、親が勝手に決める。子ども
は子どもで、親の前では従順に従う。そういう子どもを見ながら、「うちの子は、できのよい子」
と錯覚する。が、仮面は仮面。長くは続かない。

 ところでアメリカでは、親子の間でも、こんな会話をする。父「お前は、パパに何をしてほしい
のか」、子「パパは、ぼくに何をしてほしいのか」と。この段階で、互いにあいまいなことを言うの
を許されない。それだけに、実際そのように聞かれると、聞かれたほうは、ハッとする。緊張す
る。それはあるが、しかし日本人よりは、ずっと相手の気持ちを確かめながら行動している。

 このリズムのこわいところは、子どもが乳幼児のときに始まり、おとなになるまで続くというこ
と。その途中で変わるということは、まず、ない。ある女性(三二歳)は、こう言った。

「今でも、実家の親を前にすると、緊張します」と。別の男性(四〇歳)も、父親と同居している
が、親子の会話はほとんど、ない。どこかでそのリズムを変えなければならないが、リズムは、
その人の人生観と深くからんでいるため、変えるのは容易ではない。しかし変えるなら、早いほ
うがよい。早ければ早いほどよい。

もしあなたが子どもの手を引きながら、子どもの前を歩いているようなら、今日からでも、子ど
もの歩調に合わせて、うしろを歩く。たったそれだけのことだが、あなたは子育てのリズムを変
えることができる。いつかやがて、すばらしい親子関係を築くことができる。

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常識は偏見のかたまり

アインシュタインは、かつてこう言った。「常識などというものは、その人が十八歳のときにもっ
た偏見のかたまりである」と。

●学校は行かねばならぬという常識…アメリカにはホームスクールという制度がある。親が教
材一式を自分で買い込み、親が自宅で子どもを教育するという制度である。希望すれば、州政
府が家庭教師を派遣してくれる。

日本では、不登校児のための制度と理解している人が多いが、それは誤解。アメリカだけでも
九七年度には、ホームスクールの子どもが、一〇〇万人を超えた。毎年一五%前後の割合で
ふえ、〇一度末には二〇〇万人になるだろうと言われている。

それを指導しているのが、「LIF」(自由に学ぶ)という組織。「真に自由な教育は家庭でこそで
きる」という理念がそこにある。地域のホームスクーラーが合同で研修会を開いたり、遠足をし
たりしている。またこの運動は世界的な広がりをみせ、世界で約千もの大学が、こうした子ども
の受け入れを表明している。

●おけいこ塾は悪であるという常識…ドイツでは、子どもたちは学校が終わると、クラブへ通
う。早い子どもは午後一時に、遅い子どもでも三時ごろには、学校を出る。ドイツでは、週単位
で学習することになっていて、帰校時刻は、子ども自身が決めることができる。

そのクラブだが、各種のスポーツクラブのほか、算数クラブや科学クラブもある。学習クラブは
学校の中にあって、たいていは無料。学外のクラブも、月謝が千円前後。こうした親の負担を
軽減するために、ドイツでは、子ども一人当たり、二三〇マルク(日本円で約一四〇〇〇円)の
「子どもマネー」が支払われている。

この補助金は、子どもが就職するまで、最長二七歳まで支払われる。こうしたクラブ制度は、カ
ナダでもオーストラリアにもあって、子どもたちは自分の趣向と特性に合わせてクラブに通う。

日本にも水泳教室やサッカークラブなどがあるが、学外教育に対する世間の評価はまだ低
い。ついでにカナダでは、「教師は授業時間内の教育には責任をもつが、それ以外には責任
をもたない」という制度が徹底している。そのため学校側は教師の住所はもちろん、電話番号
すら親には教えない。

 日本がよいとか、悪いとか言っているのではない。日本人が常識と思っていることでも、世界
ではそうでないということもある。それがわかってほしかった。

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あのとき母だけでも…

 あのとき、もし、母だけでも私を支えていてくれてていたら…。が、母は「浩ちゃん、あんたは
道を誤ったア」と言って、電話口の向こうで泣き崩れてしまった。私が「幼稚園で働いている」と
言ったときのことだ。

 日本人はまだあの封建時代を清算しいていない。その一つが、職業による差別意識。

この日本には、よい仕事(?)と悪い仕事(?)がある。どんな仕事がそうで、どんな仕事がそう
でないかはここに書くことはできない。が、日本人なら皆、それを知っている。先日も大手の食
品会社に勤める友人が、こんなことを言った。

何でもスーパーでの売り子を募集するのだが、若い女性で応募してくる人がいなくて、困ってい
る、と。彼は「嘆かわしいことだ」と言ったので、私は彼にこう言った。「それならあなたのお嬢さ
んをそういうところで働かせることができるか」と。

いや、友人を責めているのではない。こうした身勝手な考え方すら、封建時代の亡霊といって
もよい。目が上ばかり向いていて、下を見ない。「自尊心」と言えば聞こえはいいが、その中身
は、「自分や、自分の子どもだけは別!」という差別意識でしかない。が、それだけではすまな
い。こうした差別意識が、回りまわって子どもの教育にも暗い影を落としている。

この日本にはよい学校とそうでない学校がある。よい学校というのは、つまりは進学率の高い
学校をいい、進学率が高い学校というのは、それだけ「上の世界」に直結している学校をいう。

 「すばらしい仕事」と、一度は思って飛び込んだ幼児教育の世界だったが、入ってみると、事
情は違っていた。その底流では、親たちのドロドロとした欲望が渦巻いていた。それに職場は
まさに「女」の世界。しっと縄張り。ねたみといじめが、これまた渦巻いていた。私とて何度、年
配の教師にひっぱたかれたことか!

 母に電話をしたのは、そんなときだった。私は母だけは私を支えてくれるものとばかり思って
いた。が、母は、「あんたは道を誤ったア」と。その一言で私は、どん底に叩き落とされてしまっ
た。それからというもの、私は毎日、「死んではだめだ」と、自分に言って聞かせねばならなか
った。いや、これとて母を責めているのではない。母は母として、当時の常識の中でそう言った
だけだ。

 子どもの世界の問題は、決して子どもの世界だけの問題ではない。問題の根源は、もっと深
く、そして別のところにある。

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よい先生VS悪い先生

 私のような、もともと性格のゆがんだ男が、かろうじて「まとも?」でいられるのは、「教える」と
いう立場にあるからだ。

子ども、なかんずく幼児に接していると、その純粋さに毎日のように心を洗われる。何かトラブ
ルがあって、気分が滅入っているときでも、子どもたちと接したとたん、それが吹っ飛んでしま
う。よく「仕事のストレス」を問題にする人がいる。しかし私の場合、職場そのものが、ストレス
解消の場となっている。
 
その子どもたちと接していると、ものの考え方が、どうしても子ども的になる。しかし誤解しない
でほしい。「子ども的」というのは、幼稚という意味ではない。子どもは確かに知識は乏しく、未
経験だが、決して、幼稚ではない。

むしろ人間は、おとなになるにつれて、多くの雑音の中で、自分を見失っていく。醜くなる人だっ
ている。「子ども的である」ということは、何ら恥ずべきことではない。特に私の場合、若いとき
から、いろいろな世界をのぞいてきた。教育の世界や出版界はもちろんのこと、翻訳や通訳の
世界も経験した。いくつかの会社の輸出入を手伝ったり、医学の世界をかいま見たこともあ
る。しかしこれだけは言える。

園や学校の先生には、心のゆがんだ人は、まずいないということ。少なくとも、ほかの世界より
は、はるかに少ない。

 そこで「よい先生」論である。いろいろな先生に会ってきたが、目線が子どもと同じ高さにいる
先生もいる。が、中には上から子どもを見おろしている先生もいる。このタイプの先生は妙に
権威主義的で、いばっている。

そういう先生は、そういう先生なりに、「教育」を考えてそうしているのだろうが、しかしすばらし
い世界を、ムダにしている。それはちょうど美しい花を見て、それを美しいと感動する前に、花
の品種改良を考えるようなものだ。昔、こんな先生がいた。ことあるごとに、「親のしつけがなっ
ていない」「あの子は問題児」とこぼす先生である。決して悪い先生ではないが、しかしこういう
先生に出会うと、子どもから明るさが消える。

 そこでよい先生かどうかを見分ける簡単な方法……。休み時間などの様子を、そっと観察し
てみればよい。そのとき、子どもたちが先生の体にまとわりついて、楽しそうにはしゃいでいれ
ば、よい先生。そうでなければ、そうでない先生。よい先生かどうかは、実は子どもたち自身
が、無意識のうちに判断している。

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アメリカの小学校

 アメリカでもオーストラリアでも、そしてカナダでも、学校を訪れてまず驚くのが、その「楽し
さ」。まるでおもちゃ箱の中にでも入ったかのような、錯覚を覚える。

たとえば、アメリカ中南部にある公立の小学校(アーカンソー州アーカデルフィア、ルイザ・E・ペ
リット小学校。児童数三七〇名)。教室の中に、動物の飼育小屋があったり、遊具があったり
する。

 アメリカでは、教育の自由化が、予想以上に進んでいる。

まずカリキュラムだが、州政府のガイダンスに従って、学校が独自で、親と相談して決めること
ができる。オクイン校長に、「ガイダンスはきびしいものですか」と聞くと、「たいへんゆるやかな
ものです」と笑った。

もちろん日本でいう教科書はない。検定制度もない。たとえばこの小学校は、年長児と小学一
年生だけを教える。そのほか、プレ・キンダガーテンというクラスがある。四歳児(年中児)を教
えるクラスである。費用は朝食代と昼食代などで、週六〇ドルかかるが、その分、学校券(バウ
チャ)などによって、親は補助されている。驚いたのは四歳児から、コンピュータの授業をして
いること。また欧米では、図書室での教育を重要視している。この学校でも、図書室には専門
の司書を置いて、子どもの読書指導にあたっていた。

 授業は、一クラス一六名前後。教師のほか、当番制で学校へやってくる母親、それに大学か
ら派遣されたインターンの学生の三人であたっている。アメリカというと、とかく荒れた学校だけ
が日本で報道されがちだが、そういうのは、大都会の一部の学校とみてよい。周辺の学校もい
くつか回ってみたが、どの学校も、実にきめのこまかい、ていねいな指導をしていた。

 教育の自由化は、世界の流れとみてよい。たとえば欧米の先進国の中で、いまだに教科書
の検定制度をもうけているのは、日本だけ。オーストラリアにも検定制度はあるが、それは民
間組織によるもの。しかも検定するのは、過激な暴力的表現と性描写のみ。「歴史的事実につ
いては検定してはならない」(南豪州)ということになっている。

アメリカには、家庭で教えるホームスクール、親たちが教師を雇って開くチャータースクール、さ
らには学校券で運営するバウチャースクールなどもある。行き過ぎた自由化が、問題になって
いる部分もあるが、こうした「自由さ」が、アメリカの教育をダイナミックなものにしている。

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世界の文化論

 子どもを見ていると、世界の文化が見えるときがある。

昔、ある幼稚園へ行くと、一人の女の子(年中児)が、小さな丸だけをつなげて、黙々と絵を描
いていた。そこで担任の先生に、「あの子はどういう子ですか?」と聞くと、その先生はこう言っ
た。「根気のあるいい子ですよ」と。しかしその子は、本当に「いい子」か? 内閉した心が、行
き場をなくすと、子どもはそういう症状を示す。自閉症の初期症状と言ってもよい。一方、伸び
やかな子どもは、何かにつけて、大ざっぱ。

……という知識があると、文化の見方も変わってくる。たとえば金沢。

その金沢の伝統工芸を、一口で言えば、「精緻(せいち)」。実にこまかい細工を、ていねいす
る。まき絵や金箔工芸は言うにおよばず、和菓子にまで、その伝統は生きている。そうした工
芸は高く評価されているが、しかしその背景には、押しつぶされた人間の「自我」がある。

あの前田藩を美化する人も多いが、しかし実際には、あの前田藩という時代は、日本でも、そ
して世界でも類を見ないほど、暗黒かつ恐怖政治の時代であった。今でも金沢市には尾張町
とか近江町とかいう町名がある。それぞれの地方から強制的に移住させられた人が住んだ町
内である。また金沢城の中には、藩主が、生身の人間をぶらさげて、刀の試し切りをしたところ
も残っている。そういう世界では、民衆は内閉するしかなかった……。

一方これとは対照的なのが、アメリカ中南部地方。テキサス州を例にとればよい。あそこでは、
すべてがもう、大ざっぱ。やることなすこと、すべてが大ざっぱだから、恐れ入る。

家具にしても、表向きは結構見栄えのするものを作る。が、内側から見ると、ア然とする。どう
ア然とするかは、機会があれば、ご自身で確かめてみてほしい。言い換えると、テキサスの人
に、精緻な仕事を期待しても無理。不可能。絶対にできない。そういう雰囲気すら、ない。レスト
ランの料理にしても、量だけはやたらと多いが、料理というより、あれは家畜のエサ(失礼!)。
    

金沢の文化と、テキサスの文化は、きわめて対照的である。しかしそれはとりもなおさず、日本
人とアメリカ人の違い。さらには、日本の歴史とアメリカの歴史の違いでもある。で、結論から
言えば、日本の文化は、内閉文化。アメリカの文化は、開放文化ということになる。これは子ど
もの世界から見た、世界の文化論ということになる。

+++++++++++++++++++

過去を再現する親たち

 親は、子どもを育てながら、自分の過去を再現する。そのよい例が、受験時代。

それまではそうでなくても、子どもが、受験期にさしかかると、たいていの親は、言いようのない
不安感に襲われる。受験勉強で苦しんだ親ほどそうだが、原因は、「勉強」そのものではない。
受験にまつわる、「将来への不安」「選別されるという恐怖」が、その根底にある。それらが、た
とえば子どもが受験期にさしかかったとき、親の心の中で再現される。

 ところで「自由」には、二つの意味がある。行動の自由と魂の自由である。行動の自由はとも
かくも、問題は魂の自由である。実はこの私も受験期の悪夢に、長い間、悩まされた。たいて
いはこんな夢だ。

……どこかの試験会場に出向く。が、自分の教室がわからない。やっと教室に入ったと思った
ら、もう時間がほとんどない。問題を見ても、できないものばかり。鉛筆が動かない。頭が働か
ない。時間だけが刻々とすぎる……。

 親が不安になるのは、親の勝手だが、親はその不安を子どもにぶつけてしまう。そういう親
に向かって、「今はそういう時代ではない」と言っても、ムダ。脳のCPU(中央処理装置)そのも
のが、ズレている。親は親で、「すべては子どものため」と、確信している。が、それだけではな
い。

こうした不安が、親子関係そのものを破壊してしまう。「青少年白書」でも、「父親を尊敬してい
ない」と答えた中高校生は、五五%もいる。「父親のようになりたくない」と答えた中高校生は、
八〇%弱もいる(平成十年)。この時期、「勉強せよ」と子どもを追いたてればたてるほど、子ど
もの心は親から離れる。

 私がその悪夢から解放されたのは、夢の中で、その悪夢と戦うようになってからだ。試験会
場で、「こんなのできなくてもいいや」と居なおるようになった。あるいは皆と、違った方向に歩く
ようになった。どこかのコマーシャルソングではないが、「♪のんびり行こうよ、オレたちは。あ
せってみたとて、同じこと」と、夢の中でも歌えるようになった。…とたん、少し大げさな言い方だ
が、私の魂は解放された!

 たいていの親は、自分の過去を再現しながら、「再現している」という事実に気づかないまま、
その過去に振り回される。子どもに勉強を強いる。そこで…。まず自分の過去に気づく。それ
で問題は解決する。受験時代に、いやな思いをした人ほど、一度自分を、冷静に見つめてみ
てほしい。

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日本は民主主義国家?

オーストラリアで学生が使うテキストに、「日本は官僚主義国家」と書いてあるのがあった。「君
主(天皇)官僚主義国家」というのもあった。私はそれに猛反発した。が、それから三十年…
…。日本はやはり官僚主義国家だった。

世界で、日本が民主主義国家だと思っているのは、恐らく日本人だけではないのか。

 よく政府は、「日本の公務員の数は欧米とくらべても、それほど多くはない」と言う。しかしこれ
はウソ。国家公務員と地方公務員の数だけをみれば、確かにそうだが、日本にはこれ以外
に、公団、公社、特殊法人、電気ガスなどの独占的公益事業団体、政府系金融機関がある。
これだけでも、日本人のうち、七〜八人に一人が、公務員もしくは、準公務員ということになる
(徳岡孝夫氏)。が、実際には、これだけではない。

これらの公務員の天下り先として機能する、事業所、協会、センター、各種研究機関、社団、
財団などがある。あの旧文部省だけでも、こうした外郭団体が、一八〇〇近くもある。こうした
団体が日本の社会そのものを、がんじがらめにしている。

国の借金だけでも六六六兆円(国の税収は五〇兆円)。そのほか、特殊法人の負債額が二五
五兆円(〇〇年)。そこで構造改革……ということになるが、これがまた容易ではない。明治の
昔から、全国の津々浦々まで、官僚が日本を支配するという構図そのものが、すでにできあが
っている。

たとえば全国四七都道府県のうち、二七〜九の府県の知事は、元中央官僚。七〜九の県で
は副知事も元中央官僚(〇〇年)。さらに国会議員や大都市の市長の多くも、元中央官僚。
「日本は新しいタイプの社会主義国家」と言う学者もいる。こういう日本の現状の中で、行政改
革だの構造改革だのを口にするほうが、おかしい。実際、こうした団体の職員数は、今の今も
肥大化し続けている。

 しかし、問題はこのことではない。こうした世界では、この不況などどこ吹く風。完全な終身雇
用に年功序列。満額の退職金に年金。生涯を保障される天下り先が用意されている。つまりこ
うした不公平社会が、学歴社会の温床となり、それがそのまま日本の教育そのものをゆがめ
ている。

ある父親はこう言った。「息子には、できるなら役人になってほしい」と。そのためか今では、ち
ょっとした(失礼!)公務員試験でも倍率が百倍を超える。なぜそうなのかというところにメスを
入れない限り、日本の教育に明日はない。

++++++++++++++++++

世にすさまじきは……

 世にすさまじきは、母親の世界。この世界、子どもをはさんでの血みどろの争いは、日常茶
飯事。その底流ではドロドロの欲望が渦を巻いている。「言ったの言わない」「やったのやらな
い」が高じて、先生や学校を巻き込んでの大騒動になることも珍しくない。裁判ザタになることも
ある。

部外者が見れば、バカげた争いだが、本人たちにはそうでない。母親も、こと子どものこととな
ると、妥協しない。容赦しない。「子どものため」と称して、本気で争う。たいていその裏でしっと
がからむため、争いも陰湿かつ長期化する。が、そこに人間の愚かさがある。人間の悲しさが
ある。

 生きているということは、不思議なことだ。昔、学生時代の友人がこう言った。「生きているこ
と自体が、奇跡だ」と。私が「奇跡なんてものは、ない」と言ったときのことだ。

しかし今、自分の人生を振り返ってみると、彼の言ったことが正しいような気がする。この光と
分子が織り成す空間で、時間を追いかけながら、「私」という人間が生きている。「あなた」とい
う人間も生きている。これを奇跡と言わずして、何という!

 原因は母親自身の異常なまでの、子どもへの過関心だが、さらにその背景に、溺愛。さらに
は親自身の情緒的未熟性や精神的欠陥がある。はっきり言えば、「病気」。このタイプの母親
は、子どもを自分の支配下において、子どもを自分の思いどおりにしたいだけ。あるいは自分
と子どもの間にカベがない。子どもどうしのけんかが、そのまま親のけんかになってしまう。

 子どもを愛するということは、子どもの中で咲く花を、希望の光で暖かく包んであげることだ。
その友人がこう教えてくれた。「彼はあなたの前を歩く。あなたのガイドとして。彼はあなたのう
しろを歩く。あなたの守護者として。彼はあなたの横を歩く。あなたの友として」と。ここでいう
「彼」というのは、「神」のことだが、しかしそれが本来あるべき、親の姿ではないのか。

 きついことを書いてしまったが、視点をほんの少し広くもてば、子どもを巻き込んだ争いなど、
バカげてできないはずだ。こうした争いの中で、一番キズついているのは、まさに子ども自身。
それともあなたはいつか、子どもと一緒に「今」という時を、楽しく思い出すことができるともでも
いうのか。あなたは子どもの人生をけがしているだけ。どうして母親たちよ、それがわからな
い!

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日本の英語教育

 D氏(四五歳)はこう言った。「まだ日本語もよくわからない子どもに、英語を教える必要はな
い」と。つまり小学校での英語教育は、ムダ、と。しかしこの論法が通るなら、こうも言える。「日
本もまだよく旅行していないのに、外国旅行をするのはムダ」「地球のこともよくわかっていない
のに、火星などに探査機を送るのはムダ」と。

 オーストラリアの中学校では、中一レベルで、たとえば外国語にしても、ドイツ語、フランス
語、中国語、インドネシア語、それに日本語の中から選択できるようになっている。「将来多様
な社会に柔軟に適応できるようにするため」(M大K教授)だそうだ。

オーストラリアのほか、ドイツやカナダでも、学外クラブが発達していて、子どもたちは学校が
終わると、中国語クラブや日本語クラブへ通っている。こういう時代に、「英語を教える必要は
ない」とは!

 英語を知ることは、外国を知ることになる。外国を知ることは、結局は、この日本を知ること
になる。D氏はこうも言った。「中国では、ウソばかり教えている。日本軍は南京で一〇万人し
か中国人を殺していないのに、三〇万人も殺したと教えている」と。私が「一〇万人でも問題で
しょう。一万人でも問題です」と言うと、「あんたはそれでも日本人か」と食ってかかってきた。

 日本の英語教育は、将来英語の文法学者になるには、すぐれた体系をもっている。数学も
国語もそうだ。理由は簡単。もともとその道の学者が作った体系だからだ。だからおもしろくな
い。だから役にたたない。

こういう教育を「教育」と思い込まされている日本人はかわいそうだ。子どもたちはもっとかわい
そうだ。たとえば英語という科目にしても、大切なことは、文字や言葉を使って、いかにして自
分の意思を相手に正確に伝えるか、だ。それを動詞だの、三人称単数だの、そんなことばかり
教えるから、子どもはますます英語嫌いになる。

ちなみに中学一年の入学時には、ほとんどの子どもが「英語、好き」と答える。が、一年の終わ
りには、ほとんどの子どもが、「英語、嫌い」と答える。

 さて冒頭のD氏はさらにこう言った。「日本はいい国ではないですか。犯罪も少ないし。どうし
てそれを変えなければならないのですか」と。しかしこういう人がふえればふえるほど、日本は
国際社会からはじき飛ばされる。相手にされなくなる。

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権威主義と出世主義

●権威主義の親…「私は親」「あなたは私の子ども」という意識が強い。子どもを「物」のように
扱う。このタイプの親の典型的な会話。「先生、息子なんて育てるもんじゃないですね。横浜の
嫁に取られてしまいまして…。さみしいもんですわ」と。息子が横浜の女性と結婚したことを、こ
のタイプの親は「取られた」と言う。「娘を嫁にくれてやる」とか、「嫁をもらう」とか言うこともあ
る。

 さらに上下意識が強くなると、「親に向かって!」「お前は、だれのおかげで…!」とか言うこと
が多くなる。

●出世主義の親…「立派な」とか「偉い」とかいう言葉をよく使う。「立派な家を建てましたね」
「あの人は偉いもんだ」とか。子どもには、「立派な人になれ」「偉い人になれ」とか言う。あるい
は一方的に子どもに高い学歴を求める。

このタイプの親は、見栄やメンツを重んじる。世間体を気にする。派手な結婚式をしたり、家の
格式を重んじたりする。職業による差別意識も強い。私が幼稚園の教師をしていることについ
て、「どうせ、お前は学生運動か何かしていて、ロクな仕事につけなかったのだろう」と言った人
(男性六十歳)がいた。。そういうものの考え方をする。

 権威主義にせよ、出世主義にせよ、それが強ければ強いほど、親子関係はぎくしゃくしてく
る。親にとっては、居心地がよい世界かもしれないが、子どもにとっては、居心地が悪い。要す
るに親は、子どもの者の心が見えなくなる。子どもはますます心を隠す。その分だけ、子どもの
心は親から離れる。この悪循環が、時として親子の間に、深刻な亀裂をつくる。

「断絶」というような、なまやさしいものではない。成人してからも、「親と会うだけで、不安にな
る」という人はいくらでもいる。「盆や正月に実家へ帰ることができない」という人(女性三十歳)
もいる。さらに悲劇は続く。息子や娘がそういう状態にあっても、このタイプの親はそれに気づ
かない。たいていの親は、自分では「私こそ親の鏡」と思い込んでいる。

 日本人は明治以後においても、あの封建時代を清算していない。もっと言えば心の奥底で、
いまだにそれを支えている。美化する人さえいる。しかし封建意識は伝統でも文化でもない。あ
の江戸時代という時代は、世界の歴史の中でも類がないほど、暗黒かつ恐怖政治の時代だっ
た。いまだにその名残を日本の子育ての中に見ることができる。 

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日本語と英語

 日本語と英語は、必ずしも一致しない。こんなことがあった。昔、オーストラリアの学生に、
「君はどの島から来たのか」と聞かれたことがあった。私はムッとして、「島ではない。本州(メイ
ン・コンチネント)だ」と言うと、彼のみならず、周囲の者まで、どっと笑った。私が冗談を言った
と思ったらしい。

英語で、メイン・コンチネントというと、中国大陸や欧州大陸のような大陸をいう。驚いたのは、
オーストラリアの大学で使うテキストでは、日本は「官僚主義国家」となっていたことだ。「君主
(天皇)官僚主義国家」となっているテキストもあった。日本が民主主義国家だと思っているの
は、恐らく日本人だけではないか。ほかに自衛隊は、英語でズバリ、「軍隊」となっていた。安
保条約は、「軍事同盟」となっていた。まだある。

 ある日のこと。私がオーストラリアの学生に「もし君たちの国(カントリー)が、インドネシア軍
に襲われたら、君たちはどうするか」と聞いたときのこと。オーストラリアではインドネシアが、仮
想敵国になっている。すると皆、「逃げる」と答えた。「祖父の故郷のイギリスへ帰る」と言った
のもいた。

何という愛国心。私があきれていると、「ヒロシ、この広い国を、どうやって守れるのか」と。英
語でカントリーというときは、「郷土」という土地をいう。そこで質問を変えて、「では、君たちの家
族が襲われたらどうするか」と聞くと、皆、血相を変えて、こう言った。「そのときは命がけで戦
う」と。

同じようなことだが、「愛国心」を英語では、「ペイトリアティズム」という。もともとは、「父なる大
地を愛する」を意味するラテン語の「パトリス」に由来する。つまり彼らが愛国心と言うときは、
「郷土を愛する心」という意味でそれを言う。

 また日本語で「偉い人」と言いそうなときには、彼らは「リスペクティド・マン」という。「尊敬され
る人」という意味だ。しかし「偉い人」と「尊敬される人」の間には、越えがたいほど、大きな谷間
がある。日本では肩書きや地位のある人を、「偉い人」という。肩書きや地位のない人は、あま
り偉い人とは言わない。一方、英語で「尊敬される人」というときは、地位や肩書きは、ほとんど
問題にしない、などなど。

 一見欧米風の生活をしている日本人だが、中身はどうか…? 英語をよく知っている人も、
そうでない人も、一度これらの問題をよく考えてみてほしい。

【補足】

愛国心教育について

「愛国心は世界の常識」(政府首脳)という。しかし本当にそうか?

 英語で「愛国心」というのは、「ペイトリアチズム」という。ラテン語の「パトリオス(父なる大
地)」に由来する。つまりペイトリアチズムというのは、「父なる大地を愛する」という意味であ
る。私にはこんな経験がある。

 ある日、オーストラリアの友人たちと話していたときのこと。私が「もしインドネシア軍が君たち
の国(カントリー)を攻めてきたら、どうする」と聞いた。オーストラリアでは、インドネシアが仮想
敵国になっている。が、皆はこう言った。「逃げる」と。「祖父の故郷のスコットランドに帰る」と言
ったのもいた。何という愛国心! 

私が驚いていると、こう言った。「ヒロシ、どうやってこの広い国を守れるのか」と。英語でカント
リーというときは、「国」というより、「郷土」という土地をいう。そこで質問を変えて、「では君たち
の家族がインドネシア軍に襲われたらどうするか」と聞いた。すると皆は血相を変えて、こう言
った。「そのときは容赦しない。徹底的に戦う」と。

 一方この日本では、愛国心というと、そこに「国」という文字を入れる。国というのは、えてして
「体制」を意味する。つまり同じ愛国心といっても、欧米でいう愛国心と、日本でいう愛国心は、
意味が違う。内容が違う。

 たとえばこの私。私は日本人を愛している。日本の文化を愛している。この日本という大地を
愛している。しかしそのことと、「体制を愛する」というのは、別問題である。体制というのは、未
完成で、しかも流動的。そも「愛する」とか「愛さない」とかいう対象にはならない。愛国心という
言葉が、体制擁護の方便となることもある。左翼系の人が、愛国心という言葉にアレルギー反
応を示すのは、そのためだ。

 そこでどうだろう。愛国心という言葉を、「愛人心」「愛土心」と言い換えてみたら。「郷土愛」で
もよい。そうであれば問題はない。私も納得できる。右翼の人も、左翼の人も、それに反対す
る人はいまい。子どもたちにも胸を張って、堂々とこう言うこともできる。

「私たちの仲間の日本人を愛しましょう」「私たちが育ててきた日本の文化を愛しましょう」「緑
豊かで、美しい日本の大地を愛しましょう」と。その結果として、現在の民主主義体制があると
いうのなら、それはそれとして守り育てていかねばならない。当然のことだ。

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日本の教育レベル

 東大のある教授(理学部)が、こんなことを話してくれた。「化学の分野には、一〇〇〇近い
分析方法が確立されている。が、基本的に日本人が考えたものは、一つもない」と。

あるいはこんなショッキングな報告もある。世界的な標準にもなっている、TOEFL(国際英語
検定試験)で、日本人の成績は、一六五か国中、一五〇位(九九年)。「アジアで日本より成績
が悪い国は、モンゴルぐらい。北朝鮮とブービーを争うレベル」(「週刊新潮」)だそうだ。

オーストラリアあたりでも、どの大学にも、ノーベル賞受賞者がゴロゴロしている。しかし日本に
は数えるほどしかいない。あの天下の東大には、一人もいない(〇〇年)。ちなみにアメリカだ
けでも、二五〇人もの受賞者がいる。ヨーロッパ全体では、もっと多い。

「日本の教育は世界最高水準にある」と思うのは勝手だが、その実態は、たいへんお粗末。

 日本の銀行は、護送船団方式でつぶれた。政府の手厚い保護を受け、その中でヌクヌクと
生きてきたため、国際競争力をなくしてしまった。しかし日本の教育は、銀行の比ではない。護
送船団ならぬ、丸抱え方式。教育というのは、二〇年先、三〇年先を見越して、「形」を作らね
ばならない。が、文部省の教育改革は、すべて後手後手。

南オーストラリア州にしても、すでに一〇年以上も前から、小学三年生からコンピュータの授業
をしている。メルボルン市にある、ほとんどのグラマースクールでは、中学一年で、中国語、フ
ランス語、ドイツ語、インドネシア語、日本語の中から、一科目選択できるようになっている。

 いろいろ言われているが、地方分権、規制緩和が一番必要なのは、実は教育の世界なので
ある。もっとはっきり言えば、文部省による中央集権体制を解体する。だいたいにおいて、頭ガ
チガチの文部官僚たちが、日本の教育を支配するほうがおかしい。日本では明治以来、「教
育というのはそういうものだ」と思っている人が多い。が、それこそまさに世界の非常識。あの
富国強兵時代の亡霊が、いまだに日本の教育界をのさばっている!

 今まではよかった。「社会に役立つ人間」「立派な社会人」という出世主義のもと、優良な会社
人間を作ることができた。「国のために命を落とせ」という教育が、姿を変えて、「会社のために
命を落とせ」という教育に置き換わった。企業戦士は、そういう教育の中から生まれた。が、こ
れからはそういう時代ではない。

日本が国際社会で、「ふつうの国」「ふつうの国民」と認められるためには、今までのような教育
観は、もう通用しない。いや、それとて、もう手遅れなのかもしれない。よい例が、日本の総理
大臣だ。

 G8だか何だか知らないが、日本の総理は、出られたことだけを喜んで、はしゃいでいる。そ
うではないのかもしれないが、私にはそう見える。総理なのだから、通訳なしに、日本のあるべ
き姿、世界のあるべき姿を、もっと堂々と主張すべきではないのか。が、そういう迫力はどこに
もない。列国の元首の中に埋もれて、ヘラヘラしているだけ。

そういう総理しか生み出せない国民的体質、つまりその土壌となっているのが、ほかならぬ、
日本の教育なのである。言いかえると、日本の教育の実力は、世界でも一五〇位レベル? 
政治も一五〇位レベル? どうして北朝鮮の、あの悪政を、笑うことができるだろうか。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


子育て随筆byはやし浩司(407)

●布教活動

 昨日も、ある宗教団体の人たちが、我が家へやってきた。N会という、キリスト教系の宗教団
体である。

その会では、布教活動を除いて、その会員以外との交際を、原則として禁じている。しかも一
か月に、三〇時間程度の布教活動が、義務づけられているという。そこで電話で、「布教活動
は、義務なのですか?」と聞くと、「あくまでも信者の方の自主的な判断によるものです。でも、
熱心な信者なら、みなそうしています」とのこと。ナルホド!

 人は、それぞれ何かを求めて、信仰に、身を染める。だからそういう人たちを批判したり、非
難したりしても、意味はない。皆、懸命なのだ。よく誤解されるが、宗教団体があるから、信者
がいるのではない。宗教を求める信者がいるから、宗教団体がある。

 しかしその熱心な布教活動には、頭がさがる。聞くところによると、そうして家庭に配って歩
く、小冊子やパンフレットは、それぞれの信者が、自前で購入するのだそうだ。そしてそれが、
「会」としての組織の収入になるという。

 その彼らは、いつも、こう言う。「終末は近い。この信仰を信じたものだけが、最後の審判を
受けて、天国へ行くことができます」と。

 言いたいことは、山のようにあるが、その話は別として、ある日、ワイフはこう言った。「あの
人たち、家事はどうしているんでしょうね?」と。

 月に三〇時間というが、土日の計八日で割っても、一日、四時間弱ということになる。しかし
悪いことばかりではない。一日四時間も歩けば、よい運動になる。それに何人かの人たちが集
まって、グループ活動をすることは、それなりに楽しい。事実、あの宗教団体の人たちは、み
な、和気あいあいとしている。はたから見ても、実に楽しそうだ。

 ただ一言。他人の家に、勝手にやってきて、「私たちは、絶対、正しい」と言うのだけは、やめ
てほしい。そう言うということは、「あなたは、まちがっている」と言うに等しい。考えてみれば、こ
れほど、失敬なことはない。

 しかも自分で考えて、そう言うならまだしも、まるでテープレコーダーのように、その指導者の
言葉を繰りかえすだけ。そういう人の意見には、一片の価値もない(失礼!)。

 で、私も一度、あのN会について調べたことがあるが、彼らの予言とやらは、過去において、
何度もはずれている。そしてその終末時に、神が天からおりてくるということだったが、今まで
に、一度も、そういうことはなかった……などなど。

 言いたいことは、山のようにあるが、この話は、ここまで。ああいう団体の人たちとは、あまり
かかわりをもちたくない。「どうぞ、誤勝手に!」というのが、私の今の気持。

【追記】
 こういった宗教団体の多くは、それ以外の思想に触れることを、きびしく禁じている。同窓会
に出ることすら、禁じている宗教団体もある。

 しかし、みなさん、ご注意。宗教団体を批判すると、ものすごいというか、そのあと執拗な抗議
(いやがらせ)がつづく。私は、もうなれたが、それなりの覚悟のない人は、やめたほうがよい。

++++++++++++++

年賀状

 「今日こそ……」と思いつつ、今日も、住所録の更新ができないでいる。私は、「筆まめ」(パソ
コンソフト)を使って、住所録管理しているが、それでも、めんどうに感じてしまう。以前は、住所
を、ワイフと二人で、三日がかりで書いていたものだが……。

 どうしてだろう……? その気になれば、数時間ですむ作業のはずなのだが……。

 この数年、年賀状についての疑問が、ムラムラとわいてきた。「出したくない」というのではな
い。「どうして出さねばならないのか」という疑問である。

 私の知人の中には、その人は、今年の二月に亡くなったが、年末のあいさつ状には、こうあ
った。

 「新年のあいさつができそうもありませんから、妻に、このあいさつを代筆してもらいます」と。

 こだわる人は、そこまでこだわる。死ぬ間際になっても、年賀状を出さねばならないと考え
る、そのエネルギーは、どこからくるのか? 私がワイフに、「年賀状って、出さねばならないも
のかねえ?」と聞くと、「そうでもないみたいよ。まったく出さない人もいるみたい」と。

 私の義兄の一人などは、若いときから、年賀状を出したことがない。一枚も、だ。それでい
て、人間関係がおかしいかというと、そういうことはない。まったく、ない。出さないなら出さない
で、最初からそうなら、問題はないようだ。

 数年前から、私は、年賀状の枚数を、毎年、一〇〇枚単位で、減らしている。今年も、減らす
つもり。この二、三〇年、会っていない人や、これからも会うつもりのない人は、もう年賀状を書
かない。書いても、意味がない。毎年、どうしても、同じ文面になってしまう。

 ただ生徒は、別。教え子は、別。親からの年賀状には、返事を書かないこともあるが、子ども
たちからの年賀状には、必ず、年賀状を出している。これは年賀状という「ワク」を超えた、つ
まりは私信のようなものだからだ。

 さあ、明日こそは、住所録を、更新しよう。ヤルゾ!

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


子育て随筆byはやし浩司(408)

●読者(福岡県在住)の方からの投稿より、つぎのようなメールをいただきました。掲載の許可
がいただけましたので、紹介します。

+++++++++++++++++++

はやし様へ

最初に貴殿のホームページを拝見し、その後、いろいろアドバイスいただき、ありがとうござい
ました。私自身、色々と不安定な状態だったこともあって、お礼が、遅くなりました。

最近、やっと落ち着いた状態になれたことから、「お礼」申しあげます。

最初に御挨拶のメールをお送りしたのは、たしか今年の、10月初めごろだったと思います。

貴殿のホームページに出会ったのは、その1ケ月ほど前でした。
その頃、私はかなり追い詰められた状態でした。子供との関係についてで、悩んでいました。

自分でもその原因がわからず、ただ、「いらいら」した毎日を過ごし、「空回り」を繰り返しており
ました。

子供の教育には、人一倍、熱心だと自負し、とくに「しつけ」には厳しかったです。

子どもはは、7歳の息子と、3歳の娘の、2人です。「かたづけ」や「言葉使い」など、かなりきび
しく接していたと思います。

私が子供時代、金銭的にも愛情的にかなり苦しんだこともあって、息子や娘たちは、「十分な
余裕をもたせてやりたい、将来きちっとした人間にさせたい。」と気負っていました。

ただ、息子は、「がんこ」な性格で時として反抗的な態度を取ることがあり、私も感情的に手を
あげていました。

そんな繰り返しがどんどん増え、徐々にエスカレートしていくことに自分でも「あせり」と「不安」を
感じる日々でした。

「なぜ、なぜなんだ。こんなに息子や娘の幸せな成長を望んでいるのに。俺のような苦しい子
供時代は、させないようにがんばっているのに。」

もう、おわかりですよね。

そうです。原因は、私自身にありました。
私の子供時代は、幸せではありませんでした。
幼少の頃から両親は、不仲。喧嘩ばかり見せられました。母は、父親の「悪口」ばかり。

「お前たちさえ、いなければとっくに離婚している。」といつも聞かされました。

父親も酒好きでお金にルーズな人だったので金銭的にも、精神的にもかなり「貧しい」家庭でし
た。

父親の悪口を言う時の母は、いやでしたが、私たち(私と姉)の面倒を見てくれるのは母であ
り、母の味方につくしかなく、結果として父親を嫌うしかなかった。

夜遅くに父親が帰宅、まもなく喧嘩が始まる。酔った父が母に暴力を振るったらどうしようかと
びくびくしながら、布団の中で息を殺していた。

なんとかしたいが、なんの力もない子供の自分にはどうにもできない。父親が帰らない夜は「ほ
っ」とする。

そんな日々でした。

こどもにとって親は、絶対的な存在であるはずです。絶対的な「愛情」の。だから、時として叱ら
れ、たとえ殴られてもその存在感は変わらない。

10歳のこどもが親を嫌いになれるはずはない。でも私は父親を嫌いました。無理やりにそう自
分の心を曲げたのだと思います。

ただ、ただ、逃げたい。そんな毎日だったと思います。だからわたしは、結婚しても決して「こど
も」を望まなかったが、強く望む家内に押し切られるようにして父親になりました。

でも不思議なもので、息子が生まれ、病院で初めて彼を抱いた瞬間、身体に電気が流れるよ
うな感覚を感じ、すばらしい「充実感」に包まれました。

今、思い出しても「最高」の気分でした。「俺も父親になれた。この子には、生まれてきてよかっ
たと思えるようにしてやる。絶対に俺のような辛い思いはさせない。」 

そう心に誓ったことを覚えています。

その「気負い」だけが、「ずれた」方向に突っ走ってしまったようです。
反抗され、感情的に息子を殴っていた頃の私は、「なぜだ。なぜ判らない。俺の子供のころの
ような苦労をさせないために、お前たちのために必死でがんばっているのに、なぜわからな
い。」

そう、泣きながら殴り続けていたと思います。「いけない。このままでは、いけない。」と思いなが
ら。

気がつけば、子供達と接することが怖くなり、また「おっくう」に感じだし、休みの日は、用事が
あると言っては、こどもから逃げて一人で出かけるようになっていました。

そんな時、先生の「ホームページ」に出会いました。

私自身が原因であること。私の「生い立ち」が傷となり、同じことが繰り返されつつあることに気
づきました。と、同時に背筋が寒くなりました。心底、怖かったです。

同じ「不幸」を繰り返さないために、息子や娘が「生まれてきて良かった。」と思えるように、私
がまずすべきことは、自分を変えることです。リセットすることです。

自分を「変える」ことは、難しいことですね。約3ヶ月、かなり苦労しましたが、なんとか「まし」に
なったようです。事あるごとに、息子が生まれ、初めて抱いた時のことを思い出す様にしていま
す。

「指の数を数え、泣き声を聞き、その体温を感じ、五体満足に生まれてくれたことを喜んだ。」、
その瞬間を。

最近は、息子や娘に手をあげることも、怒鳴ることもなくなりました。時として彼らがすねて、反
抗した時も抱き寄せ、言い聞かせることができています。そうすると、決まって「こめんなさい」と
言ってくれます。まるで魔法のように。。。

休みの日は、必ず二人の手をひいて、公園に遊びに行きます。いっしょに過ごす時間が増える
ほど、今まで見えていなかった(見ようとしていなかった)ものが見えるようになりました。

「これ以上、何をこの子達に望むつもりだ。」と思えます。
先日、息子が「パパと公園に来るのは楽しい。」と言ってくれました。たったそれだけの言葉で
すが、涙が出そうになりました。初めて聞いた言葉でした。

情けない最低の父親でした。

間に合ったのでしょうか? 間に合ったと信じたいです。
これからも努力します。息子や娘の中に「もう一人の私」を育てないために。

長々と書いてしまいましたが、救って頂いた「感謝」とお受け取り下さい。
以前、「中傷や批判も多いし、メルマガなんか止めてしまおうと思うこともある。」と書かれてい
ましたね。

大変な活動をしかも無償でやっておられる苦労には、頭が下がります。くだらない中傷や批判
など、無視すべきでしょう。そもそもホームページやメルマガというものは、「情報源」であり、受
け側が自分のフィルタを通して受け取るべき性質のものです。

必要ない情報、賛成できない内容は、読み飛ばせば良いのです。

それをわざわざ批判するような人間は、「単なる自意識過剰な暇人」でしょう。

可能な限り、続けてください。「救われるべき人、気づくべき人」が必ずいるはずです。
少なくとも私は、救われた。

人一倍、子育てに熱心な親。自分の生い立ちに多少なりとも「傷」を持っているからこそ、そう
なる人。

実は、そんな人が一番、危険なのでしょう。皮肉なことですが。そんな方々をこれからも救って
あげて下さい。

今後のさらなる活躍を心からお祈り致します。

                     福岡県T市、DT(父親、三九歳)

+++++++++++++++++++++++

【DTさんへ】

 自分を知るということは、本当に、むずかしいですね。私も、自分の姿が、おぼろげながらわ
かり始めたのは、四五歳を過ぎてからではなかったかと思います。「私のことは、私が一番、よ
く知っている」と、思っていました。……思いこんでいました。

 そして私自身の「欠陥(けっかん)」が、実は、乳幼児期につくられたものであることに気づい
たのは、そのあとのことです。

 私たちの中には、(私であって、私である)部分と、(私であって、私でない)部分とがありま
す。その(私であって、わたしでない)部分は、実は、その人の乳幼児期につくられるのです
ね。しかも私の中には、その(私であって、私でない)部分のほうが、はるかに大きいのです。

 どの人も、(私は私だ)と思いこんで、(私であって、私でない)部分に、動かされているだけな
のですね。よい例が、性欲です。

 フロイトは、人間のすべての行動力の原点になっているエネルギー(=リピドー)は、(性的エ
ネルギー)だと言っています。いろいろな反論もあるようですが、たしかにそういう部分は、あり
ますね。そのことは、女性たちが化粧する姿を見ていると、よくわかります。

 先日も、ローカル線に乗っていたら、反対側に座っていた若い女性が、人目もはばからず、
懸命に、化粧をしていました。ああいう姿を見ると、「ああこの女性も、(私であって、私でない)
部分に、動かされているんだな」と。

 わかりやすく言うと、(私であって、私でない)部分が、大きな土台で、(私であって、私である)
部分というのは、その上に咲いた、小さな花のようなものかもしれません。私たちは、何かにつ
けて、(私であって、私でない)部分に振りまわされているだけ?、ということになります。

 子育ても、まさに、そのとおり。

 いちいち頭の中で考えながら、子育てをしている人は、まず、いません。「頭の中では、わか
っているのですが、いざ、その場になると……」というのが、たいていの親たちの、偽らざる感
想です。

 もっとはっきり言えば、子育てというのは、条件反射のかたまりのようなものかもしれません。
いつも、(私であって、私でない)部分が、勝手に、反応してしまいます。もう少し深刻な例では、
子どもを愛せない母親たちです。

 公式の調査でも、そういう母親は、約七%はいるということですが、このことは、幼児を調べ
てみても、わかります。

 それとなく幼児(年中児、年長児)のそばに、ぬいぐるみを置いてあげるのですが、「かわいイ
〜」とか何とか言って、プラスの反応を示す子どもは、約八〇%。残りの二〇%の子どもは、反
応を示さないばかりか、中には、足で、キックする子どもさえいます。

 すでにこの時期、母性愛(父性愛)は、ほぼ、完成されているのですね。

 では、その原因は何かとさぐっていくと、ここでいう乳幼児期にあるということがわかってきま
す。この時期、両親の愛に、たっぷりと恵まれ、不安や心配のない環境の中で育てられた子ど
もは、自然と、母性愛(父性愛)を身につけ、そうでない子どもは、そうでないということです。

 ……と考えていくと、いつも、「では、私自身はどうか?」という問題にぶつかります。幼児教
育のおもしろさは、ここにありますが、その話は、また別の機会にするとして、「では、私自身
は、どうなのか?」と。

 ここで重要なことは、(子どもを愛することができる)親も、(子どもを愛することができない)親
も、それはその人自身が、自分でそうなったというよりは、生まれ育った環境の中で、そのよう
に、つくられたということです。

 私も、結構、不幸な家庭で育っています。まったく育児をしない父親。反面、私を溺愛した母
親。そんな私が、かろうじて(?)、自分でありつづけることができたのは、祖父母が同居してい
たからに、ほかなりません。加えて、戦後直後の混乱期。今の常識から考えれば、もう、めち
ゃ、めちゃな時代でした。

 いつしか私は、(私であって、私でない)部分さがしを、始めるようになりました。

 恐怖症的体質は、どうして、そうなったのか。
 分離不安的体質は、どうして、そうなったのか。
 なぜ、私は興奮性が強いのか。

 子育てについても、どうして私の子育てのし方は、ぎこちないのか、などなど。

 ……こうして考えていくと、実は、(私であって私である)部分というのは、ほとんど、ないことに
気づきました。「ない」というより、私は、(私であって私でない)部分を、「私」と思いこんでいた
だけと、思い知らされました。

 これもよい例ですが、ときどき町の中を歩いていると、車の中から、通りを歩く女性を、ギラギ
ラとした目つきで、見つめている若い男たちを、見かけます。ナンパしようとしているのですね。
ときどき、ヒワイな笑みを浮かべあって、たがいにニヤニヤしあっています。

 そういうとき、その男たちは、自分では、自分の意思でそうしていると思っているかもしれませ
んが、やはり、性欲という、(私であって私でない)部分に、動かされているだけということになり
ます。「動かされている」というより、「操られている」と言ったほうが、正確かもしれません。

 そう、まさに操られているわけですが、子育ての世界にも、たとえば、「虐待」というのがありま
す。

 虐待する親に会って、話を聞いたりすると、そういう親たちも、自分の意思ではどうにもならな
い部分で、操られているのがわかります。虐待する親にしても、いつもいつも、虐待しているわ
けではないのですね。あるときの、ある瞬間に、突発的に、カーッとなって、虐待してしまうので
す。自分の意思ではないものに操られて、です。

 ……またまた話が脱線しそうになったので、この話も、ここまでにしておきます。

 しかしDTさんへ、いろいろな問題があるにせよ、こうした(私であって私でない)部分が引きお
こす問題は、それに気づくだけで、ほぼ解決したとみます。あとは時間が解決してくれます。

 問題は、そうした問題があることではなく、そうした問題があることに気がつかないで、それに
引きずりまわされることです。そして同じ失敗を、繰りかえす……。DTさんも、幸いなことに、
今、それに気づき始めています。私は、それを、率直に、喜んでいます。

 で、あえて、一言、アドバイスさせてもらうなら、「居なおりなさい」ということ。

 「いい親でいよう」とか、「いい家庭をつくろう」とか、そういうふうに、考えてはいけません。自
分が不完全であることを認めた上で、「私は、私だ!」「不完全で、どうしようもない私だが、私
は、私だ!」と居なおるのです。DTさんだけではない。みんな、十字架の一つや二つ、あるい
は三つや四つは、背負っています。そしてみんな、ボロボロの心を、懸命に修復しながら、がん
ばって生きています。

 不完全であることを、恥じることはないし、そういう自分を、失格者だと思うことも、ないので
す。しかたないでしょう。それが人間ですから……。

 ほとんど役にたたない、長い返事になってしまいましたが、メール、ありがとうございました。
むしろ私のほうが、勇気づけられ、励まされました。ありがとうございました。これからも、よろし
くお願いします。

 なお、抗議というわけではありませんが、昨日、実に愉快な(失礼!)FAXをもらいました。そ
れについては、別の原稿で、書いてみます。ときどき、こういうことがあるから、人生は、おもし
ろいですね。
(031210)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(409)

●抗議(?)

 教室へ行くと、FAX(A四紙で、二枚)が届いていた。教室の電話番号は、公開している。読
むと、つぎのようにあった。

(内容は、そのまま紹介できない。転載の許可をもらっていない。またその許可をもらうつもりも
ない。以下、内容を改変して、要約。)


 「私は、自分で言うのも、何ですが、かなり有名な人間です。私の名前を、インターネットで検
索してみてください。GG研究所のAUという者です。

貴殿は、ホームページで、予言や占いに疑問を呈しておられますが、世の中には、人知を超え
た、不思議なことは山のようにあります。私の体験が、貴殿の役にたてれば、うれしいです。ま
た、貴殿のコチコチの頭(貴殿の言葉を借用)の、よい刺激になれば、幸いです。

 私は、先日、XXという占い師に、自分の運命を占ってもらいました。結果、つぎのように言わ
れました。『あなたの娘は、大学には、無事合格するだろう。が、同時に、その前後の日に、あ
なたは交通事故にあう。それを避けるためには、三羽の文鳥を飼いなさい』と。

 で、娘は無事、大学に合格しましたが、何と、その合格発表の朝、そのために飼った三羽の
文鳥が、カゴの中で死んでいました。そこで、そのXXという占い師に、そのことを話すと、『三羽
の文鳥が、あなたの身代わりになって、死んだのです』とのこと。

 あなたは、こういう事実を、どうかお考えですか。一方的に、予言や占いを否定するあなたの
良識を疑います」(AUさん、東京都在住)と。


 私は、「一方的に」否定しているのではない。「完全に」否定しているのである。順に、AUさん
からの抗議に反論してみよう。

 娘さんが、大学に合格したのは、娘さんの努力によるものではないのか。もし運命が先に決
まっているなら、遊んでいても、合格するという運命にある人は、合格できるということになって
しまう。反対に、合格しないという運命にある人は、いくら勉強しても、合格できないということに
なってしまう。

 「運命によって決まっていた」などと言うことは、努力をした娘さんに対して、失礼というもの。

 また交通事故にあうか、あわないかということは、偶然と確率によるもの。運命ではない。だ
いたいにおいて、自動車にしても、人間が、自ら、つくったものではないか。仮に、こうした運命
が「天の意思」によるものだとするなら、その「意思」は、どこでコントロールされているというの
か。

 ためしに夏の暑い日に、道路をゆっくりと歩いてみればよい。そしてそのあとを、よく観察して
みればよい。あなたは、道路を歩くだけで、何匹かのアリを殺しているはず。

 そのアリは死んだが、その死ぬという運命は、決まっていたのか。もし決まっていたとするな
ら、あなたが歩かなかったとしても、そのアリは、死んだはずである。しかし、どうやって?

 学生時代、ある男と、こんな議論をしたことがある。

私「私は、今、一〇円玉を握っている。手を開くと、この一〇円玉はどうなるか」
男「落ちる。それがその一〇円玉の、運命だ」
私「では、手を開かない」
男「もし、そうなら、その一〇円玉は、落ちない。そういう運命になっている」
私「じゃあ、開く……」
男(ポトリと落ちた一〇円玉を見ながら)、「この一〇円玉は、落ちるという運命になっていた」
と。

 さらに「三羽の文鳥が死んだ」ことについて。

 このFAXが届いたとき、私の教室に、六年生の子どもたちが集まっていた。そこでそのFAX
を、読んで聞かせてみた。いろいろな意見が出たが、一人の子どもは、こう言った。

 「どうして文鳥は、死んだのか。死因は書いてあるか?」「ない」
 「どうして三羽なのか。二羽ではいけなかったのか?」「?」
 「文鳥と、交通事故とは、どういう関係があるのか?」「??」
 「どうして文鳥が死んだのか、解剖してもらえばいい」「そうだな」と。

 こういうメールで、「良識」という言葉を使われると、頭の中の脳細胞が、バチバチとショートし
てしまう。

 このAUさんに、ゆいいつアドバイスすることができるとしたら、「もう、私のホームページを読
むのは、おやめなさい」ということ。読んでイライラするなら、読まないほうがよい。「私は私」だ
し、「あなたはあなた」ではないか。残念ながら、私は、AUさんのホームページなど、見たくもな
い。

 こうした抗議は、ときどき届く。しかし今回は、かなりユニークな内容だったので、こうして少
し、考えてみた。
(031210)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(410) 

●庭の木

 庭には、たくさんの木が植えてある、もちろんワイフと私が、植えた木である。

 一番手前にあるのが、栗の木。その向こうが、キーウィの棚。

 このキーウィは、ニュージーランドから、わざわざ苗を取り寄せ、育てたもの。一時は、ダンボ
ール箱に、二杯くらいの収穫があった。しかし最近は、手入れをしないため、できても、毎年、
せいぜい一〇〇個前後。しかも、そのほとんどが、野鳥のエサになっている。

 先ほども、庭を見ると、ヒヨドリが、せわしそうにキーウィの実をつついていた。ワイフにそのこ
とを告げると、ワイフは、さっそく、ハサミと脚立をもって、外に出ていった。

 風はなく、空はどんよりと曇っている。外の空気は、冷たそうだ。乾いた落ち葉が、秋の風情
に、枯れた色をそえる。

 見ると、ワイフは、大きなザルに、一杯ぐらいのキーウィの実を収穫してきた。しばらく暗いと
ころに置いておくと、甘味が、ぐんとます。

 この栗の木と、キーウィの木は、友人の結婚式から帰ってきたとき、植えた。それから計算す
ると、もう二六年になる。(二六年、ねエ?)植えたときは、栗の木は、私の親指ほどの太さだっ
た。キーウィは、鉛筆ほどの太さだった。

 それが今では、栗の木は、四〇センチほどの太さになった。キーウィの木は、一〇センチほ
どの太さになった。支柱に、大きなヘビのようにからんでいる。

 私は子どものころから、寒いのが苦手。だからコタツに入ったまま、ワイフが収穫しているの
を、見ているだけ。「このまま一眠りしようか」と、考えている。のどかな朝だ。静かな朝だ。時計
を見ると、午前八時半。今朝は、五時に起きて、先ほどまで、原稿を書いていた。

 で、もう少し、庭の木について。

 キーウィの棚の一角に、ぶどうの木もある。ときどき実はなるが、収穫して食べたことはな
い。いや、何度か、口の中に入れたことはあるが、すっぱくて、食べられなかった。

 このぶどうの木(実際には、ツル)と、キーウィの木は、境界で、たがいにからみあいながら、
喧嘩をしている。私が見た感じでは、枝ぶりが大きい分だけ、キーウィのほうが優勢だと思う。
一方、ぶどうは、そのキーウィの上にからんでいくので、どちらが強いとか、弱いとかは言えな
い。

 ここだけの話だが、来年には、キーウィの木は、すべて切ろうと考えている。このあたりの方
言で言うなら、「ぶっしょたくなった」。「ぶっしょったい」というのは、「雑然としていて、見苦しい」
という意味。(私の意図を、キーウィに知られたら、逆襲されるかもしれない……。)

 そしてそのぶどうの木の向こうに、リンゴの木があるはずだが……? どうなってしまったの
か、よくわからない。植えた直後は、リンゴらしい実はできていたが、大きくなるまで育ったこと
はない。今は両横の木に囲まれて、姿が見えなくなっている。

 木には、当然、相性がある。気候や土壌があっていないと、大きく、育たない。たとえばこの
家を建てたころ、シラカンバの木を数本、植えたことがある。「浜松で、シラカンバ?」と、思わ
れるだろう。

 そう、このシラカンバは、一〇年木くらいの、結構、大きな木だったが、毎年、害虫にとりつか
れ、たいへんだった。小さな穴を見つけては、薬を入れたり、虫を、ピンセットで取り出したり…
…。結局、数年で、枯れてしまった。

 クルミの木もそうだ。かなり大きな木にはなったが、葉っぱが、カナブンのエサになる。だから
毎年、一度は、丸裸になって、それが終わってしばらくすると、二番目の葉っぱが、出てくる。

 しかし庭に木を植えるのは、考えもの。植えるときは、当然、小さな苗かもしれないが、一〇
年もつきあっていると、結構、大きな木になる。先の栗の木などは、大きくなりすぎて、切ること
もままならない。こまめに手入れをすればよいが、そうでないと、あとがたいへん。

 以上、私の庭からの、実況中継でした!
(031210)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


子育て随筆byはやし浩司(411)

●心を開かない子ども

 いつか私は、私が飼っている二匹のイヌについての話を書いた。一匹は、保健所で処分され
る寸前に、もらってきたイヌ。もう一匹は、超の上に、超がつく、愛犬家によって育てられたイ
ヌ。この二匹のイヌは、まったく性質がちがう。

 保健所で処分される寸前にもらってきたイヌは、今年で、一五歳になるが、いまだに、私たち
に心を開かない。甘えることすら、しない。エサを与えても、私たちがいる前では、決して、食べ
ようとしない。

 このイヌは、心に大きなキズをもっている。人間にたとえるなら、無視、冷淡、育児拒否にあ
わせて、何らかの異常な体験をしている。虐待かもしれない。あるいは恐怖体験かもしれな
い。私がもらい受けたときでさえ、それまで二週間近く、小さな、カゴのようなオリの中に閉じこ
められていた。

 人間の子どもでは、ここまで深いキズをもつケースは、少ない。しかし程度の違いこそあれ、
このイヌがもっているようなキズを、もっている子どもは、いくらでもいる。そしてそのイヌのよう
に、何年たっても、心を開かない(開けない)子どもは、いくらでもいる。

 U君(小五)が、そうだった。

 U君とは、一年間、つきあった。しかし最初から最後まで、私に心を開くことはなかった。何か
を話しかければ、それなりに柔和な表情を浮かべて、あれこれ話してはくれるが、それ以上、
自分の心を見せることはなかった。

 心の中は、どうなのか? みながドッと笑うようなときでも、U君だけは、それに乗れず、やは
り柔和な笑みを返すだけだった。楽しんでいるのか? それとも楽しんでいないのか?

 U君のような子どものばあい、注意しなければならないのは、表情と心(情意)が、遊離してい
るということ。たとえば何かの指示を与えると、一応、従順に従うが、しかしそれは、本人の意
思というよりは、「そうしなければならない」という義務感から、そういているにすぎない。自分で
自分を追いこみながら、そうする。

 あるいは、心のどこかで、「どうすれば、自分がいい子に思われるか」「どうすれば、みんなに
好かれるか」、そんなことを計算している。

 だから、その分、心をゆがめやすい。教える側の印象としては、「何を考えているか、わから
ない子ども」ということになる。ただ、家の中では、たとえば家族の前では、その反動として、ぐ
ずったり、あるいは突発的に暴力を振るったりすることはある。心が、それだけ、いつも、緊張
状態にあるとみる。

 こうした子どもの心を開かせるためには、笑わせるのが一番よい。大声で、腹をかかえて笑
わせる。しかし小学五年生ともなると、それもむずかしい。それが、その子どもの性格として、
定着してしまっているからである。

 私の経験では、幼稚園(保育園)の年中から年長児にかけてが、最後のチャンスではないか
と思う。この時期に、適切な指導をすれば、子どもの心を開くことができる。

 大声で笑わせる。
 言いたいことを、大声で、言わせる。
 
 これを繰りかえすと、子どもの心は、開く。いわゆる子どもは、大声で笑ったり、しゃべったり
することで、「さらけ出し」をする。そのさらけ出しがあれば、あとは、その上に、たがいの信頼
関係を結ぶことができる。

 で、心を開けない子どもは、たとえば攻撃的(乱暴)になったり、回避的(人を避けるになった
り、さらには服従的(へつらう、コビを売る)になったり、依存的(甘えん坊)になったりする。みな
の前で、か弱い自分を演じてみせたり、わざところんでみせたりするなど、同情を買うことで、
居心地のよい世界をつくろうとすることもある。

 どちらにせよ、心は、孤独。しかし人前に出ると、キズつきやすく、それにも耐えられない。そ
ういう生活パターンを、繰りかえすようになる。

 大切なことは、そういう子どもにしないこと。威圧的な教育姿勢、親の情緒不安などなど。親
自身が心を開けないときは、そのまま子どもに、それが伝播(でんぱ)することもある。そしてそ
の時期は、生まれてまもなくから、数歳までの間とみてよい。このことは、先の、私のイヌをみ
ればわかる。もらってきたときには、まだ推定、生後三か月ほどだったが、すでにそのとき、そ
のイヌの心は、決定されていた。

 U君のケースでも、原因は、母親の育児姿勢にあった。何かにつけ、カリカリしやすい人だっ
た。異常な過関心と過干渉。母親は、「子どものため」と、さかんに言っていたが、実際には、
自分の不安や心配を解消するために、子どもを利用しているだけだった。

 そういう母親の冷たさが、U君を、U君のような子どもにした? 詳しくはわからないが、今、
思い起こしてみると、そういう感じがする。

 で、心を開かない子どもは、どうするか?

 私の経験では、少なくとも、小学五年生では、それから急に子どもが変わるということは、な
い。他人との信頼関係を結ぶにしても、心を開くことができる子どもとくらべても、何倍も時間が
かかる。つまり、それだけ、指導が、むずかしい。

 大切なことは、そういう子どもであるということを認め、それを前提として、その上に、新しい
人間関係を、つくりあげていくということ。なおそうとして、なおるものではないし、「あなたはお
かしい」などと言えば、かえってその子どもを、袋小路に追いこんでしまう。そのため、自分を否
定してしまうようになるかもしれない。そうなると、さらに、やっかいなことになる。

 さて、最後に一言。あなたは他人に対して、すなおに、自分の心を開いているか。またそれが
自然な形で、できるか。ひがんだり、いじけたり、つっぱたり、しないか。少しだけ、自分の心の
中をのぞいてみると、おもしろいのでは……?
(031211)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


子育て随筆byはやし浩司(412)

【一二月一一日の私】

●I小学校での講演

 I小学校は、私の地元。三人の息子たちも、みな、世話になった。その小学校での家庭学級。
一番、無難な、「子育て、四つの方向性」の話をした。

 で、帰ってからワイフに、その話をしたと告げたら、ワイフが、「あら、その話は、I中学校区で
もしたじゃ、ない」と。

 しまった! うかつだった! 同じ校区で、同じ話をするとは!

 おかげで、午後は、気分があまりよくなかった。


●K国の、戦後補償

 K国が、中国を通して、日本に戦後補償の金額を打診してきた。その額、驚くなかれ、何と、
400億ドル! 日本円にして、約4兆1000億円!

 アメリカ政府でさえ、最高で、50〜100億ドルと見積もっていた。が、その4倍以上! 日本
人一人あたり、約4万円弱! まさに、めちゃめちゃな金額。我が家は5人家族だから、約20
万円! そんな金額、絶対に払わないぞ! ……払えるわけが、ない!

 一方、そのK国だが、この一二月のはじめから、国連人道問題調整事務所(OCHA)は、約
三300万人への配給を停止した(8日)。このままだと、四〜五月には、さらに200万人、計5
00万人への配給を停止せざるをえないという(「朝鮮日報」)。

 悲惨なのは、子どもの約40%が、栄養不良状態にあるということ。うち、7万人は、危険な状
態にあるという。しかし、金XXよ、そうなったのは、日本の責任ではない。あんたの悪政が原因
だ。

 アメリカも日本も、六か国協議を成功させるつもりは、もう、ない。中国の説得に応じて、K国
が、核開発を全面的に放棄すれば話は別だが、金XXが、それを承諾することは、ありえない。

 一方、へたに協議がうまく進めば、K国は、莫大な戦後補償を日本から取りつけ、またまた、
武器開発! そんなことを、アメリカが許すはずがない。

 問題は、韓国だが、今日(一一日)の報道によれば、金大中政権時代の韓国統一庁の長官
は、K国と、核開発の申しあわせまでしていたという。「K国が核兵器をもてば、同朋である韓
国にとっても、有利である」(同報道)と。

 もしそうなら、韓国イコール、北朝鮮と考えてよい。少なくとも、日本にとっては、そうなる。

 それにしても、400億ドルとは、ねエ〜! 何かにつけて、K国の言うことは、常識からはず
れている。ホント!


●メガネが割れる

 市内のTショップで、おもちゃを買っていたときのこと。小さい文字が見えないので、メガネを
はずしたら、そのまま床へ。そしてメガネが割れた。

 メガネ屋へもっていくと、すぐなおしてくれたが、片眼、一万七〇〇〇円。こうした事故は、生
活には、つきものだが、しかし……。私の不注意だった。

 しかしこのところ、何かにつけて、よくものを落す。これも脳の老化現象の、なせるわざか。

 気をつけよう!


●新しいパソコン

 このところ、新しいパソコンが、ほしくてたまらない。毎日、カタログをながめては、ため息ば
かりついている。

 別に今、使っているパソコンで、これといって、不自由はないのだが、「フライト・シミュレータ
ー・04」(MS社製)が、できないのが、もの足りない。カタログによれば、ゲームの中で、雲の
動きも、再現しているという。一度でよいから、FS・04で、空を飛んでみたい。

 で、今度は、いよいよパソコンを、自作してみるつもり。いろいろなパーツを寄せ集めて、納
得できるパソコンに仕あげたい。しかし、どこか不安。心配。

 つい最近まで、アメリカのD社製のパソコンにしようと考えていたが、現物を見て、がっかり。
つくりが大ざっぱというか、ベコベコしているというか、ガサガサしているというか……。ただの
事務機器という、感じ。通信販売で買わなくてよかった、と、そのとき、つくづく、そう思った。


●冬、到来!
 
 ここ数日、急に寒くなった。冬が、本格的にやってきた。自転車にまたがると、冷たい風が、
身にしみる。しかし五〜一〇分も走ると、その冷たさが、ウソのように消える。反対に、頬を切
る風が、気持ちよくなる。

 仕事が終わったのが、夜九時。西に向かって、ゆるい坂をのぼる。のぼりきったところで、汗
がジワジワと出てくる。そしてそのまま、N高校横のダラダラ坂を、一気にくだる。爽快(そうか
い)感が全身を包む。これがあるから、自転車通勤は、やめられない。

 こうして運動をした翌朝と、しなかった翌朝とでは、寝起きがまるでちがう。若いころは、そん
なことは感じなかったが、今は、よくわかる。

 運動をした翌朝は、体の筋肉が、呼吸をしている感じ。運動をしなかった朝は、体の筋肉が、
どこか、こわばっている感じ。「呼吸している」というのは、細胞一つひとつが、ぽっ、ぽっと、息
をしているように感ずることをいう。つまり、「体が軽い」。

 そんなわけで、最近は、雨がつづいたりして、運動ができないと、自転車に乗れる日が、待ち
どおしくてならない。みなは、「自転車で、たいへんでしょう」と言うが、私は、まったく、そうは思
っていない。

 で、考えてみると、こういうことは言える。

 私の実家は、自転車屋だった。私が子どものころは、子ども用の自転車というのは、まだな
かった。そこで祖父が、いつも、特製の自転車を、私のために作ってくれた。おとな用の自転車
のあちこちを切断し、そのあと、またつなげて、子ども用の自転車を作ってくれた。

 (本当は、私を宣伝用に使ったのだが……。当時は、こういう自家製の子ども用自転車が、
飛ぶように売れた。)
 
 もともと祖父は、鍛冶屋から身を起こした人である。それでそういうことができたのだと思う
が、私は、子ども用の自転車に乗り、町の中を走りまわった。まだ自転車に乗れる子どもその
ものが、少なかった。それに当時としては、高級品だった。みなが、うらめしそうに私をながめ
ていたのを、よく覚えている。私は、それが誇らしくてならなかった。

 そういう体験が、今でも、心のどこかに残っているのかもしれない。ときどき、こう思うときがあ
る。

 いかにも不健康そうな、同年齢の男が、大型の高級車で、私の横を通りすぎたりすると、「ど
うして自転車に乗らないのか?」と。「自転車に乗ったほうが、健康のためには、ずっといいの
に……」とも。

 そのとき私が感ずる優越感は、まさに、私が子どものころ感じた、あの優越感に似ている。

 冬の話とは関係ないが、今、ふと、そう思った。
(031211)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


子育て随筆byはやし浩司(413)

●被害妄想

 育児ノイローゼから、子どもの受験ノイローゼ。母親たちが、陥りやすい「うつ病?」の一種
に、こうしたノイローゼがある。

 子どもが選別されるという恐怖。子どもの将来への不安や心配。そういうものが、混然一体と
なって、母親たちの心をゆがめる。

 しかしたいていの人は、この段階で、自分がおかしいと気がつく。こういうのを「病識」という。
が、中には、その病識がない人がいる。

 夫が、妻の異変に気づき、夫が、妻に、「病院へ行ってみたら」と勧めるのだが、妻が、がん
として、それを拒否したりする。「私は、何ともない!」と。

 「こうした病識のない人が一番、困る」と、いつか、かかりつけの内科医(ドクター)が、そう言
っていたのを、覚えている。つまり、それだけ、脳の中枢部が変調していることになる。

 こうしたノイローゼになるのは、その母親の勝手だが、そういった母親が、「自分は、まとも」と
いう前提で、周囲の人たちを巻きこんで、騒ぐことがある。その中でも、周囲の人たちが、もっ
とも迷惑するのが、被害妄想。

 私も、もともと、うつ気質の人間だから、その被害妄想というのが、どういうものか、よく知って
いる。

 まず、ささいなことが気になる。そして一度、気になると、それが、心のカベにペタッと張りつ
く。そして一度、張りつくと、そのことばかり、気になる。

 私のばあい、たいていこの段階で、ワイフに相談する。「今のぼくは、おかしいか?」と。する
と、ワイフは、「おかしい」と答えてくれる。そこで私は、自分の心に、ブレーキをかける。

 ここで注意しなければならないことは、一度、気になり始めると、それがあらゆる方向に、飛
び火しやすいということ。「あれも、ダメだ」「これも、ダメだ」と考えやすくなる。つまり妄想が、生
まれる。この妄想が、こわい。

 で、さらに私のばあい、一度、こういう状態になったら、そのことについては、結論を出さない
ようにする。つまり、塩漬けにする。そしてできるだけ、その問題からは、遠ざかる。

 が、母親たちにとっては、そうではない。子育ては、毎日のことであり、それから逃れることが
できない。しかも問題は、好むと、好まざるとにかかわらず、向こうから、つぎからつぎへと、や
ってくる。

 Kさん(四三歳、母親)は、このところ、マンションの階下の人が出す騒音が気になってしかた
ないという。料理をする音。人が歩く音。音楽を聞く音など。夫は、床に耳をあてなければ聞こ
えないような音だというが、Kさんには、それが聞こえるという。

 が、この段階で、ふつうの人は、(「ふつう」という言い方には、問題があるが……)、その瞬
間には、そう思うことはあっても、その問題は、すぐ忘れる。しかしノイローゼ気味の人は、そう
でない。

 「最近、うちの子の成績がさがってきたのは、階下の人が出す、騒音が原因にちがいない」
「私が不眠になったのは、階下の人の家の冷蔵庫のモーターが発する、低周波振動によるも
のだ」と。

 こうしてとりとめのない、妄想の世界に入っていく。

 この段階でも、病識のある人は、自分のほうがおかしいと気づき、行動にブレーキをかける。
しかし、その病識がないと、今度は、新たな行動に出る。階下の人のところへ行き、「息子が、
うるさくて勉強できないと言っています。もっと、静かに歩いてください!」と。

 もっともそういうふうに、直接、声を出していく人は、まだ性質(たち)がよいほう。中には、階
下の人に対して、執拗ないやがらせを始める人がいる。真夜中に無言電話をかけてみたり、
玄関先に、ゴミをまき散らしてみるなど。

 こうなると、もう育児ノイローゼとか、受験ノイローゼという範囲を超えてしまう。

 以前、育児ノイローゼについて書いた原稿(中日新聞発表済み)があるので、それを添付す
る。

++++++++++++++++++++

母親が育児ノイローゼになるとき

●頭の中で数字が乱舞した    

 それはささいな事故で始まった。まず、バスを乗り過ごしてしまった。保育園へ上の子ども(四
歳児)を連れていくとちゅうのできごとだった。

次に風呂にお湯を入れていたときのことだった。気がついてみると、バスタブから湯がザーザ
ーとあふれていた。しかも熱湯。すんでのところで、下の子ども(二歳児)が、大やけどを負うと
ころだった。

次に店にやってきた客へのつり銭をまちがえた。何度レジをたたいても、指がうまく動かなかっ
た。あせればあせるほど、頭の中で数字が勝手に乱舞し、わけがわからなくなってしまった。

●「どうしたらいいでしょうか」

 Aさん(母親、三六歳)は、育児ノイローゼになっていた。もし病院で診察を受けたら、うつ病と
診断されたかもしれない。しかしAさんは病院へは行かなかった。子どもを保育園へ預けたあ
と、昼間は一番奥の部屋で、カーテンをしめたまま、引きこもるようになった。食事の用意は何
とかしたが、そういう状態では、満足な料理はできなかった。

そういうAさんを、夫は「だらしない」とか、「お前は、なまけ病だ」とか言って責めた。昔からの
米屋だったが、店の経営はAさんに任せ、夫は、宅配便会社で夜勤の仕事をしていた。

 そのAさん。私に会うと、いきなり快活な声で話しかけてきた。「先生、先日は通りで会ったの
に、あいさつもしなくてごめんなさい」と。私には思い当たることがなかったので、「ハア……、別
に気にしませんでした」と言ったが、今度は態度を一変させて、さめざめと泣き始めた。そして
こう言った。

「先生、私、疲れました。子育てを続ける自信がありません。どうしたらいいでしょうか」と。冒頭
に書いた話は、そのときAさんが話してくれたことである。

●育児ノイローゼ

 育児ノイローゼの特徴としては、次のようなものがある。
@生気感情(ハツラツとした感情)の沈滞、
A思考障害(頭が働かない、思考がまとまらない、迷う、堂々巡りばかりする、記憶力の低
下)、
B精神障害(感情の鈍化、楽しみや喜びなどの欠如、悲観的になる、趣味や興味の喪失、日
常活動への興味の喪失)、
C睡眠障害(早朝覚醒に不眠)など。さらにその状態が進むと、Aさんのように、
D風呂に熱湯を入れても、それに気づかなかったり(注意力欠陥障害)、
Eムダ買いや目的のない外出を繰り返す(行為障害)、
Fささいなことで極度の不安状態になる(不安障害)、
G同じようにささいなことで激怒したり、子どもを虐待するなど感情のコントロールができなくな
る(感情障害)、
H他人との接触を嫌う(回避性障害)、
I過食や拒食(摂食障害)を起こしたりするようになる。
Jまた必要以上に自分を責めたり、罪悪感をもつこともある(妄想性)。こうした兆候が見られ
たら、黄信号ととらえる。育児ノイローゼが、悲惨な事件につながることも珍しくない。子どもが
間にからんでいるため、子どもが犠牲になることも多い。

●夫の理解と協力が不可欠

 ただこうした症状が母親に表れても、母親本人がそれに気づくということは、ほとんどない。
脳の中枢部分が変調をきたすため、本人はそういう状態になりながらも、「私はふつう」と思い
込む。あるいは症状を指摘したりすると、かえってそのことを苦にして、症状が重くなってしまっ
たり、さらにひどくなると、冷静な会話そのものができなくなってしまうこともある。

Aさんのケースでも、私は慰め役に回るだけで、それ以上、何も話すことができなかった。

 そこで重要なのが、まわりにいる人、なかんずく夫の理解と協力ということになる。Aさんも、
子育てはすべてAさんに任され、夫は育児にはまったくと言ってよいほど、無関心であった。そ
れではいけない。子育ては重労働だ。私は、Aさんの夫に手紙を書くことにした。この原稿は、
そのときの手紙をまとめたものである。

++++++++++++++++++++

 育児ノイローゼであるにせよ、子どもの受験ノイローゼであるにせよ、大切なことは、自分が
そうであることに、自分で気がつくこと。気がつけば、問題のほとんどは、解決したとみてよい。

 この世の中、自分、一人が生きていくだけでも、本当に、たいへん。わずらわしいことが、多
すぎる。その上、子どもの心配、仕事や健康の心配。日本や世界の心配。心が、かなりタフな
人でも、そのつど、そういったウズに巻きこまれてしまう。

 仮にあなたが、育児ノイローゼや、受験ノイローゼになったとしても、何も、恥ずべきことでは
ない。まじめな親、懸命に子育てをしている親ほど、そうなる。ただ、とても残念なことだが、そ
ういう人ほど、たとえばこうした私の文章を読まない。つまり言いかえると、今、こうして私の文
章を読んでいる「あなた」は、まず、心配ないということ。

 どうか、ご安心ください。
(031212)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


子育て随筆byはやし浩司(414)

【三重県S市のHSさんより、虐待の相談がありました。】

●虐待

 母親のうち、約五〇%が、子どもに、体罰を加えている。そしてそのうち、七〇%が、かなり
はげしい、体罰を加えている。計算してみると、約三分の一の母親が、はげしい体罰を加えて
いることになる※。(虐待といっても、暴力的な体罰だけが、虐待ではない。)

 この中でも、とくにはげしい体罰を、虐待という。が、虐待パパであるにせよ、虐待ママである
にせよ、いつもいつも、子どもを虐待しているわけではない。ある一定の周期性がある。

虐待期……ささいなことや、ちょっとしたきっかけで、子どもにはげしい体罰を加える。

移行期……興奮がやがておさまり、それにかわって、子どもに対する、いとおしさが生まれる。

平静期……むしろ子どもへのサービスが、平均的な親よりも、濃厚となることが多い。子ども
の機嫌を必要以上にとったり、子どもに好かれようと、あれこれ努力をする。

油断期……「虐待してはいけない」という思いが強い間は、それがブレーキとして働く。しかしそ
の緊張感が、急速に薄れていく。

虐待期……ささいなことや、ちょっとしたきっかけで、子どもにはげしい体罰を加える。

 このタイプの親の虐待には、ギリギリの限界まで、まさに破滅的な暴力を繰りかえすという特
徴がある。「叱る」という範囲を超え、子どもの存在そのものを否定してしまう。バットで、長男
の顔を殴りつけていた母親(F市)の話を、聞いたことがある。

 この周期には、個人差がある。一週間単位の親もいれば、一か月単位、あるいはそれ以上
の親もいる。ただここにも書いたように、平静期には、むしろ「いい親」でいることが多い。

 一方、子どもの側にしても、虐待されながらも、親を慕う傾向が見られる。施設へ保護して
も、それでも、「ママ(パパ)のところにもどりたい」とか言う子どもは、多い。あるいは自分を虐
待する親に、献身的に尽くすという傾向も見られる。悲しい、子どもの心理である。

 こうした虐待を、子ども(夫や妻)に対して繰りかえすときは、自分自身の中の、「わだかまり
(固着)」を疑ってみる。あるいは、自分自身も、子どものころ、そうした暴力行為を、日常的に
経験していた可能性も高い。

 そのわだかまりが、何であるかをまず、知る。望まない結婚であったとか、望まない子どもで
あったとか、など。経済的困苦や、妊娠や出産に対する不安や、心配が、わだかまりになるこ
ともある。

 ある母親は、子ども(中一男子)に、はげしい体罰を加えていた。ときに、瀬戸物の花瓶を投
げつけることもあったという。その理由について、その母親は、こう話した。

 「自分を捨てた男の横顔に、息子がそっくりだったから」と。その母親は、ある時期、ある男性
と同棲していたが、そのときできた子どもが、その中学一年生の男の子だった。

 こどもがを虐待する親を、一方的に悪いと決めてかかってはいけない。その親自身も、大き
なキズをもっている。それは社会的、環境的キズと言ってもよい。その親自身も、そのキズを、
どうしてよいのか、わからないでいる。

 もちろんあなたが、虐待ママやパパであるとしても、自分を責める必要はない。あなたはあな
ただ。しかしもし、あなたにほんの少しでも、勇気があるなら、冷静に、自分の過去をのぞいて
みるとよい。そしてあなたの心を、裏から操っている、わだかまりが何であるかを、さぐってみる
とよい。

 あとは、時間が、解決してくれる。

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※……東京都精神医学総合研究所の妹尾栄一氏は、虐待の診断基準を作成し、虐待の度合
を数字で示している。

妹尾氏は、「食事を与えない」「ふろに入れたり、下着をかえたりしない」などの一七項目を作
成し、それぞれについて、「まったくない……〇点」「ときどきある……一点」「しばしばある……
二点」の三段階で親の回答を求め、虐待度を調べた。その結果、「虐待あり」が、有効回答(四
九四人)のうちの九%、「虐待傾向」が、三〇%、「虐待なし」が、六一%であった。この結果か
らみると、約四〇%弱の母親が、虐待もしくは虐待に近い行為をしているのがわかる。

 一方、自分の子どもを「気が合わない」と感じている母親は、七%。そしてその大半が何らか
の形で虐待していることもわかったという(同、総合研究所調査)。「愛情面で自分の母親との
きずなが弱かった母親ほど、虐待に走る傾向があり、虐待の世代連鎖もうかがえる」とも。
(031212)

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以前、こんな原稿を書きました。
(中日新聞発表済み)

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●虐待される子ども
                    
 ある日曜日の午後。一人の子ども(小五男児)が、幼稚園に駆け込んできた。富士市で幼稚
園の園長をしているI氏は、そのときの様子を、こう話してくれた。

「見ると、頭はボコボコ、顔中、あざだらけでした。泣くでもなし、体をワナワナと震わせていまし
た」と。虐待である。逃げるといっても、ほかに適当な場所を思いつかなかったのだろう。その
子どもは、昔、通ったことのある、その幼稚園へ逃げてきた。

 カナーという学者は、虐待を次のように定義している。

@過度の敵意と冷淡、
A完ぺき主義、
B代償的過保護。

ここでいう代償的過保護というのは、愛情に根ざした本来の過保護ではなく、子どもを自分の
支配下において、思い通りにしたいという、親のエゴに基づいた過保護をいう。その結果子ども
は、

@愛情飢餓(愛情に飢えた状態)、
A強迫傾向(いつも何かに強迫されているかのように、おびえる)、
B情緒的未成熟(感情のコントロールができない)などの症状を示し、さまざまな問題行動を起
こすようになる。

 I氏はこう話してくれた。「その子どもは、双子で生まれたうちの一人。もう一人は女の子でし
た。母子家庭で、母親はその息子だけを、ことのほか嫌っていたようでした」と。私が「母と子の
間に、大きなわだかまりがあったのでしょうね」と問いかけると、「多分その男の子が、離婚した
夫と、顔や様子がそっくりだったからではないでしょうか」と。

 親が子どもを虐待する理由として、ホルネイという学者は、

@親自身が障害をもっている。
A子どもが親の重荷になっている。
B子どもが親にとって、失望の種になっている。
C親が情緒的に未成熟で、子どもが問題を解決するための手段になっている、の四つをあげ
ている。

それはともかくも、虐待というときは、その程度が体罰の範囲を超えていることをいう。I氏のケ
ースでも、母親はバットで、息子の頭を殴りつけていた。わかりやすく言えば、殺す寸前までの
ことをする。そして当然のことながら、子どもは、体のみならず、心にも深いキズを負う。学習
中、一人ニヤニヤ笑い続けていた女の子(小二)。夜な夜な、動物のようなうめき声をあげて、
近所を走り回っていた女の子(小三)などがいた。

 問題をどう解決するかということよりも、こういうケースでは、親子を分離させたほうがよい。
教育委員会の指導で保護施設に入れるという方法もあるが、実際にはそうは簡単ではない。

父親と子どもを半ば強制的に分離したため、父親に、「お前を一生かかっても、殺してやる」と
脅されている学校の先生もいる。あるいはせっかく分離しても、母親が優柔不断で、暴力を振
るう父親と、別れたりよりを戻したりを繰り返しているケースもある。

 結論を言えば、たとえ親子の間のできごととはいえ、一方的な暴力は、犯罪であるという認識
を、社会がもつべきである。そしてそういう前提で、教育機関も警察も動く。いつか私はこのコ
ラムの中で、「内政不干渉の原則」を書いたが、この問題だけは別。子どもが虐待されている
のを見たら、近くの児童相談所へ通報したらよい。

「警察……」という方法もあるが、「どうしても大げさになってしまうため、児童相談所のほうがよ
いでしょう。そのほうが適切に対処してくれます」(S小学校N校長)とのこと。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(415)

●老いへの準備

 A氏は、四七歳のときに、交通事故にあっている。自転車で路地に出たところで、乗用車に
ぶつけられた。それからほぼ一〇年になるが、様子は、今でも、まったく「ふつうでない」。

 しゃべるのも、考えるのも、ままならないといったふう。まるで赤ちゃんが話すように、ネチネ
チとした、話し方をする。

 そのA氏が、こんなことを教えてくれた。

 「交通事故のことは、何も覚えていないのですよ。気がついたときには、病院のベッドの上に
いました。横にいた、妻に、『どうして、俺がここにいるのか?』と聞いたほどです」と。

 交通事故の衝撃が脳に伝わる前に、脳のほうが、先に、機能を停止してしまったらしい。そ
れでA氏は、何も覚えていないということらしい。冗談に、「臨死体験はしましたか?」と聞くと、
「ある、ある」と。

 A氏のばあいも、きれいな花畑や、青い川を見たという。

 これについては、最近、脳の研究が急速に進んでいる。臨終が近づくと、脳のある特別な部
分が、活動を始めるらしいというところまで、解明されてきている。つまり人間の脳は、さまざま
な情報を蓄えているが、臨終のときのための情報まで、蓄えているというのである。

 思春期になると、恋をする。自分の子どもが生まれたのを見ると、電撃的な感動をする。そ
の年齢がくると、閉経し、性欲が衰える。こうした機能にあわせて、臨終のときは、すべての苦
痛をブロック・アウトし、快楽だけを感ずるように、脳が働き始める、と。

 事実、脳のある部分に、電気的なショックを与えると、臨死体験に似た景色(花畑や川)を見
ることまで、わかっている。

 この話と「老い」の話は関係ないように見えるが、私は、自分の「老い」を考えるとき、いつも、
この話が、頭の中に浮かんでくる。どうしてか?

 私が私であるのは、脳が、私を、そう認識するからである。もし脳の機能が停止すれば、もう
私は私ではない。A氏が、交通事故にあったときのことを、想像してみればよい。A氏の脳は、
激痛からA氏を救うため、機能を停止した。そしてそれにかわって、A氏の頭の中では、臨終の
ときに働き始める、脳の一部が、活動し始めた……?

 となると、A氏は、そのとき、生きていたのか。それとも、すでに死んでいたのか? A氏は、
どちらであるにせよ、死の恐怖をまったく感ずることなく、死の直前までいったことになる。死に
方としては、つまり精神的な意味での死に方としては、これほど、理想的な死に方は、ない。

 交通事故や大病で死ぬばあいは別として、私は、老いるということは、少しずつ脳の機能が
衰えて、「私」を喪失していくことではないかと、思っている。またそうすることによって、つまり
「私」から、私をなくすことによって、死の恐怖から、自分を救うのではないか、と思っている。

 私たちがなぜ、死ぬのがこわいかといえば、それは、「私」があるからである。「私の財産」
「私の名誉」「私の地位」……と。それをなくすことを、こわがる。だから死ぬのが、こわい。

 しかしもし私から、「私」がなくなれば、死ぬことも、こわくなくなる。そのために、老いるにつれ
て、脳は、自ら、いろいろな部分の機能を停止し、「私」という意識を薄めていく……?

 A氏は、当然のことながら、死の恐怖は、まったく感じなかった。それを感ずる間もなく、瞬間
に、死に近づいてしまったからだ。「私」を感ずる前に、私そのものを、なくしてしまった。

 そこで身のまわりにいる老人たちを、観察してみる。

 死ぬ前になって、仏様のように、おだやかになる人がいる。一方、死ぬ寸前まで、財産や名
誉や地位に、執着する人もいる。どちらが、よいのか。またどちらが、私の老後して、あるべき
姿なのか。

 ただ、「私」をなくす方法は、脳細胞の老化によるものだけではないということ。もっとも簡単な
方法は、ボケること。ボケれば、ひょっとしたら、「私」がわからない分だけ、死ぬのも、こわくな
くなるかもしれない。しかし、これが、理想的な方法だとは、だれも、思わない。

 もう一つの方法は、自らの意思(思考)によって、「私」を、なくす方法である。高い道徳や倫
理、さらには高邁(こうまい)な宗教観によって、「私」をなくす方法である。多分、私は、幸か不
幸か、ボケる家系ではないので、「老い」の準備ということになれば、この方法をとるしかない。

 となると、一つの結論が、出てくる。

 人は老いるにつれて、私から、「私」を取り去らねばならない。

 方法は、簡単。つまり、残りの人生を、私のために生きるのではなく、他人のために生きる。
もっとわかりやすく言えば、無私の状態で、他人に尽くせばよい。財産とか、名誉とか、地位と
か、そういうことは考えない。「私」を捨てきった状態で、サバサバとした気持で、生きればよ
い。

今までは、私は、「私」のために生きてきた。しかしこれからは、私は、その「私」を忘れて生き
る。あるいはそういう部分を、少しずつ、ふやしていく。つまりこれが、私の考える、「老いへの
準備」である。

 もっとも、私はまだ若いから、その準備の前の段階ということになる。少なくとも、今の私に
は、「私」というしがらみが、ゴミのように、くっついている。これから、まず、それらを一枚ずつ、
はがさねばならない。心のどこかには、名誉や地位への未練も、まだ残っている。財産にして
も、「私の財産」という意識は、強い。お金は、嫌いではない。もっと、ほしい。世間への、うら
み、つらみも、まだ、じゅぶん、残っている。

 自分自身の老後の生活も、心配だし、息子たちや孫たちの将来も、不安だ。とても、無我の
境地で、仏様のように、ハスの花の上に座っていられるような境地ではない。その立場でもな
い。しかし目標としては、それほど、まちがっていないと思う。

 これから先、一〇年、生きられるか。あるいは二〇年生きられるか。それは、私にはわから
ない。が、死ぬまでに、少しでもそういう境地に達することができたら、私は、死の恐怖から、自
分を解放することができるかもしれない。

 老いを考えるとき、どうしてか、A氏の交通事故の話を思い出す理由は、ひょっとしたら、こん
なところにあるのかもしれない。
(031212)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


子育て随筆byはやし浩司(416)

●性欲

 インターネット時代になって、「性文化」の解放が、また一段と進んだ。その気にさえなれば、
性器ズバリの写真など、簡単に手にはいる。性交場面の写真も、簡単に手にはいる。

 しかし私が学生のころでさえ、女性の胸までは写した写真はあったが、性器までの写真は、
なかった。あったのだろうが、私の手の届く範囲には、なかった。私が、生まれてはじめてその
種の写真を見たのは、香港へ行ったときのことだった。(それまでに、ピンボケの写真は、何枚
か見たことはあるが……。)

 そういう私だから、「性」への渇望感は、人一倍、強かった。私の知人(高校の同窓生)など
は、そのまま女性に狂ってしまったのもいる。

 しかし、この性欲ほど、男にとって、やっかいなものは、ない。これに支配されると、自分が自
分でなくなってしまう。と、言いながらも、この性欲は、あらゆる人間の行動力の原点になってい
る(フロイト)。

 この性欲があるからこそ、人間の社会は、うるおい豊かで、楽しいものになっている。無数の
ドラマも、そこから生まれる。あの映画『タイタニック』を見て、涙をこぼした人も、多いはず。性
欲は、そういった感動の原点にもなっている。

 しかしこのところ、「性欲」に対する考え方が、少しずつだが、変わってきた。とくに今、これだ
け簡単に「性」が、日常生活の中に入ってくるようになると、「では、昔の私は何だったのか」と、
そこまで考えてしまう。

 少し前までは、陰毛が少しでも写っていたりしただけで、その本や雑誌は、発禁処分になっ
た。しかし今は、もう、ご存知のとおりである。

 私たちは、限られた情報の中で、ただひたすら空想力を働かせて、それを楽しむしかなかっ
た。が、今は、氾濫(はんらん)というにふさわしい。

 で、その結果だが、私の「性」に対する考え方は、大きく変わった。「何だ、こんなものだった
のか!」という思いから、つぎに今度は、男と女の区別さえ、あやしくなってきた。若いころは、
男と女の間に、地球人と火星人ほどのちがいを感じたが、今は、それも消えた。むしろ、「男
も、女も、同じ」と思うことが多くなった。

 さらに五〇歳も過ぎると、急速に精力も衰える。いや、あるにはあるのだが、長つづきしな
い。めんどうになる。おっくうになる。ワイフは、「男にも、更年期があるのよ」と、さかんに言う
が、私は「?」と思っている。相変わらず、枕もとに、ティッシュペーパーは、必需品である。

 まあ、あえて言えば、こうまで「性」が露骨になると、奥ゆかしさがなくなるというか、かえって
動物的な感じがしてしまう。まさに「排泄のための、排泄」という感じになってしまう。(事実、そう
だが……。)

 しかしここが肝心だが、「私が私」であるためには、私から、性欲を切り離さなければならな
い。私の中で、どこからどこまでが、性欲のなせるわざであり、どこからどこまでが、「私」なの
かを、区別しなければならない。(だからといって、性欲を否定しているのではない。誤解のな
いように!)

 しかし考えてみれば、私の人生の大半は、その性欲に、裏から操られていただけかもしれな
い。それがよいことなのか、悪いことなのかはわからないが、考えてみれば、もともと、人間も
動物。そんなわけで、このところ、「人間も動物だったのだなあ」と思うことが多い。

 で、今は、そのつぎの段階というか、人間も動物であるという基礎の上で、人間とは何か。男
とは何か。女とは何か。そんなふうに考えるようになりつつある。これから先、こうした情報革命
が進めば、私の考え方も、さらに大きな影響を受けるだろうと思う。今、そんなことを考えなが
ら、改めて、性欲とは何かを考えてみた。
(031212)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


子育て随筆byはやし浩司(417)

【幼児の腕力】

 幼児の腕力について、質問があった。「どの程度まで認めたら、よいのか」と。

 最初に思い出したのは、K君という年中児(満五歳)の子どもだった。

●手加減しなかったK君

私はよく、子どもたちと「戦いごっこ」をする。プロレスに似た遊びだが、当然、たがいに手加減
をしながら、遊ぶ。あくまでも、それは、遊びである。その「戦いごっこ」のときのこと。

 K君が、前に出てきて、私に、戦いをいどんできた。身長も、平均的な子どもと比べても、や
や小柄なほうだった。が、戦い方がちがった。

 私が体をかがめると、まるでカミソリでスパスパと切りこむように、私にキックや、パンチを加
えてきた。一撃で、私のメガネは、吹っ飛んでしまった。瞬間、「この子は、空手でもやっている
のか!」と思ったほどである。

 そして小さな手だが、げんこつをつくったまま、ピシッ、ピシッと、私の顔面を殴ってきた。鼻先
を殴られて、ひるんでいると、今度は、足で、私の腹部を蹴ってきた。動きが速いというか、正
確というか……。ドス、ドスと、K君の足が私の腹にめりこんだ。瞬間、息ができなるほどの、痛
さを感じた。私は、「ちょっと待ちなさい!」と叫ぶのが、精一杯だった。

 小学二、三年生の子どもでも、そこまで痛くない。それに遊びは遊びだ。しかしK君には、そ
れがなかった。小さい体だが、本気で、殴ったり、蹴ったりしてきた。

キレた状態になると、子どもも、そういった様子を見せることがある。しかしK君には、キレた子
ども特有の、あの冷たさは感じなかった。K君は、柔和な笑いを浮かべたまま、私を殴ったり、
蹴ったりした。むしろそれを楽しんでいるかのようだった。


●K君の様子

 そのK君について、一つ気になったのは、下に妹が生まれてから、かなりはげしい赤ちゃん
がえりを起こしていたこと。ものごし、言い方などが、赤ちゃんのそれになってしまっていた。ネ
チネチとした話し方や、母親にベタベタ甘える様子のほか、分離不安、退行性などの症状も、
見られた。

 子どもというのは、その年齢になると、その年齢にふさわしい人格の「核」ができてくる。年長
児は、年長児らしく、小学生は、小学生らしくなる。

 しかし心が変調すると、その退行性が現れる。この時期だと、幼児がえりというよりは、赤ち
ゃんがえりに合わせて、その子どもの人格の「核」まで、軟弱になる。約束が守れなくなったり、
生活習慣そのものが、ルーズになったりするなど。全体に、精神面、行動面に、強い幼稚性が
現れるようになる。

 原因は、家庭教育の失敗とみる。

 下の子どもが生まれるまでは、目いっぱい、甘やかす。しかし下の子どもが生まれたとたん、
一転、今度は、「お兄ちゃんだから」と、子どもを、突き放す。そしてそれに対して、不満を訴え
たりすると、「わがまま」と決めてかかって、押さえつける。

 こうした一貫性のない育児姿勢が、子どもの心をゆがめる。K君が、その柔和な、……という
より、幼稚ぽい表情とは裏腹に、はげしい攻撃性を身につけたのは、そういう背景によるもの
と思われる。

 そこでそのことを、母親に相談すると、母親は、こう言った。「幼稚園に、よくない友だちがい
て、その友だちから、そういうことを学んだようです」と。

しかしK君のもっていた攻撃性は、学んだくらいでは、身につくものではなかった。大きな欲求
不満が、心の根底にあって、それが姿を変えたと見るのが正しい。

 こういう例は、少なくない。


●嫉妬の恐ろしさ

 乳幼児の心について、刺激してならないものが、二つ、ある。攻撃心と、嫉妬心である。この
二つをいじると、子どもの心は、ゆがむ。

 そしてこれら二つは、人間が人間になる前からもっていた感情であるだけに、扱い方をまち
がえると、人間性そのものまで、ゆがめる。

 同じような例だが、弟(一歳半)を、逆さづりにして、頭から落としていた子ども(年長男児)が
いた。つまり、この種の嫉妬がからむと、子どもは、相手(下の子)を、殺すところまでする。そ
の男の子のことだが、両親の前では、たいへんできのよい兄を演じていた。その光景を見た、
母親は、こう言った。

 「隣との家の、兄は、弟にそれをしていました。それを見たとき、私は、思わず、ギャーッと叫
んでしまいました」と。

 ほかに、自転車で弟に体当たりを繰りかえしていた兄。チョークを、お菓子と偽って、妹に食
べさせていた兄などの例がある。

 一般的に、世の親たちは、赤ちゃんがえりを、軽く考える傾向がある。しかしこれはとんでも、
まちがい。

 赤ちゃんがえりは、その根底で、その子どもの心そのものをゆがめる。ゆがめるだけならま
だしも、生涯にわたって、その子ども(人)に、さまざまな悪影響を、およぼす。たとえば善悪の
バランス感覚にうとくなるなど。

 この時期、子どもは子どもでも、それなりの分別が、できてくる。つまり、(してよいこと)と、(し
て悪いこと)の、区別ができるようになる。が、善悪のバランス感覚が崩れてくると、それができ
なくなる。

 コンセントに粘土を詰めてみたり、色水を友だちにかけたりするなど。ここでいう「遊びに手加
減を加えない」というのも、それに含まれる。ふつうなら、(「ふつう」という言い方には、いろいろ
問題はあるが……)、こういう「遊び」では、子どものほうも、手加減をする。年中児という年齢
は、それができて当然の年齢である。


●心の欲求不満の解消を、最優先に

 こうした一連の症状が見られたら、心の欲求不満の解消を最優先に考える。とくに注意した
いのが、親の短絡的な育児姿勢と、情緒不安。頭ごなしに、ガミガミ言えば言うほど、子ども
は、自分で考える力をなくす。

 しかし実際には、私たちの目にとまるころには、手遅れとなっているケースが多い。K君にし
ても、それまでに、妹が生まれてから、すでに、三年近くもたっていた。その三年の間に、症状
は、こじれにこじれていた。

 また母親にしても、それまでに育児姿勢を、急激に変えることは、不可能といってもよい。さら
に退行症状(赤ちゃんぽいしぐさ、様子、態度)は、一度身につくと、なおすのは、容易ではな
い。

 ふつうはそのまま性格(性質)として、子どもの中に定着してしまう。小学校の高学年になって
も、中学生になっても、どこかに幼稚ぽさは、残る。親は、そういう自分の子どもの姿を見て、
「なおそう」と考えるが、無理をすればするほど、かえって、子どもの症状は、悪化する。

 G君という、小学六年生の子どもがいた。彼には、はげしいチックと、吃音(どもり)が見られ
た。やることなすこと、幼稚ぽいので、そのたびに、母親がきつくG君を叱っていた。こうした悪
循環に入るケースも、少なくない。

 そう、そのG君で、記憶に残っている事件に、こういうのがあった。

 学校帰りに、通り道にある家の中の犬小屋に石をなげて、遊んでいた。そしてそのとき、その
家の、大きな窓ガラス(縦二メートル、幅一メートルくらい)を、割ってしまった。家の人が学校に
通報し、調べたところ、G君とわかった。

 しかしG君の母親は、「うちの子が、そんなことをするはずがない」と、最後の最後まで、がん
ばった。G君は、母親の前では、いつもネチネチと甘えていた。
 

●幼児の腕力

 幼児の腕力は、どの程度まで認めてよいかという議論は、そんなわけで、ほとんど、意味が
ない。冒頭にあげたK君の母親は、さかんに、「どこまで(暴力を)認めていいのでしょう?」と言
っていたが、問題の本質がちがう。

 大切なことは、そうした行為の根底にあるのが、赤ちゃんがえりであり、さらにその原因であ
る、「嫉妬」であることに、気がつくこと。そして全体として、K君の心のケアをすること。それに
気がつかないと、そのつど、対症療法だけで、あたふたとしてしまう。

 またキレやすい子どもについては、別のところで考えたので、ここでは省略する。K君につい
ても、症状をこじらせれば、そのキレやすい子どもになることは、じゅうぶん考えられた。小学
校へ入ると同時に、K君は、私の教室から、去っていった。その後の、ことは、知らない。

【腕力をふるう子どもについて……】

 暴力をふるうたびに、そのつど、ていねいに、かつ、静かに説得する。叱ったり、威圧しても
意味がないばかりか、かえって、逆効果になることが多い。

 以前、そのタイプの子どもに、空手を習わせた親がいたが、それでうまくいくケースもあれ
ば、そうでないケースもある。やはりその前に、大切なことは、善悪のバランス感覚を育てるこ
と。静かに考える時間を、子どもに、もたせるようにするとよい。あるいは、ひとりで、考えるよう
に、しむける。

 しかしたいていこのタイプの子どもにかぎって、あまり考えない。考えて行動するという習慣そ
のものがない。その場、その場で、気が向いたまま行動する。

 もしそうなら、親自身が、自ら考える姿勢を見せる。「考える」ということがどういうことなのか、
子どもの前で、見せる。見せながら、子どもの体にしみこませていく。

++++++++++++++++++++++

キレる子どもについて、以前、書いた原稿を
添付します。これは私の本で、すでに発表済み
の原稿です。

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キレる子ども

●躁状態における錯乱状態 

 子どもたち(小三児)を並べて、順に答案に丸をつけていたときのこと。それまでF君は、まっ
たく目立たないほど、静かだった。が、あと一人でF君というそのとき、F君が突然、暴れ出し
た。突然というより、激変に近いものだった。

ギャーという声を出したかと思うと、周囲にあった机とイスを足でけって、ひっくり返した。瞬間
私は彼の目を見たが、それは恐ろしいほど冷たく、すごんでいた……。

 キレる状態は、心理学の世界では、「躁(そう)状態における精神錯乱」(長崎大・中根允文氏
ほか)と位置づけられている。

躁うつ病を定型化したのはクレペリン(ドイツの医学者・一八五六〜一九二六)だが、一般的に
は躁状態とうつ状態はペアで考えられている。周期性をもって交互に、あるいはケースによっ
ては、重複して起こることが多い。

それはそれとして、このキレた状態になると、子どもは突発的に凶暴になったり、大声でわめ
いたりする。(これに対して若い人の間では、ただ単に、激怒した状態、あるいは怒りが充満し
た状態を、「キレる」と言うことが多い。ここでは区別して考える。)

●心の緊張状態が原因

 よく子どもの情緒が不安定になると、その不安定の状態そのものを問題にする人がいる。し
かしそれはあくまでも表面的な症状にすぎない。

情緒が不安定な子どもは、その根底に心の緊張状態があるとみる。その緊張状態の中に、不
安が入り込むと、その不安を解消しようと、一挙に緊張感が高まり、情緒が不安定になる。

先のF君のケースでも、「問題が解けなかった」という思いが、彼を緊張させた。そういう緊張状
態のところに、「先生に何かを言われるのではないか」という不安が入りこんで、一挙に情緒が
不安定になった。

言いかえると、このタイプの子どもは、いつも心が緊張状態にある。気を抜かない。気を許さな
い。周囲に気をつかうなど。表情にだまされてはいけない。柔和でおだやかな表情をしながら、
その裏で心をゆがめる子どもは少なくない。これを心理学の世界では、「遊離」と呼んでいる。
一度こういう状態になると、「何を考えているかわからない子ども」といった感じになる。 

●すなおな子ども論

 従順で、おとなしい子どもを、すなおな子どもと考えている人は多い。しかしそれは誤解。教
育、なかんずく幼児教育の世界では、心(情意)と表情が一致している子どもを、すなおな子ど
もという。

うれしいときには、うれしそうな表情をする。悲しいときには悲しそうな表情をする。不愉快なと
きは、不愉快そうな顔をする。そういう子どもをすなおな子どもという。しかし心と表情が遊離す
ると、それがチグハグになる。ブランコを横取りされても、ニコニコ笑ってみせたり、いやなこと
があっても、黙ってそれに従ったりするなど。

中に従順な子どもを、「よくできた子ども」と考える人もいるが、それも誤解。この時期、よくでき
た子どもというのは、いない。つまり「いい子」ぶっているだけ。このタイプの子どもは大きなスト
レスを心の中でため、ためた分だけ、別のところで心をゆがめる。よく知られた例としては、家
庭内暴力を起こす子どもがいる。このタイプの子どもは、外の世界では借りてきたネコの子の
ようにおとなしい。

●おだやかな生活を旨とする

 キレるタイプの子どもは、不安状態の中に子どもを追い込まないように、穏やかな生活を何
よりも大切にする。乱暴な指導になじまない。あとは情緒が不安定な子どもに準じて、@濃厚
なスキンシップをふやし、A食生活の面で、子どもの心を落ちつかせる。カルシウム、マグネシ
ウム分の多い食生活に心がけ、リン酸食品をひかえる(※)。

リン酸は、せっかく摂取したカルシウムをリン酸カルシウムとして、体外へ排出してしまう。もち
ろんストレスの原因(ストレッサー)があれば、それを除去し、心の負担を軽くすることも忘れて
はならない。

※……今ではリン酸(塩)はあらゆる食品に含まれている。たとえば、ハム、ソーセージ(弾力
性を出し、歯ごたえをよくするため)、アイスクリーム(ねっとりとした粘り気を出し、溶けても流
れず、味にまる味をつけるため)、インスタントラーメン(やわらかくした上、グニャグニャせず、
歯ごたえをよくするため)、プリン(味にまる味をつけ、色を保つため)、コーラ飲料(風味をおだ
やかにし、特有の味を出すため)、粉末飲料(お湯や水で溶いたりこねたりするとき、水によく
溶けるようにするため)など(以上、川島四郎氏)。

●人工的に調合するのは、不必要

ついでながら、W・ダフティという学者はこう言っている。「自然が必要にして十分な食物を生み
出しているのだから、われわれの食物をすべて人工的に調合しようなどということは、不必要
なことである」と。つまりフード・ビジネスが、精製された砂糖や炭水化物にさまざまな添加物を
加えた食品(ジャンク・フード)をつくりあげ、それが人間を台なしにしているというのだ。「(ジャ
ンクフードは)疲労、神経のイライラ、抑うつ、不安、甘いものへの依存性、アルコール処理不
能、アレルギーなどの原因になっている」とも。
(031213)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


子育て随筆byはやし浩司(418)

●一人の男

 寒い夜だった。時刻は、一〇時近くだった。自転車にまたがる。大通りへ出て、ペダルをこぐ
足に、さらに力を入れる。そのとたん、一人の男が、目に止まった。男は、大きなフラワーポット
のすみに、腰をかけて、顔を大きなハンカチで、顔を押さえていた。

 通り過ぎた瞬間、男を見ると、男は、泣いていた。ちょうど、目の下あたりを、ハンカチで拭く
ところだった。「どうしたんだろ?」と思った。が、そのときには、自転車は、かなりのところまで
来ていた。ふりかえると、そのままの姿勢だったが、その男の顔は、男の背中に隠れて、もう
見えなかった。

 身を切るような冷気が、顔にあたる。さらにペダルに、力を入れる。そのとき、ふと、「どうし
て、止まってやらなかったのだ」という思いが、心を横切る。ついで、「それにしても、こんな夜で
は寒いだろうに……」と。

 男は、六〇歳くらいだっただろうか。短い髪の毛だったが、まっ白なのが、よくわかった。「よ
ほど悲しいことがあったのだろう」と、私は勝手な解釈をした。私は、信号で自転車を止めたと
き、もう一度、その男のことを考えた。

 昔、一人の友人がいた。浜松へ来たころ知りあった友人だが、三〇歳と少しのとき、食道ガ
ンで死んでしまった。焼酎(しょうちゅう)とタバコが好きで、いつも、「いつか、オレは、オレの小
説を書く」と言っていた。

 その彼と、ある日、近くの大型店で会ったことがある。彼は、私が話しかけても、上の空。た
だぼんやりと、人の流れを見ていた。そのときは知らなかったが、そのとき彼は、末期がんの
患者が入る、Sホスピスから、外出許可をもらって、そこへ来ていたという。

 私がいつものように、「やあ、Iさん!」と声をかけたが、「うん」と言ったきり、下を向いてしまっ
た。そばに奥さんが立っていたが、奥さんも、返事をしなかった。つづいて「どうしてこんなところ
に!」と言ったが、それにも、返事をしなかった。その友人は、同じ浜松市でも、私が住んでい
るところとは、正反対の方角に住んでいた。

 私は、その友人を、先ほど見かけた男と、頭の中でダブらせた。うずくまって座っている様子
が、似ていた。

 ……で、この話は、家に着くころには、忘れた。そして翌日、山荘で、昼ご飯を食べたあと、
私はその男のことを、思い出した。そしてワイフと、こんな会話をした。

私「どうして泣いていたんだろう」
ワ「泣いていたんじゃなくて、汗を拭いていたんじゃ、ない」
私「お前は、どうしていつも、そういうふうにしか、ものを考えられないんだ」
ワ「例えばジョギングが何かして、そこで休んでいたとか……」
私「あのな、その男の人は、泣いていたの」
ワ「どうして、それがあなたにわかるの?」
私「雰囲気だ」
ワ「きっと、汗を拭いていたのよ」
私「……」と。

 ワイフの意見は、この際、無視するとして、幸福も、不幸も、紙一重。いつも隣りあわせで、や
ってくる。幸福な人も、不幸な人も、大きなちがいがあるようで、ない。その男を見たのも、「私」
なら、うずくまって泣いていたのも、「私」。今は、たがいの間に、薄い一枚の壁があるが、私だ
って、いつその壁の向こうに座っても、おかしくない。今、私が壁のこちら側にいるのは、本当
に、かろうじて、のこと。本当に、かろうじて、だ。

 だから今も、つまりこの原稿を書いているこの瞬間にも、私は、こう思う。「どうして、声をかけ
てやらなかったのか」と。

ワ「声をかけてあげればよかったのよ」
私「そうだな」
ワ「そうすれば、その人は、こう言ったはずよ。『おたがい、寒い夜は、たいへんですなア』と」
私「あのな、その男の人は、泣いていたの!」
ワ「汗を、拭いていたのよ。そんなところで、泣く人はいないわよ」と。

 ついでに、一言。
ワイフには、私がもっているような、知的デリカシーは、ないようだ。
(031213)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


子育て随筆byはやし浩司(419)

●最後の呪縛(じゅばく)

 掲示板にWさんという方が、こんな意見を書いてくれた。

 「(母は)七年前にあの世に逝ってしまったので、もう話すこともできません。が、ようやく、私
自身は、今までの色々縛られていたものから解き放たれて、心が軽くなれました。やっと自分
が好きになれ、ありのままの自分を認められたのです」と。

 この言葉のもつ、意味は、重い。私はこの投稿を読んで、改めて、親とは何かと、考えさせら
れてしまった。Wさんは、投稿によれば、親の前では、ずっと「いい子」だったという。つまり仮
面をかぶっていたということか。

 一方、Wさんの母親は母親で、「人の厚意に甘えることができない人でした。若い頃にひどく
人に裏切られたことがあったようですが、きっと母自身も寂しい育ち方をしたのでしょう」と、あ
る。

 少し話をもどすが、「親が死んで、はじめて、親の呪縛から解放された」と感ずる人は、少なく
ない。いつも、親を、心のどこかで重荷に感じていた人ほど、そうである。

 よく誤解されるが、故郷は、だれにとっても、いつも心暖かい場所であるとは、限らない。同じ
ように、親が、いつもいつも子どもにとって、心暖かい人であるとは、限らない。「盆暮れに、実
家へ帰るのが、苦痛でならない」「親と話していても、心が休まらない」「実家へ帰っても、一晩、
泊まることさえできない」とこぼす人は、多い。全体の中でも、約三〇%がそうではないか。

 もちろん大半の人は、故郷といえば、「♪故郷」を歌い、親といえば、「♪おふくろさん(森進一
の曲)」を、口ずさむ。しかしそういう人は、恵まれた人だ。幸運にも、心豊かで、何一つ、不自
由なく育った人だ。しかし、世の中は、そういう人ばかりではない。

 親の重苦しい呪縛の中で、もがき苦しんでいる人は、いくらでもいる。ここにあげた、Wさん
も、その一人だったかもしれない。だから、Wさんは、親が死んではじめて、「解き放たれた」
と。

 このことは、一見、Wさんの、個人的な話のように思う人も多いかもしれない。「私には、関係
ない」と。しかし、本当に、そうだろうか。そう言い切ってよいだろうか。実は、この問題は、あな
たと、あなたの子どもの関係の問題ということにもなる。

 一度、あなたの子どもの目線に、あなたの心を置いて考えてみるとよい。果たして、あなたの
子どもは、あなたの呪縛の中で、苦しんでいないだろうか。あなたという存在を、重苦しく感じて
いないだろうか。

 Wさんの投稿は、そういう意味で、今の親子関係を知るために、おおいに、参考になると思
う。興味のある人は、私のホームページから、BBS(掲示板)へと、進んでみてほしい。もちろ
ん、ご意見、ご感想、大歓迎!
(031214)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


子育て随筆byはやし浩司(420)

●他人の厚意

【他人の行為に甘えられる人、甘えられない人】

 山荘を建てたころ、私は毎週のように客人を招いた。若いころ、「いつか、自分で民宿を経営
してみたい」と思っていた。そういう願いもあったから、それはそれなりに、楽しかった。

 その客人たちを見ていて、気がついたことがある。大きく分けて、二つのタイプに分かれた。


●デンデン・タイプ

 山荘へ入るやいなや、まるで自分の家のように、山荘を使い始めるタイプ。居間のイスに座
って、好き勝手なことをする。あるいはコタツに入って、テレビを見る。中に、一人、昼食をとっ
たあと、そのままコタツの中で、本当に、眠ってしまった人もいる。

 態度が大きく、デーンとしているから、デンデン・タイプということになる。

●キヤキヤ・タイプ

山荘へ来ても、あれこれ、私たちに気をつかうタイプ。家事を手伝ってくれる。あと片づけを手
伝ってくれる。あるいは、会話を切らないように、あれこれ話題をもちかけたり、話しかけたりし
てくれる。

 私たちのほうから、「いいから、ゆっくり休んでいてください」と言うのだが、そういうことができ
ない。あれこれ、こまごまと、気を使ってくれるから、キヤキヤ・タイプということになる。


 どちらがよいとか、悪いとか言っているのではない。人は、人、それぞれだし、もちろん、その
中間型も人もいる。

 しかし私が、その違いに気づいたのは、ここに書いた、コタツの中で、眠ってしまった人を見
たときのことだ。最初、「私なら、できるだろうか?」と思った。つまり私は、どちらかというと、こ
こでいう(キヤキヤ・タイプ)の人間だから、そこまで大柄(おうへい)な、態度をとることができな
い。

 どこの家に招待されても、家事などを、積極的に手伝うほうである。

 そういう私にない部分を、見せつけられたとき、「では、私は、何か?」と考えてしまった。私
は、人に甘えることを知らない。あるいは甘えることができないタイプの人間かもしれない。

 心を開くということは、他人の厚意を、すなおに受け入れることをいう。このことは、子どもた
ちを観察していると、わかる。

 たとえば私は、子どもたちに、そのつど、いろいろなプレゼントを、渡す。たいしたものではな
いが、そのとき、私の厚意が、スーッと、心にしみこんでいくのがわかるタイプの子どもと、そう
でないタイプの子どもがいるのがわかる。

 もう少し年少の子どものばあい、抱いてみればわかる。ある程度のコミュニケーションができ
るようになったとき、私に心を開いている子どもは、私が抱いても、そのままスーッと体をすりよ
せてくる。そうでない子どもは、体を、どこかでこわばらせる。

 そこで、先の(デンデン・タイプ)と、(キヤキヤ・タイプ)を考えてみると、一見、態度が大きく、
ぞんざいだが、(デンデン・タイプ)の人は、それだけ、心を開いているということになる。

 一方(キヤキヤ・タイプ)の人は、それだけ、心を閉じているということになる。

 では、私はどうなのか?

 私は子どものころから、他人に心を許さないタイプだった。許さないというより、心を開くことが
できなかった。一見、明るく、愛想はよいが、それは、私が悲しい運命の中で、身につけた処世
術のようなもの。いわば、仮面。

 本当の私は、他人には、めったに、心を開かなかった。

 だからよく、あちこちの家に招待はされたが、いつも、居心地が悪かった。若いころは、よく、
「自分で、お金を出して、旅館に泊まったほうが、よほど楽」と思ったことがある。今でも、その
傾向は強い。

 オーストラリアなどへ行っても、友人の家に泊まるよりは、近くのホテルに泊まるほうを好む。
それだけ、どうしても気を使うため、かえって、気疲れを起こしてしまう。

 さて、あなたは、ここでいう二つのタイプのうち、どちらだろうか。(デンデン・タイプ)だろうか、
それとも、(キヤキヤ・タイプ)だろうか。

 (デンデン・タイプ)だから、よいということにはならない。(キヤキヤ・タイプ)だから、悪いとい
うことにもならない。ものごとには程度、というものが、ある。

 Y氏(六〇歳)などは、どこの家に泊まっても、態度が大きいというか、平気で、ビールを、二
〜四本も、飲んでしまう。そしてあとは、そのまま、グーグーと、その場で眠ってしまう。

 一方、R氏(四五歳)は、どこへ泊まっても、そのあと、必ず礼状を書いたり、お返しの品を買
って届けたりしている。礼儀正しく、またそういう人だと、他人にも思われている。

 しかしこうした違いは、いつ、どこから生まれるかといえば、概して言えば、(デンデン・タイプ)
の人は、乳幼児期において、幸運にも、親の愛情をたっぷりと受け、親との間に、信頼関係が
しっかりとできた人とみてよい。

 一方、(キヤキヤ・タイプ)の人は、不幸にして不幸な家庭に育ち、その分、親との間に、信頼
関係がうまくできなかった人と、みてよい。つまりその分だけ、心の開き方を知らない……。つ
まり、他人の厚意を、すなおに受け入れることができない。

 最近では、山荘に客人が来てくれたとき、私は、我がもの顔で、つまり自分の家のように、
図々しく振る舞ってくれる人のほうが、うれしい。少し前も、一人の客人が来てくれたが、彼は、
山の上から谷に向って、「ヤッホー、ヤッホー」と、大声を出して、楽しんでいた。

 そういう客人を見ると、「ああ、この人は、私たちに心を開いてくれているのだな」と思う。つま
り、その分だけ、「私たちを信頼してくれているのだな」と思う。だからうれしくなる。

 「他人の厚意を、厚意として、すなおに受け入れる」ということは、一見、簡単そうで、簡単で
はない。それは、その人の乳幼児期と、深くからんでいる。
(031214)

●他人に気を使うのも、使われるのも、疲れること。他人がやってきて気疲れする人も、他人
の家に遊びにいっても気疲れする人は、それだけ心の開くことが、苦手な人とみてよい。

【自己診断】

●あなたは、デンデン・タイプ?
    それとも、キヤキヤ・タイプ?

( )他人の家に行っても、平気で泊まることができる。ホームステイするのも、ホームステイさ
せるのも、楽しい。(デンデン・タイプ)

( )他人の家に行っても、あれこれ気を使う。そのため、気疲れしやすいので、あまり長居する
ことは、ない。ホームステイするくらいなら、ホテルに泊まったほうが、気が楽で、楽しい。(キヤ
キヤ・タイプ)

( )他人の子どもが遊びにきて、家の中で、おもちゃを散らかしても、気にならない。子どもた
ちも、好き勝手なことをして遊んでいる。(デンデン・タイプ)

( )他人の子どもが遊びにきただけで、落ち着かない。あれこれ世話を焼くことが多い。子ども
のほうも、何かにつけて、あなたに気を使うことが多い。(キヤキヤ・タイプ)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


子育て随筆byはやし浩司(421)

●お百度参り

 受験シーズンがやってきた。受験生をもつ親たちは、心配と不安のウズの中に、巻きこまれ
る。そんな中、民放(S社)が、「親のお百度参り」について、報道していた。

 ウソや冗談で、親たちが参っているのではない。本気である。しかも、本当に、一〇〇回、毎
朝、参るというのである。

 一人の母親(五〇歳くらい)は、こう言った。「子どものためだと思って、しています」と。

 一方、それを受けて、子ども(女子高校生)も、こう答えていた。「親が、そこまで私のことを心
配していてくれると思うと、力がわいてきます。合格したら、母に、一番に、報告します」と。

 何とも、心暖まる光景である。しかし……。

【疑問@】

 仮に神や仏がいるとしても、そんなことに力を貸す、神や仏など、いるだろうか、という疑問。
もしそんなことに力を貸すなら、まじめに努力している学生が、不利になる。しかしそれこそ、不
公平というもの。

 「この宗教を信じたものだけが救われる」と説く、どこかのインチキ教団なら、いざ知らず、そ
んな身勝手な教え(?)は、ない。

【疑問A】

 親は、「子どものため」と言うが、本当は、自分の不安や心配を解消するために、そうしてい
るのでは、ないのか。自分自身が学歴信仰の信者か何かで、その重圧感から逃れるために、
そうしているだけ? 「子どものため」ではなく、「親のため」である。

 たしかに自分の子どもが選別されるというのは、親にとっては、恐怖以外の何ものでもない。
しかしその恐怖は、日本という社会で、日本人という人間が、作りあげたものにほかならない。
そういう恐怖を感じたからといって、何かに祈っても、まったく、意味はない。大切なことは、一
人の人間として、その社会を、変えることである。

【疑問B】

 子どもは、子どもで、「ありがたいことだ」と喜んでいる。しかし本当に、そのご利益とやらで合
格したら、どうなるのか。それこそまさに、政治家にワイロを渡して、合格したようなもの。あと
味の悪さだけが残るだけ、ということには、ならないのか。

 私も、今、一人の親として、その運命を待つ立場にある。合格発表は、この一二月二五日だ
という。

 しかし今、私は、じっと、その重圧感に耐えている。じたばたしても始まらない。唯一できるこ
とと言えば、息子の「力」を信ずること。そして不合格になったとき、どのようにして息子を支え
るか、それを考えること。

 もし私にも、信じられる神や仏がいるなら、お百度参りのようなことをするかもしれない。しか
し、正直に言う。よほど、そちらのほうが、楽である。気が楽である。お百度参りしてくれたか
ら、親の愛が深いとか、してくれなかったから、浅いというのは、まったくのウソ。むしろ、わけ
のわからないお百度参りする親のほうが、よほど、愛が「浅い」ということに、なるのでは?

 報道の中では、神主も出てきて、「この神社は、昔から、あの○○公とも関係のある、由緒あ
る神社で、それだけご利益も大きいです」などと、言っていたが、もうそれは、詐欺に近い言葉
と言ってもよい。親たちの心配や不安を、逆手にとって、金儲けにつなげている!

 そう言えば、東南アジアのある国では、宝くじの当たり番号を教える寺まである。いくらかのお
金を献金すると、その番号を、その場で、占って教えてくれるという。まったくのインチキなのだ
が、その国では、だれも、それをインチキだとは思っていない。この話とは関係ないかもしれな
いが、今、ふと、その話が、頭の中を横切った。
(031214)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


子育て随筆byはやし浩司(422)

【近況アラカルト】

●インフルエンザの予防注射

 インフルエンザの予防注射を受けた。しかし最初、あちこちの内科医院に、電話で問いあわ
せると、「もう、ワクチンはありません」と。

 最後に、近くの整形外科医院へ電話をすると、「あります」と。で、そこで受けた。代金は、消
費税込みで、5250円。病院によって、値段が違うという。

 今年は、SARSの流行も考えられるので、受けておいたほうが、よいとのこと。発熱したら、
インフルエンザなのか、SARSなのか、わからなくなってしまう。

 そのせいか知らないが、三日目の今日(一四日)、朝から、喉が痛い。昨夜、風呂から出て、
コタツの中で雑誌を読んでいたのが、よくなかったらしい。ふとんに入った直後、体がほてるよ
うに熱くなった。

 今のところ、それ以上の症状はないので、このまま様子をみよう。


●住所録の整理

 住所録の整理はめんどうだが、一方、パソコンをパチパチといじるのは、苦痛ではない。むし
ろ楽しい。だから、今夜、その住所録の整理をすることにした。

 私が使っているソフトは、「筆M」。このソフトを使い始めて、もう五年目になる。毎年、アップ
グレード版を買ってきたが、それが、結構、めんどう。新しいパソコンに、のりかえるたびに、そ
のつど、古いバージョンを一度、インストールしなければならない。
 
 しかし今年の「筆M」は、購買意欲がわいてこない。店で、見たが、パッケージの色が悪い。
まっ黒で、どこか、陰湿。葬式用のソフトにも、見える。明らかに、デザインミス(?)

 毎年、「筆M」のパッケージは、ド派手で、かつカラフルだった。しかし今年のパッケージは、
何だ? 店先で、何十個も並べて売ってあるのを見ると、購買意欲が刺激される前に、不気味
さを覚えてしまう。その一角だけは、暗く、沈んでいる! 白を基調とした明るい色にすればよ
かった。せめて、赤とか……。

 そんなわけで、五年間、買いつづけた「筆M」だが、今年は、やめた。K社さん、ごめん。パッ
ケージが悪い。


●さえない日曜日

そんなわけで、今日は、さえない日曜日。のどが痛いので、外出は、ひかえよう。近くに、平日
だと、580円で、定食を食べさせてくれる寿司屋がある。しかし今日は、日曜日。少し遠出をす
れば、一皿オール100円の、K寿司店がある。どうしようか?

 あとでビデオでも、借りてこようか。人と会う約束も、今日はないし……。暇だから、ときどき、
メールをのぞくが、このところ、メールをくれる人も、ぐんと少なくなった。師走(しわす)に入っ
て、みな、忙しくなったのだろう。しかし、もう正月とは!

 先ほどから、ワイフは、台所で、夕食の準備をしている。昼ご飯も食べていないのに……。
「今夜は、おでんよ」と、先ほど言った。昼飯は、どうするのだ!


●ハナと散歩

 昨日の夕方、ハナと、散歩して、中田島砂丘まで行ってきた。ちょうど夕日が海の向こうに沈
むときで、美しかった。写真を、何枚かとったので、またマガジンのほうに、載せてやろう。

 砂丘には、寒いせいか、釣り人もいなかった。その、まったく誰もいない砂浜を、ハナは、走り
回っていた。楽しそうだった。ハナというイヌは、あっという間に、一、二キロは、走る。そしてし
ばらくすると、もどってきて、私を確かめたあと、反対方向へ。これも、イヌの習性かもしれな
い。

 おかげで、今日は、風邪ぎみ……?

 あとで、また散歩に連れていくつもり。ハナは、すでに、私の様子を、窓の向こうで、うかがい
始めている。ハナにとっては、散歩が、唯一の生きがいらしい。その生きがいを奪うのも、かわ
いそうだ。


●P社のパソコン

 このところ、P社のパソコンが、やけに調子がよい。私は、このP社のパソコンのキーボード
が、大好き。パチパチと、指先で打っているだけで、気持よい。

 結局、P社のパソコンの調子が悪かったのは、ドライバーどうしが、喧嘩をしていたためらし
い。もともとUSBでつながっているCDドライブがあった。それに、外付けのCD−Rを取り付け
た。それで、調子が悪くなった?

 「一般保護エラー」というのは、そういうとき、起こるらしい。

 で、ホームページの仕事は、N社製のパソコンにさせることにした。つまりP社製のパソコン
は、現役引退。今は、こうしてワープロ専用機にしている。

 ワイフは、「古いのを売って、新しいのに買いかえたら」と言う。しかしパソコンというのは、し
ばらく使っていると、愛着がわいてくる。指先になじんでくる。

その感触が残っているので、そう簡単には、手放すことができない。それに売っても、二束三
文。だったら、自分の手元の置いておいたほうがよい。


●孤独な日本

 K国問題にからんで、日本人が、改めて、思い知らされたこと。それは、「日本には、友人が
いない」ということ。

 韓国やK国に反日感情は、しかたないとしても、中国にせよ、他の東南アジアの国々にせ
よ、「日本は友人」と思ってくれている国は、一つも、ない。これはどうしたことか? 仮に日本
が、K国の攻撃を受けたとしても、間に入ってくれそうな国は、悲しいかな、アメリカしか、ない。

 しかしアメリカとて、無条件で、それをしてくれるわけではない。そこまで、お人よしではない。
現に今、ブッシュ大統領の対立候補である、米国の民主党大統領選挙候のハワード・ディーン
氏(前バーモント州知事)は、「K国の間で、不可侵条約を結ぶ」とまで、言明している。

 もしアメリカが、K国と相互不可侵条約を結んだら、いったい、この日本は、どうなるのか? 
日本がK国に攻撃されても、アメリカは、それに対して、手も足も出せなくなる。なぜなら、日本
は、アメリカではないからである。まさに、日本は、アメリカにさえ、見捨てられることになる。

 数日前も、一人の子ども(小六男子)が、私にこう聞いた。「日米和親条約が結ばれたのは、
何年か、先生は知っているか?」と。そこで私が、「明治時代のことか? だいたい、そのあた
りのことだ」と答えると、「先生が、そんなこと知らないで、どうするの?」と、たたみかけてきた。

 だから改めて、私はこう言った。「あのな、そんなことを勉強するのが、社会の勉強ではない
のだよ。何の役にも、たたない。社会の勉強というのはね、なぜ、日本がこうまで、国際社会の
中で、嫌われているか。それを実感し、そのために、日本がどうしたらいいかを考えるのが、社
会の勉強なんだよ」と。

 今、ほとんどの日本の子どもたちは、自分たちは、アジア人とは、思っていない。こうした意識
を、なぜ日本の子どもたちがもっているか、そのあたりまでメスを入れないと、これからの日本
は、ない。
(以上、一二月一四日、日曜日の記録)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


子育て随筆byはやし浩司(423)

●心の実験(なまけ心)

【散歩の前】

子どもでも、勉強すべきときに、勉強しないときがある。こういうのを、「なまけ心」という。

 問題は、なぜ、なまけ心が起きるかということ。そこで、私は、自分の心で、実験をしてみるこ
とにした。

 今、時刻は、午後三時、少し前。外を見ると、風が、大きく、栗の木の葉を揺らしている。寒そ
うだ。

 一方、私は、今のコタツに入って、こうして原稿を書いている。ときどき、心地よい眠気が、頭
の中を襲う。「このまま眠ったら、さぞかし気持いいだろうな」と思う。

 この状態のとき、たとえば脳の一部が、「ハナと散歩に行け」と、命令したら、どうなるか。

 運動は、必要なことである。運動することによって、健康が保たれる。そこで意識としては、
「運動をしたほうがいい」ということになる。

 そこで私は、こう考えた。

 体全体を「会社」にたとえるなら、「頭」の部分が、経営者、つまり社長ということになる。そし
て「体」の各部分は、会社の中の、部や課ということになる。

 そこで、社長である、私の意識が、自分の体に、「ハナと散歩に行け」と命令したとする。それ
は会社の健康のためには、必要なことである。で、今、自分に命令してみる。

 「ハナと散歩に行って、適度な運動をしろ!」と。

 しかし、どういうことだろう。体が言うことをきかない。私は、相変わらず、コタツの前に、デン
と座ったままである。会社にたとえて言うなら、部下たちが、まったく動こうとしない状態というこ
とになる。

 体がだるい。それに眠い。そこで再度、自分の体に向って、命令をくだす。「散歩に行け!」
と。しかしそれでも、体は動かない。

 が、考えてみれば、これはおかしな現象だ。本来なら、意識と体は、別々のもの。意識が体を
コントロールしているはず。体は、意識の命令に従って、動くはず。しかし、今は、体のほうが、
意識をコントロールしている。「疲れているから、いやだ」「眠いから、いやだ」と。

 と、なると、体というのは、意識だけでは、コントロールできないということになるのか。

 そこで、これから私は、自分の体に、ムチを打って、散歩に行くことにした。だるいし、眠い
が、これは、私の意思とは、本来関係のない現象である。

 が、私は、改めて、自分の体に命令をした。「これから散歩に行け!」と。

(この間、約40分経過。私は、散歩にでかける……。そして帰ってくる。)

3時10分、ハナと散歩に出る。
3時50分、散歩から、もどる。

【散歩の途中と、あと】

 散歩にでかける瞬間、迷いが、心をふさぐ。「今日は、散歩をサボろうか」と。

 しかし庭に出て、ハナに首輪をつけたとたん、眠気が消えた。ついで、体のだるさも消えた。

 そして自転車の置いてある駐車場に行くころには、すっかり、散歩モード。自転車にまたがっ
たとたん、言いようのない、爽快(そうかい)感が身を包む。

 「どちらが、本当の私なのか?」と、ふと、思う。ほんの数分前までは、「散歩はいやだ」と思っ
ていた。しかし今は、「散歩に出て、よかった」と思っている。だいたいにおいて、あの眠気や、
だるさは、どこへ消えたのか。

 散歩に出かける前、私は、「今日は風邪ぎみだから、散歩はやめたほうがいい」と思っていた
はず。「無理をすると、風邪をこじらせるかもしれない」と思っていたはず。そのときの私がどこ
かへ消え、散歩している私は、「これでいい」と。

 私は、一度、西側の道路から、大平川のほうへおりたあと、それから川沿いに、道路を走っ
て、佐鳴湖に出た。秋の紅葉がみごとだった。そのとき、また別の意欲が生まれてきた。私は
そのつど、ハナを止め、自転車を止めると、カメラ付の携帯電話で、写真をとった。

 気持よかった。それに、佐鳴湖が、薄水色の快晴の空を受けて、美しく光っていた。その上
にあって、紅葉は、まさに黄金色に輝いていた。

 帰ってきたのが、午後三時五〇分ごろ。さっそく、今の実験を、こうして書きとめる。

【結論】

 なまけ心は、脳のどこかに潜む、幻覚のようなものではないか。人間の脳には、二つの作用
がある。一つは、行動しようとする作用。もう一つは、なまけようとする作用。それはちょうど、
交感神経と、副交感神経の働きに、似ている。

 その二つの作用が、いつも同時に働いて、そのつど、バランスを取りながら、人間の意識を
調整している。

 そして活動しようとする作用が、なまけようとする作用に負けたとき、人間は、本当に、なまけ
ものになる。そしてそのなまけようとする作用が、眠気や、だるさを、幻覚のようになって、意識
を包む、と。

 一方、活動しようという作用が、なまけようとする作用に勝ったとき、そこからやる気や、意欲
も生まれてくる。「写真をとって、ホームページに載せてやろう」というのが、その意欲である。

 さてさて、おかげで頭は、再び、すっきりした。ここに書いたのは、あくまでも現象面からみ
た、意識とやる気の関係である。正しくはないかもしれないが、人間の意識を知る、一つの手
がかりにはなる。あるいは、何かにつけて、やる気のない子どもを理解するための、一つの手
がかりにはなる。

 以上、今日の実験は、おしまい。
(031214)

【私の仮説】

 意識そのものも、同時に、二つの作用に、コントロールされているのでは、ないか。「やる気」
と、「サボる気」。

 やる気ばかりでは、人間は暴走してしまう。そこで「サボる気」が、それにブレーキをかける。
こうして人間の意識は、バランスよく、ほどよい状態に保たれる。

 しかし、やる気とサボる気のバランスが崩れ、やる気がサボる気に負けたとき、人間は、なま
け者になる。と、同時に、眠気やだるさが、幻覚として、体を包む。

 一方、反対に、やる気がサボる気に勝ったとき、前向きな意欲も、そこから生まれる。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


子育て随筆byはやし浩司(424)

●すなおでない子ども

 昔、印象に残っている女の子(年長児)に、こんな子どもがいた。私が幼稚園の庭へ出て、
「今日は、いい天気だね」と声をかけたときのこと。その女の子は、こう言った。「いい天気では
ない。あそこに雲がある!」と。

私「雲が、あっても、いい天気でしょ。気持いいじゃない」
女「あそこに、雲があるから、いい天気じゃ、ない!」
私「あのね、少しくらい、雲があってもいいの。あの青い空を見てごらん。いい天気じゃ、ない」
女「あそこに、雲があるから、いい天気じゃ、ない!」と。

 「すなおさ」というときには、二つの意味がある。心(情意)と、表情が一致していること。もう一
つは、心に、ゆがみがないこと。その女の子の心は、あきらかに、ゆがんでいた。

 が、それだけではない。この女の子の会話の特徴は、何かにつけて、マイナス志向であるこ
と。これはその女の子との会話ではないが、最近でも、こんな会話をしたことがある。

私「明日は、土曜日か? 休みだね。どこかへ行くの?」
子「明日は、雨だよ。天気予報では、雨だよ」
私「……」

私「おとなになったら、何をしたい?」
子「何もできないよ」
私「どうして?」
子「地球の温暖化が進んで、みんな、死んでしまうよ」
私「……」

私「この問題は、○○中学の入試問題で、出た問題だよ。やってみたら?」
子「できるわけないでしょ」
私「どうして?」
子「だって、私、△△小学校の入学試験で、落ちたのよ」
私「そんなの、昔のことじゃ、ない?」
子「三つ子の魂……、何とかって、言うでしょ!」
私「……」

 このタイプの子どもは、まず、相手の言ったことを、否定する。そしてその上で、(しない)(や
らない)(できない)の、カラを、自ら、かぶってしまう。だから当然、伸びない。

 こういうのを、世間では、ヒネクレ症状という。ものの考え方が、何かにつけて、ヒネクレる。こ
んな会話をしたこともある。

私、机の上にあった、カセット・レコーダーを足で、ひっかけて落とした女の子(小五)に向って、
「気をつけてよ!」と言ったときのこと、すかさず、その女の子は、こう言った。「先生が、こんな
ところに置いておくから、悪いのよ!」

私「でも、不注意で落としたのは、君なんだから、あやまるべきだ」
女「私は、悪くない。そこにコードがあるのを知らなかった」
私「でも、落としたのは、君なんだから、まず、あやまるべきだ」
女「どうして、あやまらなければいけないの? 私は悪いことをしてない」
私「不注意だっただろ?」

女「あやまればいいのね」
私「そう」
女「ゴ・メ・ン」
私「何だ、その言い方」
女「ちゃんと、あやまったじゃ、ない!」と。

 こういう会話が、繰りかえしつづく。

 原因は、乳幼児期の何らかの欲求不満が、姿を変えたとみる。悶々とした、満たされない気
持が、こうした「心」をつくると考えられる。心のどこかで、相手の言っていることを、拒絶してし
まう。そして「私は悪くない」という、前提で、相手に向って、反抗する。

 さらにその原因はと言えば、信頼関係の欠如にある。その子ども自身が、他人に対して、心
を開くことができない。開くことができないから、自分の「非」を指摘されたりすると、あたかも自
分が否定されているかのように、反発する。

 しかしいくら相手が子どもでも、こういう会話をしていると、かなり気の長い人でも、カチンとく
る。まさに(ああ言えば、こう言う)式の反発をする。ものごとを、何でも、悪いほうへ、悪いほう
へと解釈するため、説教しても、意味はない。言うべきことを言ったあと、あとは、忘れるのが
一番。

 そこで、あなたの子どもは、どうか? あなた自身は、どうか? ……それを、少しだけ、心の
中をみつめてみるとよい。あなたの子どもや、あなた自身は、すなおな人間だろうか。もしそう
であるなら、それでよし。しかしそうでないなら、あなたの子どもや、あなたの乳幼児期は、どう
であったかをさぐってみるとよい。新しい、何かをそこに、発見することと思う。
(031215)

【自己診断テスト】

 あなた(妻)が、不注意で、すでに腐ったジャムを、食卓に並べてしまった。それを子どもが見
つけて、「ママ、腐っている!」と言ったとする。そのとき、あなたは、何と答えるだろうか。

(1)「あらあら、ごめん。知らなかったわ。あなたが気がついてくれてよかったわ。ホント。腐っ
ているわね」と、すなおにあやまる。

(2)「あら、腐っている? ちゃんと冷蔵庫に入れておいたのよ。だれか、外に出したままにして
おいたんじゃ、ない?」と言って、ジャムを片づける。

 (1)のようであれば、あなたは、すなおな人ということになる。しかし(2)のようであれば、あな
たは、かなりヒネクレた根性の持ち主を考えてよい。一度、あなたの貧弱な(失礼!)、乳幼児
期の環境を疑ってみるとよい。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(425)

●「家庭教育の失敗」

「家庭教育の失敗」という言葉がある。私が使っているのではない。教育心理学の世界では、
広く使われている言葉である。

 たいていのばあい、子どもの心の問題は、その「家庭教育の失敗」が原因で、起こる。かなり
きつい言葉だが、そういう言い方でもしないかぎり、親は、自分の「失敗」を認めようとしない。
だから、この言葉がある。

 一つの例として、かんしゃく発作がある。

 よくデパートなどで、ギャーギャーと泣き叫んでいる子どもを見かける。それに対して、母親
が、ツンツンとした態度で、「あんたなんか、置いておくわよ」「勝手にしなさい」と、叫んでいる。

 まさにかんしゃく発作だが、子どもがそうなるのは、家庭教育の失敗が、原因と考える。一
見、子どもの問題に見えるが、決して、子どもの問題ではない。このかんしゃく発作にしても、
甘い生活規範、短絡的な親のものの考え方、感情的、気分的な育児姿勢が、その背景にあ
る。

 しかし、親には、その意識がない。「子どものわがまま」と決めつけ、さらにはげしい説教をし
たり、時には、子どもの声に負けないほどの大声で、子どもを叱ったりする。この悪循環が、子
どものかんしゃく発作を、ますますひどくする。

 しかしこの種の「失敗」は、子育てには、つきもの。またどんな親も、何も知らない状態で、子
育てを始める。だから失敗したからといって、恥じることはない。

 ただ、大切なことは、失敗は、失敗として、すなおに認めること。すべては、ここから始まる。
いろいろな例がある。

 親の過干渉と過関心で、萎縮してしまった子どもをさしがら、「どうして、ウチの子は、グズな
んでしょう?」は、ない。

 乳幼児期に、目いっぱい手をかけ、さんざんドラ息子にしておきながら、「どうして、ウチの子
は、わがままなんでしょう?」は、ない。

 無理な学習を、強制的に与えておきながら、「ウチの子は、勉強が嫌いと言います。どうすれ
ば好きになるでしょうか?」は、ない。

 神経質な家庭環境の中で、チックや吃音(ドモリ)の症状を見せる子どもについて、「チックを
なおすには、どうしたらいいでしょうか?」は、ない。

 下の子どもが、赤ちゃんがえりを起こしていることについて、「いくら叱っても、ネチネチ甘えま
す。どうしたらいいでしょうか?」は、ない。

 念のために申し添えるなら、「家庭教育の失敗」イコール、その子どもが、「失敗作」ということ
ではない。あくまでも、子どもは、「結果」。「家庭教育の失敗」というときは、あくまでも、親の問
題。つまり、子どもには、責任は、ない。またその範囲を超えることはない。子どもの責任では
ない、……という意味で、「家庭教育の失敗」という言葉を使う。どうか、誤解のないように!
(031215)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
 
子育て随筆byはやし浩司(426)

反動形成

 自分の心を偽るため、人は、時として、まったく正反対の人間を演ずることがある。泥棒が、
身近な人のまわりでは、まじめな人を演ずる、など。あるいは、女遊びばかりしている父親ほ
ど、自分の娘に対しては、男性関係にきびしい、というのも、ある。こうした心理的反応を、反
動形成という。

 子どもの世界でも、よく知られた例として、こんなことがある。本当は、弟(妹)が、憎くてしか
たないのだが、親の前では、たいへんよい兄(姉)を演ずるというのが、それ。このタイプの子
どもは、人には、「いいお兄ちゃん(お姉ちゃん)」という印象を与えることが多い。またそういう
印象を与えることによって、自分の立場を守ろうとする。

 その反動形成についてだが、私は、ときどき、私のワイフは、その反動形成をしているので
はないかと思うことがある。「本当は、私を心底、嫌っているのかもしれない。しかし別れるに別
れられないから、いい妻を演じているだけ」と。

 こういうケースは、決して、少なくない。もう少し深刻な例としては、ストックホルム症候群※と
いうのがある。威圧的かつ暴力的な夫をもつと、妻は、いつしかその夫に対して、献身的に尽く
すようになることがある。傍目(はため)には、たいへんよい妻になる。また妻自身も、夫を愛し
ている(?)と思いこむようになる。

 あのストックホルム事件のときも、そのあと人質となった女性は、犯人の男と結婚までしてい
る!

 で、ある午後、私は、ワイフにこう聞いた。

私「お前は、本当は、ぼくのことを恨んでいるのかもしれない。嫌いなのかもしれない。しかしそ
ういう感情を表に出すと、自分自身が不幸になるから、それを心の中で押し殺しているだけか
もしれない」
ワ「……」
私「お前は、自分の本心が、どこにあるか、考えたことがあるだろうか。今の今でも、本当は、
この生活、とくに、このぼくから、逃げたいと思っているのかもしれない。ちがうか?」と。

 しかしこうした反動形成は、日常生活の中では、よく見られる。頭から、それが悪いことと決
めてかかってはいけない。その反動形成があるからこそ、生活が、スムーズに流れるというこ
とも、ある。

 夫婦のばあいもそうで、相思相愛のまま、何一〇年も、いっしょに暮らすことができると考え
るほうが、おかしい。おかしいというより、無理。その間には、幾多の山があり、谷もある。とき
には、喧嘩もするし、その結果、離婚だって考える。

 そういうのを乗り越えて、夫婦は、夫婦。かろうじて夫婦。

 だからその間に、つまりそういう生活の中で、いつしか自分の心を偽り、その反動形成とし
て、別の自分を演じたからといって、それが悪いこととは、言えないのでは。どうにもならなけれ
ば、それを受け入れるしかない!
 
 では、私はどうか?

 本当の私は、もっと別の「私」かもしれない。こうして教育論を書いている私も、家の中で、よ
き夫である私も、また生徒たちの前では、よき教師である私も、いわばニセの私? そういう私
は、本当は、本当の私ではないのかもしれない。

 本当の私は、もっと動物的で、醜く、汚い? そういう私が、心のどこかで聖職者意識をもち、
そして聖職者のようなフリをしている。だれかが、「セックス」の話をすれば、露骨に、そういう話
題を嫌ってみせる……。これは、まさしく、反動形成以外の、何ものでもない。

 たとえて言うなら、私は、心の中の野獣を、懸命にオリの中に閉じこめながら、かろうじて聖
職者ぶっているだけかもしれない。そう、今の今でも、私の心の奥底では、無数の野獣たち
が、ガオーガオーと、声をあげている。ほえている!

 だから私は、反動形成を否定することが、できない。言うなれば、どの人も、反動形成のかた
まり? 無数の反動形成を積み重ねながら、「自分」というものを、つくりあげている。

 本当の私は、家族など、すべて捨てて、ひとりで、放浪の旅に出たいのかもしれない。好き勝
手なことをし、好き勝手な場所で寝て、好き勝手なものを食べる。実際、街角で、ホームレスの
人たちを見ると、何とも言えない親近感さえ覚える。

 だから、反動形成として、ワイフが、私のことを愛しているフリをしているとしても、私は、それ
はそれでよいのではと思っている。一方、反動形成として、私が、家族の前で、家族を愛してい
るフリをしているとしても、それはそれでよいのではと思っている。みんな、そのフリをしながら、
今の社会をまとめあげている。つまり、人間というのは、もともと、そういうもの。

 考えてみれば、人間の歴史が始まって、まだ、五五〇〇年足らず。それ以前は、私たち人間
も、野や山の動物たちと、それほど違った生活をしていたわけではない。もし人間の原点がそ
こにあるとするなら、まさに、現代の人間は、反動形成の上に成りたっている、架空の動物とい
うことになる。

 さあて、今日も私は、聖職者面(づら)して、仕事に出かける。そしてさもわかりきったような顔
をして、子どもたちの前に立つ。どこかで、そういう自分に疑問を感じながら……。
(031215)

※ストックホルム症候群……スウェーデンの首都、ストックホルムで起きた銀行襲撃事件に由
来する(一九七三年)。その事件で、六日間、犯人が銀行にたてこもるうち、人質となった人た
ちが、その犯人に協力的になった現象を、「ストックホルム症候群」と呼ぶ。のちにその人質と
なった女性は、犯人と結婚までしたという。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


子育て随筆byはやし浩司(427)

クソ論

 クソについての思い出は、無数にある。最初に、思い出すのは、あの日のこと。

 大学三年のとき、私には、好意をもった女性がいた。名前を、Mさんと言った。文学部の学生
で、静かな人だった。それはそれとして、こんなことがあった。

 ある日、男子用トイレの、大便ボックスに入っていると、前のボックスに、一人の女性が入っ
てきた。男子用トイレの、大便ボックスは、一つだけが女子用トイレに食いこむような形で配置
されていた。

 先にいた私が音をたてるのも失礼だと思って、私は静かに、前のボックスに入った女性が、
用をすますのを、待った。

 しばらくすると、その女性は、私がうしろのボックスにいるのも知らず、はげしい音とともに、そ
れをした。ブリブリ、バーッと。境界は、壁になっていたが、下のほうは、床から、数センチ、あ
いていた。そこから、ドッと、臭気が、なだれこんできた。

 臭いのなんのといったら、なかった。「世の中に、これほどまでに臭いものがあるか」と思うほ
ど、臭かった。

 私はその女性がそれをすましてボックスを出ると、自分もすまし、外へ飛び出た。あんな臭い
クソをする女性は、いったい、どんな女性か、それを自分で、たしかめたかった。で、あわてて
廊下へ出たところで、その女性のうしろ姿を見ることができた。

 が、何と、あろうことか、それは、あのMさんだった。とたん、百年の恋は、あとかたもなく、き
れいに吹き飛んだ。

 この話をある高校生にすると、その高校生は、こう言った。当時、ブルック・シールズという女
優が、大人気だった。そのブルック・シールズについて、こう言った。

「先生、本当に、好きになったら、クソだって、好きになるよ。ぼくは、ブルック・シールズのクソ
だったら、みんなの前で食べてやる」と。

 そこで私は言ってやった。「あのな、お前。白人のクソは、臭くて食べられないよ」と。

高「どうして?」
私「だって、あの人たちは、肉食だろ。日本人のとは、ニオイがちがうよ」と。

 実際、肉食を中心にしている白人のクソは、臭い。私は留学時代、いやというほど、それを経
験している。

 しかしこのクソには、さまざまな重大な意味が、ある。

 よく私トワイフは、フトンの中で、喧嘩をする。「お前だろ!」「私じゃないわ、あんたでしょ!」
「バカ言え。オレのは、こんな臭くないわ!」「臭いわよ!」と。

 考えてみれば、二人は、ほとんど毎日、同じものを食べているから、そのニオイも、同じ。しか
しそれが自分のモノとわかったときは、香ばしい、よいニオイになる。しかしワイフのモノとわか
ったとたん、臭い。

 夫婦ですら、そうなのだから、他人をや。

 先日も、新幹線に乗ったら、明らかに前の座席の若い女性が、ソレをした。あたりには、ほと
んど乗客がいなかった。それにそのニオイは、濃厚だった。

 私は席をかわった。かわるとき、その女性の顔を見た。きれいな人だったが、眠ったフリをし
ていた。私はその女性を見ながら、「どうしてだろう?」と考えた。まったく「女」を感じなかった。
つまり、どうやら、クソのニオイには、性欲を打ち消す力があるようだ。

 もっとも、世の中には、異常性欲というのがあって、そういうモノに、性的興奮を覚える人もい
るというから、頭から、そう断定することはできない。しかし私のばあいは、ダメ。ダメというの
は、性欲そのものが、完全に消失する。

 で、考えてみると、こうした私の、クソに対する独特の印象は、子ども時代にできたものでは
ないかと思う。私の子ども時代には、いわゆるボットン便所というのが、ふつうで、その分、ソレ
には、いつも悪いイメージがつきまとった。

 詳しくは、女性の読者も多いので書けないが、私には、クソというのは、そういうモノだった。
いろいろなエピソードがあるが、この話は、ここまで。書いているだけで、何となく、イヤな気分
になってきた。

 しかしこれだけは言える。

 愛情の深さ(?)は、そのクソによって決まるのではということ。私の知人のT氏(七〇歳)は、
P病という難病におかされ、寝たきりの妻のめんどうをみている。もちろん、ソレのめんどうも、
である。こうしたことが平気でできるということは、それだけ、その妻を愛しているからではない
か。

 私も、息子たちのクソのめんどうは、みた。あまり好きな仕事ではなかったが、まあ、何とか、
できた。しかしワイフのとなると、どうか? 今のところ、あまり自信は、ない。そういう意味で、
クソ論をつきつめていくと、「愛情論」まで進むことができる。

 この話のつづきは、また別の機会に。臭い話は、あまり楽しくないし……。
(031216)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(428)

【近況】

●風邪気味?

 このところ、毎日、強い風が吹いている。「遠州の空っ風」と呼ばれている、風である。日本海
から息吹山を越えて、こちらに吹いてくる。冷たくて、そのため、寒い。

 昨夜も、その風の中を、四〇分ほど、自転車で走った。がんばった。そのせいか、今朝は、
太ももが、どこか痛い。はっきりしない鈍痛だが、不快ではない。何というか、体が軽くなったよ
うに感ずる。

 どこか風邪っぽいのは、先日受けた、インフルエンザの予防注射のせいかもしれない。100
0人のうち、7〜8人は、発熱することもあるそうだ。ああいった予防注射は、体の調子があま
りよくないときは、受けないほうがよいということか。


●腸内洗浄

 先ほど、「クソ論」を書いた。マガジンへの掲載は、どうしようかと、迷っている。マガジンのイ
メージを、悪くする。読者を、不快にする。せっかく読んでくれる人に、申しわけない。

 しかしおもしろいと思うのは、アメリカなんかへ行くと、浣腸専門の、病院というより、健康セン
ターのようなところがあるということ。何でも、お尻から、巨大な注射器のようなもので、何かの
液体を肛門から注入して、腸の中を洗浄するのだそうだ。

 やってもらった人の話を聞くと、何でも、そのあと、とてもスッキリするそうだ。体重が、一、二
キロ、減ることもあるという。それくらいの量の、腸の中のモノが出てくるということらしい。(ギョ
ッ!)

 考えてみれば、家庭でも、応用できるかもしれない。巨大な注射器は、そういった店に行けば
売っているし、「液体」にしても、食塩を温水に溶かして作ればよい。……と、思って、インター
ネットで検索してみると、あるは……、あるは……!

 腸内洗浄を専門にしている美容外科や医院は、すでに全国に無数にある。さらに家庭で腸
内洗浄ができる器具を、売っている会社もある。知らなかったのは、私だけ……?

 方法としては、ペットボトルに、温水を一〜二リットル入れ、それを腸の高さから、一・三メート
ル前後のところから、落差を利用して、五〜一〇分前後の時間をかけながら、ゆっくりと、腸内
に注入すればよいのだそうだ(某腸内洗浄器具販売会社のHP)。

 端末にとりつける器具などは、イチジク浣腸を少し加工すれば、それでよい。あとはそれとペ
ットボトルを、パイプでつなぐだけ。ハハハ!

(しかし、この方法をまねして、体に害がおよんでも、私は、いっさい、責任をとりませんので、
ご注意。興味のある方は、専門のHPを、見てください。グーグルなどで、「腸内洗浄」を、検索
すれば、無数のページをヒットします。)


●イメージの混濁

 人間の心は、一見、複雑だが、しかし単純。一見、単純だが、しかし複雑。

 たとえば昔、「F」という名前の男に、たいへん悪いイメージをもったとする。当時は、「F」とい
う名前を聞いただけで、ぞっとしたとする。

 で、今、その「F」という名前の、別の男に会ったりすると、どうも気分がよくない。心のどこか
で、私を、別の心が操るようだ。

 同じように、生徒を教えていて、あるタイプの子どもに、昔、たいへん悪いイメージをもったと
する。具体的には書けないが、そういうことがあったとする。

 で、今、そのタイプの生徒に出会ったりすると、そのときの悪いイメージが、そのまま、心の中
に、もどってきてしまう。「この生徒は別人なんだ」と、自分に言って聞かせねばならないほど。

 もちろん、その反対のこともある。

 私のばあい、多くの母親と、毎日のように接している。そういう母親の中でも、昔の恋人と同じ
名前の人がいたりすると、おかしな親近感を覚えてしまう。名前を覚えるのは、このところ、と
みに苦手になってきたが、そういう人の名前は、一度で、覚えてしまう。

 こういう心理的反応を、何というのか。ごくありふれた現象だから、何かの専門用語があるは
ず。たとえば「転移」という言葉があるが、心理学では、少しちがった意味で、使うようだ。

 まあ、あえて言うなら、「イメージの混濁」? 頭の中で、いろいろなイメージが、混濁してしま
う。つまり頭の中で、自分の意識が、うまく整理できなくなる。しかしこれは、ボケの始まりか?
 だとするなら、たいへんなことだ。

 しかし考えてみれば、こうしたイメージの混濁は、若いころから、あったような気がする。むし
ろ、若いころのほうが、強かったのでは……? 

明日の午後、その道に詳しい友人に会うので、そのことを聞いてみよう。


●何もしない知人

 ワイフの友人のダンナの話。

 そのダンナは、昨年、定年退職したそうだ。が、以来、一年以上、何をするでもなし、何もしな
いでもなし。ただひたすら、家の中で、ゴロゴロしているだけという。

 ワイフの友人は、「夫が、退職したら、二人で、あちこちドライブしたり、旅行したりしよう」と考
えていたそうだ。が、ダンナは、それもしない。だからワイフに、こう訴えたという。

 「毎日、夫といると、うっとおしくて、ならない」と。

 しかしこれは、そのダンナと同じ立場にいる、私にとっては、深刻な問題だ。そこで恐る恐る、
ワイフに、こう聞いてみた。

私「どうすれば、いいんだ?」
ワ「退職しても、夫は、何か、目標をもつべきよ」
私「そうだな」と。

 その点、女性というのは、たくましい。生活力もあるが、家庭の周辺で、友人をつくるのも、う
まい。専業主婦なら、だれでも、二つや三つのクラブに入っている。夫の仕事とは関係なく、自
分の世界をもっている。

私「しかし、男というのは、仕事をやめると、何も、残らないし……」
ワ「そこが、問題なのよ。そのダンナさんも、仕事一筋の人だったみたいよ」
私「ナルホド」と。

 男も、仕事だけ……という生き方では、ダメということ。仕事を離れて、よき家庭人として、何
か、生きる目標を作らなければ、ダメということ。でないと、やがては、粗大ゴミとして、家族に
も、うとんじられるということ。ゾーッ!


●思い出づくり

 もうすぐ中学三年生のR君が、私の教室をやめる。彼が、幼稚園児のときから、私が教えて
きた子どもだ。

 で、数日前、こんな会話をした。

私「な、あそこに、工事中のビルが見えるだろ」
R「うん」
私「あの横に、巨大なクレーンが見えるだろ」
R「うん」
私「夜中に、あそこに、登ってみないか?」
R「登るって……? 危ないよ」

私「いいか、君との間には、これといって、大きな思い出がない。だから、二人で、思い出を作
るんだ」
R「だめだよ、先生。そんなことしたら、警察につかまるよ」
私「そんなこと、覚悟の上だ。ぼくが、責任を取るよ」
R「だめだよ。進学できなくなってしまうよ」
私「……」

 私には、その覚悟ができていた。しかしR君には、その覚悟がない。つまり、R君は、そこま
で、私との関係を求めていない。考えてみれば、当然のことだ。

 人生には、いろいろなことがあるが、平凡からは、何も生まれない。何も、残らない。このとこ
ろ、その平凡さに、飽き飽きし始めている。「警察につかまる」? それがどうだというのか?

 しかしあのとき、R君が、すかさず、「登ってみたい!」と返事をしたら、私は、何と答えただろ
うか。かえって私のほうが、しりごみしてしまったかもしれない。何と言っても、私は、高所恐怖
症なのだ! ハシゴだって、一〇段以上になると、ガクガクと震えだす。

 R君との会話は、それで終わった。終わって、いつもの、退屈な勉強に、もどった。
(031217)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(429)

メリークリスマス

 おかしなことだが、本当に、おかしなことだが、こうしてクリスマスを祝うようになって、五〇年
以上になる。しかしいまだに、私は、クリスチャンではない。ふつうなら、とっくの昔に、クリスマ
スを祝うのをやめているか、反対に、クリスチャンになっていても、よさそうなものだ。

 何とも中途半端なまま、この五〇年以上が過ぎた。考えてみれば、本当に、おかしなことだ。

+++++++++++++++++++++++++++++
 以前、そのクリスマスについて書いた原稿を、転載します。
 少し難解なので、どうか?と思いますが、よろしく。
+++++++++++++++++++++++++++++

●仏壇でサンタクロースに……? 

 小学一年生のときのことだった。私はクリスマスのプレゼントに、赤いブルドーザーのおもち
ゃが、ほしくてほしくてたまらなかった。母に聞くと、「サンタクロースに頼め」と。

そこで私は、仏壇の前で手をあわせて祈った。仏壇の前で、サンタクロースに祈るというのもお
かしな話だが、私にはそれしか思いつかなかった。

 かく言う私だが、無心論者と言う割には、結構、信仰深いところもあった。年始の初詣は欠か
したことはないし、仏事もそれなりに大切にしてきた。が、それが一転するできごとがあった。

ある英語塾で講師をしていたときのこと。高校生の前で『サダコ(禎子)』(広島平和公園の中に
ある、「原爆の子の像」のモデルとなった少女)という本を、読んで訳していたときのことだ。私
は一行読むごとに涙があふれ、まともにその本を読むことができなかった。

そのとき以来、私は神や仏に願い事をするのをやめた。「私より何万倍も、神や仏の力を必要
としている人がいる。私より何万倍も真剣に、神や仏に祈った人がいる」と。いや、何かの願い
事をしようと思っても、そういう人たちに申し訳なくて、できなくなってしまった。

●身勝手な祈り

 「奇跡」という言葉がある。しかし奇跡などそう起こるはずもないし、いわんや私のような人間
に起こることなどありえない。「願いごと」にしてもそうだ。

「クジが当たりますように」とか、「商売が繁盛しますように」とか。そんなふうに祈る人は多い
が、しかしそんなことにいちいち手を貸す神や仏など、いるはずがない。いたとしたらインチキ
だ。

一方、今、小学生たちの間で、占いやおまじないが流行している。携帯電話の運勢占いコーナ
ーには、一日一〇〇万件近いアクセスがあるという(テレビ報道)。どうせその程度の人が、で
まかせで作っているコーナーなのだろうが、それにしても一日一〇〇万件とは!

あの『ドラえもん』の中には、「どこでも電話」というのが登場する。今からたった二五年前に
は、「ありえない電話」だったのが、今では幼児だって持っている。奇跡といえば、よっぽどこち
らのほうが奇跡だ。その奇跡のような携帯電話を使って、「運勢占い」とは……?

人間の理性というのは、文明が発達すればするほど、退化するものなのか。話はそれたが、こ
んな子ども(小五男児)がいた。窓の外をじっと見つめていたので、「何をしているのだ」と聞く
と、こう言った。「先生、ぼくは超能力がほしい。超能力があれば、あのビルを吹っ飛ばすこと
ができる!」と。

●難解な仏教論も教育者の目で見ると

 ところで難解な仏教論も、教育にあてはめて考えてみると、突然わかりやすくなることがあ
る。たとえば親鸞の『回向論』。『(善人は浄土へ行ける。)いわんや悪人をや』という、あの回
向論である。

これを仏教的に解釈すると、「念仏を唱えるにしても、信心をするにしても、それは仏の命令に
よってしているにすぎない。だから信心しているものには、真実はなく、悪や虚偽に包まれては
いても、仏から真実を与えられているから、浄土へ行ける……」(大日本百科事典・石田瑞麿
氏)となる。

しかしこれでは意味がわからない。こうした解釈を読んでいると、何がなんだかさっぱりわから
なくなる。宗教哲学者の悪いクセだ。読んだ人を、言葉の煙で包んでしまう。

要するに親鸞が言わんとしていることは、「善人が浄土へ行けるのは当たり前のことではない
か。悪人が念仏を唱えるから、そこに信仰の意味がある。つまりそういう人ほど、浄土へ行け
る」と。しかしそれでもまだよくわからない。

 そこでこう考えたらどうだろうか。「頭のよい子どもが、テストでよい点をとるのは当たり前のこ
とではないか。頭のよくない子どもが、よい点をとるところに意味がある。つまりそういう子ども
こそ、ほめられるべきだ」と。もう少し別のたとえで言えば、こうなる。

「問題のない子どもを教育するのは、簡単なことだ。そういうのは教育とは言わない。問題のあ
る子どもを教育するから、そこに教育の意味がある。またそれを教育という」と。私にはこんな
経験がある。

●バカげた地獄論

 ずいぶんと昔のことだが、私はある宗教教団を批判する記事を、ある雑誌に書いた。その教
団の指導書に、こんなことが書いてあったからだ。いわく、「この宗教を否定する者は、無間地
獄に落ちる。他宗教を信じている者ほど、身体障害者が多いのは、そのためだ」(N宗機関誌)
と。

こんな文章を、身体に障害のある人が読んだら、どう思うだろうか。あるいはその教団には、
身体に障害のある人はいないとでもいうのだろうか。

が、その直後からあやしげな人たちが私の近辺に出没し、私の悪口を言いふらすようになっ
た。「今に、あの家族は、地獄へ落ちる」と。こういうものの考え方は、明らかにまちがってい
る。他人が地獄へ落ちそうだったら、その人が地獄へ落ちないように祈ってやることこそ、彼ら
が言うところの慈悲ではないのか。

私だっていつも、批判されている。子どもたちにさえ、批判されている。中には「バカヤロー」と
悪態をついて教室を出ていく子どももいる。しかしそういうときでも、私は「この子は苦労するだ
ろうな」とは思っても、「苦労すればいい」とは思わない。神や仏ではない私だって、それくらい
のことは考える。いわんや神や仏をや。

批判されたくらいで、いちいちその批判した人を地獄へ落とすようなら、それはもう神や仏では
ない。悪魔だ。だいたいにおいて、地獄とは何か? 子育てで失敗したり、問題のある子どもを
もつということが地獄なのか。しかしそれは地獄でも何でもない。教育者の目を通して見ると、
そんなことまでわかる。

●キリストも釈迦も教育者?

 そこで私は、ときどきこう思う。キリストにせよ釈迦にせよ、もともとは教師ではなかったか、
と。ここに書いたように、教師の立場で、聖書を読んだり、経典を読んだりすると、意外とよく理
解できる。

さらに一歩進んで、神や仏の気持ちが理解できることがある。たとえば「先生、先生……」と、
すり寄ってくる子どもがいる。しかしそういうとき私は、「自分でしなさい」と突き放す。「何とかい
い成績をとらせてください」と言ってきたときもそうだ。いちいち子どもの願いごとをかなえてや
っていたら、その子どもはドラ息子になるだけ。自分で努力することをやめてしまう。そうなれば
なったで、かえってその子どものためにならない。

人間全体についても同じ。

スーパーパワーで病気を治したり、国を治めたりしたら、人間は自ら努力することをやめてしま
う。医学も政治学もそこでストップしてしまう。それはまずい。しかしそう考えるのは、まさに神や
仏の心境と言ってもよい。

 そうそうあのクリスマス。朝起きてみると、そこにあったのは、赤いブルドーザーではなく、赤
い自動車だった。私は子どもながらに、「神様もいいかげんだな」と思ったのを、今でもはっきり
と覚えている。
(031217)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


子育て随筆byはやし浩司(430)

掲示板より

【子どものやる気】

●年少の女児です。園に行くようになり、今までやっていた、(楽しんでというつもりで、無理強
いはしてませんが)、プリントや知育遊びなどがなかなかできません。

今はお友達と毎日でも遊びたいようで、それを優先していますが、(りかちゃんごっこやお絵か
きが好きです)、カルタを教えてあげようかなとか色々考えるのですが、とにかくお友だちと遊び
たいようです。

お友達を交えて、カルタや色んなことすればいいだけのことなのでしょうが、今やりたいこと(お
友達と遊ぶ)をしていていいのでしょうか?(Sさんより)

【動機づけを大切に!】

 子どものやる気は、薄いガラスの箱に入った、ガソリンのようなもの。量も少ないが、しかし無
理をすれば、そのガラス箱は、割れてしまう。

 たいていの親は、「やればできるはず」と、無理をする。しかしやり方をまちがえると、やる気
を引き出す前に、その箱を割ってしまう。が、一度割れた箱は、もとには、もどらない。今、こう
して失敗していく親が、多い。あまりにも、多い。

 言いかえると、この時期は、いかにやらせるかではなく、いかにやる気をつぶさないかに注意
する。一方、そのやる気を伸ばすのは、たいへん。本当にたいへん。どうたいへんかは、実
は、私自身が、一番、よく知っている。

 たとえば年中児(五歳児)を、教えたとする。しかしたいていの年中児は、この時期、ほとん
ど、反応がない。ないまま、数か月が過ぎる。教えても、教えても、ボーッとしたような様子を示
す。

 しかしこれを、私は「情報の蓄積期」と、呼んでいる。この時期、子どもは、頭の中で、情報を
懸命に蓄積しようとする。そしてそれが臨界点を超えたとき、一気に、頭の中で、火がつく。もと
もとやる気は、ガソリンのようなものだから、火がつくと、あとは爆発的に、伸び始める。

 これについて、書いた原稿が、つぎの原稿である。

++++++++++++++++++++

●幼児の伸びは、階段的

 幼児は成長するにつれて、さまざまな変化を見せる。それは当然だが、しかしその伸び方を
観察してみると、一次曲線的に、なだらかに伸びるのではないのがわかる。ちょうど階段をの
ぼるように、トントンと伸びる。

 たとえば年中児(満四歳児)をしばらく教えてみる(蓄積期)。しかしすぐには、変化は起きな
い。中にはまったく反応を示さない子どももいる。

が、そういう時期(熟成期)が、しばらくつづくと、ある日を境に、突然、別人のように変化し始め
る(爆発期)。同じようなことはたとえば、言葉の発達にも、見られる。生まれてから一歳半くら
いまで、子どもはほとんど言葉を話さない。しかしある日を境にして、急に言葉を話すようにな
り、一度話すようになると、言葉の数が、そのあと、まさに爆発的にふえ始める。

 これをチャート化すると、つぎのようになる。

 (蓄積期)→(熟成期)→(爆発期)

 教える内容にもよるが、たとえば文字にしても、満四・五歳(四歳六か月)までは、教えても教
えても、教えたことがどこかへそのまま消えてしまうかのような錯覚にとらわれることがある。し
かし満四・五歳を境に、急速に文字に関心を示すようになり、そのまま、たいていの子どもは、
とくに教えなくても、ある程度の文字が読み書きできるようになる。
 
 こうした特性を知っていれば問題はないが、知らないと、親はどうしても、無理をする。その無
理が、かえって子どもの伸びる芽をつんでしまうことがある。

文字にしても、満四・五歳にひとつのターゲットをおき、それまでは、「文字はおもしろい」「文字
は楽しい」ということだけを教えていく。具体的には、子どもをひざに抱いてあげ、温かい息をふ
きかけながら本を読んであげるとよい。こうした積み重ねがあってはじめて、子どもは、文字に
対して前向きな姿勢をもつようになる。

 私も、幼児を教えるようになったころ、こうした特性を知らず、苦労をした。何とか効果を出そ
うと、あせって無理をしたこともある。しかしやがて、そうではないことを知った。(蓄積期)や(熟
成期)には、無理をせず、教えるべきことは教え、言うべきことは言いながらも、あとはその時
がくるのを待つ。それがわかってからは、教える側の私も気が楽になったし、子どもたちの表
情も、みちがえるほど、明るくなった。

 このことは家庭教育についても言える。子どもに何かを教えようとするときも、教えるべきこと
は教え、言うべきことは言いながらも、あとはその時がくるのを待つ。決して、あせってはいけ
ない。決して無理をしてはいけない。その時がくるのを、辛抱づよく待つ。これは子どもの学習
指導の、大鉄則と考えてよい。

+++++++++++++++++++

 このSさんの子どもは、まだ四歳ということになる。ガラスの箱にしても、さらに薄い。この時
期、たとえば勉強嫌いにしてしまうと、それから立ちなおらせるためには、その数倍、あるいは
数十倍の努力が、必要となる。

 たとえば年中児でも、「名前を書いてみよう」と話しかけただけで、体をこわばらせる子どもと
なると、約二〇%はいる。中には、泣き出してしまう子どもさえいる。

 無理な学習が、子どもに文字に対する恐怖心を、植えつけたと考える。

 しかしこの時期に一度、こうなると、(文字嫌い)→(本嫌い)へと進み、あとは、何をしても、効
果がないということになってしまう。つまり、親のできることには、いつも限界があるということ。
その限界について書いたのが、つぎの原稿である。

+++++++++++++++++++

●馬に、水を飲ますことはできない

 イギリスの格言に、『馬を水場へ連れて行くことはできても、水を飲ますことはできない』という
のがある。

要するに最終的に子どもが勉強するかしないかは、子どもの問題であって、親の問題ではない
ということ。いわんや教師の問題でもない。大脳生理学の分野でも、つぎのように説明されてい
る。

 大脳半球の中心部に、間脳や脳梁(のうりょう)という部分がある。それらを包み込んでいる
のが、大脳辺縁系といわれるところだが、ただの「包み」ではない。認知記憶をつかさどる海馬
もこの中にあるが、ほかに価値判断をする扁桃体、さらに動機づけを決める帯状回という組織
があるという(伊藤正男氏)。

つまり「やる気」のあるなしも、大脳生理学の分野では、大脳の活動のひとつとして説明されて
いる。(もともと辺縁系は、脳の中でも古い部分であり、従来は生命維持と種族維持などを維
持するための機関と考えられていた。)

 思考をつかさどるのは、大脳皮質の連合野。しかも高度な知的な思考は新皮質(大脳新皮
質の新新皮質)の中のみで行われるというのが、一般的な考え方だが、それは「必ずしも的確
ではない」(新井康允氏)ということになる。

脳というのは、あらゆる部分がそれぞれに仕事を分担しながら、有機的に機能している。いくら
大脳皮質の連合野がすぐれていても、やる気が起こらなかったら、その機能は十分な結果は
得られない。つまり『水を飲む気のない馬に、水を飲ませることはできない』のである。

 新井氏の説にもう少し耳を傾けてみよう。「考えるにしても、一生懸命で、乗り気で考えるばあ
いと、いやいや考えるばあいとでは、自ずと結果が違うでしょうし、結果がよければさらに乗り
気になるというように、動機づけが大切であり、これを行っているのが帯状回なのです」(日本
実業出版社「脳のしくみ」※)と。

 親はよく「うちの子はやればできるはず」と言う。それはそうだが、伊藤氏らの説によれば、し
かしそのやる気も、能力のうちということになる。能力を引き出すということは、そういう意味
で、やる気の問題ということにもなる。やる気があれば、「できる」。やる気がなければ、「できな
い」。それだけのことかもしれない。

++++++++++++++++++++

 で、話を先に進める前に、親がもつ、いくつかの誤解について、話しておきたい。

 この時期多い誤解は、「やればできるはず」という誤解。そして、「勉強をいやがるのは、忍耐
力がないため」と考える。しかし誤解は、誤解。

 その誤解にあわせて、四つの誤解について、まとめてみた。

+++++++++++++++++++++

●誤解

 家庭教育にはたくさんの誤解がある。その中でもとくに目立つ誤解が、つぎの五つ。この誤
解を知るだけでも、あなたの子育ては大きく変わるはず。

@忍耐力……よく「うちの子はサッカーだと一日中している。ああいう力を勉強に向けさせた
い」という親がいる。しかしこういう力は忍耐力とは言わない。好きなことをしているだけ。

子どもにとって忍耐力というのは、「いやなことをする力」をいう。たとえば台所の生ゴミを手で
始末するとか、風呂場の排水口にたまった毛玉を始末するとか、そういうことができる子どもを
忍耐力のある子どもという。

Aやさしさ……大切にしているクレヨンを、だれかに横取りされたとする。そういうときニッコリと
笑いながら、そのクレヨンを譲りわたすような子どもを、「やさしい子ども」と考えている人がい
る。しかしこれも誤解。このタイプの子どもは、それだけ」ストレスをためやすく、いろいろな問
題を起こす。

子どもにとって「やさしさ」とは、いかに相手の立場になって、相手の気持ちを考えられるかで決
まる。もっと言えば、相手が喜ぶように自ら行動する子どもを、やさしい子どもという。そのやさ
しい子どもにするには、買い物に行っても、いつも、「これがあるとパパが喜ぶわね」「これを買
ってあげるから、妹の○○に半分分けてあげてね」と、日常的にいつもだれかを喜ばすように
しむけるとよい。

Bまじめさ……従順で、言われたことをキチンとするのを、「まじめ」というのではない。まじめと
いうのは、自己規範のこと。こんな子ども(小三女子)がいた。バス停でたまたま会ったので、
「缶ジュースを買ってあげようか」と声をかけると、こう言った。「これから家で夕食を食べます
から、いらない。缶ジュースを飲んだら、ごはんが食べられなくなります」と。こういう子どもを「ま
じめな子ども」という。

Cすなおさ……やはり言われたことに従順に従うことを、「すなおな子ども」と考えている人は
多い。しかし教育の世界で「すなおな子ども」というときは、つぎの二つをいう。一つは、心の状
態(情意)と、顔の表情が一致している子どもをいう。怒っているときには、怒った顔をする。悲
しいときには悲しい顔をする、など。情意と表情が一致しないことを、「遊離」という。

不愉快に思っているはずなのに、笑うなど。教える側からすると、「何を考えているかわからな
い」といった感じの子どもになる。こうした遊離は、子どもにとっては、たいへん望ましくない状
態と考えてよい。たとえば自閉傾向のある子ども(自閉症ではない)がいる。このタイプの子ど
もの心は、柔和な表情をしたまま、まったく別のことを考えていたりする。

 もう一つ、「すなおな子ども」というときは、心のゆがみがない子どもをいう。何らかの原因で
子どもの心がゆがむと、子どもは、ひがみやすくなったり、いじけたり、つっぱたり、ひねくれた
りする。そういう「ゆがみ」がない子どもを、すなおな子どもという。

Dがまん……子どもにがまんさせることは大切なことだが、心の問題とからむときは、がまん
はかえって逆効果になるから注意する。たとえば暗闇恐怖症の子ども(三歳児)がいた。子ど
もは夜になると、「こわい」と言ってなかなか寝つかなかったが、父親はそれを「わがまま」と決
めつけて、いつも無理にふとんの中に押し込んでいた。

がまんさせるということは、結局は子どもの言いなりにならないこと。そのためにも 親側に、一
本スジのとおったポリシーがあることをいう。そういう意味で、子どものがまんの問題は、決して
子どもだけの問題ではない。

++++++++++++++++++++++

 もともと勉強には、ある種の苦痛がともなう。その苦痛を乗り越える力が、忍耐力ということに
なる。

 その忍耐力を鍛えようとするなら、勉強を利用するのではなく、家事を利用する。あとあとの
失敗の可能性を避けるために、そうする。家事なら、失敗しても、それほど、後遺症は残らな
い。しかし勉強というのは、一度、失敗すると、子どもを勉強嫌いにしてしまう。

++++++++++++++++++++++

 少し先の話になるが、失敗例のいくつかを、ここにあげてみる。こうした失敗がわかれば、
今、ガラスの箱をこわすことが、どんなに危険なことか、それがわかるはず。

++++++++++++++++++++++

●のびたバネは、必ず縮む
 
 無理をすれば、子どもはある程度は、伸びる(?)。しかしそのあと、必ず縮む。とくに勉強は
そうで、親がガンガン指導すれば、それなりの効果はある。しかし決してそれは長つづきしな
い。やがて伸び悩み、停滞し、そしてそのあと、今度はかえって以前よりできなくなってしまう。
これを私は「教育のリバウンド」と呼んでいる。

 K君(中一)という男の子がいた。この静岡県では、高校入試が、人間選別の関門になってい
る。そのため中学二年から三年にかけて、子どもの受験勉強はもっともはげしくなる。実際に
は、親の教育の関心度は、そのころピークに達する。

 そのK君は、進学塾へ週三回通うほか、個人の家庭教師に週一回、勉強をみてもらってい
た。が、母親はそれでは足りないと、私にもう一日みてほしいと相談をもちかけてきた。私はと
りあえず三か月だけ様子をみると言った。が、そのK君、おだやかでやさしい表情はしていた
が、まるでハキがない。

私のところへきても、私が指示するまで、それこそ教科書すら自分では開こうとしない。明らか
に過負担が、K君のやる気を奪っていた。このままの状態がつづけば、何とかそれなりの高校
には入るのだろうが、しかしやがてバーントアウト(燃え尽き)。へたをすれば、もっと深刻な心
の問題をかかえるようになるかもしれない。

 が、こういうケースでは、親にそれを言うべきかどうかで迷う。親のほうから質問でもあれば
別だが、私のほうからは言うべきではない。親に与える衝撃は、はかり知れない。それに私の
ほうにも、「もしまちがっていたら」という迷いもある。だから私のほうでは、「指導する」というよ
りは、「息を抜かせる」という教え方になってしまった。

雑談をしたり、趣味の話をしたりするなど。で、約束の三か月が終わろうとしたときのこと。今度
は父親と母親がやってきた。そしてこう言った。「うちの子は、何としてもS高校(静岡県でもナ
ンバーワンの進学高校)に入ってもらわねば困る。どうしても入れてほしい。だからこのままめ
んどうをみてほしい」と。

 これには驚いた。すでに一学期、二学期と、成績が出ていた。結果は、クラスでも中位。その
成績でS高校というのは、奇跡でも起きないかぎり無理。その前にK君はバーントアウトしてし
まうかもしれない。「あとで返事をします」とその場は逃げたが、親の希望が高すぎるときは、受
験指導など、引き受けてはならない。とくに子どもの実力がわかっていない親のばあいは、な
おさらである。

 親というのは、皮肉なものだ。どんな親でも、自分で失敗するまで、自分が失敗するなどとは
思ってもいない。「まさか……」「うちの子にかぎって……」と、その前兆症状すら見落としてしま
う。そして失敗して、はじめてそれが失敗だったと気づく。

が、この段階で失敗と気づいたからといって、それで問題が解決するわけではない。その下に
は、さらに大きな谷底が隠れている。それに気づかない。だからあれこれ無理をするうち、今
度はそのつぎの谷底へと落ちていく。K君はその一歩、手前にいた。

 数日後、私はFAXで、断りの手紙を送った。私では指導できないというようなことを書いた。
が、その直後、父親から、猛烈な抗議の電話が入った。父親は電話口でこう怒鳴った。「あん
たはうちの子には、S高校は無理だと言うのか! 無理なら無理とはっきり言ったらどうだ。失
敬ではないか! いいか、私はちゃんと息子をS高校へ入れてみせる。覚えておけ!」と。

 ついでに言うと、子どもの受験指導には、こうした修羅場はつきもの。教育といいながら、教
育的な要素はどこにもない。こういう教育的でないものを、教育と思い込んでいるところに、日
本の教育の悲劇がある。

それはともかくも、三〇年以上もこの世界で生きていると、そのあと家庭がどうなり、親子関係
がどうなり、さらに子ども自身がどうなるか、手に取るようにわかるようになる。が、この事件
は、そのあと、意外な結末を迎えた。私も予想さえしていなかったことが起きた。それから数か
月後、父親が脳内出血で倒れ、死んでしまったのだ。こういう言い方は不謹慎になるかもしれ
ないが、私は「なるほどなあ……」と思ってしまった。

 子どもの勉強をみていて、「うちの子はやればできる」と思ったら、「やってここまで」と思いな
おす。(やる・やらない)も力のうち。そして子どもの力から一歩退いたところで、子どもを励ま
し、「よくがんばっているよ」と子どもを支える。そういう姿勢が、子どもを最大限、伸ばす。たと
えば日本で「がんばれ」と言いそうなとき、英語では、「テイク・イッツ・イージィ」(気を楽にしなさ
い)と言う。そういう姿勢が子どもを伸ばす。

ともかくも、のびたバネは、遅かれ早かれ、必ず縮む。それだけのことかもしれない。

++++++++++++++++++++++

●谷底の下の谷底

 子どもの成績がさがったりすると、たいていの親は、「さがった」ことだけをみて、そこを問題
にする。その谷底が、最後の谷底と思う。しかし実際には、その谷底の下には、さらに別の谷
底がある。そしてその下には、さらに別の谷底がある。こわいのは、子育ての悪循環。

一度その悪循環の輪の中に入ると、「まだ以前のほうがよかった」ということを繰り返しながら、
つぎつぎと谷底へ落ち、最後はそれこそ奈落の底へと落ちていく。

 ひとつの典型的なケースを考えてみる。

 わりとできのよい子どもがいる。学校でも先生の評価は高い。家でも、よい子といったふう。
問題はない。成績も悪くないし、宿題もきちんとしている。が、受験が近づいてきた。そこで親
は進学塾へ入れ、あれこれ指導を始めた。

 最初のころは、子どももその期待にこたえ、そこそこの成果を示す。親はそれに気をよくし
て、ますます子どもに勉強を強いるようになる。「うちの子はやればできるはず」という、信仰に
近い期待が、親を狂わす。

が、あるところまでくると、限界へくる。が、このころになると、親のほうが自分でブレーキをかけ
ることができない。何とかB中学へ入れそうだとわかると、「せめてA中学へ。あわよくばS中学
へ」と思う。しかしこうした無理が、子どものリズムを狂わす。

 そのリズムが崩れると、子どもにしても勉強が手につかなくなる。いわゆる「空回り」が始ま
る。フリ勉(いかにも勉強していますというフリだけがうまくなる)、ダラ勉(ダラダラと時間ばかり
つぶす)、ムダ勉(やらなくてもよいような勉強ばかりする)、時間ツブシ(たった数問を、一時間
かけてする。マンガを隠れて読む)などがうまくなる。

一度、こういう症状を示したら、親は子どもの指導から手を引いたほうがよいが、親にはそれ
がわからない。子どもを叱ったり、説教したりする。が、それが子どもをつぎの谷底へつき落と
す。

 子どもは慢性的な抑うつ感から、神経症によるいろいろな症状を示す。腹痛、頭痛、脚痛、
朝寝坊などなど。神経症には定型がない。が、親はそれを「気のせい」「わがまま」と決めつけ
てしまう。あるいは「この時期だけの一過性のもの」と誤解する。「受験さえ終われば、すべて解
決する」と。

 子どもはときには涙をこぼしながら、親に従う。選別されるという恐怖もある。将来に対する
不安もある。そうした思いが、子どもの心をますますふさぐ。そしてその抑うつ感が頂点に達し
たとき、それはある日突然やってくるが、それが爆発する。

不登校だけではない。バーントアウト、家庭内暴力、非行などなど。親は「このままでは進学競
争に遅れてしまう」と嘆くが、その程度ですめばまだよいほうだ。その下にある谷底、さらにそ
の下にある谷底を知らない。

 今、成人になってから、精神を病む子どもは、たいへん多い。一説によると、二〇人に一人と
も、あるいはそれ以上とも言われている。回避性障害(人に会うのを避ける)や摂食障害(過食
症や拒食症)などになる子どもも含めると、もっと多い。子どもがそうなる原因の第一は、家庭
にある。

が、親というのは身勝手なもの。この段階になっても、自分に原因があると認める親はまず、
いない。「中学時代のいじめが原因だ」「先生の指導が悪かった」などと、自分以外に原因を求
め、その責任を追及する。もちろんそういうケースもないわけではないが、しかし仮にそうでは
あっても、もし家庭が「心を休め、心をいやし、たがいに慰めあう」という機能を果たしているな
ら、ほとんどの問題は、深刻な結果を招く前に、その家庭の中で解決するはずである。

 大切なことは、谷底という崖っぷちで、必死で身を支えている子どもを、つぎの谷底へ落とさ
ないこと。子育てをしていて、こうした悪循環を心のどこかで感じたら、「今の状態をより悪くしな
いことだけ」を考えて、一年単位で様子をみる。

あせって何かをすればするほど、逆効果。(だから悪循環というが……。)『親のあせり、百害
あって一利なし』と覚えておくとよい。つぎの谷底へ落とさないことだけを考えて、対処する。

++++++++++++++++++++

では、幼児の学習は、どう考えたらよいのか。それには、ここにも書いたように、ガラスの箱を
こわさにように注意するということと、『灯をともして、引き出す』ということになる。

 子どもの学習意欲をつぶすものに、無理、強制、条件、比較がある。

++++++++++++++++++++

●学習の四悪

 子どもを勉強嫌いにする四悪に、無理、強制、条件、それに比較がある。子どもの能力を超
えた学習を強要するのを、無理。時間や量を決めてそれを子どもに課するのを、強制。「テスト
で百点を取ったら、自転車を買ってあげる」というのが、条件。そして「お隣のA君は、もうカタカ
ナが書けるのよ。あなたは……」というのを、比較。この四悪が日常化すると、子どもは確実に
やる気をなくす。勉強嫌いになる。

●無理・強制・条件・比較

@無理……子どもに与える教材やワークは、子どもの能力より、ワンランクさげるのがコツ。で
きる、できないよりも、子どもが勉強を楽しんだかどうかを大切にする。イギリスの格言にも、
『楽しく学ぶ子は、よく学ぶ』というのがある。前向きに学習する子どもは伸びるし、そうでない
子どもは伸びない。

しかも子どもというのは一度うしろ向きになると、いくら時間とお金をかけても、一方的にムダに
なるだけ。親があせればあせるほど、かえって勉強から遠ざかってしまう。そういうのをこの世
界では、「空回り」というが、この空回りを感じたら、さらに思いきって内容をワンランクさげる。

A強制……やはりイギリスの格言に、『馬を水場へ連れていくことはできても、馬に水を飲ませ
ることはできない』というのがある。子どもを馬にたとえるのも失礼なことかもしれないが、要す
るに親にできることにも限度があるということ。最終的に子どもが勉強するかしないかは、子ど
もの問題。

よく親は、「うちの子はやればできるはず」と言うが、やる、やらないも、「力」のうち。「やればで
きるはず」と思ったら、「やってここまで」と思いなおす。あきらめる。そのあきらめが子どもの心
に風穴をあけ、かえって子どもを伸ばす。

B条件……条件は、年齢とともにエスカレートしやすい。小学生のうちは、自転車ですむかもし
れないが、高校生になれば、バイク、大学生になれば、自動車になる。あなたにそれだけの財
力があれば話は別だが、そうでなければやめたほうがよい。

さらに条件が日常化すると、「勉強は自分のためにする」という意識が、薄くなる。かわって、
「(親のために)勉強してやる」という意識をもつようになる。実際に「親がうるさいから、大学へ
行ってやる」と言った高校生すらいた。そうなる。

反対に子どものほうから何か条件を出してくることもあるが、そういうときは、「勉強は自分のた
めにするもの」と突っぱねる。こうしたき然とした姿勢が、時間はかかるが、結局は子どもを自
立させる原動力となる。

C比較……この比較が日常化すると、子どもから「私は私」という意識が消える。いつも他人
の目を気にした生き方になってしまう。見えや体裁、それに世間体を気にするようになる。そう
なればなったで、結局は自分を見失い、自分の人生そのものをムダにする。
 
……というのは、少しおおげさに聞こえるかもしれないが、日本人ほど、他人の目を気にしなが
ら生きる民族も少ない。長い間、島国という閉鎖的な社会で、しかも封建時代という暗い時代
を経験したためにそうなった。そのため幸福観も相対的なもので、「隣の人よりもよい生活だか
ら、私は幸福」「隣の人よりも悪い生活だから、私は不幸」というような考え方をする。

たとえば日本人は、「あなたは幸福なほうよ。みんなはもっと苦しいのだから」と言われたりする
と、それだけでへんに納得してしまう。しかしこの生き方は、これからの生き方ではない。要す
るに、無理、強制、条件、比較は、子どもを手っ取り早く勉強させるにはよい方法だが、長い目
で見れば、結局は逆効果。かえって子どものやる気をつぶす。

++++++++++++++++++++

 最後に、子どものやる気を、伸ばす方法について。

 この時期は、(できる・できない)よりも、(楽しんだかどうか)を、みながら指導する。たとえば
私の教室(BW教室)でも、一時間程度、子どもを、笑いっぱなしにしながら、指導する。そうい
う(楽しさ)が、子どもの心の中に、前向きな姿勢を育てる。

 Sさんは、プリント学習を問題にしているが、プリント学習ほど、つまらないものはない。(教え
る側にとっては、楽だが……。)そういうことも考えて、つまり子どもの心がどのようにできつつ
あるかを考えて、もう一度、見なおしてみたらよい。

 最後に、子どもの方向性について。

++++++++++++++++++++

●子どもの方向性を知るとき 

●図書館でわかる子どもの方向性

 子どもの方向性を知るには、図書館へ連れて行けばよい。そして数時間、図書館の中で自
由に遊ばせてみる。そしてそのあと、子どもがどんな本を読んでいるかを観察してみる。サッカ
ーが好きな子どもは、サッカーの本を読む。動物が好きな子どもは、動物の本を読む。

そのとき子どもが読んでいる本が、その子どもの方向性である。その方向性にすなおに従え
ば、子どもは本が好きになる。さからえば、本が嫌いになる。無理をすれば子どもの伸びる
「芽」そのものをつぶすことにもなりかねない。ここでいくつかのコツがある。

●無理をしない

 まず子どもに与える本は、その年齢よりも、一〜二年、レベルをさげる。親というのは、どうし
ても無理をする傾向がある。六歳の子どもには、七歳用の本を与えようとする。七歳の子ども
には、八歳用の本を与えようとする。この小さな無理が、子どもから本を遠ざける。

そこで「うちの子どもはどうも本が好きではないようだ」と感じたら、思いきってレベルをさげる。
本の選択は、子どもに任す。が、そうでない親もいる。本屋で子どもに、「好きな本を一冊買っ
てあげる」と言っておきながら、子どもが何か本を持ってくると、「こんな本はダメ。もっといい本
にしなさい」と。こういう身勝手さが、子どもから本を遠ざける。

●動機づけを大切に

 次に本を与えるときは、まず親が読んでみせる。読むフリでもよい。そして親自身が子どもの
前で感動してみせる。「この本はおもしろいわ」とか。これは本に限らない。子どもに何かものを
与えるときは、それなりのお膳立てをする。これを動機づけという。

本のばあいだと、子どもをひざに抱いて、少しだけでもその本を読んであげるなど。この動機づ
けがうまくいくと、あとは子どもは自分で伸びる。そうでなければそうでない。この動機づけのよ
しあしで、その後の子どもの取り組み方は、まったく違ってくる。まずいのは、買ってきた本を袋
に入れたまま、子どもにポイと渡すような行為。子どもは読む意欲そのものをなくしてしまう。無
理や強制がよくないことは、言うまでもない。

●文字を音にかえているだけ?

 なお年中児ともなると、本をスラスラと読む子どもが現れる。親は「うちの子どもは国語力が
あるはず」と喜ぶが、たいていは文字を音にかえているだけ。内容はまったく理解していない。
親「うさぎさんは、どこへ行ったのかな」、子「……わかんない」、親「うさぎさんは誰に会ったの
かな?」、子「……わかんない」と。

もしそうであれば子どもが本を読んだら、一ページごとに質問してみるとよい。「うさぎさんは、
どこへ行きましたか」「うさぎさんは、誰に会いましたか」と。あるいは本を読み終えたら、その
内容について絵をかかせるとよい。本を読み取る力のある子どもは、一枚の絵だけで、全体
のストーリーがわかるような絵をかく。そうでない子どもは、ある部分だけにこだわった絵をか
く。

また本を理解しながら読んでいる子どもは、読むとき、目が静かに落ち着いている。そうでない
子どもは、目がフワフワした感じになる。さらに読みの深い子どもは、一ページ読むごとに何か
考える様子をみせたり、そのつど挿し絵をじっと見ながら読んだりする。本の読み方としては、
そのほうが好ましいことは言うまでもない。

●文字の使命は心を伝えること

 最後に、作文を好きにさせるためには、こまかいルール(文法)はうるさく言わないこと。誤
字、脱字についても同じ。要は意味が伝わればよしとする。そういうおおらかさが子どもを文字
好きにする。

が、日本人はどうしても「型」にこだわりやすい。書き順もそうだが、文法もそうだ。たとえば小
学二年の秋に、「なかなか」の使い方を学ぶ(光村図書版)。「『ぼくのとうさん、なかなかやる
な』と、同じ使い方をしている『なかなか』はどれか。『なかなかできない』『なかなかおいしい』
『なかなかなきやまない』」と。こういうことばかりに神経質になるから、子どもは作文が嫌いに
なる。小学校の高学年児で、作文が好きと言う子どもは、五人に一人もいない。大嫌いと言う
子どもは、一〇人に三人はいる。

(付記)

●私の記事への反論

 「一ページごとに質問してみるとよい」という考えに対して、「子どもに本を読んであげるときに
は、とちゅうで、あれこれ質問してはいけない。作者の意図をそこなう」「本というのは言葉の流
れや、文のリズムを味わうものだ」という意見をもらった。図書館などで、子どもたちに本の読
み聞かせをしている人からだった。

 私もそう思う。それはそれだが、しかし実際には、幼児を知らない児童文学者という人も多
い。そういう人は、自分の本の中で、幼児が知るはずもないというような言葉を平気で並べる。
たとえばある幼児向けの本の中には、次のような言葉があった。「かわべの ほとりで、 ひと
りの つりびとが うつら うつらと つりいとを たれたまま、 まどろんでいた」と。

この中だけでも、幼児には理解ができそうもないと思われる言葉が、「川辺」「釣り人」「うつら」
「釣り糸」「まどろむ」と続く。こうした言葉の説明を説明したり、問いかけたりすることは、決して
その本の「よさ」をそこなうものではない。が、それだけではない。意味のわからない言葉から
受けるストレスは相当なものだ。ためしにBS放送か何かで、フランス語の放送をしばらく聞い
てみるとよい。フランス語がわかれば話は別だが、ふつうの人ならしばらく聞いていると、イライ
ラしてくるはずだ。

+++++++++++++++++++++++

※【付録】

●知識と思考

 知識は、記憶の量によって決まる。その記憶は、大脳生理学の分野では、長期記憶と短期
記憶、さらにそのタイプによって、認知記憶と手続記憶に分類される。

認知記憶というのは、過去に見た景色や本の内容を記憶することをいい、手続記憶というの
は、ピアノをうまく弾くなどの、いわゆる体が覚えた記憶をいう。条件反射もこれに含まれる。

で、それぞれの記憶は、脳の中でも、それぞれの部分が分担している。たとえば長期記憶は
大脳連合野(連合野といっても、たいへん広い)、短期記憶は海馬、さらに手続記憶は「体の運
動」として小脳を中心とした神経回路で形成される(以上、「脳のしくみ」(日本実業出版社)参
考、新井康允氏)。

 でそれぞれの記憶が有機的につながり、それが知識となる。もっとも記憶された情報だけで
は、価値がない。その情報をいかに臨機応変に、かつ必要に応じて取り出すかが問題によっ
て、その価値が決まる。

たとえばAさんが、あなたにボールを投げつけたとする。そのときAさんがAさんであると認識す
るのは、側頭連合野。ボールを認識するのも、側頭連合野。しかしボールが近づいてくるのを
判断するのは、頭頂葉連合野ということになる。

これらが瞬時に相互に機能しあって、「Aさんがボールを投げた。このままでは顔に当たる。あ
ぶないから手で受け止めろ」ということになって、人は手でそれを受け止める。しかしこの段階
で、手で受け止めることができない人は、危険を感じ、体をよける。この危険を察知するのは、
前頭葉と大脳辺縁系。体を条件反射的に動かすのは、小脳ということになる。人は行動をしな
がら、そのつど、「Aさん」「ボール」「危険」などという記憶を呼び起こしながら、それを脳の中で
有機的に結びつける。

 こうしたメカニズムは、比較的わかりやすい。しかし問題は、「思考」である。一般論として、思
考は大脳連合野でなされるというが、脳の中でも連合野は大部分を占める。で、最近の研究で
は、その連合野の中でも、「新・新皮質部」で思考がなされるということがわかってきた(伊藤正
男氏)。

伊藤氏の「思考システム」によれば、大脳新皮質部の「新・新皮質」というところで思考がなされ
るが、それには、帯状回(動機づけ)、海馬(記憶)、扁桃体(価値判断)なども総合的に作用す
るという。

 少し回りくどい言い方になったが、要するに大脳生理学の分野でも、「知識」と「思考」は別の
ものであるということ。まったく別とはいえないが、少なくとも、知識の量が多いから思考能力が
高いとか、反対に思考能力が高いから、知識の量が多いということにはならない。

もっと言えば、たとえば一人の園児が掛け算の九九をペラペラと言ったとしても、算数ができる
子どもということにはならないということ。いわんや頭がよいとか、賢い子どもということにはなら
ない。そのことを説明したくて、あえて大脳生理学の本をここでひも解いてみた。
(031217)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(431)

【読者の方へ】

●ご相談には、必ず、ご住所と、お名前をお書きください。

毎日、たくさんの方から、相談をいただきます。ありがたいことです。勉強になります。しかしな
がら、ご住所やお名前がわからない方からの相談は、返事を書いていても、たいへん不安に
なります。

ですから、ご事情が特別のばあいをのぞいて、住所、お名前のない方からのメールについて
は、返事を書きませんので、どうかご理解の上、お許しください。以前より面識のある方は、も
ちろん、別ですが……。

また、中には、大量に、同じ文面で、あちこちのサイトに、相談をかけられる方もいらっしゃいま
す。そういう方のメールというのは、その雰囲気でわかります。あて先に、「子育て相談係御中」
とあったりします。(笑い)が、中には、わかりにくいものもあります。

そういう方からの相談と区別するため、一言「マガジン読者」というように、書いてくださると、う
れしいです。私のほうは、安心して、回答を書くことができます。よろしくお願いします。

●つづけてご相談くださる方は、どうか、以前のメールのやりとりを、複写してください。

私のほうでは、皆さんからいただいた相談を、整理して保存するということは、していません。ま
た記録として残す段階で、後日の誤解や、うっかり転載を避けるために、皆さんのご住所、お
名前を、アルファベットにしたり、改変したりしています。もちろん内容も改変します。

しかし改変したとき、その書き改めた文や、架空のお名前のほうが、より鮮明に、記憶の中
に、残ってしまいます。

ですから、「以前、相談しました、○○県のAAですが、その後、あの件は……」というメール
を、いただくと、頭の中が、大混乱してしまいます。

またインターネットの限界というか、文字情報だけのやりとりのため、仮にお名前が一致して
も、頭の中で、どの人がどの人か、区別できないときがあります。これは、多分に、私の脳の老
化によるものかもしれませんが……。

●必ずしも、回答を約束するものではありません。

で、ときどき、返事を書かないままにすることも多くなりました。それについても、よくお叱りの言
葉をいただきますが、どうか、こちらの事情も、ご理解の上、お許しください。

以上、勝手なお願いですが、これからも、気持よく、みなさんのお力になるために、どうか、ご
理解の上、ご協力くださいますよう、お願い申しあげます。

私としては、後日の誤解やトラブルを避けるために、できるだけ相談ごとは、「テーマ」という形
で、掲示板に書きこんでくださると、うれしいです。書きこみをしてくださった段階で、私のほうに
も連絡が入るしくみになっていますので、読み落とすということは、ありません。

その際には、転載などの了解は、求めませんので、よろしくお願いします。

++++++++++++++++++++

 みなさんお力になるために、もっとよい方法はないものかと思います。その点、当初は、イン
ターネットは、すばらしい道具だと思いました。

 みなさんのご相談に、直接、答えることができます。

 しかしすぐ、問題は、起きました。ここにも書いたように、文字情報の限界というか、個人の特
定ができないということです。当然のことながら、文字には、個性がありません。毎日、何人か
の方の相談に、メールだけで答えていると、だれがだれなのか、わからなくなってしまうので
す。

 一度、面識のある方は、返事を書きながら、その方のお顔などを、想像することができます。
お子さんを知っていれば、さらに正確に、返事を書くことができます。しかしインターネットでは、
それができません。

 これからは、さらにインターネットも進んで、その場で、個性が特定できるような方法も考えら
れるようになるでしょう。テレビ電話のような形になることも、じゅうぶん、考えられます。

 ですから、つづけて相談してくださる方は、以前のやりとりを、みなさんのほうで保存していた
だき、それをリフレイン(複写)してくださると、うれしいです。私のほうで、さっと目をとおして、返
事を書くことができます。

 さらに、年末、年始に入って、何かと忙しくなりました。今朝も、懇談会、明日も、研修会と、自
分の原稿を書く時間すら、ままならないのが現状です。そのため、せっかく、みなさんから相談
をいただきながら、返事も書くことができないでいます。

 どうか、私の事情もご理解の上、数々の失礼を、お許しください。できるだけ、これからも、み
なさんのお力になりたいと思っています。
(031218)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


子育て随筆byはやし浩司(432)

●無知の無知

 自分の無知を、無知であることぐらい、恐ろしいことはない。そのことは、何か、新しいことを
知ったときに、思い知らされる。

 ときどき私は、「こんなことも知らなかったのか」と、自分で思うときがある。あるいは、「どうし
てこのことを、もっと早く知らなかったのか」と思うときもある。「私は、いったい、何をしていたの
か」と。

 一方、たいへん失礼なことだが、だれかと話していて、「どうして、この人は、こんなことも知ら
ないのか」と、思うときもある。が、そう思ったとたん、「では、自分はどうなのか」と。

 まず、自分の無知を知る。そして、そのためには、他人だけではなく、まわりのあらゆるもの
に対して、謙虚になる。まずいのは、傲慢(ごうまん)になること。人は、傲慢になったとたん、自
分を見失う。

 釈迦は、こうした「心の浄化」を、「精進(しょうじん)」と、呼んだ。「死ぬまで。精進せよ」と。仏
教の実践者は、よく「悟りを開く」などという言葉を使うが、そんなことは、そこらの人間には、あ
りえない。あるとするなら、その人が、そう思いこんでいるだけ。そのまわりの人が、そう思いこ
んでいるだけ。

 ついでに申し添えるなら、釈迦仏教、なかんずく大乗仏教が、なぜに、こうまで混乱したかと
いえば、「我こそが仏である」と、勝手なことを言う人が、あまりにも多かったからである。今で
も、少なくない。「悟りを開いたものは、すべて仏である」という考えに、もとづく。

 さらにこの日本では、死んだ人すべてを、「仏様」という。こういう安易な、「仏観」が、さらに釈
迦仏教を、混乱させている。

 しかし道は、険(けわ)しい。少しぐらい精進したくらいで、先に進むことはできない。少し進め
ば、さらにその先には、道がある。行っても、行っても先がある。つまりそれを謙虚に認めるこ
とが、無知を知るということになる。

 このことは、子どもを教えていると、わかる。

 私は、幼稚園講師になったころ、最初に、アンケート調査したのは、「子どもの住環境と、
騒々しさの関係」である。

 私は「静かな団地に住む子どもは、もの静かで、町中の繁華街の中に住む子どもは、騒々し
い」という先入観をもって、調査を始めた。結果は、みごとに、ハズレ!

 静かな団地に住んでいる子どもでも、騒々しい子どもは、いくらでもいる。反対に、町中の繁
華街に住む子どもでも、静かな子どもは、いくらでもいる。そうした住環境は、子どもの性格と
は、まったく関係ないことがわかった。

 これが私の幼児教育の第一歩だった。が、もしあのとき、そうした視点をもたなかったら、今
でも、「町の繁華街に住む子どもは騒々しい」という先入観だけで、持論を組みたてていたかも
しれない。

 私は、無知だった。

 だからそれから一〇年間、当時の園長に頼んで、毎週のように、アンケート調査を繰りかえし
た。その回答用紙だけでも、ダンボール箱につめて、六畳間くらいの倉庫がいっぱいになった
ほどである。

 今でも、私は、毎日のように新しい発見をする。そしてそのたびに、冒頭に書いたように、「な
ぜ、今まで、こんなことに気づかなかったのか」と思う。そしてますます謙虚になる。

 と、同時に、無知な人を見ると、それがよくわかる。とくに幼児教育の世界では、そうだ。よく
その人(学者)の意見を聞いていると、「この人は、私が三〇歳のときのレベルだな」とか、「こ
の人は、私が四〇歳くらいのときに気づいたことを話している」と思うことがある。

 しかしそう思うのは、正直言って、楽しい。何とも言えない、優越感を覚える。が、もちろん、そ
の反対のこともある。「この人は、ものすごい人だ」と思うときである。そういうときは、本当に、
頭をハンマーで叩かれたような気分になる。

 自分の無知を知る。それは、一見、簡単なようなことで、本当にむずかしい。たいていの人
は、無知であることに気がつかないまま、自分のカラにこもってしまう。そしてその場で、釈迦が
説くところの、精進を止めてしまう。

 繰りかえすが、かく言う私だって、偉そうなことは言えない。ふと油断すると、無知であること
を忘れてしまう。そしてそれこそ偉そうなことを、口にしてしまう。しかし、これは、本当に、恐ろ
しいことだ。

 最近になって、その「恐ろしさ」が、ますますわかるようになった。つまり以前の私は、この点
についても、無知だった。
(031218)

【忙しい人へ】

 ときどき、政治家の人たちは、どこで勉強するのだろうかと思う。毎日、分きざみの生活をし
ていて、どうして自分で考える時間をもつことができるのだろうか、と。

 「考える」ためには、「ぞれだけの時間」が、必要である。静かに考える時間である。それはま
さに、「習慣」と言えるようなもので、習慣として、静かに考える。そういう時間である。

 あるいは、そんな習慣がなくても、政治家になれるのか? 私には、よくわからないが……。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


子育て随筆byはやし浩司(433)

●外に向かって、前だけを見て、育てる

 親は、ときとして、子どもの友になり、子どもの横を歩く。そのとき、親と子は、決して、向きあ
ってはいけない。外に向かって、前だけを見ながら、歩く。

スポーツでも、趣味でもよい。共通の目的や目標があればよいが、「前だけを見る」というの
は、それには限らない。つまりは、生きザマの問題ということ。

 この原稿のヒントになったのは、つぎの言葉である。

 かつて、はA・エクスペリーは、「シェークスピア文学論」の中で、こう言った。

★Love does not consist in gazing at each other, but in looking outward together in the 
same direction.

愛というのは、たがいに見つめあうことではない。愛というのは、外に向って、同じ方向を見る
ことである。

 親子の愛も、これに似ている。たがいに見つめあえば、溺愛になる。それを避けるために
は、たがいに、外を見る。しかし別々の方向を見ていたのでは、心はバラバラ。また子どもを溺
愛するのは、親の勝手だが、その影響は、子どもに現れる。が、それだけではない。

 親が子どものほうを見ればみるほど、子育てのし方が、どうしても、うしろ向きになる。子ども
に、自分の果たせなかった夢を、子どもに託したり、あるいは、子育てそのものを、生きがいに
するようになる。

 それでうまくいけばよいが、うまくいく子育ては、一〇に一つもない。「勉強しなさい!」「うるさ
い!」の大乱闘。その結果、親は、無数の悲哀を味わうことになる。子どもは、親の過剰期待
の中で、もがき苦しむことになる。

 そこで親は親で、前向きに生きる。「私は私で、私のすべきことをしますから、あなたはあなた
で、自分のすべきことをしないさい!」と。そういう姿勢を見ながら、子どももまた、前向きに、生
きるようになる。

 ある母親は、二人の娘が、小学校へ入学すると同時に、手芸の店を開いた。それが長い間
の夢だった。また別の母親は、娘がやはり高校に入学すると同時に、医療事務の資格をとり、
さらに勉強して、その講師になった。

 そういう親の前向きな姿勢を見て、子どもも、また自分の将来を、前向きにとらえることがで
きるようになる。
(031218)

※前向きに生きる……新しいことにチャレンジしていく、積極的な生きザマをいう。子どもでも、
何か新しいことを提案したとき、「やりたい!」「やる!」と食いついてくる子どもと、そうでない子
どもがいる。こうした積極性は、子どもは、親の生きザマを見ながら、身につけていく。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


子育て随筆byはやし浩司(434)

●2003年

【文を書く】

 今年は、毎日、A四サイズで、一〇〜一五枚の原稿を書いた。単行本にすれば、ざっと計算
しても、三〇冊分近くになる。

 九九・九%は、ゴミにもならない駄文だが、しかし私には、それが楽しかった。毎日、広い荒
野をひとりで、歩いているような気分だった。風邪をひいて、頭が痛いときもパソコンに向った。

 こうして書いた文章を、電子マガジンとして、発行した。おかしな世界で、読者といっても、マ
ガジン社から教えられる「数字」だけ。「本当に読んでもらっているのだろうか」という迷いは、い
つもあった。

しかし、ときどき、「読んでますよ」という言ってくれる人がいた。賛助会に入ってくれた人も、一
〇人近くいた。本にたとえれば、一〇冊売れたということか? 何一〇万冊も売れるベストセラ
ーからみれば、限りなくゼロに近い数字だが、うれしかった。

 おかげで、肝心の出版点数は、今年は、ゼロ。雑誌社や新聞社への働きかけも、できなかっ
た。「できなかった」というより、しなかった。実のところ、こうした「働きかけ」を、むなしく感ずる
ようになった。多分、来年も、その気持は、変わらないだろうと思う。


【健康】

 おかげで、この一年間、健康だった。運動は、欠かさなかったし、食べ物にも、気をつけた。
数日前に、ある人から教えられたが、私の年齢で、髪の毛が黒いのは、珍しいそうだ。それ
に、いまだに、フサフサしている。

 このところ少し、太り気味かもしれない。食事が、おいしい。適正体重は、六三〜四キロ前後
だが、多分、今は、六七キロくらいはあると思う。この数週間、こわくて、体重計の上にも、乗っ
ていない。(ひょっとしたら、六八キロ以上!)


【人間関係】

 ますます居直りが強くなったように思う。私のことを、よく思っていない人も、多い。若いころ
は、そうした人間関係を修復しようとあれこれ、努力したこともあった。が、今は、もう、そういう
ことは考えない。

 「どうぞ、語勝手に!」と。

 私にとって大切なことは、この部分だと思う。生真面目というか、生真面目すぎるというか。自
分で、自分を追いこんでしまう。だから、私のような人間にとっては、(いいかげんさ)が、大切
なのだ。

 ……とまあ、勝手にそう思っている。「いい人」という仮面をかぶるのも、結構、疲れる。だか
ら、今年は、自分をさらけ出し、ありのままの自分で、いることに努めた。来年は、もっと、自分
にすなおに、生きてみたい。

 飾らないで……。虚勢を張らないで……。人の目を気にしないで……。どうせ、二人の人に、
よい顔はできない。


【仕事】

 こういうご時勢だから、しかたない? しかし夏前から、私の仕事も、少しずつ、上向いてきた
ような気がする。日本の経済全体も、そうなっているというから、一応、その「波」には、乗って
いるのかもしれない。

 しかし政府が、これだけ、お金をバラまいているのだから、多少、国民のふところが豊かにな
ったところで、おかしくはない。しかし日本の経済が、本当に、よくなりつつあるかどうかというこ
とについては、疑問。

日本を、家庭にたとえるなら、働きもしないドラ息子に、遊ぶための小づかいを、ポンポンと、
惜しみなく与えているようなもの。

 これでいいのかなあ?

 来年も、今年と、同じように仕事ができれば、恩の字。もう高望みは、しない。……できない。
仕事があるということだけでも、感謝をしなければ……。

 そう言えば、男の更年期を無事、過ぎたせいか、このところ、体の調子が、またよくなってき
た感じ。先日、Kペイントの監査役をしていた、T氏(現在七〇歳)が、こう言った。

 「男が、本当にいい仕事ができるのは、五五歳から六五歳の間だよ」と。

 その言葉を、信じよう!


【家族】

 いろいろあったが、ワイフが、「あまり詳しく書かないで」と、クギを刺してきたので、ここまで。


【抱負】

 〇四年の抱負は、とにかく現状維持。ここにも書いたように、仕事にせよ、健康にせよ、現状
維持できるというだけでも、ラッキー。ぜいたくを言ってはいけない。

 現在、マガジンは、第三四〇号前後。今のペースを守れば、〇四年度中に、第五〇〇号を
発行できる。折り返し点ということになる。

 ほかに大きな計画はないが、オーストラリアとアメリカへ、一度ずつ、行くつもり。(……一応、
その計画をたてている。)

本は、どうせ売れないから……と、あきらめている。考えてみれば、今年は、原稿にして、三〇
冊分のも原稿を書いて、売れたのは、本に換算すると、たったの一〇冊! これもみんな、不
景気が悪いのだ! 政治が悪いのだ! そういう政治家を選ぶ、私たちが悪いのだ!

 またまたグチになってしまった。〇四年度は、もうグチは、やめよう。前向きに、明るく生きよ
う。

 とにかく、マガジン発行に全力を注ぐ。一〇〇〇号まで、がんばるぞ! がんばるぞ!
(031219)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(435)

仮面をかぶらせるもの

●男の教師

 こんな話を聞いた。

 ある学校に、不登校児(小五男児)がいる。その子どもは、学校の校門までは、母親といっし
ょに行くのだが、そこから中へは、入らない。

 で、教師(女性)が、迎えに行くのだが、どのように説得しても、中へ入ろうとしない。が、別の
教師(男性)が迎えに行くと、しぶしぶながらだが、中へ入っていくという。

 この話をしながら、その女性教師は、こう言った。「やはり、男と女のちがいなのでしょうか」
と。

 似たような話は、家庭でもある。

 母親の言うことは聞かないが、父親の言うことは、聞く、と。

●気力

 一つの気力は、脳から、同時に発せられる、二つの指令によって、コントロールされる。活動
命令と抑制命令である。

 活動命令は、気力を、亢進させる。一方、抑制命令は、気力を、抑制する。もし抑制命令が
なければ、人間の気力は、限りなく亢進され、やがて、精神は限界を超え、破滅する。一方、行
動命令がなければ、人間は、活動することすらやめる。

 この二つの命令が、ほどよく調和したとき、人間の気力も、ほどよく調和する。このことは、躁
うつ状態を、周期的に繰りかえす人をみればわかる。

 躁状態のときは、人と会い、快活に会話をし、新しい事業に挑戦したりする。しかしひとたびう
つ状態になると、気分は沈み、なにごとにおいても、やる気をなくす。

●やる気のメカニズム

人間のやる気には、脳の中の辺縁系にある帯状回という組織が、深くかかわっているのでは
ないかということが、最近の研究でわかってきた。

 それを助長するのが、達成感(自己効力感)と言われているものである。

 何かのことで達成感を覚え、それで満足すると、この帯状回の中で、モルヒネ様の物質(エン
ドロフィン系、エンケファリン系)の物質が、放出される。そしてその人(子ども)を、心地よい、
陶酔感に導く。

 この心地よさが、つぎのやる気へとつながっていく。

●不登校児のメカニズム

不登校児を観察してみると、この行動命令と抑制命令が、随所で、バラバラであることに気づ
く。決して、「学校へ行きたくない」と思っているのではない。本人自身は、「学校へ、行きたい」
と思っている。

 しかもまったくの無気力というわけではない。学校を休んだ日には、家の中で、まったくふつう
の子どもとして、行動する。ビデオを見たり、ゲームをしたり。友だちと会うこともできる。

 しかしいざ、学校へ行くという段階になると、脳の底の暗闇から、わき出るような抑制間に包
まれる。そしてその抑制命令が、子どもの行動を、裏から操る。つまり、ここで意識的な行動命
令と、無意識的な抑制命令の衝突が起きる。

 ある子ども(年長児)は、車の柱に両手を巻いて、園へ行くのを拒否した。母親と、女性教師
の二人が、その子どもを、車から引き離そうとしたが、失敗。「信じられないほど、ものすごい力
でした」と、あとになった母親は、そう言った。

 その信じられないような「力」の背景にあるのが、ここでいう「脳の底の暗闇からわき出るよう
な抑制命令」ということになる。

 この行動命令と抑制命令が、不自然な形でアンバランスになった状態が、いわゆる学校拒
否症による不登校と考えられる。

●遊離
 
 こうした命令系統が乱れてくると、子どもは、多重人格性をおびてくる。あるいはその前に、
「わけのわからない子」といった、状態になる。よく知られている例が、「遊離」と言われている
現象である。心(情意)と、表情が、不一致を起こす現象と考えると、わかりやすい。

 学校拒否症の子どもにも、広く観察されるこの現象は、一方、学校恐怖症の予防としても応
用できる。つまり遊離症状が見られたら、学校拒否症の、初期症状とみることもできる。

●症状

 遊離が始まると、心の動きと、表情が、ちぐはぐになる。いやがっているハズなのに、柔和な
笑みを浮かべる、など。あるいは悲しんでいるはずなのに、無表情でいる。

 教える側からみると、いわゆる「何を考えているかわからない子ども」ということになる。ただ
注意しなければならないのは、この段階でも、家の中、とくに親の前では、ふつうの子どもであ
ることが多いということ。

 親自身も、自分の子どもだけしか見ていないから、客観的に、自分の子どもがどういう状態で
あるかがわからない。そこで問題点を指摘しても、親自身がそれを理解できないばかりか、
「私の子どものことは、私が一番よく知っている」という過信と誤解のもと、それをはねのけてし
まう。

 こうして症状は、ますますこじれていく。そして結果として、子どもは、心の中にたまったストレ
スを発散できないまま、それをためこんでいく。

●臨界点

 こうしたストレスでこわいのは、臨界点を超えると、一挙に、爆発に向かうこと。その前の段階
として、神経症による症状が、出てくる。

 ただ神経症による症状は、千差万別で、定型がない。チックや吃音(どもり)などが、よく知ら
れている。夜尿や腹痛、頭痛もある。

 で、こうした神経症を手がかりに、心の内部での変化を知ることができる。私は、そのための
診断シートを、作成したことがある。

(診断シート)
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page143.html
(このページの末尾に添付)

 こうした経過的な症状を経たのち、臨界点を超えて、爆発する。そして不登校へと進んでい
く。

 A・M・ジョンソンがいうところの、「学校拒否症」(School refusal)は、まさにこうした経緯を
経て、発症する。

●前兆をとらえる

 大切なことは、「どうなおそうか」ではなく、発症にいたるまでに、その前兆をいかにうまくとら
え、そしてその段階で、適切に対処するかである。風邪にたとえるなら、軽い発熱があった段
階で、体を休ませるということになる。

 しかし、これとて、簡単ではない。

 この日本では、(勉強から遠ざかること)イコール、(落ちこぼれ)と考える。たいていの親は、
そう考えて、「そんなはずはない」「うちの子にかぎって」と、その前兆そのものを、否定してしま
う。そしてさらに無理を重ねる。

 こうして親も、子どもも、行き着くところに、行く。学校拒否症は、あくまでも、その結果でしか
ない。

●さて、冒頭の話

 男の先生だから従う……というのは、その子どもの学校拒否症が、なおったということではな
い。仮面をかぶったとみる。あるいは、別の人格に、自分を押しこんだとみる。

 こうして現象は、幼児には、珍しくない。やさしい先生の前では、態度がぞんざいになり、きび
しい先生の前では、おとなしくなるなど。

 こうした変化というのは、だれにでもあるものだが、その時点で、指導する側のものは、「どち
らが本物の、本人なのか」という、見きわめは、いつもしなければならない。無理をしてがんば
っている子どもを、さらに「がんばれ!」と、追いつめることは、危険なことでもある。

 がんばったら、その分、どこかで息抜きをさせる。この調整があってはじめて、子どもは、自
分を保つことができる。

 で、冒頭の話だが、男の先生に従ったという時点で、その子どもは、自分をだましたことにな
る。一見、うまくいったように見えるが、その子どもの心の問題は、何も解決されてはいない。

 こうしたストレス(心的ひずみ)は、そのまま子どもの心の中に蓄積される。そして、ここにも書
いたように、それがさまざまな形で、心のゆがみとなって、外に現れる。

●ほどよく、暖かい無視

 こうした子どもの心の問題は、無理をしないが、大原則。子どもの視点で、子どもの立場で、
考える。

 学校に行く前に、子どもが「おなかが痛い」と言ったとする。そのとき、子どものおなかは、本
当に痛いのだ。

 あるいは子どもの足が、校門の前で、たちすくんでしまったとする。そのとき、子どもの足は、
本当に、重いのだ。

 安易に「気のせい」、「わがまま」と決めつけてはいけない。むしろ親がすべきことは、子ども
の立場で、子どもの心を理解することである。そしてねぎらうことである。

 「あなたは、よくがんばっている」と。

 仮に子どもが、四時間なら、学校へ行きそうだったら、三時間できりあげる。それを親が、
「せめて六時間まで。それが無理なら、五時間まで」と無理をするから、症状は悪化する。

 あとは、ほどよい親であることに努めながら、暖かい無視で、子どもを包む。これについて
は、今まで何度も書いてきたので、ここでは省略する。
(031220)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(436)

●女児のADHD

 圧倒的に男児に多いが、女児にも、ADHD児はいる。その比率は、四対一とも、五対一とも
言われている。しかも女児のADHDは、男子のそれとは、症状が、やや異なる。

 女児のばあい、@いつもケチャケチャと騒いだり、はしゃいだりする。言動が活発。Aしばし
ば抑えがきかない。自分勝手な行動が目立つ。B明るく天衣無縫といった印象を与える。創造
力、空想力が豊か。Cよくしゃべり、一度しゃべると、他人の話を聞かず、一方的にしゃべりつ
づける。異常な多弁性、など。

 全体に、お茶目な感じがするが、同時に、善悪の判断にうとく、してよいことと、悪いことの区
別がつかないことが多い。無遠慮、無警戒、無頓着などの特徴も見られる。

 こうした女児のADHDは、男児のADHDほど、まだ理解されていず、当然のことながら、誤解
も多い。

 数年前だが、こんな事件があった。

 その子ども(年長女児)は、ここでいうADHD児であった。しかし専門の機関で、そう診断され
たわけではない。

 で、母親は、その子どもを叱りつづけた。しかしADHDは、叱ってなおるような問題ではない。
そのため、その叱り方は、ますますはげしくなった。

 ここで問題が起きた。その女の子の祖父母、つまり父親の実父母が、それを「虐待」と、騒ぎ
出したのである。「嫁が、孫を虐待している!」と。

 この事件を知ったとき、私は、その子どもの問題点を、両親と祖父母に伝えるべきかどうか、
かなり迷った。しかし私には、診断権限はない。しかも親から、具体的に相談があったわけで
はない。

 結局、最後の最後まで迷ったが、私は、ADHDの話はしなかった。祖父母の訴えで、一度、
母親は、児童相談所の指導を受けることになった。しかしそれでも、私は、ADHDの話はしな
かった。……できなかった。

 あとで聞いたら、この話はこじれにこじれて、離婚騒動にまで発展したという。

 こうした誤解(?)にもとづく悲喜劇は、多い。母親が、もう少し正確に子どもの症状を把握
し、その問題点を知っていたら、その対処のし方も、ちがっていたかもしれない。少なくとも、叱
ってなおるような問題ではないとわかっていただけでも、ちがっていたかもしれない。

 もちろん母親は、子どもを虐待していたのではない。その騒々しさに手を焼いていただけ。あ
るいは、何とか、静かに人の話を聞けるようにしただけ。そういう姿を、垣間見た祖父母は誤
解した。それでこの事件は、起きた。

(付記)
 たまたまテレビを見ていたら、タレントのK女史が、ペラペラとしゃべっていた。昔からよくしゃ
べる人だとは思っていたが、その一方的にしゃべる姿を見ていたら、ふと、この女性は子ども
のころ、ADHD児ではなかったかと思った。それで、この原稿を書いた。
(031220)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(437)

マガジン読者の方が、合計で、1240人になりました!

……と書いても、実感が、まったくわいてきません。そこで読者の方を、「○」で表してみまし
た。○(まる)一個が、一人というわけです。

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(ここまでで、一〇〇〇人)
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○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

(ここまで、ちょうど、一二四〇人)

 ちょうど、ほぼ原稿用紙(A四サイズ)で、一枚分の方ということになります。

 この並んだ○を見ていたとき、少しですが、実感がわいてきました。と、同時に、ズシリとした
責任感を覚えました。(中央のMが、「あなた」です。)

 考えてみれば、いつも、いいかげんなことばかり書いてきたように思います。読者の方の中に
は、怒ったり、不愉快に思っている人もいらっしゃると思います。でも、何とか、マガジンを購読
してくださっている……?

 本当にありがたいことだと思っています。これからも、みなさんがご家庭で、そしてその子育
てで、お役にたてる記事を、どんどんと書いていくつもりです。どうか、末長く、よろしくご購読く
ださい。

 一〇〇〇号までは、まだ長い道のりですが、やっとその三分の一まで、たどりつくことができ
ました。現在、三四〇号前後かと思います。「意外と、早かったなあ(ヤレヤレ!)」という、思い
もあれば、「まだ三分の二もあるのか(ゾーッ!)」という、思いもあります。「一〇〇〇号までは
つづければ、何か、ある」と、私は信じています。「何か、ある」と、です。

 それが何んである、今はわかりませんが、何か、あるはじです。それを、自分で発見してみた
いです。

 どうか、よい新年をお迎えください。みなさんと、みなさんのお子さんの、ご健康と、ご多幸を、
心より、念願しています。
(03012末)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(438)

キャッチミー・イフユーキャン(Catch me, if you can)

 トム・ハンクスと、ディカプリオ主演の、ビデオ「キャッチミー・イフユーキャン」を見た。好き好
きがあるだろうが、私の評価は、★三つ。ワイフの評価は、★四つ。ワイフの評価は、いつも甘
い。

 このビデオは、実話をもとにしているという。私は、その点に、興味をもった。しかしビデオを
見終わったとき、さらに、その点に、興味をもった。

 内容は、一人の天才小切手詐欺師(ディカプリオ)が、FBIの捜査官(トム・ハンクス)に終わ
れ、最後はつかまるという、何でもない、追っかけストーリー。が、トム・ハンクスも、ディカプリオ
も、私のファン。どんどんひきつけられて、私は、最後まで見てしまった。

 このところビデオを見ても、最後まで見るということが、少なくなった。本当のことを言うと、私
は、何度も、途中で見るのをやめようと思った。しかし、「実話」ということが、私をひきつけた。

 私は、その天才詐欺師の話は、以前、ずっと前だが、だれからか聞いたことがある。ビデオ
の内容からすると、その詐欺師は、私とほぼ、同年齢。

 が、最後まで見たとき、私は、実話のおもしろさに、愕然(がくぜん)とした。その天才詐欺師
は、やがてFBIの捜査官として、活躍するようになる。わかりやすく言うと、天才詐欺師が、その
能力を買われて、今度はFBI捜査官になったというのだ。しかもそのため、刑期が短縮された
というのだ。

 ビデオを見終わったとき、「日本では、こういうことは、ありえない」と思った。ありえないこと
は、あなた自身も、よく知っている。

 しかしこの種の話は、日本以外では、よく耳にする。常識とまでは言えないが、常識に近い。
オーストラリア人の友人の中には、小学校の教師を、五、六年したあと、国務省に入り、そこで
一〇年ほど過ごし、さらにそのあと、今度は、大学の教授になった男がいる。

 日本でたとえて言うなら、小学校の教師をしたあと、自衛隊に入り、そのあと大学の教授にな
ったようなもの。日本には、コースというものがある。そのコースから、はずれるということ自
体、ありえない。またそれぞれのコースには、それぞれのコースを歩む人たちがいて、外から
入ってくる人を、認めない。

 いわんや、犯罪者をそのまま、刑務所から引き出して、警視庁の捜査官にすることなど、日
本では、絶対に考えられない! もしそんなことをすれば、頭ガチガチの常識人たち(?)が、
猛反発するにちがいない。

 話は、かなり飛躍するが、こういうのを「自由」という。個人の自由のことではない。国としての
自由をいう。そしてこういう自由というのは、外の世界から見てはじめてわかる自由であって、
その国だけにしか住んだことのない人には、わからない。

 もちろん、子どもの教育にも、大きな影響を与えている。それについて書き始めたら、このエ
ッセーは、終わらなくなってしまう。だからこの話は、ここまでにしておくが、もし、日本でも、そ
の途中で、自由にコースを変えられ、それによるハンディが、なくなるようになれば、子どもの
教育も、大きく変わることは事実。

 アメリカでは、ひょっとしたら何でもないビデオかもしれない。多分、アメリカ人なら、私のよう
に考えることもなく、一つの娯楽映画として、気楽に見るだろう。しかし日本人の私には、そうで
はなかった。

 もしあなたも、このビデオを見たら、心のどこかでそんなことも考えながら見ると、またおもし
ろいのでは……? こまかいところはさておき、大筋では、いろいろと考えさせられる。
(031220)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


子育て随筆byはやし浩司(439)

●できない子を、できるように……

 ある大学生から、質問をもらった。「今度、卒論に、学習困難児について書きたいので、その
定義を教えてほしい」というものだった。

 しかし学習障害児にせよ、困難児にせよ、定義など、ない。要するに、勉強が、目だってでき
ないということ。それだけのこと。

 そこでその大学生は、二度目のメールで、「勉強ができない子どもを、指導するには、どうし
たらいいか」と。

 しかし……。

 だれしも、こうした崇高な(?)理念をもって、教育の世界に飛びこむ。しかし現実は、そんな
に甘くない。

 たとえば個別指導にしても、それをすれば、子どもは、バツととらえる。よい例が、残り勉強で
ある。教師は、「子どものため」と思って、それをする。が、それを喜ぶ子どもなど、絶対に、い
ない。

 また(できない子ども)は、絶対的にできないのであって、(できない)で始まって、(できない)
で終わる。いくら……というより、少しくらい教師が、がんばったところで、(できない子ども)が、
できるようには、ならない。つまり、その間、その子どもは、もがき、苦しむ。そしてキズつく。

 一番、よい方法は、暖かく無視すること。

 というのも、日本の教育は、「皆が一〇〇点では困る。差がつかないから。しかし皆が〇点だ
と、もっと困る。差がわからないから」が、基本になっている。

 もしみなができるようになれば、ハードルは、さらに高くなるだけ。つまり(できない子ども)は、
いつまでたっても、できない子どものまま。あるいは、仮にその子どもができるようになれば、
別の子どもが、今度は、できない子どもになるだけ。

 そして、その(できる・できない)は、結局は、入試→人間選別での、有利、不利へとつながっ
ていく。

 何だかんだといっても、この日本には、学歴社会は、歴然として残っている。不公平社会も、
根強く残っている。こういう日本で、受験競争に背を向けるということは、そのまま「落ちこぼ
れ」を意味する。

 つまり勉強というのが、そのための尺度を測る、道具になっている。が、それだけではない。

 こうした勉強は、どこかのエラーイ、学者先生が組みたてた。だから、おもしろくない。だから
役にたたない。

たしかに将来、数学者になるためには、日本の数学教育は、たいへん体系的にできている。
将来、英文法学者になるためには、日本の英語教育は、たいへん体系的にできている。

 しかし将来、数学者になったり、英文法学者になる子どもは、いったい、何%、いるというの
か。

 そういう(勉強)を、できる、できないを論じても、あまり意味がない。

 この大学生も、自分の受けてきた教育に、何ら疑問をもたないまま、大学生になっている。恐
らく、それが人間形成に必要不可欠な知識と思いこまされて、微分や積分、三角関数を学んで
きたに違いない。あるいは関係副詞を学び、従属接続詞を学んきたに違いない。そして今、そ
の結果として、教師になり、今度は、それを子どもたちに、教えようとしている。

 どこか、視点が違うのでは、ないか? 明治時代なら、いざ知らず。しかし今は、時代が違
う。にも、かかわらず、「基礎学力」という亡霊が、いまだに、この日本には、はびこっている。

 どうして、勉強というのは、できなければいけないのか? 一次方程式や二次方程式が、どう
して解けなければいけないのか? 私など、文科系の学生ということもあったが、大学を卒業し
て以来このかた、ただの一度も、二次方程式はもちろんのこと、一次方程式すら、日常生活
で、使ったことは、ただの、一度も、ない。

 私はその大学生の疑問に答えながら、何とも言われない絶望感を覚えた。自分自身が、そ
の大学生のもつ価値観の中に、巻きこまれていくかのような絶望感である。本当の私は、こう
言いたかった。

 「勉強? できなくてもいいのです。そのかわり、もっと教育の多様性を認めて、料理がじょう
ずな子どもは、その道で。水泳が得意な子どもは、その道で。工作が得意な子どもは、その道
で。そうしたことが、それぞれの子どもについて、伸ばせるような教育環境をつくることのほう
が、大切なのです。

 今のように、中学、高校、大学と、その関門ごとに、その学力で、ふるい落とされていく、日本
の教育システムのほうが、おかしいのです。

 せっかくすばらしい才能をもちながら、受験勉強になじまないという理由だけで、その才能を
つぶされていく子どもたちが、あまりにも多いのです。勉強どころではないのです。

 微分や積分などわからなくても、人間味豊かな子どもは、いくらでもいます。たとえばそういう
子どもが医者になったら、この日本は、もう少し、住みやすくなるはずです」と。

 そうそう、この日本では、一度、そのコースから離れると、そのコースに戻るのは、ほぼ、不
可能。とくに、公的なコースは、そうで、それが日本の官僚社会の基盤になっている。

私たちがすべきことは、その「行政改革(=官僚政治の是正)」だが、それがいかにむずかしい
ことかは、もう、みなさん、ご存知のとおりである。
(031221)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


子育て随筆byはやし浩司(440)

【2003年よ、さようなら!】

 マガジンは、来年1月4日号まで、休みます。少し前後が入れかわりますが、来年も、よろしく
お願いします。

 今年一年、マガジンのおかげで、充実した日々を過ごすことができました。毎日、マガジンの
発行に追われつづけましたが、それなりに緊張感があって、結構、楽しむことができました。

 これも、マガジンの読者の方がいてくださったおかげです。心から、お礼を申しあげます。あり
がとうございました。

 この世界、つまり出版(もの書き)の世界には、一つの大鉄則があります。昔、S出版会社の
D社長が、教えてくれた言葉です。それは、「いつも全力で書け。出し惜しみするな」です。

 私は、いつも、つまり毎号、全力を出し切って原稿を書いてきました。すべてをさらけ出すつも
りで、です。一度だって、出し惜しみしたことはありません。

 しかしそれでも、そのときどきにおいて、その過去に書いた文章を読むと、どこか稚拙(ちせ
つ)な感じがします。まちがいもあります。「どうして、こんなことを書いたのだろう」「こう書けば
よかった」と、思うこともあります。

 ですから、書くときは、いつも、真剣勝負です。決して、手抜きをしないというのが、私の座右
のモットーにもなっています。「あとで、後悔するような文章は、書くな」と。

 結果、こうしてマガジンを発行しつづけたわけですが、本当に、すばらしい経験になりました。
この一年間は、私の人生の中でも、もっとも充実した一年間ではなかったかと思います。(ホン
ト!)

 もちろんこのマガジンは、「育児マガジン」です。またほとんどの読者の方も、それを求めて、
このマガジンを購読してくださっています。ですから、育児を中心とした記事を、掲載していま
す。

 しかし育児を考えていくと、そこには、どうしても親の生きザマの問題、さらには、育児を包
む、社会的、教育的環境の問題が、からんできます。書いているうちに、どんどんとワクが、広
がっていくのは、そのためです。

 ときには、政治問題について書くこともあります。K国の金XXについての記事が多いと思いま
すが、そうそう、「ついに……」というか、「とうとう……」というか、先日(一二月一八日)に、ハン
グル文字で書かれた、抗議のメールが、届きました。

 簡単な翻訳ソフトで、翻訳してみましたら、恐ろしい脅迫めいた文言が並んでいました。もち
ろん、私は、無視して、削除。

 三〇代のころの私なら、それだけで震えあがったでしょうが、今は、そうではありません。四
〇代のころは、あるカルト教団を相手に、猛烈に原稿を書いたことがあります。雑誌や週刊誌
にも、毎月のように投稿しました。本も、単行本だけで、五冊も書きました。

 今は、もうその世界から足を洗いましたが、その結果、私には、こわいものがなくなってしま
いました。「何でも、来い!」という感じです。足を洗ったのは、その問題から、逃げたからでは
なく、わずらわしくなったからです。

 新しい年、〇四年も、いろいろあるでしょう。それを期待しているわけでもありませんが、何
か、スリリングな一年になるような気もします。航海にたとえて言うなら、目下、海は荒れ、風は
強しというところでしょうか。

 そういう海に向って、私は、今、船の調整をしているといった感じです。新しい船出は、もうす
ぐ。がんばります。

 みなさんも、どうかご健康には、留意し、すばらしい一年をお迎えください。こうしてみなさん
に、年末のあいさつができることを、心から、喜んでいます。

 この一年間、ありがとうございました!

++++++++++++++++++++

【街角で……】

 今日(一二月二一日)は、明日からのクリスマス週間のため、子どもたちへのプレゼントを買
いにでかけた。

 プレゼントといっても、BW教室では、毎年、貯金箱を渡すのが、恒例になっている。それにこ
こ五、六年は、一〇〇円ショップに、よい貯金箱がある。空き缶のような貯金箱で、一度、貯金
をしたら、缶切りであけないかぎり、お金を出せないというのである。

 プレゼントは、それに決めている。

 帰りに、駅前のデパートに寄ってみた。Eデパートという、デパートである。ワイフやデニーズ
に何かよいものはないかと思って、少し歩いてみたが、値段の高いのには、驚いた。

 小さなサイフですら、三万円〜四万円。コートが、九万円〜一〇万円!

 ものの値段が、あのバブル経済のころに、もどりつつあるように思う。新年度も、日本は、三
〇兆円以上もの、赤字国債を発行することになった。国家税収が、約四〇兆円と少しだから、
ほぼそれと同じ額を、借金することになる。

 (わかりやすく言えば、月収、四〇万円の人が、別に三〇万円の借金をして、毎月、七〇万
円の生活をしているようなもの!)
 
 そういう世界から、あぶれたお金が、こういうところの値段に反映されているのだろう。貧しい
人は、いくら働いても、その貧しさから抜け出られない。そういう現実がある一方で、そういうコ
ートを、何のためらいもなく、買うことができる人もいる。

値段を見たとき、私は、バカバカしくて、ため息も出なかった。

デパートを出ると、巨大なクリスマスツリーが、夜空を飾っていた。私は、携帯電話で何枚か、
写真をとった。ここ数日、肌を切るような寒波が、日本中をおおっている。多少ゆるんだとは言
え、今日も、寒かった。写真をとると、そそくさと、駐車場へと急いだ。時刻は、六時少し前だっ
たが、空は、もうまっ暗だった。

 明日(二二日)は、一年でも一番、日が短い、冬至である。

++++++++++++++++++++

【宝くじを買う】

 街角の宝くじ屋で、宝くじを、一〇枚、二〇〇〇円で買う。毎年、年末ジャンボ宝くじを買って
いたが、今年は、買うのを忘れてしまった。それで、何とかという、地方自治宝くじにした。

 が、この種のクジは、当たったためしが、ない。そのクジをワイフに渡すと、ワイフは、「一億
円は無理でも、せめて、一〇〇〇万円でもいい」と言った。

 バカめ。私は、一万円でもいいと思っている。一〇〇〇万円なんて、当たるわけがない。

 しかし一億円が当たったら、どうしよう? ……と、毎年考えるが、要するに、その夢を買うの
が、宝くじ。

で、当たったら、まず、超高性能のパソコンを買う。それにフライト・シミュレーター04(MS社)
をインストールして、遊ぶ。何とも、せこい夢だが、今は、それしか頭に思い浮かばない。

+++++++++++++++++++

【自治会】

 自治会で、今度、公民館を改築することになった。その会合が、昨夜、あった。

 この町内だけでも、一五〇〇世帯もある。うち、持ち家世帯は、約六五〇世帯。残りは、アパ
ートなどの借家住人。外国人も、多い。

これだけの町内でありながら、公民館は、小さな、建坪三〇坪足らずの、木造のボロ家(失
礼!)。それで改築ということになった。

 が、アンケート調査の結果では、改築反対が、六〇%! 負担金が、一世帯あたり、八万円
になる。

 そこで自治会が、暗礁(あんしょう)に、乗りあげてしまった。「公民館は必要だ」、しかし「反対
意見をどう乗り切るか」と。

 つまり「六〇%が反対だから、公民館の改築をやめる」というわけにはいかない。私が山荘を
もっている、K村は、住人がたったの三〇世帯だが、この町内の公民館より、広くて立派な公
民館をもっている。

 また反対者がそれだけ多いのは、借家住人が多いということ。それに、「お金を出したくない」
という単純な理由で、反対している人も多い(?)。

 で、会合ということになった。

 が、みなは、委任状の不備を問題にして、自治会長を一方的に、責めるのみ。「はっきりし
ろ」「あいまいだ」「委任状の性格がわからない」「再度、委任状を作りなおせ」と。

 たしかに自治会長が住民に求めた委任状は、どこかおかしい。しかし、その「おかしさ」は、
苦肉の策とも言える。反対者が多い借家住人を、最初から排除するわけにもいかない。また
「お金を出したくない」という人から、強制的に、お金を集めるわけにもいかない。

 そういう中で、今回の、内容がよくわからない委任状ということになった。「班長に、決断を任
せます」という内容の委任状である。(まさか一六〇〇世帯の住人すべてを集めて、全体会議
を開くというわけにもいかないし……。)

 私も、終わりのところで、意見を言った。

 「みなさんは、会長を一方的に責めますが、こうした会合を開くまでに、いかに会長が、個人
的な立場で、苦労してこられたか、ご存知でしょうか。

 私も、土地さがしでは、協力しましたが、会長は、東京に住む地主に、直談判までしてきまし
た。もちろん、自腹を切って、です。

 こうした公民館の改築問題では、反対者をある程度、強引に押し切るところは押し切り、ナー
ナーですますところは、ナーナーですまさないと、前に進みません。だれも、今のままでよいと
は、思っていないはずです。

 今、大切なことは、委任状の不備を指摘することではなく、『会長さん、ここまでよくやってくれ
ました。あとの不備は、私たちが補いますから、これからもがんばってください』と言うことでは
ないでしょうか。

 何とも、情緒的な意見になってしまいましたが、これが私の意見です」と。
 
 だれだって、お金は、出したくない。とくに、自治会の活動を、ほとんどしていない人ほど、そう
だろう。しかしここにも書いたが、だからといって、そういう人を区別して、最初から、排除する
わけにもいかない。

 もっとも、公民館そのものにも、疑問がないわけではない。戦前は、公民館は、住民管理の
拠点として、利用された。そういういきさつもあるが、しかし一五〇〇世帯も住んでいながら、会
合場所が、今の公民館でよいとは、だれも思っていない。この三五年間で、この地域の様子
も、大きく、変わった。

 私が三五年前に住み始めたときには、私の家から、西は浜名湖から、東は浜松駅まで、途
切れることなく、新幹線が走っていくのが見えた。荒地の野原のようなところだった。が、今は、
住宅が、密集している。今の公民館は、そのときよりも、さらに一〇年前に建てられたものだと
いう。

 自治会長が、「建てられたときは、田んぼの真ん中にポツンとありました」と言ったのを、覚え
ている。たった四〇年前には、このあたりが田んぼだったという。が、今、いったい、だれがそ
れを信ずるだろうか。つまりそれくらい、このあたりも、変わった。今回の、公民館の改築問題
は、そういう流れの中で、生まれた。

++++++++++++++++++++

【友人のホームページ】

 「ホーム・ページ」という言い方は、日本の言い方。英語では、「ウェブ・サイト」と言う。どうでも
よいことだが、ときどき、混乱する。

 そのホームページを、友人のK氏が作った。「見てくれ」というので、見た。が、驚いたことに、
プロフィールのところに、住所、実名、電話番号まで書いてあった!

 さっそくそういった個人情報は、削除するように、アドバイスする。

 この世界には、とんでもない「ワル」がいる。よく知られた例では、スパムメール(特定の業者
から、不特定多数に送られるメール)や、チェーンメール(昔の『不幸の手紙』のようなメール)
などがある。

 さらに住所や名前がわかれれば、架空請求書を、送りつけられたり、ネット・ストーカーにつ
け回される危険性すら、ある。個人の電話番号がわかれば、執拗な電話をかけてくることもあ
る。

 で、私のばあいだが、「はやし浩司」は、本名である。またホームページのほうでは、かなりプ
ライベートな部分まで、暴露している。

 だから反対によく、「だいじょうぶですか?」と聞かれる。しかし今のところ、散発的に抗議のメ
ールや電話(たいていはFAX)が届く程度で、実害はない。もともと「子育てサイト」という、あま
りそういった世界とは関係のないサイトであるということも、理由の一つかもしれない。

 プラス、まったく私のサイトは、無益。ワルにしても、私を攻撃しても、何の利益にもならない。
……と思う。

ただ用心するにこしたことはない。自宅の電話番号は、非公開にしている。もう一本、番号をオ
ープンにしている電話もあるが、常時留守番電話とし、なおかつ、ナンバーディスプレイにして
いる。公衆電話などからは、つながらないようにも設定してある。

 問題は、メールアドレスだが、これはしかたない。しかたないというのは、あまり公開したくな
いが、公開しているということ。しかし電話とちがって、メールのほうは、読みたいときに読め
る。件名を見ただけで、削除することもできる。電話のようなわずらわしさは、ほとんど、ない。

 翌日、K氏のホームページを見ると、個人情報は、削除されていた。私のアドバイスを、すな
おに受け入れてくれたらしい。
(031222)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(441)

●思考力

 子どもの思考力は、つぎの四つに分けて考える。

@思考の俊敏(しゅんびん)性 
A思考の拡散(かくさん)性
B思考の柔軟(じゅうなん)性
C思考の深遠(しんえん)性

@思考の俊敏(しゅんびん)性というのは、反応の早さをいう。たとえば丸と三角形を、それぞ
れ、5〜10個描いたカードを見せ、「丸はいくつ?」と聞く。思考が俊敏な子どもは、瞬時に判
断し、数を数え、その数を言う(年中児)。

A思考の拡散(かくさん)性というのは、思考の広がりをいう。たとえば空き缶を見せ、「この空
き缶を使うと、どんなことで役にたちますか」と聞く。思考の拡散性にすぐれている子どもは、
「鉛筆立てになる」「コップにもなる」「紙粘土でおおえば、花瓶になる」と、つぎつぎと新しいアイ
デアを考え出していく。

B思考の柔軟(じゅうなん)性というのは、臨機応変にものごとを考えていく力をいう。「雨が降
ったら、かさをさす」「かさがなければ、雨宿りする」「近くに家がなければ、大きな木の下に隠
れる」「木がなければ、カバンをかさにする」と。

C思考の深遠(しんえん)性というのは、いわゆる思考の深さをいう。「石ころは、ふぉこから生
まれますか」と聞くと、「土の中」と答えたりする。そこで、「では、どうして土の中から生まれるの
ですか」と聞くと、しばらく考えたあと、「土がかたまって石になる。みんなが、踏みつけるから、
石になる」などと、答えたりする。

こうした思考力で、最近、とくに気になるのは、突飛もないことを言う子どもがふえていること。
また突飛もないことを口にする子どもを、「おもしろい」とか、「すぐれている」と、誤解するケー
スが、多いこと。

 以前、私は、『イメージが乱舞する子ども』というテーマで、エッセーを書いたことがある。(ここ
に添付。中日新聞経済済み。)

 たとえば言っていることが支離滅裂。前後の脈絡そのものがない。言葉だけではなく、行動
も、支離滅裂なことが多い。

 バタンと、突然床に倒れて、「ああ、今日は、カレーライス、食べた」と叫ぶ。そしてそのまま両
手を広げて、「天井、天井、天井には、ゴキブリが二匹!」と。今度はパッと飛び起き、「先生、
今度、たこ焼きを食べに行こう。行こう、行こう」と。私がとまどっていると、つぎの瞬間には、隣
の子どもにおおいかぶさり、「おお、お前、なかなかやるじゃん」と。

 目まぐるしく動きまわり、そのつど、興味の対象も、動く。ADHD児と異なる点は、それなりに
抑えがきくということ。強く叱ったりすると、静かに作業をしたりする。ADHD児のように、無意
識的な行動というよりは、どこかで計算しながら、意識的に行動する。

 私は、テレビやテレビゲームなどの、映像文化の悪影響を疑っている。このタイプの子ども
は、たいてい、家の中では、テレビゲーム漬けの生活をしていたりする。つまり脳の、ある特異
な分野だけが、異常に刺激されるため、そうなると考えている。

 ちなみに、子どもたちのしているテレビゲームをのぞいてみるとよい。そのあまりの速さに、
みなさんも、驚くことと思う。

+++++++++++++++++++

子どもの脳が乱舞するとき

●収拾がつかなくなる子ども

 「先生は、サダコかな? それともサカナ! サカナは臭い。それにコワイ、コワイ……、あ
あ、水だ、水。冷たいぞ。おいしい焼肉だ。鉛筆で刺して、焼いて食べる……」と、話がポンポ
ンと飛ぶ。

頭の回転だけは、やたらと速い。まるで頭の中で、イメージが乱舞しているかのよう。動作も一
貫性がない。騒々しい。ひょうきん。鉛筆を口にくわえて歩き回ったかと思うと、突然神妙な顔
をして、直立! そしてそのままの姿勢で、バタリと倒れる。ゲラゲラと大声で笑う。その間に感
情も激しく変化する。目が回るなんていうものではない。まともに接していると、こちらの頭のほ
うがヘンになる。

 多動性はあるものの、強く制止すれば、一応の「抑え」はきく。小学二、三年になると、症状が
急速に収まってくる。集中力もないわけではない。気が向くと、黙々と作業をする。

三〇年前にはこのタイプの子どもは、まだ少なかった。が、ここ一〇年、急速にふえた。小一
児で、一〇人に二人はいる。今、学級崩壊が問題になっているが、実際このタイプの子ども
が、一クラスに数人もいると、それだけで学級運営は難しくなる。あちらを抑えればこちらが騒
ぐ。こちらを抑えればあちらが騒ぐ。そんな感じになる。

●崩壊する学級

 「学級指導の困難に直面した経験があるか」との質問に対して、「よくあった」「あった」と答え
た先生が、六六%もいる(九八年、大阪教育大学秋葉英則氏調査)。「指導の疲れから、病
欠、休職している同僚がいるか」という質問については、一五%が、「一名以上いる」と回答し
ている。

そして「授業が始まっても、すぐにノートや教科書を出さない」子どもについては、九〇%以上
の先生が、経験している。ほかに「弱いものをいじめる」(七五%)、「友だちをたたく」(六六%)
などの友だちへの攻撃、「授業中、立ち歩く」(六六%)、「配布物を破ったり捨てたりする」(五
二%)などの授業そのものに対する反発もみられるという(同、調査)。

●「荒れ」から「新しい荒れ」へ

 昔は「荒れ」というと、中学生や高校生の不良生徒たちの攻撃的な行動をいったが、それが
最近では、低年齢化すると同時に、様子が変わってきた。「新しい荒れ」とい言葉を使う人もい
る。ごくふつうの、それまで何ともなかった子どもが、突然、キレ、攻撃行為に出るなど。多くの
教師はこうした子どもたちの変化にとまどい、「子どもがわからなくなった」とこぼす。

日教組が九八年に調査したところによると、「子どもたちが理解しにくい。常識や価値観の差を
感ずる」というのが、二〇%近くもあり、以下、「家庭環境や社会の変化により指導が難しい」
(一四%)、「子どもたちが自己中心的、耐性がない、自制できない」(一〇%)と続く。そしてそ
の結果として、「教職でのストレスを非常に感ずる先生が、八%、「かなり感ずる」「やや感ず
る」という先生が、六〇%(同調査)もいるそうだ。

●原因の一つはイメージ文化?

 こうした学級が崩壊する原因の一つとして、(あくまでも、一つだが……)、私はテレビやゲー
ムをあげる。「荒れる」というだけでは、どうも説明がつかない。

家庭にしても、昔のような崩壊家庭は少なくなった。むしろここにあげたように、ごくふつうの、
そこそこに恵まれた家庭の子どもが、意味もなく突発的に騒いだり暴れたりする。そして同じよ
うな現象が、日本だけではなく、アメリカでも起きている。

実際、このタイプの子どもを調べてみると、ほぼ例外なく、乳幼児期に、ごく日常的にテレビや
ゲームづけになっていたのがわかる。ある母親はこう言った。「テレビを見ているときだけ、静
かでした」と。「ゲームをしているときは、話しかけても返事もしませんでした」と言った母親もい
た。たとえば最近のアニメは、幼児向けにせよ、動きが速い。速すぎる。しかもその間に、ひっ
きりなしにコマーシャルが入る。ゲームもそうだ。動きが速い。速すぎる。

●ゲームは右脳ばかり刺激する

 こうした刺激を日常的に与えて、子どもの脳が影響を受けないはずがない。もう少しわかりや
すく言えば、子どもはイメージの世界ばかりが刺激され、静かにものを考えられなくなる。

その証拠(?)に、このタイプの子どもは、ゆっくりとした調子の紙芝居などを、静かに聞くこと
ができない。浦島太郎の紙芝居をしてみせても、「カメの顔に花が咲いている!」とか、「竜宮
城に魚が、おしっこをしている」などと、そのつど勝手なことをしゃべる。一見、発想はおもしろ
いが、直感的で論理性がない。

ちなみにイメージや創造力をつかさどるのは、右脳。分析や論理をつかさどるのは、左脳であ
る(R・W・スペリー)。テレビやゲームは、その右脳ばかりを刺激する。こうした今まで人間が経
験したことがない新しい刺激が、子どもの脳に大きな影響を与えていることはじゅうぶん考えら
れる。その一つが、ここにあげた「脳が乱舞する子ども」ということになる。

 学級崩壊についていろいろ言われているが、一つの仮説として、私はイメージ文化の悪弊を
あげる。

(付記)

●ふえる学級崩壊

 学級崩壊については減るどころか、近年、ふえる傾向にある。一九九九年一月になされた日
教組と全日本教職員組合の教育研究全国大会では、学級崩壊の深刻な実情が数多く報告さ
れている。「変ぼうする子どもたちを前に、神経をすり減らす教師たちの生々しい告白は、北海
道や東北など各地から寄せられ、学級崩壊が大都市だけの問題ではないことが浮き彫りにさ
れた」(中日新聞)と。「もはや教師が一人で抱え込めないほどすそ野は広がっている」とも。

 北海道のある地方都市で、小学一年生七〇名について調査したところ、
 授業中おしゃべりをして教師の話が聞けない……一九人
 教師の指示を行動に移せない       ……一七人
 何も言わず教室の外に出て行く       ……九人、など(同大会)。

●心を病む教師たち

 こうした現状の中で、心を病む教師も少なくない。東京都の調べによると、東京都に在籍する
約六万人の教職員のうち、新規に病気休職した人は、九三年度から四年間は毎年二一〇人
から二二〇人程度で推移していたが、九七年度は、二六一人。さらに九八年度は三五五人に
ふえていることがわかった(東京都教育委員会調べ・九九年)。

この病気休職者のうち、精神系疾患者は。九三年度から増加傾向にあることがわかり、九六
年度に一時減ったものの、九七年度は急増し、一三五人になったという。この数字は全休職
者の約五二%にあたる。(全国データでは、九七年度は休職者が四一七一人で、精神系疾患
者は、一六一九人。)さらにその精神系疾患者の内訳を調べてみると、うつ病、うつ状態が約
半数をしめていたという。原因としては、「同僚や生徒、その保護者などの対人関係のストレス
によるものが大きい」(東京都教育委員会)ということである。

●その対策

 現在全国の二一自治体では、学級崩壊が問題化している小学一年クラスについて、クラスを
一クラス三〇人程度まで少人数化したり、担任以外にも補助教員を置くなどの対策をとってい
る(共同通信社まとめ)。また小学六年で、教科担任制を試行する自治体もある。具体的に
は、小学一、二年について、新潟県と秋田県がいずれも一クラスを三〇人に、香川県では四
〇人いるクラスを、二人担任制にし、今後五年間でこの上限を三六人まで引きさげる予定だと
いう。

福島、群馬、静岡、島根の各県などでは、小一でクラスが三〇〜三六人のばあいでも、もう一
人教員を配置している。さらに山口県は、「中学への円滑な接続を図る」として、一部の小学校
では、六年に、国語、算数、理科、社会の四教科に、教科担任制を試験的に導入している。大
分県では、中学一年と三年の英語の授業を、一クラス二〇人程度で実施している(二〇〇一
年度調べ)。
(031222)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
 
子育て随筆byはやし浩司(442)

●世にも不思議な留学記

 2004年の1月4日号から、『世にも不思議な留学記』を、マガジンで、1〜35回に分けて、
連載します。どうか、ご期待ください。

その留学記の冒頭は、こんな文章で始まります。

++++++++++++++++++++++

隣人は西ジャワの王子だった【1】

●世話人は正田英三郎氏だった

 私は幸運にも、オ−ストラリアのメルボルン大学というところで、大学を卒業したあと、研究生
活を送ることができた。

世話人になってくださったのが正田英三郎氏。皇后陛下の父君である。おかげで私は、とんで
もない世界(?)に足を踏み入れてしまった。

私の寝泊りした、インターナショナル・ハウスは、各国の皇族や王族の子息ばかり。西ジャワの
王子やモ−リシャスの皇太子。ナイジェリアの王族の息子に、マレ−シアの大蔵大臣の息子な
ど。ベネズエラの石油王の息子もいた。

 「あんたの国の文字で、何か書いてくれ」と頼んだとき、西ジャワの王子はこう言った。「インド
ネシア語か、それとも家族の文字か」と。「家族の文字」というのには、驚いた。王族には王族
しか使わない文字というものがあった……(つづく)。

+++++++++++++++++++++

 私にとっては、この原稿は、特別な思いのあるものです。今でも、この原稿を読みなおすたび
に、胸に、じんと熱いものが、よみがえってきます。

 あの時代は、私の青春時代であると同時に、人生のすべてでした。今の私などは、その残り
火の中で、ようやく生きているといった感じです。

 決して、おおげさなことを言っているのではありません。ただ、そのときは、わかりませんでし
た。あの時代が、かくも、その後の私のすべてを支配するようになるとは!

 夢中で通りすぎた、あの時代。それを書いたのが、『世にも不思議な留学記』です。私は、こ
の原稿を書くために、今まで、無数の原稿を書いてきたように思います。私のすべては、この
原稿に始まり、この原稿に終わると言っても、過言ではありません。まさにこの原稿は、私の
「命」です。

 ただこの原稿を書き始めたのが、1971年のはじめ。そのときは、何度書いても、うまくまと
めることができませんでした。

 そのかわり、当時私は、ただひたすら、日記を書きつづけました。その日記をもとに、それか
らほぼ25年後、私が45歳をすぎたころですが、今回紹介する、『世にも不思議な留学記』をま
とめました。中日新聞のほうで、連載記事を頼まれたのが、きっかけでした。

 さらにその後、金沢学生新聞のほうでも、連載してもらえることになり、2003年の現在も、連
載中です。

 それを今回、マガジンを購読してくださっている方に、これら中日新聞、金沢学生新聞などに
発表した原稿を、少し手直しをし、お届けすることにしました。未発表の原稿も含めて、全部
で、計35作になります。

 なおHTML版のほうでは、当時の写真や資料などを添え、よりみなさんに楽しんでいただけ
るようにしました。これから先、約2か月半にわたる、長い連載になりますが、どうか、お楽しみ
ください。
(031222)

【連載に先だって……】

 ここに二枚のコピーが、あります。一枚は、「留学試験合格の通知書」。もう一枚は、北陸地
方の地方紙である、北国新聞の記事です。

 この通知書にある、「正田英三郎」というのが、現在の皇后陛下の父君です。またその合格
通知を受けて、北国新聞社が、私を取材してくれました。それが、この記事です。
(HTML版のほうで、収録。)

 こうした資料を公開するのは、今回が、はじめてです。今まで、こういうことを書くこと自体に、
抵抗を感じました。また、率直に言って、どこか、自分が情けなくて、公表できませんでした。

 いつか、それなりの人物になったら……と思っていましたが、そういうときは、とうとうやってき
ませんでした。これからも、やってこないでしょう。正田氏にしても、数年前、なくなってしまいま
した。

 何とも不完全燃焼のまま、青年期を終え、壮年期を終えてしまった感じです。だからこそ、こ
の『世しにも不思議な留学記』が、今また、心の中で燃えるのかもしれません。

 そんな熱い思いを、この『世にも不思議な留学記』の中に、感じていただければ、こんなうれ
しいことはありません。どうか、ご一読ください。心から、お願いします。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
 
子育て随筆byはやし浩司(443)

●親の犠牲心 

 あなたは今、子育てをしながら、心のどこかで、自分が、犠牲になっているのを感じていない
だろうか。「子どものため」を口にしながら、その一方で、「産んでやった」「育ててやった」と、思
っていないだろうか。

 実のところ、私とて、三人の息子たちを育てながら、そんな気持が、まったくなかったわけで
はない。楽しいときばかりではなかったし、苦しいときや、つらいときもあった。子育てを重荷に
感じたことも多い。

 だから今。ほぼ三人の子育てを終えつつある今、子どもたちの巣立ちにほっとする一方で、
心のどこかで、ある種の虚(むな)しさを感ずることもある。気がついてみると、息子たちは、も
う、そこにはいない。残されたのは、私とワイフの二人だけ、と。

 ただ幸いなことに、私の今の生活は、子育てをしていたときと、ほとんど変わりがないというこ
と。犠牲になった部分がなかったわけではないが、しかし今も、相変わらず、そのままの生活を
つづけている。

 しかし今、もし、その犠牲になった部分だけ、今の私がなかったら、今ごろ私は、どうなってい
ただろうかと考える。たとえば生活費のすべてを、子どもの学費に注ぎ、そのため多額の借金
をかかえていたとしたら……。

 実際、そういう人は、少なくない。

 Gさん(母親)は、バブル経済の始まるころとはいえ、一人息子の教育費には、惜しみもなく、
お金を使っていた。三〇万円もする、英語教材を買い求めたり、夏休みや、冬休みには、東京
の特訓教室へ連れていったりするなど。決して、裕福な家庭ではなかった。

 その結果、Gさんのその一人息子は、それなりに有名な大学に進学はしたものの、今でもG
さんは、公営の団地に住んでいる。が、もしGさんが、こうした教育費を、自分のために使って
いたら、今ごろは、家の一軒くらいなら、買えたかもしれない。

 現在の、そのGさんと、一人息子の関係は、私は知らない。が、その関係がそれなりによけ
れば、Gさんは、そうしたお金を使ったとしても、それに報われたことになる。反対に、そうでな
ければ、そうでない。

 いくら無条件の愛といっても、また、子育てに報酬は求めないとはいっても、いつも、そうと割
り切ることはできない。それがここでいう「犠牲」ということになるが、そうした犠牲心が大きけれ
ば大きいほど、それは、あとあとまで、尾を引くことになる。

 たとえば今、自分を静かに振りかえってみたとき、「これでよかった」と思う部分は、たしかに
大きい。しかし、「結局は、残されたのは、私たちだけ」と思う部分も、まったく、ないわけではな
い。ワイフは、「これからの人生は、私たちで楽しみましょう」とは言うが、そう、自分に言って聞
かせなければならないというのも、どこか、さみしい。

 ただ私のばあいは、子育てをしながら、そのつど、自分なりに、楽しむことに心がけてきた。と
くに息子たちに向って、「産んでやった」「育ててやった」、さらには「大学を出してやった」と言う
のは、禁句にしてきた。理由がある。

 私は、子どものころから、父親や母親のみならず、叔父や叔母たちにも、そう言われつづけ
てきた。そのとき、私自身が感じた重荷を、息子たちには、感じてほしくなかった。その反動も
あって、私は、息子たちには、いつも、こう言ってきた。「親孝行なんて、くだらないことは、考え
なくていい」と。「お前たちは、お前たちで、自分の人生を生きればよい」とも。しかしそれでも、
何か割り切れないものが、残る(?)。

 とくに二男は、アメリカ人の女性と結婚し、アメリカに住んでいる。国籍も、そのうち、アメリカ
人になる。孫も生まれたが、ほとんど、日本語を教えていない。奥さんも、日本語を勉強してい
ない。

 こうした「表面的な形」には、耐えられるとしても、二男は、クリスチャンになり、うわべはとも
かくも、私やワイフの生き方や、哲学を、心の中では、否定し始めている。私が五六年間かけ
て身につけた生きザマなど、彼らが言うところの「神」の前では、一片の価値もない。心そのも
のが、私たちの届かない、はるか遠くに行ってしまった。

 全体としてみれば、「これでよかった」とは思うが、しかしそれが私の望んだ方向であったかど
うかとなると、よくわからない。つまりその「わからない」部分こそが、私の犠牲心に根ざしてい
るということになる。

 だから今、こういうことは言える。

 いくら子育てで苦労はしても、どこかで自分が犠牲になっているように感じたら、それは、本
来の子育てではないということ。「産んでやった」「育ててやっている」と感じたら、それは、本来
の子育てではないということ。

 そうではなく、本来、子育てというのは、親自身が、楽しんでするももの。また楽しむべきも
の。そういう意味で、子育てというのは、子どものためにするものではなく、自分のためにする
もの。

 私にしても、もし息子たちがいなかったら、こうもがんばらなかったと思う。またこうまで人生
を、楽しむことはできなかったと思う。さらに、子育てをとおして、息子たちから、教えられたも
のも、多い。だからここに書いた「迷い」は、あくまでも、私の心の中の、一部にすぎない。決し
て、すべてではない。

 要するに、親は親として、自分を保ちながら、子育てをせよということか。今は、まだよくわか
らないし、この程度のことしか書けないが、おおむね、このエッセーの結論としては、それほ
ど、まちがってはいないと思う。

 逃げるようで申しわけないが、この先のことは、もう少し、時間がたってみないとわからない。
ここで何らかの結論を出すことは、危険なことのように思う。なぜなら私自身、まだ、その子育
てから完全に解放されているわけではないからである。
(031223)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(444)

貯金箱

 毎年、私の教室では、クリスマスプレゼントとして、貯金箱を、子どもたちに与えている。しか
し与えるとき、コツがある。その貯金箱に、一〇〇〜二〇〇円の、小銭を入れてやる。つまり
は、それが誘い水となって、子どもは、貯金をし始める。

 カラの貯金箱だと、そのままにしてしまう子どもがいる。しかしたとえ一〇〇円でも、その中に
入っていると、捨てるわけにはいかない。さりとて、貯金箱をこわして、取り出すこともできな
い。かくして、子どもは、その貯金箱を使って、貯金をし始めるというわけである。

 私も子どものころ、よく貯金をした。小学生のときだが、最高で、一万二〇〇〇円くらいまでし
た記憶がある。当時の一万円と言えば、大卒の初任給程度である。今のお金になおすと、二
〇〜二五万円くらいか。

 しかしあのお金は、どうなってしまったのか。自分で使った覚えはないので、多分、親に取ら
れてしまったのではないかと思う。私の親は、私が子どものときから、そういう親だった。ホン
ト!

 いや、当時は、そういう時代だった。親の力は絶対で、「子どものものは、親のもの」という考
え方が、常識的だった。あるいは、子どもは、家、もしくは、親の付録のようなものだった。児童
憲章とか何とか、そういう子どもの権利が、広く認められるようになったのは、私が成人してか
らのことではなかったか。

 私は、浜松に住むようになってからも、収入の約半分は、毎月、実家に送金していた。今の
時代の若い人たちには、考えられないことかもしれないが、当時は、そういうことをする人は珍
しくなかった。親は親で、そういうことを当たり前のこととしていたように思う。

これはずっとあとになってわかったことだが、親は、私がそうして仕送りしている話を、親戚はも
ちろん、私の姉にすら、話していなかった。親には親の、プライドがあったのかもしれない。 

 それはさておき、私は、そんなわけで、子どものころから、お金をためるのが好きだった。毎
月、数字がふえていくのが楽しかった。そういう点では、倹約家だったかもしれない。

 だから今でも、子どもたちに貯金箱を渡すと、あのころの思いが、ふと心の中に、もどってく
る。「お年玉をもらっても、この中に入れておくんだよ」と声をかけた。子どもたちも、うれしそう
に、それにうなずいた。
(031223)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


子育て随筆byはやし浩司(445)

●スケベ心

 今朝(03・12月)の朝刊に、こんな記事が載っていた。

 いわく、「わいせつ教職員、(全国で)、懲戒(過去最高)一四八人」と。

 つまり生徒や児童に、わいせつ行為をして、懲戒バツを受けた教職員が、一四八人もいたと
いうのだ。

 「……このうち、懲戒免職は、九七人(前年度比四四人増)と、やはり過去最高」(Y新聞)と。

 しかしこの世界の人なら、みな、知っているが、こんなのは、まさに氷山の一角。表ザタにな
る事件など、一〇に一つもない。新聞に載るような事件になるのは、一〇〇に一つもない。そ
のほとんどは、闇から闇へと、葬られる。(だからといって、先生を責めているのではない。誤
解のないように!)

 そこで私のこと。ここらあたりで、正直に書いておくことは、決して、ムダにはならないと思う。

 私は、教育評論家という肩書きをもっている。いわば聖職者(?)。少なくとも、世間の人は、
そう見ている。また私は、自分の写真を見ても、そのタイプの人間だと思う。どこからどう見て
も、おもしろくない顔をしている。

 しかし性欲は、ふつうにある。あえて言うなら、「濃い男」。世の中には、同性愛者と呼ばれる
人もいるそうだが、私には、その気(け)は、まったくない。だからどうにもこうにも、そういう人た
ちの気持が理解できない。

 では、その私が、女生徒に色気を感ずるかといえば、そういうことは、めったにない。過去に
おいて、数度あったような気もするが、しかしはっきりと意識できるような色気を感じたことはな
い。

 ただこの世界には、無防備な女の子もいるわけで、平気で、胸をブラブラと見せる女子高校
生もいるにはいた。まさに目のやり場に困るような子どもである。あるいは、平気で、足を広げ
てすわる女の子も少なくない。

 一度、夏の暑い日だったが、教室へ来るやいなや、「暑い、暑い」と言って、制服をぬいでし
まった女子中学生もいた。薄い下着だけで、平気で体をあおっていたので、私はそれを強く叱
った。その中学生のためというよりは、そういう光景を、だれかに見られたら、私のほうが、へ
んに誤解されてしまう。

 むしろ、私が色気を感ずるのは、母親のほうだ。当然のことながら、幼児を連れてやってくる
母親は、みな、若くてきれいな人ばかり。で、あるとき、私はこう思った。

 「毎日、おいしそうな料理を見せつけられるだけで、食べることができない」と。不謹慎な言い
方だが、私は、そう思った。そういう若い母親たちを、私は、ただ遠くから見ているだけ。で、私
は、さらに、こう思ったこともある。「私を挑発するな! 私だって、男だ!」と。

 しかしそうした思いをもったからといって、どうこうということは、なかった。そこで冒頭の新聞
記事の話。自分の生徒に色気を感ずることは、先生だって、ふつうの人間だから、ある。

 ただ私のばあいは、中学生や高校生も、少数だが教えているが、ほとんどが、幼児のときか
ら教えている子どもである。言うなれば、自分の子どものようなもの。まさか自分の子どもに、
色気を感ずる父親はいまい。立場は、よく似ている。

 それに私のばあい、一対一で会うということは、ほとんど、ない。一年の間でも、一、二日くら
いしかない。会っても、一時間を超えることはない。

 こうして考えると、こういうハレンチ教師がいるということが悪いということではなく、スキだらけ
の、現在の、教育システムに問題があるということになる。新聞のコメントに、ある評論家が、
何となくもっともらしい意見を添えていたが、どこか的(まと)はずれのような気がした。

 こうした事件を防ぐためには、たとえば教師は、生徒との交際を、教室内に限る。職員室内
に限る。教育指導はするが、それ以外の指導は、原則としてしない。校内でも、一対一の接触
は、原則として、禁止する。一時間以上の個人的な会話は禁止する、など。こまかく、校則を作
ればよい。

 だいたいにおいて、今の教育システムの中では、無理かもしれないが、先生に、高邁(こうま
い)な道徳心を求めること自体、まちがっている。何も、その道の人格者が、先生になるわけで
はない。ないことは、あなただって知っている。「先生だから、そういうことはしないはず」という、
「ハズ論」で考えるほうが、おかしい。

 だったら、システムの中で、先生を監督するしかない。またそういうシステムをつくるしかな
い。そしてそれができないというのなら、こうしたハレンチ行為に対して、いちいち文句を言わな
いこと。……というのは、少し言い過ぎかもしれないが、こうした事件は、これからも、起こる。
いくらトップが、騒いでも、起こる。マスコミが騒いでも、起こる。

 監督を強化するという方法もあるだろうが、しかしそうすればしたところで、ますます巧妙化す
るだけ。あるいは地下へもぐるだけ。文部科学省は、「厳格な対応が定着してきた現れで、(懲
戒免職者が)ふえた。今後、きびしい姿勢が、抑止効果につながるのを期待している」(同新
聞)とコメントを出している。

 しかしそういうコメントを出す、文部科学省の役人は、みな、聖人なのか?

 私は、自分の中にある、「男」としての自分を知っている。で、あるとき、私は、ある先生に、こ
う話したときがある。その先生というのは、かなり著名な教育者として知られていた先生であ
る。

 私が、「女子高校生の胸や乳房が見えたりすると、ドキッとします。そういうときは、どうしたら
いいですか?」と聞いたときのこと。その先生は、こう言った。「見ておけばいいのです。黙って
……」と。

 何とも、奥歯にものをはさんだような言い方になってしまったが、私は、ここに書いたことが、
現実だと思う。
(031224)

+++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司※

子育て随筆byはやし浩司(446)

●お節介焼き

 世の中には、お節介焼きの人がいる。他人の家庭に、土足でズカズカと入りこんできて、あ
あでもない、こうでもないと、口を出す。たいていは、安っぽい正義論をふりかざし、それを押し
つけてくる。

 まだ、この程度なら許せるが、他人の不幸を平気で、酒の肴(さかな)にする人もいる。一応
心配しているフリをするが、その実、他人の不幸を、楽しんでいるだけ。その証拠に、このタイ
プの人は、口を出すだけ。お金など、絶対に、出さない。苦労もしない。ただ、口を出すだけ。

 こういうお節介焼きで、がまんならないのは、それぞれの家庭には、それぞれの事情がある
ことを、理解しないこと。表面的な部分だけをみて、それに自分の判断を、つけくわえる。

 ……というようなことは、前にも書いたが、そのお節介について、考えさせられる相談をもらっ
た。

++++++++++++++++

 その男性(四八歳、神奈川県F市在住)には、七八歳になる父親がいた。父親は、群馬県の
M市で、ひとりで暮らしていた。が、このところ、腰を痛めて、歩くのもままならなくなった。そこ
で叔父たちが、その男性に、父親のめんどうをみるようにと言ってきた。

 「お前の父親だから、お前のほうで、引きとってめんどうをみろ」と。

 しかしその男性の妻が、これを拒(こば)んだ。父親と同居するくらいなら、離婚するとまで言
い出した。その男性は、そのとき、家庭では、微妙な立場にあった。多額ではないが、借金も
重なり、妻は、パートの仕事に出ていた。

 ここまでの話なら、よくある話である。が、ここへ、父親の姉、つまり叔母が、猛烈に介入して
きた。「いくら事情があるにせよ、親のめんどうをみるのは、息子である、お前の役目だ」「それ
に反対するような嫁なら、さっさと、離婚したらいい」と。

 が、妻が、父親との同居を拒むには、それなりのというより、深刻な理由があった。

 結婚した当時のことだった。その日は、父親が遊びにきていた。その男性、つまり夫は、たま
たま急な出張で、家をあけていた。

 妻が風呂に入っていると、父親が、それをのぞきにきたというのだ。妻は、脱衣室に出たと
き、そこに父親がいるのを知って、大声をあげた。父親はたまたま何かの用事で、脱衣室に入
ったと弁解したが、その父親のおかしな行動は、それだけではなかった。

 また別の日。妻がひとりでエレクトーンを弾いていると、父親が、その横に立っていたという。
そしてあろうことか、妻に、唇をつきだして、抱きついてきたというのだ。妻は、そのショックで、
そのまま家を飛び出してしまった。

 しかし妻が、この話を夫にしたのは、それから数年後のことだった。「夫に話しても、信じても
らえそうになかったから」と妻は言った。しかし夫自身も、父親のおかしな行動に、気がつくとき
が、やってきた。

 ある日、夫が家にもどると、父親が、干した洗濯物をたたんでいたという。そのとき、父親が、
妻の下着を、手にしているのを見てしまった。夫が、「父さん、そんなことまでしなくていい」と言
うと、父親は、やはり、こう言って弁解したという。「ヒマだったから、たたんでおいたよ」と。

 こうして夫が妻に、「おれの親父は、少しおかしい」と話し、それにつづけて妻が、「こういうこ
ともあった」と、風呂の件と、抱きつかれた件について、告白した。

 以後、その夫と妻は、父親の行動に注意するようになった。そして父親と妻が、家の中で、二
人だけにならないように、気をつけた。

 そういう事情を、叔父や叔母たちは、知らない。知らないから、一方的に、その男性を責め
た。しかしその男性と妻は、父親のおかしな行動について、親父や叔母に、話すことができな
かった。叔父や叔母は、常日ごろから、「親の悪口を言うやつは、地獄へ落ちる」を口グセにし
ていた。

 その男性は、こう言う。「お金に余裕があれば、それなりの施設に入ってもらうこともできます
が、今は、その余裕もありません。父は、プライドの高い人だから、そういう施設には、入らな
いだろうと思います。かといって、父のめんどうを、みなければならないことは、私にもわかって
います。しかし、こういうとき、息子の私はどうすればいいのですか」と。

私「叔父さんや、叔母さんの言うことなど、無視すればいいでしょう」
男「そうは言っても、田舎のことですから、うるさいです」
私「みんなにいい顔は、できないのです」
男「親父に、その意識があって、『悪いことをした、すまなかった』とでも言ってくれれば、まだ私
も救われるのですが、そういう親父ではありません。今も、何ごともなかったかのように、とぼけ
ています」と。

 さらにここで問題が起きた。思うように動けなくなった父親は、毎晩のように親戚に電話をか
けて、泣き言を言うようになった。そして弱々しい父親を、自ら演じながら、息子の親不孝ぶり
を訴えた。しかもその訴え方が、卑怯(失礼!)。

 あたかも、息子をかばうような言い方をしながら、息子を非難した。

 「親なんて、さみしいものですわ。子どもなんて、育てるもんじゃ、ないよね」「いくらかわいがっ
てやっても、嫁ができれば、ハイ、さようならですよ」「しかし息子には、息子の生活があります
しね」「長生きするのも、考えものです。長生きはしたくありません」と。

 一〇年ほどまでに、若くして死んだ、もう一人の叔母を口にしながら、「あの人は、いいときに
死んだよ」と言うこともあったという。その男性は、こう言った。

 「こういった父親の言葉の一つ、一つが、私の胸には、イヤミにしか聞こえないのです」と。

 叔父や叔母の、お節介は、その男性のキズ口に、塩を塗るようなものだった。相変わらず、
「親だから……」「子どもだから……」という論理だけで、その男性を責めた。しかも叔父や叔母
は、「私は叔父だから……」「私は叔母だから……」という論理だけで、その男性を責めた。

 しかしこうしたケースは、その男性だけではない。今、全国の津々浦々で、起きている。日本
の社会は、大きく変わった。しかし意識だけは、変わっていない。そのひずみが、こうした問題
を引き起こしている。

 たとえばオーストラリアなどでは、老後そのものが、すでにプログラム化されている。たとえば
満六〇歳前後で、仕事を引退し、そのあとは、必要に応じて、老人ホームなどに、自ら進んで、
入居したりしている。

 日本もやがてそうなるのだろう。今は、その過渡期ということになる。その男性のかかえる問
題の「根」は、それだけに深い。

私「あなたの父親の素性の悪さについて、一度、説明してみたら、どうでしょうか」
男「一度、叔母には、それとなく話してみたのですが、『弟は、そういうことをする人ではない。あ
んたの奥さんは、ウソつきだ』と言いました」
私「で、叔父や叔母は、何もしてくれないのですか」
男「たまに父のところに遊びにくる程度です」 
私「では、あなたも、叔母に向って、『あんたの弟なんだから、めんどうみろ』と言ったら、どうな
りますか」
男「この世界では、そういう論理は、通用しません」
私「おかしいですね」
男「そう、考えてみれば、おかしなことです」と。

 私は、その男性からの相談を受けながら、こう思った。「こうした問題は、結局は、一日のば
しをしながら、最後の最後まで、このままがんばるしかないのでは」と。しかしそれは言わなか
った。ただこうした問題は、これから先も、どんどんとふえていくだろうと思った。そしてそれは、
そのまま私自身の問題にもなるだろうと思った。

私「で、叔父さんや叔母さんは、あなたにどうしてほしいと思っているのすか」
男「口では言いませんが、群馬にもどって、親のめんどうをみろということですね」
私「もどれないでしょう?」
男「家が第一と、考える人たちですから……」
私「家を守るということですか?」
男「そういうことです」と。

 しかしそれこそ、いらぬお節介ということではないか。その叔父や叔母が心配しているのは、
その男性の父親のことではない。自分たちの、世間体やメンツということになる。「家」というの
は、そのための象徴でしかない。

 何とも歯切れの悪い電話になってしまったが、受話器を置いたとき、私は、自分にこう言って
聞かせた。

 他人の家の家庭問題には、向こうが望まないかぎり、口をはさまないぞ、と。それぞれの家
庭には、外からは見えない問題がある。事情がある。安易なお節介は、その家族を苦しめるだ
け、と。

++++++++++++++++++

 お節介を、日本人の美徳と考える人も多い。他人の生活に干渉したり、干渉されることが、
人間のやさしさと説く人もいる。

 概して言えば、日本の農村社会は、そうした「やさしさ」や、「干渉」で、成りたっている。そして
それが、ある種、独特のぬくもりを作ることもある。

だからお節介を、頭から否定することもできない。こうしたお節介で、思い出すのが、あの渥美
清が演じた、「フーテンの寅さん」である。寅さんの、お節介を好きについては、改めて、ここに
書くまでもない。

 しかしそれぞれの家庭には、言うに言われない、事情というものがある。触れられたくない、
心のキズもある。そういう問題については、そっとしておいてあげることも、大切なことではない
のか。

 「親だから……」「子どもだから……」という、「ダカラ論」を振りかざして、一方的に、相手に向
ってお節介を焼くのは、慎重にしたい。

(031225)

【追記】

 子育てが終わりに近づいたら、今度は、自分の老後をどうするかについて、考えなければな
らない。

 ポイントは、いかにして、息子や娘に迷惑をかけないで、老後を過ごすかということ。「何とか
なる」式の、いいかげんな老後の設計は、ここに書いたような問題を引き起こす原因になる。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(447)

E(三男)の受験

●合格発表

 クリスマスの日。一二月二五日。今日は、宮崎県にある、M航空大学の合格発表の日。発表
は、午前一〇時だという。今では、合格発表も、インターネットで通知される。

 今は、その三五分前。午前九時二五分。どこか気分がフワフワしている。先ほど、ワイフに、
「発表は、午前一〇時だ」と告げると、「結果は、E君に教えてはだめよ。自分で見たいと言って
いるから」と。

 Eは、昔から、そういう子どもだ。私なら、だれかに合格発表を見てもらう。見かけはともかく
も、私は、気が小さい。しかしEは、「自分で見るから、いい」と。

 度胸があるのか、ないのか。今のY国立大学の合格発表のときも、自分で、横浜まで、見に
行った。その前のK高校のときも、そうだった。そして今度も、「自分で見るから、言うな」と。

私「Eは、どこかへ行っているのか?」
ワ「今日は、バイトで、アパートに帰ってくるのが、二時ごろだってエ」
私「また、あいつ、アルバイト、しているのか?」
ワ「そうみたい……」と。

 朝、目をさましたとき、ふとんの中で、Eのことを考えていた。しかし何度も経験したとはいえ、
合格発表の日というのは、いやなものだ。どこか落ちつかない。何というか、自分自身が、ヒモ
で、空中に、つりさげられているような気分。

●Eのこと

 今の大学が、自分に合わないと言い出したのは、ちょうど、去年の今ごろだった。理由はよく
わからないが、「ぼくは、平凡な道を歩きたくない」と言ったのは、よく覚えている。そしてつづい
て、「ぼくは、国際線のパイロットになりたい」と言った。

 いろいろ反対したい気持はあったが、Eは、昔から、そういう子どもだった。それにそのとき
も、こう言った。「ぼくは、パパのように、生きてみたい」と。「どこかの会社に入って、部屋の中
に閉じこもって、設計するより、空を飛んでみたい」とも。

 それを横で聞いていて、ワイフもこう言った。「父親が父親だから、反対はできないわね」と。
私がM物産という商社をやめて、幼稚園の講師になったことを言った。「しかしな……」と言い
かけたが、やめた。

 私は、こう言いたかった。「しかしな、大学だけは、ちゃんと出たぞ」と。

 あとのことは、よく覚えていない。「勝手にしろ」と言ったような気はする。いや、そのあと、E
は、こうも言った。「パパ、ぼくの夢は、パパに、本物の操縦感を握らせてやることだよ」と。

 これを聞いたときは、私は、正直言って、ホロリとした。

 私の趣味は、MSフライトシミュレーター(パソコンゲーム)で、空を飛ぶこと。ほとんど毎日、
パソコンの画面を見ながら、空を飛んでいる。そういう私を、Eは、いつも横で見ていた。

私「しかし、お前が、パイロットになったら、ぼくは毎日、ハラハラしていなければならない。もう
少し安全な職業を選べないのか?」
E「今では、車の運転より、安全だよ」
私「飛行機事故のニュースを聞くたびに、ドキッとしなければならない」
E「じゃあ、パパは、反対なの?」
私「反対じゃない。お前がその道へ進むというのなら、反対はしない」

E「じゃあ、賛成だね」
私「バカめ。賛成する親なんて、いない。Y国立大学をやめて、パイロットになるというのは、こ
の日本では、金メダルを捨てて、銅メダルを取るようなものだ」
E「ぼくは、そう思わない……」
私「……そうだな。パパも、そう思わなかった。M物産をやめて、幼稚園の講師になったとき、
みなは、笑ったけど、ぼくは、そうは思わなかった」と。

 Eは、Y国立大学の工学部を、センター試験の結果では、学部第X位の成績で入学している。
そして入学した当初は、「ぼくは、宇宙船の設計士になる」と、息巻いていた。

●親として……

 Eは、今度の入学試験に落ちたら、Y国立大学をやめるつもりでいるらしい。雰囲気で、それ
がわかる。何度か、「学歴だけは、身につけておけ。それが日本だ」と言った覚えはある。「お
金と同じだ。あれば、便利だから」と。しかし、そのつど、Eは、暗い表情をして見せた。

 しかし私の覚悟は、もうできている。私は、親として、Eの選択を支持するしかない。今度の入
学試験に落ちたあと、大学を中退するというのなら、それはそれでよい。Eのことだから、どん
な世界に入っても、自分で自分の道を見つけるだろう。

 しかしこの不安は、いったい、どこからくるのか。「万が一……」という不安ともちがう。「選別
される」という不安ともちがう。あえて言うなら、「落ちたとき、息子をしっかりと支えきれるだろう
か」という、親としての不安か?

 私はEを信じている。……信じたい。Eは、幼児のころから、そういう子どもだった。負けず嫌
いで、がんばり屋だった。小学校を卒業するときも、中学校を卒業するときも、市長賞(中学の
ときは、ライオンズ賞に名称を変更)を、もらっている。「市長賞」というのは、その学校で最優
秀の男女二名に与えられる賞をいう。

 そして小学校のときは、児童会会長。中学校のときも、生徒会会長を経験している。卒業式
のときは、答辞を朗読した。

 そのEで、特筆すべきことは、彼が中学生のとき、彼のファンクラブができたこと。一五〇〜
一六〇名のメンバーが、名前を連ねていた。大半は、女の子だったが、男の子も混じってい
た。私は、学生時代、女の子には、まったくもてなかったが、Eは、ちがった。Eが行くところに
は、いつも、ゾロゾロと女の子がついて歩いた。

 Eは、私の息子でありながら、私の息子でないような気がした。そういうおもしろさが、Eの子
育てには、いつもあった。だからある日、私はEに、こう言った。「お前のおかげで、人生を、じ
ゅうぶん楽しませてもらったよ。ありがとう」と。

●結果を見る

 今、時刻は九時五五分。Eの受験番号は、「40XX」。M航空大学のHPは、すでに、「お気に
入り」に登録してある。ワンクリックだけで、結果を知ることができる。

 今まで、何度も経験してきたはずなのに、どこか緊張する。どうしてか? 「クリックするだけ
だ」と、自分に言って聞かせる。しかし指が、何かを迷っている。

 こうした受験では、合格したことを考えて結果を見るのではなく、不合格のときを考えて、結果
を見る。……というようなことは、他人には、よく言ってきた。今は、その言葉を、自分に言って
聞かせる。

 受験者数は、約七〇〇名。うち、一次試験(筆記試験)、二次試験(運動と身体検査)と、残っ
たのは、六九名。一応、これで定員の七〇人のワクの中に入っている。三次試験(面接と実
技)は、先月、宮崎市であった。Eは、「だいじょうぶだよ」と笑っていた。しかし……。倍率は、
一〇倍以上! こんなメチャメチャな入学試験は、そうはない。

 私も学生時代、試験で失敗したことは、一度もなかった。失敗しそうな試験は、最初から受け
なかった。しかし受ける試験には、全力を投入した。ふと、そんなことを頭の中で、考えた。

 時刻は、今、ちょうど、一〇時になった。

 一〇時だ! 私はまたクリックするのを、ためらった。「この原稿を書き終えたら、見るつも
り」と、勝手に逃げる。

 深呼吸して、イスに座りなおして、腹に力を入れる……。

 そのとき、突発的に、私は、ワイフを書斎に呼んだ。「これから結果を見るから、来ないか?」
と。ワイフは、それを聞きながら、「もう一〇時?」と言いながら、書斎へやってきた。

私「ワンクリックで、結果を見ることができる」
ワ「ドキドキするわ」
私「そうだな。覚悟はできているか?」
ワ「できているわ」
私「ようし、見るぞ!」

 結果は……

私「あったね。40XXだな。この番号に、まちがいないか?」
ワ「そうよ。まちがい、ないわ」
私「よかったな。最終合格者は、五九人だ」
ワ「三次で、一〇人も落ちたのね。かわいそう……」
私「……」
ワ「よかったわ」と。

 あっけない合格発表だった。と、そう思った瞬間、同時に、肩からガクリと力が抜けた。

 部屋を出るとき、ワイフは、こう言った。「E君には、内緒よ。自分で結果を見たいと言ってい
るから」と。私はそれに答えて、「ウン、わかっている」と。

 ワイフが部屋を出ていったあと、私は、ゆっくりと、深い息を吸った。そしてそれ以上に長く時
間をかけて、息を吐いた。フーーーーーッ、と。
(031225)

+++++++++++++++++++++

その三男について、以前、こんなエッセー(中日新聞
掲載済み)を、書いたことがあります。

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子育てのトゲが心に刺さるとき

●三男からのハガキ  
富士山頂からハガキが届いた。見ると三男からのものだった。登頂した日付と時刻に続いて、
こう書いてあった。「一三年ぶりに雪辱を果たしました。今、どうしてあのとき泣き続けたか、そ
の理由がわかりました」と。 
 一三年前、私たち家族は富士登山を試みた。私と女房、一三歳の長男、一〇歳の二男、そ
れに七歳の三男だった。が、九合目を過ぎ、九・五号目まで来たところで、そこから見あげる
と、山頂が絶壁の向こうに見えた。

そこで私は、多分そのとき三男にこう言ったと思う。「お前には無理だから、ここに残っていろ」
と。女房と三男を山小屋に残して、私たちは頂上をめざした。つまりその間中、三男はよほど
悔しかったのだろう、山小屋で泣き続けていたという。

●三男はずっと泣いていた! 
 三男はそのあと、高校時代には山岳部に入り、部長を務め、全国大会にまで出場している。
今の彼にしてみれば富士山など、そこらの山を登るくらい簡単なことらしい。

その日も、大学の教授たちとグループを作って登山しているということだった。女房が朝、新聞
を見ながら、「きっとE君はご来光をおがめたわ」と喜んでいた。が、私はその三男のハガキを
見て、胸がしめつけられた。あのとき私は、三男の気持ちを確かめなかった。私たちが登山し
ていく姿を見ながら、三男はどんな思いでいたのか。

そう、振り返ったとき、三男が女房のズボンに顔をうずめて泣いていたのは覚えている。しかし
そのまま泣き続けていたとは!

●後悔は心のトゲ 
 「後悔」という言葉がある。それは心に刺さったトゲのようなものだ。しかしそのトゲにも、刺さ
っていることに気づかないトゲもある。私はこの一三年間、三男がそんな気持ちでいたことを知
る由もなかった。何という不覚! 

私はどうして三男にもっと耳を傾けてやらなかったのか。何でもないようなトゲだが、子育ても
終わってみると、そんなトゲが心を突き刺す。私はやはりあのとき、時間はかかっても、そして
背負ってでも、三男を連れて登頂すべきだった。

重苦しい気持ちで女房にそれを伝えると、女房はこう言って笑った。

「だって、あれは、E君が足が痛いと言ったからでしょ」と。
「Eが、痛いと言ったのか?」
「そう、E君が痛いから歩けないと泣いたのよ。それで私も残ったのよ」
「じゃあ、ぼくが登頂をやめろと言ったわけではないのか?」
「そうよ」と。

とたん、心の中をスーッと風が通り抜けるのを感じた。軽い風だった。さっそくそのあと、三男に
メールを出した。「登頂、おめでとう。よかったね」と。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(448)

●正直に生きる

 「正直」という言葉には、二つの意味がある。「他人に正直」という意味と、「自分に正直」とい
う意味である。

 他人に正直というのは、「ウソをつかない」ということ。わかりやすい。しかし問題は、自分に
正直、である。簡単そうだが、これがむずかしい。

 数年前、親戚のいとこが集まって、「いとこ会」を開いた。私には、「いとこ」と呼ぶ人が、父
方、母方、合わせて、五〇人近くいる。大世帯である。

 そのときは、父方のいとこ会だったが、集まってみると、どういうわけか、それほど、なつかし
さが、こみあげてこない。いとこといっても、同年代のいとこは別にして、当時も、そのあとも、
つきあいは、ほとんど、ない。「血のつながりがある」というだけで、共通の思い出が、ほとん
ど、ない。

 だから「会」といっても、ただ食べて、飲んで、歌うだけ。あとは、叔父や叔母の晴れ舞台
(?)。

 こうした血のつながりにこだわる人は、どういうわけか、こだわる。立派な家系図を作ったりし
ている。しかしこだわらない人は、こだわらない。同じいとこでも、人、それぞれ。

 が、ここで問題が起きる。血のつながりにこだわる人は、それがあるべき正しいこととして、そ
の価値観を、そうでない人に、押しつけてくる。一方、こだわらない人は、それに抵抗する力も
なく、黙って従ってしまう。

私などは、ほとんどこだわらない人間だから、反対に、「こだわらなければいけないのかなあ」
とか、「こだわらない私は、どこかおかしいのかなあ」と、思ってしまう。

 実は、ここに、正直の問題がからんでくる。

 ここにも書いたように、子どものころ、それなりに濃密につきあった、いとこは、話していても、
それなりに楽しい。しかしそうでないいとこは、そうでない。ありきたりのあいさつと、儀礼。うわ
べだけの世間話と、消息話。

 で、あとになって、いとこの一人が、私に聞いた。「浩司君は、楽しかったア?」と。

 そのときのこと。私の中に、二人の自分がいるのを知った。一人の私は、相手に調子をあわ
せて、「楽しかった。またしよう」と、言いそうになる自分。もう一人は、「別に楽しくなった。親戚
づきあいの一つにすぎない」と、言いそうになる自分。

 本当のことを言えば、それほど、……というより、まったくと言ってよいほど、楽しくなかった。
しかしそれを正直に言えば、幹事となって働いてくれたいとこに、申し訳ない。それに叔父や、
叔母たちは、それなりに喜んでいたように見える。(あるいは、調子を合わせていただけかもし
れないが……。)

 もちろん、ここにも書いたように、濃密な交際のあったいとこは、別である。しかし数えても、
そういういとこは、数人しかいない。それにそういういとこは、別にいとこ会などなくても、毎年の
ように、遊びに行ったり、来てもらったりしている。

 これは私の欠点でもある。ついその場になると、相手をキズつけまいと、ウソを言ってしまう。
へつらったり、コビを売ったりしてしまう。そして心にもないことを、口にしてしまう。実際、幹事を
してくれたいとこには、私は、こう言った。

 「楽しかった。ありがとう。また、こういう会をもちましょう」と。

 で、私は、最近、心に決めた。「自分に正直に、生きよう」と。先のいとこ会についても、「つま
らなかった」と言う必要はないにしても、「楽しかった」と、心にもないことを言う必要はない。

 これは私の悲しい習性のようなものかもしれない。いつも相手に合わせて、シッポを振ってし
まう。仮面をかぶる。よい人ぶる。が、そうでありながら、決して、心を開いているわけではな
い。だから、どこへ行っても、気が疲れやすい。

 もうすぐ、新しい年、二〇〇四年になる。(この原稿を発表するのは、〇四年の一月。)だか
ら、私は、心に決めた。「来年こそ、自分に正直に生きてみる」と。人生も、残り少なくなってき
た。自分をごまかして生きるのは、もう、いや。疲れた。そろそろ、このあたりで、そんなバカな
生き方は、やめる。
(031225)

【追記】

 血のつながりに、こだわる人は、多い。そういう人は、自分と親、あるいは、自分と子どもの
関係を、親類、縁者に、そのまま応用しているのがわかる。わかりやすく言えば、自分と親、あ
るいは自分と子どもの、ベタベタの人間関係を、そのまま、親類、縁者にも求めようとしてい
る。

 こうした関係を、「相互依存関係」という。日本では、家族、親類、縁者を中心として、この相
互依存関係が、網の目のように複雑に、かつ、濃密にからんでいる。

 相互に依存する関係をつくりながら、自分にとって、居心地のよい世界を作ろうとする。だか
らといて、それが悪いというのではない。日本的な、どこまでも日本的な、あの温もりというの
は、こうした相互依存関係から、生まれる。

 一方、それがない、いわゆる欧米型社会というのは、どこかドライで、日本人の私たちかえら
見ると、「冷たい」。

 たとえば老人と同居している家族は、いるにはいるが、しかしそれは、老人が健康なうちだ
け。病気がちになったりすると、老人のほうが、その家を去り、施設へ移る。仮に年をとった親
を、自分の家の近くに呼び寄せるとしても、同居までする家庭は、少ない。親は親で、近くに、
アパートを借りて住んだりする。

【追記2】

 こうした血縁関係について、その濃密度は、同じ日本の中でも、地域によっても違う。

 私は浜松市に住むようになって、三五年になる。その浜松市と、生まれ故郷のG県とくらべて
も、かなりちがうと感じている。

 この浜松市は、昔から、街道筋の宿場町として栄えた。人の出入りも、それだけはげしかっ
たこともあるのでは。そのせいか、G県の人たちほど、親類や縁者という、血縁関係に、比較
的、こだわらない。

 一方、北陸のI県などに行くと、「代々……」という言葉が、よく使われる。それだけ伝統を重ん
じているということになるが、静岡県に住む私からみると、どこか息苦しい感じがする。

 おおざっぱな意見で恐縮だが、こうしたちがいは、外の世界に触れてみてはじめて、わかるこ
と。言いかえると、それこそ、代々、その地方だけにしか住んでいない人には、そのちがいは、
わからない。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


子育て随筆byはやし浩司(449)

●新春のロマン

●ESAの火星着陸機が行方不明に 
 ESA(欧州宇宙機関)の火星着陸機が火星の大気圏に突入後、行方不明になっているとい
う。

 ESAの火星探査機「マーズエクスプレス」は、12月25日午前4時前(日本時間の正午前)、
火星の周期軌道に入った。しかし、ほぼ同時に大気圏に突入した着陸機「ビーグル2」は着陸
成功を知らせる信号が届かず、行方不明になっているといる。
 
 「ビーグル2」は、赤道近くの平原に着陸、来年3月まで岩石や土を分析し生命活動を示す炭
疽やメタンを探す予定だったという(TBS・i・NEWSより)

●どうして?

日本の火星観測衛星(宇宙航空研究開発機構の「のぞみ」)もそうだが、このところ、火星探査
機が、つぎつぎと、失敗している。どうして? ……なんて、ヤボなことは書かない。ワイフは、
火星には、宇宙人が住んでいて、それをじゃましているのではないかと言う。実は、私も、そう
思う。

 それについては、何度も書いてきたので、ここでは、その先というか、なぜ、こうした探査を、
宇宙人たちが嫌うかということについて考えてみたい。

 同じくワイフに言わせると、「何か、つごうが悪いことがあるのよ」「知られたくないことがある
のよ」ということになる。常識で考えれば、そうなる。しかし、私は、そうではないような気がす
る。

●地球人を恐れている?

 宇宙人が、宇宙人として、宇宙で平和に暮らすためには、それこそ、「右の頬を殴られたら、
左の頬を差し出す」くらいの非暴力主義が必要。

 宇宙に住むほどだから、当然のことながら、きわめて高度な科学技術をもっている。そのた
め、宇宙人にすれば、核兵器はもちろん、一発で、惑星をこなごなにする爆弾を作ることなど、
朝飯前。

 もし宇宙人の中に、あのK国の金XXのような独裁者が現れたら、太陽系そのものも、危機に
立たされる。

 言いかえると、今、宇宙が、見たところ、平和に保たれているということは、こうした非暴力主
義が、宇宙人の間で、貫かれているということになる。

 が、問題は、この地球に住む、人間である。自分の乗っている車が、足で蹴飛ばされたくらい
で、相手を殺してしまうような生物である。「右の頬を殴られたら、左の頬を差し出す」ような非
暴力主義は、夢のまた、夢。

 もし人間が宇宙へ飛び出したら、「水星はオレのもの」「火星もオレのもの」と、やり出すにち
がいない。そしてあっという間に、宇宙戦争!

 宇宙人は、それを恐れている……と、私は、思う。

●人間には、宇宙へ飛び出す資格はあるか 

 あなたの国の近くに、もし、きわめて野蛮な国があったとする。

 その野蛮な国では、毎日のように、たがいに殺しあっている。ちょっとしたことで、すぐカッとな
る。喧嘩する。年がら年中、領土を取りあって、戦争をしている。

 文化がちがうというより、DNAの構造そのものがちがう。そういう野蛮な国の人が、あなたの
国へやってきたとする。見た目には、穏やかそうな顔をしている。一応、その国の代表者たち
だからである。

 しかしあなたは、その野蛮な国の人たちの素性を、見抜いている。だからあなたは、内心で
は、その野蛮な国の人たちとは、つきあいたくないと思っている。あるいは、とても、つきあえる
ような相手ではないと思っている。

 一方、野蛮な国の人たちは、何とかして、あなたの国の科学技術を自分のものとしたいと思
っている。高度な航行技術、科学技術などなど。

 しかしそんな技術を、野蛮な国の人たちに渡したら、どうなる? あっという間に、あなたの国
は、その野蛮な国の人たちに、侵略されてしまうかもしれない。あなたは、それをよく知ってい
る。

●もし、私が宇宙人なら……

 もし私が宇宙人なら、この地球人が、宇宙へ進出してくることを、何としても、阻止する。地球
人に、宇宙へ出る資格があるとかないとか、そういうレベルの問題ではない。地球人は、あまり
にも、野蛮すぎる。

 だいたいにおいて、地球人は、ほどよく満足するということを知らない。富をもてばもつほど、
さらに多くの富をもちたがる。こうした貪欲さが、摩擦を生み、闘争を生む。

 暴力的な気質も、大きな問題である。人間の歴史の中で、戦争のなかった時代は、ない。た
またま人間がこうして今、存在しているのは、平和だったからではない。人類全体をほろぼす
大量破壊兵器が、まだ一定の管理下にあるからにほかならない。

 もしこの管理がくずれ、ワクがはずれたら、それこそそこらのゲリラですら、核兵器を使うよう
になる。もしそうなれば、人間のみならず、地球人はあっという間に、絶滅する。

 もっとも、これが地球だけのことなら、まだよい。月でも、火星でも、金星でも、それをやられ
たら、たまらない。……とまあ、宇宙人なら、そう考える。

●さて、どうする?

 もしあなたが宇宙人で、宇宙に住んでいたら、人間をどうする? その前に、人間の存在を
許すかどうかという問題もある。

 人間が、地球環境というオリの中にいるのならまだよい。しかしそのオリを出て、あなたの住
む宇宙へやってくるようになったら、どうする? あなたはそれを受け入れるか?

 しかし私なら、受け入れない。人間をとりあえずは、地球環境というオリの中に、閉じこめてお
く。あるいは……。ひょっとしたら、人間を、抹殺することも考えるかもしれない。

 しかしあなたは、きわめて平和的な生物だ。「殺す」という概念そのものに、なじまない。あな
たの苦悩も、それゆえに、大きくなる。

 では、どうするか? 

 やはりここは、地球人を、地球環境というオリの中に、閉じこめておくのがよい。私なら、そう
考える。そのために、その前段階としての、人間の活動に、制約を加える。それがひょっとした
ら、冒頭に書いた、探査機の妨害かもしれない。

 ……もちろんこれは、私のSF(空想科学)。荒唐無稽(むけい)な空想。つまり、ロマン。とき
には、こういうふうに、宇宙人の視点から、ものを考えるのも、楽しい。
(031226)

【注】

 私とワイフは、ある夜、巨大なUFOを目撃している。ハバが、一〜二キロもあるような、ブー
メラン型のUFOである。宇宙人がいるかいないかということになれば、いるに決まっている。そ
ういう前提で、このエッセーを書いた。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


子育て随筆byはやし浩司(450)

作られる常識

●足りなくなった、年賀状

 年賀状を書いた。今年は、枚数をケチったため、印刷している間に、枚数が、足りなくなって
しまった。

 そのときのこと。

 ワイフが、「コンビニへ行けば、(年賀状を)売っているわ」と。

 しかし、だ。年賀状は、どうして年賀状でなければ、いけないのか。ふつうのハガキでも、かま
わないハズ。あるいは、パソコンショップで売っている、ハガキサイズの用紙でも、かまわない
ハズ。

 ワイフも、私も、郵便局で売っている、あの年賀状にこだわっている。問題は、こだわってい
ることではなく、なぜ、こだわるか、ということ。私は、このことを、子どもたちの会話を聞いてい
て、知った。

●小六の子どもたちの会話

 教室から帰るとき、子どもたちが、たがいの住所を聞きあっていた(一二月)。年賀状を出す
ためだそうだ。

A「あんたの住所は、○○町ね?」
B「そうよ。でも、今年は、うちは、出せないの」
A「どうして?」
B「おばあちゃんが、死んだから……」

A「おばあちゃんって? あんたの家、おばあちゃん、いたの?」
B「ううん、埼玉のおばあちゃんが、死んだの」
A「どうして、おばあちゃんが、死んだら、年賀状を出せないの?」
B「親族だから……」

A「シンゾクって、何?」
B「親族って、親しい人のこと」
A「おばあちゃんは、親族なの?」
B「そうみたい……」と。

 記憶にはないが、私も、子どものころ、そうした会話を、どこかでしたはず。そして、そういう会
話を繰りかえしながら、今、私がもっている「常識?」が、作られていったにちがいない。

★正月には、年賀状を出すという常識。
★年賀状は、郵便局で売っている年賀状で出すという常識。
★年賀状の、こまかな作法、常識。たとえば、干支(えと)を大切にする。喪中の人は出さな
い。もらわない。元旦に届くのが、よい。……などなど。

しかし一つ一つ考えると、これらの常識すべてが、作られた常識であることがわかる。たとえば
私が子どものころは、年末といえば、学校では年賀状づくりが、恒例になっていた。今から思う
と、郵政省と文部省が、一体なって、そういう指導をしたのではないかと思う。もちろん、郵政省
の収入をふやすためである。

●もっと自由に考えよう

 私たちは、もっと、自由に考えてよいのではないか。たとえば年賀状にこだわる必要はない。
封書でも、何でもよい。また年賀状は、年賀状でという考え方も、古い。喪中だから、出さない
というのも、合理的ではない。どうして喪中の人は、新年を祝ってはだめなのか。

 出したければ出す。出したくなければ、出さない。喪中といっても、中には、うるさいジイ様が
死んで、喜んでいる人だっているはず(失礼!)。遺産か何かが、どっさりと入って、喜んでいる
人もいるはず(失礼!)。そういう人がしおらしい顔をして、「年始のごあいさつを、遠慮させてい
ただきます」などとは?

 そこでワイフにこう言った。

私「用紙なら、パソコンで使う用紙がある。あれを使えばいい」
ワ「でも、あれは、年賀状ではないでしょ」
私「そういう常識を、破るのだ!」
ワ「破るって?」
私「どうでもいいって、こと」と。

 考えてみれば、日本人ほど、「形」にこだわる民族は、そうはいない。「みなと同じことをしてい
れば、安心」という、集団意識による。しかしそういう「形」が決まれば決まるほど、生活は、一
見便利になるが、他方で、窮屈(きゅうくつ)になる。

 自由になるということは、身近なところから、そういう常識を、一つずつ、見なおしていくこと。
とくに冠婚葬祭には、この種の常識が多い。私たちはもっと自由に、おかしいものは、おかしい
と言う。そういう小さな勇気が、この日本を変えていく。

【宣言】

 私は、これから先、自分がもっている常識を、もっと疑ってみる。その第一歩が、年賀状。ほ
かにもいろいろあるが、それについては、これからの課題としたい。
(031226)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(451)

幼児の表情

●浜松市に住んでいるKさん(母親)より、こんなメールをもらった。

「もうすぐ、長男が生まれます。とくに注意したらいいことは、どんなことですか?」と。

 Kさんは、妊娠したときから、私のマガジンを読んでくれている。最初、「まだ、子どもはいませ
んが、読んでみます」と、メールをくれた。それから一年あまり。以来、ときどき、こうして交信し
ている。

 私は、こんな返事を書いた。

++++++++++++++++++++++++++

●よい子に育てる法

 子どもをよい子にするかどうか。それは、〇歳から、満一・五歳までの育て方で決まる。この
時期、子どもは、子どもの心を大切に、無理をしないで、かつ穏やかに育てる。静かに育てる。
ほどよい愛情を、適切に与える。コツは、「求めてきたときが、与えどき」。愛嬢不足はよくない
が、与えすぎもよくない。

 箇条書きにすると、こうなる。

(1)決して、大声をあげて、叱ったり、威圧したりしない。暴力は、もってのほか。短気な親ほ
ど、注意する。ここにも書いたように、穏やかであることが、何よりも重要。
(2)どんなに子育てがたいへんでも、たとえば、夜泣きがひどくても、ただひたすら、忍耐。がま
ん。その辛抱(しんぼう)強さが、子どもの心をまっすぐに育てる。
(3)親の情緒不安は、百害あって、一利なし。親は、つとめて、一貫性のある子育てをする。た
った一度、強く叱ったことが原因で、子どもの心がゆがむということは、この時期、よくある。
(4)「ほどよい親」に徹する。何ごとも、ほどほど、に。子どもが愛情を求めてきたら、いとわ
ず、与える。「求めてきたときが、与えどき」と、心得る。
(5)「教えよう」、「なおそう」という意識は、最小限に。子どもといっしょに、子どもの友として、も
う一度、人生を楽しむつもりで、子育てをする。

 こういう状態を守りながら、あとは、成りゆきにまかす。ちょうど水が、流れやすい場所を求め
て、自分で流れていくように、子どもの進んでいく道は、子どもに任す。親の過干渉、過関心、
過保護は、最小限に。こうした育児姿勢は、子どもが進むべき道を、ふさいでしまう。くれぐれ
も、ご用心。

 今、表情のない子どもや、表情のとぼしい子どもが、ふえている。全体の約二〇%が、そのタ
イプの子どもとみてよい。この時期の、不適切な育児姿勢が、表情のない子どもや、乏しい子
どもにする。うれしいときには、うれしそうな顔をする。怒ったときには、怒った顔をする。この時
期は、そういうことが自然にできる子どもをめざす。

 つまり、心がまっすぐ伸びている子どもは、顔の表情が、自然で豊か。が、中に、不愉快に思
っているはずなのに、無表情だったり、ニンマリと、意味のない笑みを浮かべる子どもがいる。
そういう子どもは、すでに心のどこかが、ゆがみ始めているとみる。

 幼児の表情を、決して、安易に考えてはいけない。
(031226)

【Kさんへ、補足】

 子育てというと、知育教育だけを考える人は、少なくありません。しかしそれ以上に大切なの
は、「心」です。この時期は、その心をどう伸ばすかだけを考えながら、子育てをしてみてくださ
い。

 その心が伸びているかどうかを知るバロメーターが、ここでいう表情ということになります。

 しかし決して、むずかしいことではありません。あるがままの状態で、あるがままに育てれば
よいのです。あとは、子ども自身がもつ力で、子ども自身が伸びてくれます。表情が自然で、豊
かな子どもになります。私たちがすべきことは、それを手助けすることだけです。

 よく表情の乏しい子どもを見ながら、「うちの子は、生まれつき、ああです」と弁解する親がい
ます。しかし生まれつき、表情が乏しい子どもは、絶対にいません。乏しいのではなく、豊かに
なるのを、親が、何らかのショックを与えて、止めてしまったと考えます。

 とくに〇歳のときは、ショックを与えるような叱り方をしてはいけません。これはタブー中のタブ
ーと考えてください。仮に大泣きしても、何かの理由があるはずです。その理由を懸命にさがし
ながら、それを受け入れ、許します。この時期の子どもの行動には、すべてそれなりの理由が
あるのです。決して、「わがまま」とか、決めて対処してはいけません。

 〇〜一歳児の子育ては、たいへんです。本当に、たいへんです。一瞬たりとも、気が抜けな
い状態がつづきます。まさに根気の勝負です。その心づもりで、がんばってください。応援しま
す。

【補足2】

 先日も、大型店の食堂で、上の子ども(三歳くらい)を、「あんたは、お兄ちゃんでしょ!」と叱
っている母親をみかけました。

 しかしこんな身勝手な論理は、ありません。三歳くらいの子どもに、(兄・弟)という上下関係
が、どうして理解できるというのでしょうか。いわんや、その自覚をもて、とは! それがわから
なければ、夫に「お前は、オレの第一夫人だろ! だからちゃんと、第二夫人(愛人)のめんど
うをみろ!」と言われたときのことを、想像してみてください。あなたは、それに納得するでしょう
か。

 親はときとして、身勝手な論理を、子どもに押しつけます。たとえば私がいう、『ダカラ論』『ハ
ズ論』『ベキ論』の多くは、親が勝手に決めた論理です。これからの子育てで、この三つを使う
ときは、慎重にしてみてください。それだけでも、あなたの子育ては、大きく変わるはずです。

★ダカラ論……「あなたは兄ダカラ……」と、「ダカラ」という言葉を使って、子どもに何かを押し
つける。

★ハズ論……「三歳児なら、ここまでできるハズ」と、ほかの子どもと比較しながら、何かを押し
つける。

★ベキ論……頭ごなしに、子どもの心を確かめることなく、親の設計図に合わせて、子どもに
向かって、「あなたは、これをすベキ」と、押しつける。
 
+++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(452)

●欲望VSコントロール

 こんな男性(四五歳)がいた。子どものころから親の異常なまでの過干渉で、性格が萎縮して
いた。そのため、どこかふつうではなかった。

 その男性の特徴は、自分の欲望をコントロールできなかったこと。正月用に買い置きしてお
いた料理でも、食べてしまったり、生活費でも、パチンコ代に使ってしまったりした。そこで七〇
歳近い母親が、それを叱ると、「ちょっと食べてみたかっただけ」「ちょっと遊んでみたかっただ
け」と、弁解したという。

 この話を聞いたとき、私は、子どもにも、似たような子どもがいることを知った。その年齢であ
るにもかかわらず、とんでもないことをする子どもは、多い。先生のコップに殺虫剤を入れた子
ども(中学男子)や、無免許で、母親の車を乗りまわした子ども(高校男子)などがいた。そして
つぎのような結論を得た。

 「おとなになるということは、自分の欲望をコントロールすることだ」と。

 してよいことと、悪いことを冷静に判断して、その判断にしたがって行動することができる人
を、おとなという。またそれができない人を、子どもという、と。そしてこの部分に焦点をあてて
子どもを観察すると、人格の完成度がわかる、と。

 たとえば先日も、やや太った女の子に向かって、「お前、デブだな」と言っていた男の子(小
二)がいた。すかさず私はその男の子をたしなめたが、その子どものばあい、言ってよいことと
悪いことの判断が、つかなかったようだ。

 小学二年生ともなれば、もうそのあたりの判断力があっても、おかしくない。が、それがないと
いうことは、人格の完成度が遅れているということになる。

 こうした完成度は、年齢とは関係ないようだ。六〇歳とか七〇歳とかになっても、遅れている
人は、遅れている。つい先日も、こんな事件があった。

 ある知人(六四歳)から電話がかかってきて、こう言った。

 「うちの家内から、林君から、おかしな電話がかかってきたというが、何の用だった?」と。

 いろいろな事情があって、私はその電話のとき、彼の奥さんに、遠まわしな言い方をした。そ
れは事実だが、その電話を、「おかしな電話だ」と。たとえそうであっても、そういうことは、スケ
ズケとは言わない。「おかしな電話とは何だ!」と、思わず言いそうになったが、やめた。そうい
う人は、相手にしないほうがよい。

 もっとも、人間は、四五歳前後を境にして、脳の活動も、そしてそれを支える気力も、急速に
衰えてくる。それまでは、何かと人格者ぶっていた人も、それがメッキであったりすると、はげ始
める。そこに、老人特有のボケが加わると、さらに、はげ始める。

 ここでこわいのは、このとき、その人の人格の「核」が、モロに外に出てきてしまうこと。つま
り、「地(じ)が出る」。

 考えてみれば、人格者ぶることは、簡単なこと。多少の演技力があれば、だれにだってでき
る。さももの知りのような顔をして、だまっていればよい。しかし演技は演技。長つづきしない。
人格の「核」というのは、そういうもの。一朝一夕にはできない。と、同時に、実は、かなり早い
時期にできる。

 青年期か? ノー。もっと早い。少年、少女期か? ノー。もっと早い。私の印象では、その方
向性は、年長児のころに決まるのではないかと思っている。この時期の子どもを、少していね
いに見れば、そののち、人格者になるかどうか、だいたい、わかる。

 欲望の誘惑に強い子どもがいる。欲望の誘惑に弱い子どももいる。たとえば幼児でも、ある
一定のお金をもたせると、それをすぐ使ってしまう子どももいれば、そうでない子どももいる。中
には、「貯金して、お料理の道具を買う」と言う子どももいる。「その道具で、お母さんに料理を
作ってあげる」などと言う。

 こうした方向性は、すでに幼児期に、決まる。そしてそれが、ここでいう人格の「核」となってい
く。

 そこであなた自身の問題。あなたは、自分の欲望を、しっかりとコントロールできるだろうか。
もしそうなら、それでよし。しかしそうでないなら、あなたは、真剣に自分の老後を心配したらよ
い。私も実は、中身はボロボロ。欲望には、弱い。誘惑にも、弱い。今は、懸命にそういう自分
と戦い、それを隠しているが、やがて外に出てくる。

 冒頭にあげた男性の話を聞いたとき、「私のことではないか」と、思った。さあ、どうしよう?
(031226)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩

 
子育て随筆byはやし浩司(453)

「親である」という幻想

●親を美化する人

 だれしも、「親だから……」という幻想をもっている。あなたという「親」のことではない。あなた
の「親」についてで、ある。

 あなたは自分の親について、どんなふうに考えているだろうか。「親は、すばらしい」「親だか
ら、すべてをわかっていてくれるはず」と。

 しかしそれが幻想であることは、やがてわかる。わかる人には、わかる。親といっても、ただ
の「人」。ただの人であることが悪いというのではない。そういう前提で見ないと、結局は、あな
たも、またあなたの親も、苦しむということ。

 反対に、親を必要以上に美化する人は、今でも、多い。マザーコンプレックス、ファーザーコ
ンプレックスをもっている人ほど、そうだ。それこそ、森進一の『♪おふくろさん』を聞きながら、
毎晩のように涙を流している。

 つまりこのタイプの人は、自分のコンプレックスを隠すために、親を美化する。「私が親を慕う
のは、それだけ、私の親がすばらしいからだ」と。

●権威主義

 もともと日本人は、親意識が強い民族である。「親は絶対」という考え方をする。封建時代か
らの家(先祖)意識や、それにまつわる権威主義が、それを支えてきた。たとえば江戸時代に
は、親から縁を切られたら、そのまま無宿者となり、まともに生きていくことすら、できなかっ
た。

 D氏(五四歳)は、近所では、親思いの、孝行息子として知られている。結婚して、もう三〇年
近くになるが、今でも、給料は、全額、母親に渡している。妻もいて、長女もすでに結婚したが、
今でも、そうしている。はたから見れば、おかしな家族だが、D氏自身は、そうは思っていない。
「親を粗末にするヤツは、地獄へ落ちる」を口グセにしている。

 D氏の妻は、静かで、従順な人だった。しかしそれは、D氏を受け入れたからではない。あき
らめたからでもない。最近になって、妻は、こう言ってD氏に反発を強めている。「私は結婚した
ときから、家政婦以下だった。私の人生は何だったの。私の人生を返して!」と。

 自分自身が、マザーコンプレックスにせよ、ファーザーコンプレックスにせよ、コンプレックス
をもつのは、その人の勝手。しかしそれを妻や子どもに、押しつけてはいけない。

 D氏について言えば、「親は絶対!」と思うのは、D氏の勝手。しかしだからといって、自分の
妻や子どもに向って、「自分を絶対と思え」「敬(うやま)え」と言うのは、まちがっている。が、D
氏には、それがわからない。

●親を見抜く

 まず、親を見抜く。一人の人間として、見る。しかしほとんどの人は、この段階で、「親だから
……」という幻想に、振りまわされる。とくにマザーコンプレックス、ファーザーコンプレックスの
強い人ほど、そうである。

 かりに疑問をもつことはあっても、それを自ら、否定してしまう。中には、他人が、自分の親を
批判することすら、許さない人がいる。

 U氏(五七歳)がそうである。

 U氏の父親は、数年前に死んだが、その父親は、金の亡者のような人だった。人をだまし
て、小銭を稼ぐようなことは朝飯前。その父親について、別の男性が、「あんたの親父(おやじ)
さんには、ずいぶんとひどい目にあいましたよ」と、こぼしたときのこと。U氏は、猛然とその男
性にかみついた。それだけではない。「あれは、全部、私がしたことだ。私の責任だ。親父の悪
口を言うヤツは、許さん」と。そのとき、そう言いながら、その男性の胸を手でつかんだという。

 U氏のような人にしてみれば、そういうふうに、父親をかばうことが、生きる哲学のようにもな
っている。私にも、ある日、こう言ったことがある。

 「子どもというのは、親から言葉を習うものです。あなただって、親から言葉を習ったでしょう。
その親を粗末にするということは、人間として、許されないことです」と。

 「親を見抜く」ということは、何も「粗末にする」ことではない。親を大切にしなくてもよいというこ
とでもない。見抜くということは、一人の人間として、親を、客観的に見ることをいう。つまりそう
することで、結局は、今度は、親である自分を知ることができる。あなたの子どもに対して、自
分がどういう親であるかを、知ることができる。
 
●きびしい親の世界

親であることに、決して甘えてはいけない。つまり、親であることは、それ自体、きびしいことで
ある。

マザーコンプレックスや、ファーザーコンプレックスが悪いというのではない。えてして、そういう
コンプレックスをもっている人は、その反射的作用として、自分の子どもに対して、同じように考
えることを求める。

 そのとき、あなたの子どもが、あなたと同じように、マザーコンプレックスや、ファーザーコンプ
レックスをもてば、よい。たがいにベタベタな関係になりながら、それなりにうまくいく。

 しかしいつも、そう、うまくいくとは、かぎらない。親を絶対化するということは、同時に親を権
威化することを意味する。そして自分自身をまた、親として、権威づけする。「私は、親だ。お前
は、子どもだ」と。

 この権威が、親子関係を破壊する。見た目の関係はともかくも、たがいの心は、離れる。

●親は親で、前向きに

 親は親で、前向きに生きていく。親が子どものために犠牲になるのも、また子どもが親のた
めに犠牲になるのも、美徳でも何でもない。親は、子どもを育てる。そしていつか、親は、子ど
もの世話になる。それは避けられない事実だが、そのときどきにおいて、それぞれは、前向き
に生きる。

 前向きに生きるというのは、たがいに、たがいを相手にせず、自分のすべきことをすることを
いう。かつてあのバートランド・ラッセルは、こう言った。「親は、必要なことはする。しかしその
限度をわきまえろ」と。

 つまり親は、子どもを育てながら、必要なことはする。しかしその限度を超えてはならない、
と。このことを、反対に言うと、「子どもは、子どもで、その限度の中で、懸命に生きろ」というこ
とになる。また、そうすることが、結局は、親の負担を軽減することにもなる。

 今、親の呪縛に苦しんでいる子どもは、多い。あまりにも、多い。近くに住むBさん(四三歳、
女性)は、嫁の立場でありながら、夫の両親のめんどうから、義理の弟の子どものめんどうま
で、押しつけられている。義理の弟夫婦は、今、離婚訴訟の最中にある。

 Bさんの話を聞いていると、夫も、そして夫の家族も、「嫁なら、そういうことをするのは、当
然」と考えているようなフシがある。Bさんは、こう言う。

 「(義理の)父は、長い間、肝臓をわずらい、週に二回は、病院通いをしています。その送り迎
えは、すべて、私の仕事です。(義理の)母も、このところ、さらにボケがひどくなり、毎日、怒鳴
ったり、怒ったりばかりしています。

 そこへ、(義理の)兄の子どもです。今、小学三年生ですが、多動性のある子どもで、一時間
もつきあっていると、こちらの頭がヘンになるほどです」と。

 こうしたベタベタの関係をつくりあげる背景に、つまりは、冒頭にあげた、「幻想」がある。家
族は、その幻想で、Bさんを縛り、Bさんもまた、その幻想にしばられて苦しむ。しかしこういう
形が、本当に「家族」と言えるのだろうか。またあるべき「家族」の姿と言えるのだろうか。

●日本の問題

 日本は、今、大きな過渡期を迎えつつある。旧来型の「家」意識から、個人型の「家族」意識
への変革期にあるとみてよい。家があっての家族ではなく、家族あっての家という考え方に、変
りつつある。

 しかし社会制度は、不備のまま。意識改革も遅れている。そのため、今、無数の家々で、無
数の問題も、起きている。悲鳴にも近い叫び声が聞こえている。

 では、私たちは、どうしたらよいのか。またどうあったらよいのか。

 私たちの親については、しかたないとしても、私たち自身が変ることによって、つぎの子ども
たちの世代から、この日本を変えていかねばならない。その第一歩として、私たちがもっている
幻想を捨てる。

 親子といえども、そこは純然たる人間関係。一対一の人間関係。一人の人間と、一人の人間
の関係で、成りたつ。「親だから……」と、親意識をふりかざすことも、「子どもだから……」と、
子どもをしばることも、これからは、やめにする。

 一方、「親だから……」「子どもだから……」と、子どもに甘えることも、心して、最小限にす
る。ある母親は、息子から、土地の権利書をだましとり、それを転売してしまった。息子がその
ことで、母親を責めると、母親は、平然とこう言ったという。「親が、先祖を守るため、息子の財
産を使って、何が悪い!」と。

 こういうケースは、極端な例かもしれないが、「甘え」も、行き着くところまで行くと、親でも、こ
ういうものの考え方をするようになる。

 もちろん子どもは子どもで、その重圧感で悩む。その息子氏とは、この数年会っていないの
で、事情がわからないが、最後にその息子氏は、私にこう言った。「それでも親ですから……」
と。息子氏の苦悩は、想像以上に大きい。

 さてあなたは、その幻想をもっていないか。その幻想で苦しんでいないか。あるいは、その幻
想で、あなたの子どもを苦しめていないか。一度、あなたの心の中を、のぞいてみるとよい。
(031227)

【追記】

 正月が近づくと、幼児でも、「お正月には、実家へ帰る」とか言う子どもがいる。しかし「実家」
とは何か? もし祖父母がいるところが、実家なら、両親のいるところは、「仮の家」ということ
になる。

 家族に、実家も、仮の家もない。こうした、封建時代の遺物のような言い方は、もうやめよう。

 農村地域へ行くと、「本家(屋)」「新家(屋)」という言い方も残っている。二〇年近くも前のこと
だが、こんなことを言った母親がいた。「うちは、あのあたりでも、本家だから、息子には、それ
なりの大学に入ってもらわねば、世間体が悪いのです」と。

 日本人の意識を「車」にたとえるなら、こうした部品の一つずつを変えていけないと、車の質
は変わらない。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(454)

●正直に生きる(PARTU)

 教育者というより、教育評論家として生きるのも、結構、疲れる。だいたいにおいて、お金に
ならない。ときどき、何のために、こんなことをしているのか、わからなくなる。

 その私が、なぜ、毎日、原稿を書いているかといえば、その先に何があるか知りたいから。
それはあえて言うなら、冒険のようなもの。荒野を、背丈よりも高いアシをかき分けながら進む
……。

 人のため、という意識は、あまり、ない。私は、そんな高徳な、博愛主義者ではない。ただ
の、平凡な、どうしようもない風来坊。みなさんや、みなさんの夫と、どこもちがわない。どこが
ちがうかと聞かれても、困る。人に誇れるような経験も、人一倍の苦労も、したわけでもない。
まったく、ふつうの人間。

 人格はボロボロ。精神もボロボロ。五〇年以上生きてきたが、地位も肩書きも、ない。受けた
賞も、あるにはあるが、どれも「?」のようなものばかり。履歴に書くのも、はばかれる。

 私は、自分に正直に生きたい。あるがままの自分で、生きたい。飾ったり、気取ったり、虚栄
を張ったりしないで、私らしく、生きたい。何でもないようなことだが、どうしてそれが、私には、
できないのか。

 バカヤローと叫びたい。
 コンチクショーと叫びたい。
 クソッタレーと叫びたい。

 が、人前に出ると、私が私でなくなってしまう。

 ときどき、他人の目に映る私は、どんな私かと思う。どうでもよいことだが、気になるときがあ
る。多分、無味無臭の、クソまじめな男に見えることだろう。つまらない男に見えることだろう。

 背は低いし、足は短い。それに今では、子どもたちには、ジジイと呼ばれている。だからとき
どき、こう思う。

 もうまじめに生きるのは、やめよう、と。そう、もうやめよう。年末に、何人かの友だちに手紙
を書いていて、ふと、そう思った。もともとの私は、もっとチャランポランで、無責任で、いいかげ
ん。

 その私が、毎日、時間どおりに仕事にでかけ、時間どおりに、仕事から帰ってくる。途中寄る
のは、本屋、パソコンショップ、それにコンビニ。小遣いにしても、毎日、ワイフから渡される、
数千円だけ。

 人生って、こんなもの? これでよいの? これで終わるの? そんな思いが、いつも心をふ
さぐ。

 正直、言おう。たまには、熱烈な恋愛もしてみたい。好意を寄せている女性は、何人かいる
が、そういう女性ほど、私には、見向きもしてくれない。それに私には、その勇気もない。

そう、私のひそかな趣味は、銀行強盗の計画。毎晩、寝るときには、いつも、それを考えてい
る。その銀行強盗も、いつか、実行してみたい。ワイフは、ときどき、シナリオを、アメリカのハ
リウッド映画会社に売ったらと、言う。バカめ。私が二〇年かけて考えたシナリオを、そう簡単
に人に渡して、たまるか!

 あとは、今の仕事を全部やめて、オーストラリアへ行くこと。海の見える、アポロベイ(ビクトリ
ア州南端の避暑地)で、のんびりと、暮らしたい。

 その私が、何の利益もない原稿を、毎日、こうして書いている。いくら私がほえても、世間は、
社会は、国は、ビクともしない。ときどき……というより、しょっちゅう、自分のしていることが、
虚しくなる。「一〇〇〇号まで書く」と、心に決めているが、だから、それがどうなのか?

 〇四年の最大のテーマ。私は、正直に生きる。まじめに生きるのが疲れた。ありのままに、
自分に正直に、自分をさらけ出して生きていく。少なくとも、いやなことは、はっきりと、「い
や!」と言う。他人の機嫌をとったり、心にもない、おじょうずを言うのは、やめた。したいこと
を、する。そういう生き方をしたい。
(031227)

【追記】

 私は子どものころから、愛想のよい子どもだった。それには、悲しい乳幼児期があった。私
は、そうすることで、自分にとって居心地のよい世界をつくってきた。

 イヌで言えば、捨てイヌ。だれにでもシッポを振る、捨てイヌ。しかし心を開くことを知らなかっ
た。……開けなかった。

 私の子ども時代を知る人はみな、「浩ちゃんは、明るくて、ほがらかな子だった」という。しかし
私は、幸福だったから、そうしていたのではない。いつも何か、大きな不安に包まれていた。そ
の不安を隠すために、自分をごまかして生きていた。

 今でも、そういう傾向は残っている。そして努力して、そういう自分と戦っている。しかし、それ
は簡単なことではない。自分の体に、「質」としてしみついた自分を変えるのは、容易なことでは
ない。

 私は、今、自分をさらけ出すことに全力をあげている。講演会でも、自分のすべてをさらけ出
している。こうして自分を、一度、さらけ出すことによって、私は、自分を取り戻そうとしている。
マガジンを発行しているのも、そのためかもしれない。

 そういう自分を振りかえってみて、この方法は、よかったと思う。おぼろげながらだが、自分
の輪郭(りんかく)が、見えてきた。

 F市のMさん、ありがとう! お元気ですか?

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

 
子育て随筆byはやし浩司(455)

新春・いくつかの提案

●「偉い」という言葉を、廃語にしよう。人に、偉い人も、そうでない人もいない。日本では、地位
や、肩書きのある人を、「偉い人」という。奈良時代や平安時代なら、いざ知らず、今は、そうい
う時代ではない。そのかわり、「尊敬される人」という言葉を使おう。だから子どもには、「偉い
人になれ」ではなく、「人から尊敬される人になれ」と、教えよう。

●「出世」という言葉を、廃語にしよう。日本では、昔から、「社会に役立つ人になれ」「立派な人
になれ」が、教育の柱になってきた。またそういうことができるようになった人を、「出世した」と
言った。しかし子どもには、こう言おう。「よき家庭人になれ」「よき市民になれ」と。そういう意識
が集合されて、一つの国民意識となる。それを民主主義という。

●「家制度」を、みんなで考えなおそう。「嫁をもらう」「嫁にくれてやる」「実家」「本家」「あと取
り」などなど。封建時代の家制度をそのまま思い出させるような言葉は、いまでも広く使われて
いる。家長制度も、まだ残っている。みんなで、こうした制度を考えなおそう。

●「産んでやった」「育ててやった」を、廃語にしよう。親は、子どもを育てる。しかしそれは義務
であると同時に、権利でもある。子どもに恩を着せるというのは、すでにその子育てが、子育て
の本質から逸脱していることを示す。

●「親孝行」論を考えなおそう。親子といえども、一対一の人間関係で決まる。日本では、昔か
ら、たがいに犠牲になることを美徳としてきた。しかし親が子どものために犠牲になるのも、子
どもが親のために犠牲になるのも、美徳でも何でもない。たがいに高度の次元で尊敬しあうこ
とこそ、重要。

●権威主義と戦おう。「親だから……」「子どもだから……」「お兄ちゃんだから……」「○○家
の人間だから……」という、『ダカラ論』で、子どもをしばっては、いけない。その背景にあるの
は、日本人独特の権威主義。その権威主義と、戦おう。人は、外身ではなく、中身を見て、判
断する。そういう人の見方を、子どものときから、子どもに教えていこう。

●「立派」という言葉を、廃語にしよう。物語「一寸法師」に代表される、立身出世主義を、もっ
と疑ってみよう。「桃太郎」に代表される、安易な性議論や孝行論を、もっと疑ってみよう。そし
て「立派」という言葉を、廃語にしよう。人間には、立派な人も、そうでない人もいない。懸命に
生きている人こそ、すぐれた人である。

●親のうしろ姿を、子どもに押しつけてはいけない。生活のため、子育てのために苦労してい
る姿を、日本では、「親のうしろ姿」という。そういう姿を、見せたくなくても、親は子どもに見せて
しまうが、しかしその「うしろ姿」を、子どもに押しつけてはいけない。それは、卑怯(ひきょう)と
いうもの。親は子どもを選べるが、子どもは、親を選べない。いわんや、子どもに恩を着せるた
めの、道具にしてはいけない。

●上下意識を表す言葉を、廃語にしよう。「先輩」「後輩」に始まる、上下意識を表す言葉は、
日本語には、多い。「主人」という言葉も、そうだ。こうした言葉は、廃語にしていこう。人間に
は、「上の人」も、「下の人」もいない。「親が上で、子が下」というのも、おかしい。

●人は学歴ではなく、中身で見よう。「どこの大学を出たか」ではなく、「何ができるか」で、人を
判断しよう。今でも、学歴にぶらさがって生きている人は多い。定年退職してからも、その亡霊
にとりつかれている人さえいる。

●エリート意識は、自分の責任のためにもとう。エリート意識にも、二種類ある。ひとつは、他
人を見くだすためのエリート意識。もう一つは、自分の責任を自覚するためのエリート意識。前
者を、悪玉エリート意識という。後者を、善玉エリート意識という。善玉エリート意識をもつことは
大切だが、悪玉エリート意識は、危険でさえある。こういうエリート意識がはびこれば、民主主
義は、確実に後退する。
(031228)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(456)

エリート意識

 先日、何かの出版記念パーティに招待されたときのこと。一人の男性(六〇歳くらい)が、こう
言って、祝辞を述べた。

 「私は、努力して、ここまでの人物になりましたが、ここにおられる○○先生は、実力で、ここ
までの人物になられた方です」と。

 自分のことを、「ここまでの人物」と言う人は、少ない。急いで、その男性の経歴を、隣の席の
人に聞くと、その人は、「あの人は、AA商科大学卒、元BB都市銀行部長」と教えてくれた。

 エリート意識には、二種類ある。他人を見くだすためのエリート意識。これを悪玉エリート意識
という。

 もう一つは、自分の責任を自覚するためのエリート意識。これを善玉エリート意識という。

 エリート意識といっても、どちらのエリート意識かは、そのつど、判断しなければならない。概
して言えば、学歴や経歴にぶらさがるのは、悪玉エリート意識ということになる。このタイプの人
は、他人を、肩書きや地位だけで判断しやすい。無意識のうちにも、人間を上下関係で判断す
る。

 自分より立場が上の人に向っては、必要以上にペコペコし、そうでない人には、必要以上
に、威張ってみせる。旧来型の出世主義にこりかたまった人ほど、そうである。

 もちろん善玉エリート意識は、問題ない。生きる誇りも、そこから生まれる。自尊心も、そこか
ら生まれる。問題は、どうやって悪玉エリート意識と戦い、善玉エリート意識を育てるか、であ
る。

 たとえば、たいへんおかしなことだが、このH市では、その出身高校で、人を判断するという。
もう、何度か、そういう話を聞いたことがある。

 私はもともと「よそ者」だから、そういう意識はない。それにあまり理解できない。それを話して
くれた人に、「バカげていますね」と言うと、その人は、こう言った。「それは、このH市を知らな
い人の言うことです」と。

 そのせいかどうかは知らないが、たしかに、このH市では、S高校出身の人は、いばってい
る。数年前だが、そのS高校の、ある部活の年次総会に、父母の一人として、出たときのこと。
壇上に、OBたちがズラリと並んでいたのには、驚いた。そしてあいさつのとき、「○○年度卒
業生OB」「△△年度卒業生OB」と、自分を紹介していた。

 私はその光景を見ながら、それは悪玉エリート意識のなせるワザなのか、それとも善玉エリ
ート意識のなせるワザなのかと、考えてしまった。

 もしこれらの卒業生が、そのS高校ではなく、B高校、あるいはC高校の卒業生だったら、こう
した年次総会に顔を出すだろうか、と。多分、そういう人ほど、顔を出さないのでは? 私は、
そのC高校レベルの年次総会にも顔を出したことがあるが、そういう学校では、OBは、ほとん
ど出てこない。

 ……となると、やはり、悪玉エリート意識ということになる。こういう人たちは、他人を見くだす
ために、過去の学歴にしがみついている? そう、言い切るのは失礼なことかもしれないが、
私は、そう感じた。たかが高校の部活ではないか。いくら伝統ある高校といっても、そこは子ど
もの世界。大のおとなが、顔を出すような場所ではない。

 私なら、頼まれても、顔を出さない。もっとも、私の出身高校は、私がいたころとはちがい、今
は「ボトム校」(同窓会生談)になってしまったという。大学進学率も落ちるところまで、落ちてし
まった。その進学率の高さで、その学校が評価されるというしくみも、おかしいが、人間まで評
価されたら、たまらない。

 こうして考えてみると、日本はまだ、あの封建時代や、明治から昭和にいたる、過去の亡霊
をしっかりと、受けついでいるのがわかる。出世主義、権威主義、立派な社会人思想。そして
それを支える学歴社会、受験戦争、学校神話などなど。学校に序列があるのも、そうだ。悪玉
エリート意識は、そういう流れの中から生まれた。

【悪玉エリート意識】

 「自分はすぐれた人間」と思うのは、その人の勝手だが、それを他人に押しつける。あるい
は、さらにそれが進むと、「他人は自分を尊敬しているはず」という、前提で、ものを考えてしま
う。

 ここにも書いたように、このタイプの人は、無意識のうちにも、相手を地位や肩書きをみて、
判断する。さらにこうした体質が、二〇年、三〇年とかけて体質として、しみこんでくると、それ
自体が、生きる哲学にもなってしまう。定年退職をしてからも、自分のことを、「ここまでの人
物」と言うようになる。

 少なくなったとはいえ、古い世代を中心に、日本には、まだこのタイプの人は多い。
(031228)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(457)

●返礼の法則

 たとえばAさんならAさんに、「一〇」のことをしてあげたと思う。親切にしてあげるとか、世話
をしてあげるなど。

 そのとき、(してあげるほう)は、一〇のことをしてあげたと思う。しかし(してもらうほうは)は、
七とか、八程度にしか思わない。

 こうした意識のズレは、日常生活の中で、よく経験する。

 そこで(してあげたほう)は、(してあげた人)について、「私は、一〇のことをしてあげたのに、
あの人は、私に、何もしてくれない」と思う。

 あるいは、その(してもらったほう)は、そのお礼にと、七とか八の、お礼をする。が、ここで、
ちょうど、逆の現象が起きる。

 (してもらったほう)は、七とか八のお礼をする。そのときお礼をしながら、「私は、それ相当
の、七とか八のお返しをした」と思う。しかし、(お礼をされたほう)は、今度は、それを、五とか
六とかのことしかしてもらってないと感ずる。

 そしてその結果として、「私は、一〇のことをしてあげたのに、あの人は、五とか六のことしか
してくれない」ということになる。

 一般論として、(してあげるほう)は、してあげることを、過大評価する。一方、(してもらうほう)
は、してもらったことを、過小評価する。この意識のズレが、ときに、人間関係を、ギクシャクさ
せる。

 こうしたズレ、つまり不協和音は、不愉快なもの。そこでこうしたズレを避けるためには、最初
から、見返りを求めないで、行動する。あるいは、仮に一〇の返礼がほしいと思うなら、その人
に対して、二〇とか、三〇とかの好意を示す。最近でも、こんなことがった。

 私は毎週(毎月ではない)、外国の友人に、日本の模型雑誌を送っている。定価が一五〇〇
円前後。それにSAL便で送っても、郵送料が、七〇〇円前後。月になおすと、ときに、一万円
前後の出費になることもある。

 率直に言って、軽い負担ではない。しかしその友人は、心の病をかかえ、かなり苦しんでい
る。私が送る雑誌を、何よりも楽しみにしている。私は、それを中断するわけにはいかない。そ
れで毎週、こうして送っているが、ときどき、ふと迷う。「こんなことをして、何になるのだろう
か?」と。

 そんな中、私の生徒のひとりが、その友人の住む国へ行くことになった。そこでその友人に、
大学や寄宿先について、問いあわせた。で、そのことであれこれ相談すると、ページ数にして、
一〇〇ページ近い資料を、インターネットで送ってくれた。いいかげんな資料ではない。彼が、
一日ががりで調べてくれた資料である。それを見たとき、友人の厚意に、心の中が、ポッと暖
かくなった。

 そこで今朝、ワイフと、車の中で、こんな会話をした。

私「見返りを求めず、損とか得とか考えず、他人のために行動することは、大切なことだと思
う」
ワ「してあげたと、思わないことね」
私「そうなんだ。そういうふうに、考えてはいけないんだ。相手が喜ぶようにしてあげればよい。
苦しんでいたら、それを軽くしてあげればいい」
ワ「何かを求めると、それが求められないとき、キズつくからね」
私「そうなんだ。もともと、求めなければいい」と。

 そういうことで、今朝、私は、ひとつの教訓を得た。それは、仮に他人のために、(家族でもよ
いが)、何かをしてあげるときには、そのしてあげることから、二〇〜三〇%、差し引いて考え
る。

 一方、何かをしてもらうときには、反対に、二〇〜三〇%、割増して考える。こうして(してあげ
ること)と、(してもらうこと)の、バランスをとる。厚意をお金にたとえるのは、よくないかもしれな
いが、わかりやすくいえば、つぎのようになる。

 一〇〇〇円のものをあげたら、「八〇〇円のものをあげた」と思うようにする。反対に、一〇
〇〇円のものをもらったら、「一二〇〇円のものをもらった」と思うようにする。あるいはそうい
うことを、いちいち考えるのが、めんどうなら、最初から、無私の状態で、相手に尽くせばよい。
返礼など、求めないこと。

 これが私が、今朝、発見した、返礼の法則である。
(021230)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩
司 

子育て随筆byはやし浩司(458)

【近況】

●スーパーで……

 スーパーの、天ぷら売り場の前で、一人の老人(男性、七〇歳くらい)が、軽く咳きこんだあ
と、ゲー・ペッと、痰を吐いた。見ると、小さなティッシュペーパーで、それを受け止め、その紙
を、手のひらで小さく丸めて、床のすみに投げるところだった。

 何とも不愉快な光景だった。とたんワイフも私も食欲をなくし、その場を離れた。離れながら、
ワイフにこう言った。

 「老人になると、ああいうことが平気でできるようになるのかね?」と。

 その人の人間性というのは、長い年月を経て、熟成される。若いときは、そのときどきで自分
をごまかすこともできる。が、年をとると、その気力も、弱くなる。弱くなって、その人の人間性
が、そのまま表面に出てくるようになる。

 老人は、嫌われるのではない。嫌われるようなことをするから、嫌われる。言いかえると、老
人は、好かれることを考える必要はない。嫌われないことだけを考えればよい。と言っても、そ
の人間性は、老人になればなるほど、体のシンから、にじみ出てくる。

 恐らくその老人は、若いころから、痰を平気で道路などに吐いていたのだろう。そういう人は
多い。しかしスーパーの中の、その天ぷら売り場の前で、痰を吐く人は少ない。その老人も、若
いころなら、そういうところで痰を吐くのは、遠慮していたかもしれない。しかし年をとって、その
歯止めがきかなくなった?

 その人の人間性は、一朝一夕にできるものではない。まさに日々の積み重ねが月となり、
月々の積み重ねが、年となり、その人の人格となる。

 むずかしいことではない。小さなことでよい。人に迷惑をかけないとか、ウソをつかないとか。
約束や時間を守るとか。そういう日々の行いが、積み重なって、その人の人格となる。

私「ああいう人を見ると、日本人の文化も、まだまだだと思う」
ワ「低いわね……」
私「自然なマナーとして、そういうところでは、そういうことはしないという文化が、育つまでに
は、まだ何十年もかかるだろうね」
ワ「そうね」と。

 私は、その老人が紙を捨てるシーンで、思わず目をそむけた。だからその紙がどうなったか
知らない。そのあと、その老人が、どうしたかもしらない。何とも言えない、不快感だけが残っ
た。

 「ぼくたちも、もうすぐ老人になるけど、ああいうことだけはしたくないね」とワイフに言うと、ワ
イフも、「そうね」と言った。


●Bというタレント

人気タレントに、Bという人がいる。日本では、もっともよく知られたタレントの一人である。しか
し、ああいう人に、マユをひそめる人も、多いはず。実は、私も、その一人。

 少し前も、「もっとも望ましい上司のタイプ」として、そのB氏が選ばれていた。どこかの雑誌社
が主催した、人気投票の結果である。しかし、こうした人気投票は、基本的な部分で、おかし
い。

 たとえばここに二人の人物がいる。

 X氏は、全国放送によく出てくるタレント。X氏を知る人は、一〇〇万人いる。
 Y氏は、マスコミにはほとんど、顔を出さない。Y氏を知る人は、一〇万人程度。

 そこで人気投票をしたとする。仮に八割の人が、「X氏はおかしい」と思ったとしても、X氏は、
二〇万票を獲得することになる。一方、八割の人が、「Y氏はすばらしい」と思ったとしても、Y
氏は、八万票しか獲得できない。その結果、当然、X氏が一位になる。

 この日本では、何かにつけて、知名度が優先する。しかもその知名度は、中央(東京)で、い
かに頻繁(ひんぱん)に、テレビに出ているかで決まる。B氏なども、その一人。私とほぼ同年
代だが、その同年代の人間としてみたとき、私は「?」と思うことはあっても、すばらしい人と思
ったことは、一度もない。

 そういうB氏が、東京都や日本を代表する文化人となっている。そのことについて、よく考えて
みると、その責任は、もちろんB氏にない。その責任は、そのB氏を取りまく、フジツボ産業に
ある。

 マスコミの世界には、有名人にとりついて、それを金儲(もう)けにつなげていく産業が、無数
にある。ペタペタと張りつくところから、私は「フジツボ産業」と呼んでいる。こういう産業が、そう
いう有名人をさらに祭りあげる。相互に祭りあげる。そしてその相乗効果で、その有名人は、さ
らに有名になっていく。

 高い文化性など、あればかえって邪魔。俗悪な論理だけが、優先される。そしてその結果、
見るからに俗悪な人が、ときに、文化人ということになってしまう。B氏が、その一人とは言わな
いが、みなさんも、一度、冷静な目で考えてみてほしい。「本当に、ああいう人が、日本を代表
する文化人なのか?」と。

 もっともこの日本では、Y氏のような、見るからに低劣な人が、O府の知事になったりする。そ
してそのY氏が、ハレンチな事件を起こして、政界から消えたとしても、だれも責任をとらない。
だれも恥じない。またそういう失敗から、だれも、何も学ばない。

 たしかに日本は豊かになった。不況、不況といいながらも、世界的にみれば、まだ最高水準
の生活レベルを維持している。しかしその日本。「だから、どうなの?」という部分を、置き去り
にしたまま、お金だけは、手に入れた。

 おいしいものを食べられるようになった。……だから、どうなの?
 すばらしい車に乗ることができるようになった。……だから、どうなの?
 快適な生活ができるようになった。……だから、どうなの、と。

 そういう部分を考えることなしに、今に至った。そしてその結果、なぜ生きているか、その説明
のないまま、ただその場さえ楽しければよいという生きザマが、日本人の生きザマになってしま
った。Bというタレントは、そういう流れの中で生まれた?

 私は、日本という国は、すばらしい国だと思って生きてきた。今も、その気持はあるにはあ
る。が、しかしその一方で、「ひょっとしたら、そうではないのかもしれない」という疑問ももってい
る。とくに、最近、疑問をもつようになったのは、いわゆる東京文化である。

 政治や経済の中心は、たしかに東京にある。しかし文化は、どうか? 日本では、東京文化
イコール、日本文化ということになっている。しかし政治や経済は別として、東京から流れてくる
文化には、俗悪なものが多い。むしろ、地方のほうが、東京より、文化レベルが高いのでは?
 これはあくまでも余談だが、ふと、今、そう考えた。


●強情な子ども 

 強情な子どもというは、いる。机の上のものを、不注意で落としても、決して、「ごめん」とは言
わない。「先生が、こんなところに置いておくから悪いのよ」「私は、わざと落としたのではない
から、あやまる必要はない」「あやまっても、どうせ許してくれないんでしょ」などと言って、反論
する。

私「あのね、落としたのは、あなただから、あやまりなさい」
子「どうして、あやまらなければならないの? こんなことで!」
私「こんなことだと思うなら、すなおにあやまればいいじゃない?」
子「先生だって、この前、落としたじゃ、ない」

私「いつ?」
子「私、ちゃんと見てたから……」
私「だから、いつ、ぼくがそんなことをした?」
子「忘れたわ。でも、ちゃんと覚えている」

私「でも、今、落としたのは、君なんだから……」
子「じゃあ、あやまればいいのね」
私「そうだ。あやまればいい」
子「うるさいわね。……ごめん」と。

 実際、こういう子どもにからまれると、こちらまで気がヘンになる。しかもタチの悪いことに、本
人には、その自覚がまったくない。むしろ自分では、そうしてがんばることが、正しいことだと思
いこんでいる。

 最初に、「ごめんなさい」と言えば、それですむことを、このタイプの子どもは、最後の最後ま
で、がんばる。その途中で、ささいな言いちがいをとらえて、それを問題にすることもある。

私「君は、自分では悪いと思っていないのか?」
子「いつ、私が、そんなことを言ったの」
私「でも、同じことだろ?」
子「言ってもいないことで、私を責めないでよ」

私「『あやまればいいのね』というのは、そういう意味だ」
子「言ってもしないことで、私を責めないで」
私「まあ、そうは言っていないけど、ぼくには、そう聞こえた」
子「何でも、私が悪いということになるのね」と。

 原因はいろいろある。全体としてみると、貧弱な家庭環境が背景にあるとみてよい。何らか
の大きな欲求不満が、慢性化して、子どもの心をゆがめたと考える。

 しかしそれ以上に重要なことは、こうした、いわゆるヒネクレ症状は、ほぼ一生の間、つづくと
いうこと。おとなになってから、なおるということは、まずない。その前に、おとなになってから
も、自分がそういう症状をもっていることに気づく人は、まずいない。自分では、「ふつうだ」と思
っている。脳のCPU(中央演算装置)が、変調しているからである。

 そこであなたの子どもは、どうだろうか。あなた自身は、どうだろうか。何か失敗したとき、す
かさず、すなおな気持で、「ごめん」と、言うだろうか。……言えるだろうか。もしそうならそれで
よし。しかしここに書いたように、強情をはるようであれば、一度、その子どもの育った家庭環
境や、あなた自身の子どものころの家庭環境を、静かに思い出してみたらよい。自分を発見す
る、何かの手がかりになるかもしれない。
(031230)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(459)

●基底不安

 何をしていても、不安。仕事をしていても、不安。遊んでいても、不安。寝ていても、不安。家
族といても、不安。友だちといても、不安。……そういう人は、少なくない。世間では、こういう人
を、不安神経症というらしいが、「根」は、もっと深い。

 乳幼児期の母子関係が不全だと、子どもは、生涯にわたって、ここでいう「不安を基底とした
生き方」をするようになる。これを「基底不安」という。この時期、子どもは、母親との関係にお
いて、絶対的な安心感を学ぶ。「絶対的」というのは、「疑いをいだかない」という意味。

 この絶対的安心感が、何らかの問題があって不足すると、子どもの心は、きわめて不安定な
状態に置かれる。心はいつも緊張した状態に置かれ、それが原因で、子どもの情緒は不安定
になる。それだけではない。この安心感があってはじめて、子どもは、自分のすべてをさらけ出
すことを学ぶ。そしてそれが、それにつづく人間関係の基本になる。

 このさらけ出しのできない子どもは、少なくない。自分をさらけ出すことに、大きな不安を覚え
る。「相手によく思われているだろうか」「相手は、自分のことを悪く思わないだろうか」「どうす
れば、自分は好かれるだろうか」「自分は、いい人間に見えるだろうか」と、そんなふうに考え
る。

 子どもでいえば、不自然なほど、愛想がよくなったり、反対に仮面をかぶったりするようにな
る。さらに症状が悪化すると、心の状態と顔の表情が遊離し、いわゆる何を考えているかわか
らない子どもになる。これに強いショックが加わると、多重人格性をもつこともある。

 うれしいときには、うれしそうな顔をする。怒ったときには、怒った顔をする。何でもないことの
ようだが、感情の表現が、すなおで、自然ということだけでも、子どもの心は、まっすぐに育って
いることを示す。

 一方、子どもの世界、とくに乳幼児期において、無表情というのは、好ましくない。うれしいは
ずなのに、どこかぼんやりとしている。同年齢の子どもと会っていても、反応を示さない。感情
表現がとぼしく、どこかヌボーッとしている、など。

 親は、「生まれつき、こうです」と言うが、そういうことは、あ・り・え・な・い。たいていは親の神
経質な育児姿勢、過干渉、過関心、威圧、暴力、暴言が、原因で、そうなる。親の短気、情緒
不安が、原因で、そうなることもある。

 子どもが、〇歳〜二歳の間は、絶対に子どもを怒鳴ってはいけない。おびえるほどまで、子
どもを叱ったり、威圧したりしてはいけない。無理な訓練や、学習をさせてはいけない。この時
期、必要なのは、暖かい愛情に包まれた、心豊かな人間関係である。親の立場で言うなら、た
だひたすら、がまん。忍耐。そしてあふれんばかりの、愛情である。

 この時期は、子どもを伸ばすことは、あまり考えなくてもよい。子どもの心を、つぶさないこと
だけを考える。どんな子どもも、すでに伸びる芽をもっている。あとは、それに『灯をともして』、
それを『引き出す』だけ(欧米の常識)。

 少子化のせいなのか? 今、子育てで失敗する親が、あまりにも多い。手をかける。時間を
かける。手間をかける……。それ自体は悪いことではないが、神経質な育児姿勢が、かえって
子どもの伸びる芽をつんでしまう。子どもの「私は私」という意識までつぶしてしまうこともある。

 この時期、一度、子どもの自信をつぶしてしまったら、もう、あとは、ない。生涯、ハキのな
い、ナヨナヨとした子どもになってしまう。自ら、「私はダメ人間」というレッテルを張ってしまい、
伸びることをやめてしまう。そういう状態に、子どもを追いこんでおきながら、「どうして、うちの
子は、ハキがないのでしょう」は、ない。「どうすれば、もっとハキハキする子どもになるでしょう
か」は、ない。

 子育てには、失敗はつきもの。しかし失敗してからはでは遅い。なおそうと考えても、その数
倍、あるいは数一〇倍の努力とエネルギーが必要。しかし、実際には、それはもう不可能。

 話がそれたが、この基底不安にしても、乳幼児期につくられ、それはその人を、ほぼ一生に
わたって、支配する。外から見ただけではわからないし、またこのタイプの人ほど、その不安と
戦うことで、その道では成功者となることが多い。そのため、まわりの人は、それこそ「ただの
不安神経症」と、安易に考えやすい。

 しかしその人自身は、生涯にわたって、その不安から解放されることはない。人と交わって
も、心を開けないなど。中には、家族にさえ、心を開けない人もいる。不幸かそうでないかとい
うことになれば、これほど、不幸なこともない。

 もしあなたが、ここでいう、不安を基底とした生き方をしているなら、その「根」は、あなた自身
の乳幼児期にある。まず、それを知る。そしてそれがわかれば、こうした不安感を消すことはで
きないにしても、コントロールすることは、できるようになる。

 どんな人でも、一つや二つ、こうした心の問題をかかえている。ない人は、いない。あとは、そ
れに気づき、仲よくつきあえばよい。
(031231)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


子育て随筆byはやし浩司(460)

●これからの老人たちよ、少し、考えよう!

あなたも、そして私たちも、やがて老人になる。老いはだれにでもやってくる。例外は、ない。髪
は白くなり、あるいは、はげる。肌はツヤをなくし、シワは、ふえる。何とかごまかしてきた持病
も、五〇歳を過ぎると、どんと、前に出てくる。そのときのこと……。

 「悠々自適の老後生活」という言葉がある。しかし「悠々(ゆうゆう)」だけでは、いけない。「自
適」だけでも、いけない。老人は、老人として、すべきことがある。

 私の近所には、年金生活者がたくさん住んでいる。ほとんどが、元公務員の人たちだが、中
には、地域の活動を熱心にしている人もいる。しかし中には、まったく、しない人もいる。現役
時代、地位(?)の高かった人ほど、何もしないのでは? 

たとえば公園の近くに住んでいるX氏などは、退職してから、もう一五年以上になるが、何か、
地域のための仕事をした姿を、私は、見たことがない。

 その]氏は、みごとなほど、何もしない。明けても暮れても、趣味ざんまい。道路のゴミすら、
拾ったことがない。近くの空き地の草が伸びれば、役所へ、すぐ電話する。手紙を書く。しかし
そういう老後が、本当に理想的とは、だれも思わない。

 人間は、社会的な動物である。社会とかかわりあってはじめて、人間は、人間である。そして
そのかかわり方には、二つの方向性がある。一つは、「今」という時点で、「世界」にかかわるこ
と。もう一つは、「今」という時点で、「過去」と「未来」にかかわること。

 社会的活動をしながら、他人のために働くことを、前者とするなら、自分が得た知識や経験
を、後世の人たちが役立つようにするのが、後者ということになる。小さな世界に閉じこもって、
自分だけのために好き勝手なことをするのは、そもそも生きザマとして、まちがっている!

 もう一人、近所に、腰のまがった女性がいる。年齢は、八五歳だという。その女性は、毎日、
近所の清掃をしている。自分の家の周辺だけではない。近くに中学校があるが、その前の道
路や、空き地の前の道路の清掃までしている。

 このところ急に、体が弱々しくなったようだ。それにときどき、道路にはみ出した草を刈ってい
るが、それはハサミでしている。家庭で使うような小さなハサミである。「?」と思う前に、ほほえ
ましく思う。

 そういう女性を見ると、本当に頭がさがる。老人というより、人間としての生きザマの美しささ
え感ずる。またそういう老人を見かけると、老人を大切にしなければという思いも、わいてくる。

 私たちは、自分の老後を、どう過ごすべきか。それについての答は、もう出たようなもの。

私たちは老齢になればなるほど、それまで生きてきたことを、社会に還元しなければならない。
それはちょうど、義務教育を受けている子どもたちが、学校の宿題をするようなもの。老人は
老人として、自分の生きザマを完成させる。そしてそれをつぎの世代の人に伝えていく。それは
この世の中を、無事生きてきたものの、義務と言ってもよい。

少なくとも、明日も、今日と同じ生活を繰りかえすだけの、ただ死を待つような人生に、意味は
ない。来年も、今年と同じ生活を繰り返すだけの、ただ死を待つような人生に、意味はない。
(031231)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(461)

●大晦日(おおみそか)

 三男と、ワイフと、私の三人で、山荘へ来る。長男は、今夜は、アルバイト。あとから来るとか
言っていた。あてにならない。

 夕方まで、小雨が降っていたが、夜になって、晴れた。明日の元旦には、きれいな朝日が、
おがめそう。

 山荘に着いてから、外で焼き鳥を焼く。風はない。白い月を背景に、いくつか、パンのような
丸い雲が見えた。三男が、双眼鏡をもって、外に出てきた。「何を見るんだ?」と聞くと、「飛行
機」と。

 「お前がパイロットになったら、ここにサーチライトをつけて、飛行機のほうを照らしてやるよ」
と私が言うと、うれしそうに笑った。ちょうど山荘の上空は、東京と大阪を結ぶ航路になってい
る。ひっきりなしに、飛行機が、行きかっている。

 「飛行機からは、どうやって合図するんだ?」と私。
 「どうやるんだろ?」と三男。
 「そうだな、着陸灯を点滅させればいい」
 「いいのかなあ、そんなことして?」
 「ときどき、飛行機どうしが、しているよ」
 「そうだね」と。 

 ワイフが、ビールをもって、外に出てきた。横にすわって、缶のプルタブを引く。勢いよく泡が
外に出る。焼き鳥も、うまく焼けたようだ。おいしそうなにおいが、冷たい風にまじって、鼻に届
く。

(この間、ほぼ一時間。食事が終わって、居間に集まる。)

 今日は、大晦日。二〇〇三年も、あと少し。正確には、あと二時間と二〇分。私はコタツにす
わって、この原稿を書く。三男は、ふとんにすわって、雑誌を読む。ワイフは、横でビデオを見
る。

 無事、二〇〇三年を過ごした。ありがたいことだ。しかし無事は無事だったが、今年も、結局
は、何かをしたようで、何もできなかった。不完全燃焼のままだった。「今日こそは……」「明日
こそは……」と、そんな思いで、その日を過ごしてきた。しかしやはり、何もできなかった。

 もう「来年こそ、がんばろう」という気持は、消えた。夢も期待もない。願わくは、現状維持。無
事、このまま過ごせること。何ともしみったれた願いだが、このあたりが、私の本音。そう言え
ば、この山荘へ来るとき、車の中で、ワイフも、そう言っていた。

 「明日が、元旦なんて、ゼンゼン、実感がないわね」と。
(031231)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


子育て随筆byはやし浩司(462)

人格の未熟性

 子どものころ、一度、人格が未熟(軟弱)になると、その未熟性は、一生、つづく。おとなにな
ったあと、気力や体力で、表面的にはごまかすことはできても、その未熟性が、補われること
はない。あるいはおとなになってから、その人格が、完成するということはない。

 このことは、老人を観察してみると、わかる。私たちは「老人」に対して、ある種の幻想をいだ
きやすい。長老なのだから、知識も経験も豊富で、それなりの人格者だと思いがちである。

 極端な考え方だが、この日本では、死んだ人は、すべて、「仏様」として、あがめられる。「成
仏した」という言い方をするときもある。死んだとたんに、釈迦と同列になるというわけだが、老
人に対しても、同じように考える。

 しかし老人でも、人格が未完成の人は、いくらでもいる。若いときのままというより、若い人よ
り人格が軟弱な人も多い。名誉や地位には、関係ない。むしろ、名誉や地位にしがみついてき
た人ほど、愚劣になりやすいのでは?

 言いかえると、人格が未熟だから、名誉や地位にしがみつきやすいということにもなる。どこ
かの大臣が、精一杯、虚勢を張って、いかにもというかっこうで、肩をいからせて歩くのが、そ
れである。中身がないから、外見で自分を飾ろうとする。

 一方、子どもでも、人格がしっかりしている子どもは、これまたいくらでもいる。安定感があ
り、どっしりとしている。教育の世界では、「落ちついている」という表現を使う。ときに、ふてぶ
てしさを感ずることもある。

 こうしたちがいは、どこで決まるかといえば、すでに五、六歳の幼児期には決まっているか
ら、それ以前の乳幼児期に決まるということになる。しかもその時期は、〇歳から一、二歳まで
の時期と考えてよい。この時期の育て方で、その子ども(人)の、人格の方向性が決まる。

 この時期、安定した家庭環境で、ほどよい愛情に恵まれた子どもは、その時点で、人格の核
形成が進む。そうでないときは、人格が、軟弱になる。

 ほどよい愛情というのは、「子どもが求めてきたときが、与えどき」と覚えておくとよい。

この時期の乳幼児は、ふと思いたったように、母親や、ときには父親のところにもどってきて、
愛情表現(アッタチメント)を繰りかえす。そのとき母親や、父親は、ほどよくそれに応じてあげ
る。ぐいと抱いてやったり、あるいはひざの上にのせてやる。

 すると子どもは、しばらくその状態をつづけたあと、満足したかのような表情を見せたあと、別
の行動に移る。こうした(単独行動)→(アッタチメント)→(単独行動)を繰りかえしながら、その
過程で、子どもは、人格の核形成を進める。

 しかしその適切な対応が、何らかの障害があって、できないときがある。これもまた極端な例
だが、子どもの世界には、赤ちゃんがえりという、特異な現象がある。

 あの赤ちゃんがえりを起こした子どもの最大の特徴は、人格の核形成が、遅れること。赤ち
ゃん以上に、赤ちゃんぽくなり、グズグズしたり、ささいなことで突発的に、混乱状態になったり
する。人格の「核」そのものが、軟弱で、教える側からすると、「わけのわからない子ども」とい
った感じになる。

 原因は、下の子どもが生まれたことによる、愛情飢餓である。つまり欲求不満が、嫉妬とから
んで、赤ちゃんがえりという症状を引き起こす。

 こういう赤ちゃんがえりという現象を見ていると、人格の核形成は、「ほどよい愛情」によっ
て、形成されることがわかる。では、「ほどよい愛情」とは、何か。それについて、考えてみた
い。

 第一に、ここにも書いたように、「求めてきたときが、与えどき」と覚えておくとよい。その量と、
程度には、スタンダードはない。「お兄ちゃんは、これくらいだったから……」とか、「近所の子ど
もは、この程度だから……」という、基準を作ってはいけない。

 あくまでも、その子どもをみて、判断する。数時間おきに求めてくる子どももいれば、三〇分
おきに求めてくる子どももいる。大前提として、「子どもの行動には、ムダがない」と覚えておくと
よい。「子どもの行動には、すべて理由がある」と覚えておくのもよい。

 子どもが何らかの行動を示すときには、その裏に、それなりの理由があるということ。子ども
は、そういう意味で、まさに、「自然の申し子」である。

 もちろん親のほうから、ベタベタと、愛情表現する必要はない。またしてはならない。親自身
が、その乳幼児期において、愛情飢餓にさらされると、逆に、子どもを溺愛するようになる。こ
の種の溺愛は、子どもにとって害になることはあっても、よいことは何もない。

 発達心理学の世界には、「ほどよい親」という言葉がある。そのほどよい親になることが、子
どもの人格の核形成を進める、コツということになる。

 さて老人の話にもどす。

 私も、その老人のはしくれになりつつあるが、残念ながら、私の人格は、未完成というより、
未熟なままである。今は、何とか、自分の気力で押さえこんでいるが、こうしたごまかしが、いつ
までもできるとは、思っていない。そのうちボロが出て、なさけない自分を、白日のもとにさらす
ようになるだろう。

 恐らく、こうした「私」は、死ぬまでつづくと思う。いくらがんばっても、心というより、脳みその中
心部まで変えることはできない。これからも、ささいなことで、一喜一憂し、喧嘩したり、動揺し
たりして、生きていくと思う。私の乳幼児期の家庭環境は、あまりにも貧弱だった……。
(040101)

【追記】
 
 結婚して、男は女と、女は男と、生活を始める。しかしそのとき、相手(配偶者)が、同じ家庭
環境で育ったということはありえない。それぞれが、それぞれの、何らかのクセをもっている。
特異な性癖や、心のキズをもっていることもある。

 夫婦というのは、そういうクセを理解しあいながら、生きていくもの。決して自分の基準で、相
手をみてはいけない。つまりは、「ほどよい夫」であり、「ほどよい妻」であることが、夫婦円満の
カギということになる。余計なことだが……。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


子育て随筆byはやし浩司(463)

●山の散歩

 一月一日。ワイフと、散歩に出る。コースは、山荘の前から、左へ折れ、山道をくだる。細い、
けもの道のような道。その道が、川の近くまでつづいている。途中、細葉の木の林や、杉の木
の林があり、それに種々雑多な森がつづく。

 このところ、杖をもって、散歩に出ることが多くなった。自分でも「老人臭くなったな」と思うこと
はあるが、山道の散歩には、杖は欠かせない。とくに昨日は、小降りだが、雨が降った。道が
すべる。

 一度、下の道路までおりた。そのあたりには、家は一軒しかない。Uさんの家だが、親しい人
ではない。どこか気難しそうな人で、この一六年間、ときどき顔をあわせることがあっても、軽
く、あいさつする程度。家に近づくと、飼い犬が、ワンワンとほえた。

 今朝、この散歩に出る前に、ワイフが、となりのおばさんと、会話をした。その会話の中で、
最近、このあたりで、イノシシを二頭つかまえたという話が出てきたという。その話を思い出しな
がら、杖を握りなおす。

 「イノシシが出たら、この杖で、撃退する」と私。

 しかし野生のイノシシは、大型の犬ほど、大きい。どう猛で、強い。棒のような杖では、太刀打
ちできるはずもない。それこそ、山師が使うような、刀ほどもあるような大型のナタでないといけ
ない。いつか、G県の伯父がそう言っていたのを思い出した。

 「イノシシは、人を見ると、襲ってくるそうだ」と私。
 「こわいわね」とワイフ。
 「人間にいじめられたことがあるイノシシほど、こわい」
 「どうするの?」
 「イノシシのほうに向って、棒をまっすぐ持てばいいそうだ」
 
「たたくの?」
 「たたいたくらいでは、ダメだ。そのまま逃げるのが、いい」
 「逃げるの?」
 「逃げるしかない」
 「イノシシって、バカだって言うけど、結構、利口みたいよ」

 「……? バカなんだろ?」
 「となりのおばさんがね、ワナを二つ仕かけたけど、そのワナにはかからなかったそうよ」
 「ワナを見破ったということか?」
 「そう、みたい……」と。

 イノシシは、バカというのが、このあたりの通説になっている。たとえば畑からイノシシを守る
ためには、「コ」の字型や、「ロ」の字型の柵を作る必要はない。イノシシが来る方向に向って、
一本「一」型の柵を作ればよい。イノシシは、バカだから、柵を回って、畑へ入るようなことはし
ない。「その知恵はない」と、友人のKさんが、いつか、そう話してくれた。

 「イノシシは、鼻がいいから、人間の臭いがすると、近づかないかもよ」
 「ワナに、人間の臭いがしみついていると、ダメね」
 「きっと、そうだよ。それでワナには、かからなかったんだよ」
 「イノシシも、人間がこわいのね」と。

 舗装された道へ出ると、ひんやりとした、森の冷気が体を包んだ。どこかの山深い寺に来た
ような気分になった。神妙な気分というか、神々しい気分というか……。「杉の林には、そういう
力があるようだ」と、今度は、そんなようなことを話しながら、その道を、村のほうへ歩く。

 途中、小さな分かれ道があった。土手を横切って、上へ、細い道が伸びていた。

私「この道は、どこへ行くのかね?」
ワ「この道が、さっきの道につながっているのかもしれないわ」と。

 山道をおりてくるとき、途中、一か所、分かれ道があった。その分かれ道で、ワイフが、「どっ
ちへ行こうか?」と言ったのを思い出した。私はそのとき、「そっちの道は、行き止まりだよ」と
言った。

 で、私たちは、下から、その分かれ道を登ってみた。で、一〇〇メートルほど登ると、先ほど
ワイフが迷ったところに着いた。「へえ、あの道は、ここへつながっていたんだ」と私。

 こういう道は、冬場はよい。夏場は、ヘビやハチがいる。そんなことも考えながら、またもと来
た道を、今度は、反対にくだる。

 舗装した道へ、再び足をおろすと、また村のほうに向って歩き出した。体から寒さが消え、ポ
ッと、汗がにじみ出るのがわかった。上を見あげると、水色の晴れた空に、何枚か、枯れた葉
っぱがヒラヒラと、鳥のように飛んでいるのがわかった。

 村までは、歩いて五分足らず。その村を通り抜けて、今度は、上り坂を登る。自動車が、楽に
すれちがうことができるほど、広い道だ。私たちは、杖でコンコンと、道路を叩きながら、登っ
た。

 途中、一か所、舗装した分かれ道があった。Kさんの作業小屋の手前で、その奥につながっ
ていた。「こっちへ行ってみようか」と私が声をかけると、ワイフは、黙ってついてきた。

私「この先に、だれかが、別荘を建てようとしたみたいだ」
ワ「どうして、建てなかったのかしら?」
私「町の人だから、常識がなかった」
ワ「常識って?」
私「つまりね、このあたりの農道は、すべて私有地なんだ。その私有地を通り抜けたところに別
荘を建てようとしても、農家の人が、ウンと言うはずがないだろ」と。

 たとえばAさんが、自分の畑へと、道を作ったとする。そこで道ができる。今度は、その道に、
Bさんが、自分の道をつなげたとする。こうしてAさんの道とBさんの道がつながる。

 町の人は、「ただの道」と思うかもしれないが、それは、AさんとBさんの、いわば私道というこ
とになる。その道の先に、今度は、町から事情を知らない人がやってきて、自分の別荘を建て
ようとしても、そうは、問屋がおろさない。

 その道を作った人は、そういう常識を知らなかった。自分の道をつなげたところで、農家の人
たちが、怒った。「勝手に、うちの道を使うのは許さん!」と。

 そこでその町の人は、道までは何とかつなげたが、別荘を建てるのは断念した。そのあと
が、そこに残っていた。

 私とワイフは、その場に立ちながら、「場所としては悪くないね」「しかし少し、坂がきついね」
「四WDの車なら、問題なさそう」「少し暗いかな」と。

 そんな話をしながら、一度道をもどったあと、さらに山道を登る。のどかな、風のないよい朝
だ。「今日は、初日の出をみんなが拝めたでしょうね」とワイフ。「よかったね」と私。

 山荘へもどると、長男が起きていた。台所で、戸棚をあさっていた。それを見て、ワイフがこう
言った。「朝食は、うちへもどってからにしよう」と。私は、それに同意した。同意して、片づけに
入った。

 戸じまり、ふとんたたみ、あと始末など。結構、忙しい。では、今日の散歩の話は、ここまで。
大急ぎで、書いた。

 みなさん、新年、あけまして、おめでとうございます。
(040101)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


子育て随筆byはやし浩司(464)

【正月・雑感】

●「ハリー・ポッターU」を、ビデオで見る

 一度は見ておかねばならないと思って、ビデオ「ハリー・ポッターU」を見る。しかし、まあ、見
るに耐えないというか、まったく意味のないビデオ。三〇分ほど見たところで、シャットアウト!

 以前、本も読んだ。日本語版と、英語版の両方を読んだ。しかし全体の三分の一も、読まな
いうちに、バカ臭くなって、読むのをやめた。はっきり言おう。どうしてあんな、超くだらない本
が、一億冊も売れたのか! 私には、その理由が、どうしても、わからない。


●おじいちゃん、おばあちゃんへ

年中児や年長児を、一年にわたって教えていると、その間に、その子どもの、おじいちゃんや、
おばあちゃんが、ポツリポツリと、なくなっていく。ある日、ふと、子どもが、こう言う。「この前、
おじいちゃんが、死んだ」「おばあちゃんが、死んだ」と。

 そこで私が、「おじいちゃん(おばあちゃん)が、死んで、悲しかったか?」と聞くと、「別に…
…」とか、「ううん」とか、答える。そこで私は、改めて、聞き取り調査をしてみた。が、その結果
は、ショッキングなものだった。

 おじいちゃん、おばあちゃん、つまり子どもの祖父母が、死んで、「悲しかった」と答えた子ど
もは、幼稚園児、小学生全体で、ゼロ。二〇人近くの子どもたちに聞いた。もちろん「泣いた」と
答えた子どもは、ゼロ。子どもは、おじいちゃんや、おばあちゃんは、死んで当たり前と考えて
いるようだ。

 みなさんは、この結果を、どう思うだろうか。私も、そのおじいちゃんの、端(はし)くれ。「そん
なものかなあ」とか、「少し考えなおさなければいかんな」とか、かなり考えさせられた。

 「考えさせられた」というのは、つまり、私たちが孫を思うほど、孫のほうは、私たちのことを思
ってはいないということ。だからといって、薄情になれということでもない。しかし、それ以後、一
生懸命、孫の世話をしている老人を見たりすると、「ほどほどのところで、おやめなさい」「孫の
ことは考えなくてもいいから、自分の人生を生きなさい」と、つい言いたくなってしまう。

 しかしこれだけは、言える。

 おじいちゃん、おばあちゃんは、孫に、孫のほしそうなものを買い与えることで、孫の心をつ
かんだと思いがち。しかしそんなことで、孫の心は、つかめない。はっきり言えば、ムダ。

 小づかいを与えることも、同じ。孫は、その場では、喜んでみせるが、それは感謝して喜ぶの
ではなくて、自分の欲望を満足させて喜んでいるだけ。孫と同居しているケースでは、多少、そ
の関係もちがうのだろうが、基本的には、それほど、大きな差はない。

 要するに、おじいちゃん、おばあちゃんは、あまり孫のほうへは、顔を向けず、自分のしたい
ことを、前向きにしたほうが、よいということ。つまりは、生きザマで勝負するしかない。

もしどうしても、孫の心をつかみたいと考えるなら、モノやお金ではなく、いっしょに、思い出をつ
くること。孫の心の中に、生きザマを刻みつけること。

 そのあと、孫が、それをどう評価するかは、あるいは、しなくても、それは、孫の問題。孫の勝
手。原始時代よろしく、最長老の祖父母が中央に座り、その前に子ども、さらに、孫、ひ孫と並
んで、ハハーとかしずく時代は、もう終わった。


●先祖と子孫

 当然のことながら、「ご先祖様」という言葉をよく使う人ほど、一方で、「子孫」という言葉をよく
使う。正月のテレビを見ていたら、そういうシーンが、何度か、出てきた。

 こうした生きザマは、いわばその人の生きる哲学にもなっている。宗教にからんでいること
も、多い。だから尊重する部分は、尊重しなければならない。頭から否定すると、それこそ、大
ヤケドする。ひどい目にあう。

 自分というものを、親から子、そして孫へという「生命の流れ」の中に置くと、こうした考え方
は、実に合理的にできている。とくに江戸時代という封建時代には、「家」が、その人の身分を
決めた。「家」から離れては、生きていくことすら、むずかしかった。「先祖」「子孫」という、日本
独特の概念は、こうして生まれた。

 だから当時の人たちは、「家」にしがみついた。「生きること」イコール、「家」を守ることと考え
るようになった。こうした名残(なご)りは、田舎の農家に、今でも、広く、見ることができる。

 私の祖父は、もともと貧しい農家に生まれ、追い出されるようにして、町へ来て、鍛冶屋の小
僧になった。八歳くらいのときだったという。そして懸命に働いて、一八、九歳のとき、自分の鍛
冶屋をもち、やがて自転車屋を始めた。

 当時の自転車屋は、今でいう花形商売で、かなり儲かったらしい。そのため、祖父は、かなり
羽振りのよい生活ができたという。私に父は、その家の長男として生まれた。

 だから私は、一応、「林家」の人間ということになる。「家(け)」という言葉をつけるのも、どこ
かくすぐったい感じがするが、そういうことになる。しかし私には、子どものころから、「家(け)」
という感覚は、まったくと言ってよいほど、ない。私が子どものころには、自転車屋は、すでに斜
陽商売。祖父の時代の華やかさは、どこをさがしても、もう、なかった。

 もちろん中には、「家」を誇る人もいる。「家を守ることが、子の務め」と考えている人も、多
い。しかしそもそも、家があっての、人間なのか。それとも、人間あっての、家なのか。

 ご存知のように、欧米では、まず、ファースト・ネームを書く。つづいてファミリー・ネームを書
く。「林 浩司」は、「ヒロシ・ハヤシ」となる。名前の書き方を見ても、日本では、家あっての人間
ということになる。欧米では、人間あっての家ということになる。
 
 どちらが正しいとか、あるいは、よいとかという問題ではない。人、それぞれ。どちらの考え方
であるにせよ、たがいに尊重しあえばよい。ただ言えることは、これからは、「家」に対する日本
人の意識は、どんどんと変っていくだろうということ。今の若い人たちは、今の私たち以上に、
「家」にこだわらなくなる。

 山荘の隣人と、ワイフは、こんな会話をしたという。その隣人は、その山荘のある村でも、本
家(屋)。代々とつづいて、四〇〇年以上の歴史があるという。その隣人には、二人の息子が
いるが、二人とも、町へ出て生活している。しかし二人とも、その村にもどってくるつもりはない
という。

 隣人は、「この家も、私たちの代で、終わりです」と言ったという。

 このエッセーに、「先祖と子孫」というタイトルをつけたので、あえて一言。そういう言葉をよく
使う人が、あなたの周囲にいたら、(ひょっとしたら、あなた自身も、そうかもしれないが……)、
そういう人は、どういう哲学をもっているか、少しだけ観察してみるとおもしろい。ある種、独特
の哲学をもっていることが、多い。


●昔にしがみつく人たち

 現役時代の役職、肩書き、地位、名誉にしがみつく人は、多い。男性に多いが、しかし男性
ばかりとは、かぎらない。

 近所の女性(八〇歳過ぎ)は、少し立ち話をすると、すぐ、自分の過去を話し始める。「私の
おじいちゃんはね……」と。その女性の言いたいことは、その女性の祖先は、このあたりでも、
有力者だったということらしい。

 こうして過去にしがみつく人は、同時に、「今」に同化できないことを意味する。中には、「現
実」を否定する人もいる。近所のA氏などは、退職してから、もう二〇年以上になるが、いまだ
に、自分は偉い人物だと思っているらしい。そういう態度が、生活のあらゆる部分に、現れる。

 しかしここにも書いたように、昔にしがみつけばつくほど、「今」に同化できなくなる。「今」から
遊離してしまう。あるいは、「今」が見えなくなる。ここに書いたA氏にしても、偉いと思っている
のは、自分だけ。近所の人はみな、「あの人は、つきあいにくい人だ」と、言っている。

 ここにあるのは、「今」という現実だけ。もし「昔」に学ぶことがあるとすれば、「今」を生かすた
めの経験と知恵。失敗と教訓。そしてその「今」が積み重なって、「未来」へとつながっていく。


●信仰

 信仰は、あくまでも教えに従ってするもの。迷信や狂信、さらには、妄信は、人の心を狂わ
す。かえって危険ですら、ある。

 S市に住む、Aさん(女性、妻)から、以前、こんなメールをもらった。「私が、夫の宗教を批判
するたびに、夫は、『お前がそういうことを言うと、ぼくたちは、地獄へ落ちる』と言って、体をガ
クガクと震わせます」と。

 最初、そのメールを読んだとき、「冗談か?」と思った。その夫というのは、国立大学の工学
部を卒業したような、エリート(?)である。そんな人でも、一つの宗教を妄信すると、そうなる。

 もし、仮に、人間に、そういったバチを与える宗教があるとするなら、それはもう信仰ではな
い。少なくとも、神や仏の所作(しょさ)ではない。悪魔の所作である。だいたいにおいて、神や
仏が、いちいち人間のそうした行動に、関与するはずがない。

 たとえば私の家の庭には、無数のアリの巣がある※。アリから見れば、私は、彼らの神か仏
のようなもの。私はその気にさえなれば、彼らを全滅させることもできる。だからアリたちも、ひ
ょっとしたら、そう思っているかもしれない。「あの林は、我々の神様だ」と。

 そのアリの中の一匹が、私(=はやし浩司)の悪口を言ったとしても、私は気にしない。私を
否定しても、私は記にしない。もともと相手にしていないからだ。いわんや、バチを与えているよ
うなヒマなど、ない。

 人間社会を、はるかに超越しているから、神といい、仏という。もし神や仏がいるとするなら、
宇宙的な視野で、かつそれこそ一一次元的な視野で、人間社会を見つめているにちがいな
い。

 そういう神や仏が、いちいち人間に、バチなど与えるはずがない。ものごとは、もっと常識で
考えたらよい。

 信仰には、たしかにすばらしい面がある。しかしそれは、教えによるもの。あの釈迦も、法句
経の中で、『法』という言葉を使って、それを説明している。

※アリの大きさを、〇・五センチ。人間の大きさを、一七〇センチとすると、その面積比は、1:
115600となる。

私の家の庭は、約五〇坪(165平方メートル)だから、この五〇坪の庭は、そこに住むアリにと
っては、人間の住む広さに換算すると、165x115600/1000000=19(平方キロメート
ル)の広さということになる。

人間の社会で、一辺が約四キロメートル四方の社会が、この庭の中で、アリたちによって営ま
れていることになる。私が住んでいるI町(町内)だけでも、約一万世帯。約三万人の人が住ん
でいる。大きさも、約四キロメートル四方だから、私の庭は、アリにとっては、私が住む町内と、
同じ広さということになる。

多分、この庭に住んでいるアリも、約三万匹はいるのでは……? 初春の陽光をあびて、青い
草が、さわさわと風に揺れている。その庭を見ながら、ふと、今、そんな計算をしてみた。

(しかし、この計算は、どこかおかしい? 人間なら、四キロ歩くのに、約一時間かかる。しかし
アリが、この庭を端から端まで横切るのに、一時間はかからない。一〇分くらいで行ってしまう
のでは? あるいは、アリは、歩く速度が、速いのか。今、ふと、そんな疑問が、心をふさいだ。
ヒマな方は、電卓を片手に、一度、計算しなおしてみてほしい。)


●K首相の靖国神社参詣問題

 日本のK首相が、正月の一日に、靖国神社を参詣した。 

「何もこんな微妙な時期に!」というのが、私の印象。あえて靖国神社を参詣して、中国や韓国
の人たちの神経を、逆なですることもあるまいのに!

 日本人も、三〇〇万人、死んだ。それはわかる。しかしその日本人は、同じく、三〇〇万人も
の、外国人を殺している。その多くは、韓国人や中国人である。「殺したこと」を反省しないま
ま、一方的に靖国神社を参詣すれば、彼らだって、怒るに決まっている。

 どうして日本人は、逆の立場で、ものを考えることができないのか。

 今でも、先の戦争について、「日本は正しいことをした」と主張する人は多い。「日本は、韓国
や中国で、鉄道を敷き、道路を作ってやった」と。

 もしそうなら、反対に、今、中国や、韓国が、日本へやってきて、同じことをしても、日本人
は、文句を言わないことだ。

 つい先日も、私にこう言った人がいた。「日本は、満州を侵略したというが、ウソだ。なぜなら
満州には、だれも住んでいなかったからだ」と。しかも三五歳前後の若い男がそう言ったので、
私は、二重に驚いた。

 もしこんな論理がまかりとおるなら、明日にでも、ロシアが、北海道の原野へ軍隊を送りこん
できても、日本人は、文句を言わないことだ。

 今、日本は、たいへん微妙な時期にある。K国の核問題をかかえ、「さあ、これからどうしよ
う」と、悩んでいる、その最中にある。中国や韓国との連携が、今ほど、必要なときはない。そう
いうときに、日本人自らが、自分たちの軍国主義を、肯定するようなことばかりする。

 どうしてその日本が、K国の先軍政治とやらを、批判することができるというのか。

 K首相は、テレビの取材に答えて、「だれでも、年始には、神社を参詣するでしょう」と言った
とか。ドイツのシュレーダー首相が、ヒットラーの墓参りをするようなことをしながら、「だれでも」
と居なおるところが、恐ろしい。……と書くのは、言い過ぎかもしれないが、少なくとも、中国や
韓国の人は、そう見ている。

 日本は、本当に島国だと思う。いや、日本人は、島国だということすら、わかっていないので
は。外から見たら、この日本は、どう見えるか。そういう視点をもたないと、日本は、いつまでも
島国のまま、終わってしまう。

 何も、私は、靖国神社参詣に、反対しているのではない。「何も、こんな微妙な時期に」と、私
は言っているのである。これでまた、中国や韓国との連携に、大きなヒビが入った。アメリカだ
って、不愉快に思っていることだろう。

 もう、私は、どうなっても、知らないぞ! 勝手にしろ!


●年賀状

 今年も、パソコンをフルに利用して年賀状を出した。宛名をプリントアウトするのに、半日です
んだ。昔は、ワイフと二人で、三〜七日がかりで書いたものだ。

 しかし問題が起きた。便利なのはよいが、だれに出したか、記憶に残らない。一応私が使っ
ているパソコンソフトは、年賀状を出したかどうか、わかるしくみになっている。しかし実際に
は、そのつどパソコンを開いて調べるのも、めんどうなこと。

 届いた年賀状を見ながら、「おい、この人、出したっけ?」「出したかしら?」というような会話
が、ワイフとの間で、つづく。

 で、案の定というか、年賀状の出し忘れが、続出。親類や友人から、「浩司(林)は、どうかし
たのかと、問いあわせがあったよ」と、連絡がはいる。

 年賀状は、ただのあいさつでは、ない。その人の動向を知る、一つの手がかりになっている。
かく言う私も、長年、年賀状をもらっていた人から来なくなったりすると、「どうしてだろう?」と、
思ってしまう。あるいは、「何か、気分を害するようなことをしたのだろうか?」と、心配になって
しまう。

 そんなわけで、ここ数年、元旦に、年賀状を見るのが、少し、おっくうになってきた。若いころ
のように、起きたらすぐ郵便受けに走る、というようなことは、もうない。それに正月の一日は、
その返事を書くだけで、つぶれてしまう。

 そこで改めて、また、年賀状について考える。「こんな習慣、必要なのだろうか?」と。その年
に世話になった人や、思い出に残った人に、年賀状を書くのは、それなりに意味がある。しか
し遠い、親類は、どうか? ここ二〇年とか、三〇年も会っていない知人は、どうか?

 ……とまあ、いろいろ考えてしまう。

 私の息子たちは、時間単位で、あちこちを走り回っている。一方、私は、コタツの中で、本を
読んだり、寝転んだりしている。人と会うよりは、こうしてボーッとしていたほうが、楽しい。つま
り、そういう、どこかおかしい(?)私が、年賀状論を説いても、意味がない。私の意見のほう
が、常識からはずれているのかもしれない?

 しかし私の世代は、どうしてこうまで、年賀状にこだわるのか。息子たちは、ほとんど書かな
い。もらわない。私が大学生のころは、私でさえ、三〇〜四〇枚は、きたと思う。しかし息子た
ちのところへは、きても、ほんの五〜一〇枚程度。しかも大半が、宣伝。

 こう考えると、この先、年賀状は、すたれていくと思う。インターネットという、通信手段もある
し……。一月一日に届いた人には、すべて返事を書いた。しかし明日、三日以後に届いた人
には、返事を書けそうもない。

 三日は、ワイフと、愛知県の山の登ることになっている。四日は、町で映画を見たあと、あれ
これ仕事の準備。それにマガジン再開! 五日は、多分、郷里へ帰ることになっている。その
あとは、仕事……。


●YUさんへ、ホーム・ページについて

YUさんへ、

 ホームページの開設、おめでとうございます。改めて、YUさんのエッセーや論文を、読ませて
もらっています。そして「なるほど」とか、「そうだ」と、うなずいています。

 私も初心者なので、偉そうなことは言えませんが、YUさんのご質問について、少し考えてみ
ました。

(1)ホームページの管理について

 ホームページは、いつも、だれかが管理していなければいけません。この先、YUさんも、掲
示板などを設置されると思いますが、おかしな書き込みをされることもしばしばです。そういうと
きは、見つけ次第、すぐ削除しなければなりません。

 ほかに管理といっても、大げさなものはありませんが、たとえばYUさんと、プロバイダーとの
間の契約が切れたとすると、そのままホームページも、消えてしまいます。この世界、『金の切
れ目が、縁の切れ目』という世界です。YUさんの論文などを、末永く、後世の人の目の届くとこ
ろにおくためには、だれかが管理しなければなりません。

 私も、万が一のときのために、いつもホームページをCDに焼きながら、備えています。そして
今は、知人の一人に、「万が一のばあいは、よろしく」と、頼んであります。

(2)掲示板と、アクセス・カウントについて

 掲示板については、無料サービスがいくつかありますので、そちらで登録なさると、すぐアドレ
スを教えてくれます。そのアドレスにリンクするようにすれば、ホームページの中で、掲示板が
使えるようになります。

 その掲示板については、ここに、リンクのし方を書いておきます。

 またアクセス・カウントについては、YUさんのばあい、プロバイダーはOCNですので、OCN
に問い合わせてみるとよいでしょう。無料で、カウント表示できるようになるはずです。(この世
界、できるだけ、無料ですますのが、コツです。チリもつもれば、何とか……と言いますから。)

 アクセス・カウントをつけると、何人の人が、ホームページを見てくれるようになったかが、わ
かります。

 とりあえず、今日のテーマ。掲示板(無料)の設置です。

 その方法を、これから説明します。ぜひ、YUさんのホームページに、掲示板を設置してみてく
ださい。楽しみにしています。

 一度にあれこれ言うと、YUさんの頭が混乱しますから、今日は、まず、掲示板です。

(以下、省略)


●住環境と、子どもの騒々しさについて

 大阪に住んでいるAEさん(母親)から、住環境と、子ども(三歳児)の騒々しさについての相
談があった(一月二日)。「アパートの二階に住んでいるが、子どもが騒々しいので、近所から、
よく苦情を言われる。どうしたらいいか」と。

 AEさんは、そのため子どもをよく叱るのだそうだが、叱り方は、あるのか。また、叱りすぎる
と、子どもは、萎縮しないかとのこと。

 イギリスの格言にも、『子どもは、見るもの。聞くものではない』というのが、ある。「子どもは、
見ているとかわいいものだが、その声を聞くと、うるさくてかなわない」という意味。つまり子ども
は、騒々しいのが当たり前。

その騒々しさを、無理におさえると、子どもは、神経質になる。長引けば、神経症を引き起こ
す。そしてその神経症が、情緒不安の原因となることもある。言うべきことは気長に言いながら
も、それで近所に迷惑をかけているようなら、ただひたすら、低姿勢で臨むのがよい。

 苦情を言われるほうは、それなりに不愉快かもしれない。しかし苦情を言うほうも、それなり
に不愉快なもの。「苦情が届く」ということは、相手にかなりの苦痛を与えていると考えてよい。
だから、ここは、低姿勢に! 「ご迷惑をかけて、すみません」と、まず頭をさげる。

 この世界には、『負けるが勝ち』という、大鉄則がある。ほかのことなら、ともかくも、間に、子
どもがいることを忘れてはならない。大切なことは、子どもにとって、居心地のよい世界を、用
意してやること。

 苦情が届いたとき、「何よ!」とやってしまうと、問題がこじれるばかりではなく、子どもに何ら
かの被害がおよぶことだって、ありえる。実際、そういう事件は、多い。だから、『負けるが、勝
ち』。

 私にも、こんな経験がある。

郵便局で並んで待っているときのこと。前に、子どもをおんぶした母親が立っていた。その子ど
もがアイスクリームを食べていたが、そのアイスクリームが、ポタリと私の服にかかった。

 私が「あのう、アイスクリームが落ちましたが……」と、恐る恐る声をかけると、その母親は、
こう言った。「子どものすることだから、し方ないでしょ!」と。

 当時私は、三〇歳前。そのまま黙ってしまったが、あのとき感じた不愉快さは、いまだに忘れ
ない。一言、母親が、あやまってくれたら、あの場の雰囲気も、かなりちがったものになってい
たはず。

 こと子どもがからむときは、親は、負けて、負けて、負けつづければよい。つらいことも、ある
だろう。くやしいことも、あるだろう。しかしそれでも、負ける。AEさんのばあいも、「多少のこと
は、がまんしてほしい」「子どものすることだから……」という思いもあるかもしれない。しかし、
それでも、先に、頭をさげる。

 しかし、こうした謙虚な姿勢が、結局は、親を育てることになる。親としての、奥深さも、そこか
ら生まれる。

 最後に、子どもの叱り方だが、こういうケースでは、親は、いつも、言うべきことは言いながら
も、その範囲にとどめる。大切なことは、「静かにしないさい」ではなく、しっかりとした理由づけ
をしてあげること。「騒ぐと、下の階の人が、眠れません」「ドタンバタンと暴れると、その音が、
下に届きます」と。

 三歳という年齢では、まだ理解できないかもしれないが、繰りかえし言うことによって、子ども
の心の中に、合理的な判断力が育つ。考える力も、育つ。あとは、親の根気くらべということに
なる。

 私も、結婚した当時は、アパートに住んでいた。一階に住んでいたが、幸いなことに、二階の
住人も、隣の住人も、同じくらいの年齢の子どもをもっていた。それで私のばあいは、こうした
問題は、起きなかった。

 もし問題がこじれたら、転居という方法も、考えてみたらどうだろう。


●どうも調子が悪い?

 正月に入ってから、体の調子が悪い。だるい。頭が重い。夜、ふとんの中に入ると、しばらく
動悸がつづく。体がほてる。

 軽い風邪をひいたのか? 一日の夜は、生ニンニクを、白いご飯に混ぜて、食べた。おかげ
で、翌、二日は、外出せず。ハナと散歩にでかけたのみ。運動不足かもしれない。毎日、二度
は、汗をかかないと、私のばあい、すぐ体がなまる。

 それに加えて、私は、貧乏性。仕事をしていないと、気が休まらない。あるいは、不安神経
症? あるいは、基底不安型人間?

 ワイフは、「休みなんだから、休めばいい」と言う。そこで私は、「お前は、仕事のことが気にな
らないか?」と聞くと、「ゼンゼン」と。ワイフは、昔から、そういう楽天的な人間だ。

 考えてみれば、私は、こうして長期の休みになったとたん、いつも、体の調子が狂う。リズム
が乱れるせいかもしれない。休みになったから、その分、原稿が書けるかというと、そうでもな
い。ダラダラと、時間をつぶしているだけ。頭の回転も、にぶくなる。だから、よい文章は、書け
ない。

 ああ、子どもたちの声を聞きたい。早く、仕事をしたい。私のばあい、職場そのものが、ストレ
ス解消の場になっている。こうして休みになると、何かとストレスばかりたまって、よくない。昨夜
も、ワイフに、私は、こう言った。

 「ぼくは、休みなんか、いらないよ。死ぬまで、仕事をするよ」と。
(040103)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


子育て随筆byはやし浩司(465)

●夫婦の危機

 どんな夫婦も、それぞれ何かしらの爆弾をかかえている。かかえながら、懸命に、生きてい
る。

 問題のない夫婦など、いない。そのため、みな、その結婚生活において、一度や二度、ある
いは、何度か、離婚を考える。

 私たちも……という話は、ここでは書けないが、もともと夫婦というのは、そういうもの。「そう
いうもの」という前提で、夫婦を考える。新婚当初のような、熱いラブラブの関係が、一生、つづ
くと考えるほうが、おかしい。またそうでないからといって、結婚に失敗したとか、さらには、離婚
しなければと考えるほうが、おかしい。

 私もあるとき、発見した。夫婦が、仲よく生活するためには、たがいに、バカになること、と。
負けを認め、「どうぞ、お願いします」と、頭をさげればよい、と。

 結婚生活に、よいことは、一〇に一つもない。一〇〇に一つもない。一つでもあれば、もうけ
もの。あとは、ただひたすら、あきらめ、がまんする。過大な期待など、もたないこと。幻想に、
しばられないこと。

 朝、起きると、そこに、夫がいる。妻がいる。子どもたちがいる。そして毎日の生活が、始ま
る。味気ない一日だが、それが、家族。夫婦に形があるとすれば、その家族の「柱」のようなも
の。

 D市に住む、Yさん(女性、四〇歳)は、すこし前、離婚の危機に立たされた。夫に、愛人がい
たという。しかもその愛人というのは、夫が、Yさんと結婚する前から、交際していた女性だった
という。Yさんの受けたショックは、たいへんなものだった。

 こういうケースでは、私のような人間が、立ち入るスキなど、どこにもない。夫婦の問題は、夫
婦の問題。どんな夫婦にも、人に語りつくせない、一〇〇〇の物語がある。一万の物語があ
る。結論を出して、行動するのは、Yさん自身である。

 で、Yさんが出した結論は、「子ども(小六男子)のために、がまんする」というものだった。「夫
は、一応、その女性とは別れると言ってくれました」と。

 しかし、M氏(四五歳)のケースは、もう少し、深刻だった。

 M氏の妻が、狂信的団体として知られる、T教団に入信してしまった。M氏は、こう言った。

 「ときどき家に外から電話を入れるのですが、ここ一年ほど、家をあけることが多くなりまし
た。あとで理由を聞くと、友だちの家に行っていたと言うのです。それでその友だちのことを、あ
れこれ調べると、その友だちという人が、T教団の信者だとわかりました。

 何度か、妻に問いつめたのですが、私は、信じていないと言っていました。が、ある日、バッ
グの中から、見たこともないような立派なお守りが、ポロリと出てきました。それで妻の信仰が
わかったのです。

 それからというもの、『やめろ!』『やめない!』の、喧嘩ばかり。ふだんは静かな妻ですが、
こと信仰のことになると、人が変わったかのように、猛然と反発してきました。そして最後は、と
うとう、こう叫んだのです。

 『あんたと、私は、前世の因縁では、結ばれていなかったのよ。そのあんたと私が、こうしてか
ろうじて夫婦でいられるのは、私が、信仰しているおかげよ!』と。

 こうして私は、最後は、離婚か、さもなくば、私自身も、入信するかの瀬戸際まで追いこまれ
ました。しかし私は、ずっと、無神論者でした。しかも、その教団というのが、あのT教団です。
私は、ずいぶんと、悩みました。

 で、私が出した結論は、こうです。

 妻は、二〇年近く、無神論の私に合わせて、がまんしてくれた。だからこれから二〇年間は、
私が妻に合わせて、信仰をしてやろうと。

 私は、入信し、今は、仲よく、いっしょに教団に通っています。おかしな教団ですが、そこにい
る信者の人たちは、みな、いい人たちばかりです。何というか、世間の評判は別として、町内会
の集まりのような教団です。自分なりに、できるだけ、いっしょに、楽しむようにしています」と。

 夫婦の危機には、いろいろある。不倫、浮気に始まって、生活苦、性格の不一致などなど。
幸せな夫婦は、みな、よく似ているが、不幸な夫婦は、それこそ、千差万別。定型がない。

大切なことは、夫婦の間に不幸のかたまりを感じても、たがいに、それを見ないこと。夫は夫
で、妻は妻で、前を向いて生きていく。五年、一〇年とそれをつづけていくと、やがて、「時」が、
あらゆる問題を、解決してくれる。

 私たち夫婦も、無数の問題をかかえてきた。今も、かかえている。これから先、そういう問題
が、なくなるとは思わない。しかしその前に、もう私たちには、時間が、ない。

 自分の、シワがれた手を見る。ワイフの、白髪を見る。たがいの体力も、気力も、衰える一
方。生きザマも、防衛的になった。これから先、今以上に、健康になることはない。今ある、健
康を、懸命に維持して生きていくしかない。

 考えるのは、老後のことばかり。どう生きるかではなく、どう死ぬかを考える。しかしそうなる
と、性格の不一致など、とるに足らない問題。どうでもよくなる。つまりそのとき、あらゆる問題
が、解決する。

 どんなに苦しくても、夫婦をつづけなさい。その夫を選んだのは、あなた。その妻を選んだの
は、あなた。不平、不満があるとしても、それはすべて、そういう夫なり、妻を選んだ、あなたの
責任。

 もう、がんばる必要はない。あなたは、ただ静かに負けを認め、バカになり、あとは静かに、
それに従えばよい。もし、それでも不平や不満が解消しないというのなら、そのエネルギーは、
たがいに向けるのではなく、あなたの前の、外に広がる世界に向ければよい。決して、あなた
の夫や、妻に向けてはいけない。

 夫婦というのは、そういうもの。もともと、夫婦というのは、そういうもの。
(040103)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(466)

●夫婦のセックス

 性欲は、食欲とよく似ている。あるいは、同じ?

 だから性欲を、罪悪視してはいけない。そういう見方をしても、意味は、ない。私の息子たち
の部屋には、マスターベーションしたあとのティシュペーパーが、いつも、山のようになってい
た。今も、そうだ。

 ああいうのを見ると、性欲は、ただ単なる排泄欲だと思う。小便や大便をするのと、どこも違
わない。あるいは、どこが違うのか?

 夫婦も、同じ。なぜ、男と女が、いっしょに生活を始めるかといえば、たがいに、その排泄欲
を、ほどよく満足させるため。それだけではないかもしれないが、しかし大切な要素であること
には、違いない。

 だから、若い夫婦なら、セックスをして、して、しまくればよい。一日、二回でも、三回でも、し
たいだけ、すればよい。たがいにヘトヘトになるまで、すればよい。それが夫婦。夫婦の特権。
私の友人(男性)などは、結婚式が終わった夜、こう叫んだという。「さあ、これで思う存分、セッ
クスができるぞ」と。

 が、年をとると、セックスの回数も減るが、その内容も、目的(?)も、変化してくる。それをこ
こに書くと、何となく、わびしくなる。だからここでは書かない。それに今の私たちの現状を書く
と、またワイフが、怒る。だから、書かない。書けない。

 が、どうにもこうにも理解できないのは、セックスレス夫婦という夫婦。そういう話をワイフから
聞いたりすると、私などは、すぐ、「もったいない」と思ってしまう。男どうしというのは、そういう
話をあまりしないが、女どうしというのは、かなり平気で、そういう話をするようだ。それはともか
くも、その相手の女性が、私好みの、きれいな人だったりすると、とくに、そう思う。

 「ぼくが、かわりにセックスをしてあげると、言っておいて」と、ワイフに言ったりすると、ワイフ
は、すかさず、こう言う。「あのね、女性にも、男を選ぶ権利があるのよ。どうして、あんたは、
そうも、オメデタイの?」と。

 セックスというのは、たがいをさらけ出すための、よい方法である。肉体や欲望をさらけ出す
ことで、ついでに、心まで、さらけ出すことができる。その(さらけ出し)は、たがいの信頼関係を
築く、基盤になる。

 だからセックスをするときは、したいことをすればよい。してほしいことを、してもらえばよい。
遠慮することはない。変態に思われようが、そんなことを気にすることはない。セックスには、
基準も標準もない。形など、もとから、ない。

 ところで、オーストラリアの友人から、一枚の写真が届いた。彼が属しているヌーディストクラ
ブのものだそうだ。写真は「E」という雑誌から、切り抜いたものだという。私は、その写真を見
て驚いた。

 見ると、中学生や高校生らしい少女まで、中年の男たちといっしょに、いたからだ。多分、メン
バーの娘さんたちなのだろう。(その写真は、HTML版のほうで、顔がよくわからない程度まで
ぼかして、掲載しておく。)

 こういう写真を見ると、性欲とは何か、改めて考えさせられる。そしてますます、性欲、なかん
ずく排泄欲には、形がないということを、思い知らされる。

 少し話が飛躍した感じだが、要するに、性欲は、「無」ということ。意味があるようで、まったく
ない。まさに、食欲と同じ。いくら論じても、絶対に、結論に達することはできない。これから先、
人間が生きているかぎり、人間は、ものを食べ、セックスをする。そもそも、結論が出るような
問題では、ない。論ずること自体、意味がない?

 さあ、あなたも夫婦なら、思う存分、セックスをしたらよい。夫や妻の年齢が気になったら、電
気を消して、真っ暗にしてすればよい。あとは、頭の中で、思いっきり想像力を働かして、すれ
ばよい。ははは。
(040103)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


子育て随筆byはやし浩司(467)

【今夜……】

 今夜、つまり、今は、一月四日、午前〇時二七分。

 先ほど、コタツの中で、一時間ほど、眠ってしまった。それで今は、目がさえて、眠れない。だ
から、こうして原稿を書く。

 それに今夜は、もう一つ、目的がある。

 Eマガの読者の数が、現在、998人。姉妹紙の、メルマガの読者の数が、140人。そのEマ
ガの読者の数が、あと2人で、1000人になる。多分、今夜、その1000人を突破する。私は、
その瞬間を、原稿を書きながら、見届けたい。

 Eマガを出している人なら、知っていると思う。編集(ログイン)画面を呼び出すと、そのときの
読者の数が、トップに、数字で示されるしくみになっている。「現在の読者数、998人です」と。

 このEマガを発行していて、いつも不思議に思うのは、発行した直後は、読者がふえるが、そ
うでないときは、まったくふえないということ。たまにふえることはあるが、それはマレ。

 で、私は、毎号、午前一時に、配信してもらえるように予約している。その午前一時まで、あと
三〇分! 配信と同時に、ふつうなら、読者が数人、ふえるはず。

私は、その一〇〇〇人目の人が、どんな人か知りたい。と、同時に、一〇〇〇人目の人には、
もちろんのこと、すべての読者の方に、心からお礼を言いたい。「ありがとうございます!」と。

 そこで今夜は、心に決めた。一〇〇〇人になるのを確かめるまで、起きていて、原稿を書く
ぞ、と。

 一〇〇〇人という数には、特別の意味がある。この世界には、「電子マガジンも、読者が一
〇〇〇人になって、一人前」という、合言葉がある。いつか、何かの雑誌で、そう読んだことが
ある。

 しかし一〇〇〇人というのは、簡単なことではない。簡単なことでないことは、姉妹紙のメル
マガ(140人)や、同じくEマガの『はやし浩司の世界』の読者(103人)が、ほとんどふえないこ
とからも、わかる。

 しかし私が、もう一つ、「一〇〇〇」という数字にこだわる理由がある。その理由は、もう少し、
先にならないと書けない。少なくとも、今は、書けない。(ごめんなさい! いつかそのときがき
たら、理由を告白します。)

 ともかくも、ここまで長い道のりだった。いつも、「読者の数は問題ではない。そのときどきで、
自分を燃焼しつくすことだ」と、自分に言い聞かせながら、原稿を書いてきた。しかし実際に
は、読者の数がふえることは、私にとっては、大きな励みになった。落ちこんでいるとき。調子
の悪いとき。そういうとき、読者の数が、一人、二人とふえたのを知ると、「がんばるぞ」という
思いが、ムラムラとわき起こった。

 しかし「数」にこだわる恐ろしさは、私もよく知っている。ふえたとき喜ぶと、今度は、それが減
ったとき、その反動として、ひどく落胆する。学校の成績のようなもの。若いときなら、そういう
変動を、うまく心の中で処理することができるが、この年齢になると、そういう小回りができなく
なる?

 (今、Eマガの読者の数をのぞいてみたが、998人から、997人に減った。こういうことも、よ
くある。で、少なからず、がっかり……。)

 やはり、数にこだわるのは、よくない。だからつぎの一月六日号からは、読者の数は、およそ
の合計数だけを表示することにした。「一〇〇〇人を超えれば、二〇〇〇人でも、三〇〇〇人
でも、同じ。一〇〇人でも、二〇〇人でも、同じ」と。

 (今、時刻は、午前一時を回った。Eマガは、無事、配信されたようだ。読者の数は、ふえてい
ない……。)

 やはり、今夜は、早く寝たほうがよさそうだ。今夜は、一月一〇日号の、配信予約を入れなけ
ればならない。しかしこの三日間、ほとんど、原稿を書かなかった。風邪をひいたというか、ひ
かなかったというか、どうも、体の調子がよくなかった。それに書斎のコタツにすわると、いつも
そのまま居眠り。

(今、見たら、また読者の数が、998人にもどっていた。よかった!)

 しかし、少し、眠くなってきた。私の意思は、それほど、強くない。少し前まで、「一〇〇〇人に
なるまで、見届ける」と思っていたが、その決意がかなり、ゆらいできた。目も疲れたし、このと
ころ、左目の乱視が、急に進んだようだ。

 多分、今は、みなさん、まだ正月気分だから、私のマガジンなど、読むこともないだろう。だか
ら読者も、ふえない……?

 このあたりで、原稿を一度、切りあげ、一月一〇日号として、配信したほうが、よさそうだ。で
は、みなさん、これで、おやすみなさい。また近くに、このマガジンに興味をもってくださいそうな
人がいたら、よろしくお伝えください。いつも、お願いすることばかりで、すみません。
(040104)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


子育て随筆byはやし浩司(468)

●山へ登る

 ワイフのよいところは、行動的なところ。年齢は、私とX歳しか違わない。しかし気だけは、若
い?

 私も行動派だが、少し、中身が違う。ワイフは、外の世界で、敵を作らない。だれとでも、仲よ
くする。私は、外の世界に、体当たりしてしまう。そのため、いつも、そこで、だれかと衝突す
る。

 先日、そのワイフが、こう言った。「今度、鳳来山(ほうらいさん)に登ろう」と。こういう申し出を
断ると、あとがこわい。だから、気分は何となく重いが、今日、その山に登ることにした。

 「坂はあるけど、石の階段がつづいているそうよ」
 「階段なら得意だ。荷物は、もってあげる」と。

 鳳来山というのは、愛知県の最東部。浜松から見れば、もっとも浜松寄りにある。真言宗の
修行寺である。徳川家康とのゆかりも、深いという。日本三大東照宮の一つも、そこにある。

 天気は、上々。少し肌寒いが、正月にしては、暖かい。途中、山荘に寄って、ツエと帽子と、
それに手袋などを車に積みこむ。(「積みこむ」というほど、おおげさなことでもないが……。)そ
の山荘からは、鳳来山まで、約二五キロ。車で走れば、約三〇分の距離である。

 ワイフは、若いころから、ドライブが好き。結婚した当初は、毎日のように、ドライブに出かけ
た。途中、オーストラリアの友人が、クリスマスプレゼントにと送ってくれた、CDを、車の中で、
かける。

 日本人男性と、オーストラリア女性の純愛をテーマにした、『Japanese story(日本物語)』
という映画の、サントラ版。あまり期待していなかったが、聞き出したら、とてもよい。

 プロが作曲したにしては、少し、チャチかなと思った(失礼!)。しかし聞いていると、何とも言
われない、なつかしさに、包まれた。ところどころに、沖縄の民謡が流れる。聞きながら、改め
てCDのジャケットに目を通すと、どうやら主人公の男性は、沖縄出身らしい。「なるほど」と思
いながら、曲に耳を傾けた。

 途中、一回、道をまちがえたが、それからは、スンナリと、鳳来山に着いた。有料の駐車場に
車を止めた。料金は、四〇〇円。正月の日曜日ということだったが、周囲は、ガラガラ。

 「正月なのにねエ……」と私。「参拝する人も、少ないのね」とワイフ。

 が、それからが、たいへんだった。

 石段を登り始めると、ワイフが、「この石段は、一〇〇〇段以上もあるのよ」と。ゾーッ!

 しかし私は、自転車で、足の筋肉を鍛えている。意外と、スイスイと登ることができる。それを
知ったとき、何とも言えない優越感を覚えた。二〜三〇段ずつ、ホイホイと登ったあと、下にい
るワイフに向って、「手をもってあげようかア!」「待っていてあげるヨ!」と。

 が、それは甘かった。

 途中、山門が見えたときも、また坊舎が見えたときも、そこがゴールだと思った。しかしその
つど、まだ先があることを知った。私は、何度も、ゾーッとした。「たいへんなところへ来てしまっ
た!」と、思った。

 石段、また石段。それにつづく、また石段! 話には聞いていたが、これほどまでに険しい石
段だとは、思ってもみなかった。

 「こんな石段を、よく作ったものだ」と私。
 「ホント」とワイフ。

 同じ会話を、何度も、何度も、繰りかえす。しかしまだゴールは、見えない。最後に行きかった
人に、「まだありますか?」と聞くと、「この先が、急になりますよ」と。またまたゾーッ!

 が、何とか、着いた。登り始めて、一時間はたったかもしれない。テニスコートぐらいの広場
があって、そこに、鳳来寺があった。が、どこから来たのか、結構、混雑していた。あとで聞い
たら、ほとんどの人は、鳳来山の裏手から車で、登ってきたという。

 私たちは、そのルートを知らなかった。道理で、門前町は、ガラガラ。私たちのように、まじめ
な方法(?)で登る人は、少ない? 「今度来るときは、車で来よう」と、ワイフに言った。

 鳳来寺の右手で、地元の女性たち(?)が、五平餅を、焼いて売っていた。一枚、二五〇円。
それを一枚、買う。おなかはすいているはずなのに、食欲があまりない。ワイフと、半分ずつ食
べる。そしてそのまま東照宮へ。

 しかし日光の東照宮を想像しないほうがよい。カラフルにペインティングしてあったが、どこか
色あせていた。私たちは、そこでも、また石段を登るはめに。

 「まだ、この先には、奥の院があるそうよ」と、ワイフ。またまた、ゾーッ。もう石段は、たくさ
ん! 「また今度にしよう」と私。

 しばらく休憩したあと、今度は、もと来た石段を……。「帰りは楽だ」と言っていたのも、つか
のま、ひざが痛みだした。私は歩くのには、弱い。もう少し正確には、振動には、弱い。足の鍛
え方が、ちがう。

 三分の一ほどくだったところから、関節がまがらないほど、痛みだした。ひざの関節が、反対
側に曲がるのではないかと思えるほど、ガクガクし始めた。「こんなはずではなかった……」と。

 ワイフを見ると、スイスイと歩いている。「痛くないか?」と声をかけると、「別に……」と。ワイ
フはテニスで、足腰を鍛えている。私は、自転車。足の構造が、違うようだ。

 が、何とか、ふもとまで。かろうじてというか、だましだましというか……。

 そのまま民家の間の細い道を通り抜けて、レストランへ。民営なのか、私営なのか、きれいな
レストランだった。私は、そこで盛りそばを頼んだ。

 「へえ、この盛りそば、海苔(のり)がかかっている」と私。
 「……?」
 「海苔がかかっているのは、ざるそば。海苔がかかっていないのが、盛りそば。東京の人が
見たら、笑うだろうね」と。

 しかし、正直に言うが、おいしかった。私は、あれほどまでにおいしいツユの盛りそばを、食
べたことがない。店を出るとき、「ツユは売っていませんか」と聞いたが、「ツユは、売っていな
い」とのこと。

 店を出て、鳳来山を改めて見あげる。たまたま近くにいた男性二人も私たちの会話に加わっ
て、「あれが、鳳来山だ」「いや、右手のあそこだ」「では、東照宮は……」「いや、あれが、東照
宮でしょう」とやり出した。

 しかしとても楽しい登山だった。帰りの車の中で、再びあのCDを聞きながら、ワイフと、「楽し
かったね」「楽しかった」と言いあった。関節は痛かったが、それは気持のよい痛さだった。
(040104)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(469)

●作られる意識

 意識というのは、作られるもの。そんな話を、ワイフと、今日、車の中でした。

 「ぼくたちの年代は、年賀状に、こだわるだろ。しかしね、そういう意識というのは、ぼくたちが
子どものころ、国策として、政府によって作られたものではないかと思うんだ」と。

 私が、そう言うと、ワイフは、すんなりと、「そうかもね」と、認めた。

 最近の若い人は、年賀状に、ほとんど、こだわっていない。まったく出さない人も、ふえてい
る。ワイフのテニス仲間には、「今年は忙しかったから、出さなかった」という人もいる。中に
は、「出すのを忘れた」という、のんきな人もいる。私の世代の人間には、考えられないことだ。

 で、Y新聞を読むと、どこかの評論家が、こう書いていた。「年賀状は、その人の消息を知る、
大切な手段だ。毎年、年賀状を見ながら、その消息を知るのが楽しみ」と。

 しかし、問題は、その中身だ。

 そこで私のところへ届いた年賀状を見たが、年齢の違いもあるのだろうが、一、二行でも、消
息を書いてくれたのは、三分の一もいない。あとは儀礼的なあいさつだけ。

 「消息を知ったところで、それがどうだというのかね?」と私。
 「そう、そこが問題よ」とワイフ。
 「なっ、そうだろ……。ヘタをすれば、詮索(せんさく)になってしまう」
 「詮索好きな人にとっては、年賀状は、大切な手段かもね」と。
 
 だからといって、誤解しないでほしい。年賀状を否定しているのではない。もらってうれしい人
は、たしかにいる。今年も、私は、X百枚の年賀状を出した。これは長くつづいた習慣だから、
今、おいそれと変えるわけにはいかない。

 恐らくこれからも、私は、死ぬまで年賀状を交換するだろうと思う。ただここで言いたいのは、
冒頭の「意識というのは、作られるもの」ということ。

 私は、自分で考えて、「私」を作ったと思っている。しかしそういう意識の大半は、他人によっ
て作られたもの。恐らく、私の行動のほとんどは、他人によって作られた、そうした意識によっ
て動かされているに違いない。その一つが、年賀状である。
 
 なぜ、私は、年賀状に、こうまでこだわるのか? 問題は、ここにある。

 私のばあい、四〇歳の前半ごろから、出す年賀状の枚数が、飛躍的にふえた。そのふえて
いく間は、それなりに、緊張感もあり、楽しかった。財政的な負担は、決して軽くはなかったが、
私は、生きるために必要な、経費と考えていた。

 が、この四、五年、毎年、一〇〇枚単位で、減らしてきた。そのときのこと。それまで交換して
きた人に、出さなくなるというのは、たいへん、つらい。どこか身を切られるような、緊張感さえ
覚えた。

 なぜか? どうしてか?

 年賀状信仰をしてきたものが、その信仰を離れたためか? 

 同じような現象は、いろいろな場面に見られる。この浜松にも、皇居でなされる天皇の一般参
賀を、欠かしたことがないという人がいる。正月には、新幹線に乗って、出かけるのだそうだ。

私は、一般参賀をしたことがないから、その人の気持は、よくわからない。が、意識としては、
私が年賀状に対してもつ意識と、それほど、違わないのではないか。

 その人にとっては、それが正月なのだ。

 たとえば私には、無数の意識がある。そしてそのつど、その意識に支配されて行動している。
そしてその意識というのは、私のものであって、私のものではない。つまり自分の中で、自然発
生したものではなく、そのときどきにおいて、だれかによって作られたものだということ。すべて
ではないが、ほとんどの意識が、そうと考えてよい。

 お金にこだわるとき。モノにこだわるとき。名誉や地位にこだわるときなどなど。それぞれの
意識は、どこかで、だれかによって作られる?

年賀状の問題を考えていたとき、私は、そんなことを思った。
(040105)

●みんな、自分のもっている意識を、一度、疑ってみよう。新しい、自分が、その下に隠されて
いることを知ることができるかもしれない。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


子育て随筆byはやし浩司(470)

●日本の教育改革

公立小中学校・放課後補習について

 文部科学省は、公立小中学校の放課後の補習を奨励するため、教員志望の教育学部の大
学生らが児童、生徒を個別指導する「放課後学習相談室」(仮称)制度を、二〇〇三年度から
導入した。

 文部科学省の説明によれば、「ゆとり重視」の教育を、「学力向上重視」に転換する一環で、
全国でモデル校二〇〇〜三〇〇校を指定し、「児童、生徒の学力に応じたきめ細かな指導を
行う」(読売新聞)という。

「将来、教員になる人材に教育実習以外に、実戦経験をつませる一石二鳥の効果をめざす」と
も。父母の間に広まる学力低下への懸念を払しょくするのがねらいだという。具体的には、つ
ぎのようにした。

 まず全国都道府県からモデル校を各五校を選び、@授業の理解が遅れている児童、生徒に
対する補習を行う、A逆に優秀な児童、生徒に高度で発展的な内容を教えたり、個々の学力
に応じて指導した。

 しかし残念ながら、この「放課後補習」は、確実に失敗しつつある。理由は、現場の教師な
ら、だれしも知っている。順に考えてみよう。

第一、学校での補習授業など、だれが受けたがるだろうか。たとえばこれに似た学習に、昔か
ら「残り勉強」というのがある。先生は子どものためにと思って、子どもに残り勉強を課するが、
子どもはそれを「バツ」ととらえる。「君は今日、残り勉強をします」と告げただけで泣き出す子
どもは、いくらでもいる。「授業の理解が遅れている児童、生徒」に対する補習授業となれば、
なおさらである。残り勉強が、子どもたちに嫌われ、ことごとく失敗しているのは、そのためであ
る。

第二、反対に「優秀な児童、生徒」に対する補習授業ということになると、親たちの間で、パニ
ックが起きる可能性がある。「どうしてうちの子は教えてもらえないのか」と。あるいはかえって
受験競争を助長することにもなりかねない。今の教育制度の中で、「優秀」というのは、「受験
勉強に強い子ども」をいう。どちらにせよ、こうした基準づくりと、生徒の選択をどうするかという
問題が、同時に起きてくる。

 文部科学省よ、親たちは、だれも、「学力の低下」など、心配していない。問題をすりかえない
でほしい。親たちが心配しているのは、「自分の子どもが受験で不利になること」なのだ。どうし
てそういうウソをつく! 

新学習指導要領で、約三割の教科内容が削減された。わかりやすく言えば、今まで小学四年
で学んでいたことを、小学六年で学ぶことになる。しかし一方、私立の小中学校は、従来どおり
のカリキュラムで授業を進めている。

不利か不利でないかということになれば、公立小中学校の児童、生徒は、決定的に不利であ
る。だから親たちは心配しているのだ。

 非公式な話によれば、文部科学省の官僚の子弟は、ほぼ一〇〇%が、私立の中学校、高
校に通っているというではないか。私はこの話を、技官の一人から聞いて確認している! 「東
京の公立高校へ通っている子どもなど、(文部官僚の子どもの中には)、私の知る限りいませ
んよ」と。

こういった身勝手なことばかりしているから、父母たちは文部科学省の改革(?)に不信感をい
だき、つぎつぎと異論を唱えているのだ。どうしてこんな簡単なことが、わからない!

 教育改革は、まず官僚政治の是正から始めなければならない。旧文部省だけで、いわゆる
天下り先として機能する外郭団体だけでも、一八〇〇団体近くある。この数は、全省庁の中で
もダントツに多い。

文部官僚たちは、こっそりと静かに、こういった団体を渡り歩くことによって、死ぬまで優雅な生
活を送れる。……送っている。そういう特権階級を一方で温存しながら、「ゆとり学習」など考え
るほうがおかしい。

この数年、大卒の就職先人気業種のナンバーワンが、公務員だ。なぜそうなのかというところ
にメスを入れないかぎり、教育改革など、いくらやってもムダ。ああ、私だって、この年齢になっ
てはじめてわかったが、公務員になっておけばよかった! 死ぬまで就職先と、年金が保証さ
れている! ……と、そういう不公平を、日本の親たちはいやというほど、思い知らされてい
る。だから子どもの受験に狂奔する。だから教育改革はいつも失敗する。

 もう一部の、ほんの一部の、中央官僚が、自分たちの権限と管轄にしがみつき、日本を支配
する時代は終わった。教育改革どころか、経済改革も外交も、さらに農政も厚生も、すべてボ
ロボロ。何かをすればするほど、自ら墓穴を掘っていく。

その教育改革にしても、ドイツやカナダ、さらにはアメリカのように自由化すればよい。学校は
自由選択制の単位制度にして、午後はクラブ制にすればよい(ドイツ)。学校も、地方自治体に
カリキュラム、指導方針など任せればよい(アメリカ)。設立も設立条件も自由にすればよい(ア
メリカ)。いくらでも見習うべき見本はあるではないか!

 今、欧米先進国で、国家による教科書の検定制度をもうけている国は、日本だけ。オースト
ラリアにも検定制度はあるが、州政府の委託を受けた民間団体が、その検定をしている。しか
し検定範囲は、露骨な性描写と暴力的表現のみ。歴史については、いっさい、検定してはいけ
ないしくみになっている。

世界の教育は、完全に自由化の流れの中で進んでいる。たとえばアメリカでは、大学入学後
の学部、学科の変更は自由。まったく自由。大学の転籍すら自由。まったく自由。学科はもち
ろんのこと、学部のスクラップ・アンド・ビュルド(創設と廃止)は、日常茶飯事。なのになぜ日本
の文部科学省は、そうした自由化には背を向け、自由化をかくも恐れるのか? あるいは自分
たちの管轄と権限が縮小されることが、そんなにもこわいのか?

 改革をするたびに、あちこちにほころびができる。そこでまた新たな改革を試みる。「改革」と
いうよりも、「ほころびを縫うための自転車操業」というにふさわしい。もうすでに日本の教育は
にっちもさっちもいかないところにきている。このままいけば、あと一〇年を待たずして、その教
育レベルは、アジアでも最低になる。あるいはそれ以前にでも、最低になる。小中学校や高校
の話ではない。大学教育が、だ。

 皮肉なことに、国公立大学でも、理科系の学生はともかくも、文科系の学生は、ほとんど勉強
などしていない。していないことは、もしあなたが大学を出ているなら、一番よく知っている。

その文科系の学生の中でも、もっとも派手に遊びほけているのが、経済学部系の学生と、教
育学部系の学生である。このことも、もしあなたが大学を出ているなら、一番よく知っている。
いわんや私立大学の学生をや!

そういう学生が、小中学校で補習授業とは! 日本では大学生のアルバイトは、ごく日常的な
光景だが、それを見たアメリカの大学生はこう言った。「ぼくたちには考えられない」と。大学制
度そのものも、日本の場合、疲弊している!

 何だかんだといっても、「受験」が、かろうじて日本の教育を支えている。もしこの日本から受
験制度が消えたら、進学塾はもちろんのこと、学校教育そのものも崩壊する。確かに一部の
学生は猛烈に勉強する。しかしそれはあくまでも「一部」。

内閣府の調査でも、「教育は悪い方向に向かっている」と答えた人は、二六%もいる(二〇〇
〇年)。九八年の調査よりも八%もふえた。むべなるかな、である。

 もう補習をするとかしなとかいうレベルの話ではない。日本の教育改革は、三〇年は遅れ
た。しかも今、改革(?)しても、その結果が出るのは、さらに二〇年後。そのころ世界はどこま
で進んでいることやら! 

日本の文部科学省は、いまだに大本営発表よろしく、「日本の教育レベルはそれほど低くはな
い」(※1)と言っているが、そういう話は鵜呑みにしないほうがよい。今では分数の足し算、引
き算ができない大学生など、珍しくも何ともない。

「小学生レベルの問題で、正解率は五九%」(国立文系大学院生について調査、京都大学西
村和雄氏)(※2)だそうだ。

 あるいはこんなショッキングな報告もある。世界的な標準にもなっている、TOEFL(国際英語
検定試験)で、日本人の成績は、一六五か国中、一五〇位(九九年)。「アジアで日本より成績
が悪い国は、モンゴルぐらい。北朝鮮とブービーを争うレベル」(週刊新潮)だそうだ。

オーストラリアあたりでも、どの大学にも、ノーベル賞受賞者がゴロゴロしている。しかし日本に
は数えるほどしかいない。あの天下の東大でも、たったの一人。ちなみにアメリカだけでも、二
五〇人もの受賞者がいる。ヨーロッパ全体では、もっと多い(田丸謙二氏指摘)。

 「構造改革(官僚主導型の政治手法からの脱却)」という言葉がよく聞かれる。しかし今、この
日本でもっとも構造改革が遅れ、もっとも構造改革が求められているのが、文部行政である。
私はその改革について、つぎのように提案する。

(1)中学校、高校では、無学年制の単位履修制度にする。(アメリカ)
(2)中学校、高校では、授業は原則として午前中で終了する。(ドイツ、イタリアなど)
(3)有料だが、低価格の、各種無数のクラブをたちあげる。(ドイツ、カナダ)
(4)クラブ費用の補助。(ドイツ……チャイルドマネー、アメリカ……バウチャ券)
(5)大学入学後の学部変更、学科変更、転籍を自由化する。(欧米各国)
(6)教科書の検定制度の廃止。(各国共通)
(7)官僚主導型の教育体制を是正し、権限を大幅に市町村レベルに委譲する。
(8)学校法人の設立を、許認可制度から、届け出制度にし、自由化をはかる。

 が、何よりも先決させるべき重大な課題は、日本の社会のすみずみにまではびこる、不公平
である。

この日本、公的な保護を受ける人は徹底的に受け、そうでない人は、まったくといってよいほ
ど、受けない。わかりやすく言えば、官僚社会の是正。官僚社会そのものが、不公平社会の温
床になっている。この問題を放置すれば、これらの改革は、すべて水泡に帰す。今の状態で教
育を自由化すれば、一部の受験産業だけがその恩恵をこうむり、またぞろ復活することにな
る。

 ざっと思いついたまま書いたので、細部では議論もあるかと思うが、ここまでしてはじめて「改
革」と言うにふさわしい。

ここにあげた「放課後補習制度」にしても、アメリカでは、すでに教師のインターン制度を導入し
て、私が知るかぎりでも、三〇年以上になる。オーストラリアでは、父母の教育補助制度を導
入して、二〇年以上になる(南オーストラリア州ほか)。

大半の日本人はそういう事実すら知らされていないから、「すごい改革」と思うかもしれないが、
こんな程度では、改革にはならない。少なくとも「改革」とおおげさに言うような改革ではない。

で、ここにあげた(1)〜(8)の改革案にしても、日本人にはまだ夢のような話かもしれないが、
こうした改革をしないかぎり、日本の教育に明日はない。日本に明日はない。なぜなら日本の
将来をつくるのは、今の子どもたちだからである。

(※1)
 国際教育到達度評価学会(IEA、本部オランダ・一九九九年)の調査によると、日本の中学
生の学力は、数学については、シンガポール、韓国、台湾、香港についで、第五位。以下、オ
ーストラリア、マレーシア、アメリカ、イギリスと続くそうだ。理科については、台湾、シンガポー
ルに次いで第三位。以下韓国、オーストラリア、イギリス、香港、アメリカ、マレーシア、と。

この結果をみて、文部科学省の徳久治彦中学校課長は、「順位はさがったが、(日本の教育
は)引き続き国際的にみてトップクラスを維持していると言える」(中日新聞)とコメントを寄せて
いる。東京大学大学院教授の苅谷剛彦氏が、「今の改革でだいじょうぶというメッセージを与え
るのは問題が残る」と述べていることとは、対照的である。

ちなみに、「数学が好き」と答えた割合は、日本の中学生が最低(四八%)。「理科が好き」と答
えた割合は、韓国についでビリ二であった(韓国五二%、日本五五%)。学校の外で勉強する
学外学習も、韓国に次いでビリ二。一方、その分、前回(九五年)と比べて、テレビやビデオを
見る時間が、二・六時間から三・一時間にふえている。

で、実際にはどうなのか。東京理科大学理学部の澤田利夫教授が、興味ある調査結果を公表
している。教授が調べた「学力調査の問題例と正答率」によると、つぎのような結果だそうだ。

この二〇年間(一九八二年から二〇〇〇年)だけで、簡単な分数の足し算の正解率は、小学
六年生で、八〇・八%から、六一・七%に低下。分数の割り算は、九〇・七%から六六・五%に
低下。小数の掛け算は、七七・二%から七〇・二%に低下。たしざんと掛け算の混合計算は、
三八・三%から三二・八%に低下。全体として、六八・九%から五七・五%に低下している(同じ
問題で調査)、と。

 いろいろ弁解がましい意見や、文部科学省を擁護した意見、あるいは文部科学省を批判し
た意見などが交錯しているが、日本の子どもたちの学力が低下していることは、もう疑いようが
ない。

同じ澤田教授の調査だが、小学六年生についてみると、「算数が嫌い」と答えた子どもが、二
〇〇〇年度に三〇%を超えた(一九七七年は一三%前後)。反対に「算数が好き」と答えた子
どもは、年々低下し、二〇〇〇年度には三五%弱しかいない。原因はいろいろあるのだろう
が、「日本の教育がこのままでいい」とは、だれも考えていない。

少なくとも、「(日本の教育が)国際的にみてトップクラスを維持していると言える」というのは、も
はや幻想でしかない。

+++++++++++++++++++++

(※2)
 京都大学経済研究所の西村和雄教授(経済計画学)の調査によれば、次のようであったとい
う。

調査は一九九九年と二〇〇〇年の四月に実施。トップレベルの国立五大学で経済学などを研
究する大学院生約一三〇人に、中学、高校レベルの問題を解かせた。結果、二五点満点で平
均は、一六・八五点。同じ問題を、学部の学生にも解かせたが、ある国立大学の文学部一年
生で、二二・九四点。多くの大学の学部生が、大学院生より好成績をとったという。)
(040105改)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


子育て随筆byはやし浩司(471)

●宇宙のロマン

 昔、東洋医学の本を書いているとき、どうにもこうにも理解できない文章に行き当たった。そ
れについて書いていると、かなり長くなるので、ここでは省略する。

 手短に言えば、当時の科学の常識とは、極端にかけ離れた内容の文章に出あった。黄帝内
経(こうていだいけい)という本の中に、「この大地の上は、虚。その上は、太虚。大地の下も、
虚。その下も、太虚。この大地は、虚空の中央に浮かんでいる」(「五運行大論編」(京都・仁和
寺所蔵版)と書いてあった。

 さらにわかりやすく言うと、この地球は、大虚、つまり空気も何もない、まったくの真空の中に
浮かんでいる、と。

 同じところには、この大地は、「球体」で、宇宙を回転しながら移動しているというようなことま
で書いてあった。

 私は、この一文で、黄帝内経の虜(とりこ)になった。なって、本を、三冊も書いた。うち二冊
は、現在の今でも、全国の大学の医学部や鍼灸学校の教科書にもなっている。

●人間はどこから来たか?

人間は、どこから来たか。どうして、今、人間は、人間なのか。黄帝内経という本は、私に一つ
の大きなヒントを与えてくれた。

 つづいて私は、中国の古代文明に興味をもち、その結果、仰韶(ヤンシャオ)文明に行き着
いた。

 この文明は、実に不思議な文明で、かつ、驚くべき科学力をもった文明だと、わかった。そし
てさらに調べていくと、同じころ、チグリス・ユーフラテス川流域で栄えた、メソポタミア文明と、
多くの点で、類似性があることがわかった。

 メソポタミア文明を栄えさせたのは、シュメール人だが、これまた当時の常識とは、かけ離れ
た文明を築いた民族として、知られている。

 仰韶人とシュメール人。いつしか私は、これら二つの民族は、同一の起源から生まれた民族
ではないかと考えるようになった。根拠がないわけではない。

 たとえば仰韶人は、甲骨文字。シュメール人は、楔形文字を使っていた。ともによく似た文字
だが、たとえば甲骨文字では、「帝」を、「米」に似た文字で書く。光が、八方に広がった様子を
示す。楔形文字でも、同じように書く。

 また両者の発音も似ている。甲骨文字では、「di」と発音し、楔形文字では、「dingir」と発音
する。

 つまり文字の形と、意味と、発音がよく似ているということになる。それだけではない。ともに
彼らの神(帝)は、天の星からやってきたという。かなり大ざっぱな書き方なので、少しいいかげ
んに聞こえるかもしれないが、大筋は、こんなところである。

●火星探査機

 一月五日。アメリカ航空宇宙曲の無人火星探査機『スピリット』が、火星への着陸に成功し
た。

 アメリカから日本のどこかにホールインワンをしたようなものだと、マスコミは書いていた。着
陸地点はかつて湖があったと推測される、赤道付近のグセフ・クレーターだ、そうだ。水があっ
たとするなら、生物がいた可能性は、きわめて高い。

 このニュースを聞いたとき、またまた私のロマンが、かぎりなくふくらんだ。火星には、生物が
いたのではないか。しかもその生物は、自ら、火星そのものを破壊してしまうほど、高度な文明
をもっていたのではないか、と。

 一説によれば、火星が今のような火星になってしまったのは、そこに住む生物によって、環
境破壊が進んだからだという。ちょうど、今の地球で起きていることと同じようなことが、火星で
も起きたということになる。

 この地球も、あと一〇〇年とか、二〇〇年もすると、温暖化がさらに加速され、ゆくゆくは、今
の火星のようになるかもしれないと言われている。つまり、火星にも、かつて環境破壊を起こす
ほどの生物がいたということになる。

 犬やネコのような生物ではない。人間のような生物である。

●人間は、火星人の子孫? 

 ここから先は、荒唐無稽(こうとうむけい)な、ロマン。空想。そういう前提での話だが、しかし
もし、人間が、それらの火星人によって作られた生物だとするなら、これほど、楽しい話は、な
い。

 最近、人間は、遺伝子の中のDNAを組みかえる技術を、身につけた。この方法を使えば、
陸を歩く魚だって、作れることになる。空を飛ぶ、リスだって、作れることになる。

 もし火星人たちも同じような技術をもっていたとしたら、自分たちの脳ミソをもった、サルを作
ることなど、朝飯前だっただろう。いや、ひょっとしたら、人間は、そうした技術によって、火星人
ではないにしても、だれかによって作られたのかもしれない。

 そこで、これはあくまでも、仮定の話だが、もし火星人たちが、地球に住んでいたサルを見つ
け、そのサルの遺伝子の中に、自分たちの遺伝子を組みこんだとする。そしてこの地球上に、
新しい生物が生まれたとする。で、そのあとのこと。火星人たちは、その新しく生まれた生物
に、何をするだろうか。

 私が、火星人なら、その生物たちを、教育しただろうと思う。言葉を教え、文字を教え、そして
生活に必要な知識を教えただろうと思う。

 もちろんこれは、ロマン。空想。しかし順に考えていくと、どうしても、そうなる。つまり、私が若
いころ出あった、東洋医学、なかんずく黄帝内経(こうていだいけい)は、こうして生まれた本で
はないかと、いつしか、私は、そう考えるようになった。

●壮大なロマン

 私は、いつでも、どこでも、コロリと眠ってしまう割には、よく、夜、ふとんの中に入っても、眠ら
れないときがある。

 そういうとき、私は、この壮大なロマンを、頭の中に描く。

 かつて仰韶人と、シュメール人は、同一の「神」をもっていた。仰韶人の神(帝王)は、黄帝。
シュメール人の神は、エホバ。天を駆けまわる神々は、黄河流域に住む仰韶人に、科学を。そ
してチグリス・ユーフラテス川にすむ、シュメール人には、宗教を与えた。

 こうして地球上で、人間による文明は、始まった……。

 しかしこういう話をまともに書くと、まず、私の脳ミソが疑われる。実際、こうした荒唐無稽な話
をかかげて、おかしな活動をしている宗教団体は、いくつか、ある。

 ただ私のばあい、こうした話はこうした話として、生活の一部に、しまっておくことができる。ロ
マンは、ロマン。空想は、空想。いつもいつも、頭の中で、考えているわけではない。

 が、こういう壮大なロマンを頭の中でめぐらせていると、いつの間にか、眠ってしまう。それは
ちょうど、私が子どものころ、『鉄腕アトム』や、『鉄人28号』を、頭の中で想像しながら眠ったと
同じ。そのころの習慣が、そのまま残っている。そう、私には、その種の話でしか、ない。また
読者のみなさんも、そういうレベルの話として、このエッセーを読んでほしい。

 では、おやすみなさい!
(040105)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(472)

●神の力

 イランで起きた地震は、まだ記憶に新しい。その救助作業の中、何と、八日ぶりに、九七歳
の女性が、かすり傷一つなく、救出されたという。

 ロイターは、つぎのように伝える。

「大地震に見舞われたイラン南東部で活動する赤新月社の当局者によると、同国のバムで三
日、地震発生から八日ぶりに、崩れた建物の中から九七歳の女性が救出された。

 この女性はシャフルバヌ・マザンダラニさんで、顔にはかすり傷一つなく、健康状態も良好と
いう。

 マザンダラニさんは収容された病院で、赤新月社当局者に対し、『神が生かしてくれた』と喜
びを語った」と。

 こうした話は、よく聞く。

 私がよく覚えている事件に、こんなのがある。

 ある女性(三五歳くらい)の夫が、急病で死んだ。数日、熱を出したと思ったら、それが原因
で、肺炎になり、そのまま死んでしまった。あまりにも急な死だった。

 が、そのあと、その女性に、三〇〇〇万円の保険金がおりたという。どういういきさつでおり
たのかは、私は知らない。しかしその女性は、その三〇〇〇万円のうち一〇〇〇万円を、自
分が所属する教団に寄付してしまった。

 いわく、「これだけ多額の保険金が入ったのは、(その教団で)、信仰していたおかげです」
と。

 その教団では、(一〇〜一〇〇万円未満)の寄付をする信者を、「二桁信者」。(一〇〇〜一
〇〇〇万円未満)の寄付をする信者を、「三桁信者」、(一〇〇〇万円以上)の寄付をする信
者を、「四桁信者」として、区別していた。

 しかし、この話は、どこから聞いても、おかしい。

 もし彼らが信仰する「神」にせよ、「仏」にせよ、そんな「力」があるなら、そもそも、夫を殺すよ
うなことはしないはず。冒頭にあげた、九七歳の女性は、「神が生かしてくれた」というが、で
は、残りの死んだ人たちは、どうなのか。あるいは、その女性は、神が殺したとでも、言うの
か。

 こういうのを、信仰的盲目性という。その女性の気持は、わからないでもないが、その女性を
救ったのは、神ではない。もう少し、わかりやすい例で、考えてみよう。

 これは一〇年ほど前の話だが、ある寺に行くと、一人の女性が、うれしそうにその寺の住職
と、話をしていた。何でも、その寺で信仰したおかげで、息子の病気が治ったというのだ。

 しかしその息子の病気を治したのは、実際には、病院の医師である。が、その女性は、その
ことについては、一言も触れなかった。私は、その話を横で聞きながら、こう思った。

 「もし、その子どもの病気が治らなかったら、どうだったのか。その女性は、その住職に、何と
言うだろうか。また治療にあたった医師に、何と言うだろうか」と。

 ……こう書くには、私には、理由がある。

 小学二年のときから三年にかけて、私は小児結核をわずらった。そのとき私は、ペニシリン
という強烈な薬を使って、それを治すことができた。アメリカが日本を占領するとき、アメリカか
ら持ちこんだきた薬である。

 そのときのことを、ときどき思い出しながら、今でも、こう思う。もし、私が、あと数年早く、小児
結核になっていたら、私は、とっくの昔に死んでいただろう、と。あるいはペニシリンの開発が、
あと数年遅れていたとしたら、私は、とっくの昔に死んでいただろう、と。

 私は、当時のほとんどの子どものように、何も、信仰していなかった。両親は、していたが、
私の家には、神棚もあり、仏壇もあり、布袋様(ほていさま)もあった。ほかにも、いくつかの神
様が祭ってあった。まさに何でもありだった。(だからどの神様が治してくれたのか、本当のとこ
ろは、よくわからないが……。)

 となると、今、私が生きているのは、なぜか?

 回りくどい言い方は、やめよう。要するに、その九七歳の女性を救ったのは、神でも何でもな
い。奇跡でもない。無数の偶然が重なっただけ。現に、四万人弱もの人が、その地震でなくな
っているではないか。

 信仰は、「教え」によって、するもの。神がかった、スーパーパワーを求めてするものではな
い。また、そんなパワーは、ない。求めてもいけない。もしそういうパワーがあるとするなら、私
やあなたより、何千倍、何万倍も、それを必要とする人のために、譲ってやるべきだ。祈るとし
ても、そういう人たちのために、祈るべきだ。

 話が少し、過激になってきたが、ロイターのニュースを読んだとき、私は、頭のどこかで、ふ
と、そんなことを考えた。
(040105)

【神が神である理由】

 神が神である理由は、何か。私は、その理由は、三つあると思う。

 「教え」「スーパーパワー」、それに「愛」である。

 「教え」はともかくも、「スーパーパワー」というのは、いわゆる超能力のようなもの。手のひら
をかざしただけで、難病を治したりする力のことをいう。

 問題は、「愛」だが、それには、当然、行動がともなわねばならない。行動のともなわない愛な
ど、ただの、「思い過ごし」。だいたいにおいて、「愛」ほど、自分の心の中で実感しにくい感情
は、ない。

 となると、やはり神といえども、「教え」が、その柱になるはず。いつか私は、釈迦にせよ、キリ
ストにせよ、もともとは「教師」ではなかったかと書いたが、今でも、そう思う。またそう思って、
仏典を読んだり、聖書を読んだりすると、意味がよくわかる。

 しかし信仰する側は、そうでない。仏の慈悲や、神の愛を求めながら、その一方で、そのスー
パーパワーに、恋焦がれる。「宝くじが当たりますように」「商売が繁盛しますように」と。予言と
いうのも、その一つだ。

 しかし神や仏にせよ、とくに神のばあい、仮に「いる」とするなら、そんなことで、人間に力を貸
すだろうかという疑問がある。もし貸すとするなら、たとえば今回のイランでも、その地震に先
立って、そこに住む人たちに、「早く逃げなさい」と警告を出しただろう。また、そうすべきだっ
た。

 また話が回りくどくなってきたが、要するに、信仰は、その「教え」によってするもの。「教え」に
始まって、「教え」に終わる。その「教え」をどう理解し、どう判断し、どう現実の生活の中で利用
していくかは、すべて、私たち自身の問題だということ。

 ずいぶんと勝手な判断で、不愉快に思う人も多いかもしれないが、私は、そう思う。この先
は、もう少し、時間をおいてから、考えてみたい。
 
++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(473)

●二〇〇四年

 私は、年号を、西暦で読んでいる。そんなわけで、ときどき、今は、平成何年なのか、わから
なくなる。しかしこんな小さな島国で、年号の読み方を別にするというのも、おかしな話だ。もし
世界中の国々が、それぞれの年号の読み方をするようになったら、世界は、どうなる?

 たとえば台湾にも元号があるが、日本とは、スケールが違う。それはそれとして、一番困るの
が、昭和五〇年から、今年まで何年というように、昭和と平成とまたがって年月を計算すると
き。大正一〇年でもよい。明治一〇年でもよい。そのたびに、一度、いちいち、西暦になおし
て、計算しなければならない。

 昔、通訳の仕事をしていたとき、「私は、昭和一〇年の生まれです。昭和四〇年に、アメリカ
へ行きました」などと、その人が言ったりすると、さあ、たいへん。私が生まれた、昭和二二年、
つまり一九四七年を基準に、頭の中で、即座に足し引き算をしなければならなかった。

 だからといって、元号が必要とか、必要でないとか、言っているのではない。なくせと言ってい
るのでもない。ただ公式には、もう西暦を使うべきだということ。このことは、反対に、台湾や、
東南アジアの国々へ行ったときに、よくわかる。その国の元号で「年」を言われると、何とも表
現のしようがない違和感を覚える。自分が、その世界から、はじき飛ばされるような、違和感で
ある。

 だから私は、この三〇年以上、元号を使ったことは、ほとんど、ない。私たちが結婚した年
も、息子たちの生年月日も、西暦では即座に言うことができるが、元号では、言えない。「昭和
何年ですか?」と聞かれたりすると、ハタと困ってしまう。(覚えても、すぐ忘れてしまうし……。)

 こういう私の意見に対して、元号は、便利だとか、その年の思い出がしみついていて、わかり
やすいという意見もある。しかしそれは、「慣れ」の問題。先日も、オーストラリアの友人が、私
の家に泊まってくれたときのこと。そのとき彼は、「一九七五年と、一九八三年に、日本へ来
た」というようなことを言った。

 元号に慣れ親しんだ人には、聞きづらい数字かもしれないが、私には、そのほうがわかりや
すい。即座に、「今から、何年前……」というような計算が、頭の中で、できる。あるいは、私
は、その友人に、反対に、元号になおして言わせるべきだったのか? 「The forty-fifth year 
of the Emperor of Showa(昭和天皇第45番目の年に……)」とか……?

 日本は、奈良時代の昔から、官僚主義国家。だから、役所では、元号を好んで使う。学校と
いう教育の場でもそうだ。つまり元号を使うことが、官僚主義国家の象徴にもなっている。もち
ろんその頂点には、天皇がいる。

 だから私が、「私は元号を使いません」などと言ったりすると、「君は、天皇制に反対なのか」
とか、言う人がいる。しかし私は、何も、そこまで深く考えてそうしているわけではない。ただ願
わくは、日本も、早く、今の官僚主義体制をやめて、民主主義体制に移行すべきだとは、思っ
ている。また、そういう方向で、ものを書いている。天皇制の問題は、そのつぎの問題である。

 さて、今年は、二〇〇四年。平成何年だったけ……? (ふつうなら、ここで調べて書くのだ
が、今日は、あえて調べない……。)
(040106)

【追記】

 毎年、どんどん小さくなっていく、鏡餅。今年は、今日まで、そこにあるのにさえ気づかなかっ
た。ワイフが、その上のミカンをとりさげたとき、「ああ?」と思ったほど。

 「いつ、それを買ったの?」と聞くと、ワイフは、「これね、実は、去年の鏡餅」と。

 ギョッ!

 「去年?」
 「そう、冷蔵庫に入れておいたら、そのまま残ったの……」
 「腐ってないか?」
 「多分ね……」と。

 昔は、つまり息子たちが小さいころは、毎年、餅つきまでして、鏡餅を作った。が、今は、スー
パーで買ってきて、そなえる。そこまではわかるが、しかし去年の鏡餅を使うとは!

 我が家も、だらしなくなったものだ。

 「だったらさ、しめ飾りも、しまって、来年も使ったら?」と私。

 このところ、しめ飾りも、結構、高額。小さなものでも、一五〇〇円前後もする。それに私のと
ころでは、自宅、山荘、教室と、三か所も用意しなければならない。結構な出費になる。

 「それはできないわ」とワイフ。
 「どうして?」
 「どうやって、しまっておくの?」
 「袋につめて、戸棚に入れておけばいい」
 「何だか、わびしいわね」
 「鏡餅は、わびしくないのか?」
 「……」と。

 若いころは、正月は、たしかに生きる節目になっていた。しかし今は、違う。新年になるたび
に、「また、年をとったか」という思いだけがつのる。人が「おめでとう」と言うほど、めでたくな
い。

 しかしどうせ毎年同じことを繰りかえすのなら、正月に使うものだって、そのとき使ったあと、
しまっておけばよい。そして来年、また使えばよい。おせち料理を入れる、重箱のように……。
(何ともせこい話で、すみません。)
 
++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(474)

●私は、どんな親か?

 親は、子育てをする。それはわかる。しかしそのとき、親は、自らを、「上」に置いて、子育て
をする。日本式の子育ては、おしなべて、そうであると言ってよい。

 「私は親だ。だから、子どもよりすぐれた存在である」と。

 しかし本当にそうか? 今、多くの人たちが、その親に反旗をひるがえし始めている。つい先
ほども、カナダに住む女性から、こんなメールが届いた。

 「……私の母は、病的な盗癖のある人で、私の貯金通帳からも、平気で、お金を盗んで使っ
ていました。その母は、私が二九歳のときに死にましたが、死んだとたん、肩の荷が、ぐんと軽
くなったのを感じました」と。

 こういう話は、三〇年前、四〇年前には、聞かなかった。日本人は、独特の親観をもってい
て、「親の悪口を言うのは、もってのほか」と考える。しかし、今、多くの人たちが、勇気を出し
て、自分の親を、語り始めている。

 私は、このことを、七、八年前に、母親教室を開いたときに知った。一人の女性が、「私は、
盆や正月に、私の実家へ帰り、両親に会うのが苦痛でなりません」と言ったときのこと。「私も
そうだ」という人が、続出した。

 全体として、二〇〜三〇%の人が、そうでなかったか。こういう人たちは、日本の常識(?)の
中で、人知れず、悩んでいる。「私は、子どもとして、失格だ」と。

 しかし現実には、嫁いで家を出た娘に向って、「親不孝者。のろい殺してやる」と言っている母
親すら、いる。息子が、アメリカへ行っている間に、息子の土地を、無断で転売してしまった母
親だっている。さらに、結婚して家を出た娘に対して、執拗なストーカー行為を繰りかえしている
母親もいる。

 これらの話は、そうでない人には信じがたい話かもしれないが、すべて事実である。

 そこで問題は、親のことではなく、あなた自身はどうかということ。あなたは、あなたの子ども
にとって、どんな親だろうかということ。

 たぶんあなたは、「私は、すばらしい親だ」「子どもは、私を尊敬しているはず」と考えている
かもしれない。しかし、そう思いこんでしまうのは、少し、待ってほしい。

 この世界では、「私はいい親だ」と思っている人ほど、そうでないケースが多い。むしろ「私は
できの悪い親だ」と思っている人ほど、そうでないケースが多い。大切なことは、子育てに対し
て、どこまで謙虚かということ。つまりは、子育てに謙虚な親ほど、子どもにとっては、よい親と
いうことになる。

 少し前までは、親の権威だけで、子どもを「下」に置くことができた。が、今は、その権威で子
どもをしばる時代ではない。またそうであっては、ならない。親子といえども、そこは、純然た
る、一対一の人間関係。たがいの関係も、こわれるときには、こわれる。またこわれたからとい
って、それを「悪」と決めてかかってはいけない。

 あなたの周囲にも、親の重圧感と、呪縛の重荷の中で、もがき苦しんでいる人は、いくらでも
いる。あなた自身がそうであるかもしれない。言いかえると、あなたの子どもも、いつか、そうな
るかもしれないということ。

 そこで大切なことは、今、この時点で、あなたという親は、あなたの子どもにとって、どういう親
なのか、冷静に反省してみるということ。決して、あなたは、親であるという立場に甘えてはいけ
ない。安住してはいけない。親であるということは、ぞれ自体、きびしい立場であること。それを
謙虚に反省してみてほしい。

 そしていつか……。あなたの子どもが、あなたを軽蔑するようになっても、あなたは、子どもを
うらんだりしてはいけない。その責任は、子どもにあるのではなく、今のあなた自身にある。

 多くの親は、子育てというと、子どもを育てることしか考えない。しかしそれ以上に大切なこと
は、あなた自身が、子どもにとって、どういう親であるかということ。親というより、どういう人間
であるかということ。それを考えながら、子育てをするということ。

 そういう意味でも、親であることは、きびしい。本当にきびしい。そういう視点で、あなたという
親は、今、どういう親なのか、少しだけ振りかえってみてほしい。
(040107)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(475)

●生徒募集

 今年も、来年度(〇四年四月から)の生徒さんを、募集をすることになりました。

 もし私の教室に興味がある方は、どうか、メールをください。見学日などを、お知らせします。

 とくにお勧めするのは、幼児教室です。年間四四のテーマにわけて、レッスンを進めます。
「あいさつ」「善悪」「動物」「英語」「文字」「数」「知恵」「作業」など。

 私の教室の特徴は、一回でも、同じレッスンをしないということ。毎回、内容を、変えます。

 そして何よりも大切にしているのは、「子どもの笑い声」です。

 こう書くと、「?」と思われる方も多いと思いますが、それこそ、鉛筆を一本落としただけでも、
子どもたちは、ゲラゲラと笑います。そういう雰囲気を大切にしています。

 『笑えば、子どもは伸びる』が、私の教育の「柱」になっています。つまり、「勉強は楽しい」「考
えることは楽しい」という、前向きな姿勢が、子どもを伸ばす原動力となります。

 「教える」のではなく、『灯をともして、引き出す』のです。いつかあなたの子どもが、今のこの
時期を思い出したとき、この時期が、その子どもの原点になっていることを知るでしょう。私は、
過去三三年間、そういう教え方をしてきました。

 週一回だけのレッスンですが、子どもは、それ以外の日には、私の教室の話ばかりをするよ
うになります。どの子どもも、みんなそうだから、あえて、ここで自信をもって、そう書きます。

 四月からの新年中児のみなさん、新年長児のみなさん、どうか、一度、ご検討ください。みな
さんからのご連絡をお待ちしています。 

【浜松市内、周辺の方は……】

   電話(053)452−8039(常時留守番電話)まで、伝言を残してください。
   折り返し、電話いたします。

   あるいは、メールで。メールは、はやし浩司のサイトのトップページから。
   http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/

+++++++++++++++++++++++

【私の教室のこと】

 そもそも、私の教室は、実験教室として、スタートしました。その当初は、幼稚園で働くかたわ
ら、何かと問題のあるお子さんだけを集めて、私のほうから頼んで教えさせてもらうという形式
をとりました。そのため、当然のことながら、費用は、無料でした。

 そのうち、園のほうから、いろいろな指導を任され、やがて教室という形式をとるようになりま
した。そのとき、とくに私が興味をもったのは、「知恵ワーク」でした。

 が、当時は、知恵ワークそのものが、日本には、まだない時代でした。

 私は別の翻訳や、通訳の仕事もしていましたから、その仕事を利用して、世界中から、いろ
いろな幼児教育教材を集めてきました。

 その中でも、一番、役にたったのは、イギリスの教材でした。私は、当初は、それを翻訳した
り、コピーしたりして、自分の教室で使いました。

 こうした教材をベースに、私は、独自の教材を開発していったわけですが、そのかたわら、自
分が作った教材を、いくつかの出版社へ送ってみました。

 その中でも、学研の幼児開発局(当時)が、私の教材に興味をもってくれました。たまたま学
研が、「幼児の学習」と「なかよしがくしゅう」を創刊するときと重なり、私は、その創刊に参画す
ることができました。

当時、この二誌だけで、毎月四七万部前後も売れましたから、みなさんの中には、これらの雑
誌をご存知の方も多いと思います。

 こうして私は、以後、幼児教育の教材作りの世界に入ることになり、以後、二〇年近く、その
仕事をさせていただきました。

 その中でもとくに印象深かったのは、学研の大塚氏と開発した、『ハローワールド』という雑誌
です。その雑誌を創刊するとき、大塚氏が、横浜のアメリカンハイスクールでみつけてみた女
の子が、西田ひかるさんでした。

 その雑誌は、一時は、毎月三〇万部も売れるという記録を残しました。

 それとは少し話がそれますが、このことに関連した原稿を、ここに添付します。

+++++++++++++++++++++

子どもがワークをするとき 

●西田ひかるさんが高校一年生

 学研に「幼児の学習」「なかよし学習」という雑誌があった。今もある。私はこの雑誌に創刊時
からかかわり、その後「知恵遊び」を一〇年間ほど、協力させてもらった。

「協力」というのもおおげさだが、巻末の紹介欄ではそうなっていた。この雑誌は両誌で、当時
毎月四七万部も発行された。

この雑誌を中心に私は以後、無数の市販教材の制作、指導にかかわってきた。バーコードを
こするだけで音が出たり答えが出たりする世界初の教材、「TOM」(全一〇巻)や、「まなぶく
ん・幼児教室」(全四八巻)なども手がけた。

一四年ほど前には英語雑誌、「ハローワールド」の創刊企画も一から手がけた。この雑誌も毎
月二七万部という発行部数を記録したが、そのときの編集長の大塚薫氏が横浜のアメリカン
ハイスクールで見つけてきたのが、西田ひかるさんだった。当時まだまったく無名の、高校一
年生だった。

●さて本題

 ……実はこういう前置きをしなければならないところに、肩書のない人間の悲しみがある。私
はどこの世界でも、またどんな人に会っても、まずそれから話さなければならない。私の意見を
聞いてもらうのは、そのあとだ。

で、本論。私はこのコラム(中日新聞「子どもの世界」)の中で、「ワークやドリルなど、半分はお
絵かきになってもよい」と書いた。別のところでは、「ワークやドリルほどいいかげんなものはな
い」とも書いた。そのことについて、何人かの人から、「おかしい」「それはまちがっている」とい
う意見をもらった。しかし私はやはり、そう思う。無数の市販教材に携わってきた「私」がそう言
うのだから、まちがいない。

●平均点は六〇点

 まず「売れるもの」。それを大前提にして、この種の教材の企画は始まる。主義主張は、次の
次。そして私のような教材屋に仕事が回ってくる。そのとき、おおむね次のようなレベルを想定
して、プロット(構成)を立てる。

その年齢の子ども上位一〇%と下位一〇%は、対象からはずす。残りの八〇%の子どもが、
ほぼ無理なくできる問題、と。点数で言えば、平均点が六〇点ぐらいになるような問題を考え
る。幼児用の教材であれば、文字、数、知恵の三本を柱に案をまとめる。小学生用であれば、
教科書を参考にまとめる。

しかしこの世界には、著作権というものがない。まさに無法地帯。私の考えた案が、ほんの少
しだけ変えられ、他社で別の教材になるということは日常茶飯事。

こう書いても信じてもらえないかもしれないが、二五年前に私が「主婦と生活」という雑誌で発
表した知育ワークで、その後、東京の私立小学校の入試問題の定番になったのが、いくつか
ある。

●半分がお絵かきになってもよい

 子どもがワークやドリルをていねいにやってくれれば、それはそれとして喜ばねばならないこ
とかもしれない。しかしそういうワークやドリルが、子どもをしごく道具になっているのを見ると、
私としてはつらい。……つらかった。私のばあい、子どもたちに楽しんでもらうということを何よ
りも大切にした。

同じ迷路の問題でも、それを立体的にしてみたり、物語を入れてみたり、あるいは意外性をそ
こにまぜた。たとえば無数の魚が泳いでいるのだが、よく見ると全体として迷路になっていると
か。あの「幼児の学習」や「なかよし学習」にしても、私は毎月三〇〇枚以上の原案をかいてい
た。だから繰り返す。

 「ワークやドリルなど、半分がお絵かきになってもよい。それよりも大切なことは、子どもが学
ぶことを楽しむこと。自分はできるという自信をもつこと」と。

++++++++++++++++++++

 つまり、私の教室は、そんじょそこらにの、いいかげんな教室(失礼!)とは、違うということで
す。わかっていただけましたか?

 ぜひ、一度、BW教室の門をたたいてみてください。みなさんの、ご来訪をお待ちしています。
(040107)

【ご注意】見学と同時に、面接もかねさせていただくこともあります。よろしくご了解ください。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


子育て随筆byはやし浩司(476)

EQ(Emotional Quality、人格指数)

●EQとは……

 IQ(Intelligence Quality、知能指数)に対して、EQ(人格指数)という言葉がある。

 IQは、

 IQ=((精神年齢)÷(生活年齢))×100で、計算される。

 精神年齢というのは、知能テストの結果など。生活年齢というのは、その人(子ども)が、生ま
れてから、テストを受けるまでの年齢をいう。

 要するに、IQで、頭のよしあしがわかるということ。しかしここで誤解してはいけないことは、I
Qが高いから、その人(子ども)の人格の完成度が高いということにはならないということ。えて
して、この日本では、(頭のよい人)イコール、(すぐれた人)イコール、(人格の完成度が高い)
とみる。しかしこれは誤解というより、幻想。幻想というより、ウソ!

 しかしその人(子ども)の人格の完成度は、もっと、別の方向からみなければならない。それ
が、EQである。

●EQ

 EQを最初に提唱したのは、D・ゴールマンである。彼は、ハーバード大学を出たあと、ジャー
ナリストとして活躍しているうちに、「EQ、こころの知能指数」を発表。この本は、たちまちベスト
セラーになり、日本でも翻訳出版された。一九九〇年代の中ごろのことだった。

 一般論として、以前から、IQの高い人(子ども)ほど、心が冷たいとよく言われる。それは、
(頭がよい人間)の特有の症状と考えてよい。

 ある子ども(小五男児)は、こう言った。「みんなバカに見える」と。「算数の授業でも、ほかの
ヤツら、どうしてこんな問題が解けないのかと、不思議に思うことが多い」と。

 彼は進学塾でも、飛び級をして、学習をしていた。

 こうした優越感が、ほかの子どもとの間に、カベをつくる。そして結果として、その子どもだけ
が、遊離してしまう。そしてさらにその結果、他人から見ると、「心の冷たい子ども」ということに
なる。

 しかしこれは、多分に誤解による部分もないとは言えない。

●IQの高い子どもは、誤解されやすい 

 私の印象に残っている子どもに、N君という子どもがいた。私は、彼を、幼稚園の年中児のと
きから、小五まで教えた。

 そのN君が、年中児のときのこと。ふと見ると、彼が、箱の立体図を描いているのがわかっ
た。この時期、箱の立体図を、ほぼ正確に描ける子どもは、数百人に一人もいない。(あるい
は、もっと少ない。)

 それまでは、私は、N君は、どこか得体の知れない子どもとばかり思っていた。しかし彼がそ
う見えたのは、彼にしてみれば、まわりが、あまりにも幼稚すぎたからである。

 以後、N君は、天才的ともいうべき能力を発揮した。が、N君の母親はいつも、こう悩んでい
た。

 「いつも先生や、友だちに、生意気だと言って、嫌われます」と。

 たしかにN君は、一見、生意気に見えた。中学生が方程式を使って解くような問題でも、N君
は、独自の方法で、解いてしまったりした。彼が小学四、五年生のころのことである。

●しかしEQも大切

が、だからといって、私は、(IQの高い子ども)イコール、(人格者)と言っているのではない。事
実は、その逆のことが多い。

 一般的に、IQの高い子どもには、つぎのような特徴が見られる。

(1)自分の優秀性を信ずるあまり、ほかの人(子ども)を、見くだす。
(2)そのため、仲間から遊離しやすく、孤独になりやすい。
(3)協調性がなく、人間関係をうまく調整できず、がり勉になりやすい。
(4)結果的に友人が少なくなる。心を開けなくなる。独善、独断に陥りやすい。

 そこでIQの高い人(子ども)は、同時に、EQを高めなければならない。そのEQは、つぎのよ
うな視点から、判断される。

(1)感情のコントロールは、できるか。
(2)統率力、判断力、指導力はあるか。
(3)弱者や下位の者に対して、共鳴力、共感力はあるか。
(4)決断力、行動力、性格の一貫性はあるか。

 この中で、とくに重要なのは、(3)の、弱者や下位の者に対して、共鳴力、共感力はあるかと
いう点である。わかりやすく言えば、より相手の立場になって、ものを考えられるかということ。

●EQは、思春期までに完成される

 このEQは、思春期までに完成され、それ以後、そのEQが、大きく変化するということは、な
い。つまりこの時期までの、人格の完成度が、その後の、子どもの人格のあり方に、大きく影
響する。

 しかしこの日本では、ちょうどこのころ、子どもたちは、受験勉強を経験する。この受験勉強
の弊害をあげたら、キリがないが、その一つが、ここでいうEQへの悪影響である。

 私は幼児から高校三年生まで、一貫して子どもを教えているが、この受験期にさしかかると、
子どもの心が、大きく変化するのを知っている。この時期を境に、ものの考え方が、どこか非
人間的(ドライ)になり、かつ合理的、打算的になる。

 親は、成績がよくなることだけを考えて子どもに勉強を強いる。あるいは、進学塾へ、入れ
る。が、こうした一方的な教育姿勢が、心の冷たい子どもを作る。そしてその結果、回りまわっ
て、今度は、親自身が、さみしい思いをすることになる。

 「おかげで、いい大学へと、喜んでみせる、そのうしろ。そこには、かわいた秋の空っ風」と。

 受験勉強は、この日本では、避けては通れない道かもしれないが、子育ては、それだけでは
ない。そういう視点から、もう一度、EQを考えてみてほしい。

子育ては、失敗してみて、それが失敗だったと、はじめてわかる。だれも、「うちの子は、だいじ
ょうぶ」「うちにかぎって……」と思って、無理をする。そして失敗する。あああ。私の知ったこと
か!
(040107)

【追記】

 あなたの親類でも近所でもよい。とくに戦後直後の、出世主義の教育を受けた人ほど、そう
だ。

 そういう人の中で、高学歴をもって、有名企業に入った人を観察してみるとよい。
 
 もちろん中には、そうでない人も多いが、一方、全体としてみると、あなたはそういう人ほど、
心の冷たい人だと知るだろう。それについて書いたのが、つぎの原稿である。

+++++++++++++++++++

●受験勉強

 受験勉強は、「勉強」ではない。ただ言われた知識を吸収して、それをいかにうまく吐き出す
か。それで決まる。それが受験勉強。

 問題は、受験勉強がそういうものであるということではなく、そういう受験勉強で、人間の価値
が決まってしまうということ。「価値」という言い方には、語弊(ごへい)があるが、一般世間の人
は、そう考えている。

 昔、とんでもないほど、ヘンチクリンな高校生がいた。どうヘンチクリンかは書けないが、私は
その子どもを、頼まれるまま、半年間、教えた。週二回の家庭教師だった。

で、その子どもは、やたらと頭だけはよかったが、中味はどこか狂っていた。その高校生は、
やがてS大学の医学部に合格したが、親たちの感謝の言葉とは裏腹に、私はその合格を、ど
うしても喜ぶ気にはなれなかった。むしろ「これでいいのかなあ?」と、疑問に思った。

 つぎにその子どもの消息を聞いたのは、一〇年ほどたってから。そのときその子どもは、M
大学の大学病院で講師をしていた。が、さらに一〇年後。その子ども(「子ども」という言い方
は、適切ではないが……)は、驚いたことに、H市内で、開業した。私はその話を聞いたとき、
ワイフにこう言った。「どんなことがあっても、あの医院だけは行くな」と。

 私は無数の子どもたちをみてきた。若いころは、受験塾の講師もしていたから、同じく無数の
受験生を、大学へ送ってきた。しかしあのころの自分を振りかえって言えることは、「もう受験
指導など、こりごり」ということ。ああいう指導を、何の疑問ももたずにできる講師、つまり受験
屋というのは、やはりどこか頭がヘンチクリンと考えてよい。まともな人間なら、数年で、気がヘ
ンになってしまう。

 たとえば……

 合格した子どもに向かって、「おめでとう」を言ったあとに、振りかえって、不合格だった子ども
に、「残念だったね」と言う。まさに金の切れ目が、縁の切れ目。「教育」と言いながら、どこにも
教育の要素など、ない。

受験指導は、あくまでも「指導」。もっとはっきり言えば、要領の問題。小ズルイことを、スイスイ
とうまくできる子どもほど、有利。またそういうことを教えるのが、受験指導。

 つい先日も、その種の本の広告が、新聞に大きく載っていた。並べてみる。

「スイスイ、一流大学、合格法」(仮題)とか。

●直感で、「できない」と思った問題には手をつけるな。
●面接では、あたりさわりのないことを言え。奇抜なことを言うな。
●時間配分をまちがえるな。簡単な問題はミスをするな。
●作文テストは、減点法で勝負、など。

 たしかにその通りだが、こうまで堂々と書かれると、「どうか?」と思ってしまう。しかし現実に
受験競争がある以上、それにさからってもしかたない。が、どこか低レベル。「本当に、これで
いいのかな?」と思うほど、低レベル。ワイフにそのことを話すと、「こういう人間を見ない教育
はこわいわね」と。私も、そう思う。

 もっとも、今、受験生をもつ親や、受験勉強で苦しんでいる子どもに向かって、こんなことを言
ってもはじまらない。それはちょうど、金持ちが、「お金なんてむなしいものです」と言うのに似て
いる? どこかの大学の総長が、「学歴制度なんて、もうありません」と言うのに似ている? そ
のお金や学歴を、死ぬほど乞い求めているいる人だっている。

 しかし今、それこそワラをもつかみたい思いで苦しんでいる人に向かって、受験の心得と
は? それはちょうどガンで苦しんでいる人に向かって、あやしげなガン治療薬を売りつけるよ
うなものだ。そもそも、こういう受験屋に向かって、良心を求めるのがおかしい? だから批判
したり、批評したりしても、ムダ?

 日本の教育制度は、どこか狂っている。その狂った教育制度の中から、これまた狂った子ど
もたちが生まれている。それだけではない。この狂った教育制度が、いかに親子のきずなを破
壊し、ついで家庭を破壊していることか。そしてその結果、それほど「力」のない人が、王座に
君臨する一方、まじめで良心的な人たちが、食いものになっている!

たとえばこの日本では、人生の入り口でほんの少しだけがんばって、高級官僚になれば、あと
は死ぬまで、地位と収入が保証される。仕事も役職も、つぎつぎと回ってくる。しかしその入り
口をはずすと、一生、そういう仕事には、ありつけない。ガードはかたい。採用試験すら受けら
れない。まず、その採用試験すら、ない。それともあなたは、職安の掲示板に、「○○図書館、
館長職、募集中」などという張り紙を見たことがあるだろうか。

 この日本では、どんな形でもよい。役人のポストがあれば、それについたほうが、絶対、有
利。得。安全。無事。生涯、食いはぐれることはない。しかしみなが、そう思ったら、この日本は
どうなる? みなが、そう思って、公務員になったら、この日本はどうなる?

 そういう社会の入り口に、実は、受験競争がある。言いかえると、受験勉強も、ヘンチクリン
な子どもも、結局は、その狂った社会の申し子にすぎない。その狂った社会が、今の日本の社
会の基盤になっている。

 ……と、またまた頭が熱くなってしまった。少し過激な意見になってしまった。自分でもわかっ
ている。しかしこれだけは言える。

 どんな年齢になっても、またどんな回り道をしても、その人がその時点からがんばったとき、
その人の実力が認められるような社会にしないと、本当に日本はダメになるということ。

そんなにがんばらなくても、公的な保護や恩恵を受けてヌクヌクと生きている人が、ふえればふ
えるほど、本当に日本はダメになるということ。それでもよいなら、私は、もう何も言わない。そ
ろそろ、私の心の中には、こんな思いが芽生え始めている。「どうぞ、ご勝手に!」と。「もう、知
ったことか!」と。あるいは、尾崎豊の言葉を借りるなら、「クソ食らえ!」か。このところ、こうい
う問題を考えるのも、疲れてきた。

+++++++++++++++++++

こう書くと弁解がましく聞こえるかもしれないが、私は何も、公務員の人を、個人攻撃している
わけではない。だからあなたがもし公務員でも、あるいはあなたの近くに公務員の人がいると
しても、そういう人に、この問題をあてはめないでほしい。

数年前も、「あなたはそう言うが、私の夫は、公務員として、その責務をまじめに果している。そ
ういう人もいるということを忘れないでほしい」という抗議の手紙をもらったことがある。それに
は長々と、その夫の一日のスケジュールまで書かれていた。

しかし私が問題としているのは、個々の公務員といわれている人の問題ではなく、あまりにも
肥大化しすぎた公務員社会、もっと言えば強大化しすぎた官僚制度である。この日本では、何
をするにも、資格だの、免許だの、許可がいる。そしてそういう許認可権のもとじめに、役人が
いて、日本の社会をがんじがらめに、しばりあげている。

ここにメスを入れないと、日本の社会は、本当にダメになる。それを言っている。

どうか誤解のないようにしてほしい。

+++++++++++++++++++

●EQ

その人のEQは、先にも書いたように、「弱者や下位の者に対して、共鳴力、共感力はあるか」
で決まる。

 言いかえると、もし、あなたが今、自分で心の冷たさに気づいたら、いつも相手の立場でもの
を考えるようにするとよい。時間はかかるが、やがてあなたは自分のEQを、高めることができ
る。

 かく言う私も、はげしい受験勉強を経験している。そしてその時期を境に、ものの考え方が変
ったのを知っている。しかしそれに気づくのに、一〇年。少しだけ自分を変えるのに、さらに一
〇年はかかった。そんなことを考えながら書いたのが、つぎの原稿である。

+++++++++++++++++++

●問題のある子ども

 問題のある子どもをかかえると、親は、とことん苦しむ。学校の先生や、みなに、迷惑をかけ
ているのではという思いが、自分を小さくする。

よく「問題のある子どもをもつ親ほど、学校での講演会や行事に出てきてほしいと思うが、そう
いう親ほど、出てこない」という意見を聞く。教える側の意見としては、そのとおりだが、しかし実
際には、行きたくても行けない。恥ずかしいという思いもあるが、それ以上に、白い視線にさら
されるのは、つらい。

それに「あなたの子ではないか!」とよく言われるが、親とて、どうしようもないのだ。たしかに
自分の子どもは、自分の子どもだが、自分の力がおよばない部分のほうが大きい。そんなわ
けで、たまたまあなたの子育てがうまくいっているからといって、うまくいっていない人の子育て
をとやかく言ってはいけない。

 日本人は弱者の立場でものを考えるのが、苦手。目が上ばかり向いている。たとえばマスコ
ミの世界。私は昔、R社という出版社で仕事をしていたことがある。あのR社の社員は、地位や
肩書きのある人にはペコペコし、そうでない(私のような)人間は、ゴミのようにあつかった。電
話のかけかたそのものにしても、おもしろいほど違っていた。

相手が大学の教授であったりすると、「ハイハイ、かしこまりました。おおせのとおりにいたしま
す」と言い、つづいてそうでない(私のような)人間であったりすると、「あのね、あんた、そうは
言ってもねエ……」と。それこそただの社員ですら、ほとんど無意識のうちにそういうふうに態
度を切りかえていた。その無意識であるところが、まさに日本人独特の特性そのものといって
もよい。

 イギリスの格言に、『航海のし方は、難破したことがある人に聞け』というのがある。私の立場
でいうなら、『子育て論は、子育てで失敗した人に聞け』ということになる。実際、私にとって役
にたつ話は、子育てで失敗した人の話。スイスイと受験戦争を勝ち抜いていった子どもの話な
ど、ほとんど役にたたない。

が、一般の親たちは、成功者の話だけを一方的に聞き、その話をもとに自分の子育てを組み
たてようとする。たとえば子どもの受験にしても、ほとんどの親はすべったときのことなど考えな
い。すべったとき、どのように子どもの心にキズがつき、またその後遺症が残るなどということ
は考えない。この日本では、そのケアのし方すら論じられていない。

 問題のある子どもを責めるのは簡単なこと。ついでそういう子どもをもつ親を責めるのは、も
っと簡単なこと。しかしそういう視点をもてばもつほど、あなたは自分の姿を見失う。あるいは
自分が今度は、その立場に置かされたとき、苦しむ。

聖書にもこんな言葉がある。「慈悲深い人は祝福される。なぜなら彼らは慈悲を示されるだろ
う」(Matthew5-9)と。この言葉を裏から読むと、「人を笑った人は、笑った分だけ、今度は自分
が笑われる」ということになる。そういう意味でも、子育てを考えるときは、いつも弱者の視点に
自分を置く。そういう視点が、いつかあなたの子育てを救うことになる。
(040107)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(477)

世界から……

●異常気象?

今年の冬も暖かい?

地球温暖化は、進んでいるのか?

三〇年程前には、オーストラリアのメルボルンは、世界でももっとも住みやすい場所ということ
になっていた。春夏秋冬を通して、一年中、気候が温暖で、かつ、寒暖の差が、あまりなかっ
た。

 しかしここ一〇年、その気候は、大きく変わった。とくにこの四、五年、夏になると、気温が四
〇度を超えることも珍しくない。そして今年、つまり今のことだが、メルボルンに住むD君のメー
ルによると、「一〇〇年来の、記録的な猛暑だ」という。

 日本は、ラッキーな国だ。四方を海に囲まれ、中央には、三〇〇〇メートル級の山々が連な
っている。この地形的な特徴のため、気候が、ほかの地域にくらべて、穏やかに保たれてい
る。が、オーストラリアには、大きな砂漠がある。この砂漠で熱せられた熱波が、メルボルンの
ような海岸線にある都市を、襲う。

 去年の夏、ヨーロッパ大陸を襲った熱波は、まだ記憶に新しい。フランスなどは、記録的な猛
暑で、何百人という人が、熱射病で死んでいる。日本はその分、冷夏だったが、しかし冷夏と
言い切ってよいのか。五〇年前の日本の夏は、毎年、そうだった。

 私が子どものころには、夏の盆が過ぎると、突然、冷たい風が吹き始め、川へ入ることすら
できなかった。今とくらべても、夏は、ずっと短かったように思う。が、今では、九月に入っても、
気温が三〇度を超えることも、珍しくない。数年前には、一〇月に入っても、三〇度を超えてい
た!

 気象庁は、よく、「平年」という言葉を使うが、あれは、過去三〇年間の平均気温をいう。三〇
年ごとに、気温が、一度ずつあがっても、「平年並み」ということになってしまう。

 地球の温暖化が進んでいることは、もうだれの目にも疑いようがない。しかもその進行速度
は、学者たちが予想しているよりも、はるかに速い。このまま進めば、西暦二一〇〇年を待た
ずして、地球の気温は、三〇〇度とか、四〇〇度になるかもしれない。そんな説も、実際に、な
いわけではない。

 こうした地球温暖化を防ぐために、いろいろな会議が開かれている。そしていろいろな方策
が考えられている。人間の英知が、この問題を解決することを、私は願うが、しかし科学者だ
けに任せておくことはできない。私たちは私たちで、しておくべきことがある。

 つまり、心の準備である。

 やがてこの地球上では、人類がかつて経験したことがないような、地獄絵図が繰りひろげら
れることになるかもしれない。気温が三〇〇度とか、四〇〇度とかになることはないにしても、
平均気温が数度あがっただけで、この日本でさえ、夏には、灼熱(しゃくねつ)地獄になる。仮
に日中の気温が、四五〜五〇度になれば、クーラーさえ、きかなくなる。

 そのとき、私たちは、どういう行動をするだろうか。

 灼熱の暑さで苦しんでいる人を助け、励ますだろうか。それとも、我こそはと、より涼しい場所
を求めて、その場所を奪いあうだろうか。どちらであるにせよ、これだけは言える。

 そういう「最期のとき」が来たとき、(あくまでも仮定の話だが……)、私たちはその最期を、静
かに、迎え入れることができるよう、心の準備をしておかねばならないということ。そのとき、あ
わてててジタバタしても、始まらない。なぜなら、今、私たちは、あまりにも好き勝手なことをしす
ぎている。

 そういう好き勝手なことを、し放題しておきながら、温暖化は困るというのは、あまりにもムシ
がよすぎる。

 一つの方法は、今から、私たちは、できることをする。一つは、地球温暖化に結びつくような
ことはしない。もう一つは、あとで悔いが残らないように、懸命に生きる。懸命に生きて、生き抜
く。そうすれば、仮に最期のときがきても、その最期を、安らかな気持で迎え入れることができ
る。

 何とも暗いエッセーになってしまった。しかし、安心してほしい。

 すでにいくつかの方法が、考えられている。宇宙空間に、亜硫酸ガスをまいて、太陽光線を
遮断するという方法など。どこかSF的だが、そのときがくれば、人間も、必死で、その打開策を
考える。地球の温暖化を、最後の最後のところでくい止める方法は、ないわけではない。

 が、それでも失敗したら……。

 何%かの人類を、宇宙空間へ避難させるという方法もあるし、同じく、地下都市に住むという
方法もある。地球温暖化を前提としたような実験も、世界中で始まっている。

 が、それでも失敗したら……。

 かつて恐竜が絶滅したように、人類も絶滅するかもしれない。しかしそのときでも、わずかな
生命の痕跡(こんせき)は残り、それが次世代の生命として、進化していくかもしれない。たとえ
ばゴキブリ。

 あのゴキブリは、生き残り、一億年後か、二億年後かに、進化して、今の人間のようになるか
もしれない。なって、社会をつくり、文化を発展させるかもしれない。もちろん学校もつくる。そし
て、ある日、ゴキブリの先生が、子どもたちに向かってこう言う。

 「みなさん、これからヒトの骨の発掘調査に行きましょう。もなさんも、ご存知のように、今から
二億年前、この地上には、ヒトと呼ばれる大きな生き物が住んでいました。

 愚かな生物で、殺しあったり、奪いあったりしているうちに、環境を、自ら破壊してしまい、結
局は絶滅してしまいました。

 そのとき私たちの祖先は、ヒトに嫌われ、見つけられると、すぐ殺されました。私たちの祖先
は、ヒトには、嫌われていたのですね。

 さあ、みなさん、ここにあるのが、そのヒトの骨です。大きいでしょう。足の大きさだけでも、皆
さんの数百倍はあります。二億年前には、こんな大きな生物が、この地上を、ノシノシと歩いて
いたのですね」と。

 それを聞いた、ゴキブリの子どもたちは、こう言って、歓声をあげる。

 「ワー、これがそのヒトの骨〜エ? 大きいなア」と。

 すると先生が、またこう言う。

 「そう、それは、ヒトの中でも、バカナヒトザウルスの骨です。発掘調査により、この骨のヒト
は、名前もわかっています。で、その名前は、ええとですね、ハヤシ・ヒロシという名前だったそ
うです」と。

 最後の部分は、冗談だが、しかしこの宇宙では、二億年なんて、一瞬。星がキラリとまばたき
する間にすぎる。かつて恐竜の時代に、私たちの先祖がネズミのような生き物だったことも考
えれば、何も、「命」を、人間だけにこだわることもない。

 つまりそういう視点も、忘れてはならない。これが私がいう、「心の準備」ということになる。

 しかし……。私たちは、よい。一応、それなりに人生を楽しむことができた。しかしこれからの
子どもたちのことを考えると、正直言って、気が重くなる。私たちが好き勝手なことをしたおか
げで、子どもたちが、あるいは私たちの孫たちが、その地獄絵図を見ることになるかもしれな
い。

 何とも申しわけない気持になるのは、私だけか……?
(040107)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(478)

【近況】

●野鳥の死

 今朝、起きると、ワイフが、居間にいて、こう言った。「たった今、野鳥が、窓ガラスに当たっ
た!」と。

 見ると、見たこともない美しい鳥が、地面にうずくまっていた。ハナ(犬)は、前回のこともあ
り、神妙な顔をして、遠巻きに、それをながめていた。

 数週間前、ハナは、同じように巣から落ちてきた、キジバトの子どもをかみ殺すという、信じ
がたい残虐なことをした。そのとき、私は、ハナの尻を、思いきり蹴とばした。ハナも、少しは、
学習したらしい。

 手でくるんで居間へもってくると、体は動くものの、首がたれて、動かない。「首の骨が折れて
るみたいだ」と言うと、ワイフが心配そうな顔をした。

 「もう、ダメ?」
 「みたいだな……」と。

 果物が入っていたバスケットをあけると、そこに白い紙を敷いた。そしてその上に、そっと、野
鳥を置いた。一瞬、私を見たようだった。そして、それにあわせて、一瞬、羽をバタバタさせた。
しかしそれが最期だった。

 しばらくすると、動きをやめた。まぶたが、ゆるんだ。

 私はそれを日当たりのよい暖かい床の上に置いた。美しい鳥だった。

 「どこかで子育てをしていたかもしれないな」と私。
 「そうかもしれないね」とワイフ。
 「子どもは、お母さんが帰ってこないから、心配しているよ」
 「お父さんはいないのかしら?」
 「さあね……」と。 

 私は、そのまま、自分の生活にもどった。新聞を読み、それから靴下をはいた。しばらくする
と、ワイフがうしろから、こう言った。

 「どんどん、体が冷たくなっているわ」と。

 鳥は死ぬと、すぐ冷たくなる。そして体の硬直が始まる。私は、「死んだな」と思った。しかしそ
れは言わなかった。

 のどかな朝だった。風もない。見るとハナがそこにいて、私の方を心配そうに見ていた。「い
いか、鳥は、友だちだ。殺してはいけないよ」と。

 朝ごはんを食べているときも、野鳥は、まったく動かなかった。食べ終わったときも、まったく
動かなかった。

 ワイフが、「目を閉じたわ」と言った。「さっきね、まぶたをさげてあげた……」と、私は言った。

 死は厳粛なもの。しかしやってくるときは、本当にあっけなく、やってくる。私はその野鳥の静
かな表情を見ながら、そう思った。


●ビデオ「TAKEN」を見る

S・スピルバーグ監督の「TAKEN」を見る。

 少し前、文庫本(竹書房文庫)を読んだので、興味があった。好き好きもあるのだろうが、結
構、楽しかった。今日までに、ビデオのVOL・1と、VOL・2の二つを見た。午後から、VOL・3
を見るつもり。

 内容は、まさにUFOづくし。今までの映画のように、どこかもったいぶったような出方はしな
い。UFOが、随所に、サラサラと出てくる。しかしあまりにもサラサラと出てくるため、かえって
違和感を覚える。

 本の帯には、「未知との遭遇、E・Tにつづく、スピルバーグ永遠のテーマ、ここに完結」とあ
る。スピルバーグ自身も、「異性人による誘拐(アブダクション)には、ずっと興味をもってきた
んだ。アブダクションを題材にした、無限の可能性を秘めたストーリーを追求しつづけること
に、楽しみを見出しているんだよ」(同文庫)と語っている。

 ビデオを見ながら、「本」と、「ビデオ」の違いを考える。もっとも、本そのものが、映画撮影と
同時進行で書かれたものなので、基本的には、内容は同じ。しかし本から受ける印象と、映画
から受ける印象は、かなり違う。

 おもしろさという点では、ビデオのほうが、本より、ダントツに、おもしろい。

 また映画のできとしては、★★★(★が三つ)。UFOファンの人なら、星を、四つ、つけるかも
しれない。

 「?」と思う場面もなかったわけではない。たとえば宇宙人が、人間の姿や、ぬいぐるみに化
けるところ。「もしそれほどまでに高度な技術(?)があるなら、何も、そんなことをしなくても…
…」と、あちこちで、思った。

 しかしVOL・1と、VOL・2を見ると、どうしても、VOL・3を見たくなる。それで、今日の午後、
見ることにした。

 「あんなバラバラの映画にしてしまって、最後は、どうやってまとめるのかね?」とワイフに話
すと、ワイフも、「そこが問題ね」と笑った。また、その報告は、次回に!
(040109)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(479)

【特集】子どもの叱り方

★子どもに恐怖心を与えないこと。

そのためには、

子どもの視線の位置に体を落とす。(おとなの姿勢を低くする。)
大声でどならない。そのかわり、言うべきことを繰り返し、しつこく言う。
体をしっかりと抱きながら叱る。
視線をはずさない。にらむのはよい。
息をふきかけながら叱る。
体罰は与えるとしても、「お尻」と決める。
叱っても、子どもの脳に届くのは、数日後と思うこと。
他人の前では、決して、叱らない。(自尊心を守るため。)
興奮状態になったら、手をひく。あきらめる。(叱ってもムダ。)

++++++++++++++++++++

子どもを叱るときは、
@目線を子どもの高さにおく。
A子どもの体を、両手で固定する。
B子どもから視線をはずさない。
C繰り返し、言うべきことを言う。

++++++++++++++++++++

@子どもが興奮したら、中止する。
A子どもを威圧して、恐怖心を与えてはいけない。
B体罰は、最小限に。できればやめる。
C子どもが逃げ場へ逃げたら、追いかけてはいけない。
D人の前、兄弟、家族がいるところでは、叱らない。
Eあとは、時間を待つ。
Fしばらくして、子どもが叱った内容を守ったら、
「ほら、できるわね」と、必ずほめてしあげる。

+++++++++++++++++++++

ほめ方

★人前でおおげさにほめること。

古代ローマの劇作家のシルスも、
「忠告は秘かに、賞賛は公(おおやけ)に」
と書いている。
頭をなでるなど、スキンシップを併用する。
繰り返しほめる。
ただしほめるのは、
努力とやさしさにとどめる。
顔、スタイルは、ほめないほうがよい。
「頭」については慎重に!

はやし浩司
===========

(叱り方・ほめ方)

●叱り方・ほめ方は、家庭教育の要(かなめ)

 子どもを叱るときの、最大のコツは、恐怖心を与えないこと。「威圧で閉じる子どもの耳」と考
える。中に親に叱られながら、しおらしい様子をしている子どもがいるが、反省しているから、
そうしているのではない。怖いからそうしているだけ。親が叱るほどには、効果は、ない。
叱るときは、次のことを守る。
@人がいうところでは、叱らない(子どもの自尊心を守るため)、
A大声で怒鳴らない。そのかわり言うべきことは、繰り返し、しつこく言う。「子どもの脳は耳か
ら遠い」と考える。聞いた説教が、脳に届くには、時間がかかる。
B相手が幼児のばあいは、幼児の視線にまで、おとなの体を低くすること(威圧感を与えない
ため)。視線をはずさない(真剣であることを、子どもに伝えるため)。子どもの体を、しっかりと
親の両手で、制止して、きちんとした言い方で話すこと。にらむのはよいが、体罰は避ける。特
に頭部への体罰は、タブー。体罰は与えるとしても、「お尻」と決めておく。実際、約五〇%の親
が、何らかの形で、子どもに体罰を与えている。
 次に子どものほめ方。古代ローマの劇作家のシルスも、「忠告は秘かに、賞賛は公(おおや
け)に」と書いている。子どもをほめるときは、人前で、大声で、少しおおげさにほめること。そ
のとき頭をなでる、抱くなどのスキンシップを併用するとよい。そしてあとは繰り返しほめる。

とくに子どもの、やさしさ、努力については、遠慮なくほめる。顔やスタイルについては、ほめな
いほうがよい。幼児期に一度、そちらのほうに関心が向くと、見てくれや、かっこうばかりを気に
するようになる。実際、休み時間になると、化粧ばかりしていた女子中学生がいた。

また「頭」については、ほめてよいときと、そうでないときがあるので、慎重にする。頭をほめす
ぎて、子どもがうぬぼれてしまったケースは、いくらでもある。
 叱り方、ほめ方と並んで重要なのが、「励まし」。すでに悩んだり、苦しんだり、さらにはがん
ばっている子どもに向かって、「がんばれ!」はタブー。ムダであるばかりか、かえって子どもか
らやる気を奪ってしまう。「やればできる」式の励まし、「こんなことでは!」式の、脅しもタブー。
結果が悪くて、子どもが落ち込んでいるときはなおさら、そっと「あなたはよくがんばった」式の
前向きの理解を示してあげる。

 叱り方、ほめ方は、家庭教育の要であることはまちがいない。
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こんな怒り方は、がまんのし方は、
子どもを、ダメにする!
はやし浩司

「別冊PHP」(1997年・7月号より転載)

 子育ては、言わば、条件反射の集まりのようなものです。そのとき、その場で、いちいち考え
て子どもを叱ったり、怒ったりする人はいません。たいていの人は、「頭の中ではわかっている
のですが、その場になると、ついカーッとして……」と言います。

 ただ最近の傾向としては、小子化の流れの中で、子どもの機嫌をそこねまいと、叱るべきと
きに叱らない親、怒るべきときに怒らない親がふえています。あるいは強く叱ったあとに、「さっ
きは、ごめんね。お母さんが悪かった」と、子どもに謝る親も珍しくありません。こういう親の心
のスキ間をねらって、子どもはドラ息子、ドラ娘化します。

 また子育てに不安を抱いていたり、子どもに何らかの不信感をもっている親は、どうしても子
どもを必要以上に強く叱ったり、怒ったりします。「いったい、いつになったら、あなたは私の言
うことが聞けるの!」と、です。あとはこの悪循環の中で、子どもはますます自分で考えたり判
断したりすることができなくなり、親の叱り方はますますはげしくなるというわけです。

 が、何が悪いかといって、親の情緒不安ほど悪いものはありません。先週は子どもがお茶を
こぼしたときは何も言わなかった親が、今週は、子どもがお茶をこぼしたりすると、子どもの顔
が青ざめるほど子どもを怒鳴り散らすなど。こういう環境では、子どもの性格は内閉し、さらに
悪い場合には、精神そのものが萎縮してしまいます。

 園や学校などでも、皆が大声で笑うようなときでも、皆と一緒に笑えず、口もとをゆがめてクッ
クッと笑うなど。なお悪いことに、このタイプの親は、静かで従順な子どもほど、「いい子」と誤解
して、ますます子どもを悪い方向に追いやってしまう傾向があります。

 叱り方、がまんのし方は、子育ての中でも要(かなめ)と言えるほど、重要であり、またそれだ
けに難しいことおです。叱るときや、がまんするときは、「ここが教育」と心してあたるようにしま
す。

+++++++++++++++++++++

ポイント1

朝、ぐずぐずする。……ストレスを発散させてやる

 子どもは、自分の精神状態をうまくコントロールできません。そのため、心理的な抑圧状態が
続いたり、欲求不満が蓄積すると、それを「ぐずる」という方法で、表現します。暴れたり、暴言
を吐いたりするのをプラス型とするなら、ぐずるタイプはマイナス型ということになります。

 だから表面的な症状だけをとらえて、それを悪いことだと決めてかからないこと。対処方法と
しては、ぐずるだけぐずらせながら、(たいていはぐずることによって、子どもはストレスを発散
させる)、様子をみます。それでもぐずるようであれば、原因をさがしますが、情緒が不安定な
子どもの場合、原因そのものがはっきりしないのが、ふつうです。

そういうときは、カルシウム、マグネシウムの多い食生活に心がけながら、スキンシップを、より
濃厚なものにします。叱ったり、つきはなしたりすることは、かえって逆効果で、症状をこじらせ
ます。


ポイント2

忙しいときに、まとわりつく……早めに子離れ、親離れの準備を

 こんなことがありました。あるオランダ人夫妻(夫はイギリス人、妻はオランダ人)の家に遊び
に行ったときのこと。五歳になる女の子が、たまたま読書をしていたお母さんに話しかけてきま
した。そのときお母さんは、ひととおり女の子の言い分に耳を傾けたあと、その女の子にこう言
いました。「お母さんは、今、本を読んでいます。じゃましないでね」と。

 欧米人は(自分の時間)(子どもと接する時間)というのを、実にはっきりと使い分けていま
す。欧米流の子育て法が、必ずしもよいというわけではありませんが、こういう毅然(きぜん)と
した態度が、「私は、私。あなたはあなた」というものの考え方を育てていきます。

 つまるところ子育てというのは、子どもを自立させ、よき家庭人に育てることです。そういう視
点に立つなら、親はできるだけ早い時期に、子離れの準備をし、子どもには親離れの心がまえ
をもたせます。忙しかったら、「忙しいから、あとでね……」と言う。子どもの遠慮する必要はあ
りません。


ポイント3

外出時に言うことを聞かない……自己主張には耳を傾ける

 自己主張とわがままは区別します。また自己主張と、とじこもり(がんこ)は区別します。自己
主張には、それをする理由がありますが、わがままにはありません。「お兄ちゃんは、この前、
○○をしてもらったのに、ぼくはしてもらっていない」と訴えるのは、自己主張ですが、理由もな
く、「あれほしてほしい、これをしてほしい」と騒ぐのは、わがままです。また自分の「カラ」に閉じ
こもり、がんこになることは自己主張とは言いません。

 そこで子どもがワーワーと、その自己主張を始めたら、反論すべきことは反論しながらも、子
どもの言い分には、耳を傾けるようにします。その自己主張をする子どもほど、あとあとたくま
しい子どもになります。根性(がんばる力)や、忍耐力(いやなことをがまんしてする力)も、そこ
から生まれます。

 わがままに対しては、一般的には、無視するという方法で対処します。わがままは言ってもム
ダだという環境を整えるようにします。子どもの「がんこ」については、生まれつきの問題、さら
には情緒の問題がからむため、無理をすれば、かえって逆効果です。


ポイント4

片づけをしない……こまごましたことは言わない

 子どもに「先生の話をよく聞くのですよ」とか、「友だちと仲よくするのですよ」と言っても、意味
がありません。具体性がないからです。そういうときは、「先生が、どんな話をしたか、あとでマ
マに話してね」とか、「この○○を、Aさんにもっていってあげてね。きっとAさん、喜ぶわよ」と言
いなおします。同じように、子どもに、「部屋のあと片づけをしなさい」と言っても、意味がありま
せん。子どもには、その必要性がないからです。

 こういうときは、たとえば「おもちゃは一つ」と教えます。遊ぶおもちゃはいつも一つ、と決めさ
せるわけです。こうすれば、子どもは次のおもちゃで遊びたいがため、前のおもちゃは片づけ
るようになります。

 しかし一言。子どもにとっては、家庭は休息とやすらぎの場所だということを忘れてはなりま
せん。アメリカの劇作家は、こう言っています。「ビロードのクッションの上よりも、カボチャの頭
の上に座ったほうが、気が休まる」と。子どもが外の世界をもつようになったら、こまごまとした
ことを、あまりうるさく言わないことです。


ポイント5

兄弟げんか……よき聞き役に

 兄弟げんかについて、いろいろ言われています。「歳の近い姉妹は、憎しみ相手」とか、「仲
のよい兄弟ほど、よくけんかする」とか、など。さらに下の子どもが生まれると、本能的な嫉妬
心から、上の子どもが赤ちゃんがえりを起こしたり、下の子どもに陰湿かつ執拗(しつよう)ない
じめを繰り返すこともあります。

 しかし常識の範囲内の、ふつうの兄弟げんかなら、させたいだけさせます。子どもは兄弟げ
んかを通して、社会性を学び、問題解決の技法を学びます。互いのライバル心が、子どもどう
しを伸ばすこともあります。

 ただしいくつかのルールがあります。まず暴力に訴え始めたら、制止すること。次に互いの言
い分をよく聞きながらも、親側が判断をくだしたり、一方的に一方を責めたり、罰したりしないこ
とです。

 要するに「よき聞き役」になるということですが、たいていはそれで兄弟げんかはおさまりま
す。


ポイント6

勉強しない……勉強は楽しいものと思わせる

 子どもの勉強ぐせをそぐものに、次の四悪があります。無理、強制、条件、それに比較です。

 能力を超えた勉強を与えることを無理、時間を決めたりノルマを課し、それを強要すること
を、強制といいます。さらに「100点を取ったら、おこづかいを1000円あげる」というのが、条
件。「○○君は、もう小二の漢字が読めるのよ。あなたは読めないわね」というのが、比較で
す。条件づけが日常化すると、子どもは自分自身(「私は私」という考え方)を見失ってしまいま
す。

 ただ幼児の場合、勉強するとかしないとかいうことではなく、「勉強は楽しいものだ」という潜
在意識をつくることに心がけます。イギリスの格言にも、「楽しく学ぶ子どもは、よく学ぶ」という
のがあります。この時期、一度、勉強嫌いにしてしまうと、その後、立ち直るのが、たいへんむ
ずかしくなります。そのためにも四悪は避けます。


ポイント7

泣きやまない……ぼんやりする時間をふやし、ズキンシップを多くする

 子どもの泣き方にもいろいろあります。

 シクシク泣く、くやし泣き。サメザメ泣く、悲し泣き。グズグズ泣く、ぐずる泣き。ワーワー泣く、
訴え泣き。ギャーギャー泣く、ヒステリー泣きなど。また子どもにも、うつ症があります。ささいな
ことを気にして、いつまでも泣く、ジクジク泣いたりします。あるいは突発的に大声をあげて泣き
出したり、暴れたりすることもあります。ほかにかんしゃく発作による、キーキー泣きもありま
す。

 園や学校などで、いい子ぶり、ストレスをためやすい子どもほど、注意します。このタイプの子
どもの対処方法は、まず@一人でぼんやりとできる時間と場所を用意してあげること。家族の
人があれこれ気をつかうのは、かえって逆効果です。次にAカルシウム、マグネシウム分の多
い食生活にこころがけ、Bやさしいスキンシップを大切にします。スキンシップには、人知を超
えた(?)不思議な力があります。魔法の力といってよいかもしれません。特に情緒が不安定な
子どもには、有効です。理由もなく、いつまでも泣き続けるようであれば、このスキンシップを濃
厚にしてみてください。


ポイント8

ものを大切にしない……ハングリーな子どもは伸びる

 ものを大切にしないというのは、いわゆるドラ息子(娘)症候群の一つですが、このタイプの子
どもが裕福な家庭の子どもばかりかというと、そうではないというのが、最近の傾向です。

 その背後には、飽食と甘やかしがあるわけですが、小子化がそれに拍車をかけます。子ども
が何かをほしがる前に、何でもホイホイと与えてしまう、などです。

 子どもの生活力を養う秘訣は、常に子どもをややハングリーな状態に置くことですが、家庭で
はこんなテストをしてみてください。紙とクレヨンを与え、「ここに魔法の木があります。あなたの
ほしいものが、何でもできる不思議な木です。木を描いて、あなたのほしいものをいっぱい描い
てみてください」と指示します。子どもが次々とほしいものを描けばよし。「ほしいものがない」と
か、何か一種類のものだけを描くようであれば、飽食を疑ってみます。生活力の旺盛な子ども
ほど、あらゆる方向に触覚が向いていて、その分だけ、ほしいものをいっぱいもっています。


ポイント9

言葉づかいが悪い……人前できちんと話せればよしとする

 子どもの口にフタをすることはできません。神様でもできません。つまり子どもの口が悪いの
は、当たり前。また言葉づかいが悪いからといって、それを責めても意味がありません。ムダ
です。むしろ悪い言葉も使えないほど、子どもを追いやってしまってはいけません。時にはお母
さんに向かって、「ババア」と言うこともありますが、ものを自由に言うということも、幼児の心の
発達には必要なのです。

 むしろ言葉で注意しなければならないのは、@正しい言葉であるか、A豊かな言葉である
か、です。「ジュース、ほしい」ではなく、「私はジュースを飲みたいです」と言えるかどうか。また
夕日を見たとき、ただ「わー、すごい、すごい」だけではなく、「美しい」「感動的」「ロマンチック
ね」と、いろいろな言葉で表現できるかどうか、です。こうした基本的な言葉能力は、家庭環
境、特に母親の言葉能力によるところが大きい、です。もしあなたの子どもの言葉能力が貧弱
であれば、子どもを責めるのではなく、あなた自身が反省すべきだということです。


ポイント10

テレビゲームばかりする……頭ごなしの禁止命令は避ける

 もう一〇年以上も前から、教育界では、この問題について大論争が続けられています。そし
てその結論は、「時代の流れには逆らわない」です。

 私が子どものころには、マンガの功罪がさかんに論じられていたように思います。一時は「マ
ンガ禁止令」まで出されたことがあります(岐阜県)。しかし当時すでに手塚治虫氏が活躍して
いましたから、今から思えば、ずいぶんと時代錯誤の禁止令だったと思います。

 ただマニアは別です。テレビゲームに夢中になるあまり、現実と空想の世界の区別がつかな
くなってしまったり、四六時中、そのことが頭から離れなくなったり……、というのは、もう「ゲー
ム」ではありません。ある男の子(小五)は、真夜中にまで起きて、一人でゲームをしていまし
た。こうなればやめさせます。

 ふつうは時間と場所を決めて許すとか、反射運動型のゲーム(指先の器用さだけを競うゲー
ム)は避けるという方法で対処します。

(注意)「テレビゲーム」の悪影響については、私がその後、あちこちの原稿で指摘しています。


ポイント11

おねしょ……マイナスは無視。プラスはほめる。

 最近の研究では、おねしょは、多尿症や頻尿症と並んで、大脳生理学の分野で、機能障害
の一つとして説明されるようになってきています。つまり叱ってもムダであるばかりか、かえって
症状をこじらせたり、長引かせたりしまいますから注意してください。よく毎晩、真夜中に子ども
を起こしてトイレへ連れていくというようなことをする人がいますが、子どもをかえって神経質に
してしまい、やはり逆効果です。

 ではどうするか? 子どものおねしょは、「ほめてなおす」です。つまりおねしょをした朝は、そ
れを無視。おねしょをしなかった朝は、それをほめるという方法です。そしてあとはあきらめま
す。

 あるお母さんは、「ようし、あと一、二年は覚悟するぞ。したければしなさい」と宣言しました
が、そう宣言したとたん、いつの間にかおねしょはなおってしまったそうです。

 おねしょというのはそういうものです。子どもにとっては、とても気持ちのよいもの(濡れたふと
んは別!)であることを、理解してあげてください。
(以上、「PHP別冊」、投稿済み)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(480)

●焼津(やいづ)へ行く

 昨日(一月八日)は、午後からヒマだったので、ワイフと焼津へ行ってきた。

 目的は、おいしい魚料理を食べること。

 電車で、約一時間弱。料金は、浜松駅から、片道一人、1110円。

 以前から「一度は、行ってみよう」と、ワイフが言っていた。それに、数か月前、沼津へ行った
とき、よい思いをした。それが忘れられなかった。それで今回も、と思って、出かけた。

 沼津も焼津も、昔から漁港として、栄えた町である。その沼津へ行ったときのこと。漁港の近
くの小さな店に入った。そこで私たちは、びっくりするほど安い料金で、びっくりするほどおいし
い、海鮮どんぶりを食べた。

 それが忘れられなかった。

 が、今回は、期待はずれ! まったくの、期待はずれ!

 焼津の駅から、タクシーで、漁港まで。海産物を売っている女性に、「おいしいところはありま
すか?」と聞くと、「そこのYよ」と。

 が、あいにくと、その「Y」という店は、休業中。で、しかたないので、少し歩いて、「X」という近く
の寿司屋へ。「昼定食」という看板にひかれて、中に入った。

 私は、寿司定食(1200円)、ワイフは、マグロ丼定食(900円)を注文した。しかし、がっか
り! 小さな寿司が六個に、小さなテンプラと、少しだけのザルソバ。おまけに、量の少ないこ
と! ワイフのマグロ丼も、そうだった。切手のように薄いマグロの刺身が、どんぶりの上をお
おっているだけ! 「こんな定食が、1200円ねえ?」「900円ねえ?」という思いで、それを食
べた。

 しかし食べ物のうらみというのは、恐ろしい。私はその定食だけで、焼津が、すっかり嫌いに
なってしまった。「二度と、こんな店には来ないぞ!」という思いで、外へ出た。

 駅までの帰りの道は、歩いた。歩きながら、その寿司屋の悪口ばかり。昼ごはんを食べたば
かりというのに、空腹感を消すことができなかった。で、駅の下にあるコンビニで、お弁当を買
いなおす。ワイフは、鯛焼きを買う。

 しかし、さあ、電車に乗ろうと、駅の二階の通路にあがったとき、どちらかが、「このまま帰る
のは、もったいない」と言い出した。言い出して、どこかを観光することした。

 「焼津には、花咲(はなざわ)の里というのがある」「大崩(くず)れ海岸というのもある」というこ
とで、私たちは、花咲の里を選んだ。「花咲」と書いて、「はなざわ」と読むのだそうだ。

 花咲の里までは、タクシーで、二〇分ほど。料金は、一四〇〇円前後。が、そのタクシーの運
転手が、かわっていた。

 軽い脳梗塞でも起こした人なのか、言葉のロレツが、回らない。おまけに運転のし方が、ユニ
ーク。数秒おきに、アクセルとブレーキを交互に踏む。いろいろな運転のし方があるが、私は、
そういう運転のし方をする人を見たことがない。

 ブーとエンジン音が聞こえたかと思うと、今度は、スーッと車が止まる感じ。これを、数秒おき
に、繰りかえす。「ガソリンの節約か?」とも思ったが、どうも、そうではないようだ。タクシーをお
りたとき、私は軽い船酔いのような状態になっていた。

 で、花咲の里。

 まさにゴースト村(失礼!)。入り口から、上手にある、天台宗・法華寺までを往復したが、そ
の一時間半あまりの間、出あった村人は、一人だけ。「シーズンには、ハイキングの人でにぎ
わう」ということだったが……。

 昔は、ミカン農家として栄えた部落だそうだが、私は窒息しそうなほどの息苦しさを覚えた。

 「こういう部落は、見るのはいいけど、そこに住むとなると、たいへんだろうね」と私。
 「そうね、古いしきたりや、風習があって、たいへんよ」とワイフ。
 「一度、長老の機嫌をそこねたら、それこそ村八分。そんな感じがする」
 「江戸時代の日本、そのままね」と。

 立派な門構えの家が並ぶ。黒塗りの木の塀が、独特の空間をつくる。途中、水車小屋もあ
り、それなりに楽しい。しかし、どうも、なじめない。私は、こうした農村の、その下に潜む、ドロ
ドロというより、グチャグチャになった人間関係をよく知っている。多分、それを知らない都会の
人たちは、ノー天気に、「すてきなところね」と言うかもしれないが……。

 やはり、食べ物のうらみは、大きい。何もかも、悪いほうへ、悪いほうへと考えてしまう。休憩
所というコーナーが作ってあった。そこで私たちは、駅で買った、弁当などを食べた。

 結局、最後まで、私は、焼津の町を好きになることは、できなかった。「もう、二度とくることは
ないだろう」と、自分に言って聞かせながら、帰りの電車に乗った。
(040109)

【観光】

 花咲の里は、春や晩秋のころには、すてきなハイキングコースになるとのこと。村は、美しい
清流に沿って、位置する。

 ただ浜松から行くとなると、それだけの時間とお金をかけて行くほどの価値はないと思う。焼
津へ行ったついでに……ということなら、お薦めスポット。
(マガジンのHTML版のほうで、そのときとった、写真を紹介)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


子育て随筆byはやし浩司(481)

●詮索されるのことの不快感

 久しぶりに、郷里のM市へ帰った。そこでのこと。高校時代の知人に会った。親しい男ではな
い。何かにつけて、私をライバル視する、いやな男だ。その彼が、こう言った。

 「林君、君のホームページを見たよ。君も、なかなか言うねエ。息子さんも、三人もいるのか
ア」と。

 彼は、とっくの昔に、子育てを終わっている。私のホームページなど、読んでも、何の役にも
たたないはず。私も、いろいろな読者を頭の中で考えるが、彼のような人間だけには、読んで
ほしくない。

 ……で、型どおりのあいさつをして別れたあと、私は、同時に、自分自身の中の、(いやな部
分)に気づいた。

 私も、インターネットを始めたころ、グーグルや、ヤフーの検索エンジンを使って、片っ端か
ら、昔の友人や知人を検索したことがある。もちろん興味本位である。

 つまり彼が私に対してしたことは、それと同じだった。どこかで私の名前を聞き、それで私を
検索してみたらしい。そして私のホームページをヒットし、それを読んだ。

 何とも言いいようのない不快感が、心をふさいだ。心臓のカベに、ゴミが張りついたような、不
快感だ。しかしそれは、その男に対する不快感というより、同じことをした自分に対する不快感
だ。

 で、私は、心に決めた。「必要もないのに、他人を詮索するのはやめよう」と。

 そのサエたるものが、あのテレビのワイドショーである。今朝もワイドショーは、タレントの私
生活を、あれこれ暴露していた。中には、そういうふうに暴露させながら、自分の宣伝に使って
いるタレントもいると聞くが、そういう私生活を詮索して、それがどうだというのか。何になるとい
うのか。それに、そういう詮索(ゴシップ)をおもしろおかしく報告しているレポーターたちの、あ
の低俗な表情は、何か!

 もっとも、こうしてホームページを公開したり、電子マガジンを発行するということは、自分を
公開するということになる。だからそういう読者を、最初から、排除することはできない。そうい
う読者もいるという前提で、記事を書かねばならない。詮索されるのがいやだったら、最初から
ホームページなど、開かないこと。電子マガジンなど、発行しないこと。

 それはわかっているが、しかしそれでも、不愉快であることには、違いない。九九・九%の読
者の方は、私の記事が役にたつと思っているから、読んでくれていると思う。しかしごく一部に、
そういう不愉快な読者がいる。

 そこでお願いだが、私こと、はやし浩司の動向や心情を、詮索するためにホームページや、
電子マガジンを読んでいる人は、即刻、私から離れてほしい。町であった、高校時代の知人、
あなたも、だ。

 ……と、書くのも、不愉快なこと。こうした不快感から逃れる方法は、ただ一つ。「どうぞ、ご勝
手に!」だ。無視することだ。そして私は、もう一度、心に決めた。

 「私は、これから先、他人を詮索しない。その必要もないのに、他人を詮索するようなことはし
ない。そのためにインターネットを使わない」と。それをすればするほど、私は、タレントの私生
活を、おもしろおかしく暴(あば)いて笑っている、あの低俗な人間と同じになってしまう。ああ、
いやだ!
(040109)

【追記】

●他人を詮索すればするほど、今度は、あなたは他人の詮索におびえるようになる。そしてお
びえればおびえるほど、ますます他人の詮索をするようになる。こうして一度、詮索の悪循環に
入ると、あとは底なしの詮索地獄。気がついたときには、あなたは「世間体」だけで生きる人間
になってしまう。

あなたは、今、他人の目を、どこまで気にして生きているだろうか。もし今、他人の目がうるさく
てしかたないというのなら、まず、あなた自身が、他人の詮索をやめることだ。それ以外に、こ
の詮索地獄から、逃れる方法は、ない。

●小さな地域社会の中だけで、住んでいると、こうした詮索、つまりは、ゴシップに、いやおうな
しに巻きこまれる。先日も、ワイフのところに、こんな電話がかかってきた。「お宅のご主人、入
院なさったの?」と。

ワイフが、あわてて、「いえ、そんなことありません」と。だれかが、どこかの大病院で、私によく
似た人物に出会ったらしい。それで、そう誤解した。しかしその電話をかけてきた人は、私のこ
とを心配して、電話をかけてきたのではない。ただの興味本位。

こうした詮索好きの人には、いくつかの特徴がある。いかにも相手のことを心配しているという
ような、フリをする。そのフリがうまい。フリをしながら、こちらの動きをさぐる。しかしフリはフリ。
ときどき涙声になって、相手に同情するようなフリをするが、決して、涙は流さない。

私たちが必要なのは、助言ではなく、手助けなのだ。

さあ、あなたも、努めて今日から、他人を詮索すことをやめよう。「私は私」「あなたはあなた」
「他人は他人」なのだ。相手が助言を求めてきたり、助けを求めてきたら、そのときは、ていね
いに、それに応じてあげよう。それまでは、そっと静かにしておいてあげよう。それが、あなたの
やさしさということになる。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(482)

●「?」の親論

 ある道徳教育研究会の機関誌。その冒頭に、その会の副会長という女性が書いた、こんな
エッセーが載っていた。

 その女性が、南米のあるインディオの部落を、訪問したときのこと。その部落の人たちが、総
出で、山芋の料理を出してくれたという。その女性はこう書いていた。

 「私は、どこへ行っても、また何を食べても、おいしく感ずる。だから私は、世界のどこへ行っ
ても、みんなと友だちになることができる。私に、そういう胃袋と、食感をつくってくれた、父親と
母親に感謝する」と。

 私はこの原稿を読んだとき、どうしてそこに父親や母親の話が出てくるのか、理解できなかっ
た。何となく、こじつけのような感じさえした。

 というも、私も、二七歳のときまでは、世界のどこへ行っても、その国の料理を食べることが
できた。そして、おいしいと思った。その時点までは、その女性の意見に従えば、親に感謝しな
ければならないということになる。

 しかし二七歳のとき、アルゼンチンへ行ったのをきっかけに、外国の料理が、口に合わなくな
ってしまった。理由はわからないが、そのときから、世界のどこへ行っても、日本料理か、中華
料理を、求めて食べるようになってしまった。つまりその女性の意見に従えば、私は、その時
点からは、親に感謝しなくてもよいということになる。

 環境適応能力が、変化したため?

 当時の私は、そう考えた。

 もう少しわかりやすい例で考えてみよう。

 私が中学生のときのこと、学校の先生が、私たちにこう言った。「五体満足な体をつくってくれ
た、あなたがたの両親に感謝しなさい」と。

 この論法がまかりとおるなら、では、身体に障害のある人は、親に感謝しなくてもよいというこ
とになるのか、ということになる。あるいは、親をうらめということになる?

 だからといって、感謝しなくてよいと言っているのではない。私は、こういう女性の意見を読む
と、どこか焦点がズレているように感ずる(失礼!)。南米のインディオの料理を食べて、おいし
いと思ったら、それでよいではないか。どうしてそこに、父親や母親が出てくるのか。

 私の生徒の中には、卵アレルギーの子どもがいる。お米アレルギーの子どももいる。毎日の
食生活の中で、親も、子どもも、たいへん苦労している。そういう親や子どもが、このエッセーを
読んだら、どう感ずるだろうか。

 実は私も、きわめて貧弱な家庭環境に育っている。そのため、ありとあらゆる精神病を、広
く、浅く、まんべんなく、もっている。しかしそれは親のというよりは、戦後の混乱期という、あの
「時代」の責任である。そしてさらに言えば、それは、まさに「あのバカげた戦争をした、戦争当
事者たち」の責任である。

 親たちにしても、その被害者にすぎない。私は、さらに、その被害者にすぎない。本当のこと
を言えば、もう少しまともな家で、育ててほしかった。そうすれば、今、もう少し、精神的にタフな
人間になれた……と思う。

 えてして、親との間で、ベタベタの依存関係をもつ人は、その依存関係を正当化するために、
親を、必要以上に美化し、権威化する。そして孝行論を、最前面にもってくる。「私が親を、これ
だけ思うのは、それだけ親がすばらしいからだ」と。

 もちろんその人が、そう思うのは、その人の勝手。それでその人が、ハッピーなら、他人が、
とやかく言う必要はない。しかしえてして、このタイプの人は、今度は、それを子どもに求めるよ
うになる。押しつけるようになる。「私は親だ」「私は偉いのだ」と。

 そのとき、子どもがその人と同じような価値観をもては、それでよし。それなりにうまくいく。し
かしそうでないときに、悲劇が起きる。ふつうの悲劇ではない。大悲劇である。

 冒頭にあげた女性も、その女性がそう思って、親に感謝するのなら、それは、その女性の勝
手。しかしそれを自分の子どもや、他人に押しつけてはいけない。「何でも食べられる胃袋を、
親に作ってもらったのだから、親に感謝しろ」と。

 ウーン。私は、こういうエッセーを読むと、正直言って、頭の中の思考回路が、ショートを起こ
してしまう。バチバチと火花を飛ばす。私も、親になって、二八年になるが、そのように考えたこ
とは、一度も、ない。だいたいにおいて、「作ってやった」という意識そのものが、ない。

 私の三人の息子たちは、みな、私に似て、大きな鼻の穴をもっている。むしろそういう鼻の穴
を見たりすると、申し訳なくさえ、思う。「悪いところばかり、ぼくに似たね……」と。そしてその一
方で、「足の短いのは、似なくてよかったね……」と。

 反対に、長男は、今、タバコを吸っている。あれほど禁煙教育をしてきたにも、かかわらず、
だ。どこかで覚えてしまった。そういう長男をみると、自分の努力のなさを恥じることはある。し
かし「感謝せよ」と思ったことは、一度もない。本当に、ない。

 私は息子たちのおかげで、自分の人生を楽しむことができた。今も、苦労はあるが、その苦
労が、かえって生きがいになっている。先日も、ワイフとこんな会話をした。

 「(三男の)Eは、まだこれから三年も、大学に通わねばならない。何がなんでも、ぼくは、あと
三年は、がんばって仕事をするよ」と。

 だから今日も、自転車に乗って、運動にでかけた。つまり、子育てが、私を生かしている。そ
ういう息子たちに向って、どうして感謝せよと言うことができるだろうか。

 そのあと、息子たちが、私に感謝するとかしないとか、そういうことは、どうでもよい。もとか
ら、期待などしていない。考えてもいない。仮に、彼らが、私を捨てたとしても、私は、うらまな
い。むしろ、私は、息子たちの重荷にはなりたくない。そのときがきたら、さっさと、生命維持装
置をはずしてもらう。

 私が死んだあとのことは、ワイフや息子たちが考えればよい。私は、それについては、何も、
考えていない。本当に、何も考えていない。
(040109)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(483)

●親子の触れあい

 (財)経済広報センターの調査によれば、「全国のサラリーマンや、家庭の主婦たちの七〇%
以上が、家庭内で、親子の触れあう機会が、減少したと感じている」ことが、わかったという(0
3年末)。

 「家庭で親が。子どもに、社会のルールを教えたり、親子でスキンシップをとったりする機会
が、自分の子どものころとくらべて、どう変化しているか」という質問に対して、

    減った  ……75・4%
    ふえている……10・1%

 「小学校入学前の子どもに対して、親として実際に心がけたスキンシップについて」という質
問については、

    毎日、必ず会話をする ……50・8%
    食事をいっしょにする ……46・8%
    毎晩、本を読んであげる……32・0%

    毎日、一日に一回は抱きしめる……31・2%(30歳代以下)
                  …… 7・0%(60歳以上)  
    
 この調査結果をみると、最近の親たちは、昔とくらべて、親子の触れあう機会が減ったと感
じ、その一方で、「子どもを抱く」というスキンシップが、ふえていることがわかる。親子の触れあ
いが減ったのは、それだけ親の側に時間的余裕が少なくなったことを示すということになるの
だが……?

 また「抱く」というスキンシップがふえたのは、欧米の影響を受けたためと考えられる。実際、
アメリカ人にせよ、オーストラリア人にせよ、とくにアメリカ人だが、本当に、スキンシップを大切
にしている。「大切にしている」という意識さえ、ないのかもしれない。日本人の私たちから見る
と、ベタベタしている。

 日本では、いまだに、「抱きグセ」が問題になるが、親側が、ベタベタと子どもを抱くのがよくな
いことは、常識。しかし子どもの側がそれを求めてきたら、こまめに、かつていねいに応じてあ
げる。

 ぐいと抱いてあげるだけでもよい。手をつないであげるだけでもよい。こうした親側の対応
が、子どもの心(情緒)を、安定させる。

 最後に「触れあい」だが、「減った」と感ずる親の意識は、「渇望感」と考えてよい。

実際に、ほかの調査などでは、親子がともに過ごす時間は、それほど、減っていない。にもか
かわらず、「減った」と感ずるのは、わかりやすく言えば、親側の欲求不満。同じ時間、子どもと
接していても、子どもと心が通いあえば、親は満足する。そうでなければ、そうでない。心の触
れあいは、量ではなく、質の問題である。

 たとえば私のばあいも、子ども(生徒)たちと触れあう時間は、それほど変っていないはずな
のに、何かしら、触れあう時間が減ったように感ずることがある。しかしそれは時間の問題とい
うよりは、中身の問題。つまりそれだけ、子どもたちの心がつかめなくなったためと、私は考え
ている。

 最近の子どもたちの価値観は、急速に変化しつつある。多様化しつつある。そのため、自分
の子ども時代の価値観を、そのまま当てはめることができなくなってきた。

 親たちが子どもに感ずる、渇望感は、そういうところから生まれる。そしてそしてそれが、回り
まわって、親をして、「触れあいが減った」と感じさせているのでは?

 だからどうしたらよいか……ということは、別に考えるとして、今は、そういう過渡期にあると
考えるのが正しい。昔のように、単一な親がいて、単一な子どもがいる。そしてそこに単一な親
子関係があるという時代は、もう終わった。

 今は、多様化した親がいて、多様化した子どもがいる。そして多様化した親子関係があると
いう時代になりつつある。だから結果として、親子の間で、心が行きかう部分が減少した。私は
そう考える。

 ちなみに私が子どものころは、家族旅行というのは、ほとんど、なかった。今では、毎週のよ
うに、みな、それをしている。「触れあう機会が、ふえたか、減ったか」ということになれば、確実
にふえている。
(040109)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(484)

【近況】

●ワイフの友人の家に、空き巣! 

 ワイフの友人の家に、空き巣が入ったそうだ。その友人が、近くのH神社へ、初詣(はつもう
で)に行っている最中のことだった。その友人は、こう言っているという。「もう二度と、初詣なん
かに行かない!」と。

 で、盗まれたのは、現金だけ。同窓会費として預かっていた、一五万円が盗まれたという。

 「警察が調べてくれたけど、『これはプロの仕業(しわざ)』と感心していた。指紋はなし、足跡
はなし。モノや通帳、小銭には、いっさい手をつけず、現金だけ、もっていった」と。

 指紋を残さないようにするには、手袋を使うのだそうだが、足跡を消すためには、たとえばス
ーパーで使うような買い物袋を使うのだそうだ。それを靴全体にかぶせて家の中に、入ると
か。

 「どこから侵入したの?」と私が聞くと、「窓ガラスを、きれいに丸く割って中に入ったそうよ」
(ワイフ談)とのこと。

 で、この話には、つづきがある。何と、その数日後、今度は、その家の、数軒となりの家に、
同じ空き巣が入ったというのだ。手口が、まったく同じだったという。「やはり、プロだな」と、今
度は、私が感心した。

 ところで、そういうニュースを聞くと、その空き巣は、いったい、どういう人間なのかと、興味が
わいてくる。……と書いたところで、こんな事件を思い出した。

 私とワイフが結婚して、まだアパートに住んでいたときのこと。朝、寝ていると、玄関でチャイ
ムが鳴った。何かのセールスだろうと思って、無視していると、やがてドアのカギをガチャガチ
ャと、何やら操作する音が聞こえてきた。

 私は直感で、空き巣と思った。そう思って、玄関へ飛び出すと、その男は、自転車に乗って逃
げるところだった。そこですぐ、一一〇番通報。

 それからほぼ一か月後のこと。

 アパートの大家さんが、私の部屋にやってきて、こう言った。何でも、その大家さんが、警察
から、感謝状を贈られたというのだ。大家さんは、こう言った。

 「どうして私が表彰されたか、わからないのです。警察から来てほしいと頼まれたので、行っ
てみると、表彰されました。何でも私が、全国でも有名な空き巣の逮捕に、協力したというので
す」と。

 その空き巣は、二桁ナンバーをつけられるほど、有名な空き巣だったらしい。「空き巣XX号」
と。有名な空き巣ほど、二桁ナンバーで呼ばれる慣わしになっているという。私は警察に通報
するとき、アパートの名前は言ったが、自分の名前は言わなかった。それで、大家さんが、表
彰されたらしい。

 で、今でも、その空き巣のうしろ姿をよく覚えている。

 年齢は、五〇歳くらいか。薄茶色の上下の作業服を着ていた。自転車は、うしろに荷台のあ
る、大きな黒塗りのものだった。髪の毛もボサボサで、見た感じは、どこかヨボヨボの老人とい
ったふうだった。通りですれちがっても、その姿さえ印象に残らなかっただろう。

 プロの空き巣というのは、そういう男をいうのかもしれない。どこか私みたい? みなさんも、
どうか、くれぐれも、ご注意!


●加熱する受験競争

 この四、五年、また受験競争が過熱する傾向を見せ始めた。たとえばこのH市の、A附属小
学校でも、五、六年前までは、受験者数が、どちらかというと減少傾向にあったが、四、五年前
から増加傾向に転じた。

 そして来年度、つまり今年の受験者数は、初日の受け付けだけで、軽く定員の八〇人を突
破。例年だと、一〇〇人弱だから、今年は、一五〇人を超えるかもしれない?

 ちなみに、ここ94年〜の受験者数(男女、計)の推移は、つぎのようになっている。

     94年……  69人、64人  計133人
     95年……  73人、82人  計155人
     96年……  60人、49人  計109人
     97年……  66人、67人  計133人
     98年……  65人、54人  計119人
     99年……  46人、50人  計 96人
     00年……  52人、60人  計112人
     01年……  71人、51人  計122人
     02年……  72人、73人  計145人
                  (定員は、80人)

 ひとつのきっかけになったのが、数年前に新しくできた、公立の中高一貫校。初年度は、何と
六〇倍の倍率になった。この一貫校にひきずられる形で、もう一つのA附属中学校の受験者
数がふえた。私立中学校の入試が、さらに拍車をかけた。そしてそれがさらに、今度は、A小
学校の入試に、火をつけた。

 流れは、それで理解できるが、受験競争を緩和しようとして(?)できた、中高一貫校だが、そ
れがかえって裏目に出たということになる。もちろんその裏には、進学受験塾の商魂がある。

 その中高一貫校の、初年度の入試の直後、一か月もおかないうちに、そのための受験クラ
スができたのは、驚きだった。そして親たちの受験競争に、油を注いだ。

 昔から、このH市は、どちらかというと、静かな町だった。受験競争といっても、中学二、三年
のときが、一つの山で、つまり一過性の問題として、考えられていた。だから東京や大阪の、あ
の異常なまでの受験競争の話を聞いても、「へえ、そんなの?」という感じだった。

 が、このH市も、都会並みになった? 無風地帯に、大風が吹き始めた感じだが、この先、ど
うなることやら?

 この問題は、A附属小学校の倍率が明らかになった段階で、もう一度、考えてみたい。


●消える地域社会

岐阜県のS市といえば、昔から、刃物の町として栄えた町である。有名な、「関の孫六」も、ここ
から生まれたという。私が子どものころには、まさに飛ぶ鳥も落すような勢いで発展した町だ
が、今は、もうその面影はない。

 以前から「ひどい」とは聞いていたが、ここまでひどくなるとは! 町の中の商店街の、約半分
以上は、シャッターをしめたまま。日曜日の昼間でも、通りを歩く人は、まばら。原因は、校外
に大型店ができたためという。車社会に、うまく対応できなかった。

 こういう話を聞くと、つまり私の実家も、そういう時代の流れの中で翻弄(ほんろう)されつづけ
たこともあるが、地域の文化とは何か、改めて考えさせられる。

 私が子どものころには、商店といっても、そこには、ある種の温もりがあった。近くに、かしわ
屋(鶏肉屋)や、ブリキ屋があった。私はそういうところで、ニワトリが、かしわ(鶏肉)に調理さ
れるのを見たり、一枚のブリキから、いろいろな食器ができるのを、最初から最後まで見ること
ができた。

 隣は、内職で、キャラメルを作っていた。ときどき、そのキャラメルを分けてもらったこともあ
る。もう一つの隣は、小さなパチンコ屋だった。家の向かい側は、髪結いだった。道の反対側
は、時計屋、八百屋、それに薬屋だった。今でいう美容院。何もかもが、半径一〇〇メートルく
らいの範囲の中にあった。

 そしてそういう(つながり)の中から、地域社会が生まれ、地域文化が生まれた。町内の旅行
会や演劇会、映画会、そして祭りも生まれた。

 しかし町内の店の半分が、シャッターをしめたとなると、もうその地域の(つながり)は、崩壊し
たとみてよい。そのS市にも、それなりの(つながり)があり、地域文化もあっただろう。

 ではなぜ、こうまであのS市のことが気になるのか?

 理由の、一つ。私の高校時代のガールフレンドが、その商店街で店を構える男と、結婚した
からだ。私が、大学二年のとき、一度、彼女の顔を見たのが最後で、以来、一度も会っていな
い。しかし心のどこかでは、ずっと、気にしていた。

 いつか、その店に買い物に行き、彼女をびっくりさせてあげようと考えていた。(もちろん、彼
女にとっては、迷惑なことだろうが……。)しかしその店も、人づてに聞くと、「シャッターをしめ
た」と。

 今ごろは、もう息子さんや娘さんの代になっているから、引退でもして、別のことで楽しく暮ら
しているだろうと思う。そう願っているが、しかし、どこかさみしい気がしないでもない。

 そう、あのガールフレンドは、本当に美しい人だった。きゃしな体つきで、花にたとえるなら、
白いカトレアのような感じ。……S市の話を書いていたら、いつの間にか、ガールフレンドの話
になってしまった。

 今、全国で、そしてこの浜松市でも、地域社会が、どんどん崩壊しつつある。私のように、さ
みしい思いをしている人は、多いはず。何とかならないものかと思いつつ、何ともならないこの
歯がゆさを、私は、いったい、どうしたらよいのか。


●本格的なサイクリング

今日は、久しぶりに、自宅と市内を、自転車で往復した。距離は、片道、六・五キロ。往復一三
キロ。

 距離的にはそれほどでもないが、途中に、山坂がある。これがきつい。

 その坂を登るとき、今日は、たいへんだった。この正月の連休で、足腰が弱ったのが、自分
でもよくわかった。しかし私は、何としても、あと三年は、現役でがんばらなくてはいけない。三
男が、大学を卒業するまで、だ。

 その坂を登るとき、あと一〇〇メートルほどのところで、ギブアップ……しかけたが、やめた。
歯をくいしばった。腕に力を入れて、ペダルをこいだ。

 そのときのこと。私は、思わず、四人の名前を呼んだ。一つこぐたびに、ワイフ、長男、二男、
三男の名前を呼んだ。

 はじめての経験だった。一人呼んでは、ペダルをこぎ、つぎにまた一人呼んでは、ペダルをこ
いだ。

 そして無事、頂上まで着いた。うれしかった。どっと汗が流れ、体中から、ガクリと力が抜け
た。

 その坂は、私の体力を測る、バロメーターになっている。この坂をスイスイと登れるときは、体
調がよい。そうでないときは、そうでない。

 もう少し若いころは、苦労もなくその坂を登ることができた。が、今は、ちがう。調子のよいと
きでも、三度に一度は、自転車をおりて、歩く。高校生でも、おりて歩くような坂である。だから
歩いたところで、しかたのない坂なのだが……。

 あとで、そのことをワイフに話すと、「無理しないで」と言った。しかしここにも書いたように、私
は、あと三年は、どうしてもがんばらなくてはいけない。

 負けてたまるか!
(040110)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(485)

●他人を喜ばす喜び

 他人を喜ばす……。それはとても気持のよいものだ。脳の扁桃体(へんとうたい・脳の辺縁
系の中にある組織の一部)というところで、モルヒネ様の物質が、放出されるためと考えられて
いる(伊藤正男氏)。つまりそれが、「人」としての、感情の原点ということになる。

 よく誤解されるが、人間の感情は、大脳の連合野(新皮質)で作られるのではない。たとえば
複雑な数学の問題を解くのは、その大脳の連合野。しかし解いたとき、その喜びを感ずるの
は、連合野ではない。

 「解けた」という情報は、一度、辺縁系の中の扁桃体という組織に伝えられる。その扁桃体が
反応して、モルヒネ様の物質を放出する。そしてそれが心地よさを引き起こす。そしてそれがま
た大脳の連合野にもどされ、感情として、表現される。「ヤッター、デキター!」と。

 私が学生のころは、この辺縁系は、「原始脳」と言われ、すでに機能をなくした脳ということに
なっていた。しかしそれは、まちがいだった。むしろ、人間が人間であるために、重要な脳とい
うことがわかってきた。

 そこで実験として、(すでに、他人を喜ばすことが、日常的にできる人は別だが……)、他人を
喜ばせるようなことをしてみてほしい。すると、うっとりするような陶酔感を覚えるはず。それが
扁桃体の働きである。

 で、こうしたメカニズムは、幼児期のかなり早い時期に、子どもの脳の中に形成される。私の
印象では、満四歳前後から、満六歳前後ではないかと思っている。満四歳以前の子どもは、ま
だ、ほとんど反応しない。しかし満六歳を過ぎると、反応の度合いが、定型化してくる。

 満六歳前後で、その「やさしさ」のある子どもは、ずっと、「やさしい子ども」になる。そうでない
子どもは、そうでない。自分勝手で、自己中心的。どこか心の冷たい子どもになる。

 そこでこの時期の子どもは、つぎのように指導してみてほしい。

 たとえば子どもを連れて買い物に行くときでも、その子ども自身の欲望を満足させるような買
い方ではなく、だれかを喜ばすように、しむける。「これがあると、パパが喜ぶわね」「これを、お
じいちゃんに買ってあげようね。おじいちゃんは、喜ぶわ」「今夜のおかずは、お兄ちゃんが喜
ぶものにしてあげようね」と。

 つまり子どもの脳の中に、一つの思考回路(大脳生理学では、「思考パターン」という)を作っ
てあげる。子どもは、やがてその思考回路に沿って、ものを考えるようになる。そしてその結
果、扁桃体の活動が刺激され、その子どもは、心地よさを覚えるようになり、さらにその結果、
やさしい子どもになる。

子どもをやさしい子どもにする……それは、子どもの中に、すばらしい財産を残すことを意味す
る。やがてその子どものまわりには、たくさんの友だちが集まるようになる。心豊かな世界をも
つようになる。

 さて、子どもはともかくも、あなた自身は、どうだろうか。あなたは、他人を喜ばす喜びを知っ
ているだろうか。もしそうなら、それでよし。しかしそうでないなら、あなたの貧弱な幼児期を疑
ってみたらよい。貧弱な家庭環境を疑ってみたらよい。今、あなたが、何かしら満足できない、
どこか心のさみしい人生を送っているなら、それは、あなたの責任というより、その原因は、あ
なたの貧弱な過去にあるということになる。

 が、問題は、このことではない。

 あなたが貧弱な心の持ち主であるのは、しかたないとしても、こうした貧弱な心は、そのま
ま、あなたの子どもに伝わってしまう。そしてあなたの子どももまた、いつか、心のさみしい人生
を送ることになる。

 だから、今、勇気を出して、あなたの過去をのぞいてみてほしい。あなたの過去は、本当に、
心豊かで、暖かいものだっただろうか。子どものころから、親から、「勉強しろ!」「宿題はやっ
たの!」「成績はどうだったの!」と言われつづけた人ほど、要注意。そういう貧弱な心は、決し
て、あなたの子どもに伝えてはいけない。
(040111)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


子育て随筆byはやし浩司(486)

【近況】

●ハッサクの収穫

今日、山荘で、レモンとミカン、それにハッサクの収穫をした。レモンは、数個しかなっていなか
ったが、ハッサクは、大豊作。二メートル足らずの木だが、一〇〇個近く、取れた。

 「このあたりは、日当たりがいいから」とワイフが言ったが、ハッサクの木のあるところは、一
日中、日が当たる。

 私が大きなハサミで、枝ごと、ハッサクを切り落とす。それを下で、ワイフが、木からもぎとっ
て、袋に入れる。私はいまだに、あの酸味が好きになれない。しかしワイフは、そうでない。「私
は子どものころから、ハッサクを食べていた」が、口グセ。ワイフは、純粋な静岡県人。生まれ
も育ちも、この浜松市。

 私が子どものころは、ハッサクなど、食べたことがない。(当時は、まだなかったのか?)ミカ
ンといえば、温州(うんしゅう)ミカン。それも、箱売りではなく、一個とか二個とかいう、バラ売り
のを買って食べていた。たまに夏ミカンを食べたことがあるくらい。しかしあの夏ミカンほど、す
っぱいミカンはなかった。その思いが、ハッサクには、残っている。

 話は前後するが、その前に、ミカンの収穫もした。こちらは、ほんの数える程度。大半は、野
鳥やハクビシンのエサになったようだ。ワイフがミカンをもいでいる間、することもないので、私
は周囲の雑木を、斧(おの)で、何本か、切り倒した。

 これが結構な重労働。五、六本切り倒したところで、ハーハーあえぎながら、ダウン。

……部屋へもどると、さっそく、ワイフが、ハッサクをむいてくれた。私は、それを食べながら、
まさに今、この原稿を書いている。

レモンが、水色の陽光をあびて、
黄色く光っている。
一個、二個、三個と……。

「いつごろが食べごろ?」と聞くと、
ワイフが、「もう少しよ」と。

その向こうには、すすけた色の緑の森が、
幾重にも重なってつづく。

一つ、二つと、ハッサクの実を口に入れる。
私は、袋さら、食べるのが好き。
何かのコマーシャルではないが、
食べだしたら、止まらない。

外は、身を切るような冷たい風。
が、家の中は、上着を脱ぐほど、暖かい。
その暖かさを感じながら、
また一つ、ハッサクの袋を、口の中に入れる。


●世間のわずらわしさ

偉大な研究家や、偉大な芸術家になるための、第一条件は、世俗的な、わずらわしさから、無
縁になることだそうだ。その中でも、とくに、人間関係のわずらわしさから、解放されることだそ
うだ。言いかえると、人間関係のわずらわしさは、その人を小さくする。

 たとえば近隣や親戚との人間関係。こうした人間関係に巻き込まれると、自分が自分でなく
なってしまう。こうした人間関係から生まれる問題のほとんどは、どうでもよい、ささいなことが
多い。その相手がそれなりの人ならまだしも、たいていは、そうでない。ためしに、バスや電車
の中で、しゃべりつづける、あのオバサンや、オジサンの会話に耳を傾けてみるとよい。

 実にくだらないことを、さも、人生の達人であるかのように、話しつづける。その人にとって
は、自分は、裁判官であり、学識者であり、そして神や仏なのだ。

 「あの人の息子は、親孝行の、いい息子や。毎年春になると、親を、○○温泉へ連れていく
そうや」
「いやいや、△△さんどこの息子さん。あの人が一番や。あの息子さんは、親に、二〇万円も
するような羽根布団を買ってあげたそうな」
「そうですか。それは、うらやましい話ですな。子どもは、そういうふうに育てないかんですな」
と。

 そしてやがて話は、そのわずらわしい話へと飛ぶ。

 「ところで、XXさんどこの娘さんだが、親の死に目にも、会わなかったそうや」
 「いくら、大阪に住んでいるといっても、それはいかんですな。いくら羽振りのいい生活をして
いても、人間としては、失格や」
 「それで伯父にあたる人が、その娘さんに説教してやったそうですよ。そしたらその娘さん
が、泣いて謝ったそうや」
 「そりゃあ、そうやろ。子どもには、子どもの務めというものがありますかね」と。

 こうした話が、いつまでもつづく。

 あのノーベル賞を受賞した江崎氏は、「(ノーベル賞を取るような研究をしたかったら)、名刺
を捨てろ」というようなことを言ったという。何かのついでに聞いた話なので、本当にそう言った
かどうかは知らないが、一理ある。人間関係のわずらわしさに関わっていては、すばらしい研
究などできるわけがない。 

 だからといって、人間関係を粗末にしてよいということではない。よい人間関係は、その人が
生きる原動力にもなる。またその人間関係の中で、自分をみがくことができる。しかしひとたび
こじれると、それは足かせ、手かせとなって、その人を苦しめる。ときに、押しつぶす。

 たいていどこの世界にも、あれこれ節介を焼いてくる人がいる。表面的なことだけを見て、安
っぽい正義感を振りかざす。そういう人が、そのわずらわしさを、さらにひどくする。ある女性
(四六歳)は、こう言った。「もう、親戚づきあいなんて、コリゴリ」と。その女性は、母親の死をき
っかけに、親戚づきあいを、すべてやめた。

 会社、近隣、そして子どもの教育。人間はそれぞれの場所で、無数の人間関係を築く。そし
てそれがクモの巣の糸のようにからんで、あなたのまわりの世界をつくる。そこで教訓。

 こうした人間関係で、わずらわしさを感じたら、その人と離れられるようなら、無視して別れ
る。そうでなければ、こちらから頭をつこんでいく。逃げていたのでは、ますますわずらわしくな
る。

 これは私がこの五六年間で得た、生活の知恵のようなもの。皆さんの参考になるかどうか
は、わからないが……。


●S・スピルバーグ監督の「TAKEN」(1〜3)を見る

昨夜、S・スピルバーグ監督の「TAKEN」の(3)を見る。(3)で完結するかと思っていたら、そ
れはまちがい。何でも、シリーズで、(10)までつづくとか。

 がっかりしたというか、とても(10)までは、見られない。私のエネルギーは、せいぜい(3)ま
で。(10)まで見たいとは思わない。

(私の家の近くのビデオショップには、(3)までしか、なかった……。)

 改めて、文庫本のほうを読みなおす。が、そのあとがきに、こうあった。「どうやらスピルバー
グはがエイリアンに関する何らかの極秘情報に関与していることだけは事実のようだ。やはり
『テイクン』は、単なるフィクションではなかったのである!」(品川四郎氏)と。

 これはあくまでも、あとがきを書いた、品川氏の憶測だが、しかしこのビデオが、かなり、いろ
いろな資料に忠実なのは、たしか。(おかしなところも多いが……。)

 そう言いながらも、ビデオショップに、(4)以後が並べば、多分、また借りてきて見ると思う。
私もあの夜、ワイフと見た、あの巨大なUFOが、何だったか、知りたい。


●恩師のT先生のところに、天皇陛下がやってきた

T先生が、日本化学会の会長をしているとき、その大会に、天皇陛下が、来賓で来てくれたと
いう。そのあと、T先生は、日本学士院賞を受賞し、天皇陛下の前で、御進講をしたという。

 そういうさまざまな縁があったのだろう。天皇陛下と美智子皇后陛下が、T先生が会長を努め
る鎌倉の、Kテニスクラブへ、テニスをしにきてくれたという。

 T先生と知りあって、もう、三五年になる。私は、そのT先生と、メルボルン大学のあのカレッ
ジで、三か月の間、寝食をともにできたことを、何よりも誇りに思っている。

 そののち、T先生は、東大の副総長(総長特別補佐)や、国際触媒学会の会長などを、歴任
した。そんな先生だが、ときどき、私の著書の前書き推薦文なども、書いてくれた。私の自宅
や、山荘へも、遊びに来てくれた。そして今も、現役で、教育論を書いている。

 風貌が、あの中曽根元首相そっくりで、「この前、群馬の温泉に入ったら、中曽根さんとまち
がえられた」と笑って話してくれた。


●ブッシュさんは、怒るだろうな?

「一一日付の米紙ワシントン・ポスト紙は、米高官の話として、北朝鮮を訪問していた米専門家
や議会スタッフらに対し、使用済み核燃料棒を再処理し抽出したプルトニウムを公開した」と報
じた。

 K国としては、精一杯の誠意を演出したつもりなのかもしれないが、K国のすることは、どう
も、やることなすこと、すべて、おかしい。常識から、はずれている。

 暴力団が、警察の査察に対して、「ピストルの部品は、ちゃんとあります」と見せたようなも
の。K国としては、「まだ核兵器は作っていない。しかし会議で、いい条件を出さなければ、いつ
でも核兵器を作ってやる」という姿勢を見せたかったのだろう。しかしそうは、うまくいくものか。
これはK国が打って出た、一か八かの、大勝負とみてよい。

 ブッシュさんが、それにおびえて、「はい、わかりました。では会議をしましょう」と言えば、K国
の思惑どおりになる。しかし、ブッシュさんは、そういう脅しに乗るような人ではない。私は、今
回の「公開」は、かえって、ブッシュさんを怒らせるのではないかと思う。つまり逆効果。

今回の「公開」は、K国が、アメリカやそのほかの国々をだましていたことを、自ら、告白するよ
うなもの。その政治的パターンは、あの拉致問題と、まったく、同じ。どこも違わない。

 さんざん「拉致はない」と、あらゆる会議で怒鳴り散らしてきたくせに、金XXが、拉致を認めた
とたん、今度は、「日本は、(被害者をK国へもどすという)約束を守らない」と、トンチンカンなこ
とを言いだした。

 今回もさんざん「核兵器の開発には興味はない」と、あらゆる会議で怒鳴り散らしてきたくせ
に、プルトニウムを公開している。そして「こうして開発に乗り出したのは、アメリカの圧力があ
ったからだ」と。被害妄想も、ここまでくると、驚くというより、あきれる。

 ここ数日のうちに、アメリカがどう反応するかが問題だが、アメリカにしてみれば、この段階で
は、もう会議をしても意味がない。同じ「凍結」でも、「核開発に入る前の凍結」と、「プルトニウ
ムを、核爆弾に装着する前の凍結」では、意味がちがう。「ピストルにいつでも、弾をこめること
ができる」という状態で、何を話しあえというのか。

 「公開」というのなら、「核兵器をもっていません」ということを、外の人が信用できる形で、公
開すべきである。今回の査察でも、「私たちは核燃料棒に、何も手を加えていません。去年の
ままです」というであれば、話もちがっただろう。またそういうことであれば、「公開」にも、意味
がある。

しかしどうであれ、残念ながら、今のK国を信用する国は、中国やロシアも含めて、どこにもな
い。Y新聞は、「もっと別のところで、秘密裏に核開発をしているはず」というような論評を加えて
いる。私も、そう思う。

 さあ、どすうする、金XXさん?
 

●マガジンの限界?

二年前、私と同じころ育児マガジンを発行した友人がいた。彼は、Mというマガジン社から配信
していたが、その後のことを聞くと、「昨年(03)の六月から、ほとんど出していない」とのこと。
理由を聞くと、「読者がふえないから……」と。

 一時は、毎回、倍々と、読者の数がふえたそうだ。しかし一〇〇人を超えたところから、頭打
ちになって、以後、少しずつ減り始めとか。それで「いやになった」と。

 私は、最初から、読者の数は、問題にしなかった。「どうせやるなら、一〇〇〇号まで出して
やろう」と心に決めた。「読者が一〇〇〇人」ではない。「一〇〇〇号」だ。

 そのとき、もう一つ、心に決めた。A四サイズ原稿一枚でも、一号は一号。毎日、日記形式で
軽く書いても、一号は一号。だから、「A四サイズで、二〇枚。二日に一度の発行をする」と。

 しかし実際には、これはたいへんな作業だった。毎朝五、六時に起きて、一応の原稿を書き
終えるのが、九時とか一〇時。それからマガジンの発送予約。

 最近は、HTML版も発行している。作業そのものは、本気ですれば一〇分足らずでできる
が、それに写真を挿入したりする。だからまた、プラスアルファの仕事が、ふえてしまった。

 しかし全体としてみると、電子マガジンの時代は、そろそろ頭打ちになってきているのではな
いのか? 同じHTML送信だが、このところ各社ホームページの充実ぶりが、ものすごい。カ
ラフルで、動きもある。それに組織的。私のような個人が、とても戦えるような相手ではない。

 たとえば読者も、「アンケートに答えてくれたら、抽選で、一〇人の方に、一〇〇万円!」とい
うような集め方をする。そういう方法だと、あっという間に、数千人から一万人を超える読者が
集まるらしい。そういうところは、わざわざマガジン社を通さなくても、自前で、マガジンを発行す
ることができる。

 「個人で発行するマガジンには、限界があるのでは……」と、その友人は、言う。私も、実は、
そう思い始めている。一時は、無限の可能性を信じて発行し始めた電子マガジンだが、このと
ころ、何となく、自信がなくなってきた。

 やはり売れなくても、本業の出版のほうに力を入れるべきなのか。原稿を、またあちこちの雑
誌社に売りこむべきなのか。……と、悶々と悩みながら、Eマガの読者数を調べたら、今朝は、
三人、ふえていた(一月一二日朝)。

 私は、それを知って、思わず、「ありがとう」と、つぶやいてしまった。こうした励ましがなかっ
たら、私も、とっくの昔に、マガジンの発行をやめていただろう。一月一二日の朝、マガジンの
購読を申しこんでくださった、読者の方へ。そしてすべての読者の方へ。ありがとうございます。
今年も始まったばかりですが、何とか、一〇〇〇号まで、つづけます。よろしくお願いします。

*********************
お知りあいの方で、このマガジンがお役にたて
そうな人がいっらしゃれば、このマガジンのこ
とを話していただけませんか。
よろしくお願いします。
*********************
(040112)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


子育て随筆byはやし浩司(487)

●母親は、息子の友人が成功すると、ねたむ。

『母親は、息子の友人が成功すると、ねたむ。母親は、息子よりも、息子の中の自分を愛して
いるのである』と言ったのは、あのニーチェである(「人間的な、あまりに人間的な」)。

 こういう例は、多い。たとえば息子や娘を代理に、受験競争に狂奔する母親など。このタイプ
の母親は、自分の子どもが、子どもの友人たちに敗れるのを、許さない。

 以前、ある幼稚園で、これから書くような事件が起きた。こうした事件は、内容が内容だか
ら、正確に、ありのままを書いて、中日新聞に発表した。

あとで、園児を足蹴りにした事件については、ある保育園の園長から、「あの記事を読んで、シ
ョッキングでした。しかしうちの園でも、似たような事件がありました」という連絡を受けた。決し
て少ない事件では、ないようだ。

++++++++++++++++++
●いじめの陰に嫉妬

 陰湿かつ執拗ないじめには、たいていその裏で嫉妬がからんでいる。この嫉妬というのは、
恐らく人間が下等動物の時代からもっていた、いわば原始的な感情の一つと言える。それだけ
に扱いかたをまちがえると、とんでもない結果を招く。

 市内のある幼稚園でこんなことがあった。その母親は、その幼稚園でPTAの役員をしてい
た。その立場をよいことに、いつもその幼稚園に出入りしていたのだが、ライバルの母親の娘
(年中児)を見つけると、その子どもに執拗ないじめを繰り返していた。手口はこうだ。

その子どもの横を通り過ぎながら、わざとその子どもを足蹴りにして倒す。そして「ごめんなさい
ね」と作り笑いをしながら、その子どもを抱きかかえて起こす。起こしながら、その勢いで、また
その子どもを放り投げて倒す。

以後、その子どもはその母親の姿を見かけただけで、顔を真っ青にしておびえるようになった
という。

ことのいきさつを子どもから聞いた母親は、相手の母親に、それとなく話をしてみたが、その母
親は最後までとぼけて、取りあわなかったという。父親同士が、同じ病院に勤める医師だった
ということもあった。被害にあった母親はそれ以上に強く、問いただすことができなかった。

似たようなケースだが、ほかにマンションのエレベータの中で、隣人の子ども(三歳男児)を、や
はり足蹴りにしていた母親もいた。この話を、八〇歳を過ぎた私の母にすると、母は、こう言っ
て笑った。「昔は、田舎のほうでは、子殺しというものまであったからね」と。

 子どものいじめとて例外ではない。Tさん(小三女児)は、陰湿なもの隠しで悩んでいた。体操
着やカバン、スリッパは言うに及ばず、成績表まで隠されてしまった。しかもそれが一年以上も
続いた。Tさんは転校まで考えていたが、もの隠しをしていたのは、Tさんの親友と思われてい
たUという女の子だった。

それがわかったとき、Tさんの母親は言葉を失ってしまった。「いつも最後まで学校に残って、
なくなったものを一緒にさがしていてくれたのはUさんでした」と。Tさんは、クラスの人気者。背
が高くて、スポーツマンだった。一方、Uは、ずんぐりした体格の、どうみてもできがよい子ども
には見えなかった。Uは、親友のふりをしながら、いつもTさんのスキをねらっていた。そして最
近でも、こんなことがあった。

 ある母親から、「うちの娘(中二)が、陰湿なもの隠しに悩んでいます。どうしたらいいでしょう
か」と。先のTさんの事件のときもそうだったが、こうしたもの隠しが長期にわたって続くときは、
身近にいる子どもをまず疑ってみる。そこで私が、「今一番、身近にいる友人は誰か」と聞くと、
その母親は、「そういえば、毎朝、迎えにきてくれる子がいます」と。

そこで私は、こうアドバイスした。「朝、その子どもが迎えにきたら、じっとその子どもの目をみ
つめて、『おばさんは、何でも知っていますからね』とだけ言いなさい」と。その母親は、私のアド
バイス通りに、その子どもにそう言った。以後、その日を境に、もの隠しはウソのように消え
た。(中日新聞発表済み)

++++++++++++++++++

 父親と母親とでは、育児の姿勢が、微妙に違う。父親にとって、子どもは、自分とは別個の存
在である。また、そういう前提で、子育てを始める。しかし母親にとって、子どもは、まさに、(自
分から出た自分自身)ということになる。さすが、ニーチェ。ものの見方が、鋭い。

 こうした現象を、私は、「一体化」と呼んでいる。母親が、自分の子どもと一体化することをい
う。昔、こんなことがあった。

 教室の前のほうに座っていたA君(年長児)が、B君(年長児)に向って、「おい、バカ!」と言
った。そのときのこと、うしろで参観していた、B君の母親が、A君の母親に向って、「バカとは
何よ!」と。

 B君の母親は、自分が「バカ」と言われたと思った。こういう現象を、一体化という。母親がも
つ、特殊な心理の一つということになる。溺愛ママ、過干渉ママほど、この一体化の傾向が強
い。

 ある母親は、息子(小六男児)が、修学旅行へ行った夜、泣き明かしたという。また別の母親
は、息子が結婚した夜、「悔しくて悔しくて、眠れなかった」と知人に、こぼしている。一体化が
進むと、自分と子どもの間の境界がなくなってしまう。自分イコール、子ども。子どもイコール、
自分という考え方をするようになる。

 子どもと一体化する母親は、もともと情緒的に未熟か、精神的に未完成な母親とみてよい。
そうした母親側の欠陥が原因で、母親は子どもを溺愛したりするようになる。
(040111)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(488)

溺愛は、愛でない

●ある男性の追跡観察から……

「追跡」というほど、大げさなものではないかもしれない。しかし私は、R君という子どもをとおし
て、「溺愛は愛ではない」ということを学んだ。

 溺愛は、愛ではない。多くの人は、親の愛が、異常に高揚した状態を、溺愛と考えている。つ
まり溺愛は、愛の一種である、と。しかしそれはまちがっている。……という前置きは、それくら
いにして、そのR君について、思い出すまま、ここに書く。

●R君のこと

私が最初に、そのR君を知ったのは、R君が、高校一年生のときのことだった。そのときすで
に、R君と母親の関係は、かなりこじれていたという。しかしそれについては、そのとき私は、知
らなかった。

 ある夜のこと。R氏の母親から電話がかかってきた。受話器を取ると、母親は、こう言った。

 「先生、あのR雄が、夏休みに、アメリカへホームスティしたいと言っています。しかしつい先
日も、ああいう飛行機事故があったでしょう。何とか、思いとどまらせて、いただけないでしょう
か。R雄も、先生の言うことなら、聞きます。

 でね、先生、たいへん申し訳ないのですが、私から、こういう電話をしたということを、R雄に
は、内密にお願いしたいのです。くれぐれも、よろしくお願いします」と。

●あやつられるR君

しばらくしてR君と会った。で、それとなく、ホームスティの話を切り出してみた。するとR君は、こ
う言った。

 「お母さんは、行ってもいいと言っているけど、一度、先生に相談してみろと言っている。先生
が、いいと言えば、ホームスティしてきてもいいと言っている」と。

 R君の母親は、明らかに二枚舌を使っていた。しかし私は、母親が私に言ったことは、R君に
は話せなかった。スポンサーあっての、仕事である。スポンサーの意向に逆らうことはできな
い。そのとき私は、ある進学塾の塾長に頼まれて、R君の家庭教師をしていた。

「しかし今は、勉強したほうがいいと思うけど……」と私。
「来年になったら、受験勉強をすればいい。今年は、まだ、ぼくは、自分のしたいことをしたい」
とR君。
「ぼくは、あまり賛成しないな」
「どうして? この前まで、行けるなら行ってこいって、先生、言ってたじゃない」
「……」と。

●R君の過去

R君には、二人の姉がいた。上の姉は、そのとき、二二、三歳だったと思う。下の姉は、R君よ
り、数歳、年上だった。私は、下の姉も、彼女が中学生から高校生にかけて、同じ進学塾で、
四年間教えた経験がある。

 その姉が、ある日、こう話してくれた。「R雄は、今でも、お母さんといっしょに、お風呂に入っ
ている」と。R君は、そのとき、小学六年生だった。「赤ん坊のときから、ずっと寝るときも、一緒
よ」と。

 それだけではないが、私は、R君の母親が、R君を、溺愛しているのを知った。

「R雄がね、六年のとき、修学旅行に行ったのよ。そのとき、うちのお母さん、泣いていたのよ。
『どうしたの?』と声をかけると、『ひとりであの子は、だいじょうぶかしら』とね。お母さんは、そ
う言って、泣いていたのよ」と。

●母と子の対立

そのR君が急速に、親離れを始めたのは、R君が、中学三年生になったころではなかったか。
R君が、母親にはげしい罵声を浴びせかけ、時には、母親に対して、暴力をふるうようになった
という。

 そのときはまだ私はR君を教えていなかったから、生徒の弟の話として、一定の距離を置い
て聞いていた。しかし、こういうケースは、珍しくない。

 溺愛された子どもが、ある日突然、その溺愛を、重荷に感ずるようになる。

 ふつう、子どもというのは、その成長過程において、ちょうど昆虫が、一枚ずつカラを脱皮す
るようにして、成長していく。幼児期から少年期。少年期から思春期へ、と。しかし溺愛児に
は、それがない。ないまま、大きくなる。

症状としては、いつも満足げで、ハキがない。ちょうどひざに抱かれたペットのようだから、私
は、「ペット児」と呼んでいる。ずいぶんと失礼な呼び方に聞こえるかもしれないが、症状として
は、たいへんそれに近い。

 が、ある日、子ども自身が、それに気づく。そしてこう叫ぶ。「オレをこんなオレにしたのは、お
前だろ!」と。

今まで脱げなかったカラを、そのとき、一挙に脱ごうとする。しかしふつうの脱ぎ方ではない。い
くつもの反抗期を重ねたような反抗の仕方をする。暴力をともなうことも、珍しくない。

 そのときのR君が、そうだった。

●ホームスティを断念

結局、R君は、私の意見を聞き、ホームスティを断念した。「大学へ入ってからしても、遅くな
い」という私の意見に従ってくれた。が、私には、何かしら、割り切れないものが残った。

 実のところ、それからのR君については、私は、あまりよく覚えていない。ふつうの生徒とし
て、まじめに勉強してくれたと思う。そして、地方の大学だったが、国立大学へ入学した。と、同
時に、私との関係は、切れた。

 そのR君のことを、ほとんど忘れかかっていたときのこと。そのR君が、大学四年の夏休み
に、私の家にやってきた。そしてこう言った。

「先生、今の大学を卒業したら、ぼく、オーストラリアの大学へ進学しようと思っているのです。
ついては、先生の推薦状を書いてもらえませんか」と。

 私の推薦状など、一片の価値もない。しかしR君は、「どうしても、先生に、推薦してもらいた
い」と。

 で、結局、私が、R君の留学先の世話をすることになってしまった。大学の選定から、書類の
提出。学生ビザの取得から、航空チケットの購入まで。

●駅ではじめてわかった

私は、そういうこともあって、三月に、R君が、オーストラリアへ旅立つ日、駅まで、R君を見送り
にでかけた。

 父親と母親も、そこに来ていた。数人のR君の友人たちも、そこにきていた。それに少し遠巻
きにしながら、二人の姉たちもいた。

 が、その雰囲気が、どうもおかしい。私は、決して感謝されるのを目的で、R君を助けたわけ
ではない。しかし、私は、当然、両親は、私に感謝しているものとばかり思っていた。しかしR君
の両親は、私から視線をはずし、どこかよそよそしかった。

「しまった!」と、そのとき、はじめてわかった。

 私はR君の言うことだけを信じて、そのつど、両親の了解を求めることをしなかった。とくに母
親は、私に冷たかった。列車がプラットフォームを離れたときでさえ、母親は、私には、一言も
口をきかなかった。父親は、「いろいろお世話になりました」と言ったが、それだけだった。

●姉から電話

それから一〇年あまり。縁というのは、おかしなものだ。ある幼稚園へ講演に行ったら、そこに
R君の下の姉がいた。姉は、そこで幼稚園の先生をしていた。そしてそれがきかっけで、私
は、R君というより、母親とR君の関係についての、相談を受けるようになった。

 しかし姉から聞いた話は、私の常識では、理解できないものだった。

 R君は、日本へ帰ってきたあと、名古屋市に本社を置く、資材会社に就職した。そしてそこで
一人の女性と知りあい、同棲(どうせい)生活を始めた。

 そのことがわかった夜のこと、R君の母親は、まさに狂乱状態になり、なりふり構わず、泣き
じゃくったという。「悔しい」「悔しい」と。つまりR君が、一人の女性と同棲するようになったこと
を、「悔しい」と言うのだ。

 が、R君の母親は、R君の前では、そんな様子は、おくびにも出さず、相変わらず、やさしい、
理解のある母親を演じてみせたという。

●父親の死、そして……

が、まもなくして、父親が死んだ。で、母親は、上の姉夫婦と同居することになった。そのころか
ら、母親の様子が、また少しずつ、変わってきた。R君の母親は、ことあるごとに、R君の家を
訪問し、そのつど、R君から、五〜一〇万円単位の、小遣いをせびるようになったという。

 最初は、「お前のかわりに、貯金をしておいてあげる」「あとですぐ返す」とか言っていたが、そ
のうち、泣き声を混ぜ、生活がきびしいと言ったりした。

 しかしそんなはずはなかった。父親が死んだとき、母親には、数千万円の生命保険がおり
た。また祖父の代から、敷地の横で、計六室ある、アパートも経営していた。上の姉は、大手
の自動車会社で、設計技師をしていた。裕福というわけではないが、お金に苦労するような環
境ではなかった。

 が、R君の母親は、R君から、お金を取りつづけた。「法事があるから」「伯父の葬儀があるか
ら」「盆に、寺の住職を呼ぶから」「甥(おい)が結婚するから」と。

 そのつど理由はさまざまだったが、それはもう、執念に近いものだった。

●嫉妬が転じて、うらみに

溺愛から嫉妬。そしてその嫉妬から、うらみに。

R君の母親の心情の変化を、簡単に言えば、そういうことになる。母親は、R君が、幸せになる
のを、許さなかった。そしてそのうらみは、いつしか、R君から、奪い取れるものは、すべて取れ
という姿勢に変わった。

 しかし母親は、R君(もうR君というよりは、R氏と言ったほうが正しいかもしれないが……)の
前では、やさしい、気弱な母親を演じてみせた。R君が、母親に、「お母さん、お金はあるか?」
と聞くと、母親は、こう言ったという。

「母さんはね、みんなの残り物を食べているから、心配しなくていいよ。旅行も、○○さん(伯
父)が、ときどき連れていってくれるから、それでいいよ」と。

 母親は、決して「お金がない。」「お金がほしい」と言わない。R君を、言葉巧みに、誘導した。
そしてそのたびに、R君は、五〜一〇万円のお金を、母親に届けた。


●そして事件が起きた

そのとき母親は、上の姉夫婦と同居していた。しかしあまり居心地のよい世界ではなかったら
しい。母親は、敷地の横に、自分の家、つまり離れを建てることにした。

 その間の、こまかいいきさつは、私は知らないが、その建設資金は、R君が出すことになっ
た。R君名義の家ということで、R君が、銀行から、お金を借りた。毎月、五、六万円の返済額
だったというが、決して楽なお金ではなかった。ボーナス月には、二〇万円近い、お金の返済
を迫られた。

 そんなとき、事件が起きた。

 R君が、半年の予定で、中国の上海に出張に行くことになった。子どもがいなかったこともあ
って、R君の妻も、いっしょに行くことになった。そのときのこと。何かあってはいけないからとい
うことで、R君は、自分の土地の権利書と印鑑などを、母親に預けた。

 土地は、名古屋市の校外に買い求めた、四〇坪あまりの土地の権利書だった。R君は、ゆく
ゆくは、そこに、自分の家を建てるつもりだった。

 しかし、だ。半年後にR君が、日本へ帰ってみると、その土地は、母親によって、他人に転売
されていた。

●母親と決裂

その夜、R君は、母親に泣いて抗議した。長い電話だったが、最後に母親は、こう言ったとい
う。「親が、先祖を守るために、息子のお金を使って、何が悪い。お前を大学を出すために、私
が、いくらお金を使ったと思っている。まず、そのお金を、返せ!」と。

 それは、いつもの、あのやさしい、ネコなで声で話す母親の声ではなかった。ぞっとするほ
ど、冷たく、はげしい言い方だったという。

 R君は、こう言う。

「親をだます子どもの話は、よく聞きますが、世の中には、子どもをだます親だっているので
す。この一件で、私と母親の関係は切れました。

 今でも、あのやさしい母が、心の中にいないわけではありません。ですから母を思うと、心の
中が、バラバラになってしまいます。

 で、それから一〇か月もの間、私は、毎晩、怒りと悔しさで、体がほてり、眠ることさえ、まま
になりませんでした。そのたびに妻が、私を介抱してくれました。

 しかしその一〇か月が過ぎたとき、私の中に、別の怒りが、ムラムラとわき起こってきまし
た。私の子ども時代を溺愛というクサリで、がんじがらめにした母への怒りです。

 今でも母はそのことを口にして、『お前をかわいがってやった』『だいじに育ててやった』と言い
ます。

 親類の伯父や、叔母も、『R雄は、お母さんにだいじに育ててもらったではないか』と言いま
す。

 つまり、まったくとぼけています。それからもう一〇年近くになりますが、あの話、つまり土地
の転売の話になると、母は、突然人が変わったように狂乱状態になります。手がつけられませ
ん。

 ですから私も、その話には、触れないようにしています」と。

●溺愛は、愛ではない

 親は、情緒的な未熟性、精神的な欠陥(けっかん)があって、子どもを溺愛するようになる。

 その愛は、どこかストーカーがもつ、「愛(?)」に似ている。一方的な思いこみによって、相手
を、自分の心のすき間を埋めるための道具として、使う。母親のばあいも、溺愛を、深い親の
愛と誤解することが多い。中には、子どもを溺愛しながら、「私こそ、親のカガミ」と思いこんで
いる人もいる。

 しかし自分勝手で、身勝手な愛であることには、ちがいない。こういうのを、代償的愛と呼ぶ。

 つまりは、「愛もどきの愛」ということになる。一見「愛」に見えるが、それは愛ではない。親子
のばあいは、子どもを自分の支配下において、自分の思いどおりに動かそうとする。

 だからこのタイプの母親は、子どもが自立していくのを望まない。あるいは、それをさまざまな
形で、阻止(そし)しようとする。最初に、私に電話をかけてきたときがそうだった。R君の母親
は、R君が、アメリカへホームスティすることに反対したのではない。飛行機事故を心配したの
でもない。R君の母親は、R君が、自分から離れていくのを、恐れた。

 いつか通りで会ったとき、R君の母親は、私にこう言った。

「先生、息子なんて、育てるもんじゃ、ないですね。あのR雄は、名古屋の嫁に取られてしまい
ました。親なんて、さみしいもんですわ」と。

 その言葉だけは、今も、鮮明に記憶の中に、残っている。
(040112)

●「親は絶対」……もしあなたが今、そう思っているなら、そういう考え方は、改めたほうがよ
い。あなたがそう思うのは、あなたの勝手だが、そう思うことによって、今度は、あなたは無意
識のうちにも、あなたの子どもに対して、子どもがそう思うのを、求めるようになる。何か、子ど
もがあなたに反抗したりすると、「何よ、親に向かって!」と。

こうした親意識(私は「悪玉親意識」と呼んでいるが……)は、あなたの子どもがそれを受け入
れれば、それなりに親子関係はうまくいくが、そうでないときは、親子の間に、大きなキレツを
入れることになる。くれぐれも、注意してほしい。

●悪玉親意識……親意識には、善玉親意識と悪玉親意識がある。「私は親だから、親の責任
と義務を果たす」と考えるのは、善玉親意識。一方、「親に向かって!」と親風を吹かすのを、
悪玉親意識という。悪玉親意識は、悪玉コレステロールのようなもので、長い時間をかけて、
親子のパイプをつまらせる。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(489)

依存心をつけさせる育児法

●依存性

 子どもに依存心をつけさせる育児法は、いくらでもある。まず「親がいなければ、何もできな
い」という意識を、徹底的に植えつける。

 親の優位性、親の絶対性、親の尊厳性など。こうしたものを、あらゆる機会を通して、子ども
に植えつける。

 先日、ある家庭に行ったら、そこの女性(七〇歳くらい)が、手乗り文鳥を飼っているのを知っ
た。そしてしばらくしていると、その女性が、その文鳥に向って、自らは、戸のうしろに身をかくし
ながら、こう話しかけた。

 「ホラホラ、(私は)行ってしまうよ。行ってしまうよ」と。

 それに答えて文鳥が、さみしそうな声で、ピーッ、ピーッと鳴いた。

 私はそれを見ていて、「手なづける」というのは、こういう方法をいうのだと知った。と、同時
に、それが日本型の子育ての基本になっていることを知った。

●手なづける

ペットを飼う人は、当然のことながら、飼い主に対して、依存心をもたせるようにペットを育て
る。エサの与え方がポイントで、主人の言うことを聞かなければ、エサを与えないというような育
て方をする。

 しかしこれはペットのばあい。

 ペットは、それでよいとしても、人間の子どもは、それではいけない。むしろ依存心をつけさえ
ないように育てることこそ、重要。そうでなくても、子どもは、親に依存しやすい。その(しやす
い)という性質を逆手にとって、子どもの心を操ってはいけない。

 少し前だが、Nテレビのある番組で、日本でも有名な演歌歌手のI氏が、涙ながらに、自分の
母親について語っていた。いわく「私は、母に、女手一つで、育てていただきました。産んでい
ただきました。私は、その恩に報いたく、東京に出て、歌手になりました」と。

 日本では、こうした話は、即、美談としてもてはやされる。あの番組を見て、涙をこぼした人も
多いはず。

 しかしI氏の母親は、本当にすばらしい母親なのだろうか。もちろんI氏は、「すばらしい母」と
言っていたが、しかし子どもを、そこまで追いつめたのは、いったいだれなのかということにな
る。

 私は、その陰に、I氏の母親自身がいたと思う。I氏の母親は、たぶん、I氏が子どものときか
ら、I氏に向って、「産んでやった」「育ててやった」を口グセにしていたと思う。

●依存心をもたせるのは卑怯(ひきょう)

子どもは、ひとりでは、生きていかれない存在である。その子どもの弱点を、逆に利用して、子
どもに依存心をもたせる育児法は、そもそもまちがっている。

 それはたとえて言うなら、経済的に弱者の立場にある妻に向って、夫が、「この家から出て行
け」と言うのに似ている。相手を身動きできない状態にして、その相手を思いどおりにする。実
は、子どもは、生まれながらにして、いつもその状態にある。

 ほかにたとえば、母親が子どもに、父親の悪口を告げるのも、それ。「あなたのお父さんは、
稼ぎが少ないでしょう。だからお母さんは、苦労するのよ」と。子どもは、母親の言うことに、反
論することさえできない。

 そういう弱者の立場にある子どもに、つまり、もとから依存しなければ生きていかれない子ど
もに、依存心をもたせるのは、実は、簡単なこと。簡単すぎるほど、簡単なこと。そういう親の
立場を利用して、あえて、子どもに依存心をもたせるのは、まさに卑怯、ということになる。

●依存心をもつ子どもたち

親に対して依存心をもった子どもたちが、自分の親への依存性に気づくことは、まず、ない。こ
れは脳のCPU(中央演算装置)の問題だから、自分で自分がおかしいということがわからな
い。わからないまま、たとえば一方的に親に依存したり、その依存性をごまかすために、親を
美化したり、権威化したりする。

 「私が親にこれだけ依存するのは、それだけ親がすばらしいからだ」と。

 こうして親子の間で、ベタベタの人間関係を形成する。俗に言う、マザコン人間は、こうして生
まれる。ためしにあなたの近くにいるマザコンタイプに、親を批判するようなことを言ってみると
よい。

 このタイプの人は、自分では、決してマザコンだとは思っていない。思っていないばかりか、そ
うであることが、人生の哲学になっていることが多い。だからあなたに、こう反論する。「そういう
話は、聞きたくない!」「親の悪口を言うヤツは、許さない!」と。

●再び、日本型の子育て論

日本では、古来より、親にベタベタ甘える子どもイコール、かわいい子イコール、よい子として
きた。そして親孝行をことさら重要視、それを子育ての「柱」にすえてきた。今でも、孝行論を家
庭教育の柱にしている、教育団体は、多い。

だからといって、孝行論を否定しているのではない。親を粗末にしてよいと言っているのでもな
い。しかし日本人は、今まで、孝行論を盾(たて)にとり、その甘い関係を、あまりにも美化しす
ぎてきた。親は、その孝行論に甘え、子どももまた、親に対して犠牲になることを、美徳と考え
てきた。

 こうした日本文化の特殊性は、外国へ出てみると、よくわかる。

 もちろんアメリカにも、オーストラリアにも、親思いの子どもは、いくらでもいる。子ども思いの
親も、これまたいくらでもいる。しかしそこにあるのは、純然たる、一対一の人間関係。その関
係の中で、親子でも、一対一の人間として、認めあっている。尊敬しあっている。……と、そこ
まで大げさでなくても、日本の親子関係とは、明らかに違う。

●子どもに求めない 

 仮にあなたが、依存心ベタベタの、マザコンタイプの人間であるとしても、それはそれで構わ
ない。あなたは、どこまでいっても、あなただ。

 しかしそれを今度は、あなたの子どもに求めてはいけない。子どももまた、どこまでいっても、
子どもだ。

 えてしてマザコンタイプの人は、ここにも書いたように、脳のCPUそのものが、どこかズレて
いるため、自分でそれに気づくことはない。それはたとえていうなら、カルト教団の信者のような
もの。おかしなことを一方でしながら、自分では、おかしなことをしているとは、思っていない。

●親であることのきびしさ

 では、どう考えたらよいのか。

 まず、親自身が、親であることのきびしさを、認識する。そのきびしさを、認識するところか
ら、子育てを始める。

 いつかあなたの子どもは、あなたの人間性を見ぬくときがやってくる。今までは、それでも、
「親だから……」「子だから……」という甘えの中で、その人間性をごまかすことができた。しか
しこれからは、そういう時代ではない。また、そうであってはいけない。

 子育ての第一の目標は、子どもを自立させること。そのためには、親自身も、また、自立しな
ければならない。子どもはそういう親の姿を見て、自らも、自立することを学ぶ。

 イギリスの哲学者でもあり、ノーベル文学賞受賞者でもあるバートランド・ラッセル(一八七二
〜一九七〇)は、こう書き残している。

『子どもたちに尊敬されると同時に、子どもたちを尊敬し、必要なだけの訓練は施(ほどこ)す
けれど、決して程度をこえないことを知っている、そんな両親たちのみが、家族の真の喜びを
与えられる』と。

 この言葉のもつ意味は、深い。
(040113)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


子育て随筆byはやし浩司(490)

一月一三日、火曜日の今日

●朝、起きる

 寒い朝は、起きるのが、おっくうになる。それで、何となく、いつまでもフトンの中にいる。

 本当の私は、睡眠障害? 寝つきは悪くないが、朝方、何度も、目が覚めてしまう。そしてそ
のたびに、目を閉じ、そのままぐいと、がまんする。すると、またいつの間にか、眠ってしまう。

 ときどき、目が覚めたとき、「今、何時だろう?」と思う。しかし電気をつけて、時計を見たので
は、そのまま本当に目が覚めてしまう。大きな目覚まし時計は、近くにあるが、それを手にとっ
て見ることはない。手にとったとたん、本当に、目が覚めてしまう。

 だから、いつも、そのままの姿勢で、目を閉じる。そして、がまんする。

 たいていは、夢を見て、目が覚める。もともと私は、右脳型人間なので、夢は、よく見る。それ
に私の夢は、リアル。よく「カラーの夢を見る人は、精神異常の人が多い」などというが、私は、
そのカラーの夢をよく見る。私は、精神異常者か?

 内容は、その日によって、ちがう。

 夢の中で、大笑いすることもある。しかしたいていは、恐ろしい夢。こわい夢。不安な夢。あと
で思い出してみると、それほど内容の濃い夢ではないのだが、夢の中では、感情が、何倍も、
増幅されるらしい。

 今朝の夢は、こんな夢だった。

 私の家の前に、大きな家が建った。そしてその家が、すぐ売りに出された。見ると、大御殿の
ような、家だった。

 で、その家を買った人がいた。で、そこに住むかと思っていたら、その買った人は、その家
を、どこかへもっていってしまった……。こわかった……。そんな夢だった。

 そう言えば、その大御殿のような家の屋根は、赤い屋根だった。やはり、私の夢は、カラーだ
った。

 で、目が覚めた。それで起きた。時計を見ると、午前六時。「八時までに、いくつか原稿を書
こう」と、心に決めて、パソコンの前にすわった。

 みなさん、おはようございます。


●突風

 今日は、猛烈な突風が、吹き荒れている。「台風みたいだ」と私が言うと、ワイフが、「台風よ」
と。

 朝方、眠っているとき、雨が、はげしく庭の木々をたたくのを、聞いたような覚えがある。「風
の音か」と思ったが、それは雨の音だった。

 こういう日は、自転車に乗るのが、たいへん。こいでも、こいでも、前に進まない。「追い風な
らいいけど」と私が言うと、「でも、西風みたい……」と、ワイフ。

 「西風なら、楽だ」
 「でも、帰りがたいへんね」
 「帰るころには、弱まっているよ」
 「そうね」と。

 自転車にまたがると、坂の下に向けて、自転車を、力いっぱい、こぐ。とたん、猛烈な突風。
首をすくめて、さらに力をいれてこぐ。そのとき、カラスが、宙に飛んだ。つづいてハトも飛ん
だ。「何だ、カラスとハトは、仲がいいんだ」と、どうでもよいことを考えながら、今度は、首をすく
める。

 そのまま大通りへ出ると、町に向かって走る。追い風だった。よかった。そう思いながら走っ
ていると、時折、自転車を倒さんばかりの横風。ハンドルを握りしめて、また走る。

 郵便局までは、約三キロ。読者の人が、本を七冊も買ってくれた。それに、オーストラリアの
友人に送る雑誌と、もう一人の友人に送るパソコンソフト。長い間の休みで、郵便局へ行く機
会がなかった。
 
 一〇分も走ると、風の冷たさが消え、体中がほてるように熱くなる。

 いつも通いなれた道だから、どうということはない。大型ショッピングセンターがあって、いくつ
かの医院がある。靴屋があって、自動車屋がある。あとは焼き鳥屋に酒屋……。

 郵便局へ着くと、私の横に、若い女性が、自転車を並べて置いた。どちらも、今にも倒れそ
う。私はポストの横に、自転車を隠した。その女性は、金網に立てかけて、自転車を置いた。
風さえなければ、のどかな昼さがり。日差しは、明るく、暖かい。そう思って、郵便局の中に入
る。

 何でもない、一日。本当に何でもない、一日。こうして私の、今日という一日が過ぎる。ときど
き「これでいいのか」と思うが、これ以外に、何ができる? 

 郵便局の外に出ると、案の定、カゴに入れておいた手袋が、風で飛ばされていた。重い手袋
だったので、近くにあった。そのとき、先に会った若い女性が、横にやってきた。

 「強い風ですね」と話しかけると、その女性は、ニコリと笑った。笑って、金網から自転車をは
ずすと、私とは反対方向に、自転車を向けた。

 私はそのまま、町へ、仕事に向かった。


●参観

最初は、年中児クラスだった。が、レッスンが始まるとすぐ、母親たちが、みな、外へ出ていっ
てしまった。

私の教室は、過去三〇年以上、全参観授業をつらぬいている。親たちに見てもらうことで、質
を高めてきた。親が見ているといないでは、緊張感がちがう。私はその緊張感を大切にしてき
た。

で、教室には、親が一人もいなくなった。私の教室では、たいへん珍しい。めったにないこと。
「?」と思いながら、レッスンを進めた。

 一月からは、「数」の学習を、集中的に進める。今日は、まず数の楽しさを、徹底的に印象づ
ける。方法は簡単。数の勉強をしながら、子どもたちを笑わせればよい。

 笑うことにより、子どもの心は解放され、そしてそこから前向きな姿勢が育つ。途中で、「数の
勉強、好きな人?」と聞くと、全員が、「ハーイ」と手をあげてくれた。しかしそれこそ、私のねら
い。

 この時期、年中児は、急に、少年、少女ぽくなる。幼児期から、少年、少女期への移行期と
みる。

 で、親たちが見ていないから、どこか軽いノリで、レッスンを進めることができた。私はもとも
と、冗談好き。ものまね大好き。じい様先生や、ばあ様先生のまねをしてやると、子どもたち
は、ゲラゲラ笑った。

 ダラダラとしたレッスンは、かえって学習効果を薄める。とくに幼児期はそうで、集中的に、パ
ッパッとレッスンを進めるのがよい。子どもの頭を興奮状態にする。実際、レッスンの前とあと
とでは、頭の熱さがちがう。頭をさわってみれば、それがわかる。

 で、私のところでは、四五分間なら、四五分間、子どもを笑わせつづけることも、よくある。一
度、そういう状態になると、それこそ風が吹いても、子どもは笑うようになる。だれかが、鉛筆を
落としても、笑うようになる。

 今日も、そうだった。

 レッスンが、終わるころ、母親たちが、ゾロゾロと教室へ入ってきた。

 「今日は、みなさん、どうかなさったのですか?」と声をかけると、一人の母親が、「銀行へ行
ってきました」と。別の母親は、「買い物に行ってきました」と。「また、子どもたちの勉強を見て
あげてくださいね」と言うと、「わかりました」と。

 こうした幼児教室で一番重要なことは、なごやかな雰囲気。母親たちがピリピリしだすと、そ
こで子どもの伸びも止まってしまう。それだけは、絶対に、避けなければならない。そんなことを
考えながら、みんなと別れた。


●空腹

当然のことながら、仕事をしているときは、夕食の時間は、決まっている。家にいると、おなか
がすいたときが、食事どきということになる。正月の休みの間は、ずっと、そうだった。そのせい
か、空腹に対する抵抗力が、ぐんと弱くなったように感ずる。

 今、時刻は、四時二〇分。三〇分間の休み時間がある。その間に、この文章を書いている。
が、それにしても、おなかがすいた。今日は、昼に、小さなパンを二個、食べただけ。

 お茶を飲んで、胃袋をだます。

 そのとき、ふと、「欲望とは何か」を考える。私たちは、常に、自分の欲望を満足させるため
に、生きている。ここでいう食欲もその一つだが、食欲だけとは、かぎらない。性欲に始まり、
所有欲、名誉欲、独占欲、出世欲などがある。こうした欲望を満足させようとするとき、私たち
は、いつも、何かのカベにぶつかる。

 言いかえると、私たちにとって、生きるということは、そのカベとの戦いということになる。つま
り欲望があるからがんばるのではなく、欲望の前に立ちふさがるカベがあるから、私たちはが
んばるということになる。

今の私が、そうだ。「食事をしたい。しかし、その時間がない」と。

しかしそのカベを取り払ったら、はたして人間は、自由になるのだろうか。よい例が、どこかの
国の独裁者である。

 独裁者は、最大限まで、そのカベを取り払った人と考えてよい。自分に反対する者、反抗す
る者を、殺してしまうことさえできる。もちろんほしいものは、この世にあるかぎり、何でも手に
入る。核兵器だって、手に入る。

 しかしそれが人間がもとめる究極の生活であるとは、だれも、思わない。むしろ、そういった
人物に、ある種のあわれみすら、感ずる。それは、なぜだろうか?

 実は、ここに限界の美しさがある。

 たとえば水の中を泳ぐ魚は、水の中から出て、陸を歩くことはできない。しかしときおり、水面
ではねて、外の空気を吸うことはできる。

 反対に空を飛ぶ鳥は、水の中を泳ぐことはできない。しかしときおり、水の中にもぐって、魚を
取ることはできる。

 それぞれが、その与えられた限界の中で、懸命に生きている。カベというのは、今の生活を
包む、その限界と考えてよい。

 空腹を懸命にこらえながら、仕事をする。子どもたちの前で、カラ元気を出す。「あと一時間
で、夕食にありつける」「あと三〇分で、夕食にありつける」「あと五分だ……」と。こうしてがん
ばるところに、生きる人間の美しさがある。

 人間は、だれしもそうした限界状況の中で、懸命に生きている。……とまあ、空腹のことを考
えていたら、そんなことまで考えてしまった。


●生意気な子ども

どうしてそうなるのか、わからない。心が壊れるためか。ときどき、……というより、ある一定の
割合で、生意気な子どもというのが、現れる。

 おとなの世界を、なめきっているような感じ。あるいはおとなを、おとなとも、思わない。先人
に対する、一片の敬意もない。教育でどうこうなる問題ではない。こうした子どもは、(家庭)が
原因で、そうなる。

 「勉強さえできればよい」と、考える子ども。「勉強さえできればよい」と、考える親。こうした環
境から、生意気な子どもが生まれる。これは家庭教育の問題というよりは、日本の社会が構造
的にかかえる問題といってよい。

 学校の教育で、どうこうなる問題ではない。いわんや私の指導で、どうこうなる問題ではな
い。私は、ただあきらめて、つまり、「まあ、そういうもの」と納得して、仕事をするしかない。


●帰り

仕事が終わったのが、午後九時過ぎ。電気を消し、ストーブを消して、簡単に掃除をする。

 それから分厚いコートを、ていねいに着て、駐車場へ。

 風は、相変わらず、強い。「これはたいへんだ」と思いながら、自転車を、道路へ出す。とたん
冷たい空気が、頬を切る。

 この時刻になると、自転車に乗っている人は、まずいない。いわんや、私の年齢で、自転車
に乗っている人はいない。どこか、わびしい。大型の高級乗用車が、私とすれちがうたびに、ど
んな人が運転しているのだろうと、窓の中をのぞく。

 しかし今夜の風は、例外。大通りに出ると、自転車が、前に進まない。ギアは、一番ローにし
てあるが、それでも、前に進まない。

 懸命にペダルをこぎながら、腕を手前に引く。ワイフが、「台風よ」と言ったのを思い出す。と
きおり、冷たい雨が、顔に当たる。

 しかし、いつもそうだが、一〇分もこいでいると、体が熱くなる。そしてそれが、全身に広がっ
たとき、それは心地よさに変わる。

 リズミカルに、こぐ。リズミカルに、息を吸って、吐く。結局、N中学校の坂を登りきるまで、サ
ドルにおしりをすえることはなかった。が、そこからは、長い、くだり坂。呼吸を整えながら、一
気に、坂をくだる。実は、その爽快感(そうかいかん)が、たまらない。

 サーファーが、波をくだるときの、爽快感?
 スキーヤーが、白い雪をまき散らしながらすべりおりるときの、爽快感?

 まあ、それに似たような爽快感? 自分では、勝手にそう思っている。

 家に帰るころには、さわやかな汗が、しっとりと全身をぬらす。そしてコタツに入り、ココアを飲
む。レーズンパンを、一つ、口に入れる。そしてこうして、パソコンに向って、文章を書く。

 ……ほどよい眠気が、ユラユラと身を包む。今、ワイフが、就眠儀式を始めたところ。見たこ
とはないが、洗面所で顔を洗って、化粧を落としているらしい。どうして女性は、毎日、あんなめ
んどうなことをするのか……と、思いつつ、私も、寝る準備をしなければならない。

 今日は、私の一日を書いてみた。では、みなさん、おやすみなさい。
(040113)

【追記】

 フトンの中に入ると、ワイフがこう言った。「今日、市役所の資産税課に行ったらね、『著述業
って何か?』て、聞かれたの。それで私、あれこれ説明したんだけど、『それは、職業ではない』
と言うのね。失礼しちゃうわ。会社勤めをすることだけが、仕事だと思っているのね」と。

 「だったら、今度から、職業論に、『無宿、無頼(ぶらい)』とでも、書いておけばいい。あんな
のまじめに書く必要はない」
 「今の若い人って、そうなのかしら?」
 「そうだね。自由業(フリーター)ってものを、認めていない」
 「学校だけが、勉強するところと考えるのと、同じ、発想ね」
 
「頭がカタイって、こと。そういう人というのは、組織あっての人間と考えるからね。組織からは
ずれた人の、価値を認めない。江戸時代の身分制度の名残だよ」
 「一五〇年以上も前の江戸時代が、いまだに日本人の心の中に生きているなんて、おかしな
感じがするわ」
 「そういうこと。日本人は、過去、一度も、封建時代を、清算していないからね」と。
 
+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


子育て随筆byはやし浩司(491)

【今週のBW教室から】

●じゃんけん

小学五年生の子どもたちに、こう言った。

「ぼくに、じゃんけんに買ったら、お年玉を、一〇〇〇円、あげる」と。すると一番、活発なY君
が、「ぼくが、やる!」と。

私「いいか、ぼくにじゃんけんに買ったら、一〇〇〇円、あげる」
Y「あいこだったら?」
私「あいこだったら、何もあげない」
Y「わかった。でも、ぼくが負けたら?」

私「何もしないよ。じゃあ、するよ」
Y「わかった……」
私「ぼくは、君に負けてあげたい。だから、ぼくは、グーを出そうと思う。いいか?」
Y「……うん、わかった……」

私&Y「じゃんけん、ポイ!」

 どちらが買ったか、みなさん、わかりますか?

 私は、正直にグーを出した。しかしY君も、グーを出した。

私「あいこだ」
Y「あいこだ」
私「だから、何もあげない」
Y「ゲーッ」

 つまり、Y君は、私がウラをかいて、チョキを出すと思った。だからY君は、グーを出した。

私「だから、ぼくは、グーを出すと言っただろ」
Y「本当に、グーを出すとは思わなかったよ」
私「君は、ぼくを日ごろから、疑っているから、そうなるのだよ」
Y「ははは」と。


●熱くなる頭

一時間なら一時間の間、子どもたちを興奮状態にすると、子どもたちの頭が、熱くなっている
のがわかる。

 レッスンのあと、子どもの頭を、手でなでてみれば、それがわかる。

 しかし、どうやってその興奮状態にもっていくかが、たいへん。そして重要。一つの方法として
は、とにかく子どもたちを楽しませること。笑わせること。

 たとえば今日のレッスン(一月一五日、木曜日、年長児クラス)でも、子どもたちは、一時間
の間、笑いつづけた。(参観の親たちが、七、八人いて、みなさん、私のマガジンを購読してく
れているので、ウソは、書けない。)

 で、五〇分のレッスンが終わったとき、「さあ、終わり」と私が言うと、全員(一二人)、「いや
だ」「もっとする」「何も勉強してない」と叫んだ。(これも、本当の話!)

 恐る恐る、「プリントが二枚残ったけど、来週、しようね」と言うと、これまた大抗議。蜂の巣を
つついたような騒動になってしまった。

 しかしこれが私のやり方。『楽しく学ぶ子どもは、よく学ぶ』(イギリスの格言)である。終わっ
たとき、一人ひとりに、ほうびのシールを張ってあげるとき、頭をなでてあげると、みな、熱い。
ふつうの熱さではない。ポーッと熱さがわかる熱さである。

 横にいた母親たちに、「子どもたちの頭にさわってみてください。熱いですよ。この時期、頭を
熱くすることは、とても大切なことですよ」と声をかけてあげると、母親たちは、うれしそうに笑っ
た。

こうい暖かい雰囲気が、子どもをさらに伸ばす。


●家庭内、冬の陣

このところ、寒い。それで私も、いろいろ工夫をしている。

 数日前も、服を着たまま、その上にパジャマを着て、寝た。ワイフは怒った。私はこう言った。
「このほうが便利だ。起きたとき、パジャマを脱げば、そのまま仕事ができる」と。

 しかし、その寝苦しいことと言ったら、なかった。通気性が悪いため、ときどきフトンをはぐ。し
かししばらくすると、今度は、体が冷える。一晩中、その繰りかえし。

 で、朝になって、「やはり、寒くても、素肌にパジャマを着て寝たほうがよい」とワイフに言うと、
ワイフは、「フン」と言って笑った。

 そこで私は考えた。

 今度は、寝室につづく廊下に、脱いだ順に服を並べておいた。朝、起きたとき、その反対に
服を着ればよい。

 セーター、ズボン……最後に、靴下と。

 が、朝、起きてみると、廊下に何もない! あわててさがすと、すべて今のソファのところに山
積みになっている。私がせかっく並べておいてものを、ワイフが、片づけてしまった!

 「どうして片づけた!」と怒ると、「廊下に、脱いだものを置いておかないで!」と。ワイフには、
私のアイディアが理解できないようだ。

 で、一つ、告白。

 少し前、ワイフと、市内へ買い物にでかけた。歩いているとき、ワイフが、「あんた、少し、おか
しいんじゃない?」と。

 見ると、私は、パジャマの上に、ズボンをはいていた。そのパジャマが、ズボンのすそから、
下へはみ出ていた。が、そのときは、「いよいよボケの始まりか……」と、心底、私はゾーッとし
た。この話は、おまけ。

 で、今朝のこと。

 朝早く起きて、原稿を少し書いた。書き終わったところで、時計を見ると、まだ午前六時、ちょ
っと過ぎ。もう一度、寝なおそうと思って、寝室へ。そしてフトンの中に……。

 「おい、フトンの中で、出すなよ!」
 「あら、出た?」 
 「バカヤロー、臭いだろ!」
 「しかたないじゃない、出ちゃったんだから……」
 「出ちゃったって、お前のお尻だろ」
 「ごめん」と。

 しかし寒さには、がまんできず、フトンを二度、三度はたいて、私は、フトンの中に……。我が
家はまさに今、冬の陣の真っ最中。


●目で見える世界

 丸裸の、つまりは、「無私」の「私」とは、どんな私を言うのだろうか。
 
そこで、私は、目を閉じる。そして、暗闇の中で、「私」を想像する。

私は見知らぬ国に住む、見知らぬ私だ。遠い、アフリカでもよいい。南米でもよい。まだ行った
こともない国の、見たこともない人であればよい。それが「私」だ。

もちろん、そこに住む「私」には、私がない。今、あなたがもっているような、財産もなければ、
名誉も、地位も、ない。家族もない。あなたが今、かかえている、わずらわしい問題も、ない。

 その私は、何ももたない。何もほしがらない。何も求めない。

 が、その私に、やがて「あなたという私」がくっついてくる。「私の名誉」「私の地位」「私の財
産」「私の家族」「私の子ども」と。とたん、あなたのまわりが、にぎやかになる。騒々しくなる。

 そこで改めて考えてみる。

 どうして、私が私であり、あなたがあなたなのか、と。

 そのちがいは、「無私の私」の上にくっついた、欲望であるということになる。何となく、哲学め
いてきた話になってきたので、あまり深入りしたくはないが、簡単に言えば、そういうことにな
る。

 この欲望が、私を私らしくし、あなたをあなたらしくする。そういう意味では、人間は、まさに欲
望のかたまり。「私の名誉」「私の地位」「私の財産」「私の家族」「私の子ども」と。

しかし本当に、それが、「あなた」なのかというと、そうではない。いつしか人は、私が私であるこ
とを忘れ、その欲望に振り回されるようになる。そしてその結果、本来の「私」を忘れてしまう。

 考えてみれば、私が死ねば、私は、この世界から、消えてなくなる。と、同時に、私にとって
の、この宇宙も、消えてなくなる。「あの世がある」と説く人も多いが、私には、わからない。仮に
あるとしても、それは死んでからのお楽しみ。

 ともかくも、私が死ねば、すべてが消えて、なくなる。そのことがわからなければ、一〇〇年
前、一〇〇〇年前に死んだ人を、思い浮かべてみればよい。一人の例外もなく、人は、すべて
そうなる。

 唯一の望みは、「あの世」である。あの世があれば、消えてなくなるという恐怖からは、解放さ
れる。あの世でも、私は私として、生き残る(?)ことができる。

 しかし、その、あるかないかわからないようなものに、今の人生を、かけるわけにはいかな
い。それはちょうど、当たるか当たらないかわからない、宝くじのようなもの。それともあなた
は、宝くじが当たることをアテにして、家を建てるとでも言うのか?

 そこでもう一度、目を閉じてみる。そして、その暗闇の中で、私を思いやる。顔の形? 容
姿? そんなものに、どんな意味があるというのか。座右に、高級時計や、高級バッグがあっ
ても、そんなものに、どんな意味があるというのか。

 それがわからなければ、子どもたちのゲームを見ればよい。「ブルーアイズが何点」だの、
「融合カードがどうした」だの、そんな話ばかりしている。力の強さは、点数で表される。その点
数に、一喜一憂する。つまり、おとなの世界も、それと同じ。あるいは、どこがどう、ちがうという
のか?

 目を閉じれば、あなたが何か、わかるはず。暗闇の中で、静かに息をしている、あなたが何
か、わかるはず。もうそこには、あなたの肉体すら、ない。あるのは、ただ心だけ。あなたという
「心」だけ。

 さらに、理解を深めるために、その暗闇の中で、逆に、あなたの莫大な財産と、名誉や地位
を想像してみればよい。あなたは想像しながら、その無意味さを、同時に知るはず。仮に、「あ
の世」という無限の時の流れと、未来があるとすらなら、さらにそうだ。まだ話はわかりやすい。
この世や、この世のものに執着する必要など、どこにもない。

 私は私。それはわかる。しかし、その私は、何なのか。その私は、どこにいるのか。それを知
りたければ、静かに目を閉じて、暗闇の中で、自分をさぐってみればよい。そして欲望の一つ
一つを、あなたの心から、はがしてみればよい。やがてあなたも、目の前に広がる、この「見え
る世界」の、小ささに、気づくはず。

 子どもたちが、カードゲームに夢中になっている姿を横から見ながら、私は、ふと、そんなこと
を考えた。


●江戸時代の亡霊 

 人間の意識は、簡単には変らない。変らないというのではなく、変えようという意欲がなけれ
ば、変わらない。いや、その前に、学習しようとする意欲がなければ、その意識に、気づくことも
ない。

 「いまだにこの日本は、江戸時代の亡霊を引きずっている」と私が言うと、みなは、こう言う。
「そんなはずはない。江戸時代は、もう一四〇年前に終わった。それに日本は、明治維新を経
験している」と。

 しかし、あなたは、本当にそう言いきることができるか?

 男尊女卑思想、「家」意識、身分制度、家長制度、出世主義などなど。私たちの生活の、あり
とあらゆる部分に、江戸時代は、まだ生きている。生きていながら、いまだに、私たちの生活に
大きな影響を与えている。

 たとえば江戸時代の身分制度は、やがて学歴制度に、姿を変えた。その身分は、学歴や、
出身大学や高校で、判断される。家制度にしても、そうだ。最近でも、こんな話を耳にした。「最
近」と言っても、つい先週だ。

 N県の友人のところに、叔父から電話がかかってきたという。そしてその叔父が、友人に、こ
う言ったという。

 「お前のところで勝手なことをすると、代々つづいたD家(け)の家紋に、キズがつく。D家の恥
になるようなことはするな。行動には、くれぐれも、注意してほしい」と。

 D家といっても、今は、山林農家(失礼!)。友人の家で、その友人家族が、何か、世間で目
立つようなことをしたらしい。それで友人の叔父が、そう言ってきた。

 こうした意識を変えるためには、まず、その意識に気づくこと。つぎに、それぞれの人が、自
分で考えること。変える、変えないは、あくまでも、その結果でしかない。それをしないと、結局
は、過去の意識を、そのまま引きずってしまう。

 よい例が、学歴信仰だ。

 これほど、受験競争の弊害が問題になりながら、毎年、毎年、親たちは、同じことを繰りかえ
す。ほとんどの親たちは、教育イコール、勉強ができるようにすることだと思いこんでいる。

 もちろん勉強も大切だが、しかし教育は、それだけではない。またそれだけであってはいけな
い。が、親たちの意識は、昔のまま。少なくとも、三〇年前と、何も変っていない。

 だからといって、親たちを責めているのではない。親たち自身が、その意識に気づいていな
い。また考える機会も与えられていない。何がなんであるかも、またどうあるべきかもわからな
いまま、子育てを始める。そしてそのとき、手っ取り早く、自分の過去を再現する。

 一つの方法としては、あなたの周囲にも、封建時代そのままの人はいくらでもいる。そういう
人を、反面教師としたらよい。それについては、たびたび書いてきたので、ここでは省略する
が、そういう人たちを見抜く力も、忘れてはならない。

 意識というのは、決して普遍的なものではない。また絶対的な意識というものも、ない。とりあ
えず、あなた自身がもっている意識を疑ってみること。すべては、そこから始まる。


●将棋(しょうぎ)

このところ、将棋にハマっている。パソコン相手に、しかし、悪戦苦闘。前にも書いたが、パソコ
ンは、それほど強くないが、しかしヘマをしない。だから強い。一方、私はヘマをする。だから、
弱い。

 そこで「ヘマ」とは何かを考える。

 人間の行動には、スキがある。油断や、無駄がある。こうしたものが総合して、ヘマになる。

 そこでもし、人間の行動から、ヘマがなくなったら、人間の生活は、どうなるか。ムダがない分
だけ、効率はよくなる。しかしそういう生活は、それこそ機械じかけの生活のようで、味気ない。
おもしろくない。つまらない。

 もっともパソコン相手の将棋では、私のほうがヘマをしたときは、手を戻す。クリック一つで、
簡単にできる。が、そのとき、また考える。

 人間が相手だったら、こうはいかないだろうな、と。

 人間なら、怒ってしまうにちがいない。しかしパソコンは、怒らない。しかし、これがまた、私に
とっては、おもしろくない。パソコンが、「待ったはなしだ!」と、怒鳴ってくれたり、「もう、やめ
た!」とでも言ってくれれば、おもしろいのだが……。

 そういうソフトも、そのうちできるだろうと思うが、しかしやはり、どこかもの足りない。

 今、私がもっているソフトは、レベルを調整できる。〇級から一〇級程度まで。で、私が、今し
ているレベルは、二〜三級程度。(本当は、一級程度。ハハハ)

 一応、まあまあ楽に勝てる程度にしてある。しかし簡単には、勝たない。

 勝ちそうになると、まず相手を、丸裸にする。王将以外のコマは、全部取る。そしてそのあと、
ゆっくりと、王将を追いつめる。それが、私には楽しい。

 こういうときでも、相手が人間なら、怒って駒を投げつけるか、投了する。が、パソコンは、し
ない。一応、最後の最後までがんばってくれる。

 この方法は、ストレスを解消するためには、結構、役にたっている。

(内緒の話だが、私はいつも、どこかの国のあの独裁者の名前を、その王将につけている。そ
して追いつめるとき、「さあ、どうだ、XXX」と、叫びながら、将棋をしている。)


●スケベな話

広島市に転勤した、Tさんから、メールが入った。「先生のマガジンには、ときどき教育マガジン
らしからぬ、スケベな話が入っていて、おもしろい」と。Tさんというのは、もちろん女性である。
以前は、この浜松市に住んでいた。

 私もスケベな話は嫌いではないが、このところ、ぐんと元気がなくなってきた。しかしこれは、
同時に、深刻な問題でもある。

 あのフロイトは、すべての人間の行動の原点に、(性的エネルギー)があると説いた。(フロイ
トも、結構、スケベな人だったらしい。)それはわかるが、もしそうなら、性的エネルギーが低下
するということは、生命力そのものが弱くなることを意味する。

 スケベであるかいなかは、若さのバロメーターということになる?

 五〇歳を過ぎたころから、おかしいと思うようになったのは、男と女の区別がつかなくなったこ
と。若いころは、女性を見ると、男の私とは、宇宙人ほどの「差」を感じたが、今は、「女性も男
性と同じなのだな」と思ったり、「男性も女性と変わらない」などと、思ったりする。(このことは、
前にも書いたので、ここでストップ。)

 で。Tさんは、こう言う。「私は、夫との回数は、平均的な夫婦よりは多いと思うのですが……」
と。

 こういう話が、若い母親から出るようになったことを、喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか。つ
まりますます、私は、中性化したということになる。若いころなら、こういう手紙を読んだだけで、
あらぬ想像をして、鼻血を出したかも……? 今は、「ふうん」と思って、それで終わる。

 しかし私の年代には、スケベな話は、「卑猥(ひわい)」とか、「陰湿」とか、そういうことになっ
ている。「隠すべきもの」という意識も強い。が、こうした意識が、日本独特のものであること
は、昔、スウェーデンの性教育協会会長のE・ベッテルグレン女史の通訳をしていたときに知っ
た。

 一〇年や二〇年前の話ではない。三〇年前の話である。

 スウェーデンの大学には、「性」に関する、講座もあるという。その講座では、教官が、学生た
ちに、マットを敷かせる。そしてつぎに名簿から、ランダムに男女、一名ずつの名前を呼び、そ
のマットの上で、裸になって、セックスをするように命ずるという。

 そのセックスの仕方を、みなで見ながら、どうしたらよいか、どうあるべきかを、討論したり、
議論したりするという。

 あまりにも当時の常識とはかけ離れた話で、通訳しながら、私ですら何度も、「本当です
か?」と聞いたほど。一度、ある女子短大で通訳したときは、学生たちがキャーキャーと騒ぎ出
して、講演がストップしてしまったこともある。

 日本人も、もっとオープンに「性」について論じたらよいのではないか。しかも、まだその元気
のあるうちに……。私のように、男と女の区別がつかなくなってからでは、遅すぎる!

 Tさん、がんばってくださいよ。まだまだお若いようですから!


●「風の又三郎」

車のダッシュボードの中から、一本のカセットテープが出てきた。息子のために、昔、買った、
朗読テープである。そんなわけで、ドライブをしながら、宮沢賢治の『風の又三郎』を、改めて、
聞きなおした。

この世界には、児童文学というジャンルがある。私は、その児童に毎日接しているが、その児
童文学というのが、どうもよく理解できない。「風の又三郎」も、その一つ。

 ストーリーは、ご存知の方も多いと思うが、物語は、谷川の小さな学校に、高田三郎という一
人の少年が転校してくるところから、始まる。

どこか都会的で、違和感のあるその三郎は、やがて又三郎ではないかと、うわさされる。その
地方には、風の精である、「風の又三郎」が、風を起こすという言い伝えがあった。

 物語り全体は、三郎と学校の子どもたちの微妙なやりとりが中心となって、進んでいく。その
やりとりが、この物語の主題になっている。とくに四年生の嘉助が、三郎を、「又三郎」と、思い
こむのが、ひとつの柱になっている。

 しかしどうも、その柱が、こじつけ的? 無理がある? 嘉助自身も、何度も、「(又三郎に)違
いねえ」と繰りかえしている。この「違いねえ」を繰りかえさねばならないところに、無理がある。
(私なら、三郎を、最初から、又三郎の化身として登場させる。そのほうが、話の内容がすっき
りする。)

 見せ場は、放牧してあった馬が逃げるところだが、それはまだこの本を読んでいない人のた
めに、ここには書かない。

 で、テープを聞き終えたあとの感じとしては、「まあ、こういうものかな?」というところ。私の印
象としては、子どもの「像」をつくりすぎているのではと、思った。もっともこうした名作となってい
る文学を批評するのは、勇気がいる。ヘタな批判をすると、反対に、私のほうが、はじき飛ばさ
れてしまう。

 だから批評は、ここまで。この物語には、いわゆる古きよき時代の「学校」というものが、よく
表されている。テープを聞きながら、「昔はこうだったなあ」という、懐かしさを感じたのは、事
実。


●肝機能低下+チアノーゼ

アルコールを多飲すると、それが原因で、アルコール性肝硬変へと進行するという。恐ろしい
病気である。

 症状はいろいろあるらしい。

 疲れやだるさなど。ただ肝臓は、「沈黙の臓器」と呼ばれているくらいで、かなり病気が進行し
た状態でないと、症状が現われないらしい。つまり症状が出たときには、かなり肝臓が悪化し
ているということ。

 で、さらに悪化すると、肝細胞ガンや、肝性脳症になるという。この段階になると、症状は、急
速に悪化するらしい。肝性脳症というのは、いわゆる「発狂寸前の状態」をいうらしい。インター
ネットで調べたら、いろいろわかった。

富山市民病院の富山医の吉本博昭氏のホームページには、こうある。

「全身倦怠感、腹がはる、食思不振である。他覚的には、肝腫大、クモ状血管腫、手掌紅斑、
女性化乳房、食道静脈瘤を認める。非代償期には、黄疸、腹水、浮腫、食道静脈瘤の破裂を
呈する」と。

 タイプとしては、大酒飲みの人、暴飲暴食ぎみの人に多いという。女性のばあい、男性と比較
して、より少量の酒で、アルコール性肝硬変になるという。またチアノーゼ(紫色の血行不良症
状)が出るというのは、内臓疾患でも、末期だそうだ。

 ここまで書いて、「そう言えば、あの人も……」と思い当たれば、あなたはかなりの国際通。

 今朝の朝刊の、ある週刊誌の見出しに、こうあった。

 「金XX重病、緊急入院。この迫真情報。モスクワより医師がピョンヤンに。肝機能低下、チア
ノーゼ症状」と。

 他人の病気をとやかく言ってはいけないが、しかしやはり言ってはいけない。どの人も、平等
に人間だし、病気で苦しんでいる人を、笑ってはいけない。喜んではいけない。(がんばってい
るぞ!)その人がどんな人でも、罪を憎んで、人を憎まず。(かなりがんばっているぞ!)そうい
う話を、おもしろおかしく聞いてはいけない。(がんばってる、がんばってる……)人間は、やは
り正々堂々と、論をかわさなければならない。(ああ、もう、だめだ!)

 さっそく、これからその「激震スクープ」とやらが載っている「週刊文春」を、買いに行ってくる。
ごめん!
(040115)

【追記】近くのコンビニによったら、すでに「週刊文春」は、売り切れ。同日発売の「週刊新潮」
は、全冊、まだ残っていた。大型のY書店へ行ってみると、「週刊文春」と「週刊新潮」は、8対1
0くらいの割合だった。「週刊文春」のほうが、たくさん売れていた? 私もワイフに一冊買っ
た。いかに金XXの記事が衝撃的かが、これでわかる。同時に、いかに多くの日本人が、金XX
の動静に関心があるかが、これでわかる(15日、午後4時現在)。このつづきは、次号で。ここ
でマガジン(1月22日号付)の配信予約を入れることにする。

ついでに一言。ああいうメチャメチャな独裁者は、K国の人たちのためにも、早く滅んだほうが
よい。「週刊文春」によれば、後継者として最有力視されているのは、あの正男氏(今は、まだ
「氏」をつけておく)だそうだ。何とか「まともな人」であってほしいと願うのは、私だけではないと
思う。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


子育て随筆byはやし浩司(492)

●面接で得する子ども、損する子ども

 能力もすぐれている。性格も悪くない。しかし面接で、損をする。そんな子どもがいる。

 二〇年ほど前に出会った、M君(中三・男子)がそうだった。野球が好きで、土日は、一日
中、野球をしていた。

 が、どこかツパッた表情をする。目を伏目にした上、さらに流し目にして、相手をみる。目つき
が鋭い。やや肩を落として歩く。そしてどこか投げやりな態度を示す。

 このタイプの子どもは、面接では、不利。どうしても試験官に悪い印象を与えてしまう。そこで
M君を、私は何度も注意した。が、一向になおらない。身についたクセというのは、そういうも
の。部屋に入った瞬間、着席した瞬間に、それが出てしまう。そのため一時的に注意したくらい
では、効果はない。

 で、案の定、高校入試では、成績は悪くなかったが、面接で落とされた(?)。が、母親がそれ
に納得しなかった。夜中に私の家に来て、「どうしてすべったか、説明してほしい」と。

 私は、「わからない」を繰りかえしたが、母親は、「M男は、テストはできたと言っている。うち
で採点しても、二〇〇点を超えている。私は明日、学校に抗議に行くから、先生もいっしょに、
行ってほしい」と。

 私がそれをていねいに断わると、母親はさらに怒って、こう言った。「うちの子どもを、一年
間、教えてきた、あなたの義務だ。いっしょに行ってほしい」と。

 そこでしかたないので、私は、「多分……」と前置きして、こう言った。「M君は、面接で、ひょ
っとしたら、ツッパリ症状が出たのかもしれません」と。が、この一言は、母親を、さらに激怒さ
せた。

 「うちの子は、ツッパッていません!」と。

 で、その翌朝のこと。M君の母親が、二人の男性を連れてきた。「先生は、うちの子がツッパ
ッていると言いますが、この二人の人は、M男のことをよく知っています。ツッパッていないとい
う証人になってくれます。先生が昨夜言ったことを、ここで訂正してください!」と。

 母親は、まさに狂乱状態だった。子どもの受験にかかわると、何割かの母親は、そうなる。こ
れは「子どもの受験」という魔物がもつ、宿命のようなもの。

 しかしやはり、M君のような子どもは、面接では不利である。

(1)アカデミックなまじめさが感じられない。
(2)動作や言動が、どこか攻撃的で、瞬間、人を見くだしたような態度をとる。
(3)話し方が乱暴。直感的。
(4)理知的な表情というよりは、どこかヤクザぽい。

 子どもがこうした症状を示すようになる原因は、いくつかある。乳幼児期の欲求不満が、尾を
引くことが多い。とくに愛情不足、家庭不和、不安定な家庭環境などが、子どもの心に大きな
影響を与える。

 そしてそれが長い時間をかけて、子どもの中に、「質」として、定着する。

 一方、面接で有利な子どももいる。能力はそれほどではなくても、試験官に好印象を与えるタ
イプである。

(1)どこかアカデミックで、すなおなまじめさが、感じられる。
(2)こちらの誠意や、やさしさが、スーッとしみこんでいくような感じがする。
(3)理知的な受け答えができる。話し方がていねい。
(4)心のゆがみ(ヒネクレ、イジケ、ツッパリなど)が、ない。
 
昔は、入試一本、つまり学力だけで、子どもの能力を判定した。しかし今は、ちがう。全国的
に、もう一歩、子どもの中に踏みこんだものを見て、判定する。そういう意味で、面接が、どこ
の学校でも重要視されるようになった。

 そこでどうするかということだが、親が、子どものそういう「質」に気づくことは、まず、ない。自
分の子どもしか見ていないこともあるし、親自身が、そういう「質」をかかえていることが多い。

 つぎに気がついたとしても、その「根」は深い。子ども自身がそれを注意したとしても、ふとし
た瞬間に、それが出る。試験官は、それを見落とさない。一二年間ほど、私立中学校の入試
にかかわりあってきたX氏は、こう言った。

 「学校というのは、万事、ことなかれ主義なんですよ。そのためそういう雰囲気のある生徒
を、敬遠するのです」と。

 書店へ行ったら、「受験の心得」のような本を売っていた。その中に、面接の受け方という項
目があった。私は読まなかったが、そういった技術だけでは、どうにもならない問題もあるとい
うこと。さらに最近では、「スパイ面接」という方法を、とるところが多い。

 子どもたちだけを自由に遊ばせながら、横から観察しながら、子どもをみるという方法であ
る。小中学校はもちろんのこと、会社の就職試験でも、採用するところがふえてきた。つまり
「付け刃(やいば)」では、ダメということ。やはり五、六歳までの教育が大切ということになる。
(040116)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


子育て随筆byはやし浩司(493)

●浜松市のよいところ

 この浜松市に住んで、今年で、三五年目になる。自分でも、これほど長くいるつもりはなかっ
た。しかし何かがよくて、三四年間も、住んだ。人生の大半を、この浜松市に住んだことにな
る。

 この浜松市のよいところは、あきないこと。

 車で二〇〜三〇分も走れば、海(太平洋)がある。湖(浜名湖や佐鳴湖)がある。郊外の田
園地帯がある。それに気候がよい。冬にいくら寒いといっても、あの北陸地方で感ずるような、
肌を切る刻むような冷たさは、感じない。どこかおだやか。

 雪はめったに降らない。降っても、積もることは、まず、ない。ほんのうっすらと積もることは、
たまにあるが、たいてい数時間で、消える。

 そしてこの平成時代。どこもかしこも、不景気。この浜松市とて例外ではないが、しかし有効
求人倍率にみるまでもなく、ほかの地方より、まだよい。浜松市は、工業都市。ホンダやスズ
キ、ヤマハなどの大会社が、ズラリと並んでいる。

 このことは、ほかの地方へ行ってみると、よくわかる。少し前、愛知県のX市で講演をさせて
みらったが、駅をおりてから、会場までに行く間、浜松市にはない光景に驚いた。ある一画だ
が、朽ちかけたバラック様の民家が、数一〇軒ほど、並んでいた。人が住んでいる気配はあっ
た。

 タクシーの運転手に、「ここもたいへんですね」と声をかけると、「不景気だからね」と。

 そのせいか、冬場になると、北海道ナンバーをつけたトラックが、町の中を走るようになる。
ワイフは、「出稼ぎにくるのね」と言うが、本当の理由はわからない。何か税法上のカラクリが
あるのかもしれない。

 それに浜松市のよいところは、人がサバサバしていること。都会的というか、ドロ臭くない。も
ともと街道の宿場町として発展したということもある。いわゆる「よそ者」に、寛大。おおらか。暖
かい。

 私も、そのよそ者だが、今まで、大きな差別を受けたことがない。むしろこのあたりでは、よそ
者のほうが、いばっている。態度が大きい。

 食べ物の種類も豊富。海産物がおいしい。安い。(ただし飲食店などの物価は、めちゃめち
ゃ、高い。)交通が便利。東京と大阪の、ちょうど中間あたりにある。適当な起伏があり、緑も
豊か。一年中、緑が消えることはない。何と、このあたりでは、水仙が、一二月から一月にかけ
て、咲く。

 いつも浜松市の悪口ばかり書いているので、みなは、私が浜松市が嫌いかと思っている。た
しかに不平や不満も多いが、しかしほかの町よりは、よい。好き。だから、私は、とっくの昔に、
この浜松市で死ぬことを決めた。「骨を埋める」という言い方は、私の言い方ではない。「ここで
死ぬ」。

 そうそう言い忘れたが、三四年も住んでいると、当然のことながら、この浜松市について詳し
く知るようになる。今では、ワイフ(浜松市生まれの、浜松市育ち)よりも、私のほうが、よく知っ
ている。友だちも、できたし、人のつながりもできた。話し方も、すっかり浜松弁になった。方言
で困ることは、もうない。

 それにもう一つ。この浜松市には、外国人が多い。オーストラリア人や、アメリカ人も多い。い
つも町へブラリとでかけ、ただで、英会話の勉強もできる。

 I LOVE HM!

 浜松市のみなさん、私のようなよそ者を、暖かく迎え入れてくれて、ありがとう!
(040116)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


子育て随筆byはやし浩司(494)

【近況】

●体重が、六八キロ!

正月に少し太ったと思っていたが、六八キロとは!

さっそく、昨日から、ダイエット開始。どうりでこのところ、食事がおいしいはず。

 私のばあい、快適体重は、六五〜六六キロ。適正体重は、六三キロ。六八キロになると、体
を重く感ずる。

 食事の量を減らしつつ、運動量を多くする。自転車も、推定一〇〜二〇%、スピードをあげて
走る。坂でも、おりて歩かない。こうすれば、一週間前後で、また六六キロ台にもどるはず。が
んばろう!


●新しいおもちゃ

今、B社から、ミニチュアの飛行機の模型が、コンビニで、売りに出されている※。値段は、一
個、245円。塗装済みのプラモデルだが、これがまた、実によくできている。さっそく、何個か
買ってきて、作った。

 コクピット(操縦席)には、小さな人形が乗る。それにコクピットの文字盤まで刻んである。翼
の先には、翌端灯まで、塗ってある。驚きながら、組みたてる。

 ゼロ戦
九九式艦上爆撃機
グラマンF4Fワイルドキャット
ユンカースJuBスツーカ
ホーカーハリケーンなど。

団塊の世代には、たまらない機種ばかり。

とくに驚くのは、風防ガラスにまで、塗装が済んでいること。これは、ふつうなら、塗らない。塗
るとしても、塗っている間に、神経がどうかなってしまう。しかし、それにしても、すごい!

※……BANDAI社から売りに出されている、「WING CLUB」(パート2)コレクション。


●思考力低下?

ここ数日、頭が、よく働かない。いよいよボケの始まりか? 今朝も、ワイフが、こう言った。「ボ
ケると、ズボンのチャックをしめ忘れるって、ホント?」と。

私は、こう言った。「小便したあと、あげ忘れるのはボケではない。小便の前に、さげ忘れた
ら、ボケだ」と。

私も、ときどき、あげ忘れることはあるが、まださげ忘れることは、ない。一応、だいじょうぶと
いうことか。

 問題意識が弱くなったというか、ものごとをあまり深く考えられない。どこかものの考え方が、
投げやりになってきた。ときどき「こんなことをしていて、何になるのか?」と思う。当面の目標
は、電子マガジンを1000号まで出すことだが、こんな調子では、1000号なんて、とても無
理。

 さあ、どうしようか。のどかで、白い陽光が、私のパソコンを、左から照らしている。ときどき栗
の木の葉が、風で揺れるのが、その影でわかる。こうしてコタツの中に入っていると、いつもそ
のまま、眠くなってしまう。

 だからよけいに、頭の中は、カラッポ。いったい、私の脳みそは、どうなってしまったというの
だ! 少し、パソコン相手に、将棋でもして、脳みそを刺激してみることにする。(しばらく休
憩。)


●X氏への反論

M県のX氏から、質問というか、抗議のメールが入った。いわく、「家制度を否定するのも、どう
か?」と。

 私は家制度を否定しているのではない。(できれば否定したいが……。)家制度には、弊害も
多いということ。これは極端な例だが、「家のメンツ」が、「個人」よりも優先されるというケース
は、少なくない。「個人」が、「家」の犠牲になることも、少なくない。

 妻がその家の家政婦、さらには、奴隷のようになることもある。あるいは、妻や子どもが、家
を守るための道具になることもある。子ども(後継ぎ)を産めないという理由だけで、離婚させら
れた女性もいる。私は、こうした例を数多く、見聞きしてきた。

 「家」という実態のない架空の価値を守るために、今、生きている「個人」が犠牲になることの
おかしさを、日本人も、もう気づいてもよいのではないか。

 ある男性は、こう言った。「私の先祖は、S県のM藩家老のHだった」と。

 たいていの人は、先祖が、江戸時代の武士階級のどこかにいたことを、自慢する。しかしどう
してそんなことが、自慢の種になるのか?

 仮にM藩の家老のHが、五人ずつの子どもを作ったとすると、三〇年を一世代として、二世
代目には、五人。三世代目には、一五人。四世代目には……と計算して、一五〇年後の六世
代目には、二四七五家族が、「私は、Hの末裔(まつえい)だ」と言うようになる。

 さらに二七〇年後の一〇世代目には、一五三万人が、「私は、Hの末裔だ」と言うようにな
る。大都市の人口すべてが、すっぽりとその中に入る数である。「私は、Hの末裔だ」と言うほう
が、おかしい。

 それに「武士」というのは、それほど、誇るべき階級だったのかという問題もある。江戸時代
の武士というのは、身分制度の中で、支配階級として君臨した。むしろほかの人たちの犠牲の
上に、生きていた人たちではないのか。

 それがわからなければ、あのK国を見ればよい。ピョンヤンに住む、一部の特権階級だけが
よい生活をし、それ以外の人たちは、みな、餓死寸前の状態にある。実際、九六年以後、数百
万人の人たちが、餓死している。武士がしたことと、今のピョンヤンの特権階級がしていること
とは、どこがどう違うというのか。

 もちろん歴史は歴史だから、それなりに正当に評価しなければならない。しかし意味もなく美
化してはいけない。あの江戸時代にしても、世界の歴史の中でも、類を見ないほど、暗黒かつ
恐怖政治の時代であったことを忘れてはいけない。

 最近、一部の人たちの間には、武士道を見なおす動きもある。教育に取り入れようとする教
師の団体も、生まれた。軍国主義の反省もじゅうぶんしていない日本人が、今度は、一足飛び
に、武士道とは!

 江戸時代には、先祖がだれであるかは、きわめて重要な意味をもっていた。それで身分が定
まり、職業も、そして収入も決まった。だから先祖に一人でも、そういった権力者がいると、そ
の権力者にしがみついた。

 しかし江戸時代が終わって、もう一五〇年になる。私に言わせれば、いまだに、家制度が残
っていることのほうが不思議でならないのだが……。

 一方的にこう決めつける私の意見は、危険なこともよく知っている。ただ私のこうした意見
が、無節制に広がる復古主義に対して、何らかのブレーキになればよいと願っている。


●葬式

近所で葬式があった。ワイフが、今、その葬式から、もどってきた。「つい、先日、ダンナさんが
亡くなったばかりなのに……」と。

先月、その家のダンナさんが、なくなった。まだ六〇歳と少しだったという。そして今日は、その
ダンナさんの母親の葬式だった。

こういうケースは少なくない。それまでは平穏無事だったのだが、一人の人の死をきっかけに、
家族のほかの人が、バタバタとなくなっていく。私の印象に残っているのに、長谷川一夫(昔の
大俳優)がいる。奥さんがなくなったと、あとを追うように、長谷川一夫自身もなくなっている。

聞くところによると、奥さんが死んだあと、長谷川一夫は毎日、仏壇の前に座りこんだままだっ
たという。

 その近所の人も、息子をなくし、そのショックが遠因となって、死んだのかもしれない。他人の
死を軽々に、論じてはいけない。それはわかるが、しかし何となくその人の気持がわかるような
気がする。

 そのことをワイフに言うと、ワイフは、こう言った。

 「ううん、そのおばあちゃんね、ボケていて、何もわかっていなかったみたいよ。息子さんがな
くなった話も、おばあちゃんには、話してなかったみたいよ」と。
「……」

 ボケることも、ときとばあいには、必要なことなのか。私は、「そう……」と言ったきり、言葉に
つまった。


●五六歳という年齢

五六歳という年齢は、健康面において、微妙な年齢ではないか。仮に健康であるとしても、そ
の健康そのものが、たいへん不安定。ほんの少しズルをすれば、すぐ体が、なまる。(「なまる」
というのは、岐阜の言い方で、「だらしなくなって、調子が悪くなる」という意味。)無理をすれ
ば、疲れが残る。たまに不慣れな運動をすると、体のあちこちが、ガタガタになる。

若いころは、一〜二週間くらいなら、運動をしなくても、それほど運動不足を感じない。再び、数
日も運動をすれば、もとの調子に、もどる。仮に疲れても、一日、二日、休めば、疲れをとるこ
とができる。

 しかし五六歳になると。そうは、いかない。一度健康を崩すと、それがいつまでも尾を引く。と
きには、それがそのまま持病になってしまう。

 そして健康な人と、そうでない人の分かれ道が、この五〇歳から五五歳くらいにかけてある
のでは?

 この時期、健康な人は、ほぼ死ぬまで、そのまま健康を維持できる。しかしこの時期、不健
康になると、そのまま死ぬまで、病気との戦いということになる。言いかえると、五〇歳くらいま
でに、いかにその土台を作っておくかが、重要ということになる。健康というのは、その土台の
上にのった、家のようなもの。

 しかし健康はつくるものではない。維持するものでもない。いかにして、「運動(スポーツ)する
習慣」を、自分のものとするか。健康は、あくまでも、その結果でしか、ない。

 だから健康を守ろうとするなら、(偉そうなことは言えないが……)、いかにして運動する習慣
を身につけるかを、考える。当然のことながら、酒やタバコ、暴飲暴食はタブー。肥満も避け
る。

 少し前、ワイフと二人で、ベンチに座って、その寺に参拝にくる老人たちを観察してみたこと
がある。

 全体としてみると、健康な老人は、身が軽い。スタスタと動いている感じ。不健康な老人は、
どこかヨタヨタしている。

 そのスタスタ歩いている老人は、ムダなぜい肉がない。全身が、筋肉という感じ。動作もキビ
キビしている。どこか、体も、細い。

 適正体重というのがある。あの計算では、私は、六三キロ前後が、私の適正体重ということ
になる。しかしそれは若い人のばあい。老人のばあいは、その適正体重に、さらに、〇・八〜
〇・九くらいをかけた体重が、適正体重ということになるのでは? 私で言えば、五五キロ前後
ということになる。

 (身が軽いから動く)→(筋肉が発達する)→(内臓がじょうぶになる)の良循環の中で、健康
になっていく。そうでない人は、自らつくった悪循環の中で、病気になっていく。そういう人が、寺
に参拝にきて、「どうか、健康にしてください」は、ない。

 『健康は、第一の富である』(エマーソン)

 
●『ソフィの選択』

神奈川県の住む一人の母親から、こんなメールが入った。

その母親には、二人の息子(ともに年長児、一卵性双生児)がいる。で、今度、神奈川県F市
にある、公立の小学校を受験することになった。その地域でもよく知られた、SS教育大学の附
属小学校である。

その願書を出しに行ったときのこと。受け付けの女性が、こう言ったという。「もし、どちらか一
方が落ちて、一方が、受かったら、どうしますか?」と。

この質問に母親がとまどっていると、その女性が、「一方の方だけでも、ちゃんと入学していた
だけますね」と。

 よくあるケースは、双子の子どものうち、一方が落ちると、両方とも入学を辞退するケース。
定員ワクをしっかりとっているような、公立小学校では、これは困る。俗にいう、「穴があく」とい
う状態になる。学校の事情も、理解できないわけではない。

 が、そこでその母親は、こう言ったという。「一方が落ちれば、もう一方も、入学を辞退します」
と。

 私はこの話を聞いて、その母親は、すばらしい母親だと思った。と、同時に、昔見た、『ソフィ
の選択』という映画を思い出した。メリル・ストリープが主演、W・スタイロン監督の映画である。

 この映画は、ナチスドイツにつかまった母と子(兄と妹)の映画である。ゲシュタポは、ソフィに
こう迫る。「どちらか一方を助けてやる。どちらか一方を選べ」と。

 そのときその母親、つまりソフィは、兄をとるか、妹をとるかの選択を迫られ、一方を捨てる。
しかしこれが彼女の苦悩の始まりでもあった。彼女は、死ぬまで、その罪悪感と絶望に苦し
む。

 こういうケース、つまり受け付けの女性に、「一方の方だけでも、ちゃんと入学していただけま
すね」と言われたとき、その母親の答は、二つしかない。「YES」か「NO」だ。しかし、「YES」な
どと、答える母親がいるだろうか。その前に、母親に、そんな選択をする心の余裕は、ない。当
然、母親は、二人の子どもが無事、合格することを願っている。どちらか一方が落ちるなどとい
うことは、考えていない。

 私は返事のメールに、こう書いた。

 「あなたの選択は正しかった。小学校や中学校によっては、どちらか一方だけでも入学すると
いう誓約書を書かせているところもあります。

 しかしそういう誓約書は、法律的に考えても無効であるばかりでなく、道義的に考えても、問
題があります。

 あなたは『NO』と言ったわけですから、学校側の選択は、今度は、(両方とも合格にする)
か、(両方とも不合格にする)かの、二つに一つということになります。

 ですから、あなたの言ったことは、正しかったということになります。つまり、あなたは、子ども
を守ったのです。いつか、そうして守ったという思いが、あなたの子育てを光り輝かせます。自
信をもって、前に進んでください。
 
 それで万が一、両方とも落ちたら、そんな愚劣な学校は、こちらから蹴(け)とばしてやればい
いのです」と。
(040116)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


子育て随筆byはやし浩司(495)

●目標は、少しずつ

 今、年中児でも、文字に対して、何らかの嫌悪感を覚えている子どもは、全体の約二〇%は
いる。もっと、多いかもしれない。中には、文字を見ただけで、体をこわばらせてしまう子どもさ
えいる。

 原因は、家庭での、無理な学習である。

 この時期、子どもが、どんな文字を書いても、まず、ほめる。すべては、ここから始まる。「ほ
う、じょうずになったね」「この前より、うまく書けるようになったね」と。こうした前向きな暗示が、
子どものやる気を引き出す。

 が、中には、神経質な親がいる。トメ、ハネ、ハライは、もちろんのこと、書き順、さらには、書
体まで、あれこれ注意する。今でも、私が子どもが書いた文字に、大きな花丸をつけて返すと、
「もっとしっかりと、見てください」と言ってくる親がいる。

 しかし文字の役目は、見てくれではない。いかにして、自分の意思や考えを、相手に伝えるか
ということ。すべては、ここから始まり、ここに終わる。

 今、小学校の高学年児や中学生でも、国語イコール、漢字の学習と思っている子どもは、多
い。D君(小六男児)が、そうだった。書道の先生でも、そこまでじょうずに書けないだろうと思う
ような文字を書いていたが、作文は、まったく苦手だった。親は、子どもの書く文字を見て、「う
ちの子は、国語力はあるはず」と考えていたようだが、それは、まったくの誤解。

 もちろん、だからといって、文字を美しく書くのがムダと言っているのではない。

 日本人は、どうしても、型にこだわる。そういう民族である。その形にこだわりすぎるあまり、
中身を忘れやすい。オーストラリアでも、アメリカでも、そんな教育はしていない。

 アデレードの近くの小学校へ行ったときのこと。かべに張ってあった作文を見て、私はびっく
り。文法はもちろんのこと、スペリングまで、めちゃめちゃ。そこで私が、「なおさないのです
か?」と聞くと、その女の先生(小三担当)は、こう言った。

 「シェークスピアの時代から、正しいスペリングというのは、ないのです。意味がわかれば、そ
れでいいのです」と。

 こうした意見に対して、ある小学校の先生(校長)は、こう言った。「書き順は、最初からきち
んと教えておかないと、あとで苦労します」と。

 だったら、書き順などという、愚劣なものは、なくせばよい。英語のアルファベットは、たったの
二六文字しかないが、書き順など、ない。……少なくとも、トメ、ハネ、ハライなど、毛筆時代の
亡霊を、こうまでかたくなに守らねばならない理由など、もうない。

 さらにこうした私の意見に対して、「林さんは、日本語のもつ美しさを否定するのか」と言って
きた人もいる。

 美しいか、美しくないかは、それはその道の専門家が決めること。そういうものを、私たちや、
子どもたちに押しつけてもらっては、困る。「美しい」と思う人が、美を追求すればよい。

 今、小学生でも、作文が好きという子どもは、学年が大きくなればなるほど、減ってくる。一
方、作文が嫌いという子どもは、いくらでもいる。本をまったく読まない子どもも、多い。

 では、どうするか。

 子どもに与える目標は、少しずつ、段階的にするのが、コツ。

 まず、文字らしきものを書いたら、ほめる。つぎに、かろうじて読めるようになったら、ほめる。
さらに形がしっかりしてきたら、ほめる。

 こうした方式を、ステップ・バイ・ステップ方式という。しかしこの方式は、何も私が改めてここ
に書くまでもなく、幼児教育の常識。こわいのは、いきなり高い目標を与えて、子どもを失敗さ
せること。

 一度、この時期に失敗すると、あとがない。「あとがない」というより、それから立ちなおさせる
のは、容易ではない。たとえばこの時期に、一度、文字嫌いにしてしまうと、(文字が嫌い)→
(逃げる)の悪循環の中で、国語力(作文、読解力)は、ますます低下する。

 国語力は、すべての学力の基本である。決して、軽く考えてはいけない。ちなみに、「本が好
き」と答える子どもは、将来、確実に、勉強ができるようになる。
(040118)

+++++++++++++++++++++++

子どもの国語力が決まるとき

●幼児期に、どう指導したらいいの?

 以前……と言っても、もう二〇年近くも前のことだが、私は国語力が基本的に劣っていると思
われる子どもたちに集まってもらい、その子どもたちがほかの子どもたちと、どこがどう違うか
を調べたことがある。結果、次の三つの特徴があるのがわかった。

@使う言葉がだらしない……ある男の子(小二)は、「ぼくジャン、行くジャン、学校ジャン」とい
うような話し方をしていた。「ジャン」を取ると、「ぼく、行く、学校」となる。たまたま『戦国自衛隊』
という映画を見てきた中学生がいたので、「どんな映画だった?」と聞くと、その子どもはこう言
った。「先生、スゴイ、スゴイ! バババ……戦車……バンバン。ヘリコプター、バリバリ」と。何
度か聞きなおしてみたが、映画の内容は、まったくわからなかった。

A使う言葉の数が少ない……ある女の子(小四)は、家の中でも「ウン、ダメ、ウウン」だけで
会話が終わるとか。何を聞いても、「まあまあ」と言う、など。母「学校はどうだったの?」、娘「ま
あまあ」、母「テストはどうだったの?」、娘「まあまあ」と。

B正しい言葉で話せない……そこでいろいろと正しい言い方で話させようとしてみたが、どの
子どもも外国語でも話すかのように、照れてしまった。それはちょうど日本語を習う外国人のよ
うにたどたどしかった。私「山の上に、白い雲がありますと、言ってごらん」、子「山ア……、上に
イ〜、白い……へへへへ」と。

 原因はすぐわかった。たまたま子どもを迎えにきていた母親がいたので、その母親にそのこ
とを告げると、その母親はこう言った。「ダメネエ、うちの子ったら、ダメネエ。ホントにモウ、ダ
メネエ、ダメネエ」と。原因は母親だった!

●国語能力は幼児期に決まる

 子どもの国語能力は、家庭環境で決まる。なかんずく母親の言葉能力によって決まる。毎
日、「帽子、帽子、ハンカチ、ハンカチ! バス、バス、ほらバス!」というような話し方をしてい
て、どうして子どもに国語能力が身につくというのだろうか。こういうケースでは、たとえめんどう
でも、「帽子をかぶりましたか。ハンカチを持っていますか。もうすぐバスが来ます」と言ってあ
げねばならない。……と書くと、決まってこう言う親がいる。「うちの子はだいじょうぶ。毎晩、本
を読んであげているから」と。

 言葉というのは、自分で使ってみて、はじめて身につく。毎日、ドイツ語の放送を聞いている
からといって、ドイツ語が話せるようにはならない。また年中児ともなると、それこそ立て板に水
のように、本をスラスラと読む子どもが現れる。しかしたいていは文字を音にかえているだけ。
内容はまったく理解していない。

なお文字を覚えたての子どもは、黙読では文を理解できない。一度文字を音にかえ、その音を
自分の耳で聞いて、その音で理解する。音読は左脳がつかさどる。一方黙読は文字を「形」と
して認識するため、一度右脳を経由する。音読と黙読とでは、脳の中でも使う部分が違う。そ
んなわけである程度文字を読めるようになったら、黙読の練習をするとよい。具体的には「口
を閉じて読んでごらん」と、口を閉じさせて本を読ませる。

●幼児教育は大学教育より奥が深い

 今回はたいへん実用的なことを書いたが、幼児教育はそれだけ大切だということをわかって
もらいたいために、書いた。相手が幼児だから、幼稚なことを教えるのが幼児教育だと思って
いる人は多い。私が「幼稚園児を教えています」と言ったときのこと。ある男(五四歳)はこう言
った。「そんなの誰にだってできるでしょう」と。しかし、この国語力も含めて、あらゆる「力」の基
本と方向性は、幼児期に決まる。そういう意味では、幼児教育は大学教育より重要だし、奥が
深い。それを少しはわかってほしかった。

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教育が型にはまるとき

●「ちゃんと見てほしい」

 「こんな丸のつけ方はない」と怒ってきた親がいた。祖母がいた。「ハネやハライが、メチャメ
チャだ。ちゃんと見てほしい」と。

私が子ども(幼児)の書いた文字に、花丸をつけて返したときのことである。あるいはときどき、
市販のワークを自分でやって、見せてくれる子どもがいる。そういうときも私は同じように、大き
な丸をつけ、子どもに返す。が、それにも抗議。「答がちがっているのに、どうして丸をつけるの
か!」と。

●「型」にこだわる日本人

 日本人ほど、「型」にこだわる国民はいない。よい例が茶道であり華道だ。相撲もそうだ。最
近でこそうるさく言わなくなったが、利き手もそうだ。「右利きはいいが、左利きはダメ」と。

私の二男は生まれながらにして左利きだったが、小学校に入ると、先生にガンガンと注意され
た。書道の先生ということもあった。そこで私が直接、「左利きを認めてやってほしい」と懇願す
ると、その先生はこう言った。

「冷蔵庫でもドアでも、右利き用にできているから、なおしたほうがよい」と。そのため二男は、
左右反対の文字や部分的に反転した文字を書くようになってしまった。書き順どころではない。
文字に対して恐怖心までもつようになり、本をまったく読もうとしなくなってしまった。

 一方、オーストラリアでは、スペルがまちがっている程度なら、先生は何も言わない。壁に張
られた作品を見ても、まちがいだらけ。そこで私が「なおさないのですか」と聞くと、その先生
(小三担当)は、こう話してくれた。「シェークスピアの時代から、正しいスペルなんてものはない
のです。発音が違えば、スペルも違う。イギリスのスペルが正しいというわけではない。言葉
は、ルール(文法やスペル)ではなく、中身です」と。

●「U」が二画?

 今、小学校でも、英語学習がなされている。その会議が一五年ほど前、この浜松市であっ
た。その会議を傍聴してきたある出版社の編集長が、帰り道、私の家に寄って、こう話してくれ
た。

「Uは、まず左半分を書いて、次に右半分を書く。つまり二画と決まりました。同じようにMとW
は四画と決まりました」と。私はその話を聞いて、驚いた。英語国にもないような書き順が、こ
の日本にあるとは!

そう言えば私も中学生のとき、英語の文字は、二五度傾けて書けと教えられたことがある。今
から思うとバカげた教育だが、しかしこういうことばかりしているから、日本の教育はおもしろく
ない。つまらない。

たとえば作文にしても、子どもたちは文を書く楽しみを覚える前に、文字そのものを嫌いになっ
てしまう。日本のアニメやコミックは、世界一だと言われているが、その背景に、子どもたちの
文字嫌いがあるとしたら、喜んでばかりはおられない。

だいたいこのコンピュータの時代に、ハネやハライなど、毛筆時代の亡霊を、こうまでかたくな
に守らねばならない理由が、一体どこにあるのか。「型」と「個性」は、正反対の位置にある。子
どもを型に押し込めようとすればするほど、子どもの個性はつぶれる。子どもはやる気をなく
す。

●左利きと右利き

 正しい文字かどうかということは、次の次。文字を通して、子どもの意思が伝われば、それで
よし。それを喜んでみせる。そういう積み重ねがあって、子どもは文を書く楽しみを覚える。

オーストラリアでは、すでに一五年以上も前に小学三年生から。今ではほとんどの幼稚園で、
コンピュータの授業をしている。一〇年以上も前に中学でも高校でも生徒たちは、フロッピーデ
ィスクで宿題を提出していたが、それが今では、インターネットに置きかわった。先生と生徒
が、常時インターネットでつながっている。こういう時代がすでにもう来ているのに、何がトメだ、
ハネだ、ハライだ! 

 冒頭に書いたワークにしても、しかり。子どもが使うワークなど、半分がお絵かきになったとし
ても、よい。だいたいにおいて、あのワークほど、いいかげんなものはない。それについては、
また別のところで書くが、そういうものにこだわるほうが、おかしい。

左利きにしても、人類の約五%が、左利きといわれている(日本人は三〜四%)。原因は、どち
らか一方の大脳が優位にたっているという大脳半球優位説。親からの遺伝という遺伝説。生
活習慣によって決まるという生活習慣説などがある。

一般的には乳幼児には左利きが多く、三〜四歳までに決まるが、どの説にせよ、左利きが悪
いというのは、あくまでも偏見でしかない。冷蔵庫やドアにしても、確かに右利き用にはできて
いるが、しかしそんなのは慣れ。慣れれば何でもない。

●エビでタイを釣る

 子どもの懸命さを少しでも感じたら、それをほめる。たとえヘタな文字でも、子どもが一生懸
命書いたら、「ほお、じょうずになったね」とほめる。そういう前向きな姿勢が、子どもを伸ばす。
これは幼児教育の大原則。昔からこう言うではないか。「エビでタイを釣る」と。しかし愚かな人
はタイを釣る前に、エビを食べてしまう。こまかいこと(=エビ)を言って、子どもの意欲(=タイ)
を、そいでしまう。

(付記)
●私の意見に対する反論

 この私の意見に対して、「日本語には日本語の美しさがある。トメ、ハネ、ハライもその一つ。
それを子どもに伝えていくのも、教育の役目だ」「小学低学年でそれをしっかりと教えておかな
いと、なおすことができなくなる」と言う人がいた。

しかし私はこういう意見を聞くと、生理的な嫌悪感を覚える。その第一、「トメ、ハネ、ハライが
美しい」と誰が決めたのか? それはその道の書道家たちがそう思うだけで、そういう「美」を、
勝手に押しつけてもらっては困る。要はバランスの問題だが、文字の役目は、意思を相手に伝
えること。「型」ばかりにこだわっていると、文字本来の目的がどこかへ飛んでいってしまう。

私は毎晩、涙をポロポロこぼしながら漢字の書き取りをしていた二男の姿を、今でもよく思い
出す。二男にとっては、右手で文字を書くというのは、私たちが足の指に鉛筆をはさんで文字
を書くのと同じくらい、つらいことだったのだろう。二男には本当に申し訳ないことをしたと思っ
ている。この原稿には、そういう私の、父親としての気持ちを織り込んだ。

(参考)

●経済協力開発機構(OECD)が調査した「学習到達度調査」(PISA・二〇〇〇年調査)によ
れば、「毎日、趣味で読書をするか」という問いに対して、日本の生徒(一五歳)のうち、五三%
が、「しない」と答えている。

●この割合は、参加国三二か国中、最多であった。また同じ調査だが、読解力の点数こそ、
日本は中位よりやや上の八位であったが、記述式の問題について無回答が目立った。無回答
率はカナダは五%、アメリカは四%。しかし日本は二九%! 文部科学省は、「わからないも
のには手を出さない傾向。意欲のなさの表れともとれる」(毎日新聞)とコメントを寄せている。

++++++++++++++++++++++

●子どもを伸ばす、こんな方法
        
 あなたは白いご飯に、チョコレートをかけて食べることができるか。ミルクか、ココアでもよい。
「できない」と思っているなら、一度、ためしてみたらよい。

そういうのを発想の転換という。一度、うちへホームステイしたオーストラリア人が、そういう食
べ方を教えてくれた。彼らは、豆腐にジャムをつけて食べていた!

 子どもの頭をよくしたいと思っているなら、そういう刺激を与える。もっと言えば、「あれっ!」と
思うような意外性を大切にする。意外性が大きければ大きいほど、脳の中の神経組織が発達
する。

マンネリはよくない。マンネリは、知能発達の大敵と考える。……といっても、お金をかけろとい
うことではない。発想の転換は、ごく身近で始まる。また身近であればあるほど、刺激も大き
い。庭の草木の葉っぱを、ちぎってかんでみる。おもちゃのトラックの中に、寿司を並べてみ
る、など。そうそう私も昔、子どものころだったが、動物の形をしたパンを見て驚いたことがあ
る。あのとき感じた新鮮さは、いまだに忘れない。

 ふつう頭のよい子どもは、発想が豊かで、おもしろい。パンをくりぬいて、トンネル遊び。スリ
ッパをひもでつないで、電車ごっこなど。時計を水の入ったコップに入れて遊んでいた子ども
(小三)がいた。母親が「どうしてそんなことをするの?」と聞いたら、「防水と書いてあるから、
その実験をしているのだ」と。

ただし同じいたずらでも、コンセントに粘土をつめる。絵の具を溶かして、車にかけるなどのい
たずらは、好ましいものではない。善悪の判断にうとい子どもは、とんでもないいたずらをす
る。

 その頭をよくするという話で思いだしたが、チューイングガムをかむと頭がよくなるという説が
ある。アメリカの「サイエンス」という雑誌に、そういう論文が紹介された。

で、この話をすると、ある母親が、「では」と言って、ほとんど毎日、自分の子どもにガムをかま
せた。しかもそれを年長児のときから、数年間続けた。で、その結果だが、その子どもは本当
に、頭がよくなってしまった。この方法は、どこかぼんやりしていて、何かにつけておくれがちの
子どもに、特に効果がある。……と思う。

 また年長児で、ずばぬけて国語力のある女の子がいた。作文力だけをみたら、小学校の
三、四年生以上の力があったと思う。で、その秘訣を母親に聞いたら、こう教えてくれた。「赤ち
ゃんのときから、毎日本を読んで、それをテープに録音して、聴かせていました」と。母親の趣
味は、ドライブ。外出するたびに、そのテープを聴かせていた。

 今回は、バラバラな話を書いてしまったが、もう一つ、バラバラになりついでに、こんな話もあ
る。子どもの運動能力の基本は、敏しょう性によって決まる。その敏しょう性。一人、ドッジボー
ルの得意な子ども(年長男児)がいた。

その子どもは、とにかくすばしっこかった。で、母親にその理由を聞くと、「赤ちゃんのときから、
はだしで育てました。雨の日もはだしだったため、近所の人に白い目で見られたこともありま
す」とのこと。子どもを将来、運動の得意な子どもにしたかったら、できるだけはだしで育てると
よい。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(496)

【山荘より】

 おととい、珍しく、浜松でも、雪が降った。で、今日(一八日)、山荘へ来てみると、山の北側の
斜面には、まだ雪が残っていた。枯れた草の間で、ところどころ、白い雪が、鈍い光を放ってい
た。

 しかし空気は、澄んで、さわやか。「冬の景色も悪くないわね」と、ワイフが、さかんに言う。私
は、あたりかまわず、写真をとる。ときどき肌をさすような冷気。昔、オーストラリアの友人が、
同じような冷気を感じながら、「ぼくは、フレッシュな空気が好きだ」と言った。私も、それを思い
出し、ワイフに、こう言った。「空気がフレッシュだね」と。

 冬場になると、水がこおる。この山荘に住み始めたころには、よくこおった。しかしここ数年、
めったにこおらない。言うまでもなく、水がこおれば、そのまま断水。山荘生活は、ストップ。
が、その不便さが、何とも言えない。楽しい。不便だからこそ、山荘ライフなのだ。

 おかしなことだが、同じ生活でも、山荘のほうの生活には、生きているという実感がある。ま
わりの木々が、すべて生きているということもある。つまり生き物に囲まれている。

 一方、町のほうの生活には、それがない。道路にしても、ビルにしても、すべて死んでいる。
わかりやすく言えば、肌で感ずる温もりがない。

 だから同じ音楽を聞いても、その印象が、まったくちがう。今、聞いているのは、モーツアルト
のピアノ協奏曲。こうした曲は、山荘で聞くのがよい。こまかい旋律にあわせて、目の前の木々
が、踊りだす。冬の陽光をあびて、木の葉が、キラキラと輝き始める。

 色あせた冬の木に
 澄んだ陽光があたり、
 一枚一枚の葉が、
 それを白く照り返す。

 小枝はさざなみを、打ち、
 それにあわせて、大枝が
 ゆっくりと、身を動かす。
 のどかな、昼さがり……。

 酒を飲みながら作った音楽は、酒を飲むときに、よい。子どもを見ながら作った音楽は、子ど
もといっしょに歌うとよい。しかし自然の中から生まれた音楽は、自然を見ながら聞くとよい。

 そういう意味で、昔の作曲家たちは、自然の中に身を置いて、こうした音楽を作ったにちがい
ない。深い森の木々の間を、通りぬける風。初春の陽光に輝く木々の葉。澄んだ水色の空を、
音もなく、ゆっくりと流れる雲。そういうものに身も心も任せながら、心の中にわき起きてくる旋
律を、書きとめた?

 私のばあい、とくに好きな曲というのは、ない。ある時期、ある特定の作曲家が作曲した曲ば
かりを聞く。しかしその作曲家にあきると、つぎの曲に移る。ときに、音楽をまったく聞かないと
きもある。しかし、今日は、久しぶりに、モーツアルトを聞く。

 ワイフは、テーブルマットのゴミを、外ではらっている。私は、半分閉じかけた目で、こうしてパ
ソコンに文字を打ちこむ。庭のテーブルのイスには、先ほどから、黒いネコが座って、こちらの
様子をうかがっている。

 ここへ着いたとき、山荘のまわりの写真をとったので、その説明をしよう。

 この山荘を建てるとき、土地づくりは、私とワイフの二人でした。毎週、ユンボを借り、それで
山を削り、造成した。水道工事も、電気工事も、自分たちでした。家以外の、野外のテーブル
やイスなどは、ほとんど、自分たちで作った。

 この期間が、六年。工事をはじめてきたとき、息子たちはみな、小学生だった。道にゴザを敷
いて、その上で、弁当を食べた。が、今は、その息子たちも、おとなになってしまった。山荘に
も、ほとんど、来なくなった。

 HTML版のほうでは、写真を紹介できるようになった。それに簡単な説明文もそえておこう。
……それにしても、また眠くなってしまった。このところ、食事の量を、いつもの半分にしている
せいか、体に力が入らない。横になると、すぐ眠ってしまう。

 うつらうつらと、目が閉じる。私にとっては、至極の時。このやすらいだ気分こそが、山荘ライ
フの醍醐味ということか……。
(040118)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


子育て随筆byはやし浩司(497)

【近況】

●HP開設!

 I社が経営する、「C社」というところで、新しく、ホームページを開設した。

 年間、6000円で、300MB(メガバイト)までのHPを、作成することができる。たいへんな量
である。10MBもあれば、A四の原稿用紙(約1500字/1枚)で、約5000ページくらいの原
稿を載せることができる。

 しかし実際には、300MBも使わない。ホームページの容量としては、それでよいとしても、
パソコンのほうに、それだけの処理能力がないと、パソコンのほうが、すぐハングオーバーして
しまう。

現に今、私のHPのサイズは、約39MB前後のサイズだが、だが、ソフトをたちあげて、編集に
入るまでに、約30分。編集が終わって、FTP送信できるようになるまでに、また30分。終了し
て保存をかけると、それが終わるまでに、たっぷり2時間以上もかかる。急いで更新、送信して
も、計3時間半以上!(OSは、98。メモリーは、192MB。)

 だからHPの更新は、毎週土曜日と、決めている。

 しかし新しいHPを開設することにより、大量の画像データや、文書は、そちらで別に編集す
ることができる。そしてその仕事は、二年前に買った、F社のパソコンにやらせることにした。
(OSは、XP。メモリーは、512MB。)

 が、問題が起きた。

 私はN社のHP作成ソフトを使っているが、XPでは、FTP送信ができない。「送信」ボタンをク
リックすると、そのままパソコンがフリーズしてしまう。あああ。おまけにあちこちをいじっていた
ら、肝心のI・E(インターネット・エクスプローラー)の動きまで、おかしくなってしまった。 
 
 そこでまた、パソコンショップへ……。店の人にいろいろ聞くが、どうも要領を得ない返事ばか
り。しかたないので、ソフトを買いかえることにした。

 店先で、ソフトを選びながら、こんなことを考える。

 ……パソコン相手に、パソコンの仕事をしている人は別として、これだけパソコンの世界が急
速に進歩すると、それについていくだけで、本当にたいへん、と……。

 私にとっては、パソコンは道具。パソコンの勉強をしている時間そのものが、ない。数年前に
買ったソフトが、もう使えない。しかし使えないとわかるまでに、一、二時間もかかってしまう。
「故障じゃないか?」「設定がまちがっているのではないか?」と。そんなことを考えている間
に、ついでに、頭の中が、ごちゃ、ごちゃになってしまう。

 ワイフが、「またソフトを、買うの?」と、しぶいことを言う。「これも、ボケ予防のため。将来、
ぼくの介護をしたくなかったら、今のうちにお金を払っておいてほうがいいよ」と言うと、納得して
くれた。

 これからも私のHPは、かぎりなく進化する。どんどん進化して、ますます充実する。乞う、ご
期待というところか。


●餅まき

近所で、新築祝いの、餅まきがあった。

ワイフのテニス仲間の家ということで、二人でポリ袋をもってでかけた。ハナ(犬)も連れていっ
た。が、これが失敗だった。

 それだけ多くの人ごみの中に連れていったことは、めったに、ない。ポールにつないでおいた
のだが、キャンキャン、ウワンウワンと、あばれぱっなし。ときどきなだめるために、そばへもど
ってやるのだが、数分も、もたない。

 そのうちクサリを自分でほどいて、私のところへ来てしまった。それが、二度、三度……。私
は餅拾いをあきらめて、ハナのそばに。

 新築の家は、屋根全体を、ソーラーシステムでおおった、モダンな家だった。で、その前の空
き地が、餅まきの場所になっていた。が、驚いたことに、その空き地は、すでに腰をかがめた、
老人たちで陣取られていた。どの人も七〇歳前後の人たちだった。

 大きな袋をもった人、カゴをもった人、布袋をもった人。よほど年季が入っているとみえて、み
な、トレーナーのような服を着ていた。

 で、餅まきが、始まった。しかし、それは、もう何というか、見るに耐えないというか、驚くべき
光景だった。

 裕福な施主さんなのだろう。「これでもか」「これでもか」と餅まきが、つづく。私はハナのことも
あり、一番スミのほうで、こぼれてきた餅を拾った。それでも、三〇〜三五個は拾った。

 途中、若い女性が、「まだ、あるのオ!」と、悲鳴にも近い声をあげた。うしろのほうにいた、
中年の男たちは、「もう、いいよオ!」と、餅を拾うのを、やめ始めた。

 しかし、だ。最後の最後まで、服をドロだらけにしながらも、餅を拾っていた人たちがいた。あ
の老人たちである。

 とくに女性軍がすごかった。血相を変えてというか、必死というか、地面にバタバタとはいつく
ばって、餅を拾っていた。見ると、先ほどまで気がつかなかった、何と、バケツをもった人や、
箱をもった人までいた! 

 餅拾いというのは、片手で拾うのが、ルール(?)。それをバケツや、箱を真中において、両
手で取るのだから、たまらない。

 私は、その生命力に、驚いた。本当に、驚いた。老人パワーに、驚いた。プラス、あきれた!
 ときどき、こうして餅拾いをすることはあるが、今日のように、どこか退いて、客観的にながめ
たことはない。

 帰り道、ワイフにこう言った。「あのおばあちゃんたち、ものすごかったね」と。

ワ「ホント! ものすごかったわね!」
私「老い先、そんなに長くないのだから、もう少し、謙虚になったらいいのに」
ワ「ホント! 人間って、年をとればとるほど、ガツガツするものなのかしら」
私「若い人のほうが、もうじゅうぶんだって、先に立ったよ。でも、あのおばあちゃんたち、最後
まで、狂ったように餅を拾っていた……」

ワ「あんなにたくさん拾って、一年でも、食べきれないわよ」
私「ホント! 明日あたり、餅がのどにひかかって、死ぬ老人が続出するよ」
ワ「……かもね」と。

 奥ゆかしさも何も、あったものではない。教養や文化など、みじんも感じなかった。人生の大
先輩とは、とても言えない。……思えない。最後にワイフが、こう言った。

 「あのね、あの年になると、恥も外聞もなくなるのよ」と。

 だいぶ、ワイフも老人の心理がわかるようになってきたようだ。


●チャンス

英語で、「チャンス」というと、「よいチャンス」をいう。悪いチャンスは、「チャンス」とは言わな
い。

そのチャンスは、くるときは、向こうからやってくる。勝手にやってくる。しかしそういうときに限っ
て、人は、そのチャンスを見すごす。ムダにする。そしてチャンスが、自分から離れたとき、そこ
に、チャンスがあったことに気づく。

一方、そのチャンスは、こないときは、こない。まったくこない。天に祈っても、地に祈っても、こ
ない。どうあがいても、こない。

 一般的に言えば、若いときほど、チャンスはやってくる。年をとればとるほど、そのチャンスは
少なくなる。あるいは若いときのように、それがチャンスとわかるほど、大きなチャンスは、やっ
てこなくなる。

 三男に、少し前、電話でこう言った。

 「今、お前は、無数のチャンスに恵まれている。しかしそのチャンスは去るときは、去る。それ
は風のように気まぐれで、先がわからない。手でつかむこともできない。

 だからどんな小さなチャンスでも、ムダにしてはいけない。とくに今のように、前からお前のほ
うに向ってやってくるときは、真正面で、全身で受けとめろ」と。

 三男は、今の大学をやめて、今度はパイロットになるために、K大に移ることになった。しかし
それまでに一年近くの、猶予がある。そこで三男は、オーストラリアの友人のところで、英語の
勉強をすることになった。その話を進めていたら、F大学の学長自らが、三男に、メールをくれ
た。「力になるから、君の希望を、話してほしい」と。

 「あとは、その先生を信じて、前に進んだらいい。もう迷っているヒマはないよ」と。

 若いときは、えてして、チャンスを食い散らしてしまう。いつまでも、向こうからチャンスはやっ
てくるものと、思いやすい。しかし、チャンスは、ここにも書いたように、気まぐれ。

賢い人は、それを前もって、知る。愚かな人は、そのチャンスをなくしてから、知る。人生で成
功する人は、そのチャンスを大切に、一つずつを生かしながら、前に進む。そうでない人は、チ
ャンスをチャンスとも気づかないで、それをムダにする。
(040118)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


子育て随筆byはやし浩司(498)

【今朝の新聞から……】

 今朝(一月一九日)の読売新聞朝刊から。

●(イラクの)暫定当局狙い車爆弾、イラク人ら20人以上死亡

バグダットの中心部にある連合国暫定当局(CPA)の本部前で、大爆発。イラク人ら20人以上
が死亡し、60人近くが負傷したという。

 このニュースを読んで、ワイフが、「イラク人がイラク人を、殺してどうするの?」と言った。私
は、「これはイラク人のしわざではないと思う」と言った。「イラクの外からやってきた連中だと思
う」と。

 ……というようなことを論じても、意味はない。私はふと、「核兵器が使われるのは、もう時間
の問題」と思った。米軍報道官によると、爆発したトラックは、500キロ近い爆弾を積んでいた
という。しかも、無差別。

 だから世界は、核拡散防止条約を作って、核兵器の製造、貯蔵、運搬に目を光らせている。
が、中には、K国のような国もある。堂々と核兵器を作りながら、「製造をやめさせたかったら、
金をよこせ!」と。

 何としても、日本は、世界は、K国の無謀な野心を、つぶさなければならない。多少の火の子
はかぶっても、ここは正念場。東京で核兵器が爆発してからでは、遅すぎる。


●「がんに挑む」−(アメリカ)官民挙げ新薬開発

アメリカでは、製薬を一大産業と位置づけて、官民一体となって、がん撲滅運動を展開してい
る。

 日本とアメリカとでは、国のシステムそのものが、ちがう。日本の官僚制度の中では、すべて
が上意下達方式で、上から下へと、ものごとが流れる。その途中の役人たちは、権限と管轄に
しがみつき、余計なことは、いっさい、しない。できない。やらせない。

 アメリカでは、やる気のある人、アイデアのある人、力のある人が、どんどんと登用されてい
く。アメリカの公的機関で、介護の仕事をしているYさん(女性、二八歳)は、こう言った。

 「新しいアイデアを出して、あれをしましょう。これをしましょうと提案すると、上司が、すぐそれ
に応じてくれる。またそういうアイデアを出さないと、(たとえ公務員でも)、すぐクビになってしま
う」と。

 こうしたシステムのちがいが、新薬の開発競争にも現れている。ちなみにこの日本では、新
薬の臨床試験の届け出が、一〇年前の三分の一にまで減っているという(同新聞)。


●女子バスケ、五輪出場権獲得

女子バスケットボールのアジア選手権兼アテネ五輪アジア予選準決勝が、一八日、仙台市体
育館で行われた。その選手権で、日本が韓国を二度の延長の末に、81−72で破り、五輪の
出場権を獲得した。

 「仙台」と聞いて、すぐ仙台に引っ越していった、STさんを頭に思い浮かべた。ときどきメール
をもらう。昨年は、とりたてのサンマを、箱一杯、送ってくれた。(おいしかった。改めて、ありが
とう!)

 「五輪」の話は、今はまだ、あまり興味ない。「女子にも、バスケがあったの?」(失礼!)と思
ったほど。


●腎移植、順番ミス

コンピュータのプログラムミスで、本来、先に腎移植を受けられる人が、あとまわしになってしま
ったという。「本来なら、移植の機会が巡ってきたはずの待機患者六人が、順位を後回しにさ
れ、移植を受けられなかったことが一八日、わかった」と。

 腎臓を患っている人は、多い。知人の義理の父親も、そうで、週に何回かは、病院で透析を
受けなければならないという。そのためその知人が、病院への送り迎えをしているという。たい
へんな重労働らしい。その患者本人にとっても、また家族にとっても。

 賢い人は、一〇年後の健康を考えて行動する。さらに賢い人は、二〇年後の健康を考えて
行動する。さらにさらに賢い人は、三〇年後の健康を考えて行動する。

 ……と、どこかのコマーシャルにでも使えそうな文を考えた。雨もあがったし、今週も、一二単
位、自転車に乗るぞ!

 一単位……片道七キロの道を、時速二〇キロ前後で走ること。


●編集手帳

トヨタの例をあげ、企業と銀行の信頼関係の重要さを説く。「バブル崩壊後、デフレ不況は、銀
行と企業の関係を、ズタズタに切り裂いた。銀行は、貸しはがしに走り、企業は銀行の仕打ち
を恨む」と。

 どの国へ行っても、日本の銀行ほど、立派な建物の銀行は、ない。(都市の中心部にある本
店は別だが……。)

 アメリカなどでは、大きな民家かと思うような家が、そのまま銀行であったりする。しかも行く
たびに、銀行の名前が変っている。

 しかしこの日本では、どこへ行っても、銀行だけは、立派。「そういう建物でなければならな
い」という、おかしな先入観があるようだ。その発想は、暴力団の組事務所が、みな、似ている
のと、同じ。

 昔、オーストラリアへ行ったとき、ほとんどの銀行員が、高卒であると知って驚いたことがあ
る。日本では、銀行マンといえば、エリート。しかし向こうでは、ただの事務員。国によって職業
観はちがう。

 で、一人ひとりの銀行員に責任があるわけではないが、しかしあのバブル経済のころの銀行
マンは、あれは何だ! 今でもあのころの傲慢(ごうまん)な顔が忘れられない。

その銀行が、自らの失策を反省することもなく、今、つぎつぎと自分たちの生き残りのために、
企業をつぶしている。……というのは、言い過ぎかもしれないが、少なくとも、世間は、そう見て
いる。(以上、一面より)


●早大、授業料、タダ……入試上位91人(長引く不況、国立に対抗)

早稲田大学では、今年から、入試での成績上位者に卒業までの授業料を全額免除する「特別
奨学金」制度を新設する。各学部ごとに、入学定員の約1%にあたる新入生91を、特別奨学
生にする、と。

早稲田大学では、「本当は早稲田に来たいが、学費面で、国立を選ばざるをえないという学生
のために、来てもらうため」と説明している。

 欧米では、企業が、それぞれの独自の判断と権限で、学生に奨学金を支給している。その額
もハンパな額ではない。

 で、学生たちは、どこの大学へ入るかよりも、どこでどのような奨学金を得るかに、より大き
な関心をもっている。

 もちろん企業側にも、大きなメリットがある。学生に貸しをつくることによって、将来、その学
生を、社員として獲得できる可能性が高い。またこうした奨学金は、税控除の対象となる。企
業も、「どうせ税金で取られるなら……」と考える。

 またヨーロッパでは、大学の単位は、ほぼ共通化された。つまりどこの大学を出ても、同じ。
どこの大学を出たとか、どうかということは、ほとんど問題にならない。(ただしどこの大学で、
学位や博士号の認定を受けたかは、重要。)学生たちは、奨学金を手に、大学間を、自由に
渡り歩いている。日本のように、早稲田だとか、東京理科大学だとか、そういうブランドにこだ
わらねばならない理由そのものが、ない。

 日本も、そうすべきである!

@社員が五〇〇人以上の会社は、ある一定額の金額まで、学生の奨学金を支給することが
できる。
A支給した奨学金は、税制面で控除される。
B奨学生の選考は、公開の場でなされ、公平さを重要視する。社員とその家族は、この奨学
金を得る取ることができない、など。

さらにアメリカの企業では、夏休みなどに、ノーベル賞級の学者を講師に招いて、セミナーを開
いている。受講生は、各大学から、推薦された学生たち。もちろん無料。こうしたセミナーを通
して、さらに優秀な学生を選ぶ。日本的に言えば、「ツバをつける」。

 学生にしても、そういった第一級の研究者から学ぶ、メリットは大きい。

 さて、新聞報道だが、「91人を無料」という発想そのものが、おかしい。そのおかしさに日本
人が気づくころには、日本は、アジアの中でも、完全にマイナーな国になっていることだろう。


●校長が自殺……ゴール転倒、中三死亡の責任を感じて

静岡県のある中学校で、先日、強風にあおられてサッカーのゴールが倒れ、それで、一人の
中学生が志望するという事故があった。その事故の責任を感じて、その中学校の校長が、自
殺した。

読売新聞によれば、「一八日午前八時ごろ、静岡市Sの中学校長、Iさん(58)方で、Iさんが首
をつって、死亡しているのを、妻が見つけ、119番通報をした。……Iさんは、事故翌々日の一
五日、保護者を集めた説明会で、土下座をしてわびるなど、事故の責任を重く感じていたとい
う」とある。

 私とそれほどちがわない年齢の人だ。だからかもしれないが、「自殺」という言葉が、ズシリと
私の胸に響いた。

私「事故が原因で、うつになったのかもしれないね」
ワイフ「事故が引き金になってね」
私「だから、事故イコール、自殺とは考えられない」
ワ「(ゴールが倒れたのは)、まれにみる強風が原因だったしね」

私「そうなんだ。遺族の気持ちもわかるが、すべて校長の責任ということでもないような気がす
る」
ワ「そのあたりの区別が、頭の中でできなくなってしまったのよ、きっと……」
私「ぼくなんかも、落ちこむと、頭の中が混乱することがあるよ」
ワ「うつって、そういう状態になるの?」

私「そう。何もかも、めんどうで、わずらわしくなるよ」
ワ「死にたくなるって、そういうこと?」
私「死にたいのではない。生きているのがいやになる。その結果として、死を選ぶわけ」
ワ「あくまでも、自殺は、結果ということね」

私「そう。そういう状態になると、未来が真っ暗になる。明日は、今日よりも悪くなる。来年は、
今年よりも悪くなるって、つまりそういう妄想ばかりが、どんどんと大きくふくらんでいくわけ」
ワ「いいことを考えないのかしら?」
私「そういうときは、考えないね。考えても、すべてむなしく感じてしまう」
ワ「あなたも、気をつけてよ」
私「……」と。

 私も、基本的には、うつ型人間。いつも、うつ病と、となりあわせに生きている。だから、責任
ある仕事はしない。できない。背水の陣で臨むというような生き方は、私のようなタイプの人間
には、タブー。いつも、自分で、何らかの余裕をつくりながら、生きる。そうでもしなと、すぐ気が
めいってしまう。

 今日の朝刊では、この「校長の自殺」が、一番、ドキリとしたニュースだった。

以上、新聞評論は、おしまい。
(040119)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子育て随筆byはやし浩司(499)

●常識

 幼稚園児に絵を描かせる。すると、たいていの子どもは、赤い色か、オレンジ色の太陽を描
く。

私「太陽は、本当に赤いの?」
子「そうだよ」
私「本当に、そう? 見たことある?」
子「あるよ。赤だよ」と。

 年長児のほとんどは、赤い太陽を描く。年中児だと、少し乱れるが、たいてい赤い太陽を描
く。ここ五〜六年、白い太陽や、黄色い太陽を描く子どもがふえてきた。しかしそれでも、大半
の子どもは、赤い太陽を描く。

 そこで小学二年生の子どもたちと、こんな会話をしてみた。

私「太陽は、赤いと、小さい子たちが言うけど、君たちは、どう思う?」
子「いいんじゃ、ない……」
私「でも、本当は、赤くないよ」
子「赤いよ。ぼく、見たことがあるよ」

私「本当に赤かったの?」
子「赤だよ」
私「アメリカでは、黄色だよ。中国では、白色だよ」
子(みんな)「ウソーッ!」と。

 「白」は、もともと、太陽を表す「日」という漢字から生まれた。だから中国では、「太陽は白い」
ということになっている。

 ……つまり、こうして子どもたちの常識、きわめて日本的な常識が作られていく。そしてその
常識は、一度、作られると、変えるのは、容易ではない。

私「白い太陽じゃ、おかしいの?」
子「おかしいよ。白い太陽なんて……」
私「でも、一度、白い太陽を描いてみてごらん」
子「やっぱり、おかしいよ」と。

 私がもっている常識。あなたがもっている常識。私が、その常識を、はじめて意識して疑った
のは、オーストラリアに留学したときだ。

 最初に案内された部屋は、ベッドが北向き(頭が北を向いていたという意味で北向き)に置い
てあった。

 私は、日本でも、とくに迷信深い家で、育った。母が、そうだった。だからふとんを敷いても、
枕を北側に置いただけで、母に叱られた。「死に枕だ!」と。

 そういう私がまず、ベッドを見て、驚いた。もっともすぐ、オーストラリアでは、南と北が、日本
の感覚とは逆、と気がついた。向こうでは、北が暖かいということになっている。が、今でもあの
とき感じたショックを忘れない。

 あるいは、こんなことも。あるとき、イギリス人の家庭に食事に誘われたときのこと。テーブル
に塩をこぼしたが、「不吉なこと」と、その場で言われてしまった。その人は、その塩を、右手で
つまむと、左の肩越しに、うしろへ捨てていた。「日本では、神聖な象徴として、塩をまくことが
あるのですが……」と、その人に言うと、その人は、仰天したような顔をして、驚いた。

 さらにメルボルンのボタニカル・ガーデン(植物園)では、トイレの柵にがわりに、竹が植えら
れていた。日本では神聖な木ということになっているのに! 

またギリシャ人は、何かあるたびに、相手にプップッと、ツバをかけていた。何でもそうすると、
魔よけになるのだそうだ。

 その人がもっている常識などというのは、実にいいかげんなもの。もちろん私のもっている常
識も、あなたがもっている常識も、だ。例外は、ない。大切なことは、そうした常識を、いつも疑
ってみること。決して、「絶対」と思ってはいけない。

 あのアインスタインは、こう言っている。『常識とは、その人が※』と。

 人が自由になる道は、決して一つではない。そしてその方法も、決して一つではない。自由に
なるための一つの方法として、あなたの中にある「常識」を疑ってみる。ときには、ぶちこわして
みる。意外と私たちは、「常識」というクサリで、体も心も、がんじがらめになっている。それが、
それでわかる。

 その一つのヒントとして、太陽の色について、考えてみた。

【常識を疑う】

 人間の行動は、すべて常識のかたまりと思ってよい。髪型から服装まで。歩き方から話し方
まで。

 行動面はそれでよいとしても、問題は、精神面である。

 このことを強く感じたのは、私がある友人に、「ぼくは、自転車通勤をしている」と話したときの
ことである。彼は、F県で、公認会計士をしている。彼は、こう言った。

 「そんな恥ずかしいこと、よくできるな。ぼくら、もし自転車に乗っていたら、それだけで、近所
の人に、バカにされてしまうよ」と。

 もちろん、私は、平気である。恥ずかしいなどと思ったことは、一度も、ない。しかし彼の世界
では、運転手つきの高級乗用車に乗ってはじめて、一人前に扱われるらしい?

 こんなこともあった。

 ガソリンスタンドを経営している、K氏と話していたときのこと。K氏は、こう言った。

 「林さんは、時間どおりの仕事をしていますが、もし今の私にそれをしろと言われたら、私は、
気が狂ってしまいますよ」と。

 K氏は、こう言った。つまり、私の仕事のように、午前X時から、午前X時Y分までというよう
な、三〇分きざみの仕事など、できない、と。つまりこまかいスケジュールにそった仕事は、で
きない、と。

 私はその話を聞きながら、「私は反対に、来るかこないかわからないような客を待って、一日
中、ぼんやりしているような仕事はできない」と思った。

 こうした私のもつ常識が、ある人と大衝突したことがある。ある雑誌社で、編集部の部長をし
ている人が、私にこう言った。「林さん、私たちは、あなたのような生き方をしている人を、認め
るわけにはいかないのだよ。それを認めるとね、私たちは、自己否定をしなければならない。
私たちは、何のために生きてきたのかとね」と。

 彼がこの話を言うまでには、いろいろないきさつがある。

 彼らの世界では、「人間は、ひとりでは生きていかれない」が、一つの合言葉になっている。
組織あっての人間、というのが、彼らの常識でもある。だから彼らは、フリーターという職業を
認めない。フリーターがしているような仕事は、仕事と認めていない。

 しかし私は、この三五年間、フリーターとして生きてきた。それは彼らにとっては、驚きである
と同時に、脅威でもある。彼らにしてみれば、私という人間は、成功しないまでも、決して、ふつ
うの生活をしてはならない人間なのである。

 つまり彼らは、常日ごろから、私たちのような人間を、否定しながら生きてきた。だから私の
ような人間が、彼らの正面に立つと、今度は、彼らが自らを否定しなければならなくなる。彼
は、それを言った。

 常識とは、何か。考えれば考えるほど、その奥が深いのがわかる。しかしこの常識というカベ
を破らないかぎり、私たちは、精神の自由を手に入れることはできない。本文の中にも書いた
ように、私たちは、ごく日常的に、「常識」というクサリで、体も心も、がんじがらめになっている
からである。


●こわれる子どもの心

この浜松市は、子どもの受験という意味では、無風地帯だった。「受験競争」があるとしても、
中学二年から、三年にかけてであった。早い人(子ども)でも、中学一年からだった。

 しかし数年前、市内の進学高校のひとつが、中高一貫校になってから、その様子は、一変し
た。当初、競争倍率は、六〇倍近くになった。とたん、雰囲気が変わった。

 受験競争が、低学年化した。小学五年前後から、親たちは、受験競争を意識するようになっ
た。それまで主に小学五、六年から生徒を集めていた大手、中堅の進学塾が、のきなみ小学
三年から、生徒を募集するようになった。

 それだけではない。

 市内の私立中学校、さらに以前からあった、S附属小学校への受験競争が、激化した。具体
的には、競争倍率が、少子化の流れとは逆行して、高くなった。

 こうした受験競争の低年齢化で、子どもたちの様子も、一変した。本当に一変した。と、同時
に、親たちの様子も一変した。(本当は、親たちが変わったから、子どもが変ったのかもしれな
いが、私には、先に、子どもが変ったように見える。)

 難解なワークブックをかかえる子どもが、ふえた。勢いづいた進学塾は、東京の私立中学校
の入試問題をもってきて、子どもの指導をするようになった。とたん、親たちは、パニック状
態!

 もともとできるはずもない問題集である。そういうものをかかえて、子どもも、親も、「それが受
験勉強だ」と思いこむようになった。私のところへも、別の進学塾の問題集をもってきて、「先生
のところで、指導してほしい」と言ってきた、親がいた。さらに、どこかの進学塾で、テストを受け
たらしい。その結果、「成績が悪かった。何とかしてほしい」と言ってきた親もいた。

 常識で考えれば、とんでもない非常識なのだが、親には、それがわからない。パニック状態と
いうのは、そういう状態をいう。

 本当に、おかしな世界になってしまった。

 親は気がついていないかもしれないが、小学生のうちから、受験競争で、子どもを追えば、ど
うなるか? 心のかわいた、冷たい子どもになってしまう! 親にしてみれば、「いい学校へ入
ってくれさえすれば……」と思う。その気持ちはわからないでもない。これだけ保護格差という
か、不公平が蔓延(まんえん)した国になると、学歴のもつ意味は大きい。

 遠い昔だが、爪先で、ポンと月謝袋をはじいて、「おい、先生、あんたのほしいのは、これだ
ろ!」と、私に月謝を渡した高校生がいた。

 彼は市内でも、一番という進学校に通う子どもだった。彼にしても、中学生になったばかりの
ころは、まだ心の暖かい子どもだった。楽しい子どもだった。しかし二年、三年と受験勉強を経
験するうちに、子どもも、そういう子どもになる。

 日本の教育水準は、高い? ……とんでもない! 学力の低下は著しい。しかしそれ以上
に、日本人は、心の教育を忘れてしまった。それはちょうど、友情や、愛情の大切さを説く前
に、援助交際の仕方を教えてしまうようなもの。一件、華々しい社会だが、その下では、人間の
ドス黒い欲望が、ウズを巻いている!

 ……今さら、こんなことを私が言ってもはじまらない。今の日本は、そういう子どもや、そういう
子どもたちがおとなになった人の上に、成りたっている。先日も、ある経営者が、同乗したタク
シーの中で、こう言った。「弱肉強食は、当たり前でしょ。力のあるものが、それなりにいい生活
をする。やる気のないものは、貧乏になればいいのです」と。

 彼は、大都市の中心部で、コンピュータのソフト会社を経営している。しかし私たちが求めて
いる社会は、本当に、そういう社会なのか。そうであってよいのか。最後に、こんな話も。

 東京都のM市に住む、友人がこんな話をしてくれた。

 何でもある母親が、小学生の息子を、公園へ連れていったという。そしてその公園で、寝泊り
するホームレスの人たちを見せながら、こう言ったという。

 「あんたも、しっかり勉強しなければ、ああいう人たちになるのよ」と。

 その友人は、笑い話のひとつとして、その話をしたが、この話を笑って聞ける人は、今、この
日本に、いったいどれだけいるだろうか。
(040119)
 
+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


子育て随筆byはやし浩司(1500)

【子どもの心、ワンポイント学習】

●観察学習

子どもは、自分で体験することよりも、周囲の人たちを見ながら、学習することが多い。量的に
は、はるかに多い。

たとえばA君が、園の玄関で、スリッパを並べて先生にほめられたとする。それをB君が見てい
て、「スリッパを並べれば、先生にほめられる」ということを、学ぶ。これが観察学習である。

だからたとえば幼児教室などでも、全員に同じことをさせる必要はない。一人、二人のモデル
を決めて、その子どもを、ほめたり、たたえたりする。それをほかの子どもたちが見て、自ら
も、学んでいく。


●内面化

 体の発達を、外面化という。たとえばその年齢になると、それにふさわしい身体的な発育が
見られる。運動やスポーツによって、それが増幅される。これが外面化である。

 一方、精神の発達も、進む。しかし精神というのは、年齢に応じて発達するわけではない。

 たとえばAさんが、母親を助けたとする。重い荷物をもったり、食卓の用意を手伝ったするな
ど。

 そのときAさんは、母親や、家族のみんなにほめられる。こうしてAさんは、母親を助けること
を繰りかえすようなり、やがて、自然に、そういう行為ができるようになる。これが内面化であ
る。

 子どもの精神の発達は、この内面化がどのように、どのような形で定着しているかをみなが
ら、判断する。

 たとえば約束をどこまで守れるか。目標をどこまで達成できるか。誘惑にどこまで抵抗力を示
せるか。どこまで忍耐強く、がまんできるかなど。乳幼児期は、まさにこの内面化の方向性をつ
くる、きわめて重要な時期といえる。

 たとえば子どもが、小さな約束を守ったとする。そのとき親は、その兆候をとらえて、それをほ
める。そしてそれを繰りかえす。こうして子どもは、約束を守ることの大切さを学び、やがて、自
然な形で、約束を守れるようになる。

頭からガミガミ言えばよいというものではない。むしろ叱ることによって、内面化が阻害されるこ
とのほうが、多い。「どうして、あなたは約束を守れないの!」(ピシャ!)と。こうした指導にな
れた子どもは、やがて自分で考える力をなくし、ますます非常識なことをするようになる。内面
化が遅れる。

 もっとも最近では、親自身が、精神的に未熟な人が多い。もう手遅れというか、そういう親を
もった子どもは、不幸である。しかし本当の不幸は、そのことではない。その未熟性に、親も、
子どもも、よほどのことがないかぎり、気がつかないことである。


●無力感

無力感は、自らつくり出すもの、学ぶものである。

たとえば、今の私が、そうかもしれない。

る時期、猛烈な勢いで本を発表したことがある。しかしそのつど、「これこそ!」と思って出して
みたものの、どれも売れなかった。ほとんどは、初版でそのまま絶版。たまに増刷がかかる程
度。よく誤解されるが、本というのは、増刷に増刷が重なって、はじめて利益になる。そうでなけ
れば、赤字。少なくとも、本を書く時間の分だけ、家庭教師でもしていたほうが、まし。そのほう
が、収入は多い。

 で、そのあと、いくつかの出版社から、出版の打診があったが、もうそのときには、やる気を
なくしていた。「かえって出版社に迷惑をかけてしまう」と。

 で、今は、無気力状態。実のところ、かろうじて、こうして毎日、マガジン用の原稿を書いてい
るが、本当に、「かろうじて」。中には、熱心に読んでくれる読者の方もいるかもしれないが、し
かし……(カット! グチになる)。

 で、今はもう、自分のために書いている。「1000号まで」という目標は、そのためにある。

 こういうのを、「学習性無力感」という。何度も失敗し、カベにぶつかるうちに、無気力症状
が、生まれてくることをいう。

 で、今の学校の教育で一番こわいのは、子どもたちに、無意識のうちにも、この学習性無気
力感を植えつけていくこと。いくら勉強しても、できるようにならない。少しくらいできるようになっ
ても、目立たない。評価されない。

 こうして子どもによっては、自ら、「ダメ人間」のレッテルを張っていく。さらに、いわゆる「もの
言わぬ従順な民」と、育てられていく。「ああ、やはり、自分は、ダメな人間だ」と。

 本来なら、子どもにこうした学習性無力感が見られたら、学年をさげるか、学校を去ったほう
がよい。しかし日本の現状では、それは無理。このあたりに、日本の教育がもつ、構造的な欠
陥というか、限界がある。このつづきは、またの機会に!


●神経性習癖

満たされない心の葛藤(かっとう)が、慢性的につづくと、子どもは、独特の症状を示すようにな
る。行動的な習癖としては、ものいじり、爪かみ、髪いじいり、鉛筆やものをかむ、おねしょ、頻
尿、チック、偏食、拒食、多食など。

(詳しくは、神経症診断シートをご覧ください。自己診断できるようになっています。はやし浩司
のHPのトップページから、「ビデオでごあいさつ」へお進みください。インターディスクに収録して
あります。)

 原因は、ここに書いたように、「満たされない心の葛藤が、慢性的につづいている」と考える。
またそれが原因のほとんどと考えてよい。

 神経質な育児姿勢(過関心、過保護、溺愛、過干渉など)、拒否的な育児姿勢(育児放棄、
暴力、虐待、家庭崩壊、家庭不和など)、子ども自身の問題(集団恐怖症、対人恐怖症、過敏
傾向、神経質など)がある。下の子が生まれたことによる、赤ちゃんがえりでも、同じような症
状を示すこともある。

 こうした症状が見られたら、「家庭教育の失敗」と考えて、子どもの心の中を、静かにのぞく。
原則として、子どもの行動には、ムダがない。すべての行動には、必ず、原因がある。その原
因を考える。

 つぎに親がすべきことは、「ほどよい親であること」「暖かい無視を繰りかえすこと」。

 ほどよい親というのは、子どもが何らかの愛情表現をしてきたり、求めてきたときは、それ
に、こまめに、かつていねいに応じてあげるということ。親の側から、やりすぎるのは、よくな
い。溺愛は、さらによくない。

 なおこうした神経症による、神経性習癖は、黄信号と考えて、警戒する。放置したり、無理を
すれば、情緒障害、さらには精神障害へと進行することもある。

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【子育て随筆byはやし浩司、第1500作を書き終えて……】

 今回で、「子育て随筆byはやし浩司」が、第1500号になった。膨大な原稿量である。A4サ
イズの原稿用紙(1500字前後/一枚)にして、約6000ページ。単行本、一冊分の枚数が、1
20〜150ページ前後だから、単行本にすれば、40冊分ということになる。

 私はこれらの原稿を、電子マガジンのほうで、随時、発表してきた。(たいはんの原稿は、メ
モ程度のクズのような原稿ばかりだが……。ごめんなさい!)

 もちろん読んでくれる人がいての原稿である。だから読者の方を意識しなかったと言えば、ウ
ソになる。しかし雑誌や新聞などとちがって、これらの原稿は、あくまでも自分のために書い
た。読者を意識することは、ほとんど、なかった。

 ときどき「こんなことを書くと、怒る人もいるだろうな……」と、発表する段階で、迷うことはあっ
た。しかしそういうときでも、「ええい、ままよ!」と自分に言ってきかせて、発表してきた。(結
果、怒ってきた人も、いるにはいた。)

 私の本音を言えば、できるだけたくさん読んでほしい。が、ほんの一部でも読んでもらえれば
と思っている。みなさんの意見では、「量が多すぎる」ということらしい。みなが、そう言う。自分
でも、それがわかっている。ワイフでさえ、毎回、「もう少し、減らしたら?」と言う。

 しかし実際には、この一、二か月、量は、ぐんと減っている。調子が悪くなったわけではない。
元気はあるのだが、HTML版を出すようになったことや、それに、写真を載せるようになったこ
となどがある。それにこのところ、雑用が、多くなった。そのため原稿を書く時間が、少なくなっ
た。

 ここで「子育て随筆byはやし浩司」は、ひとまず終了し、次回からは、新しい企画で、原稿を
書いてみたい。(「新しい企画」と言っても、タイトルが変るだけだが……。)

 ……とまあ、どこか、どこかの大手の雑誌社の編集長が書くようなあとがきを書いたが、本当
の私は、まさに「風前のともし火」。「こういうマガジンを出すのを、もうやめようか」という迷い
も、ないわけではない。ときどき、何のために出しているのか、わからなくなる。

 しかしまあ、何とか、こうして1500作を書いてきた。マガジンのほうは、第350号を数えると
ころまで、がんばってきた。ただ、最後に申しあげたいことは、「この文のここまで読んでくれた
方へ、ありがとう」ということ。そういう方が、ほんの少数でもいるということは、大きな励みにな
る。

 こうしたマガジンでは、月並みな言い方になってしまうが、最後まで、お読みくださいまして、あ
りがとうございました。
(040121)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

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      2004年1月21日    子育て随筆byはやし浩司・終了
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大学法文学部卒 はやし浩司 教育評論家 幼児教育評論家 林浩司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法
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Hayashi / 1970 IH student/International House / Melbourne Univ. writer/essayist/law student/Japan/born in 1947/武義高校 林
こうじ はやしこうじ 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 ハローワールド(雑誌)・よ
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